最終話 紅い糸
桜が散り、夏の厳しい日差しがアスファルトを照らす頃。俺はやっと退院することが出来た。死亡扱いになっていたから手続きとか生活のこともあって忙しいけど、時間を見つけては毎日のように君の病室を訪れた。せめて、少しでも傍にいたい。
「おーいマキナ。寝てないで、はやく次のゲートに行こうぜ」
ついつい寝ている君に話しかける。寝たきりだからか、少し頬がこけているけれど、相変わらず人形のように綺麗だ。俺の知ってる君は16歳なのに、22歳の君も知っている。気づいたら1歳差にまで追いつかれしまった。とても不思議な感覚だ。
――でも、その間ずっと君を独りにしてしまった。ずっと俺とダンジョンに縛り付けてしまった。
面会に来ている人は俺と、芹澤さん、たまに信田さん。それだけだった。それが、どうしても胸の奥に引っかかったんだ。君は俺と一緒にいて、居続けて、本当に幸せなんだろうか。
――俺自身が、マキナの自由を奪っている気がする。
生き返らせてもらって勝手なことを言ってるな、俺。でも、君にはもっと普通の幸せを手に入れて欲しい。俺のことなんか気にせずに、自由に。こんなことを伝えたら、きっと怒るだろうな。“信じられません!そんなことを言うなんて!”って。思わず苦笑いが漏れた。
「じゃあ、またな。マキナ」
そろそろ出ないと。俺は小さく手を振って立ち上がった。
本当はずっとそばにいたいけど、最近は学者先生との面談や検査ばかりだ。新宿ゲートの構造や夢の王、オルフェウスという特異モンスターについて。“生還者”である俺の実体験がそのまま論文になるらしい。悪いけど、性に合わない。面倒くさいし肩が凝る。
引き戸のノブを持つ手がひやりと冷たい。なんだか就職面接に行くような気がして、小さなため息が漏れた。
「……ヤ、マト……?」
それは、消え入るような小さな声だった。だけど手繰り寄せるように耳が拾い上げた。身体中が緊張して、全然動けない。だって、その声を一度たりとも忘れた事が無かったから。いつも俺を導いてきた、心地の良い声。
「マキナ……?」
なんとか絞り出した声。高鳴る胸を押さえてベッドを見ると、君がいた。マキナ。目を開けて、身体を起こそうともがいている。その光景に目の奥が熱くなってくる。どうすればいいか分からず、口を開けるばかりで、言葉が続かない。伸ばした手が空を掴む。
だけど――
「……だれ……貴方……?」
――その言葉の意味が分からず、頭が真っ白になった。
「あ、あ……。わた、私……わたし……だれ……?ここは……?」
音のない世界で、マキナは身体を抱いて震えている。青ざめて、涙を流していた。
「わからない……いやだ、怖い、怖いよ。いやだいやだ!いや、いや……!いやあああああああ!!!!」
魂を裂くような悲鳴。髪を振り乱して震えている君を前に、俺は呆然と立ち尽くしていた。一歩も動くことが出来なかった。声を聞きつけた看護師が飛び込んで来る。暴れる君を押さえつけて、落ち着かせていた。
「あ、え……?マキナ……?なに、何言って……」
医師と共に看護師達がなだれ込んでくる。あっという間に、俺は外に出されてしまった。底が抜けたように、脚の感覚が無い。情けないほど、なにも出来なかった。マキナの叫び声が耳の奥にこびり付いて離れない。目にたまった涙は、とっくに枯れていた。
◇◇◇
逆行性健忘症。
医師からはそう告げられた。宿名マキナは過去の出来事に関する記憶をすべて無くした。自分の名前すら思い出せない。信田リカが様子を見に来た時に、少し話を聞いた。マキナは夢の王のソウルを引き抜くときに、不可に耐えられずソウルが裂けた。そのせいで記憶が遺失してしまったという。あれ以来、マキナとは会えていない。
――完全に戻ることは……、無い……と思います。忘れたのではなく、無くなってしまっていますので……
六畳のボロアパート。もうどれくらい時間が経っただろうか。腹も減らないし、眠れもしない。布団の上で横になりながら何もしない、何も出来ない。ただ俺の頭は勝手に信田さんの言葉を反芻し続けていた。錯乱するマキナが瞼の裏に焼き付いて離れない。いつも落ち着いていたマキナのあんな姿、初めて見た。怖かった。君が、マキナじゃなくなったみたいで。
「――ぅぅぅぅううっ!!!」
そう思ってしまったことに腹が立つ。鼻の奥がツンと痛くなって、息が出来ない。マキナはマキナのままだ。どうあっても、それは変わらない。なのに、紅い蜘蛛が紡いでくれた糸が一本ずつほつれていくような気がして。それが、どうしても、耐えられない。
せっかく生き返ることが出来たのに、マキナが……。こんなことになるくらいなら――
「やめろ!!!言うな……!!言うな言うな言うな!!!」
丸くなり全身に力を入れて、息を止める。フッと息をつくと、涙が溢れ出て来た。もう、何が何だか分からない。荒い呼吸音だけが、畳にぽろぽろと広がっていく。苦しい。この辛さから解放されるにはどうすればいい。誰か、教えてくれよ……!タマが心配そうに鳴き声を上げるも、何も変わらない。首にかかっていた透明な縄が、実態を持って締め付けてくるようだった。
――マキナに会いたい。会って、伝えたい。彼女を、これ以上独りにしたくない。
でも、マキナが俺を知らない人を見る目で見たら?怖がられてしまったら?マキナにとって一番の選択をする。そう誓ったのに、もうできないでいる。どれだけレベルが上がっても、結局俺は自分のことしか考えられないクズのままだ。
そう思った時、声が聞こえたんだ。ずっと聞きたかった声。俺のパートナー。君の声が。
「重要なのは、どう終わるかではなく――どんな風に歩いたか、です。
終わりなんて、誰にでも訪れます。でも、その途中だけは、貴方だけのものです」
いつかした、“終わり”の話。
辺りを見回してみるも、暗い部屋で俺ただ一人。導かれるように布団から這い出してカーテンを開けた。部屋に薄明かりが満ちる。空が白み、星が一つ、また一つと消えていく。窓を開けると、澄んだ空気が熱く腫れた目元を優しく撫でた。
俺は、君と走り抜けた冒険を思い返した。俺たちは出会い、戦い、別れた。そして、もう一度出会って、今度は最後まで戦い抜いた。俺たちの呪い。やっと見つけた、誰にも理解されない、ダンジョンの至宝。
「――それでも、魂は繋がってる」
まだ何も終わっていない。なら、自分を憐れむのは止めだ。マキナが普通の幸せを取り戻すために、彼女に貰った2度目の人生を使う。もう君の中に俺はいないのかもしれない。それでもいい。報われなくたっていい。だって……
――君を、愛してるから。
風が止み、薄暗い部屋に朝日が差し込んだ。
腹の音が鳴った。そう言えば昨日から何も食べていない。せっかくだし、朝定食でも食べに行こう。顔を洗って、着替えて、財布を掴む。そして、すっかり生活感溢れるようになった部屋を後にする。玄関を開けると、思わず目を細めた。外は早朝だというのに、眩しいほど太陽が照り付けていた。
◇◇◇
それからは、ずっと君の治療に協力していた。まだ出来事は何も思い出せていないけど、【ステータス】は失われていないと医者先生が言っていた。扉ごしで話してみたり、文章でやり取りしてみたり、先生と打ち合わせをしながら少しづつ近づいていく。初めは他人のようでぎこちない会話だったけど、回数を重ねるごとにお互い恐る恐る近づいて行った。
そして、やっと、面会が許された。臨床心理士が横について10分だけ。待ち遠しかった。でも、同じくらい怖い。どういう顔をすればいいのだろうか。上手く話せなかったらどうしよう。俺、いつもどんな感じだった……?
「いつも通りでいいですよ。今日は顔合わせです。簡単な会話でマキナさんの安全感を高めていきましょうね」
先生はそう言って励ましてくるも、俺はガチガチに固まってしまっていた。
「マキナさん、冒険者仲間の武神ヤマトさんが来ましたよ」
「は、はい……!」
扉の奥で君の上ずった声が聞こえた。君も緊張しているのかな。先生がノックをして入っていく。俺は部屋の外で待機している最中、身体が小刻みに震え続けていた。
「ヤマトさん。どうぞ」
「し、失礼します……!」
そっと扉を開ける。真っ白で静かな部屋。大きなベッドのある個室に君はいた。血色が戻り、元気そうだ。ホッと胸を撫でおろした。恥ずかしいのか俯いてチラチラと様子を伺うように俺を見ていた。
先生に促されてベッドの脇に置かれた丸椅子に座る。心臓が痛いほど高鳴る。顔が熱い。
「あ、あの。俺、武神ヤマトです。マキ……、宿名さんのパーティーメンバーの……!」
息がつまり、言葉が続かない。身体が震えて、過呼吸になる。これじゃあどっちが患者か分からない。でも、その様子を君はキョトンとした顔で見ていた。そして、クスっと笑った。
「……マキナ、でいいです」
「え……?」
「マキナって呼んで」
それは、まるで決定事項のような言い方。断ることは許さない、そんな言い方だった。心が、震えた。
「あ、ご、ごめんなさい……!私ったらなんて失礼な……。すみません……まだ、上手く、話せなくて……」
「いや!いい!いいんだ!マキナはそのままで!」
「そ、そうなんですか?」
そう言って君は目を丸くしていた。俺は、何を怖がっていたんだ。君は何も変わってなんかいない。俺が好きだった女の子。そして、今でも好きな女の子。それ以外は考えなくていい。
「そう!俺のことは、そうだな……、ヤマトって呼んでた。ヤマトさん、でもいいぜ」
「ヤマト……、ヤマトさん……。うーん。悩みどころ屋さんですね……」
腕を組んで目を瞑り、真剣な悩み顔。どちらでもいい。どちらも、正解だから。
「でも、なんだか、ヤマト……さんに名前を呼ばれると、すごく安心します」
そう言って、君は照れたように笑った。それが、たまらなく、嬉しかった。
俺とマキナを結ぶ紅い糸。ソウルリンクは切れてしまったけど、魂はいつだって繋がっている。
「じゃあ、何から話そうかな。俺とマキナがどうやって出会ったかとか、興味ない?」
「はい!ぜひお願いします!ヤマト……さん!」
だから、きっと俺たちは大丈夫だ。またやり直せる。また歩き出せる。二人でなら、どこまでも行ける。
これは、俺の、俺たちの呪いの話。誰にも理解できない、狂った愛の話。そして、まだ終わっていない、長い“過程”の物語なんだ。
『ベルセルク・オーバードライブ~ダンジョンの底であなたを創る~』完
◆あとがき
ここまで『ベルセルク・オーバードライブ~ダンジョンの底であなたを創る~』をお読みいただき、誠にありがとうございました。
武神ヤマトと宿名マキナの旅路は、楽しんでいただけたでしょうか。
もし、どこか一行でも、あるいは一瞬でも心が揺れたなら——作者として、それ以上の幸せはありません。
■本作の核心について
舞台は「現代ダンジョン」。
一見するとテンプレートに見える設定を採用しましたが、
私が本当に描きたかったのは “愛と依存” に揺れる心の物語です。
マキナがヤマトへ向ける感情は、どんな名前で呼ぶべきなのか。
ヤマトとマキナの関係性は、どこからどこまでが愛で、どこからが執着なのか。
二人を繋ぐ“それ”は、本当に幸せと呼べるものなのか。
物語を追うにつれ、その揺らぎと変遷を感じ取っていただけたなら嬉しく思います。
■マキナとヤマトが「おかしく見える」理由
本作の構造は、かなり特殊です。
序盤のマキナは、初見だと不気味で支配的な“ヤバい女”に見えると思います。
そしてヤマトは、なぜこの女の言葉を受け入れ続けるのか?と疑問に思われた方も多いでしょう。
しかし、それらはすべて意図的な設計です。
“違和感”の正体はどこにあるのか。
なぜ二人は互いに惹かれ、依存し、補い合い、そして破綻しながらも前に進めたのか。
最後まで読み進めた読者さまへ捧げる“答え合わせ”として、
伏線が収束し、感情が反転する構造を目指しました。
そのカタルシスが、少しでも届いていたら幸いです。
■読者さまへ
もし、この物語を気に入っていただけたなら、
評価・感想・ブックマークの一押しが、作者にとって大きな力になります。
あなたの一つ一つの言葉が、作者の魂を繋ぐ糸となり、
また次の物語を紡ぐための炎になります。
最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
またどこかの物語で、あなたと再び会えることを願っています。
――佐倉美羽




