其之十八、鼬幻想の郷を訪れる事
三人称。
時は明治の世、東京と名を改めてそう間もない江戸の町。
明治の維新より十数年ばかり、煉瓦造りの西洋建築が並ぶ町並み。がたがたと走る馬車、路傍に整然と立つ街灯。石畳の上を行き交うは、洋装や和装の入り乱れた人々。
そんな何と無くちぐはぐな町を、一人の青年が歩いてゆきます。
少しばかり長目の黒髪、日本人にしては高い背に細い黒縁の眼鏡。身に着けた羽織りも袴も草臥れ色褪せていますが、足元では真新しいブーツがかつかつと良い音を立てております。ぱっと見た所は良く居る貧乏書生でありました。
青年は特に当ても無い様子でゆっくりと路上を歩きます。その視線はふらふらと、彼方を見ては此方を見、しかし忙しないと言う訳では無し。
その様はまるで、景色を目に焼き付けようとしている様な。記憶を確かめている様な。
ふと、青年が立ち止まり。
それに伴ってかぴたりと定まった視線の向く先は、雲一つ無いからりと晴れた青い空。
「……頃合いだよなあ」
と。青年は、一つ呟いたのでありました。
さて、彼の名は八切七一。読者諸兄お馴染みの旅する鼬であります。
しばし道を共にした地蔵殿と別れまして、そろそろ二百年になりましょうか。
彼は此処しばらく、人の姿に化けて生きておりました。人間の技術が進み、一匹で野に生きるよりも人として街に生きる方が楽になってきたからであります。
勿論旅は続けております。ただ、人の中に居る事が多くなったと言う事。黒髪に眼鏡の青年の姿は、中身は年喰った鼬とは言え子供一人の渡世は難しいが故にでありました。
今の彼は『書生』を名乗っております。
書生とは元来、経文等を書き写す者や単に学生を指すのですが、明治大正頃においては他人の家に世話になって家事を手伝いつつ学問する者を言いました。
彼は特に学問をしている訳ではありませんが、書生と言う言葉に感じる、青春と言いますか青臭さと言いますか、雰囲気と言った物が好きだったのでありました。
尚彼の眼鏡は伊達眼鏡で、書生っぽい気がするからと言う理由だけで掛けている物であります。
まあそんな訳で今の彼は、適当な家に厄介になって家事手伝いをしては読書や書き物に耽り、そしてしょっちゅう旅に出ると言うおかしな生活をしておりました。全く以て妖怪らしからぬ事であります。
……そして、その妖怪らしからぬ事と言うは、余り洒落になる事ではありませんでした。
この明治の時代、妖怪変化の類は存在せぬモノとされつつありました。街灯が夜の闇を照らし、不可思議な現象には学者が何やかやと理由をつけ。古い因習は迷信とされ、西洋の新しい物が次々と持ち込まれ。
そもそもが人の心の内より生まれ出ずる妖怪の事、人の心よりその姿が消えれば消えるより他に道は無し。
妖怪は、幻想になりつつあったのであります。
人の如くに生きると言う八切の生き様は、妖怪としての彼を少しずつ殺しておりましたのです。勿論それに気付かぬ彼には非ず。その現状を如何にかすべく知恵働かせ試行錯誤、しかして道は一ツである事を遂に知ります。
則ち、幻想郷。
それは、遥か昔とある妖怪が『楽園』を成すとて創った場所であります。其処はつい最近完全に世から隔離され、消えゆく妖怪が消えずに居られる場所となっておりました。彼は遂に、本拠を其処に移す事を決心したのであります。
故に彼は今し方まで、しばし見納めとなるであろう東京の街を、ふらふらと見歩いていたと、そう言った訳なのであります。
「……そろそろ行くかなぁ」
空へ向けた眼を戻した鼬は、薄れる己を感じつつ、この街を離れるべくまたふらりふらりと歩き始めるのでありました。
◇◆◇◆◇
「さってさてさて。此処か」
と、数刻後。
何時もの様に楽しげな薄い笑みを浮かべた鼬が立っていたのは、小さな神社の前でありました。風の噂に聞く所では、此処が入口なのだそうで。
随分と古びた、しかし最低限の掃除はされているらしいその社。掠れた文字で博麗と書いております。しかし彼が用のあるのはこの神社自体には非ず。
「……んー」
片目を閉じ首を傾げ、妖たる感覚を以て行くべき道を捜します。ぴくぴくと動く鼬耳。ちなみに今の彼は既に、獣の尾と耳を付けた少年の姿。
「あっち、かね」
と、どうやら何か見付けた様子。八切は境内を少し戻り、鳥居へと歩み寄ります。此方も古びてはおりますが、中々に立派な鳥居。
「異界への道が鳥居ってな、中々相応しくて良いねぇ」
柱に片手を当ててを見上げつつ、八切は楽しげに呟きます。
「ふむ……」
そして鳥居の下の柱の間、其処に壁があるかの様に手を滑らせ何やら頷きます。どうやら其処に結界が在る様で。異界と外の境界であります。
「……よし。『切れる』な」
にい、と深い笑みを浮かべた彼は、その結界へ向けて手刀を縦に走らせます。
『切断と結合を操る程度の能力』―――それが彼の力。ぱりり、と小さな音を立てて空間が裂かれ中への道が出来ていきます。彼の十八番である『窓』と似たような物。結界を切る訳だから少々手荒でありますが、まあ構いますまいと言った所。
「よっと」
十分に広がった所で、彼は屈めた身を中へ滑り込ませ、今し方開けた道を素早くなぞります。すっと元通りに閉じる道。
すっくと背を伸ばした八切は、ざっと周りを見渡しました。ついさっきまで居た外と似て非なる景色。古びた神社は幾らか真新しくなり、辺りの森も変わっております。漂う妖気の濃さは、外とは比べ物になりません。此処ではまだまだ妖怪が力を持っているのであります。
ともあれ、取り敢えず人若しくはそれ以外は居ない様子。八切は小さく息をつきました。潜入成功、なんて。
何をそう警戒しているのかと言いますと、とある理由から、彼は此処の管理者に余り会いたくないのです。と言っても此処に住む以上何時かは顔を合わせる訳でありますが、其処はそれ、嫌な事は後回しにしたい彼の子供の様な性分が出ていると言えましょう。
「……何か陰口叩かれた気がすんな」
何やらぶつぶつと呟きつつ、取り敢えず誰かに見られぬ内にとこの場を離れるべく歩き出しまして―――
「―――久し振りねぇ、八切」
背後からの声。びくーん、と伸びる背筋。つつうと背中に冷や汗垂らし、恐る恐る振り返った先におりますのは、勿論。
「よ……よォ、八雲……」
ふわりと波の掛かった金の髪。上品な紫色のドレスに白い長手袋。くるりくるりと回る日傘。
とある事情より鼬を追って幾年月、境界に生きる老獪なる大女妖―――彼女の名は、八雲紫。スキマ妖怪であります。
「そろそろ来る頃だとは思っていたわ。貴方の様に派手な真似をしない妖怪が、今の世でそう長くもつ筈が無いもの」
「……まあ、すぐ見付かるな分かってたがよ。此処に来て最初に見るのがお前さんの顔たぁあまりに幸先悪ぃぜ」
ぼやく鼬でありますが、それは筋違いと言うモノ。と言いますのも、そもそも彼がこのスキマ妖怪に会いたくなかった理由と言いますのが、一度約束した事柄をすっぽかして追われていたからなのであります。要するに自業自得。
「幸先悪いはこっちの台詞だ、八切」
「お?」
と。一体何時から居たものか、八雲の後ろ、神社の前に二人の女性が立っておりました。
一人は紅白の巫女服に身を包む気弱そうな見知らぬ女性。一人は白い帽子に短めの金髪、背中に金の九尾を揺らす女性―――と、此方は鼬も旧知の仲。
「おォ、久し振りだな玉藻の。元気してたか?」
「今は八雲藍だ」
彼女は玉藻前―――と言うのは昔の名でありますが。昔々都を騒がせた大妖狐で、現在八雲の式神となっております。白面金毛九尾の狐たる彼女が一妖怪の式に甘んじている理由と言いますのは、まァ鼬の所為であったりする訳なのですが。
「まさか結界を裂いて入って来るとは思わなかったぞ。壊れたらどうするんだ」
「壊れる様な下手な切り方するかっての」
軽口を叩き合う二人であります。どうも狐の方に恨みの念は無い様で、むしろ何か面白がっている風すら見受けられます。長い年月に薄れたか、それとも。
「……あのぅ、紫さん」
と。此処でやっと口を開きましたのが主張の薄い巫女服の女性。何をおどおどしているのやら、遠慮がちに八雲に声を掛けます。
「あら、居たの華」
「……居たのですか、華様」
「い、居ましたよさっきから! て言うか藍さんは隣じゃないですかぁ!」
「貴女の影の薄いのが悪い」
「ひ、酷い」
のっけから酷い扱いを受けている華と呼ばれた巫女さん。ああ影薄いなァ等と心中同意する鼬でありました。しかし巫女さんめげません。先程しようとした質問を口に出します。
「えぇとですね、その方は一体」
「アレ? アレは八切七一って言う性悪妖怪よ。性格悪いから気を付けなさい」
「はぁ。紫さんよりもですか?」
「……貴女って娘はうふふふふふ」
「い、痛いです!」
「あはは」
「笑うな其処の鼬っ!」
要らん事を言って頬を抓られる巫女さん、わざとらしく指差して笑い怒鳴られる鼬。話が大いに逸れております。
「ともかくッ! 此処で会ったが百年目、よ八切七一!」
「もう千何百年かになるけどな」
「五月蝿いっ。さあこの幻想郷に住まわせて欲しければ、私の式になりなさい!」
「ええー……もう良いだろ別に。玉藻の、じゃねえや藍が居るんだから」
しつけえなァ、と嫌そうな顔をする鼬であります。が、繰り返しますが自業自得。この場に彼の味方はおりませぬ。
「そうもいかないなあ、八切……何せ小さいとは言え世界を一ツ管理する訳だから、どうにも忙しくてな」
「……要するに?」
「私が楽をする為だ、大人しく捕まれ。積年の恨みもある事だしな」
「いっそ楽にしてやろうか畜生め」
顔を顰めて毒づく鼬でありますが、狐は楽しげににやつくばかり。
「……あのぅ、何だか良く分かんないですけど、妖怪退治なら私が……?」
「邪魔だから引っ込んでて頂戴。て言うか貴女、何しに出て来たの?」
「ひ、酷い」
また遠慮がちに口を出し、しかしまたまたぞんざいに扱われ涙目になる巫女さん。憐れであります。
「……こいつの相手は私と藍の仕事なのよ。貴女が―――博麗の巫女が、わざわざ手を出す必要は無いの」
「……はぁ。それこそ、お二人が揃って掛かる必要のある程強い方には見えませんけど」
「見掛けに騙されちゃいけないわ。アレはこの私から三度も逃げおおせた鼬なのだから」
「はぁ……別に良いですけど。その、なるべく神社壊さないで下さいね?」
「善処するわ」
巫女さんは首を傾げつつも、神社の方に戻り賽銭箱にちょこんと腰掛けます。
……まあ首を傾げますのも仕方の無い事、普段の鼬の妖力は一尾の妖獣のソレに過ぎませぬ。見た目や立ち振る舞いに至っては何をか言わんや。彼程大妖怪らしくない大妖怪もそうは居りますまい。
「さて……一応聞いておくわ。大人しく従う気はあるかしら?」
「あるとでも思うのかね?」
「……ま、そうでしょうね」
鼬の返答に、肩を竦めて苦笑するスキマ妖怪。その傍らに歩み寄り、九尾を揺らしつ薄ら笑う妖狐。そして二人の眼前に立ち、人を喰った様な笑みを浮かべる鼬。
……ついでに、賽銭箱に座って何処からともなく出してきたお茶を啜る巫女さん。案外マイペースな御方。
「俺が勝ったら、此処に住まう事を認めもう余計な手出しはしない」
「私が勝ったら、式となり従う事を認め二度と逃げ出す事をしない」
「……んじゃ、まあそう言う事で」
「始めるとしましょうか」
そう言う事になりました。
◇◆◇◆◇
「まずは様子見、と言う訳で―――藍!」
「はい」
主の命に答え、たんと地を蹴る九尾狐。ふわりと飛んだその身体は、鼬の前に降り立ちます。
「ふむ。最初はお前さんかね? 別に二人で来ても構わんのに」
「ふん、言ってろ。……その姿のままやる訳じゃないだろう。とっとと本性を現せ」
「本性てお前……化け物みたいに言うなよ」
「妖怪だろうがお前」
「……貴女達、やる気あるの?」
だらだらと軽口を叩き合う二人に、宙に開いた奇妙な裂け目―――スキマに座った紫の野次が飛びます。何とも締まらない連中。
「はいはい分かりましたよォ、っと。……とりま十本で良いかね」
呟いた鼬がぽんと両の手を合わせ、身の内に畳んだ尾を解放。ざわり、と生え揃いますは大きく太い十の尾。その身に纏う妖力も大きく強さを増します。すう、と目を細め身構える藍。
「……相変わらず目茶苦茶だな。何で尻尾が増えたり減ったりするんだ」
「頑張ればお前さんも出来らァ」
「……うわぁ」
目を丸くして感嘆の声を漏らしたは、賽銭箱の巫女さん。十尾に半分埋もれた様な鼬の姿に、一言。
「もふいです……」
「何語よ」
突っ込み突っ込まれるスキマ妖怪と巫女さんを余所に、鼬と狐の間の空気が張り詰めてゆきます。ざり、と二人の足が地を擦り。
「―――ふっ」
先に動いたは九尾狐。先手必勝とばかりに右拳を打ち出し、
「おっと」
しかし鼬は難無く捌きます。左掌で受けて横に受け流し、更に突き出された膝を右の腕で止め。バランスを崩しよろめく藍の、拳を掴んだ手で強く引き倒し。
「ふん!」
「うお!?」
ぐるん、と身を回転させた藍の脚が頭目掛けて繰り出され、鼬の身体はそれを躱して大きく退け反ります。拳を掴んでいた手が離れ、鼬の横に着地した九尾狐がまた拳を突き出し。
「―――く」
がぁん、と。丸で鉄を叩く様な音と共に弾かれます。彼女の拳を受けたのは、妖力を込めて硬化された鼬の尾。
「ちっ……」
拳を押さえて舌打ちした藍、地を蹴って一度距離を取ります。何をしたかは解らずも、あの十の尾が盾に使えるのなら近接は不利―――と、そう考えたのでありましょう。
「驚いたか? 護身の為の試行錯誤、練磨は絶やさず……ってな。俺の尾は即ち武器であり盾だ」
「……本ッ当に目茶苦茶な奴だな」
偉ッそうに言う鼬でありますが、尾の硬質化と言うのはこれが中々難しく、出来るのはせいぜい一度に数本を数秒固める程度。まあ其処はそれ、ブラフと言うモノであります。
「……やっぱり、強いわねえ」
と。九尾の大妖狐たる藍が軽くあしらわれる様を見て、観戦していた紫がふわりと藍の隣に並びます。
「お。今度は二対一か?」
「卑怯だとか馬鹿げた事、言わないわよね?」
「ひ、卑怯だ!」
「……ホント、貴方と話してると気が抜けるわね」
「いやァ」
「褒めてないわ」
と、馬鹿みたいな会話を置きまして。スキマ妖怪は空へと舞い上がり手にした扇子を振り上げます。途端、彼女を中心に妖力が溢れ―――形を成すは、弾の群れ。
「さあ、行くわよ八切……手加減はしないわ!」
「……ちょっとくらい手ェ抜いてくれんかな?」
その弾数に若干顔を引き攣らせ、巫山戯た事を抜かします鼬。しかしてまあ、当然の如く無視されまして。ぱんっ、と開いた扇子が鋭く振り下ろされ、鼬目掛けて一斉に打ち出される妖力弾。
その様―――正に、弾幕。
「ッ……とォ」
真面に避けて避け切れる物では無しと判断しておりました鼬、ついと開いた『窓』にて回避致します。繋いだ先はスキマ妖怪の背後。これも『窓』より取り出したる木刀をその無防備な背中に振るい。
「―――外れ」
「ッ!」
するり、と。木刀が触れるその前に、紫の身体はスキマに呑まれます。空振った鼬の上にまたスキマが開き、内より現れますは拳を振りかぶる藍。更に鼬の下、地上からは、スキマ妖怪の放つ荒れ狂う妖力弾の嵐。
「あ……ッぶねぇなンの野郎!」
この挟撃に、開くまでに寸の間とは言え時間の要る『窓』は間に合わぬと踏みました鼬。振り下ろされる藍の拳を、硬化とまでは行かずとも妖力を纏わせた尾で以て受け流し。彼女の背中を蹴り付けて、その場を退避致します。
取り残された藍には、当然の如く。
「のわ―――!?」
スキマ妖怪の弾幕が容赦無く襲い掛かります。一方鼬は下に降り立ち『窓』にてまた紫の背後へ。しかし当然スキマで回避。……これがホントの鼬ごっこ。何て。
「ええい……ホンっト欝陶しいなソレ」
「お互い様でしょう」
「……そうでもねぇんだがな」
肩を竦めて見せるスキマ妖怪に苦々しげな顔をする鼬。紫のスキマと鼬の『窓』、良く似てはおりますモノの、『窓』は開くまでに瞬間掛かる為、相手方の動きを読めない限り回避には使えないのであります。
「……あー。やっぱ面倒臭ェな」
と。がくん、と鼬が身体の力を抜き、気怠げに呟きます。
「うぅん、まあ、しゃあねえやな……一体何百年振りなのかも分からんが」
「何をぶつぶつ言ってるの。もう降参? それともまた逃げるのかしら?」
「いやいや、八雲よぉ」
鼬は顔を上げ。にへら、と力の抜ける笑みを浮かべ。
「俺が今まで逃げてたな、俺がお前さんよか弱かったからだ」
「そうね。で?」
「なら現在、何故俺は逃げてねえのでしょーか」
「……随分な自信じゃない」
鼬の言葉に、スキマ妖怪は目を細め怖ぁい笑みを浮かべます。その後ろには服の焦げた藍が戻って来ておりますが、どうも会話の蚊帳の外。
「さて……大抵弱い物虐めになるからあんまり好きじゃァないんだが」
一方鼬は気にした風も無く。
「ま、お前さんが相手だし―――」
そう、宣いまして。
その全ての尾を、その全ての妖力を。
此処に開放致します。
「―――久し振りに本気と言う奴を、出してみようじゃぁねえか」
溢れる妖力に、ごうと震える一帯の空気。十に加わるはその数三。さしものスキマ妖怪も、凝と目を見開きます。
「な―――」
「しがない普通の鼬、改め―――『切り結ぶ十三尾の大鼬』、八切七一だ」
そう、知り合いの神に頂戴した二ツ名を名乗りまして。
「折角の『本気』だからなぁ……手加減はしねェぞ!」
手加減は無し、と。さっき言われました言葉を返し、鼬は実に妖怪らしい裂ける様な笑みを浮かべ。
「……うわぁ」
それを余所に観戦中の巫女さんが。
「超もふいです……」
ツッコミ不在のまま惚けた一言を零しました。
◇◆◇◆◇
「―――おらァ!」
「く……」
目にも留まらぬ速さで距離を詰めた鼬が、木刀を大きく振り抜きます。辛うじて反応し躱した二人に追撃を叩き付け、しかし今度はスキマにて回避され。
「……やっぱアレどうにかせにゃなぁ」
「この……!」
顔を顰めてぼそりと呟く鼬。一方距離を取った紫と藍は、鼬を挟む様に妖力弾を撃ち出します。
「はッ……んなしょぼい弾が効くか!」
鼬は先程と同じ様に、しかし遥かに強く尾に妖力を纏い、ぐるんと身体を回し妖力弾を弾き飛ばします。んな無茶苦茶な、と顔を引き攣らせる藍の背後に『窓』を開き、その尻尾を引っ掴み。
「そぉい!!」
「うわ!?」
抵抗する間もなく一回転振り回し、遠心力に乗せて紫へと思い切りブン投げます。しかしすいっと避けられその傍らに着弾。
「いや受け止めてやれよ……」
「嫌よ。怪我するわ」
「……私は怪我しましたが」
むくりと身を起こし痛そうに身体をさする藍。中々ぞんざいな扱いであります―――と。
「―――なっ!」
「っ!?」
ぶわり、と。先程鼬が掴んだ尾から広がる青い紐。紐は二人の身体を搦め捕り、縛り上げてその場に固定します。
「な……によコレっ」
「うははは……俺謹製の緊縛妖術だ。いくらお前さん等でも簡単には解けんぞ」
「何で亀甲縛りなのか聞いてんのよッ!」
「お約束だッ!」
「死ね!」
ぎゃあぎゃあ喚く二人には構わず、鼬はぐっと腰を据えて左の掌を突き付けます。
「さあお返しだ―――砲撃ってな、こう言うモンだ」
―――ぎぃぃん、と。空気を震わせる様な高音と共に、鼬の左手の妖力がみるみる高まってゆきまして。
「―――圧縮妖力・十三尾砲!!」
爆音。
反動で鼬すら吹き飛ばす様な勢いで、撃ち放たれるは群青色の極太レーザー。神社の境内を削り森の木々を消し炭にし、遥か空の雲まで貫きまして。
「……ほぉ」
―――しかし。
それが過ぎ去った後には、服は大分煤けている物の、ほぼ無傷でいるスキマ妖怪と九尾狐。今の砲撃を結界なり何なりで防御した様子。しかし結構な労力を要した様で、ぜいぜいと息を荒げております。
「良く堪えたモンだが……ま、此処までよな」
とん、と鼬が片足で地を叩くと、二人を囲む青い四角が描かれ壁が上がり。疲弊により反応する間も無く、二人揃って遮断結界『檻』の中。もはや逃げ場はありませぬ。
「はい、と言う訳で―――」
ぎりぎりと歯を噛み締めて睨み付けてくるスキマ妖怪と、何処かやれやれと言った表情の九尾狐に、鼬はにぃと笑いかけ。
「―――良く頑張りました」
二人纏めて結界ごと、木刀―――意識遮断刀『意断』にて切り伏せたのでありました。
◇◆◇◆◇
「……壊さないでって言ったのに……」
十二の尾を収めて木刀を『窓』に放り込んだ鼬の後ろで、悲しげかつ情けない声が上がります。振り返ると、鼬の砲撃により削り取られて出来た溝の横に涙目の巫女さんが。
「お前さんは確か……はな、とか呼ばれてたっけか」
「あ、はい……博麗華と言います。貴方はその、性格の悪い鼬の八切さん、で良いんですよね?」
「良くねえよ。性格悪いは余計だ」
一々一言多い巫女さんであります。
「……それにしても、本当思いっ切り壊しましたね……うぅ」
「まあ、俺は壊すなたぁ言われてねぇし」
「貴方にも言った積もりだったんですよぅ……」
「そ、そうか……まあ、何だ、すまんな。怒るなよ」
「怒ってはないですけど……」
哀愁すら漂わせる巫女さんの姿に思わず謝る鼬。思わずで無ければ多分彼は謝りませんが。
「まぁ、こいつ等に直させりゃ良かろ」
「……こ、壊したの貴方じゃないですかぁ」
「良ーんだよ俺は勝ったから」
気絶しているスキマ妖怪の頭を爪先で突く鼬。物凄く悪役っぽい挙動であります。
「しかし此処に転がしとくのもなんだな……」
「あ、神社に上げますか?」
「……良いのかよ、勝手に妖怪なんざ入れて」
「? 勝手に、って……ああ。この博麗神社、私しか居ないんです」
華の言葉に、首を傾げる鼬。
「……あん? 神主は?」
「居ません」
「禰宜は? 宮司は? 祝は?」
「い、居ませんってば」
ずずいと詰め寄る鼬に、身を引きつつ答える巫女さん。
「へえ……珍しいなァんな神社。……ま、国に管理されてる訳じゃねえからな。正式な形してねえのもアリか」
「良く分かんないですけどそうですよ」
「……いやいや」
良く分かんないなら黙ってりゃ良いのに、と呆れる鼬。この巫女さん天然であります。
「で、お前さんは一人で祭事なり何なりやってる訳だ」
「はい。後、妖怪退治とかも」
「へぇ……」
いつかスキマ妖怪の言っていた、妖怪と人間の共存。妖怪退治が必要だと言う事は、未だ完全に実現とは行っていない様であります。
「ま、良いさ……こいつ等運ぶか」
鼬は藍をぐいと持ち上げると、俵を担ぐ様に肩に載せます。もう一人担ぐのは無理がありそうなので、紫の足を掴んで歩き出し。
「ちょちょ、ちょっと」
「あん?」
「ひ、引き擦って行くのは流石にどうかと……」
「ええー」
「えーじゃないですよぅ」
仕方が無いので尻尾でくるりと巻いて持ち上げます。妖力で強化すればこんな事も出来るのです。まあ便利。
「で、何処よ」
「あ、はい、此方に……」
と、案内されましたは神社の裏手。どうやらこの神社、彼女の居住空間も兼ねている様で。縁側から上がる巫女さんの後について、鼬も上がって二人を畳床に下ろします。
「……布団とか敷いた方が良いでしょうか?」
「要らんだろ。妖怪だから風邪も引かんし」
「そう言う問題じゃないような……」
呟く巫女さんはさらりと無視し、鼬は縁側に腰を下ろします。目の前には桜の木が幾本か並んでおり、その花をぱらぱらと咲かせております。
「まだ若い木ばっかだな……」
「植えてから余り経っていませんから……あ、お茶入れて来ますね」
そう言うと、巫女さんはぱたぱたと奥へ走ってゆきました。直後に聞こえた何かが転んだ様な音と悲鳴の様な声は恐らく気の所為でありましょう。
「……しかし、妖怪持て成すなよ」
妖怪退治も仕事の内である筈の巫女さんに、ぼそりと突っ込みを入れる鼬でありました。
◇◆◇◆◇
「ふう……」
巫女さんの持って来たお茶を飲みまして、一息つく鼬。別に賢者ではありません。
「時に、お前さん」
「はい?」
「妖怪退治やってると言ったが……巫女さんの仕事じゃなくねえか?」
「あ、それはですね……」
ずず、と一口茶を啜り口を湿らせ、巫女さんは説明致します。
「この博麗神社の巫女は『博麗の巫女』と呼ばれ、この幻想郷での妖怪や人間のいざこざを調停する役目にあるんです」
「……退治が調停か?」
「言葉で解決するならそれが一番なんですけど……人里で暴れたりする妖怪を、野放しには出来ませんから。一応里にも何人かの退治屋は居るんですけど、ね」
「ふうん……」
この気弱げな女性に妖怪と闘う事なぞ出来るのだろうか、とまじまじ巫女さんを見る鼬。まあ感じる霊力はそれなりのモノですし、実際やってるからにはやれてるんでありましょうが。
「妖怪に『御免なさい退治します』とか言いそうだなぁ……」
「え?」
「ん、独り言」
何か言いましたか、と首を傾げる巫女さんにひらひらと手を振る鼬。なら良いですけど、と茶菓子の羊羹を齧る巫女さんでありました。
「……私からも、良いですか?」
「うん? 何かね」
「さっきの境内壊したアレ、一体何なんですか? ただ妖力を撃っただけには見えませんでしたけど……」
「んー……まあ、隠す事でもねえかなあ……」
調停者の立場にある者相手なら尚更、と考えました鼬。自身の血と汗と涙と無茶の結晶について教授いたします。
「ありゃ要するに、『圧縮』だ」
「圧縮?」
「ん。左腕に妖力を溜めて思いッ切り圧縮する。んで掌に穴空けるイメージで一気に撃ち出すんだわ」
「……ソレ、物凄い無茶なんじゃ」
「おう。無茶も無茶よ、制御失敗したら腕が飛ぶな。多分」
「う、腕」
彼の凄まじく精密なコントロールがあってのあの威力。他人にはまず出来まい、と彼は自負しております。
「確かに威力は凄いですけど……何でわざわざそんな事」
「体質か何か知らんがな……俺は身体の外妖術の外じゃ妖力を扱えんのよ」
彼が妖力を撃とうと思いますれば、身体の内で推進力を与えねばならないのであります。それ故の無茶。
「はー……大変ですねぇ」
「全くだ」
馬鹿威力はあれど連射は効かず、撃つのに時間が要る上、むしろ威力が高過ぎて使い辛かったりもするのです。溜める妖力である程度調整が効くとは言え。
「では、二人を切った木刀は?」
「ん、コレか」
鼬はすらりと『窓』から木刀を抜き、ひゅんと前に振ります。
「これは意識を断つ刀でな。名前を意を断つで『意断』と言う」
「……柄に菊一文字って書いてますけど」
「格好良いだろう!」
「そ、そうですね……」
ちなみに菊一文字とは、実在の名刀の名であります。菊紋は天皇家の証、則ち天皇家に認められた優れた刀。間違っても木刀に彫る名前ではありません。馬鹿であります。
「……そのぅ。もう一ツ、良いでしょうか」
「どーぞ」
「その……紫さんと藍さんと、どう言う関係なんでしょうか……?」
と。その真剣な表情を見る限り、先程からしていた質問よか、本当に聞きたかったのは此方の様で。妙な遠慮しないでさっさと聞きゃ良いのに、と木刀を仕舞いつつ心の内に思う鼬であります。
「八雲はまァ……腐れ縁、かねえ」
「腐れ縁?」
「そもそもは俺が約束すっぽかしたんが悪りぃんだが……此処まで延々追われてっと、やっぱお互い意地になってたんだろなあ」
「はぁ……」
「あいつも多分、最初の目的とかは割とどうでも良くなってんじゃねえかな」
ちらり、と後ろのスキマ妖怪を見遣る鼬。未だ突っ伏したままの彼女。
「で、藍は……俺の勝手でかなり迷惑掛けたな」
「……」
「死に場所見っけた奴を無理に助けて、自分の目的に利用した訳だ。悪いたぁ思ってる……ま、面と向かっては言わんがな」
「……藍さん、怨んでたり怒ってたりはしてないみたいでしたけど」
「有り難ぇな。全く以て……」
「……む」
「うぉ!?」
と。此処で突然起き上がりましたは気絶中の筈の九尾狐。鼬は一瞬目を丸くし、それから、ちぇ、と舌打ち致します。
「起きてたのかよ」
「……ついさっき、な」
「聞かれたなら仕様がねえな……まぁ、何だ。悪かったな」
「……ふん。今更気にしちゃいない。私は今の生活を気に入っているんだ」
そして藍は、少し頬を染め顔をちょっと背けながら。
「最初から、大して怒っちゃいなかった。不本意ではあったが……何だかんだでお前は、私の『命の恩人』だからな」
「……」
「……何だその顔は」
「んや……お前さんもそう言う可愛いげのある事言えんのな」
「余計なお世話だ」
ふん、と鼻を鳴らし顔を明後日の方向に向ける九尾狐。くつくつと笑いながらゆっくりと尾を揺らす鼬。……そしてその尾を触りたそうに見ている巫女さん。マイペース。
と、其処に。もう一人が加わります。
「……私への謝罪はないのかしら、八切?」
「お前さんも起きてたのか……」
むくりと起き上がり、早々に謝罪を要求するスキマ妖怪。藍の時とは打って変わって嫌そうな顔になる鼬であります。
「お前さんはほら……お相子って事で良いだろ」
「良かないわよ。私の方が一方的に損しているわ」
「長い逃亡生活に神経を擦り減らし、俺の性格は歪んでしまったのです。賠償を請求する」
「貴方昔からそうでしょう」
「いやいや、昔の俺はもっと爽やかだった」
「爽やかな八切……ふ」
「何笑ってんだ其処の狐」
ちょっと想像して失笑する藍。まず目付きの悪さから爽やかにはなり得ません。
「……ま、何にせよ! 俺ぁお前さんにだけは謝る気はねえよ」
「私にだけはって……何よそれ」
「特別扱いだ。喜べ」
「喜べる要素が見えないわ……」
結局、まあ。
意地っ張りなのであります、鼬もスキマ妖怪も。何方も折れる気等無し、何時までも続く腐れ縁。
「んじゃ、俺はちょっとうろついて来っから」
と、草履を履き庭に降りる鼬。巫女さんが首を傾げまして、
「うろついて来る?」
「おう。幻想郷を見て回りてえし、昔の知り合いが何人か居る筈なんでな……。後、住むからにゃ家も必要だ」
「……住む所くらいなら世話してやっても良いわよ」
「要らねえよ。自分で何とかするさ」
妙な仕掛けをされちゃ堪らない、と笑う鼬にそんな事するか、と頬を膨らす紫。
「……ま、そんじゃまた今度な。華、藍―――」
と、鼬は順繰りに彼女等の顔に視線を向けて、
「―――紫」
そう、名を呼んで。
ふらりふらりと歩いてゆきました。
「……名前で呼ばれる義理なんてないわよ、あのボケ鼬……」
「……お茶、飲みます?」
―――明治十七年、桜咲き始める早春の事。
一匹の鼬が幻想の郷に足を踏み入れました。
と、言う訳で。
月刊鼬紀行文、最新話でありました。
さてさてこのサイトで後書きから読む様な奇僑な方はおりませんでしょうので、皆様とうにお分かりの事と思いますが……三人称です。ええ、三人称。
常々やってみたいなあと思っていた三人称、やってみた訳なのです。
最初は以前までと同じだ・である調で書いていたのですが、ふとこのままでは今までの文の『俺』を『彼』『鼬』に置き換えたのと変わらぬ事に気付きます。
これじゃいかん、と敬語調に転換。するとこれが中々書きやすい。しかし何だか地の文に人格が生まれてしまいました。誰かが鼬を横から見て喋ってる様な。……駄目じゃん。どうやら自分の筆力はまだまだ足りない様です。
余りに不評であれば鼬一人称に戻す可能性も無きにしも非ず。
今回恐らく初めて、鼬がマトモな戦闘を致しました。
……戦闘描写なんて嫌いだー。やってみて改めて思います、やっぱ苦手だコレ。もうこれからは単なる鼬無双にしてやる。幽香とか虐めてやるうわーん。
で、巫女さん。巫女さんです。華さんです。
最初は昔の代の博麗の巫女を書く気はありませんでした。何故かってーと、この時代がほいほい進む話では、寿命の短い人間は登場させ辛いからです。
しかし鼬が博麗神社に来るのに巫女が出ないのは余りに不自然。そんな訳で、台詞「ひ、酷い」及び「はぁ…」の似合う彼女が生まれました。
出したからにはしっかりと活躍して頂きます。って事で、再登場までちょっと間の開いてしまう河童や天狗とは違い此処での人物紹介的なアレはありません。紹介は話の中で。悪しからず。
鼬がチャージショットを習得しました。
って要するに溜め撃ちです。量と密度が半端ないだけの。
正式名称は『八切流圧縮式妖力砲一式~十三式』ですが長ったらしい上に本人もネーミングが酷い事を認識しているので口に出しません。しかし口に出してる部分だけでも十分アレだと彼は気付くべき。……え、どうでもいい? さーせん。
…とまあ、長くなりましたがこんなモンでしょうかね。
それでは皆様お読み頂き有難う御座いました。
……尚都合により、相変わらず感想返信大いに遅れる可能性大です。ご了承願います。




