真実の名前
騒がしかった嵐が過ぎ去り、部屋には暖炉の爆ぜる音だけが響いている。
ギルバート様は私の膝に頭を預け、愛おしそうに私の指先をなぞっていた。
「……まだ、震えているのか?」
彼の問いに、私は小さく首を振った。
「いいえ。ただ……私はずっと、貴方を騙しておりました。リリアーヌは、姉の名前です。私は、身代わりの……名もない、卑怯な妹です」
涙が零れそうになるのを堪え、私は彼の耳元で、生まれて初めて自分の存在を肯定するように囁いた。
「私の、本当の名前は……エレナと申します」
彼は一瞬、動きを止めた。
そして、噛みしめるように、その名を一度だけ口にした。
「……エレナ。ああ、なんて、愛らしい響きだ」
ギルバートは起き上がると、私の頬を両手で挟み、盲目の瞳を真っ直ぐに私に向けた。
「リリアーヌという名など、最初からどうでもよかった。……私の暗闇を救ったのは、姉の名前を語る偽者ではない。今、ここにいる、温かい君自身だ」
彼は私の額に、優しく、けれど逃がさないという確固たる意志を込めて口づけを落とした。
「今日からは、その名で君を呼ぼう。朝も、昼も、眠りにつく前の夜も。……君が、他の誰でもない私だけの妻だと、魂に刻み込むために」
視界は奪われていても、彼の愛には一点の曇りもなかった。
偽りの花嫁としての物語は、今、終わった。
差し伸べられた彼の手を、私はもう迷わずに握り返す。
木漏れ日の下で交わした約束は、形を変え、永遠の誓いとなったのだ。




