第19話 再会
黒羽の雪が降りしきる中で、金色の翼が翻る。フロア中のガーゴイルが押し寄せるが、彼女たちの顔には焦り一切ない。この程度、二人にとって修羅場ですらなかった。
――〈大いなる平和〉、完詠。いつでも撃てますよ。ミヤコ先輩。
「ちょうど30分。流石だねぇ、リカ。でも、まだルーキーが頑張ってることだし。もうちょっと待って上げよう」
芹澤ミヤコは空を舞いながら光の羽根を翻す。彼女の視界には、誰もいない。だが、通信越しの声は確かにそこにいた。
――はぁ……わかりました。じゃあ、引き続き攪乱支援を続け……っ!
「リカ、どうした?位置バレした?」
――先輩、何者かがこのフロアに侵入しました。すみません。まったく気づかなかったです。
「……へぇ。多分武神くんのバディだねぇ。やっぱり、初心者じゃなかったか」
陽光の化身は地上に降りて翼を薙ぎ払う。高密度のエネルギーで出来た羽はガーゴイルをバターのように焼き切っていく。
「ま、一旦、泳がせよう。冒険者はお互いの邪魔をしないのがマナーだし」
――了解です。
戦闘中にもかかわらず、芹澤ミヤコは懐中時計に目を移す。“アーティファクト:欲を刻む時計”。いつも彼女を導いてきた羅針盤は、両方の針を侵入者に向けて指し示していた。
芹澤ミヤコの目が、細まる。
——リカの探知を掻い潜って来た侵入者は、私にとって“得がたいもの”であり、同時に“要らないもの”?
「面白いねぇ……。“犯人”……なのかなぁ?」
フロア中のガーゴイルが心臓を守らんと扉に集まって来ていたが、光の翼に阻まれて近づくことすらできなかった。
◇◇◇
不思議な感覚だった。雑音がない静かな世界。まるで深海を歩いているような、籠った足音が聞こえてくる。天井や壁から何かの気配がはっきりと感じられる。ソナーで探知したみたいに、闇の中から輪郭が浮かび上がった。この状況だと不意打ちによるスキル【強襲】がいつでも発動できる。
――なんか、落ち着いてるな。いきなりぶち切れみたいな感じじゃねぇや
何故か、ここのガーゴイル達にはムカつかない。敵意は感じるが、どこか操られているみたいだ。大剣を纏う焔が、心臓の鼓動に合わせて揺らめいた。おかげで視界がある程度確保できた。彫刻の柱が連なって、まるで霊廟みたいだ。
……静寂が、痛い。
その痛みに気づいた瞬間、世界が歪んだ。
――ドクンッ
「ぐっ……!」
感じた……!強烈な敵意……!闇の中に真っ赤で小さな影を感じた……!身体が強張り、頭に血が上ってくる。手が痛むほど柄を握りしめる。目の前が真っ赤に染まっていった。
今すぐ叩き潰したい。邪魔だ……!この世界をもっと静かで美しく……!
――なんのために?
……は?
少年のような声が聞こえて来た。いや、脳内に直接響いてきたような……そんな感じだ。後ろを振り返ってみる。誰もいない。ここにいるのは俺と猫だけだ。
なんのために?そんなの、決まってるじゃねぇか。
ふ、と。
視界がざらついた。
――時間が、溶けた。
白いノイズの隙間に、何かが――。
手、血。泣き声。
鉄の匂い。
黒いワンピースの少女。目元が黒く塗りつぶされている。笑い声が、あきれた顔が、怒る顔が、嬉しそうな声が、逆再生のテープみたいに引きつれる。記憶? いや、これは俺の記憶じゃない。
――私、諦めませんから。ヤマトさんのこと。
女の声。若い。高校生くらいの——
……マキナ?
――いやいや、高校生相手はさすがにヤバいって!
男の声。俺……?
――私は気にしません。
――俺が気にするの!せめて卒業してから……!
でも、懐かしい。すごく、懐かしい。
「“マキナ!”」
その名前を叫んだ瞬間——世界が、断線した。
頭の中に鉄の棒を突き刺されたような痛み。鼓膜が遅れる。息が乱れる。
……なんだ、今のは。誰の記憶……?俺か……?
いや、俺はあんなこと言われたことないし、言ったことない。妄想、か……?
〈ベルセルク・オーバードライブを解除〉
とめどなく頬を伝う涙。——なんで、泣いてるんだ?
悲しい。すごく悲しい。でも、何が悲しいのか分からない。気づけばベルセルクODが解けていた。炎のグレートソードの焔が消えていく。何故解けたのかはわからない。さっきの走馬灯のようなものがなんなのかも。ランプの灯りに照らされて、ぽつりと涙が零れ落ちた。
だが、いつまでも悲しんでいるわけにはいかない。今は切り替えないと。
袖でごしごしと目をこすり、涙を拭きとり、大きく息を吸った。
位置は分かった。走って、主が見えた瞬間に大剣を振り下ろす。スキル【無慈悲な一撃】と【強襲】の合わせ技。今出せる一番の火力だ。猫に目をやると、星屑のような目で俺を見上げていた。
――行くぞ
足に渾身の力を込める。蹴られた石畳に亀裂が入った。ランプの灯りに照らされて、夜のハイウェイを疾走するように飾り柱が流れていく。風で目が乾くがまばたき一つしない。そして、時が止まったように、主が灯りに映り込んだ。
――ネズミ……!?
小さなネズミと目があった。祭壇の上に祀られるようにこちらを見ていた。いや違う……こいつ、ガーゴイルの支配種だ……!
「――砕けろっ!!」
炎の大剣が赤い軌跡を残して、振り下ろされる。
――勝った。
そう確信した。【強襲】も【無慈悲な一撃】も発動、今持てる力のすべてを込めた、完璧な一太刀だった。
でも、それがただの勘違いだったことに、俺はまだ気づいてなかった。
指先から腕にかけて骨の芯まで響く痺れ。そして、やけに軽い柄。甲高い金属音が霊廟に木霊した。炎のグレートソードが、折られた。
ネズミのガーゴイルは祭壇から転げ落ち、のたうち回っている。身体にはかすかな亀裂。
――ダメだ……!硬すぎる!今の俺じゃ無理だ……!
柄から脈動するような熱が失われていった。芹澤さんを呼ぼう……!そう思い、息を吸い込んだのも束の間。ネズミのガーゴイルは一目散に逃げだした。弾かれたように猫が追跡を再開した。
「な……!待て!逃げんな!!」
冷たくなった柄をかなぐり捨てて、俺も後を追う。半透明の猫を頼りに闇の中を駆けていく。まっすぐと続く廊下。先に光が見える。壁から次々とひねり出されるように生れ墜ちるガーゴイルを躱しつつ、脱兎のごとく駆ける。背後には信じられないほどの足音のが追って来た。
まばゆい光が近づいていく。ネズミが外に出た。そして、猫も後に続く。もはや、誰が追って、誰が追われているのかもわからない状況で、俺も光の中に飛び込んだ。
「……ん?ネズミ……?と、ニャンコ!」
「ぉぉおおわあああっ!」
外に出た瞬間、重力が反転。俺は宙に投げ出され、ジタバタと腕を回しながら地面に激突した。
「それと、武神くん。どうだった?主いた?」
芹澤ミヤコが腰を折り曲げながら笑顔で聞いてきた。
「芹澤さん!あ、あのネズミが主です!くっそ硬くて倒せませんでした!」
「あちゃ~、物理耐性か無効があったのかもねぇ。でも、グッジョ――」
芹澤ミヤコが俺の後ろを見上げる。振り返ると、扉の奥からガーゴイル達が間欠泉のように飛び出していた。そのまま、芹澤ミヤコに襟首をつかまれて、地上を猛スピードで離れていく。見下ろすと歪な街を埋め尽くすほどのガーゴイル達が、一か所に集まり出して、別の形を成していた。
「うわぁ……気持ち悪……。リカ、お客さんは今どこにいる?」
芹澤さんが俺の脇に手をとおしながら、虚空に向かって話し出した。下界ではみるみるうちにガーゴイルが大地に横たわる山脈のような帯を形成している。そして、どこからともなく、信田リカの声が降って来た。
――入り口の高台でこちらの動向を伺っているようです。
「おっけー。じゃあ、私が保護したら、アイツ倒しちゃってー」
そして、塊を成したガーゴイル達は、一匹の超巨大なワームになった。高層ビル並みに太い外殻一匹一匹にガーゴイルが覆いかぶさっている。砂煙を上げながら鎌首をもたげてこちらを見た。
――……ダメですね。あの外殻、フロアと判定されています。主を露出させないと届きません。
「私の“流星”で壊せないかな?」
――それは出来ますが……あの巨体の中から主が潜んでいる場所をピンポイントで射貫くのは現実的ではないですね。一度撤退しましょう。
「……チッ。クソモンスめ。了解。立て直す。武神くん、ごめ――」
「芹澤さん!下!」
ガーゴイルワームは大地を揺るがすほどの巨体をしならせて、ヤツメウナギのような口を広げながら飛び込んで来た。急に視界の天と地がひっくり返り、捻りながら落ちていく。強烈な浮遊感を感じた後に急降下、目を回していると、すぐさまの見渡す限りの巨大な外殻が真横を通り過ぎた。
ガーゴイルワームはそのまま天井に穴を開けて潜っていく。フロア全体に奴が掘り進む地響きが響いた。
「おわっ!っぶなーっ!助かったー!楽しー!」
「た、楽しい!?」
流れるように滑空して、みるみるうちに入り口の高台へと近づいていく。内臓が高Gでめちゃくちゃになり吐き気がしてきた。
「……くない!というわけで、一旦逃げます!……君の仲間、待ってるみたいだよ」
「え、マキナが!?」
身体全体で風を感じながら、高台を見下ろす。光が静まり、風が止んだ。そこに、彼女がいた。石のアーチの前に、良く見知った人影。絹のような黒髪に、落ち着いたゴスロリ衣装。俺の相棒、宿名マキナが微笑を浮かべてこちらを見上げてた。
つづく




