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果てしない論争

「なぁぁぁぁあによそれぇぇぇぇ! なんで先に言わないのよそれをぉぉぉぉ!!」


 声の限りに絶叫する夢路さんの声に、浜辺にいた皆さんの視線が一手に集まる。


「そんなぁ! だったら私はなんのために来たのよ!」

「そりゃ夢路さん、詩歌ちゃんのマル秘計画を手伝いに」「あーちゃんっ!」


 後頭部にぱこんと拳を食らう。

 夢路さんと詩歌ちゃんと充分な距離を取ってから、僕はおもむろに口を開く。


「では、僕はこれで」

「てめぇっ!」


 思わぬ伏兵。僕の襟元に冷たい指が侵入し、ぐいっと後方へ引き寄せる。耳元に囁かれた。


「逃げるな」

「……なんなんですかー」


 首を圧迫されているから、掠れた声しか出ない。半ば息のような声で問うと、手の主であった典雅先輩は、ふっと鼻で笑って肩を竦めた。


「俺だって逃げたいのに、お前だけ行かせるか」


 ……さいですか。というか、何故貴方の道連れにされなければならないのか。

 余程僕は不満げな顔をしていたのか、「そう怒るな」と典雅先輩は口角を上げる。いや、怒るなと言われても。怒ってませんから。


「是が非でも、お前にはいてもらわなきゃならないわけがあるんだ」


 へえ、というと。


「夢路のサンドバッグになってもらわないとな」


 帰ります。


「いや、待て。これは冗談さ」

「……このユクサァ」


 ぼそりと呟いた僕の言葉は生憎、彼の耳に届いてしまったらしい。襟元にかかっていた指が握り込まれ、首筋をシャツが圧迫する。


「詩歌の相手をしてもらわないとな」

「詩歌ちゃん、ですか?」


 僕は不思議そうに見えるよう、首を傾げる。それを見て案の定、典雅先輩は説明を始めてくれた。


「夢路は今鏡と戦争してるだろ。で、今ここでお前が消えると、必然的に俺と詩歌が組になるってわけだ。俺はあいつが苦手なもんでね。よろしく頼むよ」


 口笛を吹きたい気分だった。もし僕にそのスキルがあったならば、吹いて、尚且つ手も叩いていただろう。

 詩歌ちゃんが典雅先輩を秘かに苦手とするように、典雅先輩も詩歌ちゃんを敬遠していたとは。面白いとは思わないが、なかなかに凄い偶然だ。シンクロシニティ、という奴だろうか。


「んじゃあ後はよろしくな」

「いや待て」


 お前こそさりげなく帰ろうとすんな。少々露骨過ぎる舌打ちをすると「しゃーねぇなぁ」と典雅先輩はこちらを向く。いや、しょうがないのはあんたの方だろうが。


「わーったよ、いてやるよ」


 当り前だ。

 咳払いをすると、僕は詩歌ちゃんの方を向く。む、上目遣いになっている。手持無沙汰げに俯き、視線のみを僕らに向けている。時折、口論というか、夢路さんの一方的なまくし立てに、困ったような表情で律儀にそれを聞く鏡先輩の二人に眼をやっては、不満そうに口を引き結ぶ。


「……るい」


 あれ、何か言ったようだが聞き取れなかった。

 見ていた僕に気がついたのか、こちらを見ながら、無言で人差し指を二人の方向へむける。「ずるい」あ、今度ははっきり聞き取れた。


「夢路ちゃんばっかり鏡先輩と話して、ずるい」


 ……主語述語修飾語をはっきりさせて言ってもらうと、さすがに分かる。つまるところ詩歌ちゃんは、夢路さんに嫉妬しているわけだ。

 まだ夢路さんは鏡先輩を問い詰めていて、詩歌ちゃんのことや僕らのことを気にかける余裕はなさそうだ。大方、話が横滑りして、電柱が高いとか守礼門が赤いとか、そういった理由で怒っているのだろう。


「よし、ここは!」

 何やら不穏な計画を立てているらしき掛け声を、詩歌ちゃんは上げる。


「あーちゃん、典雅先輩、ちょっと来て」


 おや。僕まで巻き込むつもりなのか。

 渋々歩いてゆくと、突然耳を引っ張られた。ぐっと体が傾き、耳元に詩歌ちゃんが口を寄せる。ちょ、まだ心の準備が。


「何するんですかー」


 抗議の声を上げた僕は、身を捻って耳から手を外させてもらう(結構痛かった)。

 と。


「わにゃー!」


 いや、今の声は。

 見事に僕のせいですっ転んだと思しき詩歌ちゃんは、顔面から地球と仲好くしていた。


「あ、ごめんなさいー」

「いやいやいやいやいやいやいやいや何してんのなんで棒読みで謝ってんの!? 全然謝意が感じられないよその台詞!?」


 夢路さんは「いや」と八回言った。

 物音に、というか詩歌ちゃんの鳴き声に気付いて振り返り、全力で突っ込んできた夢路さんに「いえ、僕感情表すの下手なんですよ。腹の中では全身全霊で悪いことしたなーと思ってますー」「だったら起こすなりなんなりしろよ!」

 少々遠くにいた典雅先輩には、確かにわざわざ寄って抱え起こすほどの責任も罪悪もない。成程僕が起こすのが適当だろう。


「大丈夫ですかー?」

「うに……いつものことだから大丈夫……だと思う。ちょっと頭を挫いただけ……」

「では病院へ行きましょう」

「ごめん、違う。足を挫いただけ」

「んん?」


 いや、今の声は僕じゃない。

 我関せずといった様子で、寄せては返す波を見ていた典雅先輩は、詩歌ちゃんの言葉に振り返った。


「足を挫いた?」


 医師の問診のような問いかけに、戸惑った様子で「はい」と肯首する詩歌ちゃん。

「ふむ」

 納得した様に頷きながら、典雅先輩は腰に巻いた……ベルトに鞄がくっついたようなあれ(名前知らない)の中に手を入れた。イメージとしては、某ネコ型ロボットが秘密道具を取り出すときのような緊迫感。


「ちょっと診せてみろ、どっちだ」

「はいぃぃぃ!?」


 叫びながら、ずりずりと這って後ずさる詩歌ちゃん。驚きの声がハウリングしている。


「ややややめてください、こんなのなめときゃ治りますっ!」

「治るかフラー。ここは俺を信用してだな」

「できるか! てか先輩医療資格を持ってない人のちりょーこーいは禁じられてるですよっ!」


 発音が分かりにくいが、治療行為と言いたいのだろう。その正当な反論に、しかし典雅先輩は「いいや」と頭を振った。


「応急処置だけだ、悪そうだったらウチに連れてく」

「は……はいぃぃぃぃぃぃいい!?」


 詩歌ちゃんの叫び声が涙混じりになっている。


「あれ、でも家って」


 首を傾げた夢路さんに、隣にいた鏡先輩が解説する。


「……典雅の家、石垣総合病院」


 ……院長令息?

 思わぬところに伏兵が。

 ちなみに、石垣総合病院なら、日本赤十字病院にも劣らぬような規模を誇る、というわけではないが、設備と腕はいいと確かな評判。僕達の高校から徒歩十二分なので、我が校で怪我を負った者及び疾病を発症した者は速やかにそこへ送られる。

 あそこの、息子。

 ………成程、奔放な性格に育つわけだ。


「おーら大人しく診せてみろ、痛くないようにしてやるから」

「嫌だぁぁぁぁ! 全力で拒否します嫌だぁぁぁぁぁぁ!」


 臆面もなく泣き叫ぶ詩歌ちゃんを物ともせず、手早く腰の鞄から救急セットを取り出す典雅先輩。いつも持ち歩いてるのかそれら。


 典雅先輩が治療を終えるまでにかかった時間は五分。その間、詩歌ちゃんが叫んでいなかった時間は三秒。


「うぐ……えぐ……」


 泣きじゃくる詩歌ちゃんを慰める夢路さんと鏡先輩。結構無理やりな感じで足首を掴んでいたから、きっと痛かったんだろう。当の治療者本人である典雅先輩はというと、もう我関せずでそっぽを向いて口笛を吹いている(曲目は『島唄』)。


「どうだ? 痛いか?」

「ぜんぜん痛くありませんええそりゃもう」


 そこだけはきっぱりと答えた詩歌ちゃん。トラウマになったんじゃなかろうか。

「んで、どうする? 帰るか?」

 問われた鏡先輩は、睫毛を伏せ「そうだな」と短く答える。

「えー? もうちょっといてもいいんじゃない?」

 夢路さんがさりげなく引き留める。その口元が微妙に緩んでいるのは気のせいではないと思う。


「だったらどうする? 俺の病院で肝試しでもやる?」

「洒落にならないんでやめてください典雅先輩」


 この罰当たりな。


「私の家はちょっと駄目だなー」


 少々棒読みな感じで、話を誘導させる夢路さん。その視線がちらりと、鏡先輩を見る。


「………」


 おい、気付けよ。


「鏡の家は?」


 典雅先輩が口走った瞬間、夢路さんと詩歌ちゃんが同時に小さくガッツポーズをしたのは見間違いではないだろう。そのまま二人は僕の方に向かってウインクする。いや、なんで?


「いや、ダメだ」


 にべもない。まあ、アポ無しで行くということが非常識なのだから、当り前の反応とも言えるが。


「なんで? 部屋に見られてまずいものでもあるのー?」


 挑発的な夢路さんに、苦虫を噛み潰したような(考えてみるとこれってすごい表現だ)表情で「そういうわけじゃ……」と歯切れの悪い返事を返す鏡先輩。


「だったらいいじゃないー!」


 そう叫びながら、子供のように地団太を踏む夢路さん。「行きたい行きたい行きたーい!」おい、あんた何歳だ。

 そう言えば、最も抵抗しそうと思われた詩歌ちゃんは黙ったままだ。彼女が一番、鏡先輩の家には興味あるだろうに。やはり憧れの先輩の幻想と実像とにもしもギャップがあったら、嫌なのだろうか。と思いながら後方を振り返ると、


「い、いいんです、せんぱい。僕だって、そんなに行きたかったわけじゃ……」


 詩歌ちゃんは、薄っすら涙目になって俯いていた。それに気がついた鏡先輩が、ぎょっとして身を引いた。


「いや、こっちもそんな……」


 おお、面白いくらいうろたえている。その一瞬、詩歌ちゃんの表情が「してやったり」といった風に輝いたのは、彼の眼には映っていない。


「鏡の家、あそこだろ? あのやけに白いコンクリートの」

「行ったことあるの、典雅?」

「まあそりゃあなあ。テスト前の追いこみでちょっと」

「なんなのよあんた! 何当り前みたいなこと言ってんのよ!」


 いきなり怒り始めた夢路さんに、若干引いた様子を見せる典雅先輩。「いや、なんでお前が怒ってんだよ……」と非常に尤もなことを呟く。しかし、ヒートアップした夢路さんは止まらない。


「冗談じゃないわ、さっさと行きましょ鏡! ほら案内しなさい案内!」


 なんで上から目線。長い三つ編みを振り回しながら、夢路さんは憤懣やるかたないといった調子で早足で歩いてゆく。慌てて後を追う鏡先輩と、マイペースに歩き出す典雅先輩。詩歌ちゃんはしっかり鏡先輩の横をキープして、歩幅にかなりの開きがある筈なのにぴったりついていっている。



 ………さて。僕も行かねばなるまい。いや、正直このままエスケープしたところで誰も気にしないような気がするが、夢路さんや詩歌ちゃんや典雅先輩からの報復が怖ろしいので、まあ同行はしよう。

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