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東方鼬紀行文  作者: 辰松
一、旅鼬
14/29

其之十四、鼬花見の座にて二度再会せし事

謹賀新年。

 桜。


 この日本国で最も一般的な花であり、また最も愛されていると言える花である。


 冬の終と共にその姿を美しく彩る春の象徴、葉も付いていない黒々とした幹枝からわっと豪快に咲き乱れるその薄紅色に、古来より人は強い生命力を感じていた。また裏腹に、花を咲かせたかと思えばはらはらと散ってゆくその姿は、人に儚さや潔さを感じさせたのだ。

 故に桜という花は武士道の例えにもされ、しばしば自己犠牲のシンボルともなってきた。花と散る、といった言葉や戦時の特攻機「桜花」を思い起こす事も出来ようか。


 人は満開の桜の元、桜吹雪に巻かれつつ、歌い、騒ぎ、酒を呑み、花より団子と馳走を喰らう。

 道を挟み咲き乱れる桜並木。花弁が散りはじめ若葉も芽吹き、薄桃と新緑を遠目に霞ませる葉桜。月や提灯の明かりの元、その姿を幽玄に浮かび上がらせる夜桜。桜は様々な姿で人の目を楽しませるのだ。


 ……と。

 ここまで至極一般的な桜の魅力について語ってみた。勿論自分は桜が好きだ、一般的な意味でも。

 だがここからは自分らしく、あまり一般的とは言い難い桜の魅力について語ってみよう。


 自分が桜と聞いてまず頭に浮かべる単語は―――死体、である。何を訳の分からん事をと思うやも知れない。だがまあ最後まで読んで頂きたい。


 「桜の樹の下には死体が埋まっている」。


 こんなフレーズを、聞いた事はないだろうか。梶井基次郎という作家が書いた、「桜の樹の下には」という短編小説の冒頭の台詞である。

 この小説を読んだ事のない方でも、上記のフレーズを知っている方はいる筈だ。何処で聞いたか、何処で読んだかは思い出せなくとも。


 その言葉を初めに聞いた時、自分は強い衝撃を受けた。

 そうだ、桜の下には死体が埋まっているのだ。これは信じていい事なのだ。桜は人の血を吸い上げ、その紅色で白い花弁を桜色に染め上げるのだ。だからこそ桜の花はあれ程に美しいのだ、と。


 あまりに美しい物に、人は神秘性を感じる。そして神秘は畏怖と恐怖に通じ、すなわち美と怪談は切って切り離せぬモノなのだ。

 故に自分は桜という花に、並々ならぬ魅力を感じるのである。


 ……とまあ、あまり中身の無い事をつらつら書き綴ってみたが、そろそろ本文に移るとしよう。


 これより記すのは、半死半生の剣士と死に取り憑かれた少女との出会い、及び懐かしくも面倒臭い奴らとの再会―――そしてついでに我が旅立ちの話である。




◇◆◇◆◇




「花見を、やらないか」


 時は鎌倉時代の黎明・十二世紀末の春先、所は既に政治都市ではなくなった平安京の片隅。

 普段より微妙に物が少ない我がボロ屋、その真中に据えられた卓袱台にて、俺―――八切七一は、茶を啜りながらそう言った。


「……んー? 何か言わはったー?」

「聞いてねえのかよ」


 と、俺の向かい側卓袱台の上。どうにも眠そうな間延びした声で聞き返したのは、我が最愛の親友であり、最良のツッコミ役である妖怪鼠・灰墨である。つい最近冬眠から目覚めたそうで、まだ本調子ではないとの事。

 何故鼠が冬眠したのか等知った事ではない。そういうモノだからだ。


「や、だからな。花見しようかと言ったんだ」

「花見?」

「そ。花見」


 ぼけーっと麩菓子をかじっていた灰墨が、眠そうな顔をこちらに向ける。鼠の顔で眠そうか否かなどそう判別の付く物ではないが、そこはそれ、付き合いの長さである。


「はあ。何で花見?」

「何でってお前さん、春だからに決まってるだろうよ。日本人なら花見をせねば」

「私ら人やないやん」

「じゃあ日本鼬でも日本鼠でも何でも良いよ」


 とにもかくにも、春なのだ。春には花見をするモノなのだ。すべきなのだ、しなければならないのだ。「絶対押すなよ」と言われたら押さなければならない、という事と同じくらいに。


「……七一はん今までの春そんな事言うた事無いやん。どうせただの思い付きなんやろ?」

「思い付きとは失礼な。神の天啓的発想と」

「どう違うねん」


 はてさてどう違うのやら。俺にも分かった物ではない。


「何はともあれ、花見だがよ。河内の白玉楼ってぇ建物に、面白い桜があるらしいんだよな」

「はあ」


 ちなみに河内とは、今で言う大阪辺りである。


西行妖さいぎょうあやかしっつってな……死に誘う桜、なんだそうだ」

「はあん。それはまた……七一はんの好きそうな」

「だろ? だろっ? 面白そうだろっ!?」

「いや別に」

「冷たいッ」


 非常に面倒臭げな灰墨。まあ冷たいのは割といつもの事だが。


「……まあ。その西行妖なんだがな」


 何でも。

 しばらく前、とある高名な歌人が居た。彼は桜をこよなく愛しており、死ぬ時には立派な桜の本で死にたいと望んでいたそうだ。そして彼は望み通り、桜の下でその生を終えたのだ。

 が、しかし。彼を慕っていた多くの人間が、彼を追ってその桜の下で死のうとしたのだ。桜は人の精気を吸い、咲く度に人を死に誘う妖怪桜と成り果てたのである。


「……とまあ、そんな桜なんだとさ」

「ふうん」


 ……で。この話の前半部分だが、どうにも聞き覚えのある話なのだ。


 河内。西行。有名な歌人。桜の下で生を終えた―――と来れば。これはどう考えても、かの有名なる西行法師その人、それ以外に有り得ないではないか。


 が―――しかし。

 まず西行翁が死んだのは、河内ではあっても弘川寺。白玉楼ってのは故事における死した文人の行く場所だ。

 更に西行桜ならともかく、西行妖なんてのも知らない。妖怪桜の話とて、我が知識には全くない。

 西行法師だとするには食い違いが多い、かと言って無関係だと言うには符合が多過ぎる。全く以ておかしな話。


 しかしまあ。

 不可解とは言え、記憶に違うのはこの世界の常。異世界とかパラレルワールドとか、そんな感じなのだろう。今更気にはすまい。


 とにもかくにも今重要なのは、西行妖なる実に興味深くおどろおどろしく心躍らせる、我が嗜好にジャストミートな桜があるのだという事。

 これはどう考えたって、見に行かねば損ではないか。


「で、花見。やらないか?」

「嫌ぁや。私まだ眠いもん」

「そう言うなよ。面白いって花見」

「行ったかて私お酒呑まれへんし。て言うか、ほんまに人死なす桜なら、私みたいな雑魚妖怪やと死んでまうかも知れへんやろ」

「それぁほら、気合いと根性で何とか」

「んな無体な……大体その白玉楼て他人ヒトの家やろ? どうやって入れてもらうん」

「忍び込む!」

「アホがおる」

「非道いッ」


 相変わらずのきついツッコミである。会ったばかりの頃はもっと可愛かったのに。喋り方も敬語混じりであったし。


「良いじゃんかぁ花見ぃ」

「せやから嫌やって……どうせ七一はん余計な騒ぎ起こすんやから。こないだなんて九尾狐家に連れ込んどるし」

「連れ込みとは人聞きの悪い」


 俺の与り知らぬ事であったが、あの玉藻前が家に居る時灰墨は一度訪ねて来ていたらしい。丁度俺は家を空けていた物で、灰墨は随分恐ろしい思いをした様である。


「……やれ、そんなに嫌なら仕方ない」


 と、まあ。

 いつもの着物を羽織り、いつもの大笠を被り、ひょいと指を振り『窓』を開け。


「んじゃ、一人寂しく行ってくらぁ」

「行ってらっさい」


 もぞりと体を丸める灰墨を後に、単身河内の白玉楼とやらへと向かうのであった。




◇◆◇◆◇




「……おおう」


 さて大分前に一度来た事のある大阪の適当な場所に『窓』で飛び、そこから勘で適当に方向を決め、行き会う人に道を聞きつつ、ふらふら歩いて二三刻、ついに辿り着いた白玉楼。

 少々歩き疲れた俺を待っていたのは、馬鹿みたいに長い石段であった。


「……何と言う心臓クラッシャー……この上に住んでる奴ぁ間違いなくマゾ」


 呆然としつつ下らぬ事を呟き、石段の上の建物を眺める。塀の内にうっすらと見える桜色、どうやら桜は良い感じに咲き誇っている様子。

 周囲には全く人が居ない。人を死に誘う桜なぞ、わざわざ近付きたがる奴など居ないのだ。俺は別だが。


「……ま、俺はマゾじゃねえからな」


 と一言、少々ズルをする事にした。ひょいと空を切り『窓』を開く。繋いだ先は石段の上。行った事のない場所だとて、視界の範囲内なら流石に飛べる。

 するりと『窓』をくぐり抜け、あっと言う間に門の前。門の横をひらりと飛び越えて塀の内側に降り立ち、立ち並ぶ何本もの桜に上機嫌になりつつ歩き出し、



「―――待て」



 唐突な、制止の声。

 ぴたりと足を止め振り返る。桜の樹の陰から、ゆらりと現れる人影。


「妖獣風情がこの白玉楼に何の用かは知らぬが……」


 すらりと背の長刀を抜きこちらに突き付けながら、鋭く言い放ったのは。


「即刻立ち去るが良い。場合によっては叩っ切る!」



 見た目十代前半ばかりの少年であった。



「……」

「……おい」

「…………」

「どうした妖獣。何とか言わんか」


 いや何とか言えと言われても。何だこの爺言葉の餓鬼は。


「えーっと……お前さんここん家の子供? そんなモン振り回したら危ないぞ?」

「だッ……誰が子供か!」


 途端額に青筋を浮かべ、うがーと吠える少年。いや誰がどう見ても子供であろう。


「儂の名は魂魄妖忌! この白玉楼の庭師兼剣術指南役じゃッ!」

「え? 十歳児が?」

「誰が十歳児かッ! 儂はもう五十年以上生きておる!」

「ご……五十歳児!?」

「ええい児をつけるな!」


 またも吠える少年―――魂魄妖忌とやら。あくまでも餓鬼ではないと主張するらしい。例え本当に五十歳でも、俺からすれば餓鬼なのだが。


「……ふむ」


 とりあえず、刀をこちらに突き付け猫のようにふかーと威嚇している少年を、観察してみる事にする。

 まず目立つのはその頭。長い白髪を頭の後ろで結わえている。手には彼には長過ぎるんじゃないかというような長刀。腰にはもう一本、脇差しも帯びている。そして背後には空飛ぶ巨大饅頭。


「…………うん?」


 て。何だあの饅頭は。

 少年の周りをふよふよと浮遊する白い何か。見た所、時折墓地なぞで見る幽霊人魂の類のような。

 ……ほんの少し、魂魄少年と似た気配のようなモノを感じる。彼の存在の一部―――なのだろうか。ならば、この少年は。


「お前さん、人間じゃないのか?」

「然り。儂は半人半霊だ」

「半人半霊ぃ?」


 聞き覚えのない言葉である。聞いた限りから判断するのなら、半分が人で半分が霊。目の前にいる少年と、饅頭……もとい浮遊霊とで半分ずつ、という事であろうか。また何とも妙な奴。


「……で、何の用だ妖獣。この白玉楼に何をしに来た」

「うむ。花見だ」

「……は?」

「だから、花見」


 ひょいと手で周りの桜を指し示す。桜吹雪を撒き散らす、何本もの満開の桜。こんなに綺麗な桜が咲いているのだ、見なきゃ損ではあるまいか。


「よ……妖獣が花見か?」

「む。鼬が風情を解しちゃ悪いのか?」

「いや……悪いとは言わんが」

「そうかそうかそりゃ良かった。じゃ」

「って待たんか! 誰が行って良しと言った!」

「チッ」


 目当ての妖怪桜を探すべく歩き出すがまた止められた。面倒臭い奴である……って、侵入者である自分が明らかに悪いのだが。


「何が目的であろうが同じだ! 妖獣なぞ中には通さん!」

「俺は良い妖獣だよ本当。何もしない何もしない」

「ふん。良いか悪いか等……切れば分かる!」

「うわあ暴論どころじゃねえ」


 切れば分かる、と来た。凄まじい判別法である。


「いやホント桜見て帰るだけだからさぁ。通してくれよ」

「その保障が何処にある。妖獣の言葉なぞ信ずるに価せんわ」

「酒呑んだり団子食ったりするくらいしかしないって」

「人の家で飲み食いするな」


 とりあえず頼み込んでみるも、魂魄は両手に持っていた長刀を片手に持ち替え、更に腰の脇差しも抜き放つ。どうやら二刀流であったらしい。


「……ふむ」


 通す気はないと言うなら仕方ない。無理を言っているのは俺の方だが―――こちとら妖怪、元来無理を通す者だ。少しばかり申し訳ないが、道理には引っ込んでいて貰う。

 第一、ここまで来て花見もせずにおめおめと帰れるものか。


「……門番の類は倒して行くモンだと、大抵のお話じゃ相場が決まってるしな、うん」

「やる気か……良かろう」


 俺の言葉に魂魄少年は、顔を更に険しくし二刀を鋭く構え直す。成る程中々に様になっている、殺気も大した物である……が。

 まあ、俺には勝てない。


「名乗っておこう。しがない普通の鼬、八切七一だ。そこを通して………貰おうかッ!」


 叫び、軽く地を蹴る。


「ッ!」


 急加速する視界。音も無く跳んだ俺の身体は、瞬く間に魂魄の目前へと肉薄する。


 その速さに驚愕し目を見開くが、しかし魂魄は完璧に反応しきった。右の長刀が首へ閃き、左の短刀が鳩尾に突き込まれ―――


「残念」


 その二撃は、しかし俺を討つ事は無い。


 長刀は首を捻って皮膚の上を滑らせ、短刀は左手に握り込み止める。馬鹿な、と絶句する魂魄の額にとんと右手の指を突き付け、一言。


「俺の身体は、切れないの」

「な―――」


 『意識』を、断ち切る。


 途端魂魄の目から光が失せ、ぐらりとその場に崩れ落ちた。その身体をひょいと受け止める。


 随分あっさりした決着もあった物だが……まあ、よりにもよって剣士である。能力故に斬撃の効かない上に、そもそも地力が違うのだ。当然の結果と言えようか。


「んー。やっぱこういう分かり難いモンを切るのは難しいな」


 意識を断つ、と言うのは大分前から考えていたのだが、これが中々難しい。かなり近付かなければ掴めない上に、抵抗力の無い人間や弱い妖怪ならともかくも、ある程度強い妖怪にはほとんど効かないのだ。

 つまり戦闘にはまず使えない……のだが、ある程度強い妖怪が相手だと大抵面倒なので俺は逃げる。実は大して問題ない。


「……さて、と」


 何はともあれ先へ進むか、と魂魄を近くの桜に持たれ掛けさせ、ふと思う。あれ程の剣速と正確さ、反応速度―――この少年はかなりの鍛練を積んでいるのだろう。


 それがあっさりと俺に敗れた。長々生きているとは言え、生まれてこの方修行等、三年の妖術修行くらいしかした事の無い俺にだ。


「……」


 何と無く思う所があり、しばし少年を見詰める。


 俺と言う奴は、実に奇妙な存在だ。


 前世の記憶を持ったまま、どうした訳か過去の世界―――どうもパラレルワールドと言う奴らしいが―――に鼬として転生。

 生まれた時には既に、長い時を経た獣がなる物である妖獣で、強大な能力持ちで、そう長くも生きない内に、尻尾が雨後の筍の如くに生えて来る。


 俺は、昔とは見違える程に強くなった。しかしそれは決して、努力の結果ではないのである。のんべんだらりと生きてきただけで、何故か付いた力なのである。


 狡い。のかも、知れない。


「まあ……んな事考えたって仕方ないんだけど、なあ」


 それでも能力は便利で、強いと言うのは良い事なのだ。得てしまった以上は自分の力。そう割り切るべきなのだろう。

 そんな事に一々罪悪感を感じるのは人間くらいだ。妖怪はただその願望のままに動くモノなのだ―――と、そこまで考え。


「……そう言や俺、元は人間なんだっけか」


 と。そんな事を、妙に新鮮に自覚するのであった。




◇◆◇◆◇




 さして意味の無い思考を頭から振り払い、西行妖を探し始める。探すと言っても、大きいとは言え屋敷の庭中だ。それも妖気を放つ妖怪桜である、ので。


「……おおっ。アレか」


 見付けるのにそう時間は掛からなかった。

 屋敷の角を曲がった先に、一際大きく咲き誇る大桜。まだ満開ではない様だが、美しく麗しく威風堂々と、しかし妖しく妖気を纏い、その桜色を広げている。

 その威容はまさしく、見ているだけでそう首を吊りたくなる様な、首を切り落としたくなる様な、腹をかっ捌きたくなる様な心の臓に穴を空けたくなる様なはらわたを引き擦り出したくなる様な頭をかち割り脳髄を撒き散らしたくなる様な―――


「ッ……」


 首に爪を食い込ませかけ、その痛みで我に返る。


「……おいおい。怖え桜だな」


 多少の冷や汗と共に呟く。一瞬とは言えこの俺を、確かに『死』に引き擦り込んだ。あくまでも自然に、さらりと、当たり前の様に。

 凄まじきかな、と感嘆しながら妖怪桜の影響を断つ。死にたくなりながらする花見は流石に面白くあるまい。


「さってっと。花見だ花見」


 『窓』から茣蓙ござを引き出し、ばさりとその場に広げる。腰を下ろし、同じく取り出した徳利から杯に酒を注ぎ―――


「……おい」

「んあ?」


 背後からの声に振り返る。全く気にしていなかったが、そこには当然屋敷がある。広い縁側と開いた障子戸、そこには二つの人影。片方は座敷に座る少女らしい人影。もう片方は縁側に座っている随分と背の高い男―――と、言うか。


「……あ」

「……久方振り」

「あああぁぁぁ!?」


 そう。


 丈の足りない浴衣に包まれた、ひょろりと長い針金の様な体躯。頭の左右に突き出た大きな角、顔の半分以上を覆い隠す長い前髪。

 数百年前に親交を深め、酒呑童子退治の折に別れて以降一度も会う事の無かった我が鬼の友人。


霞楽からく―――!?」


 茨木童子こと茨木霞楽、その人であったのだ。




◇◆◇◆◇




「……いやー、しかし」


 茣蓙を畳んで縁側の霞楽の隣に座り、本日の花見の為に作っておいた桜餅を食いつつ杯を傾ける。


「本ッッッ当に久し振りだな」

「……む」

「真逆こんな所で会うとは思いもしなかったぞ」

「……む」

「渡辺綱なる侍に腕ぇ切られたと聞いたが、くっついたのか?」

「……む」

「……相変わらずだなあお前さん。何か喋れよ」

「……む」


 何と懐かしい会話(?)であろうか。霞楽はこういう奴だった。徹底的に無口一辺倒、必要の無い事どころか必要な事も喋らない。


「ところで霞楽よぉ」

「……む?」

「そちらの嬢ちゃんは一体誰だ?」

「……む―――」


 と、先程からずっと何か言いたげな様子の、酒は飲まずに桜餅を頂いている少女を指し示す。彼女自身の見た目はゆったりとした普通の少女なのだが、何故か暗い様な重い様な雰囲気を漂わせている。

 と、少女が口を開いた。


「ねえ、霞楽? この人は」

「……友人だ。心配無い(・・・・)

「おぉ?」


 俺の問いには若干答え難そうにした霞楽だが、少女の言葉にはすぐさま答える。しかも何と二文を一度に喋った。驚くべき現象である。


「ふむ……。嬢ちゃんよ」


 くらりと首を傾げつつ、少女へと顔を向ける。随分霞楽と仲が良い様子のこの少女、一体何者であろうか。


「俺は八切七一ってぇしがない普通の鼬だよ。聞いての通りこのだんまりのっぽの友人だ。お前さんは?」

「だ、だんまりのっぽ……」


 何とも言えない顔になる少女。この上なく的確な表現であろう。


「まあ……良いわ。私は西行寺幽々子」

「西行―――寺?」

「ええ。この屋敷の主人の娘……いえ」


 と、そこで少女の表情が一気に暗くなった。纏う空気が更に重苦しくなる。


「故、主人の……と言うべきかしらね」

「……成る程。そこの桜で死んだ歌人の娘なのか、お前さんは」


 西行法師の娘。確かに居た筈だが、まあ西行法師本人の話だと確定した訳でも無し、そもそも異世界っぽいこの世界では考えても仕方がない。そもそも苗字が違う様だが……ま、それも今更気にはすまい。


「それで、貴方は此処に何をしに来たのかしら?」

「あぁ、うん。花見」

「花見?」

「うむ。人を死に誘うとか言う桜があると聞いて」

「……妙な趣味してるのね」

「いやあ」

「褒めてないわ」


 ですよねー。

 しかしまあ、妙に暗い割に良く喋る少女である。やはり雰囲気より見た目の方が本質であるらしい。


「ところで、霞楽は何故此処に?」

「……む」

「だから喋れよ」


 その頭をぺしんと叩―――こうとしてすいと躱される。如何ともし難い奴である。と、それを横で見ていた西行寺嬢の方が問いに答えた。


「霞楽はねぇ、大分前ふらりとうちに入って来たのよ」

「普通に不法侵入だな」

「あら、貴方は違うのかしら。妖忌と騒いでいたのが聞こえたわよ?」

「ああ……通してくれなかったから気絶させて転がしてあるんだが、放っておいて良いのかアレ」

「うーん……良いんじゃない? お客さん皆追い返しちゃうのよねえ、あの人は。……仕方ないの、だけど」


 まあ、招かれざる客を追い返すのは家人として決して間違った行動では無いだろう。妖怪なら尚更。……まあ、俺が言うのも何なんだが。


「……まあ、それで、私の能力が効いてなかったみたいだから。友達になって貰ったの」

「はあん。鬼を友達―――か」


 俺を見ても物怖じしないので、随分度胸のある少女だと思っていたが……それは流石に度胸云々言うレベルではない。軽く頭の具合を疑うレベルだ。


「怖くは……ねえのかい」

「あら。霞楽は良い人よ?」

「いやそりゃまあ悪い奴じゃねえたあ思うが……」


 思うが。それはあくまでも、同じ妖怪である俺の目から見て、だ。霞楽は俺とは違い、人を攫ったり喰らったりする普通の鬼なのである。


「私の事は食べないと言ったわよ?」

「言ったのか?」

「……む」


 言ったらしい。


「……まあ、良いや。ところで、能力が効いてない云々てのは?」

「それは―――」


 と。

 西行寺嬢が言いかけた、その瞬間であった。


 西行寺嬢の隣、何も無い所。空中に縦一直線の亀裂が走り、ぐぱぁとその口を開く。その中の空間、実に見覚えのある沢山の目が浮かぶ空間から―――彼女は、その姿を現したのだ。


「―――久し振りねぇ幽々子、また遊びに来たわよ」


 波打つ長い金髪、落ち着いた紫色の……そう、ドレスとしか形容出来ない時代錯誤な服、忘れはしないその顔―――


「あ」

「え」

「あああぁぁぁ!?」

「えええぇぇぇ!?」


 二人揃って馬鹿みたいに叫び声を上げる。驚いていると言う事は、あちらも知って来た訳ではないのか。


「八雲―――!?」

「八切―――!?」


 そう。


 その女は、我が天敵である大妖怪、八雲紫その人であったのだ。




◇◆◇◆◇




「……で。何で貴方が此処に居るのよ」


 と。八雲が俺を睨み付ける。しかしその目は若干涙目である。


「……花見しに来たんだよ俺ぁ」


 と。俺は八雲にそう答える。そしてその目も若干涙目である。


「花見って何よ」

「知らねえのか? 桜見ながら飲み食いする事だ」

「知ってるに決まってるでしょ」

「じゃあ聞くな。手前こそ何しに此処に来た」

「私は幽々子に会いに来たの。……花見だか何だか知らないけど、幽々子に手ぇ出したら―――」

「何だ。やんのか手前―――」

「……おい」

「ごめんなさい」

「ごめんなさい」


 険悪に睨み合いお互いに妖気を放出しかけ、霞楽の一言に素早く土下座。その様子を呆れた様子で眺める西行寺嬢。



 ……まあ、何の事は無い。非常に唐突な偶発的対峙に、顔を合わせるなり妖気を溢れさせ互いを威嚇し合った俺と八雲であったが―――その頭を鬼の腕力の拳骨が粉砕、悶絶する二人に霞楽が一言。


「……人間の傍で妖気を撒くな」


 ……御尤もである。

 とまあそんな訳で涙目の俺達は、妖気が毒になる常人である西行寺嬢の為、不承不承大人しくして睨み合っていると、そういう話なのである。



「それにしても―――」


 俺は苦々しげな顔で桜餅を食いつつ、霞楽に責める様な目を向ける。


「俺が八雲こいつに追っ掛けられてんの、霞楽にゃ話してたよな? 此処に来るかも知れんのならさっさと教えてくれたって良いじゃねえか」

「……それなら私も言いたいわ」


 ぶすっとした顔の八雲も、ちゃっかり俺の桜餅を摘みながら霞楽を横目で睨む。


「私がこの鼬を追っ掛けてる話、確か最近したわよね? 知り合いならそうと言って欲しかったわ」


 そんな二人の提す苦言にも、霞楽の答えは単純明快一単語。


「……面倒」

「…………はあ」

「…………はあ」


 あんまりと言えばあんまりな答えに、二人揃って溜息と共に肩を落とす。


「そぉだよお前さんはそういう奴だったよ……」

「そうよね貴方はそういう奴なのよね……」


 その様子を見ていた西行寺嬢、ふと口を開き、


「……何か、二人似てるわねえ」

「なっ」

「なっ」


 とんでもない事を言い出した。


「このしつこくて性格悪くて執念深い上に辛気臭い紫婆ムラサキババアと、一体何処が似てやがるってんだ!」

「この嘘つきで性格悪くて欝陶しい上に獣臭い鼬野郎と、一体何処が似てるって言うのよ!」

「……んだと手前」

「……誰が婆ですって」

「……お前等」

「ごめんなさい」

「ごめんなさい」


 二人揃ってゆらりと妖気を立ち上らせ、面倒臭げにぱきりと拳を鳴らす霞楽にやっぱり土下座。西行寺嬢はころころと笑い、


「ほらぁ、やっぱりそっくりよ。言動が」

「……ぬう」

「……むう」


 甚だ不本意である。こんな人を千年単位でストーキングする様な妖怪と一緒にされる等。……と、似た様な感情をあちらも抱いているのだろうが。


「……西行寺嬢。こいつとは一体どういう関係なんだ?」

「お友達よ? 霞楽とおんなじ。付き合いはもっと長いけどね」

「……へえ」


 友達は選べよ……と言いかけ止める。わざわざ喧嘩を吹っ掛ける意味は無いし、流石に大人げない。そもそも自分とて、人の事を言える程性格の宜しい訳ではないのであるし。


「貴方も、友達になってはくれないかしら?」

「え?」


 と。突然に西行寺嬢が言う。


 ……友達、友人。

 それは俺にとって、少しばかり重要な意味を持つ関係だ。出会ったばかりの相手をそう呼ぶのは……


「……いや……」


 ふと。先程の、自分についての思考を思い出す。


「そう……だな。分かった。友人と呼ばせて貰おう」

「……む?」


 俺の返答を聞いた霞楽が、訝しげに首を傾ける。彼は俺が滅多に友人を作らぬのを知っているので、妙に思ったのだろうが……俺にも、思う所があるのだ。


「ああ、良かったわ。宜しくね、……えっと」

「八切七一、だよ」

「そうそう、七一ね。面白い名前だわ」


 西行寺嬢は嬉しそうに笑う。自分で言うのも何だが、妖怪を友人にすると言うのは人間としてどうなのだろう。

 と、八雲が無駄に心配そうな顔で口を開く。


「幽々子……友人は選んだ方が」


 うわあ言ったよ。こいつ言ったよ。俺は言わなかったのに言ったよ。……いやまあそもそも思った時点で五十歩百歩なのだが。


「紫は心配し過ぎよぉ。霞楽の時も問題無かったじゃない」

「それはそうだけど……そもそも鬼だの妖獣を友達にするなんてのがおかしいのよ」


 ……いや、お前妖怪。


「八雲、お前さん自分が何なのか忘れてやしないよな?」

「わ、分かってるわよそんな事……私は良いのよ私は。特別だから」


 何だそりゃ。


「な、何よその顔」

「呆れ顔」

「……ふんっ」


 八雲はふいとそっぽを向くと桜餅を二つ両手に纏めて取り、ぱくぱく食べ始めた。まるで拗ねた子供である。


「……おい、あんまり食うなよ。俺の分が無くなる」

「はん、知らないわよ。……美味しいわねえコレ。幽々子、何処で買ってきたの?」

「あら、うちのじゃないわよ?」

「俺の自作だよ。そうかそうか美味いか」


 例え相手が八雲でも、作った物を美味いと言われるのは嬉しいものだ、と少しだけ機嫌を良くする俺。我ながら単純である。しかし八雲は、「うげっ」等と言って露骨に嫌そうな顔をし、


「……不味い。ああ不味い」

「いやいや……お前さん」

「あらあら」


 流石にそれはどうなのかと思わせる嫌がらせを始めた。こいつ本当に年上なのだろうか。西行寺嬢がくすくす笑っている。


「こんな面白い紫は初めてねえ。いつもはもっと妖怪らしくしてるのに」

「妖怪らしく、て?」

「えぇと……近寄りがたいと言うか、浮いてると言うか」

「……胡散臭い」

「あ、成る程」

「何で納得するのよ……て言うか霞楽、珍しく喋ったと思ったら言う事酷いわ」


 要するに。昔、霧の谷で会った時のあの雰囲気であろう。あの時の八雲は大妖怪っぽい感じを醸し出していた。なんせまだまだ雑魚だった時分の事、肝を冷やした物である。


「まあ確かに……昔の雰囲気は微塵もねえな。初めて会った時のお前さんは、もっと怖かったぞ」

「……貴方、あれで怖がってたの? 初対面から馬鹿にされた記憶しか無いのだけど」

「馬鹿にはしてねえて……あれはほら、不幸な擦れ違い?」

「何が不幸な、よ。協力すると言った途端に前言翻しといて」

「……んー」


 確かに、あれは俺が悪かったかも知れない。先に詳しい話を聞くべきだったのだ。

 まあ、謝る気は無いのだが。何だか悔しいので。


「貴方の起こした爆発で、河童の谷は地形が変わっちゃったのよ?」

「ありゃりゃ」


 そう言えばあの谷には、河童を見に行ったのだったか。住んでいた河童達には悪い事をした。今は幻想郷とやらの一部らしいが。


「それに私の服もボロボロになったし」

「それは別にどうでも良いな」

「……貴方ね」

「……何だよ」


 と少しだけ妖気を漏らす俺達であったが、


「……いい加減にしろ」

「ふぎゃ」

「ぐべあ」


 今度は警告無しに降って来た霞楽の鉄拳に、二人揃って畳に沈んだ。そして西行寺嬢が呆れながらも楽しそうに一言、


「貴方達、仲良いわねえ」




◇◆◇◆◇




 幾度か霞楽に殴られつつも口喧嘩以上に発展する事も無く、なんだかんだで時間は過ぎる。そろそろ日も暮れてきた。


「……んじゃ、もう帰るわ」


 と、頭に四つばかりの瘤を作った俺が立ち上がる。夜桜も良いが此処は一応人の家、魂魄少年も起きる頃だしそう長居はすまい。


「あら、もう帰っちゃうの?」

「桜餅も無くなっちまったしな。どっかの誰かさんが食い過ぎる所為で」

「ふん……不味い菓子をわざわざ食べてやったのよ。感謝しなさい」


 微妙にツンデレっぽい事をのたまうどっかの誰かさん。頭には俺と同数の瘤。不味いなら食うな、と言いたい。


「まあ、良いけどよ……霞楽」

「……む?」

「ちっと話がある、ついて来てくれ……っと、そいじゃ」


 霞楽にそう言ってから、西行寺嬢と八雲の方に向き直りつつ『窓』を開く。


「また来るぜ。さいなら」

「ええ、またね」

「もう来なくて良いわよ」


 どちらがどちらかは言うまでもあるまい。俺は少しの苦笑と共に、霞楽を伴い『窓』へと入って行くのであった。




◇◆◇◆◇




 さて場面は変わり俺の家。


「ただ今ー」


 一応言ってみるも返事は無し。灰墨は帰った様である。元々夜行性気味である彼女、夜が近付いて目が覚め活動開始したのであろう。


「んじゃその辺座って」

「……む」


 今は丁度家の物が減っており、少しだけ空いた卓袱台付近のスペースに霞楽を座らせる。酒を取り出し杯に注ぎ、二人して一息に飲み干す。


「……どういう心境の変化だ」

「うん?」


 と。霞楽が口を開く。


「……以前のお前は、友人関係に妙なこだわりを持っていたが」

「……あー」


 西行寺嬢との事、か。


「いや、な。色々と思う所があるんだが……」


 言葉を探しながら、また一口。


「……俺はな。昔と比べて随分変わった」


 昔―――人間だった頃と、だ。

 それこそ、人間だったのだと言う事を、思い出す(・・・・)程に。今の俺と昔の俺には大きな隔たりがある。


「いつまでも昔と同じ様にしている必要が有るのか―――と、ふとそう思ってな」


 他人である、と。それを理由に、見捨てたり利用した者が居る。助ける事は可能であったし、利用しなければならないと言う様な必然性は無かった。


「まあ……もう少し友好的に生きようかな、と。それだけだ」

「……そうか」

「……そおだよ」

「……」

「……」

「…………お前が」

「んあ?」


 しばしの静寂の後、霞楽が口を開く。


「……お前が、出会って日の浅い者に友好的になるのは、至極難しいと思うがな」

「……知ってるさ。んな事ぁ」

「……そうか」

「……そおだよ」

「……」

「……」


 と。何と無く居心地の悪い沈黙が続いた―――所で。たんと杯を置き顔を上げ、一声。


「……で、八雲。お前さんそこで何してる」

「あら……ばれてたの」


 天井から降って来る声。隅っこの暗がりにあの空間が開き、八雲がふわりと降りて来る。


「盗み聞きたぁ趣味が悪いぞ。どっから入って来た?」

「ふふん。さっき貴方が繋いだ空間、あれの名残からちょっと、ね」


 言って、くるりと周りを見渡す。


「それにしても散らかってるわねえ、此処。物置?」

「家だ、家。……ほれ、お前さんも座れ」

「あら」


 八雲が少し驚いた様な顔をして小首を傾げる。


「良いのかしら?」

「良いの。どうせ来るだろうたあ思ってたしな」

「……此処、貴方の拠点なんでしょう?」

「そぉだよ―――もうすぐ引き払う予定の、な」


 まあ―――そういう事である。

 もう一度、旅に出る事にしたのだ。今回の花見は、この平安京での最後の活動になる予定だった。物が減っているのは、心底要らない物を捨てた為。後はその辺に地下室でも作って隠しておくつもりだ。

 尚、灰墨やその他平安京における友人には通告済みである。


「これからは鎌倉の世。この平安京はもう中心じゃねえ。もうしばらくすりゃあ旅の空、だ」

「……はあ。やっと住み処まで押さえたと思ったのに……」

「あっはっは」


 がっくりと肩を落とす八雲。そう簡単に捕まる予定は無い。思えば、会ったのがこの時期だったのは僥倖であったやも知れぬ。


「ほれ、座れ座れ」

「はいはい」


 八雲を座らせ杯を渡す。早速酒を注ぐ八雲。遠慮会釈もありゃしない。


「んで。霞楽を呼んだ理由の話なんだが―――」


 何はともあれ、いよいよ本題。


何だ(ヽヽ)、あの娘は」

「……」

「……」


 返って来たのは、二人分の沈黙。


「何だ、ありゃ。桜よりも死んでるじゃねえか」


 死。

 強い強い、死の気配。


 遮断はしていても、知覚出来ない訳ではない。最初に彼女を見て感じたあの重い雰囲気は―――西行妖以上に濃い、死の匂いだ。


「俺が無意識に遮断してたって事ぁ、能力だな。幽々子嬢が言ってた能力云々ってな―――あれの事か?」

「……そうだ」


 答えたのは、霞楽。


「……『死を操る程度の能力』。それが、幽々子の力」

「おいおい……人の身には随分余る力じゃねえか」


 分相応、と言う物がある。人間と言う種族は色々な面で弱い。故に余り出鱈目な能力を得る事は無いのだ―――普通は。


「……はあ」


 それまで黙っていた八雲が溜息をついた。


「そう―――なのよね。あの娘は能力を制御出来てない」

「だからお前さん等が『友達』なんだな。人間ならまず近寄っただけで死ぬ……いや、妖怪でも死ぬか」

「能力の影響を外せる者だけが、幽々子に近付けるのよ」


 霞楽の能力は、『冥ます程度の能力』。人の目から、妖怪の知覚から、能力からすらも姿を冥ませる強い能力だ。八雲の方は―――知らないが。まあ、効かないのだろう。

 人外が三人あれ程騒いで家人が一人たりとも来なかったのは、そもそも誰も居ないから。魂魄少年は―――多分半分死んでいる様な物だから、影響が薄いのだ。


「……しかし大丈夫なのかよ。制御出来てねえなら幽々子嬢、影響受けてんだろ? それに―――あの歳の女の子が、自分が人を殺す存在である事に堪えられるのか?」

「あまり……宜しくは無いわ。私と霞楽とあの庭師の子とで、なるべく一人にしない様にはしてるんだけど……」

「……幽々子は、死に惹かれている」

「そう……か」


 普段からあの濃密な死に憑かれている所為で、『人を死に誘う存在である自分は生きているべきでない』―――と、そんな方向に思考が傾いているのだろう。

 制御出来ないのなら、出来る様になれば良い……が、それまで彼女が持つのかどうか。


「昔は、今程酷くはなかったんだけどね……」


 八雲が杯を傾けながら言葉を続ける。その目には深い憂いの色。


「元々のあの娘の能力は、『死霊を操る程度の能力』だった。似たような能力ではあれど、無差別に死を振り撒く様な物じゃなかったのよ。それが」

「……幽々子の父親が死んだ時―――あの桜が西行妖となった時、その影響でああ(ヽヽ)なったと……そう聞いている」

「……難儀な話だ」


 三人揃って溜息一つ。どうにもやり切れない話。


「……ま、そこまで分かりゃ良いや。聞きたい話はそんだけだ」


 言って、徳利を持ち上げる。忘れて良い話でも無いが―――辛気臭いのは好きではないのだ。酒に沈むのも悪くない。


「呑むかぁ、霞楽」

「……む」

「お前さんはどうするよ八雲」

「私は……帰るわ。幻想郷の方を式に任せっぱなしだから」

「おや」


 式。予想はつくが、わざとらしくも驚きを装いながら八雲に問う。


「式、出来たのかい?」

「ええ。聞いて驚きなさい……白面金毛九尾の狐、玉藻前よ!」

「へえ凄いな」

「いきなり幻想郷に迷い込んで来たのよ……病み上がりらしくて少し弱ってたから、割と楽に捕まえられたのよね」

「そりゃぁ良かった」

「……ただ捕まえた時に、あの野郎とか覚えてろとか騒いでたのよね。何だったのかしらあれは」

「さあてねえ」


 俺の棒読み気味の相槌にも気付かず、嬉々として自慢する八雲。どうやら八雲と玉藻前は、俺についてまだ話していないらしい。さてさて二人が気付くのは何時になるだろう。


「つか、式神出来たんなら俺の事は諦めてくれんかな」

「ふん。もう式神云々だけじゃないのよ……そうよ、貴方大分前に鬼を一杯送って来たでしょ!」

「ああ、そんな事もあったなあ」

「あったなァじゃないわよ……あの時どれだけ私が苦労したと」

「あっはっは。面倒臭かったろあいつ等」

「分かってるなら送るな!」


 ばしばしと卓袱台を叩いて怒る八雲。

 しかしまあ鬼が身内に居ると言うのは、長い目で見れば決して悪い事ではない筈だ。一人一人が強い連中だし、仲間につけてしまえば決して裏切らない。

 ……あれ程沢山の鬼達を受け入れるのは、色々と大変だっただろうが。


「全く……それじゃ、私は帰るわよ」

「……む」

「ん。じゃあな」


 任せっぱなしの式が気になる様で、八雲はそれ以上は言わず霞楽の方にひらひらと手を振ると眼の空間に消えていった。

 案外面白い奴であるなと、そんな事を考える。彼女の事は好きではないが、特に嫌いでもないのだ。式にする事を諦めて貰えれば、仲良くも出来るだろうか。……ま、自分の蒔いた種ではあるのだが。


「さて」


 俺が八雲と話している間一人で呑んでいた霞楽の方へ振り返る。


「久々に呑み明かすぞー」

「……む」


 『窓』を開け秘蔵の酒を何本か取り出し卓袱台に並べ、霞楽の正面に腰を下ろした。


「……それにしても、霞楽。随分と幽々子嬢を気に掛けてる様だが」


 そう言いながら、杯に酒を注ぎ霞楽を横目で見た。


「惚れたか?」


 にやり、と霞楽にからかいの笑みを向ける。


「……むぅ」

「……え? 嘘、マジで?」




◇◆◇◆◇




 翌日。


「……うおぉ」


 俺は卓袱台に突っ伏して、頭を抱え呻き苦しんでいた。


 まあ―――何の事は無い。

 普段の俺は、一人で酒を飲んでいる。のんびりと、ちびちびと、マイペースに。元々酒に弱い訳でも無し、飲み過ぎる様な事も無い。

 が、昨日はその限りで無かった。鬼と一緒に飲んだのだ、いくら俺でも閾値を越える。


 要するに、二日酔いである。


「……う゛あ゛ぁ」


 霞楽は飲むだけ飲んでさっさと帰って行った。鬼と言う奴等は、二日酔いとは無縁である様だ。妬ましい。


 むくりと身を起こし、『窓』を開いて湯呑みを突っ込んだ。『窓』の先はその辺の山中の川。汲んだ水をぐっと飲み干し、また机にべたりと突っ伏す。自分が動かずとも何処にでも手が届く、非常に便利である。駄目人間製造機な様な気がしなくもないが。


「……たはー」


 溜息をつき、ずるりと机から滑り落ち床に寝転ぶ。がんがん痛む頭に閉口しつつ、安易に鬼と酒を飲もう等と思った昨夜の自分を心から呪った、その時であった。


「お邪魔するわよー……って、ちょっとどうしたの貴方!?」

「―――ぐはっ」


 ぐにゃりと頭上の空間が開き八雲が現れた。同時に倒れている俺を見てただならぬ物を感じたらしく、大声を上げる。……本気で止めて欲しい。


「た……頼むから、大声、出すな」

「い、いや……だからどうしたのよ」

「……昨夜は霞楽と飲んでたんだ。予想はつくだろ」

「霞楽と……ああ」


 一瞬首を傾げた八雲はすぐに納得した様にぽんと手を打ち、俺を見下ろしながら呆れ顔をした。


「馬鹿ねえ貴方」

「うるせ」


 馬鹿なのは自分で承知である。


「で、何か用か?」

「ええ……ちょっとね。聞きたい事があるのよ」

「……手短に頼む」

「はいはい」


 痛む頭と吐き気を抑えながら、のっそりと起き上がる。


「昨日食べたお菓子の事なんだけど」

「……もう無いぞ」

「違うわよ」

「ぐはぁっ」

「……あ、ごめん」


 すぱんっ、と扇子で頭を叩かれる。軽いノリでやったのだろうが―――こちらは堪った物ではない。


「て、手前なあ……」

「だからごめんって。で、聞きたい事なんだけど」

「……手前悪いと思ってねえな」


 悪びれる様子も無く話を進めようとする八雲。睨み付けるも華麗にスルー。面の皮の厚い奴である。


「昨日のお菓子、何処で作り方を知ったの?」

「何だ、作り方知りたいのか?」

「何処で知ったか、と聞いてるの」

「……何処でもねえさ。全部自作だ」

「……そう」


 古い記憶を元に、試行錯誤の末に作り上げた物である。製法もうっすらとしか知らず、味を再現するのには実に骨が折れた。

 八雲は俺の返答に何やら考え込む様な素振りをした後、


「そう、なの―――分かったわ。じゃ」

「あれ。もう帰るのか?」

「用はそれだけだもの。此処に居る理由は無いわ」

「……ふうん」


 にやり、と。笑みを浮かべる。


「良いのか。今なら―――二日酔いで弱ってる俺なら、簡単に式に出来るかも知れんぞ?」

「冗談。此処は貴方の結界の中よ? 薮蛇は御免だわ」

「何だ、詰まらん」


 まあ。相手方の本拠地で妙な行動を起こす程、八雲は迂闊ではない。彼女の言う通りのただの冗談である。


「それじゃ」

「んー」


 八雲は本当にそれ以上の用は無いらしく、さっさと眼の空間に戻って行った。


「……何だったんだ、あいつ」


 またごろりと寝そべった俺は、彼女の質問の意図について思考を巡らせ―――ようとして、頭痛と吐き気に負けて諦めるのであった。




◇◆◇◆◇




 さて、更にその三日後。


「うし……行くかぁ」


 大分片付いた俺の家。

 先日の西行妖は満開ではなかった為、本日も白玉楼にて花見である。

 身支度を終え立ち上がる。と言っても、『窓』が使える俺の準備はかなりなおざりである。何せ荷物を手に持って行く必要は無いし、忘れ物とも無縁なのだ。


 『窓』を開いてするりと向こう側へ。途端周囲の景色が一変し、出た場所は白玉楼の門前。幽々子嬢とは友人になったのだし、と通用門から中に入る。


「うん……やっぱ綺麗だなあ」


 咲き誇る桜に目を細める。先日よりも更に花が増えた様にも思える。この調子ならきっと、西行妖も満開になったに違いない。

 と、歩き出したその時。


「……来たな、妖獣」

「ん?」


 背後からの声。振り返るとそこには、腕組みをして桜に寄り掛かる白髪の少年。


「お前さんは……こないだの五十歳児」

「だから児を付けるなッ!」


 先日の魂魄妖忌少年であった。相も変わらず白饅頭……もとい半霊とやらを纏わせている。結局アレは何なのだろうか。


「で、何か用かね。またやる気か?」

「……ふんっ。とっとと行け」

「あれ。良いのか?」

「幽々子殿より話は聞いておる、友人だとな。……が、妙な真似をしたら即刻叩っ切るからな」

「切れないって」


 刀の柄に触れながらぎらりと目を光らせる魂魄少年にひらひらと手を振る。と、彼は「ふふん」と微妙に不敵な表情をした。……見た目の所為で非常に子供っぽい。


「確かに貴様の身体は切れぬ様出来ている様だが……」


 そこで一旦言葉を切り一息溜めて、


「『刺す』事は―――出来るのだろう?」

「……おや」


 俺はほんの少し目を丸くする。


「気付いてたのか」

「貴様は先日、儂が突き込んだ刀を握って止めた。貴様の身体が刃を通さぬのなら、わざわざ止める必要は無かった筈だ―――つまり」


 魂魄は右手の人差し指をびしーと俺に突き付け、


「理由は知らんが―――貴様の身体は、『切れぬ』だけだ。突きならば通る!」

「おおー」


 ぱちぱち、と意味も無く拍手。良く考えれば彼は既に五十路を越えているのだ。このくらいの思考は働くだろう。


「……まあ、だからと言って俺に勝てるとは限らんがな」

「ほう……その喉を串刺しにされても同じ事が言えるかな?」

「舐めるなよ。俺は強いぞ……八雲と真っ正面から戦って、善戦の末に負けるくらいには」

「……いや、それは確かに強いが……負けるのか」


 負けるのである。

 ただの見込みではあるが、そう間違ってもいまい。

 楽園を創る等頓狂な事を言う奴だが、ソレを実際にやってしまい、かつ維持出来ている辺り彼女の実力は本物なのだ。何にせよ、善戦出来ると言う事は逃げる余裕があると言う事。八雲と事を構える気の無い今の俺には、それで十分なのである。


「まあ、何だ。お前さん八雲に勝つ自信あるか? 無理だろ? なら俺にも勝てんよ」

「むう」


 口を尖らす魂魄。やっぱり少年である。五十だが。


「……ともあれ、幽々子嬢に顔見せて来っから。んじゃ」

「む」


 と言って魂魄少年に背を向け、西行妖がある屋敷の反対側、庭の裏手へと歩き出し―――



 ざわり、と。世界が死に染まる。



「な―――!?」


 凄まじく濃い桜色の妖気が弾け、物理的な衝撃すら伴い庭を走り抜ける。濃厚な死に当てられた桜が、軒並みその花弁を散らし生気を失ってゆく。


 これは―――西行妖の妖気。


「あ……あ、あぁああッ!」

「魂魄ッ!?」


 背後で叫び声が上がる。振り返る俺の目に映ったのは、膝をつき眼を裏返らせ短刀を自らの喉へ向けて振り上げる魂魄の姿。


「馬ッ……鹿野郎!」


 慌てて地を蹴り距離を詰めその手から短刀を蹴り飛ばす。更に左手をだんっと足元に叩き付け、魂魄を覆う遮断結界を瞬時に構築する。途端魂魄は意識を失いその場にくずおれた。


「ちっ……どういうこった。西行妖あのさくらに此処までの力は無かった筈だ」


 舌打ちをし呟きながら身を翻し、大きく跳んで屋根に飛び乗る。庭をぐるりと回るよりこちらの方が速い。たんたんたんと三歩走り庭の裏側の西行妖を目にし、


「ッ……」


 絶句する。

 その花を満開に咲かせた西行妖―――一瞬我を忘れて見蕩れる程の、美しく荘厳な死の姿。どくんどくんと心臓の鼓動の様な動きと共にその桜色の妖気を吐き出している。


「……まずい、な」


 一目で知る。アレは俺の手に負えるモノではない。伝説級以上の化け物だ。


 周囲を覆い尽くす死の妖気は、脈動の度に少しずつその半径を広げているらしい。既に白玉楼は完全に飲み込まれ、しかし妖気はとどまる所を知らず拡散し続けている。

 ……場合によっては、都まで届くかも知れない。そう思い当たり、顔が自然険しくなる。


「結界は……無理、か?」


 溢れる妖気が強過ぎるのだ。恐らく礎すら出来ない内に、圧し負けて潰されてしまうだろう。一瞬でも良い。何とか押し止める事が出来れば―――


「や、八切! これは一体どういう」

「八雲!」


 横でぐにゃりと空間が開き、流石に慌てた様子の八雲が顔を出す。非常にグッドタイミングである。


「よっしゃ、丁度良い手伝え」

「て、手伝えって……だからアレは一体」

「俺も知らん話は後だ!」


 八雲の問いを一蹴し妖力を解放する。西行妖のソレにも負けない程に妖力が膨れ上がり、隠していた尾がぞろりと生え揃う。


「な―――あ、貴方、その尻尾は……」

「それも後。結界張るからアレの妖気抑えてくれ」

「後、って……いや、無茶言わないでよ。あんなのそう長くは……」

「一瞬で十分だ。早く」

「アレを封じる様な結界、一瞬で張れる訳……」

「出来るっつってんだろ良いから早くしてくれ!」

「最後まで喋らせてよ!? ……ええいもう分かったわよやれば良いんでしょやれば!」


 自棄糞やけくそ気味に叫んだ八雲は、扇子を持った右手を高く振り上げた。紫がかった妖気がその腕に纏わり付いてゆく。


「―――はッ!」


 短く吐いた息と共に、開いた扇子を西行妖に向けて振り下ろす。途端莫大な妖力が西行妖の妖気を覆い、一気に凝縮し押し込めた。


「今よ!」

「ぃよっしゃ!」


 八雲の声に応え、開いた左手を西行妖に突き付ける。全妖力の五割近くを纏め上げ脈動を止めた西行妖へと走らせ―――


「遮断結界―――『檻』!!」


 ぐっと拳を握る。次の瞬間そこに在ったのは西行妖ではなく、群青色の巨大な立方体。

 内側からの動きを遮断する、つまり閉じ込める事に特化した特別製の結界である。……名前については気にしてはいけない。凝った名前を考えても、どうせ変な物にしかならないのだ。


「ふう……こんなモンだろ」

「……早いわね」


 額の汗を拭う俺に、八雲が驚いた様に目を瞬く。


「本当に一瞬じゃない。ちゃんと封じてられるんでしょうね?」

「当然」


 結界は得意分野である。能力故の事もあるし、どうやら向いている様でもある。身を守る、住み処を隠す手段なのだし、普段から研究は怠っていない。


「全力の五割は注いだからな」

「……貴方、妖力の総量は私とそう変わらないくらいでしょう。本当にそれで大丈夫なの?」

「心配すんなって。そこらの封印よかよっぽど強いから……長持ちする訳じゃないが」

「……まあ、良いけど」


 八雲はふうと息をつき、結界を眺めながら「一体どんな構成を」だの「どれ程の変換効率で」だのと呟き始めた。と、ふと我に返った様に、俺に―――正確には俺の尾に目を向ける。


「そう言えば。何なのよ、その尻尾の数」

「うん? ……さあ?」

「いや、さあじゃなくて。聞いた事ないわよ―――十尾、なんて」


 十尾。


 そう、その通り。現在の俺の尾の数は、十本なのである。


「俺だって聞いた事ねえよ……仕方ねえだろ何時の間にか増えてんだから」

「何時の間にか、て……そう言う物なの?」

「少なくとも俺の場合はな」


 増えたのは確か、玉藻前と別れた十年ばかり後であったと記憶している。てっきり九本で打ち止めだとばかり思っていたので、大層驚いた物である。


 ……まあ九で終わりだろうと思っていたのには、狐がそうだからと言う理由しか無かった訳で。猫又なぞはどれ程力を付けても二尾だし、狸はそもそも増えないらしいし。

 きっと種族によって違うのだろう。狐に倣って天鼬だの空鼬だのになる訳ではないのだ。


「っと……今はこんな話してる時じゃねえな」


 わさわさと尻尾を揺らしながら屋根の縁へ歩いてゆく。


「え?」

「忘れたかよ。……幽々子嬢」

「あ……」


 八雲の顔が、すうっと青ざめた。




◇◆◇◆◇




 結論から言うと、幽々子嬢は死んでいた。


 屋根から降りた俺と八雲の目の前、座敷の真中に横たわっていたのは、一目で既に死んでいると分かる量の血の海に沈んだ幽々子嬢の屍だった。

 部屋の隅には、立てた片膝を抱え背を丸め顔を伏せた霞楽が座り込んでいる。傍らには畳に突き刺さる血に濡れた小刀。


「……はあ」


 矢ッ張りか、と。俺は一つ溜息をつき草履を脱ぎ捨て座敷に上がり、幽々子嬢の前ににだんと胡座をかいた。八雲もふらりと続き、俺の隣に腰を下ろす。


「……」


 無言で屍を見下ろす。ただの人間が、しかもこんな目の前で、あの死の妖気の嵐に抗える筈がないのだ。恐らくは霞楽が抜き取ったのだろう、あの小刀で心臓を一突き。それだけで死ぬ。人間だから。

 刀なんぞ、そうそう都合良く転がっている物ではない。普段から懐にでも隠し持っていたか。本当に平生から―――死を考えていたのだ。


 一体何故西行妖があの様になったのかは知らないが……何も出会ってすぐに、斯様な事にならずとも良い物を。


「……どうして」


 ―――と。それまで無言で俯いていた八雲がぽつりと呟く。


「どうして、貴方が付いていながら……!」


 押し殺した様な声と共に顔を上げる。憤怒と悲哀に満ちたその視線が向かうのは、ただ脱力し座り込むだけの、霞楽。


西行妖あのさくらが満開になる時は特別気をつけて欲しいと言ったでしょう! 何故! どうして止めなかった!」

「おい……落ち着け八雲。手前らしくもねえ」


 拳を畳に叩き付け顔を歪め、微動だにしない霞楽に叫ぶ八雲。その肩を掴み宥めようとする。


「分かってんだろう……霞楽に出来るのは自分の姿を冥ます事だけだ。あの妖気から他人ひとを守れる様な力は―――」

「違う!」


 しかし八雲は肩に掛けられた手を振り払い、俺の顔を睨み付ける。


「逆なのよ」

「逆―――?」

「貴方はまだ分からないの? 西行妖が突然力を増大させ暴走した理由」

「理由、て……」


 八雲には分かっているのか、と。そう問い掛けようとして―――その理由に、思い当たる。


「おい……逆って、まさか」

「そうよ。西行妖の妖気で幽々子が自害したんじゃない―――」

幽々子嬢が自(・・・・・)害したから(・・・・・)―――西行妖が、暴走した……?」


 幽々子嬢が死ぬ。それはつまり、身に纏っていた死の気配が離れると言う事だ。放たれた死は近しい存在である西行妖に向かう。

 合わさったマイナスマイナスは、しかしプラスにはならなかった。ただ極大のマイナスとなったのだ。


「ええ……だから私は聞いてるのよ。何故幽々子を止めなかったのかと!」


 再度、畳が凹む程に拳を落とし、射殺す様な眼差しを霞楽に向ける。


「答えろ……茨木霞楽ッ!」

「…………さい」


 ぼそり、と。それまで凍り付いた様に不動を保っていた霞楽が、聞き取れない程に小さな声で何かを言った。が、激昂している八雲には全く聞こえなかったらしい。そのまま詰問を続ける。


「何故見殺しにした! 貴方は幽々子に惚れてたんじゃなかったのかッ! 貴方は……」

「……うるさい」

「……は?」


 先程よりはっきりと、一言。

 聞き取ったその言葉に、今度は八雲が凍り付く。


「……ふ―――ふざけてるのか貴方はッ! 煩い? よりにもよって煩いですって!? 貴方は幽々子を―――」

「煩いと言っているッ!!」


 怒号。

 これまで一度たりとも聞いた事の無い、霞楽の大声。流石に八雲も一瞬の怯みを見せる。


「黙れ! 黙れ黙れ黙れッ! 月並みな言葉だが言わせて貰う、お前に何が解る!!」

「な―――あ、」

「お前に俺の気持ちが解るか! 会う度会う度惚れた女に死にたいと言われる気持ちがッ!!」


 ―――それは。

 八雲は言っていた筈だ、幽々子嬢は死にたがっている様な素振りは見せなかったと。しかし霞楽に対してはそうでなかった、と。そう言う事なのか。

 八雲には心配を掛けたくなかった。友人だから? ならば霞楽に話したのは何故なのか。信頼? それともただ単にどうでも良かったから―――?


「で―――でも、あの娘はそんな事一度も」

「お前の前だけだ。お前が居ない時は―――幾度も幾度も死にたいと、死ねたらどれ程楽だろうと!」


 ずどん、と。畳を貫通する程に、力任せに拳を振り下ろす。長い前髪が乱れ、その奥の眼が一瞬見えた気がした。


「もう良いだろう! 例えそれが死であっても、幽々子に取って救いならば!」

「……貴方だって、分かってる筈でしょう。能力は魂に宿る……幽々子が死んだって、その魂が救われる事は」

「それでも―――」


 ふっ、と霞楽の身体から力が抜けた。また元の様にがくりと座り顔を俯け、普段のぼそぼそとした喋り方に戻る。


「……それでも俺は、これ以上幽々子の苦しむ姿等見たくない」

「それは……貴方の勝手よ。我が儘に過ぎないわ」

「……分かっては、いたつもりだ。だが―――止められなかった。笑ったんだ、幽々子は。自分を突き刺すその前に」


 やっと死ねる、と。

 もう苦しまなくて良い、と。

 解放される事への安堵の笑み―――しかしそれを見せられた霞楽の心中は如何許いかばかりか。結局俺にとっては他人事でしか無く、それを知る事は叶わない。


「……もう、良いだろう。あのまま生き続けても、幽々子の精神は何処かで折れていた」

「まだ分からなかった。あの娘が能力を制御出来る様になる可能性もあったのよ」

「……無理だ。そもそも人間の身には余る力だったのだ。望み等端から無かった」

「……それでも、貴方は馬鹿よ。死んだら何にもならないじゃない……」


 命あっての物種、死んで花実の咲くものか。言ってしまえば確かにそうだ、生きてさえいれば大抵道は在る。しかし―――しかしそれでも、耐える事は難しいのだ。死んだ方がマシではないかと、そう考えてしまうのだ。

 生死を秤に掛け、結果死を選んでしまう者は決して少なくはないのである。


「……死んだら何にもならない、か」


 最早言う事も無くし黙り込む二人に代わる様に、ぼそりと呟く。


 こればかりはどうしようもない。生きる者とはいつか死ぬ者、死んだならそこでお終いだ。幽々子嬢も俺も、人間も妖怪もそれは同じ。死んだ後には何も残らない―――。


 いや。


 本当に、そうか?


「……いや。違う」


 そうだ。俺は一体何を勘違いしているのか。

 この世界は何だ。妖怪が居る世界だ。幽霊が居る世界だ。彼岸と此岸のある世界だ。死は、決して終わり等ではないのだ。

 ならば―――如何する。


「―――幽々子嬢、よみがえらせてみようか」

「……む?」

「……は?」


 するりと口を衝いて出た言葉。俯いて沈黙していた二人が顔を上げ、訳が分からないと言った声を出す。


「死んだらそこで終わりだ。死者に手を出す事は出来ない……普通はな。だが俺達は何だ? 鬼と妖怪と妖獣だ―――普通だと言える筈があるか?」

「ちょっと待ちなさいよ……生き返らせるなんて」


 出来る訳がない、と八雲は俺に言う。死者の蘇生は禁忌だ、妖怪だろうが何だろうが出来やしない、と。


 そんな事は百も承知だ。


「勿論、死んだ命は戻りゃしない。んな事ぁ分かってる。だから―――死んだまま甦ってもらう」

「……どういう意味だ」


 未だ飲み込めない様子の霞楽。しかし八雲の方は、ソレに思い当たったらしい。眉を寄せて俺の顔を見詰める。


「死んだままって、貴方まさか」

「察しが良いね。ま、そうだ―――」


 二人の顔をじっと見据え、俺は言う。


「幽々子嬢には、亡霊になって貰う」




◇◆◇◆◇




 さて―――此処で、この世界における『亡霊』について説明しておく。


 まずは『幽霊』との違い。この二つは完全な別物だ。

 幽霊とは即ち、人間に限らず生物無生物、あらゆるモノに宿る『気』の塊である。形も持たず姿も持たず、生者に話し掛ける事も無ければ襲う事もない。ただふわふわと漂って、冥界へ流れるだけの存在なのだ。


 対して亡霊とは、人間が死して幽霊となった者の内、生に強い執着を持った者がなるモノだ。未練等と言う物を持つのは人間くらいである為、人間以外は亡霊にならない。

 その執着から生前の姿形を保っており、体温すら持ち、生者に触れる事をも可能にする者まで居る為、傍目には生者との見分けがつかなかったりもする。時には自分が死んでいる事に気付いていない亡霊なんてのも居るのだ―――まあ、何処かの小説か漫画にありそうな話だが。

 だが執念の塊である亡霊は、存在するだけで周囲に悪影響を及ぼす。具体的には、寒気がしたりツキが落ちたり気力が失せたり病に掛かったり。まあ下らない物から洒落にならない物まで大小様々であるが、傍迷惑な事この上ないのである。


 既に死んだ身である亡霊は、当然死ぬ事もない。しかし弱点はある―――自分の死体だ。

 自分が死んだ事に気付かない亡霊は、死体を見ればそうと知って消えてしまうし、そうでない普通の亡霊は死体を供養されれば成仏せざるを得ない。故に亡霊は、存在し続ける為に自身の死体を何処かに隠してしまう事が多い。


 と、まあこんな所であろうか―――。




「……幽々子を、亡霊に―――?」


 俺の言葉の後、まず口を開いたのは霞楽であった。その声色には否定的な感情が滲み出ている。


「……亡霊は居るだけで周囲をおびやかす存在だ―――それでは元の木阿弥でしかない」

「そこは問題ねえよ」


 自身の能力を疎んじて自刃した幽々子だ、亡霊になぞなったのでは結局生前と変わらない―――と。そう言う霞楽に、俺はすぐさま答える。


「亡霊の害ってのは、生への執着から来る。自殺した幽々子にそんなモンあるまいよ」

「……それこそ本末転倒でしょう」


 と、今度は八雲である。


「亡霊を亡霊として此岸に繋ぎ止めるのは、その生への執着よ。それが無いんじゃそもそも亡霊にはならない」

「まあ、そこだよな」


 当然俺とて、ただの思い付きで亡霊にしよう等と口走った訳ではない。既に思考は済んでいる。


「生への執着がねえのなら、別の物で繋ぎ止めるまでだ。要は幽々子を成仏させなきゃぁ良いんだ」

「でも……よりによって亡霊になんて」


 目を伏せる八雲。霞楽も同じ様な様子だ―――彼女等の気持ちは分からぬでも無い。死んだ知人を亡霊として甦らせる等、狂人の所業とすら言えるやも知れぬ。

 ―――だが。そうするだけの理由と言う奴も、十分にあるのだ。


「そこで、だ。お前さん等の頭からはすっぽ抜けてやがるみてえだが……」


 すっと首を巡らし、庭の群青を睨む。


「西行妖。放っとく訳にゃあいかんよな」


 まあ、あの化け桜である。遮断結界『檻』で抑えているとは言え、永遠に封じておける訳ではないのだ。


「……その事と幽々子を亡霊にする事との間に何の関係がある」

「まあ聞けよ。……あの結界はかなり固い。自画自賛になるが、自力で破られる事は有り得ないと言っても良い―――けども」


 ゆらりと尾を揺らしながら、霞楽へと向き直る。


「その分長持ちはしねえ。そりゃぁ俺がずっと近くに居て妖力の供給をすりゃ何時までだって持つだろう……が、そんなのは御免だ。かと言ってあんな化け物消滅させるなまず無理だ」


 俺は縛られるのは嫌いなのだ。すぐ後に旅立ちだって控えている。我が第二の人生の指針、怪異探求の為にも一箇所に留まる訳にはいかない。


「あの桜は封印せにゃならん。その場凌ぎの結界じゃなく、何千年と持つ様な封印だ……んで、アレを封印するとなりゃぁ強固な鍵になるモノが欲しい」

「……そう、か。その鍵に―――幽々子の死体を?」

「そゆ事」


 『死を操る能力』を宿していた身体だ。まさにベスト、これ程封印に適したモノは他に無い。言っては何だが一石二鳥なのだ。


「死体を封印に組み込んじまえば幽々子嬢は成仏出来ねえ。そうなりゃ亡霊にならざるを得ない」

「確かに、出来なくもないわ……そうすれば、幽々子をずっと存在させておける……」

「あの能力とて亡霊なら、人間よか上手く扱えるだろうしな……ただかなり荒業っつうか、ぶっちゃけ反則みてえなモンだからな。きっちり生前のままとは限らん」


 その言葉に霞楽がぴくりと身体を震わせ俺を見る。


「……つまり?」

「記憶が残ってねえとか……悪けりゃ人格変わってるかも知れん」

「……む」


 霞楽は顔を伏せ考え込む。亡霊としてまで幽々子を甦らせるか、このまま放っておくべきなのか―――。


「……まあ此処まで言っといて何だがよ。幽々子嬢を亡霊にするかどうかはお前さん等が決める事だ……俺なんぞよか付き合い長いお前さん等がな」

「……そう、ね……」

「西行妖の封印も、幽々子嬢の身体を使わなけりゃ無理だって訳じゃない。俺の手持ちにも釣り合いそうなモンは幾つかある」


 つい先日まで家に溢れ返っていた拾い物群。あの中には、本物のいわく付きと言う奴も混じっている。何も無用の長物ばかり蒐集している訳ではないのだ。

 勿論、一番安定しそうなのは幽々子嬢の身体なのだが。


「さて」


 選択肢は提示した。選ぶのは俺ではない。目の前の二人だ。


「どうする?」



 ―――二人の返事は、是であった。




◇◆◇◆◇




「……ああまで言っといて何だが、こう言う封印とか俺ぁからきしでな。お前さんに全部任す」

「はいはい」


 三人揃って庭に降り『檻』の前に立った。幽々子は霞楽が抱き抱えている。


「んー……あんなの封印するんなら手伝いが欲しいわね」


 八雲はそう呟くと、あの眼の空間を開いてその中に顔を突っ込んだ。


「藍! 仕事よー!」

「……あ、やべ」


 嫌な予感を感じ素早く霞楽の後ろに隠れる俺。怪訝な顔を向ける霞楽。


「藍ー! らーんー! 聞いてんのー!?」

「はいはい分かった分かりました何回も呼ばなくても聞こえてますってばっ!」

「遅いっ! 呼んだら二秒で来なさい」

「そんな無茶な……」


 案の定―――である。実に面倒臭そうに現れたのは、白面金毛九尾の狐・玉藻前であった。ぶつぶつと愚痴を零している。


「全く……何でこの私が妖怪の使い走りなぞ……」

「聞こえてるわよ」

「はいはいすみません! ……くそ、全部アイツが悪いんだあの野郎め……あ?」


 隠れていても仕方ないよなあ、と霞楽の陰からちらーっと顔を覗かせる俺。その顔を見た玉藻前が固まる。


「……えーどうもお久し振り、あの野郎です」

「あ、あぁぁああッ! 八切ィッ!!」


 数瞬の硬直の後、俺を指差し絶叫する玉藻前。はい八切です。


「……ちょっと、貴方達知り合いだったの?」

「知り合いなんてモノですか! コイツは病み上がりの私を幻想郷に放り込みやがった張本人!」

「いやー元気そうで何より」

「何を抜け抜けとこの野郎!」


 両腕を掲げ狐火を携え、しかし間に居る鬼を気にしてか、ただ此方を睨み付ける九尾狐。状況を理解したらしい八雲が呆れた目で俺を見る。


「……成る程、そう言う事。自分の身代わりにでもするつもりだったの?」

「ま、そんな感じだねえ。あんまり意味無かったみてえだが」

「……はあ。藍、私怨は後にして頂戴。ちょっと化け桜を封印しなきゃいけないの」

「止めて下さるな紫様! 私はコイツをうきゃん!?」

「後にしろっつってんの。安心しなさい、コイツは私に取っても敵よ。逃がすつもり何か無いから」

「おいおい、怖えなあ」


 扇子で後頭部を強打され、八雲の足元に沈む玉藻前―――いや、今の名は藍と言うのか。八雲が付けた名であろう。何にせよ、喧嘩は後回しにしてくれるらしい。


「くそう……後で覚えてろよ糞鼬……」

「女の子がそう糞々言うなよ。口の悪ぃのは変わってねえな」

「お前のその減らず口もな、八切」

「いやぁえへへ」

「照れるな」


 くわっと牙を剥く玉藻前―――藍。身代わりにした事や何か、一応悪いとは思っているのだが。命を助けたって事でチャラにしてくれ……ないよなあ。助けた事で怒られた覚えがあるし。


「藍、だから後でって言ってるでしょう。こっち来なさい」

「あーはいはい分かりました」


 最後に俺を睨み付けてから、彼女は八雲の方へと歩いて行った。俺はやれやれと息をついて、封印の邪魔にならないよう霞楽と共に数歩下がる。

 と、呆れた様子の霞楽が一言。


「……敵を作るのはそんなに楽しいか」

「……あっはっは」


 乾いた笑いしか出ない俺であった。大いに自業自得である。




「……それにしても」


 八雲の指示に従って『檻』の周りを走り回る九尾狐を眺めていると、ふと霞楽が口を開いた。


「……お前は、随分と冷静なのだな」

「……んー。まあ、な」


 幽々子嬢の死に対して―――であろう。確かに俺はこの上なく平静だ。幽々子嬢の屍を見た時も俺の中には、驚愕はあれど動揺は無かった。いや、そもそも―――


「正直に言ってな……幽々子嬢が死んでも、俺は一抹の悲しみも覚えちゃいねえのだ」

「……だろうな。お前は、そう言う奴だ」


 幽々子嬢の死は、俺の心に毛程の波も立てなかった。そうでなければ、亡霊として甦らせようだの死体を封印に使おうだのと、あんな考えが瞬間に湧く筈が無い。


「駄目だな、やっぱ……友人としてみても、名前で呼んでみても、何か違うんだ」

「……だから言ったんだ。お前が友好的なんざ至極難しい、と」

「無理だ、たぁ言わねえ辺りお前さん結構優しいよな」

「……む」

「……ま、時間は腐る程あるかんな。その内慣れるだろうよ。……多分」


 まあ、自分は非常に長生きな妖怪と言う種族である。生き方を多少変えてみるのに、もう遅いと言う事は無かろう。少なく共向こう千年は生きるつもりでいるのだから。




「―――こっち準備済んだわよ。霞楽、幽々子を」

「……む」


 八雲の呼び声に応え、幽々子嬢を抱いた霞楽が八雲の方へ歩いて行く。『檻』の周囲には何やら幾何学的な図形が描かれており、それは陰陽師が行う様な封印よりむしろ、西洋の魔法陣の様な印象を持っていた。

 それを引く為に走り回されていた玉藻前、もとい藍はと言うと、八雲の後ろに控えて俺をちらちらと見ている。そう警戒せずとも逃げやしない。……今は。


「そこよ。寝かせたら八切の居る辺りまで下がっていて頂戴。藍も離れなさい」

「……む」

「はい」


 丁度人一人が寝転べるくらいに空いた図形の隙間に幽々子嬢を横たえ、霞楽が此方へ戻って来る。八雲は幽々子嬢の前に立つと、此方は向かずに俺の名を呼ぶ。


「―――八切」

「了解」


 その意を汲んだ俺は左手を『檻』へ向けてすっと掲げ、握った拳をゆっくりと開く。途端、『檻』が空に融ける様に崩壊し中から禍々しい桜色の妖気が溢れ出した。


 しかしその妖気が広がる前に、八雲が足元の陣の一端に手を乗せる。西行妖を囲む陣全体が輝きを放ち、桜色を掻き消してゆく。


「―――」


 余程集中しているらしく、八雲は無言のまま作業を行う。横たわる幽々子嬢を中心に再度光が陣を走り、西行妖が一瞬抵抗する様にその妖気を強め―――


 ずん、と。

 辺りを揺がす圧力と共に、西行妖はその全ての花弁を撒き散らした。


 凄まじいまでの桜吹雪が視界を覆い、一瞬何も見えなくなる。


「……成功」


 桜色の壁の向こうから、八雲の疲れた声が聞こえた。


「この先、西行妖が花を咲かせる事は無いわ……」


 西行妖が人を死に誘うのは、その花を咲かせている間のみ。咲く事が無ければもう心配は無い。


「っはぁ―――やれやれ」


 特に何をした訳でもないのに酷く疲れを感じ、ぐっと伸びをする。舞い散る桜の花弁も少しずつ晴れ、すっかり丸裸になった西行妖と八雲の姿が見え始め―――


「……あ」


 俺の隣で霞楽が小さく声を上げる。鮮明になってゆく視界の中、西行妖に凭れて目を閉じている少女。あれは―――あの少女は。


「……ゆ」


 搾り出す様な声と共に、霞楽がその少女へ向けて早足で歩き出す。


「……幽々子―――」


 目の前に立った霞楽に反応してか、幽々子嬢が顔を上げ目を開く。目が合って身体を強張らせる霞楽に、幽々子嬢は口を開き―――


「あの……貴方は?」

「―――あ」


 不思議そうに首を傾げ、そう問うた。霞楽は呆然と立ち尽くす。

 ―――記憶が、残っていない。強引な復活は、やはり完全な物にはならなかった。


「……すまない」

「え?」


 と。呆けていた霞楽がその場にがくんと膝を落とす。顔を伏せ、今まで聞いた事の無い何だか泣きそうな声で、同じ言葉を繰り返し呟く。


「……すまない。すまない―――すまない―――」

「あ、あの……」


 記憶の無い幽々子嬢は困った様子で、膝を突いても尚少し上にある頭を慰める様にぽんぽんと叩く。その手つきは、非常に優しげであった。


「……やれやれ」


 見ていた俺は、そう呟いた。まあ、あの二人に心配はいらないだろう。記憶が無いのも、生前の苦しみを忘れている事を思えばそう悪い事ではない。


 ちらりと八雲の方を見る。彼女は二人の様子を見ながら小さく微笑んでいた。玉藻前改め藍はと言うと、八雲の後ろで良く分かっていない顔をして二人を眺めている。


 ―――二人共、此方に注意を払ってはいない。


「……頃合いか」


 そう、小さく呟いた俺は。


 背後にすっと『窓』を開き、音も無くこの場を去った。




◇◆◇◆◇




「―――待ちなさい」

「お?」


 最後に残っていた物を全て移動させ、俺の存在した痕跡を徹底的に消し、長らく住んだ家から一歩踏み出した俺。その目の前には、何時の間に来たのか八雲が立っていた。


「やっぱ気付かれたか」

「当たり前でしょう。……幽々子に会わないつもりなの?」

「ああ。俺はそう親しい訳でもねえし、旅程も圧してるし。十年先まで一日単位で決めてんだよ」


 幽々子嬢に会うのは、俺がもう少し『友好的』になってからでもよかろう。何百年かすれば今よりは真面になっている筈だ。


「……で。俺を捕まえるつもりかな? 九尾殿はどうしたよ?」

「藍は置いて来たわ。……その前に、貴方に聞きたい事があるの」

「ふむ。答えられる範囲なら答えよう」


 すぐにでも逃げられる様身構えつつ八雲の問いとやらを待つ。適当な事を答えて隙を作るか、真面目に答えてやるか。

 ―――が。八雲が口にしたのは、余りに予期しない言葉であった。


「単刀直入に聞くわ。貴方は、未来に生きていた事があるわね?」

「……は?」


 思わず、間抜けな声を漏らす。ちょっと待て―――この女今何と言った。


「いや……お前さん、何を」

「言っておくけど惚けても無駄よ。私は確信している。確信出来るだけの理由がある」


 混乱する俺に構わず、八雲は言葉を続ける。


「まずこの前のお菓子。この時代の文化水準に比してアレは美味し過ぎたわ……と言うか、私は似た味を知っている」

「……そりゃどうも」

「二つ目。貴方に初めて会った時、貴方はこう言った―――『六百年もすれば都に九尾狐が現れる』、ってね。これは玉藻前の事よね? 何故知っていたのかしら?」

「……勘とか?」

「三つ目。貴方が起こした爆発。思い当たったのは最近だし、どうやったかは分からないけど……貴方はあの時、霧を分解して水素と酸素を作り火をつけた。両元素が発見されるのは、西洋でももっと先よ……良く覚えてはいないけど」

「…………参ったな」


 一つ溜息をつきわしゃわしゃと髪を掻き回す。どうも言い逃れは出来ないらしい。


「……水素は一七六六年、イギリスの学者による発見だ。酸素は一七七二年スウェーデン」

「博識ね」

「どうも」


 本当に、どうしてこんな役に立たない事ばかり覚えているのやら。


「まあ、御想像の通り……なのかね? 俺は昔、未来で人間をやっていた」

「……そう。なら貴方は、やっぱり……」

「さて、次は俺も聞きたい事がある」


 何か言いかける八雲を制して、彼女の目を見据える。今度は此方が問う番だ。


「未来の菓子や元素の存在を知っている―――お前さんは一体何者だ?」

「え?」

「いやえじゃねえから」

「いや……え? 貴方、私の事知らない?」

「お前さんが八雲紫って名前の妖怪だって事なら知ってるが」

「そうじゃなくて……もっと昔の、いや先の」

「千年前が初対面だろう」

「でも、そんな……じゃあ人違い……?」


 何やら狼狽した様子で、俯きぶつぶつと呟く八雲。何に狼狽うろたえているのか知らないが……まあともかく、彼女の正体については大体予想がつく。


 彼女は―――八雲紫は、きっと俺と同じ(ヽヽ)なのだ。


「……まあ、いっか」


 詳しい事は分からないが、八雲が動揺している今は恰好の逃げるチャンスである。気付く様子の無い八雲の足元に妖力を走らせ、俺の背後には『窓』を開く。


「さて、それじゃ」

「―――え? あっ、ちょっと……!」


 此方に気付くも時既におすし。もとい遅し。

 八雲の足元から青い妖力が立ち上り、彼女を閉じ込める『檻』が一瞬にして形成される。能力遮断効果付きだ、彼女でもそう簡単には出られない。

 慌てふためく八雲に、別れの言葉を投げ掛ける。


「あでぃおす八雲! また五百年くらいしたら会おう!」

「ま、待ちなさ―――」


 八雲の制止の声も最後まで聞かず、俺は後ろに倒れ込む様に『窓』の中へ。俺を飲み込んだ『窓』はぱくりとその口を閉じ―――


 ―――こうして俺は、三度八雲から逃げおおせ、長い旅路へとその第一歩を踏み出したのである。




◇◆◇◆◇




「……また、逃げられた」


 八切が作った青い結界の中、私は壁に背中を預けずるずるとへたり込む。これで三度目だ。


「追い掛けるのは、無駄でしょうね……」


 あの自分のスキマに良く似た空間の穴。アレの痕跡から追おうか、と一瞬考えるが、あの八切がそんな道を残してくれるとは思えない。どうせ何等なんらかの対策をしているに違いない。


「はあ……藍には怒られるわねえ」


 自分も行かせろと言い張るのを無理に置いて来てしまったのだ。取り逃がした何て言ったら、どれ程激怒する事やら。


 ……それにしても。


「……私の事、覚えてなかったなあ」


 ―――遥か昔、自分が人間だった頃の記憶。大学にふらりと現れては、和菓子をくれたり妖怪や伝説について講釈を垂れていたあの青年(ヽヽヽヽ)

 最初と二度目に会った時は思い出せなかったが、八切は彼に良く似ている。いや、きっと本人なのだ。妙に聡明な所と言い、あのふざけた態度と言い―――


「……何がアディオスよ、あの阿呆」


 八雲紫はそう呟き、くすりと笑ったのであった。




 ところで、西行寺幽々子は当然の事、八雲紫及び茨木霞楽にもその存在をすっかり忘れ去られていた魂魄妖忌少年であるが。彼を守る為であった八切七一の結界は三日三晩消える事は無く、その間憐れなる魂魄少年は非常に窮屈な思いをしたそうで。

 ……ま。これは完全な余談である。

 

東方茨歌仙なんて知りません。ええ知りませんともさ。

彼は何故か幽々サマに懸想しておりまして、彼女に関わる話だと少し饒舌になります。彼と言うキャラが湧いた時より、一応決まっていた展開ではありました。成就するかは神のみぞ知る。でも神奈諏訪は多分知りません。


ゆかりんです。読んで予想はついておりましょうが、ウチのゆかりんはとある二次設定を採択しております。夢喰いとか前貼りとか言われる彼女とのある繋がりです。まあ大分先になりましょうが。


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