其之九、鼬大江山の鬼と会う事、下
鬼退治。
日本全国何処にでも有る、説話や伝説の一種である。有名な鬼退治説話と言えば、やはり桃太郎、次点に一寸法師という所だろうか。一寸法師と言われると少し意外に思う方も居るやも知れぬが、あれも立派な鬼退治である。
伝説という形であれば、源頼光による酒呑童子討伐や、渡辺綱が一条戻り橋で鬼の腕を叩っ切った話等が比較的有名であろうか。
さて、これからの話に関係が有るのは、前者の酒呑退治である。
時は平安、あまりにも悪行が過ぎる酒呑童子とその手下達に手を焼いた一条天皇は、源頼光に鬼退治の勅命を下された。
源頼光は彼の四天王である、渡辺綱(上記の人物。よくよく鬼に縁の有る奴だ)・坂田金時(彼の有名な金太郎である)・卜部季武・碓井貞光と、これに頼光の甥である平井保昌を加えた六人で大江山へと向かうのである。
さて山に分け入る鬼退治御一行、老僧・若僧・老翁・老山伏に出会う。この四人は実は、頼光等が直前に参拝した八幡・日吉山王・熊野・住吉の神仏の化身なのだが、頼光に『神便鬼毒酒』なる酒を授ける。これは人が飲んでも何とも無いが、鬼が飲むとその力を封ずるという代物である。
酒を受け取った一行は、老翁達の助言を受けて山伏に身を窶し山を進み、川で血に濡れた布を洗う老婆に出会う。老婆の話によると、彼女は元都の貴族の妻で、鬼に攫われて来たが痩せていた為に食われるのを免れ、下働きをさせられていると言うのである。一行は老婆から鬼の城への道筋を聞き、とうとう城に到着する。
鬼退治御一行は、道に迷った故宿を貸してほしいと頼み、鬼達は山伏姿の頼光達を快く中に引き入れる。
この時鬼の中に、酒呑童子と手下の他に、友人である茨木童子なる鬼(この際彼のみは逃げ延びて、後に上記の渡辺綱に腕を斬られる事になる)も居たという。
頼光は泊めてもらう礼にと神酒を差し出し、鬼達は喜んでこれを飲んだ。
やがて鬼達は酔い潰れて眠り、頼光一行はここぞと鎧兜を身につけ、眠り込む鬼達を切り捨てていった。
そして最後に酒呑童子の首を落とす。切られた酒呑童子は首だけで頼光に飛び掛かり兜に食らい付いたが、そのまま動かなくなったという。 また、酒呑童子は最期に「鬼は人を騙す様な事等せぬものを」と言ったとも伝えられる。
……とまあ、大筋はこんな物であろうか。神が三柱であったり老婆が娘であったり、話によって幾つか細かい違いも有る。
さて、以上を読んで酒呑童子退治の大まかな知識を得て頂けたならば、本編に移るとしよう。
これより記すのは、上記の鬼とその愉快な仲間達との出会いと波乱の話―――。
の、後半である。
◇◆◇◆◇
とあるお八つ時の事である。
「……よし。出来た」
平安京の片隅、軽い結界により人払いの為された小さな荒ら家で、一人の人外がそう呟いて不気味に笑みを零した。
と言うか、俺である。
「いやー長かった……ここまで大変だとは思わなんだ」
この小屋は、俺が情報を集めたり寝泊まりしたり何か作ってみたりする為の、都での拠点………まあ、普通に家である。
怪異を蒐収すると言っても、四六時中追っ掛け回している訳ではない。暇な時間と言うのはどうしたって出来てしまう。
そういう時は大抵この小屋で、大分傷んできた初期の紀行文を新しい紙に書き写したり、能力の活用法を模索してみたり、この先起こる出来事について思い出してみたりしている訳である。
「……取り敢えず、誰かに食わせてみんとなあ……よし」
完成したばかりのソレをひょいひょいと黒い漆塗りの箱に収めて立ち上がり、何時の間にか服に付いていた粉をぱたぱたと叩き落とす。
壁に掛けてある笠と羽織りを手に取り身に付けたら、出掛ける準備は完了。
「行ってきます、なんて」
答えの無い事は分かっているが、何とは無しにそう言って。
すっと開いた『窓』へ飛び込んだ。
◇◆◇◆◇
「……あー」
京都大江山山中、鬼の根城。
鬼の頭領である伊吹萃香が、昼間っからだらだらと酒をかっ喰らっていた。
「……暇だー」
中に酒虫が入っていて無限に酒の湧き出る瓢箪、『伊吹瓢』を傾けながら一人ぼけっとどうでもいい思索に耽る。
暇。
暇なのだ。どうしようも無く。
数年程前に出来たばかりの友人―――友獣?―――は、ここ最近全く訪ねて来ないし。
自身の手下や丁度やって来ている古い親友は、上記の友人に教えられた『花札』なる遊びに熱中しているし。
少しばかり混ざってみたら、お前強すぎつまらんと言われ八分にされるし。
「……ああ」
嘆息しまた酒をあおり、ぱたんと後ろに倒れる。
「暇だ。ああ暇だ。暇だ暇だ暇暇暇暇あああああ暇だーッ!!」
まるで子供の様に―――見た目は元から子供であるが―――手足をばたつかせて叫び、暇という字がゲシュタルト崩壊を起こし始めたその時―――
「……何をやっとるんだお前さんは」
「あ」
突如目の前の空間がぱくりと開き、中から人影が姿を覗かせる。
「七一!」
「おう。久しぶり萃香」
大きな笠に蒼い羽織り、獣の耳に赤茶けた長い尾。
喧嘩したりや何やかんやで、結局名前で呼び合う程に親しくなった件の友人―――八切七一であった。
◇◆◇◆◇
「で、もっかい聞くが。何してんだお前さん」
「いやあ。暇なんだ」
寝転んだまま此方を見上げる金髪双角の幼女鬼―――萃香が、にへらと笑ってそう言った。
「そりゃさっき喚いてんのが聞こえた。何で寝っ転がってんのか、て聞いてんの」
「……暇だから?」
「……うりうり」
「うあー踏むなー」
素っ惚けた答えを返す萃香。何だかムカつくので、服が捲れて丸出しになっている腹を踏み付けてやる。
「で、何で寝てんだ」
「暇だから!」
「……ほれほれ」
「ふひゃ、止め、擽ったいって、あっはは」
矢ッ張りムカつくので、そのまま足で腹を擽ってやる。可愛いなあ。無駄に。
「ってか何で暇なんだよ。他の連中は?」
「そうだよー聞いてよ七一。あいつら非道いんだよー」
萃香が俺の足を押し退けて上体を起こす。結構踏み心地良かったんだが。残念。
「七一が持って来た花札って遊びあるだろ。あいつらずっとアレやってるんだよね」
花札。
大分前に遊びに来た時、鬼の四天王の一人が暇だから喧嘩しよう等と宣い腐ったので、回避すべく至急提案した暇潰しである。
『窓』から取り出した紀行文のストックの紙を切って墨で絵を描いただけの代物だが、なんせ娯楽の無いこの時代、中々の好評を博したのである。
……日本に所謂カードゲームの類が伝わるのは安土桃山時代、花札が現れるのはさらに先の江戸時代。うっかりこの花札が広まってしまえばそれは歴史の改変になってしまう訳だが……ま、その時はその時である。あのテニスプレイヤーも言っている。どんと、うぉおりぃ。びぃ、はっぴぃ。
「ふうん。いいじゃねえの混ざれば」
「混ぜてくんないんだよあいつら」
ぷう、と頬を膨らます萃香。
「強すぎてつまんない、だってさ。ちょっと二十連勝くらいしただけなのに」
「……運と勘は良いんだよなぁお前さん」
ちょっと呆れる。そりゃつまらん。
「でさ。一体何でずっと来なかったの? もう死ぬ程暇だったよ私」
「ん、ああ。コレ作ってた」
言われて、箱を出しかぱんと蓋を開ける。中に入っていたのは―――
「……餅?」
「いいから食ってみ」
「んー。んむ……あ、何か入ってる」
「ん、餡子。それは大福、てぇ菓子だ」
大福。
実にオーソドックスな和菓子である。
何を隠そう、俺は和菓子の類が大の好物なのだ。だがしかしこんな過去の世界、菓子文化が発達している筈が無い。現代の様な和菓子が食えるのは、遥か遠く江戸時代。ならば如何する。
答えは簡単、自分で作れば良い。
毛皮や木材を売っては金を作り、餅米や小豆、唐よりの超高級輸入品である砂糖等々を買い集め、我が灰色の脳細胞、記憶野の底の底から大昔聞き齧った製法を引きずり上げ、失敗に次ぐ失敗、試行錯誤を繰り返し、ようやく完成したのがコレなのだ。
「で………どうよ」
「甘い」
「いや、美味いか不味いか聞いてんだが」
「うん、まあ、美味しいよ」
「よしゃ」
半年近くも家に篭り切った甲斐が有った。殆ど餡を作るのに費やした時間である。例え製法は知っていても、味を再現するのは実に骨であった。
「でも甘過ぎるね。酒には合わないよ」
「何で酒が基準だよこの酔いどれ幼女」
これだから鬼という奴は。
「誰が幼女だよぅ」
「何処から如何見ても幼女以外の何者でもねえよ」
どうでもいいが合法ロリである。
「ま、いいや。他の奴等にも食わせてくる」
「あ、待て」
踵を返す。と、尻尾にとすんと衝撃。振り返ると、尻尾にしがみつく萃香。
「私は暇なんだよ」
「そいつはもう聞いた」
「暇なんだ」
「……勝手に付いて来りゃ良いだろ」
「えへへー」
歩き出すと、尻尾にしがみついたまま付いて来た。偶に中身まで子供である、こいつは。
◇◆◇◆◇
「よーす手前等。元気してたか」
襖を開けて部屋に入る。中に居たのは四人の鬼。
「おぉ、七一じゃないか」
真っ先に声を掛けてきたのは、金髪に赤い一本角の、谷間が眩しい着物美人、四天王が一人・星熊勇儀であった。
そして、その勇儀と共に車座に座り、花札を囲む三人の鬼。
「おー七一。久し振りじゃねーか」
まずは一人目、虎熊童子こと虎熊巳寅。四天王の一人。
見た目は中学生程度の少女である。角は額に小さな円錐が二本、といった様子。赤い短髪、男口調の俺っ娘。そして脳筋。
「久しゅう御座いますな七一殿」
更に二人目、金熊童子こと金熊傀然。こいつも四天王。
筋骨隆々の大男、身長は二.五メートル近くある。頭の天辺に真っ直ぐな一本角。
頭をつるりと剃り上げているが、何を思ったか揉上げの毛を長く伸ばして三つ編みにしている。次いでにダンディズム溢れるヒゲ。筋肉三つ編みハゲヒゲ達磨、上半身裸。しかし性格は紳士(変態的な意味じゃない方で)。
「……む」
最後に三人目、茨木童子こと、茨木霞楽。こいつだけは四天王ではない。酒呑童子の友人、であった筈だ。
ひょろりと長い高身長。二メートル超有るが、金熊と違い痩せていて、着ている浴衣は全く丈が足りていない。
長い前髪が顔の殆どを覆っている。素顔を見た事はないがきっとイケメンに違いない。それがお約束。角は頭の左右に一本ずつ、大きな円錐が突き出ている。
無口。殆ど喋らない癖に、偶に口を開くと矢鱈に辛辣な事を言う。
まあ、変な奴等である。俺も人の事を言えたものではない様だが。
「で、遊びに来たのかい? 花札やる?」
「やる!」
勇儀の言葉に、俺の背後から幼女が飛び出し参戦を高らかに宣言する。因みにさっきからずっと尻尾にぶら下がっていた。
「あんたはお呼びでないよ、萃香」
「大将は要らね」
「歓迎は致せませんな」
「……帰れ」
「うわぁん非道いよこいつら!?」
冷たく突き放す鬼達。オーバーリアクションで畳に崩れ落ちる萃香。
「……まあ、何だ。あんまり虐めてやるなよ。たかが遊びだろ?」
と言うか。頭領だろうが。
「そうは言いましてもなあ」
「八回連続で五光出されれば、俺等の気持ちが分かるぜ」
「マジか」
傀然と巳寅の言葉に、少々唖然とする。聞いた事ねえよそんなの。勝負強いってレベルではない。
「うー……楽しいのにー」
「あたし達は楽しくないんだって」
「……同意」
べたりと俯せたまま口を尖らせる萃香に、勇儀は苦笑しながら、霞楽は無表情に言う。まあ詰まらないであろう、そんな奴とやっても。
「ま、花札も良いけどな。今日はその前に」
べたりと畳に張り付く萃香の隣に腰を下ろし、箱を置いてかぱんと蓋を開ける。
「食ってみてくれ。大福って菓子だ」
「菓子? 餅じゃねえのか?」
「………」
首を傾げつつも手を出す巳寅、無言で手を伸ばす霞楽。後の二人もそれに続く。
「んむ………何だいこの黒いの?」
一口囓り中身を見て、勇儀が此方に問い掛ける。
「餡子。小豆に砂糖入れて煮たモンだ」
「ほう、砂糖。さぞ高かったでしょうな」
「何処で買って来たんだこんな菓子」
「んにゃ」
特に意味も無く角を持って萃香をぶら下げ「うあーやめろー」ながら、俺は首を横に振る。
「買ったんじゃない。俺が作ったんだよ」
「え」
「え」
「え」
「え」
「……」
「そんなに意外か」
そして霞楽、空気を読め。
「大体俺が、こんな高そうなモンお前さん等の為なぞに買って来る訳無かろ」
「そういやそうか」
「納得されたらそれはそれでムカつくな」
一体俺は如何様なイメージを持たれているのであろうか。何だかムカつくので萃香をぶらぶらと揺らす「あうあう」。
「で、どうよ味は。その為に持って来たんだから」
「ああ、美味いよ。だけど」
「美味いな。でも」
「美味しゅう御座いましたな。ですが」
「……美味。だが」
と。悉く語尾に逆接を付け、四人揃って一言。
『酒には合わない』
「だから何で酒基準だよ!」
これだから。これだから鬼という奴等は。
「……手前等はきっと、菊の細工した練り切りとかよりも柿ピーみたいな酒のつまみくれてやった方が喜ぶんだろな」
ピーナッツなぞ無いので、今度来る時は酒饅頭でも作ってやるとする。つまみじゃないが多分喜ぶだろう。
「さて。用が済んだんなら」
勇儀がにっと笑って、花札を手に取った。ふと気付けば、しばらく見ない内に新調されている。紙は都で奪って来たか。絵は傀然が描いたのであろう。彼は、此処に居る中で最も鬼らしいその見た目に反してかなり器用である。
「一勝負と行こうか。萃香も入るかい?」
「おー! やるやる!」
ぶら下がったままの萃香が、混ざる許可を得て喜びの声を上げる。何と無く角を左右に引っ張ってみる「痛たたた!」。
「ちょっと七一、さっきから私に恨みでも有るの?」
「さあ花札しようか。八八で良いよな」
「うおーい」
華麗にスルー。だって面白いんだもん。
「さあ、『孤高の花札使い』と呼ばれた俺の実力を見せてやろう!」
「な、何か良く解らんが格好良い!」
巳寅が何やら衝撃を受けているが、これは人間の時の部活動での呼び名である。理由は、花札が出来る奴が部活内に俺しか居なかったから。泣きたい。
しかし。
格好良いか、ハナフディスト。
「さあ来い鬼共、こてんぱんに伸してやろう!」
花札だが。
「上等だ! 明日の朝日を拝めると思うなよ!」
花札だが。
ちなみに結果であるが、惨敗した。フルボッコ。最下位。
しばらく会わない内に目茶苦茶強くなっていた。他にやる事が無いから極めていたらしい。
……次は将棋盤でも作ってみようか。
◇◆◇◆◇
さて我が趣味に和菓子作りが追加されてより数年ばかりが経過した。
紀行文に書く様な事もあまり起こらず、家でのんびりしたり和菓子を人間に売ってみたり暇潰しにと剣玉や組み木のパズルを作ってみたり、鬼の所へ遊びに行ったり萃香で遊んでみたり偶に喧嘩してみたりな、実に平和な歳月であった。
和菓子スキルもどんどん上昇、簡単な細工なら練り切りも作れるようになった、そんな頃。
とある噂を聞いた。
その噂を持って来たのは、我がネットワークの末端、小さな鼠の妖怪であった。人化も出来ない様な雑妖であるが、宮廷の台所によく出入りしている為に、上の方の面白い話を聞いて来る事が多いのだ。
さて名を灰墨と言うこの鼠曰く―――天皇が源頼光に鬼退治の勅命を下した、と。そういう話であったのだ。
「って、そないな感じですのん」
「……んー。もうそんな時期か」
都の片隅、突けば崩れそうなボロ家とまでは言わずとも、震度五くらいの地震で倒壊しそうなボロなのかボロでないのかはっきりしないがボロ家の様に見える、住人が聞けばボロだボロだと五月蝿い等と言われそうだが結局の所要するにボロ家。
人払いの結界により不自然に人の寄り付かない、しかして人外の類は頻繁に出入りするそのボロ家にて、鼠と鼬が向かい合っている。普通なら捕食風景であるが、生憎何方も妖だ。鼠は菓子を食っているし、鼬は人の姿で胡座をかいている。
この灰墨は弱い妖怪だが真面に会話出来る程度には知能が高く、妖怪らしからぬ温厚な性格をしており、丁寧かつ上品な京言葉を話す良い女。しかし鼠である。
「鬼退治の詳しい日時は」
「そこまでは分かりまへんねん」
ご褒美にやった試作品煎餅を食べながら、灰墨は少し申し訳無さ気に言う。
それにしても自分の半分くらいある物をよくもまあ食えるものだ一体何処に入るのか、等と考える。しかして良く考えてみれば、人の姿を取った妖怪が自分と同じ大きさの人間を丸々食ったりするのだ。妖に関しては質量保存の法則等意味を為さないのかも知れぬ。
「分かんねえのか……役に立たん鼠だなあ」
「……食ったりせんといてな?」
「良いではないか良いではないか」
「あーれー」
別に食わない。尻尾を持ってゆらゆら揺らしてみただけである。
「止めてえな! 止めてえな!」
「あっはっは」
「吐いてまうから! 吐いてまうから!」
「それは困る」
仕方ないので下ろしてやる。
「うう……非道いわ七一はん」
「鼠が科作ってもなあ」
よよよ、と泣き崩れる灰墨。しかし別に何とも思わない。思えない。鼠だから。
「……ま、良いや。また何か聞いたら来てくんな。ほれ」
報酬にと、紐で括った小さな箱を渡す。中身は、矢ッ張り試作品の栗饅頭。生地の表面に卵黄を塗って焼く事で栗に似た色を付け、中には栗を混ぜ込んだ白餡を包んだ代物である。
「あい、有難うな。ナズはんも喜びはるわ」
尻尾を紐に絡めて箱を持ち上げる灰墨。全く器用な事である。
那津はん、というのは友人の鼠の妖怪だそうだ。何処ぞの寺に住んでいるらしい。やった菓子を時折その鼠と一緒に食べているようである。中々に好評であるとの事。
「んじゃ、またな」
「あい、さいなら」
と、一言別れを告げて、灰墨はちょろりと姿を消した。
「……鬼退治、か」
一人になり憚る事なくごろりと寝転がって、修繕した跡が残る天井をぼうと見上げる。
思えばこの家も入居時は、突けば崩れそな吹けば飛びそな、雨漏り隙間風は当たり前、一歩踏めば床が抜ける為歩く事も出来やしない、家と呼ぶ事さえ憚られる様な有様であった。
そんな廃屋に修繕に修繕を重ね、所々妖力で強化し、穴が空く度にまた修繕を繰り返して、二百年超使ってきた訳なのである。
「……どうすっかなあ」
悩むは、鬼達の事。
放っておけば退治される。それが史実、それが運命。
そもそもあまり仲良くなる気は無かったのだ。ちょっと会ってちょっと話してそれだけのつもりだったのだ。それがどうした訳か、実に良好な関係を築いてしまった。喧嘩して、杯を交わして、花札に興じて、すっかり情が移ってしまった。
「…………どうすっかなあ」
助ける。
それも良いか。どうせ記憶に違う事ばかりなのだ。今更少しばかり歴史を変えたって構わないんじゃぁなかろうか。今の自分はそれなりの大妖怪、人間の数人ごとき、恐れる対象になぞなりはしない。神の三柱や四柱とて、軽く欺いてしまえよう。
そう、さっさと『窓』でも開いて鬼共を放り込めば良い。それで十分、あっと言う間に片が付く。
しかして鬼は、都を人を襲う。理は人間に有る。毒酒を飲ますという卑怯と謗られる事を免れない手であれ、鬼は退治されて然るべき存在と言えなくもないのだ。
「…………………どう、すっかなあ」
はてさて。答えは未だ出ず。
◇◆◇◆◇
がさがさ。がさがさがさ。
鼬の姿で山中を行く。遥か頭上を鳶が飛んで行く。ぴーよろろ。
見据える前方には数人の男達。源頼光率いる、鬼退治御一行である。慣れぬ山道に苦戦しながら、がさがさばきばきと騒々しく歩いている。そのしばらく後ろを俺が付いて行く。人間の様な五月蝿い音等立てず、静かに静かに後を追う。
灰墨の話を聞いて数日ばかりが経つ。さりとて答えは未だ出ず。助けるか、それとも助けぬか。
「……難儀だなあ」
ぼそりと呟く。自分の一存、それも情が移った等という理由で、歴史を変えて良いものか。
「……でもなあ。竹取物語とかおかしかったしなあ。神様とか鬼とか幼女だしなあ」
あれ別に良いような気がしてきた。
「今更―――なのかね」
今更なのだ。既に色々おかしな世界。多少変えても構わないのじゃないか。私は一向に構わんッ。誰だっけこれ。
……それはさておき。ふと前を行く御一行を見遣る。山伏姿。腰には神酒の徳利。既に、である。神仏等出て来なかった。影も形もありゃしない。どうやら後世の後付けでしかなかったようなのだ。
山に入る前から山伏の格好で。酒は恐らく都の陰陽師辺りが呪いでも込めているのだろう。少々姑息な手であると、それなりの自覚は有ったのだろう。だから神仏に授けられたという事と相成った。汚いな流石人間汚い。
「……ま。別にいいけどさ」
鬼と正々堂々サシで殺り合うなぞ、それこそ晴明レベルでないとどうにもなるまい。目的達成の為の創意工夫、大いに結構な事である。
第一俺とて、自慢じゃないが正々堂々戦った事等全く無い。早々に逃げたり、虚を突いたり、隠れたり、腱を切って行動不能にしたり―――
「……碌な事してねえな俺」
本当に自慢じゃない。
「っと。着いたのか」
どうでもいい事を考えている間に、御一行が鬼の館に到着した様子。結局老婆だか娘だかも現れなかった。此方も後付けだった様子。
門番鬼と何やら話していたかと思うと、あっさり中に入れてもらう御一行。
「……もう一寸警戒しろよ門番……」
多少呆れて呟きつつ、鬼達にも見つからぬよう隠形にて身を隠し、勝手知ったる他人の家へと入って行くのであった。
◇◆◇◆◇
「此方スネーク、鬼の館への侵入に成功した……」
二回目である。蛇ではなく鼬だが。ウィーズル。何だか格好悪い。
とまあ。益体も意味も無い独り言。
目の前には酒盛りを繰り広げる鬼共と人間共。大騒ぎをしている正にその部屋の隅っこに座り込んでいるのだが、誰も、四天王も気付く様子が無い。
まあ。気配も視線も音も熱も、存在を示す物は殆どすっぱり遮断しているのだが。
「……誰か気づかんかなあ」
自分でやってる訳だが何と無く寂しくなって、くっと酒を呷りながらぽそりと呟く。これだけ鬼が居るのだから、誰か一人くらい気付いても良さそうなものじゃなかろうか。
鬼達は、頼光が差し出した酒を疑う様子もなくかっ喰らっている。萃香も勇儀も巳寅も傀然も。
彼等は人を疑うという事を知るべきである。ある時なぞ、冗談で萃香に酒だと言って酢を与えた所一気飲みして、奇声を上げてぶっ倒れた。またある時は醤油を一気飲みして奇声を上げてぶっ倒れ、そしてある時は青汁を一気飲みして奇声を上げてぶっ倒れた。
色か匂いで気付け、という話である。馬鹿じゃなかろうか。馬鹿だろう。馬鹿だ。
「……って、俺が悪いんだが」
しかし面白いのだから仕方ない。何度やっても面白い反応を返すのだ。知的探究心と興味を人生の原動力としている俺が止められる訳が無いではないか。
確か最終的には、酢と醤油と青汁と、塩と牛乳と納豆と、油と雑草と毒々しい色の茸と、その他おおよそ食用には向かないであろうモノを混合した液体を飲ませ、かなり洒落にならない断末魔を響かせた所で自重する事にしたのであったか。
「結構えげつねえなあ、俺……」
等と在りし日の萃香を懐かしんでいると、向こうで一人手酌で飲んでいた霞楽が立ち上がって此方へ歩いて来た。どうやら俺に気付けたらしい。
ふと見ればこいつ一人のみ毒酒を飲んでいない。頼光達の正体にも気付いたという事か。
「……七一か?」
「おーよ」
横に立って確かめるように問い掛ける霞楽に、音の遮断を外して返事をする。
しかし影の薄い奴だ。これだけでかい奴が動いたというのに、鬼共も頼光共も全く気に留める様子が無い。彼の能力の所為であろうか―――
「……そうか。後は任せた」
「は?」
と、思うと。霞楽が消えた。
「え? いや……え?」
どうやったか等は分かる。彼の『冥ます程度の能力』。それでさっさと姿を冥ました。
それより後は任せた、て何だそれは。何もしてねえだろお前。と言うか何を任せると……あれか。萃香共を助けろってか。頼光に気付いてたんだからとっとと言えば良いだろうが。あれか。喋るのが面倒だったのか。うわあ。
「……何て面倒臭え奴だ……」
……しかしまあ。任されては仕方ないか。
「……うん。何か吹っ切れたな」
座敷を見渡す。鬼達はほぼ酔い潰れ、かなり酒に強い筈の萃香も大分ふらついてきている。毒酒の所為であろうか。
「ま、適当に助けるとしようかね」
何とは無しに笑いながら立ち上がり、屍々累々といった有様の鬼を避けながら遇に踏みながら、人間共と酒を飲む萃香の方へと歩いて行く。
「萃香」
「んにゃ?」
萃香と頼光達の間に入り、隠形を解いて萃香に声を掛ける。突然現れた鼬に驚いた頼光が背後でひっくり返ったが気にしない。
「あれぇ七一じゃん、来てたんだぁ。ほら七一も飲むぅ? 美味しいよぉこの酒直ぐに酔えるんだよ何かふらふらしてきたさあ飲むよね飲むんだろ飲め! あっはははははぁ」
「……うぜぇ」
これだから酔っ払いは。ふらふらしてるのは毒だからだ馬鹿め。
取り敢えず後ろでごちゃごちゃ言ってる人間達が欝陶しいのでくるりと尾を振り幻術を掛けて黙らせる。
「さて目ぇ覚ませこの酔っ払い」
「ぎゃん!?」
べしん、と妖力を込めた尻尾で萃香の後頭部を叩く。物凄い勢いで畳に頭を減り込ませる萃香。
「いっ、たぁぁ……い、いきなり何するのさ七一!」
「だっ、大丈夫か!? 誰がこんな酷い事を……」
「お前だ!」
「畳がすっかりボロボロに」
「そっち!?」
畳の上に座り、頭をずぼんと引っこ抜いて怒り出した萃香を適当にあしらう。酔いは覚めた様子。しかし頭が藺草まみれである。
「て、あれ? 何してんの」
と。萃香が俺の背後に目を遣っておかしな顔をする。振り向くとそこには、虚ろな目で「やあー」だの「とおー」だの「正体を現したな鬼め」だのと喚きながら、虚空へ向けて刀を振り回す人間共の姿が。
「ああ、頼光公率いる鬼退治御一行?」
「……え?」
「だからさ。お前等を殺しに来てんのよあいつ等は」
「な……」
絶句する萃香。何の疑いも持っていなかったらしい。そんなだから怪しげな液体を飲まされて三日間床に臥したりするのだ。飲ませたのは俺だけれど。
「………騙された、のか。やれ、鬼は人を騙す様な真似はしないのに」
「ま、人間だからな」
苦々しげに言う萃香。しかしてそんなモノだ。正攻法で勝てぬのだから、搦手で行くのが当たり前。
「時に、先程の酒は鬼にのみ効く毒だそうだ。不調は?」
「力が入らないねえ。身体がふらつく。能力も封じられてるみたいだ」
「ほお。鬼なぞ相手によく効く毒だね」
呪いを掛けた陰陽師が中々に頑張ったらしい。空気と戦う侍達を見る限り、その努力は無駄になったようであるが。
「で、あいつ等は何と戦ってるの?」
「別に気にせんで良いぞ。角が五本に目が十五個、身の丈五丈くらいの鬼と戦う幻見てるだけだから」
「何その化け物」
「お前の正体という事になってるな」
「はあ!?」
途端血相を変え、胸倉を掴んでがくがく揺すぶってくる。しかしどうやら腕力も人間並に落ちている様子。殆ど揺らせていない。
「ちょっと止めてよ!? 私の事そんな姿で伝えられちゃったらどうするのさ!」
「反省はしている。後悔はしていない」
「だから何さ!」
「(チッ、うるせーよ)反省してまーす」
「反省してないじゃん!?」
全くだ。
「ま、何だ。お前さん等、都でちと暴れ過ぎたのよ。鬼は人を攫うモノだ、そこはまあ仕方ねえやな。だが人間とて反撃はする。しかして人間は非力だから、鬼と正々堂々の喧嘩で勝負を付けるなんて真似は出来ん。だから、多少卑怯でもこういう手を使う」
ちらりと侍達を見遣る。幻と気付く事も無く、必死の形相だが虚ろな目、ただただ虚空に剣を振る。
「此処に居続ければ、こういうのがどんどん来るぞ。悪いこた言わん、さっさとどっかに移れ」
「……返り討ちにするさ」
「無理だね。お前さんは騙され易過ぎるし、人間は狡猾だ」
元人間の俺が言うのだから間違いない。
「もう一度言うぞ、何処か別の所に引っ越せ」
「……断る。鬼は、逃げるような真似はしない」
暫く険しい顔で睨み合い―――ふ、と溜息をつき立ち上がる。
「なら、仕方ない」
此方が引く気配を感じ取ってか、萃香が表情を和らげる。
……それだから、騙され易いと言うのだ。
「実力行使とさせてもらう」
「な……!?」
大規模に能力発動。座敷中の鬼共全ての下に『窓』を開き、纏めて転移する。目を覚ましているのは萃香のみ、抗う事も無く皆落ちて行く。
「く、う」
「お前さん等にゃ、死んでほしくねえのよ。霞楽にも頼まれたしさ」
一人、『窓』の縁に手を掛けてぶら下がっている萃香にそう声を掛ける。腕力は見た目相応に落ちている、そう長く掴まってもいられまい。
「行き先は、東の方の『幻想郷』、て土地の近くだ。人も妖怪も受け入れる場所だっつう話だから、お前さん等も入れてもらえ」
何時か、初めて八雲と出会ったあの河童の谷。その辺りに創られたと聞く。後の始末は皆八雲に任せてしまおう。鬼が何人も来たとなったら非常に面倒であろうが。
「……恨むよ、七一」
「さよか。縁があったらまた会おう」
諦めたように苦笑する萃香に、適当な別れを告げ。
十年ばかりの友人、萃香は『窓』に飲み込まれていった。
「……さて」
『窓』を閉じてくるりと振り返る。
「こいつ等、どうしよっかなあ……」
と。未だ虚空との死闘を繰り広げる、本来の仕事が出来なかった鬼退治御一行の扱いに、少しばかり悩むのであった。