1 -追い求める女-
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この『紅の好敵手』では今後のシンギに大きな影響を与えることになる柏木綜真というVFランナーが登場します。
ソウマはVFBというスポーツ競技で最も強く、無敗のランナーと呼ばれています。シンギはそんな彼と関わっていく事になります。
前の話のあらすじ
シンギ・テイルマイトはVFという人型戦闘ロボットを遠隔操作によって戦場に派遣しているCE社の契約ランナーだった。彼は常日頃から自分の強さについて、疑問を抱いていた。
ある日、シンギは自分が七宮重工というVF関連巨大企業の社長と息子だということを教えられ、その会社の個人倉庫からリアトリスという高性能なVFを手に入れる。
シンギはそのリアトリスに乗り、遠隔操作ではなく実際に戦場に赴く。そこで自らの戦闘能力について様々なことを知った。
戦場では狙撃を得意とする傭兵ランナーにも打ち勝ち、シンギはさらに強さを求めることを決意した。
1 -追い求める女-
時刻は宵の口。
ボクは暗い部屋の中でとあるインタビュー映像を見ていた。
携帯端末で再生しているのはVFBの試合後の映像で、そこには大勢の記者から質問を受けている青年の姿があった。
画面の中の青年は爽やかな口調で喋っている。
「――僕はそこまで強いわけじゃないよ。高性能なVFと優秀なスタッフのお陰で無敗でいられると思っているからね。」
そこに映っている青年の名前は『柏木綜真』だ。
彼は“二枚目”という言葉がぴったり当てはまるほどのイケメンで、いつも呑気そうににこやかな笑顔を浮かべている。
その笑顔が彼のトレードマークであり、チャームポイントだ。
また、ソウマは現在VFBの選手の中で最も強いランナーであり、『無敗のランナー』と呼ばれるほどの実力者でもある。
これだけの魅力を持っている彼は当たり前のようにみんなの人気者だ。
純粋なVFBファンからはもちろんのこと、女性ファンからも圧倒的な支持を受けている。
ボクもその女性ファンの一人だった。
(ソウマ……カッコいいです……。)
映像を見ただけで満たされた気持ちになる。
こんな男性は後にも先にも絶対現れないだろう。
……そのインタビューは試合後すぐに行われいて、ソウマのサラサラのブラウンの髪からは汗が滴っていた。
映像の中のソウマは汗をランナースーツの袖で拭うと小さく息を吐く。
呼吸は少し荒くなっているが、乱れているという印象はない。
むしろボクにとってその動きはセクシーに見えた。
「ソウマ……。」
ボクはソウマのことが大好きだ。
毎晩のようにソウマの試合映像やインタビュー映像、そしてイベントなどの記録も見ている。
ソウマに関するデータはかなり知っているつもりだし、ボク以上にソウマの事を知っている人間はソウマ自身とソウマの家族を除けば絶対にいないはずだ。
……柏木綜真。
出身地は日本。
現在住んでいるのはチームキルヒアイゼンのビルのすぐ隣にあるキルヒアイゼン邸。
誕生日は11月24日、年齢はボクと同じ18歳。
自覚しているチャームポイントはにこやかな笑顔。
……この笑顔に何人の女性が心を射抜かれたのか分かったものではない。
VFBファン関係なく一定の人気があるのだから、その格好の良さはお墨付きだ。
身長は175cm、体重は68kg。
まだ一度もヌード写真は撮られていないが、ボクは一度だけインナースーツ姿のソウマを見ている。
あの時見たバランスのとれた肉体は今でもはっきりと思い出せる。
彼は齢5歳にしてVFの操作を習い始め、9歳からは臨時ランナーとして度々VFBに出場し、12歳の時に正式なランナーとしてキルヒアイゼンに所属し、見事にVFBで優勝した。
誰がどう見ても稀代の天才VFランナーだ。
その他にも好きな食べ物や好きな音楽、隙なスポーツや好きな色に至るまでなんでも知っている。
好きな女性のタイプも知っておきたいのだけれど、それは未だに謎のままだ。
一応ソウマの携帯端末のアドレスは手に入れているので直接聞けないこともない。しかし、そこまでしてソウマにコンタクトする勇気はない。
色々とソウマのことを考えながら映像を見ていると、ある男性インタビュアーがソウマに質問を投げかけた。
「――それではソウマ選手、今最も注目している選手はズバリ誰でしょうか。」
この動画は何度も見たので、この質問が出る時間も、この先ソウマが言う答えもボクは知っている。
ソウマは質問に対し、ほとんど考える様子もなく答える。
「それは間違いなく『HAL&HEL』の『キノエ』選手だね。」
――言うのを忘れていたが、HAL&HELのキノエとはボクのことだ。
自分の名前を呼んでくれているこの映像はボクのお気に入りの映像だ。
ボクもソウマの真似をして自分の名前を口に出してみる。
「キノエ……。」
しかし、声に出してみたところで聞こえてくるのはボクのか細い声だけだ。
……今更だけれど、ソウマの声はとても優しくて深みのある声だ。聞いているだけで脳髄がとろけてしまいそうになる。
そんな甘い声で映像の中のソウマは言葉を続ける。
「――聞いた話によれば彼女はVFに乗り始めてからまだ5年しか経っていないんだよね? 5年でここまで成長したとなると、注目と言うよりも尊敬したくなるよ。」
初めてこの言葉を聞いた時は狂喜乱舞したものだ。
あのソウマがボクのことを知っている……。
あのソウマがボクのことを調べてくれている……。
そう考えただけであの時はひどく興奮したのを覚えている。
確か鼻血も出た気がする。
映像を何度も見て慣れた今でもちょっと危ないくらいだ。
……次の言葉でソウマのインタビューは終わる。
その言葉は一生語り継いでもいいくらいの言葉だった。
「――あと、僕と同い年で、ついでに綺麗な女性だからっていうのも理由の一つかな。」
「……。」
すぐにボクは映像を巻き戻し、リピートさせる。
すると当然ではあるが、ソウマのセリフが繰り返された。
「あと、僕と同い年で、ついでに綺麗な女性だからっていう……」
ボクはさらにリピートの間隔を縮めていく。
「……同い年で、ついでに綺麗な女性……」
そしてとうとうある単語に絞られた。
「……ついでに綺麗な女性……」
「……綺麗な女性」
「綺麗な女性」
まさかあのソウマに綺麗だと言われるとは思ってもいなかった。
ボクの髪は赤くてボサボサだし、愛想がいい方ではない。……というか三白眼な上に瞳の色も赤いので目付きがかなり悪く、むしろ無愛想に見られているはずだ。
そこそこ鍛えているから体つきはいいと思うけれど、バストやヒップもそこまであるわけでもないし、ウエストもそこまで細いこともない。
ついでに言うと、あんまり綺麗とか美人とかいう雰囲気も出ていないと思う。
根暗オーラ満開だ。
まあ、ボクはそれをきちんと自覚しているのだし、その分だけ他の根暗連中より幾分ましだと思っておこう。
そんな自覚があったので、ソウマに褒められた時の衝撃はかなりの物だった。
初めて聞いた時は鼻血を止める動作を数分間忘れていたくらいだ。
映像を再生している携帯端末のスピーカーから止めどなく聞こえてくるソウマの声に耳を傾け、ボクは至福の時間を過ごしていた。
「ソウマこそ格好よくて、強くて、素敵な男性です……。」
映像で“綺麗な女性”と繰り返し言うソウマに向けてボクは返事をしてみる。
もちろんソウマから返事はない。
と言うか、ソウマと面と向かって話したことは一度もない。
ソウマと向き合えるのはVFBの試合中だけだ。
試合中のその時間もボクにとっては至福の時間である。
VFを使っているとはいえ、あのソウマと直接体を打ち付け合う事もあるのだ。
VF越しであれ、あの人に……ソウマに近付けるだけでボクは幸せだ。
VFBの選手になれて本当に良かった。今のボクは幸せものだ。
ちなみに、ソウマとの試合では一度も勝ったことがない。でも、試合できるというだけで嬉しいので問題ない。
……とは言え、いつまでも負け続けるのは非常に駄目なことだ。
現状で満足しているのも事実ではあるが、もっと距離を縮めるための努力もするべきなのだ。
今後もっと実力をつけていけば、ソウマに勝てる日が来るかもしれない。
その時になったらボクの想いを打ち明けよう。ソウマだって、相手が強いランナーなら振り向いてくれるはずだ。
ボクはソウマの隣にいるにふさわしい女だ。
いずれは友だちになって、恋人になって、ソウマの心にもっと近付きたい。
……やがて音声のリピートが解除され、ようやくインタビュアーの声が耳に届いてきた。
「――なるほど、キノエ選手の今後の活躍を期待しましょう。……ソウマ選手、本日は試合お疲れ様でした。それでは勝利者インタビューを終わりたいと思います。」
その言葉を最後に映像は終了し、何も聞こえなくなった。
ひとしきりソウマのボイスを聞き終えると、ボクは暗い部屋の中を移動して誰にも見られなくて済む狭い空間に入る。
そこでボクは先ほどまで中断していた“ある行為”を再開する。
「ん……」
これは他の誰にも言えないボクの秘密の行為だ。
誰もいないトレーニングルーム内だからこそできる事でもある。
「……ん……はぁ……」
独りでやり始めてから何時間経つだろうか。
夜な夜なこうやって、誰も居ない場所で自分が満足できるまで続けているのだが、こんなに長時間やるのは久しぶりかもしれない。
室内にはボクの喘ぎ声だけが響いていた。
「く……うぅ……」
長い時間続けているせいが、普段では有り得ないくらい胸が高鳴り、服も汗でびしょびしょになっている。
もちろん興奮の度合いも普段以上で、尋常ではなかった。
「ソウマぁ……」
少し前までは届かない存在だと思って毎晩言い得ぬ絶望に打ちひしがれていた。
……が、今は違う。
血反吐を吐いて訓練に訓練を重ねてここまで来た。ソウマの為にここまで登ってきた。
ここまで来れたのだから、目標までもう少しだ。必ずソウマを自分のものにしてみせる。
そのためにはやはり訓練あるのみだ。
初参加の前期リーグでは見事に準優勝できたし、後期リーグではソウマ以外の選手には負けなかった。
次のリーグではソウマに……チーム『キルヒアイゼン』に勝てる気がする。
そんな事を思っていると、不意に自分の体が意思に反して震えはじめた。
「あっ……」
急な感覚に対応するべくボクは指に力を込める。
しかし、それに抗うことはできなかった。
「んっ……あぁッ……!!」
一際大きな喘ぎ声が周囲に響き渡り、続いて付近から小さなシステム音声が聞こえてきた。
「――シミュレーション終了、ソウマの仮想対戦データに対して2分11秒で敗北です。現在の勝率は2.07%です。」
「……はぁ……。」
そんな知らせを受け、ボクはうなだれる。
先ほどの振動は今ボクが乗っているシミュレーターマシンからのフィードバックだ。
それはシミュレーション上の自分のVFが攻撃されたことを意味していた。
(全く歯がたたないです……。)
打倒ソウマを掲げ、ボクは数カ月前からこうやってソウマの戦闘データから合成した戦闘AIを相手にシミュレーション対戦し続けている。
ところが、何時まで経っても勝機が見えない。
今回は死角からの攻撃に対応することができず、まともに攻撃もできないまま負けてしまった。
HMDの画面にはズタボロになったボクのVFと“LOSE”の4文字しか表示されていない。
ボクは操作コンソールに載せていた指から力を抜き、その4文字から目をそらせるべくHMDを脱ぐ。
続いて筐体から外に出ると、ひんやりとした空気が汗で湿ったボクの体を包んだ。
それは激しい操作によって火照った体の熱を冷ましてくれた。
「くそう、また負けてしまいました……。」
ソウマに認めてもらうために頑張って訓練しているのに、全く勝つイメージが湧かない。
シミュレーションですら勝てない相手に果たしてボクは勝てるのだろうか……。
(いや、勝って見せます。……勝ってソウマの愛を勝ち取るんです。)
深夜とはいえまだ時間に余裕がある。
シーズン開幕まであまり時間もないし、今のうちにやれるだけやっておこう。
そうやって必死に訓練しなければソウマには絶対に勝てない。
「よし……。」
ボクはあと数セットだけ、アプローチを変えてシミュレーション上のソウマに挑むことにした。




