其之二十五、鼬天狗を巻き込み自宅清掃を行う事
朝方の冷たい空気の中、ちちち、と雀が鳴いた。
妖怪の山の麓、生い茂る木々の間。深い森の中で不自然に唐突に、塀に囲まれた大きな屋敷が存在していた。門の隣に打ち付けられた板には、下手な毛筆で『栖由邸』と真新しい文字が書かれている。
塀の内側、広々とした庭で、また雀が鳴いた。鳴いたかと思うと、何かに追い立てられたかの様に一斉に飛び立ってゆく。
直後、雀の居なくなった庭で、ずるりと空が裂けた。黒々とした奇怪な空間が覗き、其処から足を踏み出す女性が一人。
「……ふん」
女性は庭に降り立つと、ぐるりと辺りを見渡し小さく鼻を鳴らす。彼女の名は、八雲紫。境界の妖怪であった。
「随分とまた、立派な家を持ち込んだ物ね」
目の前の屋敷を見上げ、そう呟く。その声色には、苦々しげな物が薄らと滲んでいる。
「こんな古い家、無理に結界を越えさせて……悪影響でもあったらどうするつもりなのかしら」
古い物には念が籠もる。人が住む家ともなれば尚更だ。幻想郷の内へ移すとなれば、それなりの慎重さが必要になるだろうに、単なる入れ替えの転移結界とは全く。
まああの鼬が、そんな失敗を犯すとは思えないのだが。どうせ対策は成されているに相違ない。
「……そこがまた腹立たしいのだけれど」
呟き、頭を切り替えて屋敷の方へと歩いてゆく。
―――自分の様な大妖怪が訪れているのに、彼が気付いていないとは考え難い。昨夜地底から戻ったと聞いているし、気配は感じるから留守だと言う事もない筈だ。出て来ないのは、さて何故だろうか。
裏手の方に回る。濁り水が溜まった空っぽの池、伸び放題の雑草。長らく手入れのされていなかった空き家をそのまま持って来たのだろう。
庭から建物に目を移す。縁側の障子は開け放たれていた。そして、室内からにゅっと突き出す二本の足。
「……」
歩み寄ると、案の定。あの鼬が眠っていた。自分の尾を三本、布団と枕代わりにして小さく寝息を立てている。自分がこれ程近くに居ても目覚めないのは、余程熟睡しているのか。
「……無防備ねえ」
普段の腹立たしさに似合わず、案外無邪気なその寝顔に、些か呆れて思わず呟いた。と、彼の耳はその小さな呟きを捉えたらしい。ぴくんと鼬耳を震わせると、もぞもぞと身体を動かし。
「ふむぬぐ」
◇◆◇◆◇
「ふむぬぐ」
誰かの声が聞こえた気がして、俺は不明瞭かつ意味不明な言葉と共にもそりと身を起こした。ぼやけた目を擦って一ツ欠伸をし、呆と天井を眺める。
……見慣れぬ天井である。はて此処は何処であったか―――。
「……んが」
また一ツ、大欠伸。寝起きの脳がやっと働き始める。此処は新しい俺の家だ。
さて地底に二泊して帰って来た俺であったが、地上に降り立って愕然とした。朝に帰ったつもりだったのに、夜だったのである。
まあこれが単純なミスで、デジタル時計なぞある筈のないこの時代、時間を見ていたのが西洋のアナログな時計だった物だから、午前午後を取り違えていたのだ。太陽の無い地底だから、そして一度泥酔のままに眠ったから起こった事であろう。
一瞬慌てた俺であったが、特に問題がある訳でなし。むしろ地底で色々あって疲れたしいっそ寝てしまおうと結論し、床作りも早々に尻尾に包まり眠りについたのであった。
と其処まで思い出し、俺はうんうんと一人頷く。
「……目は覚めたかしら」
「ん?」
どうやら一人ではなかったらしい。
天井から目線を下げると、呆れ顔で庭に突っ立っている女性が居る。
「おぉ……紫じゃねえの。お早う」
「ええお早う」
境界の妖怪にして妖怪の賢者様にして我が旧敵、八雲紫である。まあ朝の挨拶をしに来た訳ではあるまい。いきなり天魔に会いに行った事への苦言か、家を持って来た事への苦言か、地底へ行った事への苦言か。
何方にせよ、耳に快い言葉は聞けそうにないが。
「取り敢えず御免なさい」
「は? 何がよ」
「いや、思い返せば来て早々好き放題してるなあと」
「……反省して言ってるなら良いんだけどね」
反省なぞしていない事がばれている。はてどうした事だろう。
「いや、心から反省しているぞ俺は」
「ならしばらく大人しくしていてくれるかしら。具体的にはこの屋敷に引き篭って」
「聞こえないからもっ回言ってくれなくて良いぞ」
「……あっそ」
額に手を当て左右に首を振る紫。ストレス多そうである。
「まあ、何だ。もうあんまりはっちゃけた事ぁしないからさ。なるべく」
「なるべく、ね」
「うんなるべく」
つまり必要に応じてははっちゃけるのである。そんな俺の思いを知ってか知らずか、紫は頭が痛そうな顔をしている。知らずの可能性は無いかも知れない。
「ところで、藍は? 連れて来てねえのかい?」
「まだ結界管理のお仕事中よ。誰かさんが結界を越えた時の影響が無いか調べさせているの」
「へー」
その誰かさんが誰なのかは、触れぬが賢明であろうか。
「で、何の用かな紫。小言は聞こえないぞ」
「言っても無駄な小言なんて、端から言うつもりはないわよ」
「そりゃぁ良かった」
処置無し、と言った風に肩を竦め、紫は此方に歩いて来て縁側に腰を下ろした。
「この幻想郷の、最低限のルールを教えに来たのよ。貴方がうろうろし過ぎで中々時間が取れなかったけれど」
「ふうん。その話、やっぱ長くなる?」
「当然」
「成る程。んじゃ」
俺は立ち上がると、二本の尻尾を仕舞った。三度目の欠伸と共に大きく伸びをする。
「くぁあ……。朝飯食いながらで、良いかな?」
◇◆◇◆◇
「―――人里の中では人間を襲えない。だからと言って外でなら良い訳でもないわ。余りやり過ぎる様なら博麗の巫女が行く事になる」
「むぐ……博麗の巫女ってな、結局何なんだ?」
「結界の維持と守護、神社の神事全般が仕事……なんだけれどね。賽銭が期待できないから、って妖怪退治なんかもやってるのよ」
「ふうん……ずず」
紫の説明を聞きながら、もそもそと朝食を食べる。飯に味噌汁に漬物と、何の工夫も変哲も無い質素な物である。
「確か貴方、人間を食らう事はないのよね?」
「ああ。驚かすくらいはするけどな」
人を食った様な奴だ、とは良く言われるが。
「なら良いわ。後は、そうね……余り喧嘩はしない事。この幻想郷は些か危ういバランスの上に成り立っている。その均衡を崩す様な事はしないで頂戴」
「気ぃつけるわ……御馳走様」
まあ普段から、喧嘩を吹っ掛けられれば余程の事が無いなら逃げる。徹底すれば問題あるまい。
……かちゃん、と箸を置く。ゆっくり食べていたのだが、話が長過ぎて食べ終わってしまった。
「さて……切りも良いし、こんな所かしらね」
「おや。終わりか」
丁度であったらしい。此方が食べる速さに合わせていてくれたのかも知れない。ともあれ、食器を『窓』に放り込む。
「貴方、今日はどうするつもり?」
「この屋敷の掃除して、倉に物入れて……まあ今日一日外にゃ出んな」
「そう」
紫は立ち上がると、すっと空間を裂いた。紫掛かった闇と幾つもの眼が覗く。相変わらず気色悪い。
「それじゃ、私は帰るわ」
「おいおい。手伝ってっちゃくれねえのかい」
「冗談。何で私が」
肩を竦めて短く拒絶し、紫は裂け目の中へと消えて行った。俺はやれやれと呟きつつ立ち上がり、開け放たれた障子から荒れた庭へと目を向け、がりがりと頭を掻く。
「さぁて……頑張ろォ」
気の抜けた声で気合いを入れるのであった。
◇◆◇◆◇
「……はー」
数時間後。
縁側でぐってりと寝そべり、握り飯をちまちま食べる。傍らには箒に雑巾、はたきや水を張った桶と言った掃除道具が転がっている。
「終わんねぇ……」
の、である。
屋敷の掃除が、半日使ってまだ半分も進んでいない。
何せ長らく放置されていた屋敷である。あちこちに溜まった埃、天井の蜘蛛の巣、水場の黴。ただでさえ広い家を、年末でもないのに大掃除だ。一々便利な我が能力だが、掃除には雑巾程にも役立ちはしない。
ならもっと小さい家にしておけば良かったのでは、と言う人もあるだろう。だが俺は旅の途中で見たこの屋敷を、古さと言い庭の広さと言い、一目で気に入ってしまったのである。男なら大きな屋敷に住みたいじゃないか―――と、そんな思いもあった。
そんな訳で選んだ我が家なのだから、文句を言う気はないのだが。
「式の一ツも作っときゃ良かったなあ……」
掃除が済んだ後も、木材が傷んでいる箇所があるし、畳は当然総入れ替えである。手伝いがあれば楽だろうなと、紫が少し羨ましくなる。
「今言っても仕方ないけどよォ」
式と言うのは水に弱い。水が掛かると素体に憑けた式が剥げてしまう。掃除には然程役立つまい。
藍レベルの物になれば水も平気なのだろうが、そんな強い妖怪を探すのもそれに憑ける式を作るのも、掃除より余程面倒だ。
「……うん。まあ、その内何とかしよう」
式神作りの研究はまた今度。それより今は大掃除である。そう気持ちを切り替え、握り飯を口に押し込んで茶で飲み下す。幸いにして自分は妖獣、気疲れはしたって身体の疲れは大して無い。
桶の濁った水を庭に捨て、何処ぞの川ろに繋げた『窓』に桶を突っ込んで水を汲む。一応庭に井戸はあるのだが、屋敷を移した際にただの穴になってしまっているのだ。
その内掘り直してみようか、等と考えながら桶の前にしゃがみ雑巾を絞る。水を汲むだけなら勿論『窓』の方が便利だが、其処はそれ、気分である。
「……うん?」
ふと、視線を感じた気がして顔を上げる。空に目を向けると、遥か頭上を白い何かが飛んでいた。どうやら屋敷を中心に円を描く様に周回しているらしい。
「ふむ……」
立ち上がって大きく手を振ってみる。白いのは一瞬慌てた様に飛び方を乱し、空に静止した。此方からは殆ど点にしか見えないのだが、あちらからは中々良く見えている様だ。
そのまましばらく見上げていると、また周回飛行に戻ってしまった。手招きしてみるが、今度は然程反応もしない。
「……ガン無視とは良い度胸」
に、と笑ってさっくり空を切り『窓』を開いて、ずいと顔を突っ込んだ。
「よっ」
「のわあぁっ!?」
にこやかに片手を上げる。眼前に突然現れた俺に、白いの―――改め犬走椛は大声を上げてのけ反った。
「お、お、おまっ……」
「そォんな驚かなくたって良いじゃねえよ」
「いきなり出て来るなッ!」
椛は息も荒く胸を押さえ、うがーと犬らしくも噛み付いてくる。相変わらず楽しい反応だなぁ等と更に怒られそうな事を考えながら、俺は『窓』の縁に肘をつきにやにやと笑う。
「で、人ん家の上をうろうろと、一体何用かな?」
「……貴様には関係ない」
「だから貴様じゃないってぇのに。八切さん或いは八切様とお呼びなさい」
俺の言葉に、椛は端的に思いの丈を伝えてきた。則ち、
「死ね」
非道い。
「まあ、良いさ。用があんなら降りて来な。茶ぐらいは出すぜ」
「要らん。結構だ。放っとけ」
「だが断る」
顔を顰めてぶんぶんと首を横に振る椛であるが、折角のお客様を逃がす積もりはない。椛の背後に『窓』を開き、尻尾でぐるりと搦め捕る。
「うわっ……!?」
「はいいらっしゃーい」
ごろんと縁側に転がされ、慌てて起き上がり周りを見渡し、椛はがっくりと肩を落とし深々と溜息をついた。そんなに遠慮するなよ。
「で、何でわざわざ降りて来て貰ったかと言うとだな、実は頼みがあるんだが」
「……掃除を手伝えと言うのは聞かんぞ」
「その頼みってのが、この家の掃除を手伝って欲しい訳だ」
「聞かんと言っている」
「えっ?」
「……だから手伝わんと」
「いや……えっ?」
「………………死ね」
椛は俯いて握り締めた拳を震わせている。ぼそりと何か呟いた気がしたがそれはきっと気の所為である。
「まあそう言うなって。さっきも言ったが茶ぐらいは出すし、菓子もあるぞ」
「む……、そんな物で誰が釣られるか」
「良いじゃあねえか。暇なんだろ?」
「……仕事中だ」
「どうせ俺の監視って所だろ。上に居ても下に居ても、一緒一緒」
「……」
笑いながら言う俺に、椛は苛立ちと不快感と僅かな諦念を含んだ実に複雑そうな表情をした。……感情の内訳は割と適当だが、そう外れてもいまい。
「……別に監視していた訳ではない。変わった事があったら知らせろと言われているだけだ」
椛はむすっとしてそう言い、ふんと鼻を鳴らして横を向く。だがその行為を一般的には監視だとか見張りだとか呼ぶのではなかろうか―――とは、まあわざわざ言わないが。
「そんならそれで良いじゃねえの。菓子もほら、終わったら好きなだけ持ってって良いからさ」
「むぅ……」
好きなだけ、に心が揺らいでいる様だ。まあ下っ端天狗の事、菓子の類い等そうそう食べる機会もあるまい。
「羊羹もあるし煎餅もある。饅頭、落雁、最中、飴……」
「うう」
「あぁ、何だったらお前さんの好きなの作っても良いぞ……どうだよ、悪い話じゃあなかろう?」
「……くっ」
怒涛の駄目押しに、椛は遂に屈する。悔しげな表情で牙を剥くと、俺の手から引ったくる様に雑巾を受け取った。
「今日一日、日が暮れるまでだ! それ以上は知らんからな!」
「十分。有難うよ」
全力で不機嫌を湛えた顔でそう言い放つと、椛はぷいと俺に背を向ける。ただ、その尻で、尾が左右にはたはたと揺れていた。
犬って可愛い。
◇◆◇◆◇
「……ほふぅ」
と。茶を一口啜り、椛が小さく吐息を漏らした。
現在未の刻八ツ時午後二時頃、掃除を中断しておやつの時間である。埃を払い雑巾掛けを済ませた縁側で、二人並んで茶を啜る。二人の間に置かれた盆の上には、大きな饅頭が数個積まれていた。
「どうだ……美味かろう……」
「そうだな……」
「だろう……」
「うん……」
春の穏やかな日差しを受け、温かい茶を啜り饅頭の甘さを堪能していると、頭の中までじんわりと温められ蕩けてゆく様である。互いに張りも棘も無い声の、ついでに意味も無い会話が、春の陽気に溶けていた。
「んむ」
椛が饅頭を頬張る。お菓子が嫌いな女子は居ませんとは誰が言ったか、見た目肉食系―――犬的な意味で―――な椛も甘味は好きであるらしい。
「……甘いな」
「甘いか……そうか……」
「そうであるやも知れん……」
「それは仕方が無いな……」
互いに脳がふやけきり、もはや脊髄反射で適当な言葉を発している様な状態。何だかボケ老人な夫婦か何かの様であった。
……と。そんな弛緩しきった時間を、突風が引き裂いた。
「ひゃ!?」
「のわ!」
吹き荒れる強風が、庭の砂を舞い上げ池の水を跳ねさせる。咄嗟に顔と饅頭を袖で覆い砂埃を防ぐ。袖を降ろして目を開くと―――庭に、少女が立っていた。
「はっじめまして! 毎度お馴染み文々。新聞の、清く正しい射命丸文です!」
黒い翼をはためかせ、高下駄をかかんと鳴らし。明朗快活な笑顔と共に、少女はそう名を名乗った。
「……あや?」
思い切り吹き散らされた、家中から集められ庭に纏めてあった埃の中で。
◇◆◇◆◇
先日人里に行った際、妖怪の山に行く前に慧音女史に聞いた事なのだが。
山の烏天狗達は、所謂『新聞』を趣味にしているらしい。ちょっとした事件やら風の噂をネタに記事を書き、仲間内で読み合ったり配って回ってみたり、誰の新聞が一番面白いかを決める大会を開いたり。
ただ其処は色々適当な妖怪のやる事、記事の内容は娯楽重視で、基本的に信用出来ないとか。嘘八百だったりする事すらあるそうだ。
尚、印刷は河童技術によるモノらしい。時代を妙な方向に先取りしている河童だが、流石に活版印刷術程度であるとの事。
で。そんな一部の天狗達は、日夜ネタ探しに奔走している訳で。
幻想郷に新しく現れ、鬼の棟梁を肩車して歩いたり山の麓に家を建てたり地底に潜ったりしているおかしな鼬は、恰好の取材対象な訳で。
「ほらきりきり集めろォ」
「あややややや」
この射命丸文なる烏天狗は、そう言った天狗の一人であると言う訳だ。
「さぁ次そっち頼む」
「あややややや」
その彼女は現在、俺の指示の元、自分が散らした埃とついでに倉の中等の塵芥を集めている。彼女は天狗らしくも風を操るのが得意だそうで、取材許可の報酬として働いて貰っているのだ。
「……ふ。良い様ですね射命丸サマ」
「むっ」
と。思い切り使われている文に、椛が嘲りの笑みを浮かべる。眉を顰める文。
どうやら、彼女等は余り仲が良くないらしい。理由は良く分らないが、上司部下の関係が云々と言う訳でもなさそうで、単に馬が合わないのであろう。
しかし、まあ。
「……お前さんも大差ねえだろうが」
椛は庭の草むしり中である。
「う―――五月蝿いなっ。私は別に貴様に扱き使われてる訳じゃなく、正当な報酬の為に」
「報酬……?」
「あ、俺が作った菓子な。お前さんも後でやるよ」
「へえ……」
文は椛を横目で見て、ふ、と鼻で笑う。
「要するに、お菓子で釣られたんですね」
「ぐ……」
今度は椛が眉を顰める番である。一瞬言葉を詰まらせてから牙を剥き、嫌味たっぷりな声で。
「……其方こそ、下らない記事を書く為に鼬風情の使い走り……わざわざ御苦労様ですね」
「く―――下らないとは何です下らないとは。それに鼬風情の使い走りは貴女も同じでしょうに」
「……本人目の前にして風情もねえよ」
ぼそりと呟く俺の声は、徐々にヒートアップする二人の耳には届かなかった様で。まあ、作業の手は止めていないから、別に良いのだが。
「捏造と自作自演の塊が下らない以外の何です!」
「言っ……たわねこの犬パシリ! 面白いから良いのよ私の記事はっ!」
「……報道者の言葉じゃねえな」
別に良いのだが。
「この……誰が犬パシリですか!」
「天魔様に頂いた有り難い名前でしょ!」
「そう言う貴女は文釈迦丸の癖にっ!」
「……ブンシャカ丸……」
……別に、良いのだが。
「なあ、二人共」
「何だ!」
「何です!」
「ちょいと口開けな」
声を掛けると同時、険しい表情で振り向く二人。その口に一ツずつ飴玉を放り込み、呆れ顔で一言。
「お前さん等、五月蝿い」
「むぐ」
「んむ」
口に広がる甘さに二人は目を瞬かせて、何方からともなく気まずげに目配せし合い、何やらもごもご呟きながらも矛を納める。
尚この飴は、先日ぬえの口を塞いだのと同じ物である。便利。
それにしても。先程の応酬を見るに、仲が悪いと言ってもそう深刻な物ではないらしい。本当に険悪な仲なら、そもそも言葉の遣り取りは産まれないだろうから。
喧嘩する程仲が良い、とは先人の至言である。
「そんじゃぁ、俺は人里で畳買って来るから」
「ふぇ?」
「ひょ、ひょっろ」
「喧嘩は程々になー」
ふぁふふぁふ言う二人に背を向け、人里への『窓』を開く。この広い屋敷に敷く畳、人里だけでは足りないかも知れない。その時は外へ行かねばなるまい―――等と考えつつ、俺は『窓』へと飛び込んだ。
……半刻程後、戻って来た俺を出迎えたのは、庭どころか家の中にまで吹き散らされた砂埃や根ごとの雑草と、あちこちに残る剣痕であった。
容疑者たる白狼天狗及び烏天狗は互いに相手が悪いと強固な主張を繰り返していたが、捜査は特に難航を極めず両者拳骨一ツずつで事件は幕を閉じた。
先人の言葉は嘘である。
◇◆◇◆◇
大掃除は実に長引き、とうに日も暮れた戌の刻五ツ時午後八時頃、遂に終わりを見た。
幸いな事に、喧嘩の痕跡たる切り傷は庭の木や襖に留まっており、傷だらけの家に住む必要は無さそうであった。
「そんじゃぁ、有難よ」
「ん。ではな」
椛は限界まで菓子を抱え込み、ほくほく顔で帰って行った。短くも真っ当な別れの言葉が出た事が、彼女の機嫌の良さを表していると言えよう。
……彼女が我が菓子庫に入った際、好きなだけと言ったとは言え本当に全く遠慮しない物だから、先程の喧嘩についてを蒸し返したり最終兵器一言「太るぞ」を発動したりと色々あったが、割とどうでも良いので割愛する。
「さてと……待たせたな」
「いえいえ、お気になさらずっ」
と、此方も上機嫌な烏天狗。その横にはやはり菓子が積まれている。ほぼ忘れ掛けていたが、彼女の来訪の目的は新聞の為の取材である。
「そいじゃ、何でも聞いてくんな」
今現在この幻想郷の妖怪達に取って、俺は謎の存在である。一天狗の小新聞とは言え、見る者はそれなりに居るだろう。俺が何者なのかを知らしめるには良いチャンスである筈だ。
随分綺麗になった部屋、真新しい畳の上で、俺は自分の尾に持たれゆったりと胡座をかいた。
「それでは、まず貴方の御名前から―――」
……。
三日後、空から降って来た新聞では、紙面の九割近くを使って菓子紹介が成されていた。
こうして我が栖由邸は、菓子目当ての妖怪が集まる場所と化したのであった。
「ちょっと八切、この新聞見て来たんだけど……」
「帰れ紫婆」
どうしてこうなった。
「ところで、なんで文釈迦丸?」
「天魔様に聞いて下さい」
天魔の趣味は人の名前をわざと間違える事。