第4話 猟犬
「レベルが上がると、本当に人間離れした強さになるんだぜ」
初めてダンジョンから帰って来た次の日の朝は、いつもとは違った。
◇◇◇
どうやって家に帰ったかも覚えてねぇけど、気がついたら朝だった。
泥のように沈んだ。痛みも、声も――何もなかった。
昨日の夢——繭の中で、誰かの声を聞いた気がする。でも、思い出せない。思い出そうとすると、頭が痛くなる。
——まあ、いいか。気持ちよかったし。
たった一日で俺の常識が全て塗り替えられた。一日で3万円。初日でこれなら、もっと稼げる。初めて、俺にも出来ることがあると思えた。
それに、ダンジョン素材はエネルギーが枯渇した日本を救うかもしれないらしい。俺にはあまりピンとこないけど。でも、たくさん倒せば、モンスターがゲートから溢れ出てくるのも未然に防げて、感謝もされる。
「俺、冒険者向いてるかも」
マキナの役に立っているという感覚が最高に気持ちがいい。だから、もっと強くならないと……。
初めて見つけた俺の居場所。守りたいものが、やっとできた。早くゲートに行きたかったから、さっさと着替えて、朝飯も食わずに新宿ゲートに向かった。
◇◇◇
役所みたいな雰囲気にベンチで一人、ここ、ゲート管理協会はいつ来ても辛気臭い。まぁ、間接的に死者が出てもおかしくない施設だし、仕方ないか。
「受付は私が済ませておきますね。ゆっくりしていてください」
そう言われて、俺は受付をするマキナの後ろ姿をぼぉっと眺めていた。絹のようなまっすぐ伸びた髪が揺れている。相変わらずお人形さんみたいなドレス?にゴスロリ学生鞄だけ。
……なんで、あんな可愛い子が俺なんかと?
目を瞑り、考えを巡らすも見当がつかない。腕を組んでうーん、と唸っていたら後ろからちょんちょんと肩を叩かれた。振り返ると、オールバックに強そうな槍を携えたベテラン風の冒険者がいた。
「……君、ちょっといいか」
「え、あ。はい」
「あの女とパーティを組んだのか?」
そう言って、マキナの後ろ姿に視線を移した。
「まぁ、そうっすけど」
そして、再び、俺に鋭い視線を送った。
「抜けろ。死にたくなければな」
「――は?何、お前?喧嘩売ってんの?」
あれ……?俺、なんでこんな言い方してるんだ。いつもは抑えるのに。気づいたら、立ち上がってベテラン冒険者の目をまっすぐ射貫いていた。頭に血が上って行く。面食らったベテランとの間に、不穏な空気が流れる。
「あの女は——」ベテランは言葉を切った。
「おや、ヤマト。どうしましたか?」
すっと頭の血管が冷やされる。落ち着く声。振り返ると、マキナがいた。音も無く近づいていたので気が付かなかった。マキナは覗き込むようにベテラン冒険者を見ると、珍しくクスっと笑った。
「――“私たち”に、何か……御用、ですか?」
眉一つ動かさずに、言葉を一つ一つ区切りながらマキナは言った。空気が冷えるというけど、急に氷点下になったように背筋が凍り、息を呑んだ。
「……。なんでもない」
ベテランは台詞をいい終わる前には背を向けて去って言った。なんだったんだアイツ。
「絡まれてしまいましたね。何か嫌なこと言われませんでしたか?」
「あー……、死にたくないならパーティ抜けろって脅された」
「まぁ!私をあの方と取り合ってくださったのですか?嬉しいです。でも、大丈夫ですよ」
マキナはそう言って、口に手を当てて意地悪そうに笑った。蠱惑的な笑みに心臓の拍動が重なる。頭の中がクラクラしてきた。
「私は、ずっとあなたと一緒にいますから。ヤマト」
その言葉が、胸に突き刺さった。嬉しい。
——ずっと、って、どういう意味だ?
疑問が浮かぶ。でも、すぐに消える。マキナの笑顔が、全部塗りつぶしていく。
「あ、ああ!お、俺も!」
自分でも、意味が分からなかった。
◇◇◇
受付でマキナが冒険者ライセンスを提示して、ゲートの前で並び立つ。光る扉に飛び込めば、ダンジョンに侵入できる。初めて潜る時も緊張したけど、これは慣れそうにない。
「はじめのうちは皆さんそうです。焦らず、焦らず。大丈夫。順調です」
俺はと言うものの、ジーンズにスニーカー&バックパック。昨日の報酬金で買ったチェーンメイルをパーカの下に着こんでいる。武器はマキナの勧めでメイスを買った。剣は相当丈夫じゃないとベルセルクOD一発で壊してしまうそうだ。
「そんなもんかね。じゃあ、行くか」
「はい。参りましょう」
俺たちは同時に一歩を踏み出す。光あふれるゲートの奥へ。今日でまだ2回目なのに、もうすでに足並みがそろっていた。
――新宿ゲート 第1層『惑いのラビリントス』
ゲートを越えた途端、真っ暗闇。生暖かい空気が肌を撫でる。ランプに明かりをつけると緑色に苔むした岩肌の洞が目の前に広がった。それだけで、胸が躍った。
「それでは、昨日の広場まで戻りましょうか。ヤマト。ライセンスを出してください」
「はいよ」
専用のケースに入れて首から下げている冒険者ライセンスを手に取る。すると、マキナがグイっと顔を寄せてきて、ライセンスを上にスワイプした。青い光のパネルが浮かび、迷路のようなものが表示された。
「こうすればマップを表示できます。便利でしょ?」
「お、おう。そうだな」
マキナは肩が触れ合うほど身を寄せてくる。どこかで嗅いだようないい香りがフワリとくすぐった。……あれ、もしかして、マキナって俺のこと……す、好きなのかな。
「さ、今日は少し奥まで行きましょう」
けど、顔は相変わらず無表情。今は「早く行くぞ」とでも言うように顎を突き出している。いや、これは飼い犬に対する態度なのでは……?
「おう」
ワン、と心の中で鳴いてみた。案外、悪い気はしなかった。負け犬扱いは嫌だけど、可愛がられる飼い犬なら、案外悪くないかもしれない。
もし首輪をつけられていたとしても、俺はたぶん、外さないだろうな。
マップを頼りに昨日進んだ道を歩いて行くと、モンスターと遭遇することなく広間に出た。だが、今日は他のパーティーが拠点を設置しているようで、かがり火たかれて明るい。
俺たちに気づいた鉄鎧に身を包んだ冒険者たちが眉を顰めてコソコソと何か話して出した。
――また、あの目だ。
上から下まで装備を固めた冒険者たちには、普段着のような俺は異質に見えただろう。負け犬を見る目。哀れでいるようで、絶対に手を差し伸べない。俺を一つ下に置いて、安心しているような目。
視線を避けるように歩を速めていく。いい気分だったのが台無しだ。惨めな気持ちをマキナに悟られたくなくて、チラリと彼女を盗み見る。マキナはいつもと変わらない態度で、まるで他のパーティーなんて見えていないような口ぶりで言った。
「ダンジョンによっては縄張りを持っているモンスターもいまして、倒すとセーフティエリアとして利用できるんです」
「……へぇ。ジャイアントバットがそうだったってこと?」
「はい。レベル1でセーフティエリアを解放出来る冒険者はなかなかいませんよ。ヤマト」
並んで歩くマキナは相変わらずの無表情。だけど、彼女は決して俺をあんな目で見ない。墨を落としたような真っ黒な目で、ただ俺を見守っていた。
「……マジか!俺ってやるじゃん!」
「ふふ。そうですね。なら、今日はレベルアップの効果を実感してもらいましょうか」
セーフティエリアを横切るその先。さらに奥へと続く、暗い通路を指さすマキア。夜光石が所々に見えるだけで何も見えない。……いや。今何か闇の中で動いた?
「スライムです。3体いますね。スキルは使わないで倒してみてください」
「よくわかるなぁ……それもスキルなのか?」
「そんなところです。さ、ファイトですよ」
マキナはランタンの灯りを消して、闇の中に紛れ込む。万が一、俺の狂化に巻き込まれないための対策らしい。そこにいるはずなのに、息づかい一つ感じない。流石はベテランだ。
「じゃ、行ってきまーす」
俺は腰に付けたランタンの灯りを強めて、メイスを握りなおす。作戦は簡単だ。今はスライムの姿は視認できない。だから、走って近づいて、見えた瞬間に叩き潰す。これを3回繰り返すだけ。イケるな。
深呼吸して、クラウチングスタートの構えを見よう見まねでする。闇の中に飛び込んでいくのに、恐怖は無い。胸の奥で響く鼓動が、早く行こうとせがむように打ち鳴らされる。
――行くぞ。よーい……
「ドン!」
スタートと同時に走り出した俺は砲弾のように洞窟を照らしながら突き進む。肺が焼ける。のどの奥が鉄の味で満たされていく。
(いたっ!)
スライムは走る音で気づいたのかすでに外膜を光らせた。脳が「止まれ」と命じるのに、体は聞かない。
胸の奥が熱く、歯を食いしばるたびに視界が赤く染まる。
「止まれない」じゃない――止まりたくなかった。
右足に力を込める。筋肉が膨張し、骨が軋む。踏み込んだ足が、地面を裂いた。
――まずは、一匹。
瞬間、音が消えた。スライムが足から離れた感触が、脳に焼きついた。
次の瞬間、轟音と共にコアを砕かれたスライムが天井に叩きつけられ、ジェルが飛び散った。
酸っぱい匂いが鼻孔をついた矢先に、ゾクリと胸騒ぎがした。ジャイアントバットに襲われたときと同じような感覚。何故か、周りの状況が手に取るようにわかった。天井に張り付いていたスライムが、覆いかぶさるように体を広げて落ちて来た。
痛いほど握り込んだ右手のメイスが震える。勘に頼って力の限り、振り向きざまにメイスを薙ぐ。メイスはスライムの身体を通過、まったく勢いが落ちないまま、コアを粉砕しながら一閃。スライムの身体を通り過ぎた。ジェルが体中に降り注ぎ、べたつくのも意に介さず、3匹目を探す。
「見つけた」
苔むした壁面に岩と同化するように張り付いていたスライムは、全身に硬化した棘を纏ってピクリとも動かない。勝てないと判断する脳があったとは驚きだ。俺はメイスを逆手に持ち、拳を振り下ろすようにしてスライムに叩きつけた。棘が砕け散った。続けざまに振り下ろすと、壁面にひびが入り、スライムのコアが割れて液状のジェルが壁一面に広がった。
〈スライムたちを倒しました〉
〈経験値6ポイントを獲得〉
冒険者ライセンスが機械的に戦闘終了を告げる
残心をしながら、メイスをベルトに引っ掛けた。
爽やかな空気が頭の中に染み渡るようで、気持ちがいい。
「おーい!マキナ!終わったぞー。すげぇなこれ。めちゃくちゃ強くなってる!」
闇の中から灯りがパッとついて、マキナが現れる。珍しく微笑んでいた。
「やりましたね。ヤマト。でも、濡れてしまいましたね」
「あえ?ああ、いや、ほっとけば乾くだろ。大丈夫」
「いけませんよ。人間はすぐに風邪をひいてしまいますから」
マキナは鞄から真っ赤なタオルを取り出した。え、まさか……
「そこにしゃがんでください」
「あ、イヤ。自分で――。なんでもないです……」
「よし、いい子です。よくやりましたね」
頭を撫でられて、心が溶ける。こんなに優しくされたのは、生まれて初めてかもしれない。
——でも、これって、やっぱり犬を褒めるときの言い方じゃないか?
疑問が浮かぶ。でも、もうどうでもいい。マキナが褒めてくれるなら、俺は犬でもいい。マキナの手の感触がむずがゆくて、恥ずかしくて。とても、心地よかった。
つづく




