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東方鼬紀行文  作者: 辰松
一、旅鼬
7/29

其之七、鼬不死と連れ立ち里帰りせし事

 

「そうだ、里帰りしよう」


 と、俺がそんな事を言ったのは、旅を始めて七百年強、とある冬の寒い日の事だった。


「……里帰り?」


 突然の言葉に胡乱気な声で聞き返したのは、あまりの寒さに負けて俺の豊かな七本の尻尾に埋もれていた我が旅の道連れ、不死の少女・藤原妹紅である。


「……いきなり何訳分かんない事言ってんだ七一? とうとう頭沸いたのか……あー寒」


 随分酷い事を言って、また尻尾に顔を埋める。俺の身長くらい長いふさふさした尻尾が七本、一人二人なら楽に埋まる。が、だからと言って布団にしないで欲しい。


 妹紅との旅を続けて、早四十数年。出会った時が十五だとすると、そろそろ六十路になる計算。

 その歳月は彼女を随分変えてしまった。口調は男っぽくやさぐれ、口も態度も悪くなり、実に可愛くない。 ……昔はあんなに素直で可愛い良い子だったのに。誰のせいだ。俺しかいねえ。


「最近、面白そうな話を全く聞かん。実に暇だ。だから里帰り。分かったか?」

「分かんねえよ。分かる要素が一つもねえよ。次いでに分かる必要も感じねえよ」


 ちなみに、今俺達が居るのはとある山の上、適当に木を切って結んで組み立てたログハウス(失笑)といったシロモノである。

 多少の隙間風が吹き込むが、そのお陰で真ん中で焚いた火が燃え続けている。計算された隙間なのだ。ああそうだとも。


「そう言うなよ。俺の故郷だぞ? ちょっとくらい興味有るだろ?」

「……そうだな。この腐れたあばら家をお休み所と言い張る馬鹿の親の顔、一度見てみたいかもな」


 真ん中の焚火は、妹紅がつけたもの。火打ち石だの何だのを使った訳ではない。妖術を使ったのだ。

 この四十数年の間に、彼女は護身の手段として妖術を習得していた。

 人間が妖術を使う事は普通出来ない。理由は当然、妖力が無いからだ。だが人間には霊力が有り、身を守るためならば霊術や陰陽道を習得するのが筋である。しかして妹紅はそちらの方面があまり芳しくなかったと言うか、素養が決して豊かとは言えなかったと言うか。 有り体に言うと、才能皆無だったのだ。

 そんな訳で妖術に方針転換。だが上記の通り普通の人間には使えない。妖力を無理に与えてもすぐに剥離してしまうし、第一妖力なんてモンが人間の身体に良い訳が無い。場合によっちゃ死んでしまう―――が。

 死なない。不死である。

 と言う訳で、俺が妖力を妹紅に植え付け剥がれぬように結び付け、妹紅の身体は妖力に耐え、今に至るという訳だ。


「いやいや、隙間風はわざとなんだって。ほら、こんな狭い室内なのに火が燃え続けてんだろ。風のお陰だって」

「火ィ焚いてんのに、耐えられないくらい寒いのもわざとだってか。嫌がらせか」


 ……良かろう。俺に建築方面の才能が無かったらしい事は認めよう。


「だが私は謝らない!」


 オンドゥルルラギッタンディスカー!


「……そこで威張る理由も分かんねえよ、この馬鹿七一」


 ……全く悪口ばかり達者になって。成長振りに涙が出る。手足を切り落として達磨にしてやろうか。


「何か今目茶苦茶怖い事考えてなかったか!?」

「気のせいだ。……まあ、里帰りだがな? 思い立ったが吉日と言うし、今すぐ行こう。さあ行こう」

「えー……やだ寒い」

「ええい、子供は風の子と言うだろうが。動け働け尻尾を放せ」

「誰が子供だよ」

「身体は子供だろうが」

「それは七一もだろ」


 俺の外見は高二程度である。鼬になったのは高二頃であるから、当たり前と言えば当たり前だが。


「俺は良いんだよ。アレがコレでソレだから」

「いやドレだよ」

「いいから放せってんだ。あんまりしつこいと腕切るぞ」

「やだ放さん。あんまりしつこいと燃やすぞ」


 彼女は、火の妖術に強い適性を持っていた。 ……と言うより、他がからっきしだった。辛うじて空は飛べるが。


「お前の炎程度で俺が燃える訳無いだろ。いいから行くぞ」

「いーやーだーさーむーいー」


 まるで駄々っ子である。


「……はあ。仕方あるまい、最終手段を使わせてもらおう」

「…………何する気だよ」


 きろりとこちらを睨む自堕落妹紅。


「喰らうがいい……開けゴマー!」

「あっ」


 途端、足元にぱっくり開く『窓』。当然の如く落ちる二人。


「わはははは! 俺に逆らう等十年早いわ小娘!!」

「出来るんなら最初ッからやればいいじゃねえか! さっきまでの口論全く意味ねえだろ! つうか十年って私等からしたらすげぇ短いからな!!」


 知ったこっちゃない。




◇◆◇◆◇




「……で、何で神社なんだ?」


 大きな湖のほとり、ふて腐れた顔の妹紅が俺に問う。


「いつも話してるだろ? 世話になってる神様方がいんのよ。最近来てなかったから、次いでに挨拶をと思ってな」


 俺達が『窓』を通って落ちた先。それは諏訪大社であった。


「神様と仲が良い鼬……ねえ。いつも思うけど、七一ってホント変な奴だよなあ」

「失敬な。そういう本当の事は行っちゃいけないぜい」

「自覚あんのかよ」


 ま、元人間だし。変なのは仕方ない。


「さて、いつもは諏訪サマが出迎えてくれるんだが……」

「なーないちぃーっ!!」

「あ、来た」


 神社の中から走り出てきたのは、この神社の祭神の一柱・諏訪サマこと洩矢諏訪子様である。外見は目のついた変な大きな帽子を被った幼女。しかし神様。


「久し振りだねってか久し振り過ぎるだろ二百年以上も何やってたのさ!?」

「いやあ、ちょいと厄介な大妖怪に追われてまして。ずっとこそこそしてたのでありますよ」


 テンションの高い神様である。


「ま、いいや。いやホント久し振り。 ……ところで」


 少し落ち着いたらしい諏訪サマ、俺の後ろにちらりと目をやる。


「そっちの娘は……何かな? 妖気は感じるけど……人間っぽいね。でも、見た目の割に年食ってない?」

「不死人ですよ。妖力は俺があげたんです―――ほら妹紅、自己紹介」

「お……おう」


 相手が神様という事で、少しばかり緊張しているらしい。


「藤原妹紅だ……です。えー、こいつ……じゃなくて七一の旅に、同行させてもらって、ます」


 かみかみである。わはは。


「藤原? 都の方の貴族じゃないか。それが不死? 七一、何でこんなの連れてるんだ?」

「色々あるのですよー。ま、後で話しますから取り敢えず神奈サマに会いに行きましょ」

「ん、そだね。神奈子も喜ぶよきっと」


 言って、くるりと身を翻し神社の方へ戻ってゆく。俺達もその後をついて行く。


「…………なあ、七一」


 後ろから、妹紅がこそこそと話し掛けてきた。


「何だ?」

「……あれ、本当に神様なのか? 何か軽いと言うか、威厳が無いんだが……」

「……まあなあ。俺も初めて見た時は神だと気付かんかった。なんせ見た目がアレだからな」


 ちらりと前を行く諏訪サマを見る。幼女。


「……まあ、もう一柱の方は結構威厳も有るから。そっち期待しな」

「…………ふうん」


 もう一柱―――神奈サマ。彼女は初対面に対して大体威厳たっぷりな態度をとる。きっと神らしい姿を見せてくれるに違いない。

 ま、俺の時のような、うっかり寝てましたなんて失敗は無かろう。


 ……何、フラグ? 何の事だ。




◇◆◇◆◇




ガラリ。


「……すかー」

「……ちょっと待ってな」


ピシャン。


ごすん。


ワーワーギャーギャー。


「……なあ七一、威厳ってなんだっけ」

「……俺に聞くな」




◇◆◇◆◇




「よくぞ来たな不死の娘よ! 我はこの諏訪大社の祭神・八坂神奈子で痛い痛い」

「ホントもうやめようねそういうの。要らないから」


 神奈サマこと、八坂神奈子である。


 大仰に名乗りを上げる神奈サマと、そのこめかみを拳でぐりぐりする諏訪サマ。懐かしい掛け合いである。妹紅は呆れ返っているようだが。


「……何はともあれ、お久し振りです諏訪サマ神奈サマ。お二人とも全くお変わり無いようで」


 良い意味でも悪い意味でも。


「うむ、久し振りだねえ七一。一体いつ振りだい?」

「んー。八雲のと遭遇するちょっと前に部屋借りる相談したのが最後だから……ざっと二百年になりますかね」

「……やくも? 八雲って、八雲紫?」

「おや。知ってますか」

「人間と妖怪の共存を目指してるとか言う変な妖怪だろ。 ……そういやさっき大妖怪に追われてるとか言ってたね。そいつの事なのか」


 察しの良い幼女……もとい神様である。


「まーまー。そういう話はその辺にして」


 と、神奈サマ。その両手にはいつの間にか酒瓶が。オウ、シット。相変わらず酒にいい思い出はない。


「どうせ泊まっていくんだろ? なら」


 言って、酒瓶を持った手を高く掲げ、揺れた酒がちゃぷんと音を立てる。


「再会を祝って飲もう! 吐くまで!」

「……やれやれ」


 諏訪サマが呆れたように首を振る。


「ま、いいか。話は飲みながらでも出来るしね」

「……言うだけ無駄でしょうが。飲み過ぎんで下せいな」

「あっはっは。善処しよう」


 ……ま、本当に無駄だろう。吐くまでとか言っちゃってるし。


 やれやれ。




◇◆◇◆◇




「はぁん……それで不死になって、七一と旅してる、と」

「かぐや姫のねえ……噂は聞いてたが。そんな薬本当に飲んだ奴が居たとはね」


 酒を飲みつつ旅の話。初対面の時と違って、今の俺は酒を嗜む。悪酔いする程飲まなければ、酒はむしろ体に良いのだ。何てったって百薬の長。


「ほら妹紅、お前さんも飲めよ」


 杯を前に何だか微妙な顔をしている妹紅に言う。

 別に酒が飲めない訳ではない。例え見た目が子供でも、五十年生きれば普通飲む。


「……いや……だってこれ、御神酒じゃあ……」

「気にすんな。俺も七百年前に通った道だ」


 今は遠慮無しに飲むが。神が良いと言ってんのだから良いのだ。とうの昔に吹っ切れた。


「……はあ。まあいっか。んぐっ……」

「おおー、良い飲みっぷり」

「やんややんや」


 何か諦めたような表情で一気に杯を干す妹紅を、無意味に囃し立てる神様方。こいつらもう酔ってやがる。


「ほれほれ、もっと飲みなー」

「あ、有難うございます……んぐっ」

「イッキ! イッキ!」


 イッキ、ダメゼッタイ。急性アルコール中毒で死んだらどうする。死なないけど。


「あんまり飲ませ過ぎないで下せいよー? 不死人とは言え二日酔いにはなるんですから」


 どんどん赤くなっていく妹紅と、面白がって酒を飲ませ続ける神二柱を横目で見つつ、あぐらをかいて一人ゆったりと杯を傾ける。


 ……ううん。諏訪大社で最初からゆっくり酒が飲めるのは今日が初めてかもしれない。

 平和には犠牲が付き物。漫画や映画なんかで敵方がよく使う台詞だが……成る程、こういう事であったか。


 ……え、違う?




◇◆◇◆◇




「それで七一は言ったんだ! 『人外の世界へようこそ』!! 凄くかっこよくて私は! 私はっ!」

「ぶあははははは!? カッコつけ過ぎだこの鼬!!」

「ひはははは!! 馬鹿だ! 馬鹿だコイツ!!」

「…………ナンテコッタイ」


 うぜえ酔っ払いが三人に増えた。……これが平和の代償か。世界って残酷。


「ほらほらぁ、何とか言ったらどうだいぃ? んん? こぉの色男ぉ!」

「無駄にカッコつけてんじゃねえよォ鼬の癖にィ! ぎゃはは!!」

「ええい離れろぉこの駄女神共ッ! くっつくな絡み付くな七一は私んだー!!」


 あぐらをかき座り込む俺。神奈サマは背後から絡み付いてくるし。諏訪サマは主に尻尾に絡み付いてくるし。妹紅は妹紅でなんか壊れてるし。


「うわあああん七一大好きだあああ!! いつも馬鹿とか言ってごめんんん!!」


 何だこのデレ上戸。


 ここまで悪酔いする奴だったとは。今までは程々で止めさせていたから分からなかった。


「あっはっはっは! 告白だ告白だ!!」

「むぐ……うはぁ。久し振りの尻尾枕ァ……」


 騒ぎ立てる神奈サマは取り敢えず放置。親愛の情を示しているだけだろうに、何を大袈裟な。

 そして七本の尻尾を全て顕現して諏訪サマを埋もれさせ無力化。これで多少は静かになるだろう。


「うわあああん退けえええ! そこは私の特等席だあああ!!」

「んだとコラアアア! 返り討ちにしてやらあああ!!」


 と思ったら妹紅が物凄い勢いで尻尾に突撃。迎え撃つ諏訪サマと、豊かな尻尾の海の中でもみくちゃになる。痛い痛い。毛が抜ける。


「あははははは! なんか知らんがあたしも交ぜろー!!」


 さらに神奈サマ参戦。他二人と違って彼女のサイズは普通の成人女性だ。そんなのが尻尾に埋まり暴れるちっこい二人の上にダイブしたものだから―――


「むぎゅう」

「うぎゃう」

「あっはっはっは!」


 撃沈。勝者ウィナー八坂神奈子。


「はっはっは……すかー」


 そして寝る。俺の尻尾には催眠効果が有るようだ。


「ふう……やっと静かになったか」


 一息つき、熾烈な争いの末に帰ってきた平和を満喫する。俺は何もしてないが。


 ま、こんな大騒ぎも毎度の事、とうの昔に慣れてしまった。飲んで騒いで寝る。騒ぐのも寝るのも俺以外だが。

 今回は、久し振りだったからか二柱共はしゃいでいたようだったし、いつもより一人多かった。実に疲れた。


 背後の尻尾に三人分の重みを感じつつ、一人杯を口に運ぶ。


「…………それにしても」


 大好きだとか、ごめんだとか。


「……素面の時に、言ってくんないかなあ……」




◇◆◇◆◇




「へえ。母親に会いに行くんだ」

「はいな。里帰りですね」

「七一の親……一度会ってみたいねえ」


 翌日。二柱と別れの挨拶。妹紅が二日酔いでぐったりと死んでいたため、既に昼間である。


「さて……大丈夫か妹紅?」

「…………あんまり話し掛けないでくれ」


 未だ顔の青い妹紅。もう平気だと言うから発つ事にしたのだが……まだ少し休んだ方が良いのじゃなかろうか。


 ところで、妹紅は昨夜の事を全く覚えていなかった。ま、覚えていたとしたら間違いなく焼身自殺を謀っただろう。死なないが。


「そいじゃ、またね」

「今度は二百年も空けるんじゃないよ」

「善処します」


 と、そんな会話をして。


「行くかー、妹紅」

「…………おう」


 俺達は諏訪大社を後にしたのであった。




◇◆◇◆◇




「……で、七一」

「何だ?」

「何で私等、歩いてるんだ?」


 神社を出て十数分。俺達二人は山道をのんびり歩いていた。


「いいじゃんか、歩きも。歩くのは健康に良いらしいぞ」

「妖怪と不死人に健康も糞もあるか。『窓』で行った方がずっと楽だろ」

「……いやぁ、それがな」


 俺の能力は、対象を正確に定め思い描く必要が有る。目の届かない所の空間を切り開く『窓』ならば尚更、はっきりしたイメージが必須なのだ―――が。


「あまりに昔の事過ぎて……どんな所だったか、よく思い出せんのよ」

「はぁ?」


 妹紅が訝し気に首を傾げる。


「思い出せないって……育った所だろ? 親も居るんだろ?」

「うーむ。大分前だからなあ」

「一体いつから行ってないんだよ」

「えー……旅に出た時から?」

「一回も帰ってねえのかよっ!?」


 もう七百年になるのだなあ。びっくりだ。


「そんなに嫌な親なのか?」

「そんならお前さんがいる時に行かないよ。別に厭だって訳じゃない」

「じゃあ何でだよ」

「……うぅむ。行く必要が無かったから、かね」

「何だそりゃ」


 呆れた顔をする妹紅。しかして他に言いようがない。あの餓鬼っぽくも強かな母君がそう簡単に死ぬとは思えないし、ぶっちゃけ面倒臭かったのだ。


「じゃあ何で行く事にしたんだ?」

「そうなあ……」


 山の中で人に見られる心配が無いため出したままにしている尻尾をくるりと軽く振り、顎をさすり答える。


「お前を紹介するため、かね」

「え」


 妹紅が固まる。


「しょ、紹介って、それはお前その、一体どういう」


 と思いきや、何やら下を向いたり顔を赤らめたり挙動不審になりだした。


「? まあ、五十年近くも一緒に旅して、家族―――妹みたいなモンだからねえ。会わせといても良いかと思ってな」

「………な、何だそういう事かよ………はあ」


 ホッとしたかと思ったら残念そうにする妹紅。何だコイツ。


「お……ほれ、見えたぞ。あの山だ」


 ふと目の前が開け、すっかり葉も落ちた冬の山々の景色が広がる。その中でちょこんと、緑を残す山。

 

「……どれだよ?」

「ちょっと葉っぱが残ってるトコが有るだろ。あの山だ」

「ちっちゃいな」

「周りがでかいんだよ。鼬一匹の縄張りとしちゃあ上等な方だ」

「ふうん」


 我が母君は冬が嫌いだった。寒いから。山に残る小さな緑は、母君のちょっとした冬への抵抗なのだ。妖術をもって無理に残しているらしい。


「……懐かしいなあ。さ、急ぐぞ」

「へいへい」

「返事はハイだ」

「はいはい」

「ハイは三回!」

「ハイハイハイ! って何言わすんだ」


 すぱん。頭を叩かれた。ナイスツッコミ。


 しかしまあベタなやり取りである。




◇◆◇◆◇




「さて……母君は何処かね」


 故郷の山に到着。

 よくは覚えていないのだが、何となく懐かしい気がする。


「さっきの葉っぱが残ってるトコに居るんじゃないのか?」

「んー。かもな」


 がさがさと道無き道を登ってゆく。いかんせん人の全く入らない獣道、人の姿では歩きにくいったらない。

 さて、そろそろ見えてくる筈―――


「…………あ」


 立ち止まる。


 青々と茂る木の下。小さな少女が、手鞠を突き上げて遊んでいる。

 赤茶けた髪、鼬の耳、菊の簪。赤い着物、緑の帯、ふわりと揺れる尾。


 少女が手鞠を取り落とし、口を尖らせて拾おうと屈み―――こちらに気付く。


 俺の顔を見て、驚いたように目を見開き口を開いて―――




「誰じゃ、お主は」

「何でやねえええええん!!!」


 スパアアアン!!


 ハリセンの突っ込み音ではない。俺の能力により手鞠が細切れに炸裂した音である。


「……おおっ! 七一ではないか」

「遅えよ」


 やっと気付いたらしく、母君がパッと顔を輝かす。


「いやー久し振りだの」

「いくら久し振りだからって、自分の餓鬼の顔忘れる親があるかよ……」

「あっはっは。人の姿の方はあまり見慣れておらなんだからの。すまんすまん」


 言って、からからと笑う。……全く、何も変わってないなこの人は。


「お……おい七一」

「ん? どした?」


 と、後ろから小声で話し掛けてくる妹紅。


「は、母親?」


 言って、指差す。


「ん。母親」


 答えて、指差す。


「う、嘘だ。何で母親のが小さいんだよ」

「人化姿だからな。うちの母君は脳みそが子供だから、見た目も子供になる」

「…………」


 脳みそが子供だとか言われて何とも言えない顔になる妹紅。しかし事実だ、仕方が無い。


「のう、七一。その小娘はなんじゃ?」


 こちらの会話は聞こえなかったか、母君が首を傾げて妹紅を指差す。


「妖怪ではなさそうじゃが……人間でもないの。かと言って神でもない」


 相変わらず勘()いい奴である。

「色々と事情があってな。旅の道連れだ」

「ほう」


 母君がきらりと目を光らす。


「嫁でも連れてきたか―――」

「ななななななっ」


 何故か俺ではなく、妹紅が激しく反応する。


「わわ、私と七一はっ、べ別にそんな関係じゃ」

「―――と思ったがちと餓鬼過ぎるの」

「手前にゃ言われたくねえよこの糞チビいいい!!」


 一瞬でぷっつんな妹紅の首根っこを掴んで止める。まあ今のはあんまりである。餓鬼っぽいとか、コイツにだけは言われたくない。


「おおう……躾がなっとらんぞ七一」

「犬猫じゃねえっての」


 がるるるとか言ってるけど。


「で、何しに来たのかの?」

「別に用はないな。顔見に来ただけだ」

「……私を紹介しに来たんじゃなかったのか」


 妹紅が落ち着いたらしい。ジト目でこっちを睨んでくるので、首を掴んだ手を離してやる。


「あーうん……ほれ妹紅、自己紹介」

「……はあ。藤原妹紅、不死人だ。訳あって七一の旅に同行している」

「いづなじゃ。まあ見ての通りの鼬だの」


 不死人はスルーか。別にいいが。


「うむうむ。自己紹介はすんだな。そいじゃ……」


 と。俺が言いかけた、その時。


 「―――見つけたわ」


 ぞわり、と背筋が粟立った。……この、声は。


 緑樹の下で空間が割れ、ぐぱぁと口を開く。中から歩み出てくる、女。


 境界の妖怪―――八雲紫。


「親の所を張っていれば、いつかは現れると思っていたわ………まさか二百年も待たされるとは思ってなかったけど」


 言って、ぱんっと扇子を開き艶然と笑む。


「……いやはや。お久し振りですね八雲サマ」


 取り敢えず、口を開く。黙っていても仕方あるまい。


「このしがない鼬を、まだ捜してらしたとは……。何処ぞにいつかの『楽園』を作ったとか、風の噂で聞きましたが?」

「『幻想郷』―――よ。まだまだ完成には程遠いの……手伝いが、必要なのよね」

「……そうですかい」

「お…………おい」


 妹紅が、漸うといった様子で口を開く。


「七一……あいつは、一体」

「いつか言ったろ。俺を追っ掛けてる大妖怪―――だ」

「じゃああいつが……八雲紫」


 ごくん、と妹紅が息を飲む。……母君は、先程から黙りこくっている。


「逃げようとしても無駄よ? この山は既に私の結界に覆われてるわ。逃げ場は、無い」

「……気付いてますよそんなこたぁ」

「あらそう」


 八雲はひらりと扇子を揺らす。


「なら分かっている筈よ。この二百年で貴方も強くなった……でも、まだ私には及ばない」


 ビッと扇子を振りこちらへ突き付け、勝ち誇った顔で言う。


「貴方にはもう、私の式神になる道しか残されていないわ」

「…………」


 ……仕方ない。


「……式の契約は、大人しく致しましょう。代わりに一つ、願いを」

「聞くだけ聞いてあげるわ」

「妹紅は、放っといてやってくれませんかね」

「え?」


 背後から、妹紅の驚く気配が伝わってくる。


「妹紅……そこの不死人ね。かぐや姫の蓬莱の薬を、盗み飲んだ」

「ええ。彼女は逃がしてやっても良いですね?」

「……別に良いわよ。ただし、契約が先」

「構いません」

「ちょ……ちょっと、七一!」


 妹紅が声を上げる。


「少し黙っておれ、妹紅」

「う……」


 さっきまでじっとしていた母君が、妹紅を抑える。……助かる。


「自分は式神の契約を大人しく受ける。貴女はこの先決して妹紅に手を出さない。いいですね」

「ええ。このお札に名前を書いて、身につけなさい。それで貴方に式が入るわ」

「お手軽ですね……」


 インスタント式神。


「……っと。これでいいですね?」


 筆で名前を書き入れ、ぺたりと服に当てる。お札は一瞬光を放ち、縫い付けられたかのように貼り付いた。


「……ふふ。契約完了ね」


 八雲が笑い、山を囲んでいた結界がふっと消える。


「……さて」


 くるりと、妹紅の方へ向き直る。


「そういう訳で、今日からお前さんは独り立ちだ。そろそろ丁度五十年だしな」

「う……何で、こんないきなり」

「人生なんてそんなモンだっての。…………ほら」


 すい、と『窓』を開く。


「都の近くに通じてる」

「な……七一」


 妹紅が、何か決したような表情で口を開く。


「わ。私は、七一が」

「そこまでだ」


 何か言おうとする妹紅の口を、人差し指を当てて塞ぐ。


「それ以上は―――お前さんがもっといい女になってから」

「な―――」


 目を見開く妹紅を、とんっと押す。


「じゃあな、妹紅。縁があったらまた会おう」


 『窓』が、妹紅を飲み込んで閉じた。


「……さてっと」


 くるんと振り返る。


「……気障ねえ」


 八雲が呆れた目でこちらを見ている。


「あっはっは。どうせ別れるんなら、なるべく格好良く。いいじゃあらんせんか」

「……いいけどね。それにしても」


 八雲が首を傾げる。


「どうして貴方、あんな訳の分からない条件を出したのかしら? 別に私は、不死人なんかに興味無いのに」

「知ってますよんなこたぁ」


 くるりと尾を振りつつ、言う。


「あの娘には独り立ちさせたかったんでさ。 ……それに」


 にぃ、と小さく笑う。


「自分がこれからやる事を考えれば、さっきの約束は必須なんですよ」

「……? 何を……」


 俺は答えず益々にやりと笑みを深め―――

 能力発動。

 式神契約を切断した(ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ)


「……え?」


 はらりとお札が剥がれ、八雲が目を見開く。


「そいじゃあ八雲の! 妹紅独り立ちの為の敵役、有難うよ! もう会いたかないがまた会おう!! わはははは!!」


 唖然呆然とする八雲を尻目に、するりと開いた『窓』へ飛び込んで。


 八切七一は、八雲紫から、再度逃げおおせた。




◇◆◇◆◇




「……え? え、何なのどういう事?」


 八雲紫は酷く混乱していた。

 逃げられた。その事実が、すんなりと頭に入らない。


「わはは。ざまぁないのう大妖怪」


 後ろから、声。

 振り返ると、そこには一人の少女。鼬。標的の母親。


「い……一体どういう事なの」

「なんじゃ、まだ分かっとらんのか」


 鼬の母は、その息子と似たような挙動でくるりと尻尾を振る。


「要するに。お主は利用されたのじゃ」

「利用? 何に」

「七一が言っとったろうが。あの小娘の独り立ちのために、じゃ」


 鼬は、懐から手鞠を取り出した。ぽんぽんと跳ね上げ、遊びながら続ける。


「あれ程頭の回る奴が、お主がここを張っとる事を思い当たらんとでも思ったのかの?」

「……」

「あいつは、気付いた上でここに来た。そしてお主をおびき出し利用した」

「……な」


 ぽんぽんと手鞠を上げ続ける鼬に、問い掛ける。


「何で、そんな。独り立ちなんて、普通に突き放せば」

「それこそ、さっき言っておったじゃろ」


 ぽんぽん。


「『どうせ別れるんなら、なるべく格好良く』。そういう事じゃ」


 ぽんぽん。


「……そ。そんな事の為に、この私を……!」

「そう頭に血を上げるな。別にそれだけと言う事はなかろう。式神契約は無駄だと知らせる為、と言うのも有ろうよ」


 ぽんぽん。


「のう、大妖怪。あいつを捕まえるなど、諦めろ。本気で隠れるあいつを、捕らえる事など出来んわ」

「……彼自身は捕まらなくとも。あの不死人を」


 ぽんぽん。


「おや。大妖怪ともあろうモノが、約束を破るのかの」

「あ―――あれは。反古よ。彼は約束を破った。式神契約をしなかった」

「したじゃろう。あいつが一度契約を受けた以上、お主はあの小娘に手はだせん」


 ぽんぽん。


「な―――なら」


 ぽんぽん。


「なら貴女を」


 ぽんぽん。


「儂を捕らえるか? 無理じゃの」

「やってみなければ―――」


 ぽんぽん。


「分からない? いいや無理じゃ。七一に逃げ方を教えたのは、この儂じゃぞ?」


 ぽんぽん。


「こちらを狙うやも知れぬ大妖怪の真ん前に……いつまでも居ると思うてか」


 ぽんぽん。どろり。


 鼬がどろどろと溶け出す。


「あ―――貴女」


 ぽんぽん。ぽんぽん。


「長く住み着いた山じゃが……息子の為ぞ、仕方あるまい。離れるとしよう」


 ぽんぽん。ぽんぽん。ぽんぽん。


「私に―――幻術を……!?」


 わはは。ぽんぽん。わはははは。


 煩い鞠の音と、耳障りな笑い声。


 視界がぐるりと歪み、強烈な不快感に目を閉じ。


 次に開いた時に目に入ったのは。

 ただ落ちている細切れの手鞠と、与えられる妖力を失って早くも散り始めた緑樹ばかり。


「―――ば」


 思わず、呟く一言。


「化かされた………」

 


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