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東方鼬紀行文  作者: 辰松
二、幻想鼬
23/29

其之二十三、鼬地霊殿にて覚に会う事

「七一、今日はどうするの?」


 再会を祝ってだかぶん殴り記念だか、良く分からない内にともかくも酒宴にもつれ込んだ翌日。

 高鼾をかく鬼達や、二日酔いで死んでいる酒に弱い一部の鬼達―――と言っても当然人間とは比べ物にならない程強いのだが―――が転がる中、平気な顔で瓢箪を傾ける萃香が俺にそう問うた。


「……お前さん、朝っぱらから良く呑めるな」

「へっへー。此処数百年素面(しらふ)だった時が無いよ」

「自慢じゃねぇな……」

「自慢さ。鬼だもん」


 鼻高々に胸を張る萃香。流石呑んだくれは言う事が違う。


「で、どうする? ゆっくりしてく? もう上に帰る?」

「そぉさなぁ。家ほったらかしだから帰りたくもあるが……折角こんなトコまで潜って来たんだし、しばらく見て回るのも良いかもな」

「そっかそっか」


 萃香はうんうんと頷いた後、こてんと首を傾げた。


「と言っても……見て面白い所ってどっかあったかな」

「無いのか?」

「うーん……地底だし元地獄だし……」

「……まあ、観光名所とか求めるな間違ってるかね」


 斯様な土の底において名勝探訪もあるまい。此方元針山に御座い、此方元血の池に御座い……あれ、結構楽しそうじゃないか。

 冗談はさておき。


「ま……適当にうろつくのも良いだろ」


 当て無く歩くと言うのも、案外楽しいモノである。此処は妖怪も多いし。


「じゃあ、どうしよっか。一人で行く? それとも……」


 つい、と顔を余所に向ける。視線の先には、引っ繰り返った鬼を片端から叩き起こしている勇儀。その向こうでは巳寅を肩に乗せた傀然が意識の無い鬼を歩かせている。虚ろな顔でふらふら歩く鬼の集団は非常に不気味である。


「誰かついてこっか?」

「ふむ」


 さて案内は必要だろうか。方向感覚は人並み以上にあるつもりだし、例え迷っても空も飛べるし『窓』がある。

 しかして、昨日聞いた話によれば、此処は人にも妖にも厭われるモノが集まる場所だと言う。厄介な連中も居るだろう。俺がそうそうまずい状況に陥るとも思えないが、余計なトラブルを避けようと思えば鬼を連れて行くのは中々悪くない。


「……そうだな。誰か来て貰うか」


 と、言う訳で。




「いやあ、あんたとこうして歩くのも久し振りだねぇ」

「おー。そうだな」


 提灯に照らされ往来賑わう旧地獄街道。ついて来て貰った勇儀が隣で楽しげに笑う。


「昔は皆で都を歩いたっけねぇ」

「人に逃げられつつだがなー」


 さて何故勇儀なのかだが、理由は無くもない。

 まず萃香は地上住まいの為、地底事情には少々疎い。巳寅の喧嘩っ早さでは、むしろ厄介事を呼ぶ。傀然は、言っては何だが余り一緒に歩きたくない。ゴツいし目立つし暑苦しいし。


「あ、あの店。あそこの酒は美味いんだよ」

「へぇ。鬼のお墨付きならさぞかし美味かろうな」

「うんうん……あ、あっちは甘味屋だね」

「おお。後で行くか」


 で、勇儀。彼女はお節介焼きかつ面倒見が良く、その姐御肌な気性は人に好かれやすい。結果彼女は顔が広い。故に勇儀なのである。

 と、その時。後ろから声。


「あれ、昨日の鼬じゃん。勇儀も」

「ん?」


 振り返ると其処には片手に釣瓶落としを提げた土蜘蛛が立って居た。その数歩後ろには、この往来の中に在って尚近寄り難い雰囲気を発散する橋姫が。


「おぉ。ヤマメにキスメにパルスィ……だったか」

「やー。三人お揃いでどうしたの?」

「いやぁ」


 土蜘蛛はあははと笑い、


「昨日の悲鳴が橋まで聞こえててさ。それで生きてるかどうか賭けする事になって」

「非道ぇなお前さん等……」

「ただ、全員死んだ方に賭けたから。賭けにはならなかったわ」

「最悪だな手前等」


 あんまりな橋姫の言葉に呆れる俺。鬼を友人への手加減を忘れる様な連中だと思っていたのか、それとも俺を手加減すら忘れる様なあん畜生だと思っていたのか。

 後者の気配が濃厚だなんて事は無い。決して無い。


「まぁ一応、結果だけは見に来たんだけど……生きてたねぇ」

「……残念」

「本当に残念極まりないわ。妬ましい」

「生きてた事妬まれても困るんだが」


 しかしこいつ等どんだけ暇なんだ。


「やれやれ、詰まんない……適当に呑んで帰ろうか」

「……駄目な男」

「ちょっと待って何で俺が悪いみてぇになってんの」

「あ、呑みに行くの? じゃあたしも」

「……色々とガン無視かよ」


 つーか勇儀。手前は俺に付き合うんじゃねーのかコラ。


「さぁパルスィも行こうねー」

「ちょ……離しなさっ」


 話の流れに一人すぅっと離れようとしていた所を、がっしと掴まれるパルスィ。


「仲良き事は美しき哉だが、俺は放置か勇儀」

「え? 一緒に呑まないの?」

「誰の仲が良いってのよ!」


 きょとんと首を傾げる勇儀、声を荒げ噛み付くパルスィ。何かやだこいつ等面倒(めんど)い。


「良いよもう……俺ぁ一人でうろつくから……」

「えー。呑まないのかい」

「呑まねぇの。酒は昨日ので十二分」

「そっか……まあ、仕方ないね。強制は出来ないし」

「私の顔見てもう一度言ってみなさい今の言葉」

「パルスィは別さ。普段全く来ないんだから、こう言う時呑まないと」


 ヘッドロックから抜け出そうと藻掻くパルスィだが、鬼の腕力を前にそれは正に無駄な足掻きと言うモノである。まあ、其処まで必死で抵抗している様には見えないし、満更でも無いのではなかろうか。

 ……多分。


「……程々にしてやれよ。んじゃ」


 ひらひらと手を振り、四人に背を向け歩き出す。

 ……背後から聞こえた、吐くまで呑もうと言うその声はきっと空耳に違いない。




◇◆◇◆◇




 道沿いの店を冷やかしながらふらりふらりと旧都を行く。やはり一人歩きも悪くない。

 しばらく歩くと、連なる平屋の向こうに西洋風の建物が見えてきた。はてさて教会でもあるのだろうか。地獄に。


「しかし、微妙に寂しくなってきたな……」


 その建物に近付いているから……であろうか。辺りが妙に閑散としてきている。

 と。のんびり歩く俺の横を、騒々しくがらがらと猫車が抜けて行った。車を押すのは黒い服に赤い髪を三編みにした少女。何を運んでいるのかとちらりと車に目をやると、血色の悪い手と足が突き出ていた。

 って、ちょっと待てぃ。


「……手足ィ?」


 慌てて歩調を速め猫車に並ぶ。覗き込むと、どうやらバラした死体らしきモノが無造作に突っ込まれている。……いやいや。


「ん? お兄さん何か用?」

「……あ? あぁ、いや……」


 足を止めた少女が、俺を見て首を傾げる。良く見ると黒い猫耳と尾を生やしている。分かれた尾を見るに猫又であろうか……いや、どうだろう。


「何で死体なぞ運んでるのかな、と」

「何でって……灼熱地獄の燃料にする為だけど」


 さも当然の事の様に言う少女。はてさてこれは周知の事実なのだろうか。死体を燃料とは、何とも罰当たりな気もするのだが。


「んー……お兄さん見ない顔だね。どっから来たの?」

「上から、だが」

「上……って、もしかして地上? へー、珍しいね」


 少女は目を丸くし、上から下まで舐める様に俺を見る。地上の者が珍しいと言って、姿形までは別に珍しくもなかろうに。


「尻尾、大きいねえ。狐?」

「この丸耳が見えねぇか。鼬だよ」

「……鼬って、そんな尻尾だっけ?」

「俺が特別なんだろ」


 多分。


 さておき、この少女である。猫の耳に尾、そして死体を運んでいると来れば。


「お前さんは、火車かしゃなのかな」

「お。そうだよ」


 火車。


 人間の死体を奪うと言う猫の妖怪である。


 葬式の式場や葬列あるいは墓場に現れ、死体を奪っていくとされる。また、その死体をバラ撒くとも言う。


 古くから猫と死体に関する俗信は多々ある。死人に猫を近付けてはいけない、猫が死体を跨ぐと死体が起き上がる等々。また火車とは呼ばずとも、暗雲を垂らして葬列の棺桶を襲うモノとして、猫は怪談に登場するのである。

 そして火車と言う名は、地獄からの迎えである火の車から来ている様だ。獄卒が燃える車を引き、罪人の死体や生きた人間を奪って行くモノとされる。


 この火の車と、死体と猫の俗信が入り交じり、火車と言う妖怪が生まれたのであろう―――と。


「こんな所歩いてたって事はさ、もしかして地霊殿に来るのかな? 地上の客なんて何時振りだろ」

「んぁ? 地霊殿?」

「あれ……違うの?」


 首を傾げる俺に、目をしばたかす火車。


「いや……俺は適当にほっつき歩いてただけでな。その、地霊殿ってのは?」

「ほら、あそこに見えてる建物なんだけど……知らないの?」


 つい、と先程の洋館を指差す。


「知らねぇのよ。昨日上から来たばかりでな」

「んん……そっかぁ」


 どうした物か、と言う風に少女は片手の人差し指を頬に当てる。猫耳がぴくぴくと揺れる―――良く見ると人間の耳も付いている。耳が四ツってお前。まぁ妖怪の事、細かく気にしてはいけないが。


「知らないで来たんなら―――来ない方が良い、かなぁ。ううん」

「何だそりゃ。危険なのか?」

「危険、って言うか。あたいの御主人様が住んでるんだけど……」

「その主人が危険だと」

「いや違うって。さとりなの」

「サトリ……覚妖怪か!」


 覚。


 全身毛に覆われた猿の様な容姿で描かれる、人の心を読むと言う妖怪である。


 猟師やきこりが火を山小屋で焚いている所に現れ、心を読んでは隙有らば取って食おうとする。しかし囲炉裏の薪等をべた時、それが跳ねて覚にぶつかり、人間とは思わぬ事をすると言いながら逃げて行く。

 同種の話が各地に見られ、土地によっては山男や天狗、狸の仕業としたり、特に危害は加えないモノであったり、薪ではなく作り掛けのカンジキが撥ねてぶつかったとする話もある―――と。


 ……とても、有名な、妖怪である。


「それは―――良いな」

「え?」

「良いな良いな。良いじゃないか覚妖怪」

「い、良いって……」

「よォし、行こう地霊殿」

「え、えぇえ……?」


 激しく困惑している様子の少女。どうしたのだろうか。


「あたいが言うのも何だけど……覚って、その、普通嫌われるモノなんじゃ」

「ん? まぁ、だろうな」


 何たって心を読まれるのだ。考えている事が全て筒抜けになる―――そんな奴、普通はお近付きにはなりたくないだろう。人間は当然、妖怪だって恐れる。


「何、一度読まれてみるのも良い体験だろ。心」

「……えぇー……」


 微妙な顔付き。何こいつ、と言う表情である。どうやら俺の非凡性に気付いてしまった様だ。……此処で言う非凡は、別に褒め言葉でも何でもないが。

 変人とか言わない。


「っと、まだ名乗ってなかったな。俺は八切七一、しがない普通の鼬だ。宜しく」

「……はぁ、うん。あたいは、火焔猫燐。お燐で良いよ」


 と言う訳で。俺は微妙に脱力した火車と共に、覚妖怪の住まう地霊殿へと向かうのであった。




◇◆◇◆◇




 地霊殿に到着。

 大きな扉を開けて、うっかり草履を脱ぎ掛けたりしつつ中に入る。目の前には広いエントランスホールが広がっていた。床は黒と赤のタイルである。


「ホンっトに洋風だな……地獄なのに」

「あはは、ハイカラでしょ。上見てみなよ」

「ん?」


 燐に言われるままに見上げると、ステンドグラスの天窓が。


「……この暗い地底で、天窓に何の意味が?」

「さぁ。飾りじゃない?」


 ……まぁ、インテリアとでも言うべきモノであろう。


「ま、何でも良いけどよ……ん?」


 ふと気付く。ホールの柱に、少女が一人寄り掛かって此方を眺めている。

 黒い帽子に銀の髪、フリルの多い服。胸の前に紐の生えたボールの様なモノが浮かんでいる―――何だありゃ。


 首を傾げていると、少女と目が合った。少女は何やら驚いた様に目を見開き、此方をじっと見詰めている。


「……」


 少女がひょいと右手を上げた。


「……」


 俺も何と無く左手を上げる。


「……」


 少女がぺろりと舌を出した。


「……」


 俺も何と無く舌を出す。


「……」


 少女が左足を上げて片足立ちになった。


「……」


 俺も何と無く左足で立つ―――と。


「……ねぇ、何してるの?」

「え?」


 左手を上げて舌を出し片足立ちする俺に、燐が訝しげな声を掛けた。……改めて考えると結構な奇行である。


「や、其処に女の子がな」

「へ?」


 俺の指す方向に目を遣り、しかして首を傾げる燐。はてどうしたのだろうか。まさか見えていないとでも―――


「見えてないんだよ」

「うん?」


 少女が口を開いた。何やら楽しそうな笑みを浮かべ、俺の方へと歩いて来る。


「ホントは貴方も気付けない筈なんだけど……おかしいなぁ」

「ふむ……何かねお前さん。俺の幻覚とかじゃなかろーな」

「安心して良いよ、幻覚じゃないから」

「さよか」


 もし幻覚であるならばその幻覚の主張を認めるのも如何なモノかと思うが、まあ幻想じゃないらしい。


「……あぁっ。こいし様ですね!?」

「うふふ。ばれちゃった」


 と、何やら気付いた様に叫ぶ燐。帽子の少女は楽しげに笑う。はてさてこれは一体どう言う状況か。知り合いなのだろうか。様付けである。


「さとり様が心配してますよ、こいし様! 帰って来てるんなら顔出してあげて下さい!」

「大声出さなくっても聞こえてるわ」

「何処ですかこいし様ー!」

「此処よ此処」


 どうやら声も聞こえていない様だ。こいしと呼ばれた少女は、からかう様に燐の周りをくるくる回っている。

 ……俺に見えて燐に見えない、と言う事は。恐らくこの少女、能力で身を隠しているのだろう。俺の常時能力遮断に引っ掛かっているのだ。


「燐。今お前さんのすぐ目の前だ」

「え、ええ?」

「きゃー」


 俺に言われて前に手を伸ばす燐。が、少女こいしはくすくすと笑いながらその手を避ける。


「左だ左……あ、右斜め前に三歩……今だ前に飛び込め……すまん後ろだ……」

「あわわ」

「きゃーきゃー」


 ……って。西瓜割りやってんじゃねえんだから。


「よっと」

「あー」


 燐の背後で何故か反復横跳びしている少女を、後ろから脇に手を入れひょいと抱え上げる。最初っからこうすりゃ良かった。


「捕まえたぞ」

「そ、そう……」


 燐が疲れた顔で俺を見る。と言うか俺の手に抱えられた見えない少女を見ようとする。


「えーとですね、こいし様。取り敢えず姿を見せてくれませんか?」

「嫌ぁよ」

「嫌だとさ」

「そんなぁ……まともに会話も出来ないじゃないですか」

「通訳が居るじゃない」

「通訳が居るだろだとさ」

「いやでも、会話じゃないですよこれ」

「意思疎通は出来てるわ」

「意思疎通は出来てるだとさ」

「そ、そりゃそうですが」


 困った顔をする燐。しかし通訳と言うのは中々に退屈である。


「ともかく、さとり様に会って頂けませんか?」

「気が向いたら会いに行くわよ」

「嫌じゃボケぇだとさ」

「え」


 退屈なので少し変化を付けてみよう。


「そ、そんな事言わずに」

「ちょ……ちょっと、ちゃんと通訳してよ」

「黙れ駄猫が失せろだとさ」

「っ……こ、こいし様がぐれてしまわれた……!?」

「ぐ、ぐれてないわよ! 良い加減に」

「耳が四ツとかおかしいんだよバーカバーカだとさ」

「も、もうっ」


 俺のハイセンスかつ大胆な超訳は、あまり少女のお気に召さなかった様だ。顔を真っ赤にした少女は、じたばたと暴れて俺の手から逃れてしまった。


「あ! こいし様!」


 能力も解いた様である。残念。


「さっきのはこいつが勝手に言っただけだから! 本気にしないで良いからね!」

「え? あ、え、はい分かりました」


 俺を指差して捲し立てる少女に、燐がかくかくと頷く。少女はべぇ、と俺に舌を出すと、建物の奥へと走り去って行った。


「……ってちょっとこいし様! さとり様に……ああもう」


 慌てて引き止める様に手を伸ばし、しかして何処へともなく消え去る少女にがくりと肩を落とす燐。俺の所為かな。


「何だったんだ、今の?」

「……こいし様は、御主人様の妹なんだ。ただ、あんまり仲が良くなくて」

「ふうん……覚妖怪の妹なら、覚じゃないのか? 覚に姿消す能力があるなんて聞いた事ねぇんだが」

「こいし様も覚だよ。ただ、その……色々あるのさ」


 燐の顔に陰が差す。その顔を見る限り、一口には説明出来ない事情でもあるのだろう。ま、聞くまい。


「それより、お兄さん。どうしてこいし様が見えたのさ?」

「それぁほら……色々あんのさ」


 なるべく一口には説明出来ない事情がある様に見えそうな顔を作り、そっと目を逸らす俺。


「……説明面倒なだけなんじゃ」

「何故ばれ……もとい!」


 限りなく真実に近いと言わざるを得ないその指摘にも、俺は決して狼狽えずぴしりと明後日の方向を指す。


「とっとと覚に会いに行こうじゃないよ」

「……いや、良いけどさ」


 呆れた様に首を振る燐であった。気にせぬが宜しい。




◇◆◇◆◇




 燐についてしばらく廊下を歩き、客間らしき部屋に通される。広いテーブルと幾つかのソファ。

 洋間と言うのは中々新鮮である。思えば人間の頃は此方が当たり前だった筈なのだが、今となってはどうも違和感が拭えない。覚えていない訳ではないのだが。


 燐は覚妖怪を呼びに行った。もしかしたら会いたがらないかも知れないが、その時は帰って貰うしかないとの事。まあ、心を読む様な妖怪が社交的だとは思っていないが。ふらりとやって来た単なる赤の他人なのだし。


 ともあれ来るまでは暇である。ぼへーっと待っているのも何なので、茶でも飲む事にする。『窓』から一式取り出して、湯を妖術で沸かし急須で茶を淹れる。羊羹を皿に乗せ、指でなぞる様に能力で切り楊枝を刺して一口。


「うまー」


 自作の為自画自賛である。良いじゃない美味いんだから。


「すみません、お待たせしま……」


 と。ぎい、と扉が開いた。テーブル上の様子を見てか、詫びる言葉が途中で止まる。


 少女であった。案の定、である。今更どうと言う事も無い。彼女が覚であろう。

 先程のこいしとやらとやはり似た顔立ち。だが無垢無邪気な風であった彼女と違い、雰囲気は物静かで少し陰りがあった。帽子は無いがカチューシャを着けている。

 胸の前には―――眼。触手の生えた眼の様なモノが浮かんでいる。……こいしのアレも眼だったのだろうか。


「や、お構いなく。くつろがせて貰ってるよ」

「……、その様ですね」


 茶を啜る俺の様子に、覚が困った様な呆れた様な顔をした。一人で食うのも気が引けるので勧める事にする。


「お前さんも食うかね」

「いえ……私は」

「食うかね」

「え? いえ、その」

「食うだろ」

「……頂きます」


 羊羹を切り皿に分け、楊枝を突き刺して覚の前に置く。湯呑みに茶も注ぐ。覚は何か納得が行かない様な表情で羊羹を口に運んだ。

 まあ、主客が大いに逆転している気がしないでもない。


「美味しい、ですね」

「だろう? 俺もそう思っていた所だ。絶品だ」

「これは何処の店で……」

「俺作」

「…………」


 全力で自画自賛な俺に、覚の何とも言えない視線が突き刺さる。照れる。


「……貴方は、何と言うか。燐が言っていた通りの方ですね」

「ほほう。格好良い男前と?」

「訳の分からない変人と」

「……さいで」


 ですよねー。


「さておき。お前さんが覚妖怪って事で良いのよな? 俺は八切七一。鼬だ」

「古明地さとり、と言います。おっしゃる通り覚妖怪です」

「さとり……て、名前も?」

「ええ」


 つまり彼女は覚のさとり。ややこしい。ともかく、此処に来た目的を達成しておこう。


「ま良いや。で、俺は心を読まれに来たんだが」

「はぁ。何故」

「貴重な体験じゃないよ」

「……はぁ」

「さぁ、俺の心を読んでくれ!」


 今日は良い天気ですね!


「……いえ、それが。読めないんです」

「え? 何で?」

「さあ、私には……ただ、何かに遮られている様な」

「……あ、そっか。ちょっと待ってくれな」


 能力遮断を解く。では改めて。


「ん、ごほん……俺の心を読んでくれ!」


 今日は良い天気ですね!


「……地底ですが」

「おおー! 通じた!」

「そりゃ覚ですから……」


 早くも疲れた表情を浮かべ始めるさとり。まあ元気出しなよ。


「で、心ってなどの辺まで読めるんだ? 記憶とかは?」

「……記憶までは読めません。貴方が今考えている事だけですね」


 つまり意識の表層だけ、と言う事か。


「そう言う事です」


 お? ……これは便利だな。口を動かさなくても会話出来る。


「私は喋ってますが」


 俺は覚じゃないからな。


「……それはそうですね」


 だろう。……で、記憶は読めないって事は、例えば余り知られたくない過去の事なんかは分かんねえのか?


「ええ。しかし、少しでも『知られたくない』と思ってしまえば、その知られたくない事は意識せずとも頭に浮かんでしまうもので……」


 つまり俺の正体が『ピ―――』尾の大『ズキューン』で、その上実は前『ズダダダダダ』だって事も分かんねえのな。


「……器用ですね」


 それ程でも。


 しかしまあこんな程度なら、会話が楽で便利だってくらいのモンでしかねえやな。


「……誰もが、貴方程器用な訳ではありませんよ」


 分かってら。俺に取っちゃっつう話だ。


「そう、ですか」


 ―――さとりが此処に来て初めて、ちょっと笑みを浮かべた。この方が良い。堅っ苦しい顔は苦手である。


「あ。そんなに堅苦しい顔してましたか」


 って今のも読まれてんのか。不便だなオイ。


「言ってる事が真逆ですよ」


 言ってない言ってない。考えただけ。


「同じです」


 いいや全く違うな。

 言霊ことだまと言う言葉は知ってんな? 言語そのものに霊力が宿るとする考え方だが、例えば祝詞、例えば忌み言葉なんかに見られる。ある言葉を口に出す事にはそれなりの―――


「尤もらしく話をすり替えないで下さい」


 ちっ。


「心中で舌打ちって意味あるんでしょうか」


 等と楽しく会話していると。ぎい、と扉が開き、紅茶の乗ったカートがからからと入って来た。押しているのは―――


「わふ」


 ……犬である。その犬はテーブルの上に目を遣ると、困った顔―――多分―――をさとりに向ける。


「わふぅ?」

「あぁ……御免なさいね。引いておいて頂戴」

「わふっ」


 犬は危なげなくカートを方向転換すると、またからからと出て行く。器用な事に、去り際に尻尾でぱたんと戸を閉めた。

 ……何だ、今の。


「うちで飼っているんですよ。他にも猫やら鳥やら沢山居ます」


 動物好きなのか?


「……嫌いではないですね。何故か勝手に集まって来るんですけど……最近は多過ぎて、家事や他の動物の世話を動物に任せる始末で」


 ……動物は喋れんからな。あんたとは意思疎通出来んのが嬉しくて集まってくんじゃねえか。


「……そう、でしょうか。きっと嫌われていますよ」


 ……いや、まあ、お前さんがそう思うんなら別に良いけどよ。

 で、燐もペットなのか?


「ぺっと?」


 ああいや……西洋の言葉で飼ってる動物の事だ。


「西洋……行った事が?」


 無いよ。知ってるだけだ。で、燐は。


「ああ……はい、燐もですよ。あの子は結構古参で、人の姿も取れますから、それなりに難しい仕事を頼んでいます」


 何か死体運んでたな。


「ええ、灼熱地獄の燃料に。後、死霊の管理も」


 その灼熱地獄ってのは?


「地獄の名残です。この地霊殿は灼熱地獄の真上に建てられているんですよ」


 はあん……床暖房完備だな。


「は?」


 いや何でも。


「……そうですか」


 さとりが茶を啜る。喋るばかりで喉が涸れてきたのだろう。俺は涸れない。素敵!

 そんな心中はスルーされた様で、さとりがまた口を開く。


「……貴方は、地上から来たそうですね」


 まあ、そうだ。


「何故地底に?」


 古い友人に会いに来いと言われてな。


「友人、ですか」


 うん。鬼。


「お―――鬼?」


 さとりが見開いた目で俺の顔を見詰める。


「では、まさか……昨日旧都を焦土にし掛けたと言う喧嘩は」


 焦土ってお前さん。其処までしねえよ俺。


「……貴方なんですね」


 まあそうだけどいやホント、火は程々で消すつもりだったんだって。


「それは分かりましたから。……しかし、貴方が鬼と喧嘩……」


 オイ弱そうなのにとか思ったろ手前今。覚じゃねえが分かるぞその顔。


「……いえ、人は見掛けによらないと言いますしね」


 見掛けは弱ぇとはっきり言い腐ったな。手前コラ俺が雑魚に見えるってのか。ああ。


「ええ」


 ……まさかの一言全肯定であった。こいつ、出来る……!


 俺が戦き震えていると、三度目、扉がぎいと音を立てた。俺とさとりが視線を向けると、其処には此方を覗き込む燐が。


「どうしたよ燐」

「いや、えっと……どうかなぁ、って」


 俺とさとりの間に視線をさ迷わせ、燐はそう答えた。……要するに、自分の連れて来た良く分からない変人が、主に妙な真似をしていないか見に来た、と。


「その様ですね」


 やめて肯定しないで。


「ではそんな事ありませんよ」


 ではってお前さん。ではって。


「……燐、彼は変人ではあるけど悪人ではないわ。大丈夫よ」

「そうですか……はい、分かりました」

「お前さん等と来たら! お前さん等と来たらっ!」


 こんな奴等の居る所に居られるか! 俺は帰るぞ!


「つー訳で帰るわ」

「また唐突だね」

「唐突ですね」

「そろそろ日が暮れ……いや暮れねえけど、まあ、うん。そんな感じだから」


 俺の帰りを酒飲み共が待っているのである。別に待っちゃいないかも知れないが。

 後、羊羹も無くなったし。


「今日……これ程話したのは久し振りでした」


 ふと、微笑みを浮かべたさとりが呟く様に言う。

 俺はそんなに喋ってないがな。


「貴方はそうでしょう。さておき……またどうぞ。何時でも歓迎しますよ」

「おう。んじゃ……」


 テーブルの上をざっと片付け、扉の方へ二三歩歩き。


「……あ、そうだ。灼熱地獄とやら、見て帰っても良いか?」

「構いませんよ。……燐、案内を」

「……え? あ、はいっ」


 ちょっと呆けた様にさとりを見詰めていた燐が、慌てて返事をする。


「じゃ、また来るわ」

「ええ。また」


 扉を開ける燐に続き、俺は部屋を後にした。




◇◆◇◆◇



 燐と並んで廊下を歩く。草履でタイルの廊下を歩くのは凄く違和感があるなあ、等と考えていると、燐が口を開いた。


「……ねえ。さとり様と、どんな話を?」

「どんなって……まあ、地霊殿ここの話とか俺の話とか。普通の話」

「普通の……」


 隣の燐が俺の顔を見詰める。……隣の燐て字面がややこしいな。覚のさとり程じゃないが。


「それがどうかしたのか?」

「さとり様が、また来てとか何時でもどうぞとか言うの、珍しいんだよ」

「……ふうん」


 ……まあ、あの能力である。普通の話もそうそう出来まい。覚妖怪に気後れなく会える者と言うのが、多分既に少ないのだ。


「お前さん等は話相手になれねぇのか? 沢山居んだろ?」

「あたい達は……さとり様の方がなるべく会わない様にしてるみたいで」

「……ふむ。お前さん等は別に、さとりが嫌いってえんじゃないんだろ?」

「そんな訳ないじゃんか」


 さとりは自分が嫌われているだろうと動物達を避けている。動物達はさとりを慕って来ていて、しかし避けられている事が分かるから近付き辛い。


「……何だ」


 つまり。お互い、気を遣い合ってるだけではないか。何だって心が読めるのにそんな事にも気付かない。全く。


「何だ、って何さ」

「さぁな」

「?」


 まあ、わざわざ余計なお節介を焼く事もあるまい。その内なる様になるだろう、お互い悪意なんてこれっぽっちも無いのだから。


 ……何て話をしつつ歩く内に、中庭らしき場所に出る。真ん中の地面には薄ら熱気を発する巨大な穴が空いていた。


「これが灼熱地獄の入口か?」

「そうだよ。管理役が居ると思うんだけど……」


 きょろきょろと辺りを見回す燐を余所に穴に歩み寄り、顔を炙る熱に目を細めつ観察する。奥は赤黒く光っている。縁を見ると何やら簡易的な機構が付いており、穴を塞ぐ事が出来る様だ。

 と。穴の下からばさばさと、何かが羽ばたきつつ上がって来る。


「何だありゃぁ」

「あ、お空」


 俺と燐が同時に言う。オクウと呼ばれたソレがふわりと着地する―――黒い翼を持った少女であった。翼と同じ色の髪をなびかせ少女が此方へ向き直り、俺を見て首を傾げる。


「お燐、そいつ誰?」

「地上からのお客さん。さっき死体持って来た時ちょっと話したよね?」

「……話したっけ?」

「話したって」


 きょとんとする少女。鳥頭なのだろうか。羽あるだけに。

 ……等と言う失礼な思考はおくびにも出さず、俺は少女に名を名乗る。


「八切七一、しがない普通の鼬だ。宜しく」

「……霊烏路れいうじうつほ。地獄烏。灼熱地獄に何か用でも?」

「何、ちょっと見せて貰いにな」

「そう」


 燐に対してと随分違い、微妙に慳貪けんどんな口調の少女―――空。どうも良い印象を持たれていない様だ。はてさて。


 ともあれ―――地獄烏。

 はっきり言ってそんな名の妖怪は聞いた事がない。俺が知らないと言う事はつまり、そんな妖怪は居ない。少なくとも俺が知識を得た()の所では。


 ただ、地獄に住む烏の話なら心当たりも無いではない。地獄の烏とは、鉄の体と燃える嘴を持ち地獄の一切の罪人の身に皮、肉に骨髄を食らい、亡者に苦痛を与える存在であると言う。

 ……まあ。斯様な少女の姿では、もはや恐ろしさもあるまいが。


「で、どうするのお兄さん? 下行く? 死ぬ程熱いけど」

「その死ぬ程ってなやっぱり文字通りなんだろうな……」


 熱を遮断すれば多分大丈夫だろうが、と心中(ひと)ちつつもう一度穴を覗き込む。と、後ろから空の声。


「……入るのか入らないのかはっきりして。閉めたいから」

「ん……あぁ。良いや」


 穴から数歩離れる。空がしゃがみ込んで何やら操作すると、きいきいと軋む音を立てながら穴が閉じていく。


「何で閉めるんだ?」

「火力調整。強過ぎるから」

「……ふむ」


 簡潔かつ尖った声の返答。やっぱり、明らかに堅い態度を取られている。彼女にはまだ何もしていないのだが。まだ。


「……ま、良いさ。帰るわ、燐」

「あ、うん……」


 困った様な顔をしていた燐に声を掛け、建物に入る扉へ向かう。ちらりと振り返ると、空は突っ立ったまま地獄への穴を塞ぐ蓋に視線を落としていた。


「……で、燐よ」


 ばたんと扉を閉めてから、燐に向き直る。


「吐け。一体何を吹き込んだ」

「いや変な事は何も言ってないよ。そもそも覚えてなかったし」


 まあそうなのだが。


「お空は……地上の連中があんまり好きじゃなくてね。悪い子じゃないんだよ」

「……ふうん。まあそう言う事もあろうな」


 忌み嫌われる妖怪の集められたこの暗い地底で、明るい地上の連中に宜しくない感情を抱くのは、まあ極々自然な事であろう。


「次に会う時ゃもうちっと話してぇなぁ」

「……次に会う時は、多分忘れられてると思うよ。お空鳥頭だから」

「……」


 先程の失礼な想像は的を射ていたらしい。烏は賢い鳥だと言われるモノだが。


「ま、良いさ。追い追い仲良くもなれるだろ」

「……そうだね。お兄さん変わってるし」


 言って、くすくすと笑う燐であった。どう言う意味だか、全く。



安心と信頼の遅更新・ほぼ月刊鼬紀行文最新話に御座い。


非常に中途半端に終わりつつ、地霊殿の話でした。

さとりとペット達の関係云々は、一応原作に沿って。そしてうにゅほが冷たいで

す。地上侵略うがーとか言い出しちゃう娘ですし。


さっとりんりん。さっとりんりん。

こいしちゃんぺろぺろ。




お読み頂き有難う御座いました。



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