其之二、鼬母に妖しの術を教わる事
鼬になって、早二ヶ月。
鼬の身にもなないちの名にも大分慣れ、我が弟妹達は疾うに成長しきり連れ立って巣を出て行った。
俺は、この遥か過去の世界でどの様に生きるかを既に決定していた。
それ即ち、日本怪異紀行。
人間であった頃の俺の趣味、伝奇伝承怪異怪談幽霊妖怪都市伝説、要するにあらゆる『不可思議』の蒐集―――その延長。
つまり。俺が十七年の人生で、見知り聞き知り読み知ったありとあらゆるこの国の不可思議を、この目で直接見てやろう、ということなのである。ああ何と素晴らしい事か、あの有名なアレやソレやコレやナニをリアルタイムで視聴できるのだ。
そうと決まれば思い立ったが吉日、さあ今すぐにでも旅立とう……と言いたいところだが。
現在、紀元後五十数年―――即ち弥生時代。俺が生きていた時代まで残るような怪異怪談の類いは、大抵が平安時代以降のものなのである。今からうろついたってどうにもならないのだ。
という訳で、時間潰しがてらに。妖術である。
旅をするとなると、様々な危険が付き纏う。大抵が人を喰らう妖獣という奴は、妖怪同様に人間の退治対象。妖獣の身体能力が高いとはいえ、人間には数の強みがある。こちとら一応元人間、元同胞に殺されるのは真っ平御免である。
勿論危険はそれだけではない。自分より上位の妖獣や妖怪に出くわして、喰われっちまうような事だって有り得る。身を守る力が有るに越したことはないのだ。
護身の術としては他にも、人かそれ以外かに限らず、個々に発現する可能性のある『能力』というものがあるらしい。此方はあるかないかも分からないので、当てには出来ないのだが。
時にこの妖術という奴、出来ることは戦闘ばかりではない。
例えば、隠行。身を隠すというのは、我が目的―――基本覗き見―――に間違いなく必須となるだろう。
例えば、人化。怪異等の詳しい時期を知るためには、人間との会話が絶対的に必要不可欠。人の姿にだって戻りたい。むしろこっちの理由のが大きい。
と、まあこんな理由で、俺は妖術と言うモノの習得を心に決めた訳なのである。
◇◆◇◆◇
「妖術を教えてくれ、いづな」
「うむ、良かろ。だが母君と呼べ」
「即答かよ」
予想外である。まだ早いとか何とか言われそうな気がしていたのだが。
「まあの。これまで培ってきた術、息子に伝えずして誰に伝えるというのじゃ」
「……そっか。恩に着る」
「着なくて良いわい、儂は母親じゃぞ」
少々餓鬼っぽいところはあるが。彼女は概ね良い母親である。
「では……妖術を教えるにあたり、儂は人の姿でこれを行う。良いな?」
「別に良いけど……何でだ?」
「なに、大した理由はないぞ。儂の素晴らしい化け姿をひけらかしたいとか、そんな理由は特にな!」
「……」
……本当に、餓鬼っぽいところはあるが。良い母親、の筈なのだ。
「それでは見せてやろうぞ、我が人化の術!」
高らかに宣言し、何やらむにゃむにゃと呪文らしきモノを唱えはじめる。―――以前母君から聞くところによると、人化という奴は精神の姿が出るらしい。ならば、我が母君の姿は―――
「見よ、この艶姿!」
ポン、と軽い音を立てていづなの姿が薄れ、次の瞬間そこに立っていたのは―――幼女であった。
「……はあ」
あまりに予想通りすぎて溜息すら出る。これが、母君の精神の姿。頭には鼬の丸耳、丈が短くミニスカートの如くな赤い振袖。肩までの赤褐色の髪には白い菊のかんざし。はて、菊が日本に伝来したのは奈良時代以降ではなかっただろうか。
……しかし無駄に可愛いのがムカつくな。
「何じゃその反応は。もっと驚け。感嘆せい。崇め奉るが良いぞ!」
「黙れロリババア」
「母親に向かって黙れとは何ぞ! しかも言うに事欠いてババアなど……ろりとは何の事じゃ?」
「美しいとか素晴らしいって意味だよ」
「ほう、つまり美しいババアと……あんまり褒めとらんではないか!?」
当たり前だ誰が褒めるか。手前五百越えてんだろうが何だその姿。……何て事は言わない。これ以上観客不在の漫才やってると話が進まない。
「まあ、それは置いといて。妖術修業の方を頼む、いづな」
「母君だと言っとろうが……まあ良いわ」
口を尖らせ肩を竦めて息をつき。鋭い目で俺を見据える。
「やるからには厳しく行くぞ。分かったな!」
「おう!」
目指すは、大妖怪を覗き見ても気付かれる事の無い超・隠密鼬である!!
……大妖怪に勝てる、ではないのだ。今の所。
◇◆◇◆◇
「まずは、自分の妖力を自覚するのじゃ」
母君の妖術講座、準備編。
妖力とは詰まる所妖怪や妖獣の力その物であり、妖術の言わば燃料だそうである。これを認識出来ない限り何も出来ない訳だが―――。
「おお、なんか在る」
あっさり見つけた。少し集中すれば、体から湧き出てくるような何かを確かに感じられる。
「まあ当然じゃな。見つからん等と言われたら儂は匙を投げる」
まあ何てったって初級ですら無い準備編。出来て当然当たり前。さっさと次に行くとしよう。
◇◆◇◆◇
「それでは、簡単な奴から行くかの」
いづなの妖術講座、初級編。
妖術とは読んで字の如く、妖怪や妖獣が妖力を用いて起こす現象である。種類はかなりの多岐に渡る様子。
狸や狐なんかの『化ける』という行為もこれの一種なのだろう。他にも、前に述べた隠行と人化、火を起こしたり霧を吹いたり、空を飛んだり水上を歩いたり身の丈以上の怪力を持ったり。まるで某モンスターインザポケットの如くである。
「イタチと言えば鎌鼬じゃ!」
いづなが近くの木に手を伸ばすと、木の葉が数枚ひらひらとひとりでに舞い降りて来た。鎌鼬、と言うからには切り落としたのであろう。
それにしても、鎌鼬。いきなり興味深い奴が出てきたものである。
さて鎌鼬とは、痛みも出血もほとんど無い深い傷が、原因も思い浮かばぬのにいつの間にかできている、という古くから知られる怪異である。
この現象は、元は日本各地でカザカマやのノガマやの天狗の刀やの、山神の構え太刀やのの仕業とされていた。これらは、“鎌鼬”の名が有名になった結果鼬の怪異に統一されたのである。
ちなみに自然現象として見るならば、昭和の始めに「鎌鼬は小さなつむじ風が産んだ真空によるもの」というもっともらしい説明が成されているが、実際のところはヒビやアカギレの様なモノであるらしい。つまらない。
とまあ、今はそんな事はどうでもいいのだが。
「この葉を風で切ってみよ」
「葉っぱ切る修業とな」
それなんて某忍者漫画。そういえば俺は鼬である。心底どうでもいいが。
「具体的にはどうやるんだ?」
「うむ……まあ、こう、妖力を」
「妖力を?」
「ウワーッとやって、その、ヒュィイー、って感じでだの」
「日本語で頼む」
駄目だこいつ、当てにならん。
「むう……ともかく切ればいいのじゃ」
「それが出来りゃ良いんだがな」
仕方が無いので、取り敢えず受け取った葉っぱに切れろ切れろーとか適当に念じてみる―――と。
すぱぁん、と。凄まじい音が鳴り響き。
掌の木の葉が、細切れになって飛び散った。
「……は?」
「……何と?」
凍り付く俺達。なんだこりゃ。ばらばらってお前、切れすぎだろ。
「むう……よもやお主。今、能力を?」
「え?」
能力? どういう事だそれは。
「今のは鎌鼬じゃ無いのか?」
「違うの。風の動きは全く感じなんだ」
「なら」
「お主の能力なのじゃろうな」
「……はー」
よもや妖術を習得する前に能力を手に入れるとは。
「で、何の能力なのじゃ?」
「さあ」
「……いや、さあってお主、自分の能力じゃろうが」
さてそう言われても、使おうとして使った訳ではないのだ。
「……能力というモノは、こう、突然ふっと頭に浮かぶモノだと聞いておる。考えろなないち、頭に浮かべろ」
「……むぅ」
言われるままに目を閉じ、能力について思考する。俺の能力、俺の能力―――
あ。
ふ、と脳内に浮かぶ言葉。
―――『切断と結合を操る程度の能力』。
ああ、これか……と。違和感も無く頭にすっと入る。これが俺の能力なのだ、と訳も分からず納得する。
「なんか知らんが、分かった」
「おお! 何なのじゃ?」
「切断と結合。を、操る程度の能力」
「ほう」
首を傾げるいづな。
「で、何が出来るのじゃ?」
「さあ」
「いや、さあって……。自覚したのじゃろ?」
さてさてそう言われても。能力の名前が浮かんだだけなのだ。
「……まあ、良いわ。始めたばかりじゃがしばらく修業は止すかの。その能力で何が出来るのか確かめておけ」
「うい」
さてさて。この『切断』と『結合』とやらの使い方。色々試してみるとしようか。
◇◆◇◆◇
鼬生活も、はや十週間である。
一週間程費やした研究で、俺の能力の利便性の高さが発覚していた。
まず、『切断』。葉を布を毛皮を木の幹を岩を、揚句の果てには地面をも、念じた物を念じた通りすっぱりざっくり切ることが出来た。……どうした訳か、うっかりすると細切れになるが。
切れる物は、目に見えるはっきりした物ばかりではない。
例えば、紫外線。UVカット。女性に喜ばれそう。
例えば、視線。いづなの目の前で尚、全く見られなかった。足音は当然聞こえていた様だが。
例えば、縁。縁切りである。いづなとの縁を断ってみた結果、ねぐらとしている山の何処に行っても会うことが出来なくなった。
要するに、連想ゲームなのだ。『切断』という言葉から思い付いた物は一通り切ることが出来た。
一方の『結合』。『切断』と対になった様な能力。
俺が断ち切った、葉を布を毛皮を木の幹を岩を果ては地面を、元通りに結ぶ事が出来た。……細切れを結び直すのには、かなり時間が掛かったが。
その他も大体同じ。対象が居ないので試してはいないが、縁結び、という奴もおそらく可能であろう。
大概に便利過ぎる能力である。有効範囲があまりに広い。チートと呼ばずして何と呼ぶ。俺ぱねぇ、マジぱねぇ。 ……まあ、比較対象は居ないから、本当のところ強いのか否かは分からないのだが。
しかして切ったり結んだり出来た所で化けられる訳では無し。妖術の方の修業を進めるべく、いづなに研究終了の旨を伝える。妖術修業、再開である。
◇◆◇◆◇
取り敢えずまあ適当に、それなりの年月が流れまして。
―――鼬生活、三年突破。
いきなり飛ばし過ぎ? 仕方がない。何がとは言わないが、面倒な事この上ないのだ。
この三年の内に、山に侵入して来た妖怪に襲われかけたり(捕食的な意味で)発情期に入ったいづなに襲われかけたり(性的な意味で)と色々な事があったが、その辺は割愛。
何はともあれロリババアの妖術講座、中級飛ばして上級編―――
「人化の術じゃ!」
「待ってました!」
隠行を学び鬼火を覚え、やっと至った人化修業。これでやっと、人の姿に戻れる。
「……では。教えた様にやってみるのじゃ」
「……おう」
流石に緊張に口の中が渇く。手を組み目を閉じ妖力を繰り、強く念じる―――ぽん、という軽い音とともに、何だかやけにあっさりと、全身が組み変わる感覚。
「おおっ!」
といういづなの声に、そっと目を開ける。……目線が高くなっている。懐かしい高さ。というか、いづなを見下ろしている。
「お……おおお……!」
近くの池に駆け寄る。懐かしい、二足歩行の感覚。屈んで、池に映る顔を見る。
「……ああ」
そこにあったのは、実に三年ぶりの俺の顔。人間だった頃の懐かしい顔。
「い…………」
ぶるぶると体を震わせ。
「いよっしゃああぁぁぁあああっ!!!」
天に拳を突き上げる。鼬に変わって早三年。俺は、やっとついにようやく、人の姿を取り戻したのであった。
精神の姿、というから元の姿に戻れるだろうと予想してはいたが……いや、外れなくて良かった。
「……しっかし」
後ろから、ぼやくようないづなの声。
「お主、何で儂より背が高いのじゃ……」
「そっちが餓鬼っぽいからじゃないっすか。主に精神が」
「誰が餓鬼じゃ、この糞餓鬼」
返ってくる暴言をスルーしつつ水面に映る自分の姿をまじまじと見つめる。
後ろ髪が肩口辺りまで伸びており、髪と眉の色が赤茶けたイタチ色に変わり、耳がイタチっぽい丸く毛の生えたものになっている。着ているのは青っぽい和服。体を捻って背中に目をやると、多分一メートル程の長い尻尾が生えていた。人間の頃との違いは、そんなものだろうか。良かった。
……いや、ただ一つ残念な事が……
「時にお主、目つき悪いのう」
「うるせえ婆ッ!!」
目つきの悪さ。人間の頃からの、俺の最大のコンプレックスである。どうせ化けてるんだから治れば良いのに畜生。
とまあそんな感じで。俺の妖術修業は完了したのである。
◇◆◇◆◇
「……いづな」
修業終了後、三日程経った夜。
俺は、いづなの前で正座し、これからの事を伝えようとしていた。
「母君と呼べ。……何じゃの」
「旅に出たい」
いづなが目を見開く。が、すぐに何か納得した様な表情になる。
「……旅か」
いづなはぱたりと尻尾を揺らして、半眼で此方を見据えた。
「何故に」
「見聞を広めるべく、かね」
「……そおかの」
上を見上げ、ふっと溜息をつく。
「……別に構わん、勝手にするがいい」
「そっか。ありがと」
……ふう。許可は貰えたようだ。
「明日の早朝には出て行く予定。……今まで、世話んなった」
「……のう、なないち」
いづなが、俺に声を掛ける。
「妖術を習いたいなどと言い出したのは、その為か?」
「そうだ」
「そうか……随分始めの頃から何じゃな」
「……まあな」
いづなはまた空を見て、何か迷うような顔をした後―――俺に視線を戻して、こう言った。
「なないち。お主、鼬じゃなかろう」
「え?」
突然の予想外な問いに、間抜けな声を漏らす。今、何と―――
「今の姿は鼬じゃが……以前は別のモノじゃった。そうじゃろ」
「……何を」
「それも恐らくは、人間。どうじゃ」
「…………」
当たっている。だが。だが、何故いづながそれを知っているのか。
「……ふん。気付かいでか。儂の事をなんだと思うておる。五百年を生き一山を縄張りとす三尾の大鼬・飯綱様じゃ。餓鬼風情がこの儂に隠し事等出来ると思うな」
「…………いやはや」
頭を掻く。よもや、気付かれているとは思わなかった。餓鬼に見えて、本当は頭が良いのだこの鼬。
「何で気付いたんだ?」
「お主、儂の事を頑なに母と呼ばんかったろう。妙な言葉ばかり知っておるし、やけに人になりたがるしの。まあそんなところじゃ」
「そっか……駄目だなあ俺は」
積極的に隠そうとしていた訳ではないが。少なくとも、教える気は無かったのだ。
「ま、どういう事情で鼬になったのかは聞かんし、どんな人間だったのかも興味はない。……ただ、此処で言っとかんと機会が無くなりそうじゃからな」
「……まあな。旅に出たら、もう戻ってくるつもりはなかった」
本音である。いづなと俺は飽くまでも他人なのだ。俺はいづなを母親とは認識していなかったし、相手も気付いていたのならこれはもう母子とは言えまい。
「何にしろ礼は言わなきゃな……自分の子供でもない奴を、ここまで育ててくれて有難うよ。感謝してる」
「……うん?」
俺の言葉を聞いたいづなは、眉をひそめ、こう言った。
「何を言っとる。―――儂が腹を痛めて産んだ以上、中身が何であろうと儂の息子じゃ。育てるのは、至極当然の事じゃろう」
「……え」
……しばらく、開いた口が塞がらなかった。中身は人間だと知っていながら、俺を自分の息子だと、そう認識していたのかこいつは。
「……は。あはは」
「何を笑っとる気色悪い」
何だか、妙に嬉しくなった。他人じゃあないのか。俺はこいつを親だとしていいのか。この俺に母親と呼べる存在が在ったのか。
「……うん。まあ、あれだ。改めて……今まで、世話になりました―――」
―――母さん―――。
「―――行ってきます」
その俺の言葉に、俺の母さんは酷く驚いたような、でも嬉しそうな顔をして、
「……うむ、行ってこい。だが母君じゃ」
と。そう言って、楽しそうに笑った。