表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

闇ギルドの頭領を覚えたての火魔法で狙っていたら、家族ごと謝りに行くことになった話

作者: 江合 花果
掲載日:2026/04/09

【一】覚醒


「いいか、最近この町の東区画では闇ギルド同士の小競り合いが激化している。放課後の寄り道は厳禁。特に《黒狼の爪》の屋敷周辺には、絶対に近づくな」


 セルド先生が朝礼でそう言った瞬間、教室の空気が凍りついた。


 女子が不安そうに顔を見合わせた。

 真面目な男子が神妙な顔で頷いた。

 窓際のロッツが「お、俺、東区画に親戚の家が……」と青ざめた。


 俺だけが違った。


 来た。


 脳の奥で、何かが音を立てて噛み合った。

 歯車が合わさる音だ。運命の歯車が。


 俺の名前はレイン。十三歳。魔法学舎一年生。


 外見は普通の学舎生に見えるだろう。それでいい。真の実力者は、常に凡庸を装うものだ。

「影に生きる者たち」第七章にそう書いてあった。俺は三回音読した。


 俺が今まで積み上げてきたものを、ここで開示する。


 剣豪譚、全巻読破。

 冒険者の手記、全巻読破。

「影に生きる者たち」全巻、七回読破。特に第三章「暗殺者は、標的の息遣いまで把握してから動く」は枕の下に入れて寝ている。


 そして三週間前——俺は火魔法の基礎を習得した。


 他の連中が豆粒みたいな炎を出して「できた!」とはしゃいでいる間、俺はすでに三種類のオリジナル魔法の開発を完了させていた。


 第一の技、《煉獄の狙針》。


 火種を極限まで圧縮し、射出する狙撃特化型魔法。俺が百時間かけて磨いた切り札。命中精度は、学舎の教師陣では誰も追いつけない領域に達している。客観的に見て威力は低いが、今はまだ封印している。


 第二の技、《閃滅・火花散弾》。


 炸裂時の閃光と爆音で相手の視覚と聴覚を同時に奪う制圧型魔法。威力はほぼゼロだが、それは俺が意図的にそう調整しているからだ。本気を出せばどうなるかは、まだ誰も知らない。


 第三の技、《黒霧煙炎》。


 完全無音・完全無光の煙幕を展開する隠密型魔法。開発中に煙しか出ない段階があったが、それは過程だ。現在は実戦投入可能な水準に達していると判断している。俺が判断している。


 これだけの力を持ち、これだけの知識を積み、これだけの準備をしてきた人間が、今この瞬間に、闇ギルドの抗争という舞台を与えられた。


 これを運命と呼ばずして何と呼ぶ。


「レイン、聞いてるか」

「聞いてます」


 俺は窓の外を見ながら答えた。


 東の空に、朝の光が差していた。まるで俺の覚醒を祝福するかのように。


 俺の時代が来た。


 担任が何か言っていたが、俺の耳には一切入っていなかった。頭の中では、漆黒の夜に屋根を走り、誰も知らない場所から悪の組織の頭領に一撃を叩き込み、煙の中に消える俺の姿が、フル解像度で再生されていた。


 BGMまで完成していた。



 放課後、俺は《偵察フェーズ》に移行した。


 脳内で、そう命名した。


 作戦行動における事前の情報収集は必須だ。「影に生きる者たち」第三章に明記されている。俺はその一文を今朝三回音読してから枕の下に戻し、家を出た。


《黒狼の爪》の屋敷は東区画の一等地に構えていた。高い石塀。黒塗りの重厚な門扉。腕の太い男たちが数人、なんでもない顔をして立っている。黒塗りの高級馬車が二台、横付けになっている。


 一目で分かる。完全な悪の拠点だ。


 俺は怯まなかった。


 真の実力者は、恐怖を恐怖として認識しない。「影に生きる者たち」第二章に書いてある。


 そして俺は発見した。


 屋敷の向かいに、古びた三階建ての下宿がある。外壁の非常階段を上ると、三階の踊り場から屋敷の中庭が丸ごと見渡せる。


(ここだ)


 心臓が跳ね上がった。


 俺は踊り場の手すりに両手をかけ、風を感じた。


「影に生きる者たち」に書いてあった。「真の暗殺者は、戦う前に戦場を制する」。


 俺はすでに、戦場を制していた。


 この場所を、俺は《漆黒の牙城》と名付けた。


 格好いいと思った。今でも思っている。


【二】《任務》開始


 翌日の放課後、俺は《漆黒の牙城》に立った。


 装備の内容を開示する。


 変装を兼ねた学舎の制服。鞄の中に火薬草の粉末、発火石、《黒霧煙炎》の触媒、自作の呪文メモ——表紙に「機密・作戦記録簿 R」と書いた。Rは俺の頭文字だ。そして近接戦に備えた護身用短棒、木製・先端布巻き。


 我ながら完璧な装備だ。


 俺は手すりの陰に身を潜め、屋敷の門を観察した。


 しばらくして、黒塗りの豪奢な馬車が帰ってきた。


 降りてきたのは外套を着た中年の男だ。歩き方が傲慢だ。絶対に悪い奴だ。俺の直感——正確には「影の素質を持つ者だけが持つ第六感」——がそう言っている。


 俺は左手に火種を集中させた。


《煉獄の狙針》の術式を組む。

 息を吸い、止める。


(《第一撃》、解放する)


 脳内で、そうアナウンスした。


 手のひらの上で、小火球が形成された。


(行け)


 火球が空を渡り、馬車の屋根に——


 ぱちっ。


 拳大の焦げ跡が残った。


「なんだ?」

「火の気配がしたぞ!」


 門の男たちが一斉に周囲を見回した。手が剣の柄に伸びた。


 俺は手すりの陰に張り付き、息を殺した。


 心臓が、喉から飛び出しそうだった。


(通った)

(《煉獄の狙針》が……本物の敵に……完全に通った……!!)


 全身の毛が逆立った。目に涙が浮かんだ。足が震えた。


 恐怖ではなかった。


 覚醒だった。


 俺の中の何かが、今この瞬間に完全に目覚めた。そういう感覚があった。


 帰り道の誰もいない路地で、俺はガッツポーズを三回した。


 それから鞄から作戦記録簿を取り出し、《第一任務・完遂》と書いた。

 下に小さく、「敵、完全に俺の存在に気づいていない。圧勝」とも書いた。


 完全に気づかれていたが、俺は知らなかった。



 同刻。《黒狼の爪》屋敷内。


「兄貴、今日の馬車の件、やっぱり偶然じゃないです」


 若い衆のカルロが眉間に皺を寄せた。


「火魔法です。遠距離から、狙いを絞って撃ってる。確実に故意です」

「敵対組織の仕込みか。あるいは領主軍の密偵か」

「相手は遠距離魔法の使い手です。腕が立つ」

「屋敷の構造を外から把握しようとしているのかもしれない」


 男たちの顔が険しくなった。


「見張りを増やします。狙撃できる場所は限られる。拠点を割り出せ」


 部屋の奥で、頭領のガルドは煙草を吹かしながら黙って聞いていた。



 翌日。


 俺は《第二任務》の作戦を完成させていた。


 今日のメインウェポンは《閃滅・火花散弾》だ。連続射撃で相手の精神を揺さぶり、組織の対応速度を測る。情報収集を兼ねた攻撃だ。一石二鳥どころか一石三鳥くらいある。


 屋敷の門から出てきた男を見て、俺は一瞬だけ息を呑んだ。


 でかかった。


 首の太さが俺の胴体くらいある。腕には入れ墨。腰に剣。顔に傷。歩くたびに地面が沈みそうな体格だった。


(いい……最高のターゲットだ)


 俺は術式を展開し、連続射撃の構えを取った。


(《第二撃》、解放する)


 ぱちぱちぱちぱちっ!


 四発、男の背中に叩き込んだ。


「あ゛ッ!! 誰だァ!!!」


 怒鳴り声が予想の三倍大きかった。


 俺の腰が、その瞬間に砕けた。


 正確には砕けそうになりながら、脳が「逃げろ」と命令する前に体がすでに動いていた。非常階段を駆け降り、路地を全力で走り、二つ角を曲がって立ち止まった。


 息が切れた。膝が笑った。目に涙が浮かんだ。


(やばい)

(俺、本当に……もう戻れない場所まで来てしまった……!)


 最高だった。


 俺は壁に背中を預け、天を仰いだ。


「俺……本物だわ」


 誰もいない路地で言った。


 本気でそう思っていた。


 その夜、作戦記録簿に《第二任務・完遂。敵に精神的打撃を与えることに成功》と書いた。

 さらに余白に、「そろそろ頭領本人に届ける頃合いかもしれない」と書いた。


 俺の中では、すでに頭領への直接攻撃が《最終任務》として設定されていた。



 同刻。《黒狼の爪》屋敷内。


「兄貴ィ! 背中に四発もらいました!!」


 背中を赤くしたドンが飛び込んできた。


「急所を外して警告してるんだ。次は頭領本人を狙ってくるかもしれん」

「遠距離魔法の使い手で、連続射撃ができる。相当な手練れだぞ」

「……向かいの下宿が怪しい。三階の踊り場から、中庭が全部見える」

「張れ。今夜から見張りを立てろ」


 部屋の奥で、ガルドは静かに煙草を吹かした。


「……次、来たら捕まえろ」


 低い声だった。

 部屋の温度が、少し下がった気がした。



 三日目の朝、俺は《最終任務》の作戦を完成させた。


《黒霧煙炎》で屋敷の庭に煙幕を展開し、混乱に乗じて頭領を庭に引きずり出す。そこに《煉獄の狙針》の渾身の一撃を叩き込む。


 頭領は驚愕するだろう。「一体何者だ」と震えながら問うだろう。

 俺は煙の中に消える。

 名前も残さず。

 これが《影の魔導士》の流儀だ。


 鏡の前で三回確認した。完璧だった。


 踊り場に立った俺は、触媒を両手に構え、《黒霧煙炎》を全力で展開した。


 煙が出た。


 想定の八倍出た。


「ごほっごほっごほっ!!」


 俺が一番苦しくなった。


 視界が真っ白になった。目が染みた。涙と鼻水が同時に出た。


 煙は風に乗って、屋敷と完全に逆方向に流れた。

 三階の踊り場だけが白く染まり、下を歩いていた通行人が立ち止まって指差した。


「なんだあれ」


 俺はすでに非常階段を転げ落ちていた。


 その夜、作戦記録簿に「《黒霧煙炎》、風向き計算に課題あり。改良を要する。任務は次回に持ち越し」と書いた。

「失敗」という言葉は一度も使わなかった。



 同刻。屋敷では、張り込んでいた見張りが踊り場の煙を視認し、降りていく子どもの後ろ姿を目撃していた。


「……子ども?」

「本当に、子どもだったぞ」


 もう一人が無言で頷いた。


 二人はしばらく顔を見合わせ、どちらともなく目を逸らした。


【三】現実が来る


 問題の四日目の放課後。


 俺が東区画へ向かう路地を歩いていた時、後ろから声がかかった。


「レイン」


 振り返ると、セルド先生が立っていた。


 いつもは温厚な、口ひげの目立つ四十代の男だ。

 今の顔は違った。

 怒っている顔でも、困っている顔でもなかった。


 俺が今まで先生に向けて感じたことのない種類の、怖い顔だった。


「来い」


 腕を掴まれた。

 鞄を取り上げられ、その場で開けられた。


 出てきたもの。


 火薬草の粉末。

 発火石。

《黒霧煙炎》の触媒。

 作戦記録簿(表紙に「機密 R」と書いてある)。

 木製の護身用短棒(先端に布巻き)。


 先生の顔が、みるみる色を失った。


 気づいたら路地の出口に別の教師が二人立っていた。連携していた。


「……学舎に来い」


 声が低かった。


 その時初めて、少し嫌な予感がした。



 学舎の応接室。


 四人の教師が俺を囲んだ。


 夕方から始まった尋問は夜になっても終わらなかった。


「何日間、あの屋敷の周辺に行っていた」

「魔法を撃ったのは何回だ」

「相手が誰か、本当に分かっているのか」

「作戦記録簿、というのはお前が書いたものか」


 最後の質問で、先生の声が少し変わった。


「《煉獄の狙針》。《閃滅・火花散弾》。《黒霧煙炎》。《最終任務・頭領への直接攻撃》……」


 先生が記録簿を読み上げた。


 教室が沈黙した。

 別の先生が顔を手で覆った。


 俺は正直に全部答えた。答えるたびに、先生たちの顔色が悪くなっていった。


「お前……《黒狼の爪》がこの町で何をしてきたか、本当に知らんのか」とセルド先生が言った。声が震えていた。「五年前、あの屋敷に証言した商人がいた。翌月、その一家は夜逃げした。行先は今も誰も知らない」

「もし身元を割り出されていたら、お前一人では済まない。家族全員が巻き込まれる」


「はあ」


 俺はまだ、完全には理解できていなかった。


 そういうことは本の中では起きるが、現実には——


 扉が開いた。

 両親が入ってきた。


 父の顔を見た瞬間に、胃が冷えた。


 父は怒っていなかった。

 青かった。

 血の気が失せて、見たことのない色をしていた。それは病人の顔ではなく、もっと別の何かを見た人間の顔だった。


 先生が両親に説明した。《黒狼の爪》への火魔法による攻撃。複数日にわたる単独行動。頭領への直接攻撃を計画していた記録。身元特定の可能性。


 母が声を上げて泣いた。


「お前……」


 父が、俺を見た。


「闇ギルドに、喧嘩を売ったのか」


 その六文字が、俺の頭の中の何かを直接ひっぱたいた。


「喧嘩を売る」。それはずっと物語の中の言葉だった。

 今初めて、現実の言葉として耳に届いた。


 父の拳が来た。頬に当たった。

 父は今まで一度も俺を殴ったことがない。その人間が、拳を振るった。


「あんた一人で済む話じゃないのよ」


 母が俺の肩を両手で掴んだ。母の手が震えていた。


「お父さんも、私も……あんたが変な日記を書いてた夜も、魔法で悪さをしていた時も、家で何も知らないでご飯を作ったりしていたの。それなのに全部、もし……」


 母は最後まで言えなかった。


 俺は初めて理解した。


 これは「影の魔導士が裏社会に一泡吹かせた話」ではなかった。


「本の読みすぎで頭がおかしくなった子どもが、知らないまま家族ごと地雷を踏み抜いていた話」だった。


【四】謝罪


 翌朝、父は仕事を休んだ。


 それだけで全てが分かった。父が仕事を休むのは、親族の葬式か、自分が四十度を超えた時だけだ。


「行くぞ」


 と父は短く言った。


 母はよそ行きの服に着替えていた。俺も着替えさせられた。


 三人で東区画に向かった。


《黒狼の爪》の屋敷の前に立った。


 四日前、俺にはここが「最高の狙撃ポイントから見下ろせる標的」に見えていた。

 今は違った。


 門が重かった。石塀が高かった。見張りの男が俺たちを一瞥した時の目が、人を品物として見る目だった。


 父が門を叩いた。


 出てきた男は今まで見た人間の中で一番大きかった。百九十以上ある。肩の幅が異様だった。外套の下に何かを着込んでいるのか、動くたびに鈍い音がした。


「なんの用だ」


 声に温度がなかった。


「息子が大変なご迷惑をおかけしたと聞き、謝罪に参りました」


 父の声は落ち着いていた。だが俺には分かった。全力で落ち着かせている声だ。


 男は三人を上から下まで無言で見た。それから屋敷の中に引っ込み、しばらくして「入れ」とだけ言った。



 廊下を歩いた。


 歩くたびに、自分の靴音が大きすぎると思った。静かすぎた。


 案内された応接間の扉を開けた瞬間に、匂いが来た。


 煙草。酒。なめした革。そしてもう一つ、なんの匂いか分からないものが、部屋に染みついていた。


 後で父に聞いたら「血と鉄の匂いが染みついた部屋だ」と言った。父の顔は、それを話している間ずっと白かった。


 部屋の壁際に、男たちが立っていた。


 数えたら六人いた。誰も喋らなかった。誰も動かなかった。ただ立っていた。


 その立ち方が、俺が今まで見てきた大人の立ち方とは違った。


 学舎の先生も、町の大人も、みんな「人間として存在している」立ち方をしていた。

 この部屋の男たちは違った。

「何かあれば、即座に動く」という前提で立っていた。


 俺の体が頭より先に理解した。足の先からじわじわと、冷たいものが這い上がってきた。


 父と母が頭を下げた。俺も下げた。


 父が喋り始めた。息子が学舎の生徒であること。まだ魔法を習い始めたばかりであること。管理が行き届かなかったこと。深くお詫び申し上げること。


 俺は床を見ながらタイルのひびを数えた。数えないと、何かをしてしまいそうだった。泣くか、逃げるか、その両方か。


 七本。八本。九本。


 母は途中から声が出なくなっていた。


 部屋の奥。


 床を見ながらも、俺にはそこに何かがいると分かった。


 視線だった。


 壁際の男たちの視線とは違う。もっと静かな、温度のない視線だった。何も言わなくても、何もしなくても、その視線だけで部屋の空気を別の何かに変えていた。


 俺はゆっくり顔を上げた。


 部屋の奥の椅子に、男が座っていた。


 大きかった。


 座っているのに、立っている男たちと同じかそれ以上の圧があった。白髪まじりの黒髪。外套を肩から羽織っているが前を開けたままで、分厚い胸板と腕に刻まれた無数の傷跡が見えた。煙草を指の間に挟み、煙をゆっくり吐きながら、こちらを見ていた。


 見ていた。


 ただ、見ていた。


 それだけで、俺の足の先から頭の先まで、じわじわと何かが這い上がってきた。


 この人は、俺たちが今ここにいることを、空気を吸うのと同じくらい当たり前のこととして受け取っている。

 謝りに来た人間を迎えることが、日常だ。


 その「日常」が何を意味するのかを、俺はこの時初めて、頭ではなく全身で理解した。


 頭領が煙草を灰皿に置いた。


 それだけで部屋が少し変わった。壁際の男たちが、ほんの少しだけ姿勢を正した。


「ガキの悪戯だ」


 声は低く、特に大きくも脅すような抑揚もなかった。ただ低く、部屋に染みた。


「もう済んだことにしてやる」


 父が「ありがとうございます」と言った。声が割れた。


 頭領は少し間を置いて続けた。


「本気の刺客が来るなら、あんなショボい火花は撃たねえ」


 部屋の端で若い男が視線を逸らした。もう一人が天井を見た。


「こっちも町で商売してんだ。学舎のガキ一人で騒ぎを起こしゃ、余計に面倒になる」


 それから頭領は、初めて俺を直接見た。


 何かを見定めるような目だった。

 値踏みでも、怒りでも、哀れみでもなかった。

 お前がどういう存在かを、一瞬で測る目だった。


「次はねえ」


 それだけだった。


 俺は「はい」と言った。


 自分の声が、別の誰かの声みたいだった。



 帰り道、表の通りに出た瞬間、母が立ち止まった。


 膝に手をついて、しばらくそのままでいた。

 父が母の背中に手を当てた。父の手も震えていた。

 俺は二人の少し後ろで立っていた。


 町はいつも通りだった。荷車が通り、子どもが走り、露店の主人が客と話していた。


 全部が、あの部屋の前と後で、同じ景色なのに違う景色に見えた。



 家に帰り、ベッドに横になって天井を見た。


 死ななかった、という事実が、じわじわと染みてきた。


 頭領の目を思い出した。


 あの目で見られた時、俺は初めて「物語の主人公」ではなく、「判断を下される側の人間」だと理解した。


《煉獄の狙針》。

《閃滅・火花散弾》。

《黒霧煙炎》。

《最終任務》。

《漆黒の牙城》。


 全部、俺の頭の中だけにあった言葉だった。


 現実には。


 十三歳の子どもが。

 覚えたての火魔法で。

 本物の、本当に本物の裏社会の拠点に、火花を撃ち込んでいただけだった。


 布団を被って、声を殺して泣いた。


【後日談】


 一週間後、学舎では話が妙な形で広まっていた。


「レインって、《黒狼の爪》に魔法で喧嘩売ったらしいぞ」

「屋敷まで乗り込んで、頭領と直接話したって本当か」

「生きて帰ってきたじゃん」


 俺は何も言わなかった。


 言えなかった、という面もある。


 だがそれ以上に——


「《煉獄の狙針》とか書いた作戦記録簿を先生に音読された話」を、同じ口で「武勇伝ではない」と言える人間に、俺はまだなれていなかった。



 大人になった今も、あの四日間を思い出すたびに背中が冷える。


 武勇伝じゃない。


 本の読みすぎで頭がおかしくなった子どもが、物語と現実の区別もつかないまま、本物の場所に火花を撃ち込み続けた。


 頭領がたまたま合理的な人間で、両親がきちんと頭を下げられる人間で、先生が先に気づいてくれた。

 その三つが全部揃っていたから、俺は今ここにいる。


 十三歳の俺に一言だけ言いたい。


 作戦記録簿の表紙に「機密 R」って書いたやつ。

 先生がそれを声に出して読んだ時の、部屋の空気を覚えているか。


 あの沈黙が、現実だ。


「機密 R」じゃなくて、あの沈黙が。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ