第31話 虚無の目覚め
エリュシオン・ノクスの上空に濃い氷霧が包み込む。空気は凍り付き、音まで凍える絶対零度。
リリスの自爆攻撃。それもただの自爆ではない。ソウルそのものを発火させたスキルの暴風。夢の王と言えども、ただでは済まないはずだ。
――今だ……!
糸に捕まりながら岩肌を疾走し、岩陰から飛び出した。そのままスイングするように夢の王がいる霧の中へ。杭打ち機を装填する。この荒れ狂う敵意の塊、目を瞑ってでもどこにいるのが分かる。
――このまま無慈悲な一撃を叩きこむ!
右腕に血液が満ちる。血管が浮き出て焔が煌々と立ち上る。糸を切り、慣性に任せて霧の中に渦巻く赤黒い敵意へと飛んで行った。
その瞬間、赤雷がいななき、霧を吹き飛ばす。凍てついた夢の王、オルフェウスの姿が露わになった。
「……ぐっ」
オルフェウスはうめき声を上げていた。バキバキと音を立てて臓腑の羽根に霜が降りる。腕は氷に覆われ、怒りに打ち震えるように歪んでいく虹目が俺と交差する。
「小賢しい真似を……!人形風情が……!」
完全に意表を突いた。拳を握り込むと紫炎が爪の形状を取る。
「落ちろ!!」
夢の王は毒の血を滴らせようと咄嗟に翅で身を覆う。だが、完全に冷凍された翅は思うように動かない。
「……防御式――」
「遅せぇよ!」
――ダァアアアアン!!
術式が展開される前に紫炎の爪が翅を穿つ。氷の飛沫となって砕け散る臓腑の翅。一翼を破壊した。驚愕に見開かれる虹目。通り過ぎざまにオルフェウスの背面に周りこみ、もう一枚の翅も完全にとらえた。
「貴様っ――!」
「おおおおおおおおお!!」
凍った翅を抱え込み、背から引きちぎるように引っ張る。ぶち……ぶち……と肉が引きちぎれる音が翅を通して手に伝わる。制御を失った二人は揉み合いながら地上へと落ちていく。だが、この手を絶対に離すつもりはない。腕、足、身体。全身の力を動員して引きちぎらんっと翅を引く。
「離れろ――下郎が」
夢の王の身体から赤雷がほとばしる。腕が痺れ、肉が裂ける。視界が熱に揺れ、肺に焼け付く。声にならない叫び声を上げながら。
——俺は、なんでここまで身体が動くんだ?
マキナのためなら、壊れてもいいって……いつ決めた?
それでも、抱える腕に全力を込める。
そして――
布を裂くような音と共に翅がもげた。紫色の血しぶきが上がる。その勢いののまま空中に投げ出される。朦朧とした意識のまま、頭から地に向かって落ちていく。だが、視界の端を紅い蝶が掠めた。
――修復プロトコル:シーケンス。
マキナの声。紅い蝶に繋がっていた糸がみるみるうちに朱に染まる。再起動したように意識を取り戻し、受け身の姿勢。土を巻き上げながら地に足をついた。
「マキナ、助かった!」
「いえ、これからですよ。ヤマト」
アダムと共に駆け寄って来たマキナは鋭い視線で前を見つめる。視線の先には夢の王。花吹雪越しに醒めた目で俺たちを見下ろしていた。
「夢の王たるこの我を……。そうか。それほどまでに壊されたいか」
――ヤマト、長期戦になるとこちらが不利です。畳みかけます。
「ああ!」
アダムが鞄の中にしまわれ、マキナの糸が俺の脊髄に繋がる。ソウルリンク。マキナが俺の身体の副操縦士になったような感覚。身体の隅々まで神経がいきわたったように力が行きわたる。
「極式」
夢の王の錫杖が鳴らされる。瞬時に魔法陣重ねられ、光の奔流が放たれた。花園を抉り取りながら迫りくる。だが、白兵戦ならこちらに分がある。
すぐさまマキナを抱きかかえて走った。今までに感じた事のない速さだ。一歩で音を越えるようなスピードで地を駆ける。横に流れる景色とともに夢の王を睨みつけた。明らかに機動力が落ちている。まるで固定砲台だ。錫杖が鳴る度に、次々と赤黒い魔法陣が展開された。
「くそ、近づけねぇ……!」
――ヤマト、夢の王はおそらくソウルしか見ていません。ソウルリンクで一時的にあなたの器に私のソウルを移します。それで欺きましょう。
「……はぁ!?ダメだ!死ぬぞ!」
花園を破壊しつくすような飽和攻撃が降りかかる中で、マキナは提案した。だが、あまりにも危険すぎる。失敗したらマキナはまず間違いなく死ぬ。そんな作戦は受け入れられない。
“怖い。失いたくない。”
だけど、マキナは言葉を切り、これまでの冒険を噛みしめるようにして言った。
「……大丈夫です。ヤマト」
胸元を押さえ、小さく息を吸う。震える指先が、それでも糸を繋ごうと伸びてきた。
「私は……あなたを信じています」
マキナは落ち着いていた。魂が繋がっているからわかる。花が散り、大地が割れ、雷鳴がとどろく中で、彼女の声だけが頭の中に木霊した。
「……わかった」
「ありがとう。ヤマト。愛しています」
――じゃあな。マキナ。愛してる。
いつか言った言葉が脳裏によぎる。
その声と共に音が戻る。魔力帯びた雷が辺りを壊し尽くす。夢の王は一歩も動かずに、すべてを見通しているかの如く魔法陣を展開し続けている。
――それでは、スリーカウント後、作戦通りに。
「おう!」
走る。走る。疾風の如く、赤い雷を躱して白い花園を駆け巡る。マキナは鞄から鳥の人形を取り出した。煙幕入りの誘導弾だ。
「3」
マキナの声以外の音が消えた。糸に接続された鳥は生きているかのようにマキナの掌の上で羽を動かす。そして、そのまま夢の王に向かって飛び立っていく。
「2」
マキナの心音が聞こえる。ひらり、はらり。鳥は飛び交う魔法の雨を避けていき、オルフェウスへと飛んでいく。まるで伝書鳩。だが――
「1」
――バキン!
夢の王に便りを届ける直前で撃ち落とされる。塵となった瞬間に煙幕が辺りを満たした。
「0」
一瞬の隙をついて夢の王へと走り出す。煙幕の中へ。赤黒い敵意を目指して。脚に地がつくたびに空気が爆ぜる。灼熱の血潮が体中を駆け巡る。
――行け!マキナっ!
心音が一つに重なる。杭打ち機を装填。ロゴス=ベヒモスの焔を纏い、理性を越えた獣は夢の王へ飛び掛かる。
「くだらん。目くらましなど我に効くはずないだろう」
煙幕を貫きながら、暴力的な魔力の奔流が飛来した。身体をぐるりと捻りながら回避。筋肉が音を立てて千切れる。だが、近づく足を止めない。ビリビリとひりつく肺。焦げた花びらが頬を掠める。なんとしても、出来るだけ近づく……!あと一歩……。
――捉えた……!
「くたばりやがれぇえええ!!」
ジャバウォックの爪杭が夢の王、オルフェウスへと突き付けられていく。だが、オルフェウスはその様子を瞬きすらせず眺めていた。
「設置式」
夢の王がそう呟いた。瞬時に地が赤黒く染まる。覚えがある。この攻撃。躱そうにももう遅い。眼下に広がる魔法陣が瞬く。息を呑むと赤き稲妻が俺を貫いた。
「があああああああああっ!!!」
全身が硬直する。眼球が沸騰するように熱い。痛覚が鈍化しているのにも関わらず、内臓がズタズタに引き裂かれるような感覚。そのまま地面に叩きつけられた。
洪水のような魔法の嵐が止んだ。辺りが静かになり、ドクドクと脈打つ心臓の音が骨に響く。
「――おっとっと。結局前回と同じ結果になったな。狂戦士。もっと頭を使え。
ああ、人形には無理か。感情などと言う非効率なものを搭載した人形。滑稽、愉快だ」
頭を踏みつけられて土が頬に刺さる。口の中は血と土の味。左手の指が蠢く。まるで誰かに動かされているように。
「あぐっ……う、るせぇ……」
「ああ、なるほど。こういう時にそういう表情をするのだな。ならまず人形使いから嬲り殺そうか。その光景を永劫に見せ続けたら、どんな表情になるんだ?」
息が上手く出来ない。頭に血が上るも地を握りしめることしかできない。
「……黙れ。殺すぞ」
地に這いつくばりながら見上げる。虹色の瞳がニヤニヤと笑みを浮かべながら俺たちを見下ろしていた。
「“怒る”というやつだろう?それは。そうだな、人間の本質はどこにあるのか興味は無いか?少しずつ刻んでいって……おい。人形使いは何処だ。なんでそこにいるのに、何処にもいない――」
――バサッ
何かが落ちた音。夢の王がゆっくりと振り返ると、そこには中が開けられた鞄。一拍の静寂。俺の左手に繋がった糸が引き絞られた。
「っ! 上!?」
オルフェウスの頭上には両手に鮮血のような糸をはためかすマキナの器。瞬き一つで俺の身体からマキナのソウルが戻っていく――“自分”の器へと。彼女の眼から鋭い閃光がほとばしった。
一瞬の出来事だった。
――キィンッ
冷たい金属。ジャバウォックの爪すら切断するソウルを込めた魔力の糸。マキナの切り札。マキナは受け身も取れずに地面に転がった。夢の王は上を向いたまま動かない。だが、やがて首筋から紫色の血が流れ落ちる。
「くたばれ。屑が」
マキナが地に伏せながら右手を伸ばす。指を握り込むように引き絞ると、バツンっと音を立ててオルフェウスの身体がバラバラに切断された。夢の王の頭が鈍い音とともに転がり落ちた。紫色の血と共に服の下から、臓物をより合わせたような醜い身体が露わになった。
「マ、マキナ……」
マキナが肩で息をしながら、顔を青くしている。今にも倒れそうだ。それでも微笑みを浮かべて糸を俺に伸ばす。紅い蝶たちが俺の身体に止まる。まるで輸血するかのように修復プロトコルを実行する。
――マキナ……も、もういい!死んじまう……!
オルフェウスの雷をもろに食らった。器は無傷だがソウルはもう瀕死だ。そんな状態で魔力を消費したらどうなるかなんて、俺でも分かる。だが、皮肉にも俺の身体がみるみる修復されて行く。その度に紅い蝶は命を吸い取られたように倒れていく。
力が戻り、起き上れるようになった。すぐさまマキナに駆け寄り肩を抱く。肌が冷たく、呼吸が浅い。
「……ふふ。ほら。上手くいったでしょう……?」
「しゃべるな!早く帰ろう!」
「ヤマトの器を……回収しましょう。私の……鞄に、回復ポーションが……」
「鞄だな!」
落ちていた鞄に飛びついてマキナに渡す。力なく鞄の中に手を入れるマキナ。そして青い液体が入ったボトルを取り出して、口に含んだ。
「……すこし、楽になりました……。行きましょう……」
そう言う声は小さい。これっぽっちもよくなった風には見えない。ソウルのダメージにはポーションなんて関係ないということかよ……!
マキナを抱えて、花園の中心。俺の器が眠る場所にゆっくりと歩き出す。出来るだけマキナを揺らさないように。一歩ずつ歩を進める。
――だが、この時の俺は全く気が付いていなかった。
夢の王、オルフェウスの単眼が、空洞のようになくなっていたことに。
切り倒された木の下に武神ヤマトの器が眠っている。安らかに、ソウルの帰還を待ちわびながら。
風が吹き、髪が揺れた。六年前から何一つ変わらない姿。宿名マキナの宿願が今、叶う。
瞼はゆっくりと開かれた。感情を嗤い、人を獣だと見下す理性の王。
その瞳は虹色に輝いていた。
つづく




