第30話 夢の王
キャンバスに星屑を溢した夜空。歪に浮かぶ月の下で白い花畑を踏み歩いて行く。現実から取り残されたように立つ木に向かって。ここはとても静かだ。草を潰す二人分の足音、俺とマキナの息遣いだけが全ての音だった。だが、それだけに命を拒絶するような冷たさが空気となって体中に入りこむ。ここに階層主がいる。本能的に理解した。
眼の前には大きな木が枝葉を広げている。まるで作り物のような緑の屋根の下で、そいつはいた。星空の守護者を思わせる壮麗な衣。長い白髪の人間の後ろ姿が見えた。
――アイツか
見た目は人間。しかし、尋常ではない邪な気配が空気を震わせている。人間の表面だけを浅くまねたような違和感が鼻を刺す。マキナの魔力の糸がギリッと引き絞られた。
「これはこれは。またお越し下さるとは、よほど現実が耐えられぬようだな。人間」
夢の王は木を見上げながら言った。男とも女ともつかない声。まるで大勢に攻め立てられているような錯覚に陥る。
「うるせぇな。俺の身体返せよ」
「特にお前だ。狂戦士。人間とも物ともつかぬ存在になってなお、自分で考えようともしない。いいように使われて、そうして――」
虹色の大きな瞳。顔の大半を占める一つ目が冷たい視線を送る。振り返った夢の王は気持ちの悪いものを見るような、軽蔑の眼差しを俺に向けた。
「――またここで死ぬ」
空気が質量を持ったように重くなる。肺の中の空気が逃げていく。間違いなく、これまで戦ったモンスターの中で一番強い。
「なあ、お前たちが欲しいものはこれだろう?」
そう言うと、夢の王は身体を傾けて木の根元を指す。そこには、眠るように横たわる俺がいた。
「執着、支配欲、所有欲。人形使い、お前の根底にあるものは醜い。もっと理性的になれ。お前の番は死んだ。どうして認めない?」
花びらが散る。風を切る鋭い音。背後の木が音も無く輪切りになった。魔力の糸による切断。だが、夢の王の身体は透過したように瑕ひとつついていない。
「夢の王。ヤマトの器は返してもらいます」
「はぁ……。お前も考えることを放棄したか。茶番に付き合うつもりは――」
一歩。瞬き一つで夢の王の眼前に。握る拳が軋むアッパーカット。装填した杭打ちが火花を上げた。
「うるせぇっつってんだろ!」
――バアアァァァアアン!!!
紫炎を上げながら炸裂した。だが手ごたえは無い。振り返り空を見上げる。手には錫杖、臓腑で作られた蝶の翅を背負う者。いくつもの月を背景に、夢の王、オルフェウスが冷淡に俺を見下ろしていた。
「おっと。危ない危ない。身も心も獣に堕ちたか。なら、このオルフェウス手ずから狩ってやろう」
「やってみろ!!」
〈ベルセルク・オーバードライブを起動〉
「――ソウルリンク・エンゲージ」
マキナの指先が別の生き物のように波打ち、大岩が次々と浮かび上がる。
ロゴス=ベヒモスの炎を纏って、その岩を縫うように飛びかかった。星空が赤く染まり、澄んだ世界が血に染まる。焔は獣爪の形状をとり、夢の王を切り裂かんと襲い掛かった。
「突っ込んでくるだけ。分かりやすくて助かる。
我、声を封じ、夢を律す。心なき者こそ、真の人間なり。
――極式」
夢の王、オルフェウスの錫杖が揺れる。瞬時に赤黒い魔法時が三つ重ねられた。
――夢の王は典型的な魔法使いです。多くの遠距離攻撃をしてきますが、とにかく距離を詰め続けてください。
「あっけなかったな、狂戦士。魂ごと消え去れ」
閃光。暴力的な光の奔流が稲妻を伴いながら迫って来た。そのまま光に飲まれて蒸発した。夢の王はそう思っただろう。
だが――俺は空中で振り回されるように方向転換。すぐ横に極太レーザーが通り過ぎるのを横目に、浮岩の上へ着地した。
「躱したか。多少は知恵をつけたようだな」
「もっと驚いてもいいんだぜ!夢の王さんよぉ!?」
浮岩には無数の紅い蝶。そして、そこから繋がった魔力の糸が俺の腕に接続されていた。この蝶一つ一つがマキナの糸を通すコネクター。そして、その糸を使って岩の間を不規則に飛び回る。俺自身がマキナの“人形”だからこそ出来る移動手段だ。
軽やかに飛び回り、魔法の弾幕をいなす。大丈夫、ついていけてる……!岩の後ろから飛び出るようにオルフェウスの上を取った。
「食らいやがれ!!」
足を天高く掲げる、踵落としの構え。冷ややかな虹目と交差する。臓腑の翅から血がしたたり落ち、形を変えて夢の王を覆う球体となった。あの血一滴が触れた者の身体を腐らせる劇毒。
――リリス
マキナの声を待っていたようにリリスが指を鳴らした。パキパキと音を立てて血が凍てついていく。完璧な対策、そして、息の合った連携。炎を纏った烈脚が夢の王へと降り注いだ。
――バキィイン!!
鮮血の球体が粉々に砕かれ、辺りに光を反射しながら散り散りになる。だが、そこに夢の王の姿は無かった。
「下らん。嵐打式」
身体を反転して星空を見上げると大量の赤黒い魔法陣。グロテスクな翅を広げたオルフェウスが錫杖をカランと鳴らした。空が充填されるように赤く染まっていく。
――ヤマト!
「おう!」
脳内に直接響くマキナの呼び声。魔力の糸で振り子のように落下の勢いを殺し、着地する。そして、そのままマキナを抱き上げて疾走する。一歩、二歩進むごとに雨のように降り注ぐ赤雷が花園を蹂躙していった。空が満ちる。雷光が神経のように這い、花園を焦がす。狙いを済ませていない。面で押す攻撃。だが、強化され切った俺の足には当たらない。マキナが俺の首に捕まりながら、指をロボットのように折り曲げる。大地が揺れるような音と共に浮岩がオルフェウスに投げ込まれるように飛んでいった。巨岩の群れが夢の王を降りかかる。
「ッチ。極式」
赤雷の雨が止み、夢の王は岩の連隊を奔流で薙ぎ払った。岩が粉々に砕け散り、地に落ちていく。やはりこうなった。飛び上がられたらこちらが不利だ。どうにかアイツを地上へ引きずり落とさないといけない。マキナを下ろして、再び構える。
「マキナ、どうする?」
「……翅を破壊するしかありませんね。私に考えがあります」
――ヤマトは再び、夢の王の気を引いてください。隙をついてリリスで接敵します。
アダムが再び岩を浮き上がらせる。紅い蝶が岩に取り付き、糸を張り巡らせた。
「任せろ!」
そう言って、岩に飛び乗り夢の王へと向かっていく。岩から岩へ飛び移り、糸を使って魔法の雨を躱していく。
「ちょこまかと、鬱陶しい。まるで虫だな」
「そりゃどうも!羽虫の王さん!」
「追尾式」
足元から魔法陣が現れ魔法が立ち上がる。躱しても躱しても、魔法陣が執拗に追い回してきた。岩の周りを跳び回りながら避ける。だが、これではまだ注意を逸らせない。リリスは岩陰に隠れて攻撃の機会をうかがっている。
「こすい攻撃ばっかしやがって!これが悪夢か!?大した事ねぇな!」
「おいおい。一つだけだと思ったか?」
「っ!」
喉が閉ざされ、目を見開いた。さらに魔法陣が浮かび上がり、目の前が明るむ。瞬く間もなく貫くような閃光が撃ち出された。糸を切断。身体を捻り回避。だが、一本が避けきれずに腕を掠める。蒸発するような音と共に肉が裂け、腕が焼けていく臭いに、息が詰まる。ダメだ、これ以上増えたら躱しきれない。
「無駄無駄ぁ!そんなもん何本あっても当たらねえよ!バーカ!」
夢の王の虹目が細まった。錫杖が振るわれる。追い打ちとばかりに魔法陣が飛来する。体中の神経を尖らせて。逃げる。跳び回る。駆け巡る。尾が火の粉を残し鞭のようにしなる。だが、魔法陣の群れは逃げ場を着実に潰し、俺を追い詰めていった。
――その瞬間、リリスが氷刃を両手にオルフェウスに向かって躍り出た。完全に後ろを取った。そのまま逆手に持った刃が王の首を刎ねんと振り下ろされる。
――決まった!
岩々を跳び回りながら横目に見てそう思った。だが、夢の王は後ろに目があるかのように振り返り、リリスの首を鷲掴む。俺を追っていた魔法陣がかき消えた。
「そんなことだろうと思ったよ。勝てぬ相手には寝首を掻く。人間はワンパターンだな」
リリスが苦しむようにもがく。首筋から赤黒い穢れが広がり腐り朽ちていく。だが――
「BOOM」
マキナの声が聞こえてくるようだった。岩の裏に急いで避難する。
――じゃあな、リリス。今までありがとう。お前と戦えてよかった。
音が吸い込まれ、時が凍る。爆発音とともにエリュシオン・ノクスは凍てつく暴風に覆われた。
つづく




