其之五、鼬月の姫と出会う事
かぐや姫。
日本で育ったなら知らない者はまず居ない、桃太郎や浦島太郎に並ぶ有名な昔話。
その大元は、平安時代初期・西暦九百年前後に書かれたとされる作者未詳の小説・竹取物語である。彼の『源氏物語』においては「物語の出で来はじめの祖」と評された、日本最古の物語文学―――なのだ。物語に登場する五人の公達。彼等は皆実在の人物であり、そこからこの物語は、奈良時代初期が背景であると考えられている―――。
……ま、竹取物語について語るのはこの辺にしておこう。
この話は、俺こと鼬がかぐや姫と出会い、彼女の物語に程々に関わった―――ただそれだけの、話である。
◇◆◇◆◇
かぐや姫。
俺がその噂を耳にしたのは、あの八雲との不幸な遭遇からさらに百五十年程たった頃の事である。
―――この百五十年、俺は少々不自由な旅を続けていた。
一度振り切った八雲は俺の事を諦めてはくれなかったらしく、ずっと俺を捜し続けていた。そのため俺は、旅をしている間はずっと目立たない鼬の姿で、さらに能力によって気配や妖気を断って移動していたのだ。そのお陰で八雲に捕まる事は無かったものの、常時能力を使い続けるというのは中々に疲れるのである。これも鍛練と割り切ったのだが。
そういえば、尾が増えた。
現在七本。ほぼ百年に一本のペースでポコポコ生えてくる。懐かしき我が母君・いづなは、五百年生きて尾が三本だった。どう考えても早過ぎである。さてこれは俺に溢れんばかりの才能が有るからなのか、それともちょくちょく神社に入り込んでは神力に触れているのが何等かの影響を及ぼしているのか。
ま、考えたって分かりゃしないのだが。
他にこの百五十年間にあった主な出来事。
六世紀中頃の仏教伝来。産土神等は肩身が多少狭くなったりもしていたようだ。だが神道のみならず仏教にも、むしろ日本中全ての宗教、どころか外国のものにも多少の探究心と興味を抱いている俺にはさほど関係の無い話である。
話に戻ろう。
かぐや姫の噂を聞いたのは、八世紀の初期辺りに奈良の都を見に行った時の事だ。710美し平城京、である。人の姿になって都をうろつき、適当に目についた人間や小妖怪に何か面白いことを知らないか、と聞き回っていて、とある人間からその話を聞いたのだ。
曰く、名をかぐやという、この世の者とは思えぬほど美しい女性がいる、と。
時代は奈良の初期、名前がかぐやで美人さんと来ればこれはもうかぐや姫としか思えない。詳しく聞くと、竹取の翁という人物の屋敷に居るという。
間違いなく、竹取物語である。
と、いう訳で。
あの高名な美貌を一目見るべく、俺は翁の屋敷へと向かったのであった。
◇◆◇◆◇
「こちらスネーク、翁の屋敷に侵入成功した……」
と。特に意味も無く、益体も無いことを呟きながら。俺は鼬の姿で、屋敷の庭の藪の中に潜んでいた。ちなみに時刻は夜。現代と違って、昔の夜は真っ暗である。有るのは月明かりのみ。
「さてさて。かぐや姫は何処かね、っと」
屋敷を伺いながら庭を移動する。しっかしでかい屋敷だ。竹長者。竹成金。何となく、大昔に読んだエッセイだか創作だか分からん本を思い出す。
「お」
一つ、障子の開いている部屋がある。縁側には誰か座っている。もしやアレか、と足を速め正面の藪に移り顔を目にし―――
「………………ほぉ」
―――思わず、息を漏らす。成る程……これは。
美しい。それ以外に形容する言葉はない。容姿端麗、明眸皓歯。絶世の、という言葉はこういう人の為に有るのだろう。幾人もの男達が挑んでは玉砕していったのも、分かろうというもの。
「んー……これはいい目の保養」
等と呟いていると、かぐや姫が顔を上げ、月を眺めはじめた。そうか、これはかぐや姫が月を見て涙を流すシーンか……と目を凝らし―――
「……ちッ」
「まさかの舌打ちーッ!?」
あろう事か。月を眺めていたかぐや姫は、その美貌を憎々し気に歪めて、吐き捨てるように舌打ちしたのである。
ねーよ。それはねーよ。あまりの驚愕に思わず大声を上げてしまった。
「ッ! 誰!」
当然気付かれた。仕方あるまい、と藪の中から姿を現す。
「……へ?」
藪の中から現れた鼬を見ておかしな顔をするかぐや姫に声を掛ける。
「決して怪しいモノじゃござんせん、しがない普通の鼬であります―――」
「いや普通の鼬は喋らないから」
ごもっとも。
「お前さんは、かぐや姫だよね」
「……さあね」
「何! 嫗だと言うのか!?」
「んな訳無いでしょうが」
そりゃそうだ。
◇◆◇◆◇
「ふぅん。鼬の妖獣、ね」
「うむ」
さて、何やかんやでどうした訳か。
俺は今、かぐや姫の膝に抱かれている。
「何で貴方あんなとこに居たの?」
「いやあ。巷で噂のお前さんの美貌、是非とも一目見てみたくてね」
「あら。で、どうだった?」
「噂に違わぬ美人さんだ。ま、男がわやわや群がるのも分からあな」
「ふふん。当然ね」
こうも近くで見ると思いの外若く、美女と言うよりは美少女であるが。
それにしてもこのかぐや姫、自信過剰である。
「時に、一つ聞いていいかな?」
「何かしら」
「先程月を見て舌打ちしていたが。何かあったのかいね?」
「……別に。月は嫌いなのよ」
ほんの少し唇を尖らせ、彼女は実に詰まらなそうにそう言った。
「ほう。月に帰るのはそんなに嫌かな」
「当たり前よ。あんなとこ……って!」
かぐや姫が目を見開き、膝の上の俺を見遣る。
「貴方、何でその事を……!?」
「んふー。さて何故でしょ」
ぺしん。頭を叩かれた。痛い。
「痛いなあ」
「吐きなさい。貴方、何者?」
「言ったろ。しがない普通の鼬、だ」
「…………」
かぐや姫、しばし無言。
「……はあ。良いわもう」
「うむうむ。気にせぬが良かろ」
「たまに無駄に偉そうね、貴方」
「そりゃま。七百年も生きれば、誰でも多少はこうなるぞ小娘」
「あら、誰が小娘よ。私の方がもっと長く生きてるわ」
「えー。マジで」
衝撃の事実発覚。かぐや姫は年増だった。
「私は、不老不死なのよ」
「へえ。月の人は皆そうなのか?」
「月人は長生きなだけ。殺せば死ぬし、老いでも死ぬ」
「ふむ。じゃぁお前さんは何で……ああ。蓬莱の薬か」
「……だから、何で知ってるのよ」
また、膝上の俺を見る。今度は困ったような顔。
「んふー。何故でしょ」
「……ムカツク」
ぺしん。
「痛いってば」
「うるさい。……ともかく私は不老不死で、月じゃソレは大罪なの」
「成る程。だから地球に島流し……もとい星流しという訳か」
竹取物語では語られなかった、かぐや姫の罪。よもや知る事になろうとは。
「月の都ってなどんなとこなんだ?」
「地球とは比べ物にならないくらい技術の発達した巨大都市よ」
「おおー」
更に衝撃の事実。月の都は未来都市。
「しかしまあ。月の事とかそんなに色々聞いちまって良いのか?」
「さあ。もしかしたら、月の奴らに『お前は知り過ぎてしまった』とか言われて殺されちゃうかもね」
「うおーい」
それはヤバイじゃあないか。当然逃げるが。
「ま、どちらにしろ私には関係ない話ね。どうせ今月には月に連れ戻されるんだから」
「うん? 何だ、今年なのか」
今月は八月。竹取物語でかぐや姫が月へ昇天するのは十五夜となっている。
月が未来都市と言うなら、空飛ぶ車も機械仕掛けなのだろう。面白いと言や面白い。詰まらんと言や詰まらん。
「ま、俺にしてやれる事は無えやなあ。せめて見送りくらいかね」
「別に期待なんてしてないわ」
「そおかい」
かぐや姫は、またしばらく無言で月を見上げる。膝に乗った俺も顔を上げて、遥か遠く、地球の衛星を眺めそこに住む人達に思いを馳せる。
「……そろそろ寝るわ」
「おっとと」
言って、すっと立ち上がる。膝上の俺は当然転がり落ち、華麗に庭に着地。ウルトラC! ……まあ、死語である。
「お休みだ、月の姫よ。もう出会う事は無いだろう」
「……何カッコつけてんの、全然カッコよくないわよ。……お休み」
と、かぐや姫はそう言って、部屋に入って障子を閉じた。俺はそれを見届けてからしばらくそこに立ち尽くし、また月を見上げ、月を厭う月の姫を思い。
「……遣る瀬無えなあ」
と。ただ一人、呟いた。
◇◆◇◆◇
八月某日、Xデー……もとい十五夜。
竹取の翁の屋敷には、帝が派遣した二千名近くの兵士達が群がっていた。
「まあ、全員無駄なんだよなぁ」
俺が居るのは、翁の屋敷からしばらく離れた山の中。人の姿になって屋敷を眺める。屋敷一帯がほぼ一望できる絶好のロケーションである。
「さて、月の迎えはまだかね……」
そろそろ子の刻……午前零時。竹取物語ではそろそろだった筈―――
「……来たか」
―――辺り一帯が凄まじい光に包まれる。酷く人工的な、やけに不快な光。同時に、空から雲に乗った人間達と飛ぶ車が降りて来た。
屋根や塀の上の兵士達は、皆力が抜けて倒れ伏していく。一人二人の気丈な者が辛うじて弓を引くが、放たれた矢は明後日の方向へ飛んでゆく。
月人の一人が、竹取の翁と何やらやり取りしている。……月人は翁の訴えを無視し、屋敷の中のかぐや姫へと呼び掛ける。途端、堅く閉じられていた屋敷の戸がことごとく開き、かぐや姫が嫗と共に歩み出た。
かぐや姫は翁と嫗に別れを告げ、不死の薬を預け―――天の羽衣を着せられて、車の中に入って行った。
「…………はぁ」
そこまで見届けて、やっと一つ息をつく。終わりだ。彼女を見る事は、もう無い。
月人達と車が屋敷から離れてゆく。
立ち上がり、地上を追う。せめて見えなくなるまでは―――
「……ん?」
……様子がおかしい。かぐや姫の乗った車が、何やら揺れている。周りの月人達が騒めき、ただならぬ事態をこちらにも伝えている。
「うわ……落ちた!?」
激しく揺れていた車が、周囲の月人を跳ね飛ばしながら地上へと落ちて来る。
突然の事に驚きつつも、俺は墜落地点を目算し走り出した。
◇◆◇◆◇
「…………」
墜落地点。もうもうと煙が立ち込めている。やはりあの車、機械仕掛けだったらしい。
「おいおい……大丈夫なのかよかぐや姫……って、不死なのかあいつ」
と。呟いたその時。
背後から、喉を鋭い刃物に掻っ切られた。
「ッが……!?」
走る痛みに驚き素早く振り向く。―――そこに居たのは、一人の女。全身赤と青の服に身を包んでおり、手には小さなナイフ。
「……ぐ……月人か、手前」
「あら……貴方、月人じゃないの」
同時に、全く正反対の質問―――いや、確認。
「……間違えたみたいね……ま、御免なさいね。怨むなら、こんな所に来てしまった我が身を怨んで頂戴」
と、女はそう言い、斬られた喉を押さえてうずくまる俺に背を向け―――
「ぐぅッ!?」
―――背後から飛んで来た俺の投げた小刀を、背中に受けて倒れ伏した。
「……貴方……何故生きて……ッ!?」
女が身を起こしてこちらを睨み……そして気付いた。自身の持つナイフに、全く血が付いていないことに。
「はん。刃物が俺に効くかよ」
『切断』を操る俺に斬撃は効かない。……痛かったのはホントである。喉に物を押し付けられるってのは、当たり前だがそれだけでかなり痛い。
「さあ、一体何があった。何故車が落ちた。かぐや姫は何処に―――」
「永琳っ!!」
と、その時。木陰から少女が走り出て来る。
「姫様! 出てきては……っ!」
「永琳は黙ってて!」
かぐや姫である。永琳と呼ばれた女に走り寄り、背中の小刀を抜きとってこちらへ向け立ちはだかる。
「永琳に、近寄らないで」
「……え? 何この状況?」
俺ポカーン。
「……ちょっと待て。これはもしや何か大きな誤解が」
「来るなっ!」
歩み寄ろうとするが、小刀を真っ直ぐこちらに向けるかぐや姫に断念する。斬撃は効かずとも、刺突は効くのだ。真っ直ぐだと刺さる。
「いやいや! 俺俺、俺だ! 俺だってば!」
「何訳分かんない事言ってんのよ!」
ふと気付く。俺今人の姿じゃん。
急ぎ鼬の姿に戻る。
「っと……これで分かるか」
「……え? 貴方、こないだの鼬」
「そーそー。言った通り、見送りに来たんだがな。車が墜落したんで来てみたら、いきなり後ろからざっくりと」
また人化して状況説明。まあ、別にざっくりとは逝ってないが。
「ひ……姫様、知り合いなんですか?」
先程の赤青の女性、永琳が立ち上がる。どうやら彼女、かぐや姫の味方らしい。
「え、えーと知り合いというか何と言うか」
「敵では―――ないんですね?」
「う、うん」
「そう……ですか」
永琳がこちらを向いて、言う。
「……先程は御免なさいね。姫様の知り合いとは」
「……む。気にすな。背中大丈夫なのか」
「いえ……私は不死なので」
「お前もか」
不死多いなあ。大罪じゃないのか。
「それより、今は……」
永琳が言いかけ―――その頭が、吹っ飛んで消えた。
「……は?」
振り返る。銃のような物を構えた月人達が並んでいる。撃ったのだ。彼女の頭を。何の躊躇いも無く。
「え……永琳!」
かぐや姫が我に返って、崩れ落ちた永琳の身体に縋り付く。今度はその頭に、銃の照準が合わせられ―――
「っ……結べッ!!」
能力発動。俺達三人を囲むように、結界が張られる。周囲からの影響を断つ遮断結界。恐らくは『結』の字を含んでいるために、結界の類も俺の能力の範囲内なのだ。
ガァン、と凄まじい音が鳴り響き、結界が揺れる―――が、壊れない。
「かぐや姫! 何だか知らんが、あいつらから逃げるんだな!?」
「そ、そうだけど……永琳が」
「ええい、不死なんだろうが。そこまで損傷したら治らないのか?」
「ちょっと、時間掛かるけど……」
「何分だ」
「五分くらい……」
「よし」
月人達の様子を伺う。銃をこちらへ向けて構えている。まだ撃つつもりらしい。
「五分なら保つ。そいつが治ったら逃げろ。時間稼ぎはしてやる」
「な」
かぐや姫が目を見開く。
「無茶よ! 月の武器は……キャ!」
ガガァン、と。また結界が大揺れする。
「良いから逃げろというのに。やばくなったら逃げる、これ鉄則」
「それは貴方もでしょうが!」
「俺は後で良いの。逃げ足は物凄く速いから」
「だから……ひゃ」
ガガガガガガガガ。連射である。結界が少しずつ歪んできた。
「……う」
「永琳!」
永琳の意識が戻る。……つかマジで治った。丸っ切り吹っ飛んでいたのに。
「起きたな。結界が消えたら走れ」
「だから、ただの鼬一匹なんかがあいつらと戦える訳……」
「五月蝿いな」
流石に、しつこい。
ずるり、と。
断っていた妖気を解放し、隠していた七本の尾を全て顕現させる。本気モード、である。
「……っ」
先程までと全く違う強烈な威圧感に、かぐや姫が黙り込む。目を覚ましたばかりの永琳も、息を呑んでいる。
「一応名前を教えておこう。八切七一、だ」
「あ……貴方」
「結界を消す。最後に何か、言っときたい事はあるか?」
「え……と。あ、有難う」
「そりゃまだ早いわ」
にぃと笑って。
「礼を言うのは、生き残ってからだろ」
遮断結界を、消す。
「さあ走れ!」
後ろの二人に叫びつつ、『チョキ』を月人共の方へ向け。
ちょきん。
銃を構えていた腕が切断され、銃と共に地面へ落ちる。驚愕と苦悶の声が上がるが―――知った事ではない。
後ろの方に居た幾人かが手に小さな黒いモノを持ちピンのような物を抜く。
手榴弾、的なモノ。
そう理解して、俺はニヤリと笑う。能力発動。爆弾を皆、それを持つ手と結び付ける。月人達は知らず投げようとするが……当然手から離れず、狼狽の表情を見せ、
爆発。
流石月製品。凄まじい威力である。今ので月人達の半分以上が吹っ飛ばされた。
「……はん」
鼻で笑う。
「何だ―――弱いじゃないか、お前ら」
◇◆◇◆◇
「あー。疲れた」
屍々累々、と言うのはこういう状況を言うのだろう。
爆死失血死ショック死、etc、etc。様々な死因の月人の死骸が山のよう。
「…………ん」
ふと。人を殺しても、死骸を見ても、自分が何とも思っていないことに気付く。
「んあー。矢ッ張り、俺は―――」
遥か空の美しい満月を見上げつつ、何となく悲しみを覚えながら、一人呟く。
「―――もう、人間じゃぁねーんだな」
……まあ。あの二人は助かったのだから。その点のみを良しとして―――
―――俺の全開の妖気を嗅ぎ付けてさっきから近づいて来ている八雲から、さっさと逃げるとしよう。