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天馬のいる国

掲載日:2026/02/19

新作がなかなか仕上がらず、昔々に書いたこちらを発掘したので。

設定ゆるゆるご都合ありありですので、広い心でお願いいたします。

甘さはないです。

 物々しく武装した騎馬、山のような荷を積んだいくつもの台車、付き従う護衛――街道に長く続く隊列のほぼ中央に、二頭の馬が引くひときわ豪奢な車があった。


 その四方を覆っていた引き幕は開けてあり、涼味を帯びた乾いた風が、中にいるふたりの女性を撫でていく。


 そのうちのひとり――トゥン国国王の六番目の娘であるシャナは、すぐ隣で騎馬を進めている二十歳半ばほどの男性に声をかけた。


「ねえ、レイ副隊長?」

「はい?」


 日に焼けた精悍な顔立ちは十二分に整っている部類に入るだろう。武人にしてはやや細身だが、上背はあり、副隊長をまかされているのだから実力も問題ないのだろう。


 国境で、トゥン国の護衛からダーラン王国の護衛に引き渡され、その後十日余りのあいだに、シャナはこの男性の穏やかな笑みを毎日のように目にしていた。


「ダーラン王国には、天馬がいるんでしょう?」

「ええ。いますよ。まるで羽があるかのように、軽やかに地を駆ける馬が」

「あら。本当に空を飛ぶわけではないのね」


 残念そうなシャナの呟きに、レイがくすりと微笑む。


「その馬は、背中の左右に翼のような模様があるんです。それで『天馬』と呼ばれているのでしょう」

「シャナ姫様」


 レイの言葉を継いで、軽くたしなめるような声が横からシャナを呼んだ。

 同じ車の中にいる乳母のホウリだ。


 先程からずっと何か言いたげだったのはとっくに気がついていたし、何を言いたいのかもわかっていた。


 シャナが、ダーランの護衛ごときと直接話をしているのが気にいらないのだ。

 ホウリはダーラン王国にいい感情を持ってはいない。

 それでも、シャナとともに来てくれた。


 シャナにだけ聞こえる程度の小さな声で、ホウリはぼそぼそと嘆いている。


「あぁ、本当に。トゥンの姫君ともあろう方が……。ダーラン人に侮られます。陛下がお知りになったらどれほどお嘆きになられるか」


 しかし、シャナはそうは思わなかった。

 父であるトゥン国王が期待しているのは、気高い姫を演じることではない。


「この隊列に、天馬はいないの?」

「はい。あれは国の外では生きにくいものですから、こういう旅には向きません」


 異国への旅にさえ向かない馬とは、シャナは初耳である。


「それ、父は承知しているのかしら? 天馬が来ること、かなり期待していたようよ」

「他国ではうまく育たないと申し上げてあるはずです。それでもとのご希望だったと」


 その後のことはこちらには関係ありません――とでも言いたげな様子に、そう、と興味なさそうに応じたきり、シャナは口を閉じた。


 ◇ ◇ ◇


『シャナ。シャナよ、わが娘――。ダーラン王国には天馬がいるという。どの馬よりも早く駆け、どの馬よりも丈夫で強い。天馬があれば戦でどれほど優位なことか』

『ええ、父上。良い馬があれば機動力も増しましょう』

『それがわかっておれば話は早い。そなた、ダーランに嫁ぐがよい。天馬をわが国へもたらすために』


 犬や猫でも親ならいま少し情というものがあろうに、と思ったところで埒もない。

 十四人の妻がいて二十人以上も子がいれば、よほど気に入り以外は『その他大勢』でひとまとめになってしまうのだろう。


 話を聞くや、ホウリは身を震わせた。


「お可哀想なシャナ姫様。トゥンの六姫でありながら、ダーランなどという蛮族の国へ嫁がれるなど――」


 そう目尻を拭うホウリとて、ダーランへ行ったことはないはずである。


 なぜ蛮族とわかるのか問うと、トゥンに比べればどこも蛮族との答えが返り、シャナはこっそりとため息をついた。


 「でも、前にも誰か嫁いでいなかったかしら? 確か、大叔母上の――」

 「姫様ではなく、陛下の大叔母上様でございます。異国の地ですでにお亡くなりに……。ああ、なんてお気の毒な。トゥンとダーランの和平のための犠牲になられたのです」


 シャナもそうなのだ、とホウリは文字通り泣き崩れたが、当の本人はさほど嘆きはしなかった。


 いずれこうなるだろうことはわかっていた。嫁ぐ先を自分で決めることなどできない。道具のように扱われるのだとわかっていたのだから。

 

 それでも両国の親睦のためというのならまだ納得いくものの――むろん今回とてその意味もあるにはあるが、馬と引き替えのようにとは。


 天馬を手に入れたなら父はダーラン王国を攻めるかもしれない、とシャナは水より薄い血を思った。


 一年前に亡くなった下級官吏の家の出の母は美しい人であったが、何事かの才覚があったわけでもなく、若君を産んだわけでもない。

 年に数回、気紛れで王は訪れるだけで、寵愛という言葉から程遠かったため、シャナは父の愛をあてにしてはいなかった。


 途中でシャナに何かあったら、淡々と他の姫を寄越すかもしれない。

 

 トゥンとダーランの国力はほぼ同等。

 戦をしても長引く上に、得るばかりでなく失うものも多い。

 交易ならなおのこと、天馬をトゥンが欲しがっているのは周知の事実だ。足元を見られることは間違いない。


 諸々の事情の結果が、姫の輿入れなのである。


「お疲れのご様子ですね。姫?」


 ダーランの護衛はトゥン語を上手に使う。

 

 レイの気遣わしげな声に思考を中断して、結い上げた黒髪に差してある金の飾りを揺らしながら、そちらを見やった。

 ホウリも諦めたのか、咎める気配はすでにない。


「いいえ。ただちょっと……。そう、聞きたいことがあるの。あなたはわたしの夫となる方を、知っている?」

「姫はご存じない?」

「知らないわ。絵姿もなかったもの。わたしはただ、嫁げ、と言われただけよ」


 だから、ただただそれに従うだけだ。

 国にいては父に従い、嫁いでは夫に従い――。


 選択の余地など、最初からありはしない。


 レイはシャナの問いに応じた。


「嫁がれる方は、姫の五つ上で二三才になられる我がダーラン王国の第二王子、ディーン様。宴などがあると、貴族の姫たちがこぞっておそばに侍ろうとするほどの美男子ぶりで、宮廷のあらゆる教育係たちが舌を巻くほど優秀な方です。ご性格もよろしくて」

「直接会ったことはある?」


 そうですね、と会った回数を思い出しでもしているだろう、レイは軽く首を傾げる。

 シャナは答えを待たなかった。


「でも、それほど優秀なら、妬まれていそうね。例えば兄弟とか。第二王子ということは、第一王子がいるのでしょう?」


 保身からか、迂闊に答えていいものか考えているようで、レイはなかなか返事をしない。


 ピンときたシャナは、夫になる人のことだの、自分の人生にも関わるだの、と情に訴えようやくひとつを聞き出した。


「確かに、暗殺未遂の噂は流れました」

「やっぱりね。足の引っ張り合いなのかしら」

「引っ張り合いというか、それ相応の応酬はまぁ……。けれど、それはどこにあっても起こりうることでしょう。王であろうと民であろうと。どこに属していてもどこかに属している限り。――ですが、味方となる方も多いのです」


 レイの口調に心なしか熱がこもる。


 何か第二王子に思い入れがあるのかもしれないが、シャナはこれに大袈裟にため息をついた。


「なら余計に、警戒されているのではないの? そこへわたしは嫁ぐのね」

「――こう申し上げてはなんですが、それゆえ姫が嫁がれるのです。第二王子側の願いで」


 怪訝な表情を浮かべたシャナに、レイはわずかに迷ってから言葉を紡いだ。


「トゥンの姫に何かあったら外交問題ですからね。簡単に手だしができなくなるでしょう」

「ああ、なるほど。わたしは、盾ということね」


 シャナの口調は怒ってはいなかった。怒る気も失せている、というのが正しいだろう。


「そうね。いいわ、別に。どうせわたしは天馬と交換の身なんだもの」


 嘆くでもなく拗ねるでもなく、シャナが達観したようにひとりごちたところへ、レイが問う。


「姫は、このご結婚に不承諾だったんですか?」

「わたしはただ従うだけよ」


 なげやりな呟きに、応えはなかった。


 ◇ ◇ ◇


 はじめのうちこそ物珍しさと生涯この一度きりという思いから、風景をおもしろく眺めもしたのだが、すでにシャナは飽きていた。


 ダーランは遊牧が盛んな国だ。季節が違えば緑の草原に羊の群れを見るのだろうが、今はただ枯れた大地が目に入るだけだった。


 もう少しすれば、この平原は雪に覆われるという。


 シャナが知っている雪はせいぜい踝まででそれでも騒ぐのだが、ダーランでは膝より高く積もることもまれではないそうだ。


 道の凹凸が直接伝わる車の乗り心地はさほどよくはないのに、ホウリはうとうと船を漕いでいる。

 シャナは肩掛けに手を伸ばし、それを乳母にそっとかけた。


 そのとき、吹き荒ぶ風の音がやけに耳についたのだ。


 それにやや遅れて、車が止まる。


「……何?」


 身を乗り出すようにして目を凝らすと、砂埃を上げて何かが来るようだった。


「風じゃないわ。何が――」


 問おうとしたが、いつも隣にいるはずのレイがいない。

 

 どこへ、と思っているうちに馬を走らせてきたその姿を見て、シャナは青年の緊張した様子に気づいてしまった。


「決して車からお出になられませんように」

「何事なの?」

「――盗賊団です」


 それ以上シャナに問う時間を与えず、すべての引き幕を閉めて外界と遮断してしまう。


「姫様――」


 さすがに目を覚ましたホウリが青褪めた顔をして、シャナを守るかのようにその両肩に手をおいている。

 小刻みな震えが移って、シャナの胸に早鐘を打たせた。

 

 ほどなく幾つもの弓の音が響いた。馬のいななき。悲鳴。怒号。金属が重なりあう音。


 何が起こっているのか見えない不安と、音だけが聞こえてくる恐怖。


 ふいに引き幕の一点が揺れ、波のようにうねった。

 見やると矢じりが一本、不気味な装飾のように突き刺さっている。


 それを認識した瞬間に、シャナの全身が総毛だった。

 シャナとて話くらいは知っている。けれど身近にはなかった。盗賊など、自分から遠く離れたことだと思っていた。


 その怯えた目が、一条の光を捕らえる。

 光に遅れることなく、斜めに切り裂かれた幕がバサリと不吉な音をたて落ちた。


「ひ……!」


 ホウリの短い叫びがシャナの耳を打った。


「トゥンの姫だな」


 聞き覚えのない、しゃがれたような男の声。

 切られた幕からわずかに見える蒼空を背にして、顔はよくわからないが、当然かなり剣呑な雰囲気をまとわりつかせている。


 かばうようにきつくあったホウリの腕を押し退け、シャナが毅然と顔を上げた。

 いくら恐ろしかろうが、それを賊に見せないほどの誇りがある。


「いかにも! そなた、わたくしをトゥン国の六姫シャナと知っての無礼か!?」


「そう。あんたに嫁がれるとのちのち面倒って方がいらっしゃる」


 言いながら男が剣を振り上げた。


 シャナの目に、その命を奪う輝きが映る。


 時間が止まったかのようだった。


 落ちてくると思った剣はそのままゆっくりと横に流れ、シャナの目の前で、男の体がそれにひきずられるように倒れていった。


 その背後から現れた人影は手にある大剣に赤い彩りを添え、身につけた鎧にもさっきまではなかった色をまだらに加えている。


「シャナ姫、ご無事ですか!?」


 安否を確かめるレイの声に、シャナの時間が動きだした。


 レイの心配そうなその表情ははじめて見るものだ。

 けれどこのときのシャナにそれをゆっくり観察する余裕はない。


「シャナ姫?」


 ホウリはシャナにしがみついた状態で気を失っていた。


 乳母を支えるようにしていたシャナの目が、血をにじませているレイの左腕に吸いつく。


「……怪我を」

「怪我をなさったんですか!? どこを――」

「わたしじゃないわ。あなたよ」


 どこか放心したようなシャナに、レイは心の底からほっとしたような笑顔を見せた。


「かすり傷ですよ。申し訳ありません、恐ろしい思いをさせてしまいました。もう賊は追い払いましたから――姫?」


 剣をおさめ、反応がないことに不安げな顔で伸ばしてきた腕に、びくりを体を強張らせる。


「あ……。ああ。失礼致しました――」


 さすがに自分の手の汚れに気がついて、レイは身を引いた。

 そのまま状況の報告に来たらしい兵士とともに、一礼して見せてからシャナに背を向ける。


「あ――、ちが……」


 自分の体が自分の意思に従わないことがあるのだと、シャナははじめて知ったのだ。


 ◇ ◇ ◇


 声をかけるより前にレイが振り向いたので、足が止まってしまった。


「どうなさったんです。天幕でお休みに――」

「あ、の。……怪我、大丈夫かと思って」


 ホウリは昼間の緊張感の反動からか、すでに寝入っている。


 シャナは今更ながら気がたかぶっているのか、なかなか寝付けなかった。

 ごそごそと起きだして、天幕の垂れ幕をそっと上げて外を見ると、いつも通り天幕を守るように胡坐をかいている副隊長の姿があった。

 そして、白い布で覆われたレイの左腕を見てしまっては、気になって眠るどころではなくなっていたのだ。


「わたしは平気ですよ。他にも死者はいません。重傷者は幾人かでましたが」

「どうするの? その人たちは」

「明日、寄る町に置いていきます。治ってからゆっくり戻ってくればいいように」

「そう。よかった」


 安心したと笑顔でそこへしゃがみこんでしまった高貴であるはずの姫を見て、こちらもシャナのらしからぬ言動にすでに慣れてしまっているのか、星の輝く夜空を見上げながら副隊長は礼を失しない程度に吐息をもらした。


「気丈な方なんですね。てっきり気絶なさるかと思いました」

「それほどか弱くできてないの」


 昼間は恐ろしくて震えていたということは、すっかり棚の上にあげてしまっている。


「風にも当てぬように育てられた姫君かと思いましたよ。トゥンの六番目の姫」

「ええ、そうよ。六番目だもの。わりと自由気ままに暮らしていたわ。ダーランはとんだじゃじゃ馬を押しつけられたの。後悔しても遅いわよ」


 くすくすと控え目に笑うレイを見て、シャナが世間話のような気軽さで問いかけた。


「昼間の、盗賊じゃないわね」

「――ごまかしても無駄ですか」


 消えない笑みの中に、真剣さが混ざる。


「わたしが嫁ぐと面倒とか言ってたもの。じゃあ、まだ狙ってくるかもしれないのね」

「可能性はあります。ですが、この隊列も頭数を極秘に増やしてあるので、さほど影響は出ません。無事にダーランの都まで着きますよ」

「どいういうこと?」

「襲撃があると、わかっていましたから」


 さらりと事も無げに告げるレイに、シャナは『やっぱりね』と小さく肩をすくめた。


「恨みを買う覚えだってあるんじゃない。でも、この計画立てた人って頭悪いわ。だって、ここでわたしを殺したら言い訳できないもの。父上はいい口実ができたとばかりに踏み込んで、根こそぎ天馬を横取りしにくるわよ。他国を誘って。大義名分だってたつわけだし」

「そうですね。だからこそ、行程中の盗賊なんでしょう。ダーランの城内での暗殺は、姫のおっしゃるように問題が多い」

「盗賊の仕業、ってつっぱねるわけね」

「ええ。そうしてその盗賊をダーランが捕らえて、トゥンに送ればそれで終り、と。そう簡単に済むと思っている連中がいるんですよ」


 シャナは、呆れたとばかりに首を横に振った。


「やっぱり頭悪い。そんなふうにうまく行くわけないわ。本当に戦になるわよ」

「ですから。それを避けるためにも、あなたはわたしが命に代えても守ります」


 力強く言い切る口調に、思わずその顔を見つめてしまった。


「もうお休みになったほうがよろしいですよ」

「あ、ええ、そうね」


 背中にレイの視線を意識しながら、昼間とは別の感覚で、シャナの心臓が跳ねていた。

 けれど、それを抑え込む。


 レイがシャナを守るのは六姫だからだと、わかっているのだから。


 ◇ ◇ ◇


 懸念した襲撃もなく平穏無事に旅を続けて、数日後、シャナはダーラン王国の都ニルをその目にすることになった。


「品のない場所ですわ、姫様」


 眉根を寄せていたホウリには言わなかったが、シャナは意見を異にした。

 

 確かに、整然としたトゥンの都に比べて、雑多な感じはする。

 細い道が幾つも走り、まるでどこかの田舎町のようだった。

 けれど、人々は明るく、異国の姫を迎えてくれたのだ。


 少なくとも、ホウリが悪し様に言うような、知恵のない蛮族の都だという印象はシャナにはなかった。


 そのまま向かった王宮も、トゥンの宮殿とは少々異なっていた。

 トゥン国はの宮殿は、政庁は政庁同士、王族の住まいたる後宮は後宮同士が繋がって、赤い屋根が連なっていた。

 ダーランの宮殿は緑色の反り返った屋根が印象的で、魔除けだという文様の細工が柱にも壁にも家具にも施されている。

 実態はともかく、法律上は一夫一婦制なので、後宮にあたる建物はないらしい。

 いずれのんびり見学できるだろうかと、シャナはつらつら考えていた。


 そうして、はじめて会ったダーラン国王――シャナの義父となる人はちょうど六十になるはずだが、白いもののほうが多い頭髪と髭がそれより上に見せていた。

 田にいる好々爺に見えないこともないが、中身はほど遠いはずだ。

 それでも、威圧感はなく、むしろ好意的に迎えてくれたことは、ありがたいことだった。


 ひととおり挨拶を終え、シャナはホウリとあてがわれた部屋にいた。

 日当たりのよい一階の部屋は、そのまま庭園に出ることができる。

 第二王子が、ここを選んでくれたのだそうだ。

 

 婚礼が終われば第二王子の妻として、新築された宮殿に入ることになるらしいが、いまはまだ客人としての扱いだ。

 当のディーン王子は少々体調を崩し伏せっているとのことだった。全快してからの対面となるのだろう。

 

 ずっと会わなくても構わない、とは、さすがのシャナも口に出しはしなかった。


 ホウリがいれてくれた香りのいいトゥン国産のお茶を飲みながら、シャナが思い出すのは、王のそばに控えていた若い男だ。


 ぞくりと肌が粟立つとは、まさにあのことだろう。

 それこそ視線だけで害することができそうなほどの鋭さで、シャナを思い切りにらみつけていた、あれがきっと第一王子だ。


 この都に着いてしまった以上、とりあえずシャナの身は安全だ。

 だからこそ、第一王子の機嫌がこの先良くなる可能性は相当低い。


 これからああいう連中の相手をしていくのかと思うと、少々気も滅入ろうというものだ。

 隣国で似ているとはいえ、言葉も違う。習慣も違う。

 けれどずっとここで暮らしていかなければならない。


「さすがに疲れたわね、ホウリ。もういいから、下がって休んで。また明日から頼むわね」

「はい。姫様」


 シャナのことを思ったのか自分のことか、その目にはうっすらと涙がにじんでいた。


 この国で、シャナが頼りにするのはホウリだけで、ホウリが頼りにできるのはシャナだけなのだ。

 シャナは軽く自分の身を抱きしめた。


 ◇ ◇ ◇


 久し振りの寝台でぐっすりと眠れるはずだったのに、シャナには浅い眠りしか訪れてこなかった。

 疲れすぎたのか、これからの不安からなのか、その両方かもしれない。

 

 だから音がしたとき、すぐに気づいた。

 

 こんこん。こん。

 

 誰かが庭園に続く扉を叩いているようだった。

 

 まだ朝日は、そのを見せてはいない時間だ。

 

 何度も続く音に警戒しつつ、上着を羽織って、大きなガラスをはめ込んだ扉に近寄れば、その向こうの薄闇の世界で、レイが手を振っていた。


「シャナ姫」


 レイとは宮城についたときに別れていたのだが、まだ護衛の役にいるのだろうか。

 

 シャナは驚きつつ、音を立てないように、そっと扉を開けた。


「どうしたの? こんなところで何を――」

「姫。もう少し警戒心をお持ちになられたほうがよろしいですよ。わたしがあなたを今まで欺いていたとしたら、どうなさるんです?」


 シャナの命を奪いに来たかもしれないのに、とレイは言っているのだ。


 冷気に身をあてながら、シャナは疲れたように肩を落とした。


「――こんな時間に。そんなこと言いにきたの?」

「宮城は警備が厳しいんですよ。わたしがなぜここにいられると思います?」

「護衛の任が解けてないからじゃないの?」


 これに否定も肯定もせず、くすりと笑ってレイがすいっと手を差しのべてきた。


「天馬を見に参りましょう」


 それを思わずとってしまったのを自分でも驚いているうちに、膝裏を抱えられ、ふわりとシャナは馬上の人となった。

 レイが後ろで手綱を握っている。


「この馬も天馬なんですよ」


 朝靄の中、風に乗ったレイの声を聞いた。


 抜け道のような裏から城を出て、人気のない静かな町の細く折れた道を迷いなく駆けて、さらに開いていた城門を抜けていく。


 早朝の空気は肌寒く、頬を赤くするが、体はシャナを包むようにしているレイの体温であまり寒さを感じない。


 どれほど走ったのか、馬が速度を落とした。


 周囲に人家はなく、そこは丘になっている。

 やや下方に広がる平原を、レイが指差した。


「ほら。あれが野生の天馬。背に翼のあとがあるでしょう。よく走りますよ」


 十数頭の群れがそこにいた。栗毛もあるし、葦毛もある。

 レイの言った通り、その背中に翼の跡のような模様が浮かんでいた。


「あれをごっそり持って帰れば、トゥンでは大喜びなんでしょうね」

「たぶんね」


 そうしたら、父にとって、自分は本当に用無しなのだ。役に立ったと、覚えてくれはするだろうか。それとも、すでに存在すら忘れているだろうか。


 シャナは、心細さを自覚した。目の奥が痛み出したが、それをぐっと堪える。


「あの馬が、本当に飛べばいいのに」


 そうしたら、どこへでも行けるのに。


 ――けれど、行くところなどありはしない。


 そんなシャナの内心を見透かしたかのように、レイが背後から囁いた。


「もっと西のほうには、本当に空を飛ぶ馬もいるそうですよ。残念ながら、わたしも実際に見たことはありませんが」

「そう。西にはいるの。行ってみたいわね」

「行ってみますか?」


 この申し出にゆっくりと振り向くと、シャナはじっと自分を見つめる瞳とまともにぶつかった。


「このまま王宮に止まれば、あなたは否応なく人のもっとも暗い部分を見続けることになるでしょう。あなたが言っていた通り、第二王子には敵が多い。今なら、間に合います」


 意味を計り兼ねて、まばたきを繰り返す。


「お逃げになるのなら」

「――一緒に、逃げてくれるのかしら?」

「お望みとあれば」

「望まないわ」


 笑みを含んだシャナの即答に、レイが思惑が外れたようにやや面食らった顔をする。


「今、あなたがそう言ってくれたから。もう、いいわ」

「シャナ姫」

「わたしはディーン王子の妻になるのよ。自分でたった今そう決めたの」


 従うのではなく決めたのだと、シャナは笑う。


「そう、ですか……」


 それ以上何も言わずに、レイは馬首を都へ向けた。

 トゥン国のある方角――東から空を鮮やかに染め、朝日が昇りつつあった。


 ◇ ◇ ◇


 時間にしてそれほど経ってはいないはずである。

 出るときは気がまわらなかったが、よく考えなくとも、城門が開きっぱなしというのは役をしていないだろう。


 さすがにシャナがそれをレイに問うと、今朝だけだから大丈夫という返事があっさり戻ってきた。


 どうやら自分の肩書き――城の抜け道も知っているようだし、護衛の副隊長になるくらいだからそこそこのものなのだろうと、シャナは考えていた――を目一杯有効に使ったようだ。


「この国では姦通が罪にならないの?」

「姦――。あのですね、年頃の姫君がそういうことをさらっとおっしゃらないで下さい」

「だって」


 事実はともかく、シャナはこの国の王子に嫁ぐ身で、一介の兵士とこんなふうに出かけてしまっていては、あまり弁解の余地はないような気もする。


「番人には言い含めてありますし、人に見られないように戻りますから。姫が内緒にしてくだされば大丈夫でしょう」

「それってある意味で不敬罪なんじゃない?」

「そうですか? 姫がわたしの無礼を許せないというのでしたら……」

「わたしへの不敬じゃなくて」

「なら、問題はないです」

「えええ……」


 この国の上下関係や貞操観念やその他諸々がやや心配になったが、シャナは深く考えるのはやめにした。

 せっかく天馬を見て、気分がいいのだから。

 レイとともに馬上にいる、今、この時だけは。


 幸いなことに誰にも見咎められることなく――それはそれでシャナは警備に不安を感じたが――、出てきたときと同じように帰ることができた。


「この部屋も、安全上問題があるんじゃないかしら。こんなにすぐ連れ出せるなんて」

「普段は警備がちゃんとしてます。馬も、ここまでは入ってこられません。今だけ、特別です」


 レイに支えられ地上に降り、出てきた扉を開けたとたんに、目を真っ赤にしたホウリが転がるようにやってきて、シャナにすがった。


「シャナ姫様っ」

「ホ、ホウリ。お、おはよう。あの、ちょっと散歩に」


 乳母は、早く目が覚めてしまったのだろう。

 シャナの様子を見にきてその姿がないことに、誰に告げることもできずにただここで胸を痛めていたのに違いない。


「あまり心配をかけないで下さいまし……!!」

「ごめんね。ごめんなさい――」


 扉の外に、レイの姿はもうなかった。


 ◇ ◇ ◇


 トゥンから侍女は連れてこなかった。不要と、ダーラン王国側から言われたのだから仕方がない。

 間諜になりそうな者を、必要以上に受け入れたくないという気持ちはよくわかる。


 なので、シャナの周囲の侍女は、ダーラン王がつけてくれた者ばかりだ。


 その日の午後、もっとも年配のダーラン人の侍女のよく通る声が、聞こえてきた。


『まぁ、ディーン様。もう病はよろしいのですか。ずいぶん長い患いで――』


 シャナも日常会話に困らない程度にはダーラン語を解せる。

 その名を耳にして、お茶を飲もうとしていた動きが止まってしまった。


『ああ。花嫁が遠路おいでだというのに、伏せっている軟弱者だと思われては困るからな』


 トゥン国では、身分の高い者の行き来は先触れがあるのが普通である。

 迎えるほうもそれ相応の気構えというか、対応をしなければならないのだから。


 ホウリはあからさまに嫌な顔をしていたが、シャナはこれがこの国のやり方ならそれに慣れようと思っただけだ。


「シャナ姫。ようこそダーランへ。長旅お疲れ様でした」 


 侍女の取り次ぎで部屋に来た王子を、とりあえず頭を下げて迎え、直接その声を聞いて、シャナはいぶかりながら顔を上げた。


「ディーンです」


 そこには鎧のかわりに、ゆったりと袖口の広い上着を身につけた副隊長のレイがいる。


 目をみはるシャナの隣で、ホウリもぽかんとしていたが、促されて他の侍女と一緒に座を外してしまった。


 ふたりきりになると、レイ――ディーンがいたずらが成功した少年のように笑ったのだ。


「申し訳ない。だますつもりで、だました。なかなか名演技だっただろう?」


 まだシャナは言葉を口にする余裕がない。


「兵卒にはわたしの顔を知っている者は少ないし、上役にはグルになってもらってね。いろいろと説教も食らったが、自分の花嫁なんだから自分で迎えに行きたかったんだ」


 仮病を使い宮殿にこもっているように見せかけて――念のいったことに寝室には身代わりまでいたのだ――護衛の隊列に加わり。


「あ。あなた」


 ぱくぱくとようやくシャナが声を絞る。


「あなた、よく自分のことをあれほど持ち上げられたわね!」


 だいたい性格がいい、とか言っていたか?

 確かに、違う意味で『いい』かもしれない。


 そして、早朝の会話を改めて思い出す。


「それで何? 逃げろといったのは、わたしではお気に召さなかったということかしら?」

「まぁ、想像していた姫君とはだいぶかけ離れてはいた」

「人のことが言えるの!?」


 政略の花嫁を、襲われる可能性が高いのを知りつつ、身をやつして護衛する王子様など、型破りにもほどがある。


「本当に一緒に逃げてもよかったんだ」


 変わらず微笑んでいるが、その言葉はたぶん本気なのだろう。

 けれど、実行できるはずがないことを、ふたりとも知っている。


 呆れと諦めと、共感のこもった深い深いため息をつき、シャナはその名を呼んだ。


「――ディーン様」

「何?」

「わたしのために天馬をつかまえてくれる?」

「トゥンに送るのか?」

「わ・た・し・が乗るのよ」


 歯をむくように言い切ったシャナに、ディーンはおもしろそうな視線を向けている。


「乗馬を教えてちょうだい。そうしたら、今度、西に行きましょう。一緒に、翼のある馬を見に」

「……そうだな。いつか行こう」

「必ず?」


 愛しむように細めたディーンの瞳に、シャナの開いたばかりの大輪の花のような微笑みが映っていた。


「必ず――」

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