其之十二、鼬夜の清涼殿にて鵺に会う事
鵺。
『平家物語』等に登場する、頭は猿・胴は狸・四肢は虎・尾は蛇という姿の妖怪で、酷く気味の悪い声で鳴いたとされる。
その姿は文献によって多少のばらつきがあり、一説には雷獣であるともいわれている。
元来この鵺という名は、読んで字の如く夜に鳴く鳥、今で言う所のトラツグミなる鳥の事である。平安時代このトラツグミの寂しげかつ不気味な「ひょうひょう」という鳴き声は、不吉なもの、凶兆であるとされ、聞こえる事があれば直ちに祈祷が行われたという。
そんな訳で『平家物語』に登場するのは、あくまでも「鵺のような声で鳴く得体の知れぬ何か」なのである。しかしてどうした訳か、現在では「鵺」の名がすっかり定着してしまっている。
ちなみに鵺のこの姿、北東の寅・北西の戌亥・南東の巳・南西の申と斜め四方干支の獣を混ぜたモノであるとの説もある。
尚現代に至っても、トラツグミの声を聞いてUFOの襲来だ等と勘違いする騒動が幾度か起こっているそうで。
これはトラツグミの声がそれほどに奇妙なのだとすべきか、それとも、人間というのは進歩のない生き物だなあと言うべきか。いやはや。 さて、まだ鵺退治についての話もあるが、そちらは本文にてという事で、前置きを終わるとしよう。
これより記すのは、若き正体不明との出会い、そしてやっぱり別れの話である。
◇◆◇◆◇
時は平安時代の末も近く一一〇〇年代初め頃、所は天皇の住まう御所清涼殿。
上に尖った入母屋造りに檜皮葺きの屋根の天辺、一人の青年が腰を下ろして鼻歌混じりに木片を弄くり回していた。そのすぐ真下を守衛が通り掛かるが、気付く様子もなく歩き去る。
「……ううん。何だこりゃ」
手元の木片に首を傾げ、くしゃりと頭を掻き回す青年―――まあ。俺である。読者諸兄お馴染みのしがない普通の鼬、八切七一である。
さて、その鼬なぞが天皇陛下のお住まいの上で一体何をしているのか。まずはそれを説明する事としよう。
事の起こりは、つい最近耳にしたとある噂。
曰く、『天皇の居住清涼殿に、夜な夜な黒煙が沸き不気味な声が響き渡る』、と。
……平安末期の清涼殿、沸き上がる黒煙に不気味な鳴き声―――とくれば、思い当たる物はただ一つ。
鵺だ。
猿頭狸胴虎足蛇尾、トラツグミの声で鳴き叫ぶ、日本古来の有名な妖怪である。
さて、『平家物語』等に語られる鵺の話。
平安時代も末の頃、夜毎清涼殿に黒雲が現れては奇妙な鳴き声が鳴り響く。これにすっかり恐怖した時の天皇、遂には病に伏せってしまう。薬や祈祷も効果を及ぼさず、さて如何するかと頭を悩ませた側近達が、白羽の矢を立てたは弓の達人源頼政。この怪異なんとかすべしと、怪物退治を命じたのであった。
さて源頼政、家来の猪早太と先祖伝来の弓を携え夜の清涼殿に出向く。すると沸き上がり清涼殿を包む黒煙、頼政はえいやとばかりに山鳥の尾の矢を黒煙に打ち込む。すると悲鳴と共に落ちて来た鵺の化生、これをすかさず猪早太が押さえ、太刀にて止めを刺したという。
黒煙は晴れ鳴き声は止み、天皇の病もみるみる内に快癒し、頼政は褒美に刀を頂いたそうである―――と、言うのが。
『平家物語』における鵺退治のお話である。
ちなみにこの鵺については、祟りを恐れた京の者達がその死体を舟に乗せて川へ流したとか、死して後一頭の良馬になったとか、実はその正体は頼政の母親であったとか面白い話が幾つかあるが……ま、この辺にしておこう。
とにもかくにも黒雲云々のそんな噂を聞いた俺は、早速夜の清涼殿へやって来て屋根上に陣取り鵺が現れるのを待っていると、そういう訳なのである。
「……どうすっかなコレ」
で、コレである。
鵺が来るまで手遊びにと、家にあった適当な木片を持って来て、木彫りの鵺―――彫っているのではなく切っている。木切り?―――を作っているのだが。
いかんせん素人の暇潰し、中々上手くいくモノではない。妙に頭がでかいわ、足が太いわ、尾蛇が短いわ、揚句の果てには酷い間抜け面である。まるでデフォルメされた人形、マスコットの類の如く。
「まあ……家にほっときゃいいんだが」
京の片隅の我がボロ屋。
自分はどうも、何の役にも立たないような物を蒐集する癖があるのだが。神社に送るのに躊躇うような物、どうでもよすぎる物は、皆家に転がしてあるのである。
例えば、拾った仏像だとか。例えば、面白い形の石だとか。例えば、香りの良い檜木の切れ端だとか。
そんな代物でも、何百年と生きていれば溜まりに溜まるもので。この所は足の踏み場すら危うくなり始めている。いやはや。
「さて……」
鵺彫刻の修正を諦めことりと横に置き、ふと月を見上げる。
時刻は今や真夜中二時も過ぎ。妖怪幽霊化生の時間、草木も眠る丑三つ時。鵺が出るのもそろそろか、と周囲をざっと見渡して―――
「……お?」
―――見つけた。
方角は北東、丑寅。夜空の闇に紛れ、ゆらゆらとこちらに近付いて来る黒煙の塊。やっと来たか、と小さく呟き屋根の天辺で立ち上がる。
さてこの時俺が、昔の画図に見た鵺の姿、獣を掛け合わせたようなおどろおどろしい姿を思い胸を躍らせていた―――かと言うと、実はそんな事はない。
俺は既に学んでいた。この過去の世界の妖怪神霊の類は、基本的にまともな姿をしていない、と。
神が幼女だ。鬼も幼女だ。妖怪は皆々少女だ。一部を除き、この世界の人外は女ばかりだ。しかし無駄に可愛いのは何故だろうか。美幼女美少女美人さん。どうでもいいか。
何はともあれそんな訳で、俺は最早姿に関しては然程の期待を持っていなかった。あの黒雲の中に居るのも、どうせ少女に違いない。
諦観である。
「……ん」
等と考えているうちに、黒雲の塊は大分近くまで来ていた。清涼殿から少し離れた所でふわふわ浮いている。どうやら俺に気付いて戸惑っている様子。
うむ。ここはフレンドリーにいってみよう。
「よっ」
ひょいと手を挙げ、砕けた挨拶をしてみる。
「……」
へんじがない。ただのくろくものようだ。
「……ばんわー」
めげずにもう一度軽い挨拶。
「…………」
へんじが(ry。ただの(ry。
「…………こんばんは」
軽佻浮薄はお嫌いらしい。普通に挨拶してみる。
「………………」
へ(ry。た(ry。
「……ええいこんばんはっつってんだろうがッ!」
「うきゃ!?」
あくまで無視する黒雲に、堪忍袋の緒がちょっと緩んだ。横に置いていた木彫りの鵺(笑)を拾い上げ、ぷかぷか浮いている黒雲に投げ付ける。
すかーんといい音が響き、黒雲から悲鳴。すとんと人影が落っこちた。
「いったあぁあ……」
庭に落ちたそいつはしばし頭を抱えて苦しんでいたが、すぐに顔を上げ俺をきっと睨み、ふわりと屋根上まで飛んで来た。
「ッいきなり何すんのよ!」
噛み付くように叫ぶ少女を我が三白眼で睨み付け、腕を組み重々しく一言。
「こんばんは」
「はあ!?」
「こんばんは」
「あんた何言って」
「こんばんは」
「いやちょっと」
「こんばんは」
「あの」
「こんばんは」
「……こ、こんばんは?」
「宜しい」
にいっと笑って組んでいた腕を解く。俺の相も変わらず悪い目つきに睨まれて少しばかり縮んでいた少女が、ほっとしたような顔をした。そんなに怖いか畜生め。
「挨拶は大事だぞー。立派な大人になれません」
「……いや、妖怪が立派な大人って」
「気にしなさんな。……よっ、と」
適当な事を言って適当に流し、屋根の尖った天辺に座り直す。たんたん、と横を叩いて促すと、少女鵺は渋々といった様子で俺から少し離れた所に腰を下ろした。
ざっと少女の容姿を観察する。
猫のような癖っ毛の黒髪、黒い着物。例の如く可愛い。背中からは赤と青の変なモノが三本ずつ生えている。何だこりゃ。
まあそれは後回し、何はともあれ自己紹介。
「……さってと。俺はこの都に居を構えるしがない普通の鼬、八切七一ってえモンだ」
「……あっそ。で、その普通の鼬がこんな所で何してる訳?」
と明らかに聞き流しつつ面倒臭そうな顔で問う鵺に、俺は少し目を眇めて一言。
「お前さんの名前は?」
「はあ?」
「お前さんの名前は?」
「……ちょっと、質問に質問で返」
「お前さんの名前は?」
「いやだから」
「お前さんの名前は?」
「その」
「お前さんの名前は?」
「……ほ、封獣ぬえです」
「宜しい」
自己紹介を受けたら自己紹介を返す。人間関係―――妖怪関係?―――を円滑に運ぶ為の大切な礼儀である。
「……うう、何なのよこいつ」
「こいつとはまた失礼な」
「うっさい。てかもっ回聞くけど、あんた此処で何してんのよ」
「そんな事も分からないのかね」
「分かる訳ないでしょうが」
「君は実に馬鹿だなあ」
「ッ……こ、こ、このッ……」
「落ち着けー封獣」
眉を吊り上げ目を尖らせ、今にもこちらに掴み掛かりそうな鵺をどうどうと宥める。しかしまあ、初対面の相手をまずからかいにいってしまうのは自分の悪癖である。直す気はないが。
「うん、まあ、何だ……何故俺が此処に居るかだが。お前さんに会いに来たからだ」
「私に? 何でよ」
「何となく」
「……いや、理由になってないじゃない」
「んじゃアレだわ、君が好きだからさ」
「じゃあって何よ。つか気持ち悪い」
「非道いなあ」
「……あーもう良いわよ。真面目に答える気無いのねあんた」
「むむむ」
「何がむむむよ」
ぶっちゃけ。紀行文云々等、説明が面倒なだけである。
「ってそう言やあんた、私の能力効いてない?」
「うん? 能力?」
「……あんた、私が何に見える?」
「背中から変なモン生えた女の子」
「変なモン言うな。……て、やっぱり効いてないんだ。おかしいなあ……」
「ふむ」
さて。能力が効いていない、というのは心当たりがあるが。効いていたら彼女が何か別の物に見えるのだろうか。
「時に、そのお前さんの能力ってのは?」
「『正体を判らなくする程度の能力』―――よ。私の正体は見えない筈なんだけど」
「ほほう」
それはまた、鵺らしいと言うか、鵺そのものな面白い能力である。正体の分からない妖怪、それが鵺。得体の知れぬ人を例えて鵺と言う程である。
「まあ、能力効いてねえ、ってのは俺のせいだろな」
「そうなの?」
「うむ。俺は普段から、他人の能力の影響を遮断してんのよ」
能力の遮断。しばらく前からずっと続けている事である。能力持ちの妖怪にとっては、能力とは初の手であり奥の手。それを封じられるのは大きなアドバンテージである。
……と言っても、ごく一部の友人しか場所を知らない、認識やら何やらの遮断結界に包まれた都の端にひっそりと隠れ住むこの俺が喧嘩をする事なぞついぞ無いのだが。ただの保険である。
「……どうやって?」
「そりゃま、俺の能力で」
「何て能力なの?」
「それは秘密です」
「何よソレ、私は教えたじゃない」
「自分の能力なんざほいほい他人に明かすモンじゃないよ、普通は」
「……むう」
口を尖らす鵺。どうにも挙動が幼いと言うか青いと言うか。俺の力量にも気付かぬ様子であるし―――まあ、大妖怪相手にも気付かせぬ自信はあるが。
しかし感じる妖力は中々のモノ。才能溢れる新進気鋭、成長の期待される若き中妖怪……と、言った所か。
「んで、俺が能力を解けばお前さんがちゃんと妖怪に見えるんだよな?」
「……いや、ちゃんとって……一応こっちの姿が本当なんだけど」
「どっちでも良いよ」
てな訳で能力の遮断を解除する。途端封獣の姿がゆらりとぶれる。再び像を結んだその姿は―――
「……おお!」
猿頭狸胴虎足蛇尾、屋根に爪を掛けぐるぐると唸る大きな獣……まさに、俺が思い描く通りの、文献に残る鵺の姿であった。
「成る程なー……うん、面白い。実に面白い」
その大きな身体に触れてみる。ざらざらした強い毛の感覚、獣独特の臭い。封獣の声で話す様子もなくただ唸るばかりである事からも、どうやら視覚だけでなく触覚や嗅覚聴覚、認識を丸ごと変えられているらしい。
「……うりうり」
何となく手触りが良いので、犬を撫でるような感じに頭やら首の下やらがしがしと撫で回してみる。
ううん割と可愛いかもしれない―――等と思っていると。ぐるうと一言大きく唸ると嫌そうに身をよじり俺から離れ、
「―――ええい何処触ってんのよッ!」
「おおう」
怒られた。
またゆらりとぶれて、姿が封獣に戻る。どうやらあちらさんで能力を解いた様子。顔を真っ赤にしうがーと吠える。
「あのねえ一体何に見えたか知らないけどソレ見えてるだけだから! 中身私だから!」
「ふむ。そりゃすまん」
よく考えればそうである。例えこちらから見て獣を撫でているだけでも、彼女からすれば体を撫で回されている訳で。明らかなセクハラである。
「っとにもう……てか何あんた? 私が言うのも何だけど鵺の姿って大概アレよ? 喜々として撫で回すとか理解出来ない」
「さてそう言われましても」
今まで幼女少女ばかり見て来た所に、文献そのままな姿だったものだから。少しばかり心惹かれるモノがあったのである。多分。
「はて……さて」
閑話休題。
ふと思い出して『窓』を開き、先程投げた木彫りの鵺(笑)を回収。その様子を見た封獣が目を丸くする。
「……今の何?」
「『窓』。俺の能力の何かこうあんな感じ」
「いや訳分かんないわよ」
「んー……場所と場所を繋げてるんだよ」
「……そういう能力なの?」
「んにゃ。ただの応用だ」
「ふうん」
と。封獣は、結局良く分からん、といった顔をして俺の手元に目を向けた。首を傾げて鵺(笑)を手に取る。
「コレ、さっき私に投げ付けた奴? 何この変なの」
「木彫り人形っぽい何かだ。俺にも分からん」
「あんたが作ったんじゃないの?」
「そうなんだがなあ。何か色々失敗した」
「……不細工ねえ」
まじまじと顔を見つめて、そんな感想を漏らす。
「でもちょっと可愛いかも」
「どっちだよ」
「不細工だけど可愛いの」
「ブサ可愛いのか」
「何語よ」
「未来語」
「何言ってんのあんた」
「実は俺、未来人なんだ」
「へーすごいわねー」
初めて正体を明かしたのに信じて貰えない。いと悲し。くもないが。
「コレ、貰っていい?」
「……欲しいんならやるけども。どうすんだそんなモン」
「さあ?」
さあ、て。まあ使い道なぞ無かろうが。
「……ところで封獣や」
「何?」
「そろそろ寅の刻も過ぎようとしている訳だが」
「え? ……ああーっ!!」
俺の指摘に月を見上げ、目を剥いて叫び声を上げる封獣。下に聞こえたらどうするのか。まあ音は遮断してあるのだが。
「丑三つ時過ぎてる!? てか黒雲も鵺の鳴き声も出してない!」
「ちゃんと仕事しろよ……」
「あんたのせいでしょうがッ!」
「自分の過失を人のせいにしちゃいけません」
「どう考えてもあんたとの無駄話のせいじゃない!」
「はっはっは」
「笑ってごまかすなあっ!!」
ま、そもそも無駄話に付き合ったそちらも悪いのだ―――なんて。言わないが。
「……あー。もう良い。私帰る」
「そうかい」
帰るらしい。もう少しゆっくりしていけば良いのに。別に何も無いが。
「そういやお前さん、何処に住んでるんだ?」
ふと思い、聞いてみる。何処からともなく現れる妖怪である鵺、『平家物語』等にも当然の如く住み処についてなぞ書かれていなかったが。
「別に何処でもいいでしょ」
「いいじゃないよ教えてくれても」
「……近くの山」
「え? 山暮らし?」
「いいでしょ別に。妖怪なんだから」
「さっきも言ったが、俺は此処に住んでるがね」
「……よくこんな陰陽師だらけのとこに住めるわね。あんたあんまり強そうでもないのに」
「弱そうで悪かったな」
そんなに弱そうな顔をしているのだろうか俺は。言動が原因なような気がしなくもないが。
「ま、妖力隠してれば見つかりゃしないな。美味い飯食えるし情報も多いし、屋根があるってな中々良いもんだ」
「私は、人に紛れてまで住みたくはないわね」
「住めば都、なんだけどな。……まあ住まなくても都は都だがな!」
「別に上手くないから」
ですよねー。
「で、都のどの辺に住んでるの?」
「それは秘密です」
「……良いけどね予想はしてたから」
「まあ冗談だが」
「…………何かもうあんたと話すのって疲れる」
良く言われる言葉である。変人だ、とか弱そうだ、とか悩み無さそうだ、とかと同じくらいに。
「えっとなあ……うん、あっちの方かね。都の端っこだな」
「遠すぎて見えないわよ」
「そりゃそうだ」
大体あの辺か、とあたりをつけて方向を指で指し示す。端っこも端っこ、都に含まれているのかどうかも怪しいような場所である。封獣が目を凝らすが、まあ見えはすまい。
「どんな家?」
「大屋敷だよ。部屋は多く庭は広く、大貴族の家かと見紛うような」
「嘘つけ」
「バレたか」
「バレるわよ」
まあ嘘である。
「まあ、小っせえボロ屋だな。ボロ過ぎて人が住まなくなった小屋を修繕して使ってる」
「ふうん。まあそんなもんよね」
「野宿よりゃマシだがな」
「むっ……妖怪の癖に人間の作った家に住んでる方が変なのよ」
「良いんだよ俺は。俺だから」
「意味分かんない」
「安心しろ俺にも分からん」
「何よそれ」
「……まあ、真面目に言うんなら―――」
―――人間の文化が発展し家の構造が複雑になるにつれ、家にしか出ない、家だからこそ出る妖怪というのは増えていくのだ。家鳴垢嘗め目目連、座敷童、小袖の手に天井下がり、そして良くある厠の怪異。数え切れぬ程。
人の家に妖怪が住むのはおかしい、何てのは。まともな家屋の無かった頃ならいざ知らず、平安時代の今となっては、とうに時代遅れである―――と、言わざるを得ない考え方なのである。
「……意外だわ。あんたそんな小難しい事も喋れるんだ」
「馬鹿にしてんのかい」
「えっ? 馬鹿じゃなかったの?」
非道い。
「……まあ俺でなくとも、長く生きてりゃこれくらい喋れるようにゃなるだろ」
「いやあんた何歳よ」
「あー……一万くらい?」
「嘘つけ」
「俺は今まで嘘をついた事が無いのが自慢なんだ」
「それが既に嘘よね」
「バレたか」
「バレるわよ」
まあ嘘である。
「えー……千くらい、かね」
「嘘つけ」
「や、嘘じゃあない」
「……嘘でしょ?」
「そう何回も同じ嘘つかんて。……うん、千五十幾らか、になるのかね」
「あ……あんたそんな年上だったの?」
目を丸くする少女鵺。そんなに驚かなくとも良かろうに。俺は余程餓鬼っぽ―――もとい若く見られる性質であるようだ。
「千年も生きててなんで一尾なのよ」
「普段は隠してるんだよ」
「何で?」
「ちょいと目立ちすぎる。でかくて欝陶しいしな」
「……何尾よ?」
「九」
「きゅっ!」
首を絞められたような声を上げて先程よりもっと大きく目を見開き、慌てたように俺から離れる。そう警戒せずとも、別に何もしないのだが。
「きゅ、きゅ、きゅ」
「キュウリのきゅうちゃん」
「違うっ!」
美味しい漬物である。この時代には無いが。
「九尾ってそんなあんた、だっ、大妖怪じゃない!」
「まあ、大妖怪だあな」
「ま、まあってあんたね……」
軽ーくあっさりな俺に少し呆れたような顔をする封獣。妖怪なんて星の数程もいるのだ、そう騒ぎ立てる事でも無かろうに。
「……そんな大妖怪が都に隠れ住んで、一体何企んでるのよ」
「別に何も? 住んでるだけだ」
「てか狐ならともかく、九尾の鼬なんて聞いた事ない」
「だろーな。俺も自分以外はねえよ」
しかし居るのか九尾鼬。五尾や六尾の妖獣すら、そうそう見る事はないと言うのに。
「……ところで封獣や」
「な……何よ」
「そんなびくびくすんなよ……っと、それより。そろそろ日ぃ昇ってきた訳だが」
「え? ……あああぁーっ!?」
俺の指摘に東の空を見、叫び声を上げる封獣。朝っぱらから近所迷惑な。まあ例によって音は遮断しているが。
「何だよー帰るんじゃなかったのかー?」
「あ、あんたのせいでしょうがー!!」
うがーと吠えつつ殴りかかって来る封獣をひょいと避ける。急勾配の屋根の上、バランスを崩してよろめく少女を尻目にひょいと『窓』を開く。
「んじゃまあ、俺は徹夜して眠いから。先に帰るぜい」
「こ、こら、ちょっと待てこの」
そして。
「お休みーぃ」
「ま」
ぱっくん、と。
制止の声を聞く事もなく。
俺を飲み込んだ『窓』は無情にも、封獣の目の前でその口を閉じるのであった。
◇◆◇◆◇
―――と。
そんな事のあったしばらく後のある日。
俺は我が家の屋根の上にて、日光浴に勤しんでいた。
少々妖怪らしくない話だが、俺は月より太陽の好きな昼行性鼬である。菓子や茶を並べての日なたぼっこが多々ある趣味の一つであったりする。……爺臭い? 余計なお世話である。
そんな俺は雨が嫌いだ。降っている間は家に篭り切る為、梅雨等はまるで冬眠のような有様になる。灰墨には毎年呆れられる。
この俺が厭わぬ雨は、怪談の舞台装置としての雨だけなのだ。
さて本日は朝から久々の晴天であった。この所続いていた曇り空に少々閉口していた俺は、布団を干すついでにと屋根に登り、九尾も晒してぐでりと寝転んでいたのである。
「くあー……」
空の雲を眺めながら、欠伸を一つ。実に良い天気である。日差しは強すぎず弱すぎず、風は髪を揺らす程度、湿度も良好。正に日光浴日和。
「……ねむ」
その心地良さたるや、真昼間だと言うのに眠気を催す程。一度寝てしまえば夕方まで目が覚めないに違いない。それも良いかな、いやいや拙いだろう、というような思考を延々とループさせ続けていた、そんな時であった。
「……んう?」
ふと。我が鋭敏なる感覚器官に引っ掛かる物を感じ、むくりと体を起こす。妖気……である。あんまり気を抜いていたので今まで気付かなかったが、家のすぐ近くに妖怪がいる―――と言うか、これならば既に目で見える距離。
はて斯様に辺鄙な場所に一体誰が、と視線を巡らせた俺が見た物は―――
「ありゃ……封獣じゃねえの」
そう。客人の正体は、数日前の夜に出会った妖怪、封獣ぬえその人であった。
まあ。こんな何も無い所……と言うか空き家と俺の家くらいしか無い所に来たからには、俺に用があるのだろう。大体の場所は教えた覚えがあるし。
封獣は我が住家に面する細い通りを、きょろきょろと周りを見回しながらふらふらと歩いて来る。俺の家を探しているのだろう。
が、しかし。我が住家は結界によって隠されている。あらゆる認識を遮断し、更に違和を感じさせない特上の結界である。放って置けばまず間違いなく気付かずに通り過ぎるだろう。
という訳で。
「よっこいしょっ……と」
すっと立ち上がった俺は、屋根の端へ歩み寄りするりと結界を抜けて飛び降り、丁度家の前に差し掛かろうとしていた封獣の前にすたんっと降り立った。
「うきゃあっ!?」
突然目の前に現れた俺に、封獣は驚愕の声と共に後ろに飛びのく。まあ気配も何も無しの本当に突然だったのだ、仕方あるまい。
「よっ。数日振りだな、封獣」
「あ、あ、あ、あんた」
「俺がどうした」
「いっ、いきなり出て来んじゃないわよこの馬鹿! びっくりするじゃない!」
顔を合わせて早々馬鹿とは、また失礼な話である。まあ驚かすつもりで飛び降りたのだが。
「まあそう怒るなよ。さっきの悲鳴は案外可愛かったぞ?」
「……あんた、そういう台詞似合わないと思う」
「……そうか」
若干寂しい。もう少し照れた反応が欲しかった。よくある『主人公』な台詞ではないか。俺の何が悪いのか。
「て、それより。……あんた、その尻尾……」
「ん? おお、そう言や隠してないな」
「九尾って、ホントだったのね」
「……お前さん、結局信じてなかったのか」
「い、いやだって、実際見た訳じゃなかったし、あんた変な奴だし」
「いや変な奴は関係なくね?」
「いやあるわよ。……ってか変っての否定はしないのね」
「俺は自己分析が出来るいい男だよ」
「出来てないじゃない」
いい男じゃないとでも言うのか。まあ違いないが。
「って、それもどうでもいいわよ。……あんた、さっき何処から出て来たの?」
「何処って。此処」
ひょいとすぐ横の我が家を手で指し示す。目を向け、訝しげな顔をする封獣。
「……いや何処よ?」
「だから此処だって」
「何にも無いわよ?」
「いやいや良く見ろって」
「……やっぱ何も無いじゃない」
「まあ何も無いな」
「……」
ぴくり、と顔を引き攣らせる封獣。
「あ、あんたねえ……馬鹿にするのもいい加減に」
「何も無いなら、何が在る?」
「え?」
「何も無い何て状況、実際の所滅多に無いんだよこの世界。良く見てみ」
「……え? あれ? 何にも無い……ええ?」
混乱する封獣。まあ、この辺が我が結界の限界である。指摘されれば違和感も抱く。全く何も認識出来ないのだ、こんなおかしな話はない。
「結界が張ってあるんだよ。認識遮断の結界。俺の家はこん中だ」
「はあ……そうなんだ。何か変な感じだわこれ。気持ち悪」
「ま、分からんでもないがな……ほれ」
「うわ」
家に歩み寄りがらりと戸を開け、封獣を中へと押し込む。一瞬抵抗した封獣は、すぐに大きく変じた視界に驚いて小さく声を上げた。
「此処が俺の家だ。散らかってるが気にするな」
「……散らかってるってどころの話じゃないわよ、これ」
室内の惨状を目にし、唖然とする封獣。
そう、惨状である。部屋の真ん中にちゃぶ台、その周りと玄関までの道は空いているが、更にその外側から壁際までは全て積み上げられた置物類に覆い尽くされている。足の踏み場も無い、とは正にこの事。
「まあ座んな。茶と菓子くらいは出そう」
「……座れるだけの間はあるのね」
と呆れたように呟きながら封獣は座布団に腰を下ろした。
俺が茶の準備を始めると、彼女は回りの山を成す雑多な物群を適当に手に取り、興味深げに眺め始める。
「何これ……鏡?」
「銅鏡だな。大昔の卑弥呼だか何だか」
「何でそんなモン持ってんのよ……」
「一杯あったからな。一つくらい構わんだろうと」
邪馬台国を訪ねた際の記念品である。はっきり言って泥棒だが。封獣は呆れた様子で銅鏡を山に戻し、また漁り始める。
「これは骨?」
「それは確か……仏舎利だったかな」
「……だから何でそんなモン……」
「何処で見付けたかは忘れたな。本物かどうかも怪しいんだが」
仏舎利とは釈迦の遺骨の事である。いわゆる聖遺物。妖怪にとっては、そう有り難がる物でもあるまいが。
「これは……って、うわっ!」
「何処ぞの男根信仰の神社のお守りだな。豊饒や安産に御利益が」
「解説しなくていいわよ!」
封獣が手に取ったのは、木で出来たアレである。サイズ六、七寸。ご立派。残念ながらすぐに放り投げられたが。
「全くもう……これは?」
「おお、それか。剣玉だ」
「剣玉?」
「ん。ちょっと貸してみ」
大分前の自作剣玉。ひょいと受け取って立ち上がり、右手で構えて精神統一。何をするのかと首を傾げる封獣。
「……ほっ!」
「お」
「よっ、やっ、とっ」
「おお」
かんかんかん、といい音が響く。暇な時に練習を重ねた結果、かなりの腕前となったのだ。
「ほいほいほいほいほいほい」
「おおお」
「フィニッシュ!」
「おおー!」
徐々に回転速度を上げていき、最後は玉を大きく一回転、剣に刺して高く掲げる。拍手する封獣。ふははもっと感嘆するがいい。
「……で、何の意味があるの?」
「……いや、無いけど。ただの玩具だよ」
「何だ玩具か」
……空しい。
◇◆◇◆◇
お茶が入ったのでお八つである。
「……で、何しに来たんだ?」
「ん? ……んー」
ずずず、と茶を一口啜り、俺は封獣にそう問うた。彼女は茶菓子に出した豆大福を頬張りながら、少し考える素振りを見せる。
「んぐ。……まあ別に、用があって来た訳じゃあ無いんだけど」
「何だ暇人か」
「……何か引っ掛かる言い方ね」
「暇人だろうよ」
「暇人だけどさ」
まあ、暇人なのはお互い様である。
「まあ、暇だったのよ。……で、あの変な奴は結局何だったんだろう、みたいな感じで」
「探しに来たと」
「そういう事」
「ふうん」
別に用は無かったらしい。理由も無しにこんな所まで、全く御苦労な事である。
「ぶっちゃけ俺に会いに来るのがそれ程有意義な事だとは思えんがな」
「ぶっちゃけたわね」
「ぶっちゃけるさ」
「……少なくとも、この豆大福ってのは有意義だったわ。見た目はアレだけど美味しいし」
「そりゃ良かった」
豆大福とは、大福の餅部分に大豆等の豆を混ぜ込んだ代物である。白い表面に赤黒い凸凹、という初見では少々躊躇いを覚える外見をしている。
「……ねえ、話変わるけど」
「ん」
「あんたさ。何でこんなとこに住んでるの?」
「……ふむ?」
咀嚼していた豆大福を飲み込み、くらりと首を傾げる。
「こんなとこ……ってのは?」
「だから。何でこんな寂れた都の隅に隠れ住んでるのか、って事。……あんた九尾なら強いでしょ? 別に陰陽師とかに見付かっても殺せるじゃない」
「……んー。平和主義者なんだよ俺は」
「ヘーワシュギシャ」
と。封獣はまるで異国の言語であるかのように、その言葉を口にした。
「それこそ何でよ。強けりゃ何でも出来るじゃないのよ。沢山の妖怪配下に従えたり、都荒らし回ったり―――」
「毎夜天皇の御所訪ねて、呪い殺したり?」
「―――そう、そうよ。妖怪ってのはそういうモンじゃないの?」
「……まあ。だよなあ」
妖怪らしい妖怪、と言ったら。そういう連中なのだろうが。
「……俺はなあ封獣。観察者なんだよ」
「観察者?」
「そ。お前さんや他の妖怪が暴れるのを、見てるだけ。見て楽しみ記録するだけ、だ」
「……それ、楽しい?」
「俺には一番性に合ってんのだよ」
「……やっぱあんた、変な奴だわ」
「だろおな」
その通り、変人なのだ俺は。元人間の大鼬。大妖怪。この世界の異物だ。
「……そろそろ、帰るわ。何かお八つ食べに来ただけみたいだけど」
「そうかい……また暇な時には来ると良い。茶と菓子くらいは出そう」
「そ。また来るわ」
と、そう言って。封獣はからりと戸を開け一歩踏み出し、既に日が傾き赤く染まり始めた空へと飛んで行った。
「……さて。ああは言ったが」
また来い、と。そう言った物の。
「来る事は、あるのかね」
源頼政による鵺退治まで、そう間は無い。
◇◆◇◆◇
人間の頃から俺は、周囲の人間を―――鼬の身となってからは人間に限らないが―――三種類に分類している。
すなわち、家族と友人と他人。
家族は言葉のまま。もう会う事もない親父と、何処かで生きているであろう母君。
友人とそれ以外の区別も単純明快。俺が下の名で呼ぶ人物が、友人。それ以外は纏めて、他人。
神も仏も妖怪も人間も、顔見知りでも恩人でも、友人と呼べる程に親しくないなら、皆等しく『他人』。それ以上でも以下でもない。
家族と友人は気に留めるべき人物。何かあれば力を貸そう、危機だというなら助けよう。
しかして他人はその限りでない。どんな目にあっていようとも知った事ではない。例えば自分の利益、例えば主義主張の一致、例えば巻き込まれ、そういう物が無いのなら助けを出す事はない。
人間の頃から俺は、そんな風に世界を見ていた。
◇◆◇◆◇
「くあぁ……う。もう少しか」
結局。封獣がもう一度我が家を訪れる事はなかった。
源頼政の鵺退治。つい昨日俺はいつものように、いつも歴史を見るように、その場面を覗き見た。封獣が射抜かれ落とされ、これは少し記憶に違うが封印される所まで、その目で見据え焼き付けた。
いつも通り、予定通り。
「……ふう。終わり、と」
今、そのくだりを紀行文に書き終える。
助けよう等とは、端から考えもしない。何故なら俺は観察者である。何故なら彼女は友人でない。それが理由。
観察者は、観察対象に手を出さない。観察という行為が対象に与える影響を除き、影響を与える行動は起こさない。観察とは、そういう物だ。
「……ふむ」
茶を一口啜る。封獣は地底なる場所に封印されたそうである。ならば、百年程前に同じく封じられた信貴山の連中と出会ったりするのかも知れない。
と、そんな事を考えながら。俺は筆を置くのであった。