其之十一、鼬信貴山にて仏法に接す事、下
やあ(´・ω・`)
ようこそ、この駄文へ。
この前書きはサービスだから、まず読んで落ち着いてほしい。
うん、「やっと」なんだ。済まない。
仏の顔もって言うしね、謝って許してもらおうとも思っていない。
でも、この小説が更新されているのを見たとき、君は、言葉では言い表せない
「懐かしさ」みたいなものを感じてくれたと思う。
のたくさとした作者の為、そういう気持ちを忘れないでほしい
そう思って、この前書きを書いたんだ。
じゃあ、ゆっくりしていってね!!!
『信貴山縁起絵巻』。
十二世紀後半に描かれた、信貴山寺の修行僧・命蓮に纏わる説話を絵巻とした物である。因みに国宝。
命蓮は九世紀末から十世紀前半の僧で、幼い頃より信貴山に篭って修行をしていた。毘沙門天を信仰しており、不思議な秘法を使ったという。
さて『信貴山縁起絵巻』は以下三巻からなる絵巻物である。
命蓮の秘法により空を飛ぶ托鉢の鉄鉢が、山城国・山崎の長者の倉を信貴山頂まで運んでしまう『飛倉の巻』。
病に伏せった延喜の帝(醍醐天皇)に「剣の護法」なる童子を飛ばし、信貴山に居ながらにして帝の病を癒す『延喜加持の巻』。
信濃の生まれである命蓮を尋ねる姉・尼君が、奈良の東大寺大仏のお告げを受けて信貴山に辿り着き命蓮と再会する『尼君の巻』。
描写の豊かさやその図法から芸術面に高い評価を得ており、『源氏物語絵巻』『鳥獣人物戯画』『伴大納言絵巻』と共に日本四大絵巻物とされている有名な作品―――である。
さてこれより記すのは、上記の人物命蓮上人―――の姉。人間と妖怪に博愛を以て接し、しかして受け入れられる事無く異界に封じられた聖人との出会い、我が長い獣生の中でも貴重な出会いの話である。
◇◆◇◆◇
偶然という言葉が有る。
必然の反対語で、何の因果関係も無く予期しない出来事が起こる様―――である。
例えば、突然頭に隕石が落ちて死んだとする。これは偶然としか言いようが無かろう。
また、最近流行りのトラックに轢かれて死んだとする。これも運転手に悪意が無い限りは偶然だろう。その後は知らない。やけに腰の低い神(笑)にどうした訳か異世界に送られたりするのは、もしかしたら必然なのかもしれない。
雨の日に河原に捨てられた赤子がいて、増水し始めた頃に通り掛かった警察官に助けられたとする。その赤子は色々あってその警察官の養子になったりする。
これとて矢ッ張り偶然だ。彼が通り掛かったのは偶然だし、彼が赤の他人の餓鬼を養子にするような人物であった事も偶然。赤子の命は偶然の上に成り立った。
まあ。俺の話だが。
さてこんな話もある。
アメリカのとある州に住む少女が、自分の名前と住所を貼付けた風船を空へ飛ばした。風船は二六〇キロの距離を行き、とある少女の家の庭に落ちる。
驚いた事にこの二人の少女は、共に十歳で名をローラ・バクストンといい、また黒いラブラドールとテンジクネズミとウサギを飼っていたと言う。
勿論偶然だ。しかして驚くべき偶然、偶然の一致。何らかの特別な力が働いたのではないかと思う程に。
上の話程珍しい事である必要はない。例えば、誰かの事を考えているとその誰かから電話が掛かってきたとか、朝のテレビの星占いで金運が良かった日に財布を拾ったとか、その程度の話で良い。
その程度の小さな偶然に、人は意味を見出だそうとする。何か人知の及ばぬ大いなる力が―――神の奇跡だか宇宙の意思だかガイア理論だか知らないが―――ともかくもそういうモノが働くのではないかと、人間はそう勘繰るのである。
そういった神の奇跡の如き偶然も、けして良い事ばかりではない。
ある時、二台の車が猛スピードで衝突する事故が起きた。運転手はどちらも死亡したのだが、後にこの二人は夫婦であった事が判明するのである。
二人は数ヶ月近く別居しており、互いに車で外出していた事も知らなかった。
全く以て奇妙な偶然、前述の神に対応させるならば悪魔の仕業の如き偶然とでも言えるだろうか―――。
と、まあ。
此処までくだくだと尤もらしくも中身の無い戯れ事を述べてきた訳だが、結局何が言いたいのかと言うと―――
「悪気は無かったんだ寅丸」
時は信貴山訪問の翌朝、所は先日同様の寅丸の御堂。
「わ、悪気が有ってたまりますかッ!」
俺の何だかベタな言葉に対し、未だ顔の赤みが抜け切らない寅丸が、噛み付くように言った。
「まあ、そう怒るな。ありゃ不幸な偶然という奴だ、うん」
「いや、普通怒るだろう……」
と言ったはナヅーリン。寅丸の後ろで少々呆れたような顔をしている。
はて一体何があったのか。
それを説明するには時間を幾らか遡らなければならない………何て回想を入れる必要もない、非常に単純な話である。
信貴山寺、毘沙門天訪問の翌日早朝。
寺の朝は早いとの知識を以て俺は珍しくも早起きし、さっさと準備を終えて『窓』を開き、寅丸の堂を訪れた、のだが。
まあ。
少しばかり早過ぎたようで。
「よーす」 等と仮にも仏である身に対してどうにも軽すぎる挨拶をしながら『窓』をくぐった俺が見た物は。
大絶賛生着替え中の半裸寅丸であった、と。
そういう話な訳である。
「……おぉう」と、思わぬラブコメ展開に妙な声を漏らす俺。
驚愕による硬直から回復してみるみる内に顔を赤く染めていく寅丸。
ある意味当然の帰結として寅丸が悲鳴を上げかけ、「きゃ」の辺りで辛うじて音を断ち切る事に成功し。
その短い悲鳴を聞き付けた堂の表に待機していたナヅーリンが飛び込んで来て、未だ半裸の寅丸を目にし酷く赤面しうろたえ。
片方は同性とは言え人二人に肌をさらした寅丸が崩れ落ち、紳士である俺は沈む寅丸に羽織りを引っ掛けて堂を出て。
なんやかんやで現在に至るのである。
「第一ッ! 女性の部屋に断りも無く入るのはどうなんですか!」
「いや、そう言われてもな……」
あの『窓』で。どう断りを入れろと言うのか。
「なら、御堂の外に来れば良かったんじゃないかい?」
「……アレで飛べるのは、ある程度記憶に残ってる所だけでな。堂の外なぞ覚えちゃいねえって」
……まあ、山門になら飛べたが。歩くのが面倒だったのだ。余計な事を言って自分を追い込む気はない。
「……つかさあ」
ふと、思った事を口にする。
「俺等人間じゃぁない訳じゃん。何百年と生きてる訳じゃん」
「それが何ですか」
「裸見られたくらいで大騒ぎするかね、と」
「……分かってないね」
ふう、と溜息をついて首を横に振るナヅーリン。
「幾ら歳を食おうが女は女だよ。男に肌をさらして、平静でいられるものか」
「……女心という奴か? 男にゃ理解出来ん領域だな」
俺なぞは、大分枯れてしまったようなのだが。
先程の寅丸は中々に艶かしかったが、特に興奮した訳でもなく、漫画の如くに鼻血を噴いた訳でもなく、ナニがとは言わないが起った訳でもなく。
……いや。失意に沈み泣き崩れる寅丸の姿には多少の興奮を覚え―――いやいやいや。俺は嗜虐趣味ではない。ない筈だ。
「……まあ。千年生きれば枯れるのも当然かも知らんね」
「え?」
「千年?」
ふとこぼれる俺の呟きに、寅丸とナヅーリンが驚いたように目を見開く。
「そんなに生きてるのか、君は!」
「と……年上だったんですか!?」
「いや……、んな驚く事か?」
「だって……ねえ」
「はあ……八切さんはその、凄く……えー、若々しいと言いますか」
「落ち着きが無いと言うかね」
「ぶっちゃけて言うと、子供っぽいです」
「何だとぅ」
言われてふと思ったが、幾つになっても少年の心を失わない、これ聞こえは良いが千年続けばただの痴呆じゃなかろうか。
「何を言うか貴様等。儂程落ち着きのある男はおらんぞ」
「何でいきなり爺言葉なんですか」
「年上っぽいじゃろう」
「馬鹿っぽいよ」
「……婆さん飯はまだかいのう」
「誰が婆さんですか!」
婆さんだろう。数百年生きれば普通は。 ……いや待て、数百年も生きるモノに普通という言葉を使っていいのか。
「そう言や朝飯食ってない。婆さん飯はまだかいのう」
「知るか。君に食わせてやる義理は無い、このボケ老人。私達はもう食べた」
「分かってねえなあ。其処は『もうお爺ちゃんたら、一昨年食べたでしょう』って言うんだ」
「お爺さん餓死ですよ!?」
「餓死っばたっ。爺は死んだ。シルバー(笑)」
「君は何を言っているんだ」
恋空(笑)。面白いよ。本を読み慣れている人間なら読み始めて数行で爆笑できる。もしくは読む事が苦痛で耐えられない。
「俺が何を言っているかなんて、俺が知るかよそんな事」
「……矢ッ張り君は馬鹿だろう」
「鼠の癖に生意気な」
「む。鼠を舐めちゃいけないよ」
「いや俺鼬だから。捕食者だから。鼠食うから」
むしろ人化を覚えるまでは普通に食っていた。鼠とか蛙とか。
「蛙と言えば諏訪サマ、最近会ってないが元気にしてるかねぇ」
「いきなり何の話ですか?」
「友人の神様の話」
「……君の交友関係は変わっているね」
「いやあそれ程でも」
「誰も褒めちゃいないよ」
「て言うか、話が反れすぎですよ」
と此処で寅丸が軌道修正。はて何の話をしていたのだったか。
「………ああ、俺に朝飯おごってくれるっつう話だっけな」
「どうやら君は痴呆が始まっているようだね。千歳なら仕方ないけれど」
「ほぉ、今日の朝飯は鼠か。自身を以て飢えた獣を生かす、なんと美徳に溢れた良い話だろな」
「君は鼬だろう、捨身飼虎ならむしろ御主人だ」
「喰われるのか?」
「喰われないよ」
「じゃあ喰われるのか?(性的な意味で)」
「喰われないよ!」
「だから話が反れてますってば!」
と此処で寅丸が軌道修正。はて何の話をしていたのだったか。
「………ああ、俺に朝飯おごってく」
「うがー!」
無限ループって怖くね。
ちなみに捨身飼虎とは、飢えた虎に自らの体を与えたという、釈迦の前世譚の一つである。まさに聖人。
「で、本当は何の話だったかな」
「さあ? 俺は知らん」
「ふ、二人共………あれ? 何の話でしたっけ」
三人揃って首をひねる。鼬と鼠と虎だのに、鳥頭とはこれ如何に。
「俺今上手い事言った?」
「君はきっと、黙っていた方が利口に見えるよ」
「目付きだけは鋭いですからね」
「……うるせーやい」
人間時からのコンプレックス、目付きの悪さ。鋭いと言い換えられても、嫌なモノは嫌である。
「ふむ……まあ、朝飯はもう良いや。実は食ってきたし」
「……」
「……」
無言かつジト目で睨みつけてくる二人。
「一寸した冗句だ、冗句。気にすんなよ」
「………はあ。貴方と居ると何だか疲れますね」
「いやあ照れるな」
「褒めてないですよ」
溜息をついて苦笑する寅丸。生意気な虎だ……等と一瞬考えるが、そう言えば一応毘沙門天代理である。偉いのだ。少なくとも鼬風情よりは。
「偉い偉い」
「いきなり何ですか」
頭を撫でてやろうと思ったが、何故か頭に咲いている花が邪魔である事に気付いて諦めつつ、行き場を無くした手をナヅーリンの頭に乗せる。
「……何を?」
「超秘技・那手歩。 ……お前は既に、惚れている」
「はあ?」
君は何を言っているんだ、と酷く蔑んだような目を向けられる。悔しいっでもビクンビクン。
「あ、そだ」
「ん? 何だ」
「昨日言ってた土産の菓子な。ほれ」
ふと思い出し、ひょいと『窓』を開いて包みを取り出し床に置く。途端顔を綻ばせる二人。
「ああ、そう言えば昨日言っておいたっけ」
「今日は何ですか?」
「八ツ橋。昨日のを焼いた奴だ」
「へえ」
元来八ツ橋は焼いて食うモノである。創られたのは生八ツ橋の方が後なのだ。どうでもいいが。
「うん、有難う。後で食べるよ」
「おう。感想は聞かせてくんな」
にこにこと微笑む二人に、菓子を貰った途端にこれか全く調子の良い奴等であるなあ、と思った、その時であった。
「ナズーリン、ちょっと……あ」
「お?」
ぎい、と堂の扉が開き一人の女性が顔を出す。手には金の輪、頭には頭巾。
「貴方、昨日の……八切だっけ」
「そう言うお前さんは……誰だっけね」
「……雲居よ。雲居一輪」
「おお、そうだったそうだった」
ぽんと手を叩きこくこく頷く。そう言えばそんな名前だった。
と、その後ろからにゅっと入って来る煙っぽいオッサン。昨日の雲入道である。確か名前は―――
「そっちは……雲山、だったけか」
「……何で雲山は覚えてるのよ……」
「いやあ。何か印象強くて」
「……まあ、分からなくもないね」
「迫力ありますよね」
「……どうせ私は影薄いわよ」
口を尖らせいじける雲居。
「……ああそうだ、丁度良い。其処の八切を聖に会わせてやってくれないか」
「……おおっ。そう言やそんな用事もあったっけか」
「忘れてたのか君は……」
「えー……私がー……?」
物凄く嫌そうな顔をする雲居。非常に失礼である。何を其処まで嫌がるのか。
「そりゃ嫌よ。こいつの相手するの何だか疲れるんだけど」
「安心したまえ、私も嫌だ」
「尚更じゃない。人に押し付けないでよ」
「私も嫌ですよ。えーと、修行とかありますし」
「……本人の前で好き勝手言いやがってからに手前等は」
何がそんなに嫌だと言うのか。ほんの少し、ふざけたりはっちゃけたりからかったりしているだけなのに。
「ともかく、頼むよ。連れていくだけで良い」
「むう……」「そう言えば此処に八切の土産の菓子が」
「よし行くわよついて来なさい!」
「うぉぐっ」
がっしと首根っこを掴まれ、堂の出口へとひきずられる。切替早えよ菓子に釣られんなよ。
「任せたよー」
「食べないでちゃんと置いといてね!」
……まあ。
こんな時代だ、娯楽はそうそう無いのだろう。菓子なんてのは貴族のモノだ。寺院に贅沢をするような金があるとも思えない。
それに。自分の作った物にこうも喜ばれるのは、決して決して気分の悪いことではない。
「……なあ」
「何?」
「首締まってる苦しい」
「……あ、ゴメン」
◇◆◇◆◇
取り敢えず首は離してもらって、堂を出て境内を歩く。人の気配はない。妖怪を住まわせているからだろう、普段から人間は居ないそうだ。
「なあなあ」
「ん?」
ふと気になる事を思い出して、頭上にオッサンを従えて前を行く雲居に声を掛ける。
「お前さんは妖怪だけど。名前は何て言うんだ?」
「……、貴方もう私の名前忘れて」
「いやそうじゃなくてだな」
目を見開き、信じられないというような顔をする雲居に訂正を入れる。
「種族の名前だよ。例えばこう、天狗とか河童とか」
「ああ……種族、ねえ」
考え込むように目線を斜め上に向けて、ひょいと首を傾げる。
「尼入道、とか言ったっけ」
「……えぇー?」
尼入道。
元来入道という言葉は、道に入る、すなわち仏道に入り修行するとそういう意味である。また、在家のまま剃髪し仏門に入った者もいう。つまり尼入道とは、在家のまま剃髪し仏門に入った女性、のことである訳だ。
妖怪としての尼入道は、いわゆる見越し入道の女性版。だがその容姿は毛深く、ろくろ首のような長い首―――
「……何よ?」
―――少なくとも斯様に可憐な少女の姿とは、似ても似つかない筈なのである。第一雲入道を操るなんて話は聞いたことがない。
やはりこの世界の妖怪事情は、俺の記憶と違っているらしい。
「ん……別に、何でもない」
「そ」
会話が途切れる。ふと雲居の頭上を見上げ、雲山とやらを見る。こいつも見越し入道の類なのだろう。
……そう言えば、『信貴山縁起絵巻』の『延喜加持の巻』に登場する剣鎧護法童子は、回転する法輪を先導に長く尾を引く雲に乗って飛んで行ったという。もしかしたらこの二人組に関連が有るのかも知れない。
等と考えていた、その時であった。
「……ん?」
突然、辺りが暗くなる。すわ通り雨でも降りやるかと、空を見上げた俺が見た物は。
「…………は?」
陽光を遮ってゆっくりと降りてくる、大きな船であった。
「ああ、村沙帰って来たんだ」
「え?」
隣に立った雲居が、空の船を見上げながら特に驚く様子も無く事もなげに言う。しかしムラサとな。はて聞き覚えがあるような。
混乱しつつも頭の隅でやっぱり考え事をしている俺を余所に、その空船は境内にずしんと地響きを立てて着地。そして甲板から飛び降りて来る人影。
「たっだいまー! 村沙船長ただいま帰還!」
「お帰り村沙」
とハイテンションに地面に降り立ったのは、黒い短髪に船乗りのような服の、見た目年若き少女であった。身に纏う妖力を見る限り、彼女もまた妖怪であるらしい。
……と、言うか。また女である。ハーレムかハーレムなのか、命蓮上人はハーレム野郎なのか。此処は寺院である筈だ、普通の寺は女人禁制では無かろうか。
……まあ。普通の寺に妖怪は居ないだろうが。
「って、あれ。そっちのやたらもふもふしてるのは誰さん?」
「もふもふて」
ふと俺に気付いた少女―――先程の村沙とは彼女の名であるらしい―――ひょいと顔を此方に向ける。しかしもふもふて。
「まあ……参拝客?」
「何で疑問形だよ……八切七一、化け鼬だ」
あの長たらしい自己紹介はやめである。飽きた。と言うかやっても途中で切られそうな気がしてならない。
「へー、鼬がお寺の参拝とか珍しいね。私は村沙水蜜。種族は……」
「っと待った、当ててみせよう」
ふと。ムラサという名に思い当たる伝承を思い出し、村沙の言葉を中途で遮る。
「お前さんは舟幽霊だね。違うか?」
舟幽霊。
日本全国各地に伝わる、水難事故で死んだ人々の成れの果てとされる海上の怨霊である。地域によって呼び名も行動も容姿も対処法も実に様々、全く以て興味深い怪異である。
さて舟幽霊とはこんな怪異である。
沖に出た漁師の船の周囲の海上に、死に装束の舟幽霊が現れる。そして柄杓を要求し、一度渡してしまえば途端に船に海水を汲み入れはじめ、あっという間に沈めてしまうのだ。
対処法は底の抜けた柄杓。これを渡されると、恨めしそうな顔をして消えてしまうという。
勿論この話は一例に過ぎず、上に述べたようにこの怪異は地域によって様々な姿を持つ。が、それを全て語るのは流石に冗長である故、この辺りで一度切るとしよう。
「え……あってるけど、何で」
「ふふはははは。この俺が知らぬ事等ない!」
何て事は当然ない。先にも書いたように、ムラサの名に聞き覚えがあっただけの話。
ムラサとは、島根県讃岐郡都万村で言う舟幽霊の類、海上の怪異である。夜光虫の光る潮の中に時折、丸く固まってぼうっと光っているモノがあり、ここに船が近付くとぱっと散ってしまう。また暗夜に突然海が明るくなり、ちかと光るという話。これをムラサに憑かれたんだ、と言うのだ。
まあこの話を聞く限り幽霊でも何でもないが、「海上の怪異」という広義の舟幽霊の類である、とは言える。
目の前の彼女は、空船とは言え船で現れかつ船乗りの如き容姿をしており、名がムラサであった為に舟幽霊であろうと当たりを付けた訳なのである。
「本当!? 凄い!」
「……村沙、こいつはふざけてるだけよ」
「え? そなの?」
「いやいやホントだって。全知全能だって俺」
「何ちゃっかり全能付け加えてんのよ」
「ええー格好良いだろ全知全能。なあ村沙」
「え? あ、うん。良く分かんないけどかっこいいんじゃないかなあ」
「そら見ろ」
「何がそら見ろよこのバカ」
「あべしっ」
どすん。雲山の一撃。崩れ落ちる俺。
「……非道い、ぜ、雲山……がくっ」
「……あべしって何?」
「知らないわよ……そこの自称全知全能に聞けば」
「ねえ八切、あべしって?」
「ぐっ……村沙……俺はもう駄目だ、最後の願いを」
「はいはいあんたの頭がもう駄目ねー」
「べほまっ」
ずどん。雲山の二撃。地面にめり込む俺。
「いたたたた……やべ死ぬこれ」
「死ね」
鬼だこいつ。
「まあ割と平気な訳だが」
「……結構丈夫ねあんた」
「まあ。長生きしてるからな」
「それ関係あるのかなあ」
「まあ……妖怪なら長く生きれば妖力増える訳だし、強くはなるんじゃない?」
「おーよ。千年生きればちょっとやそっとじゃ死ななくなるぜ」
「は? 千年?」
「えっ?」
目を丸くする二人。千年物の妖怪は、やっぱりそれなりに珍しいのである。
「……何あんた、実は凄い妖怪だったりするの?」
「んっふっふ。知りたい? ねえ知りたい? 教えてほしい?」
「……」
「……」
「あっ、ちょっ、痛い痛い」
頭を雲山につままれ、何処からともなく取り出した錨で村沙にがすがす殴られる。鬼だこいつら。
「死んだらどーする」
「良く言うわ……全然平気そうじゃない」
「まあ、俺強いから。すげえから俺。すげえ大妖怪だから俺」
「はいはい」
あっさり流される。少々ふざけすぎた様子。まあ、自分の力量なぞ意味も無くひけらかす気は無いからこれで良いのだが。
「ところで」
そう言えば、と。気になっていた事を思い出す。
「この船って、一体何なんだ? 空飛ぶ船とか聞いた事ねえのだが」
「ああ、それ。聖輦船だよ」
「セイレンセン?」
せいれんせん。船だからセイレン船。精練、清廉、星、政、蓮、恋……と、一秒ばかりの熟考の末。
「……あー。聖輦船、な」
聖輦とは、天子、すなわち天下を治める君主が乗る乗り物の事。輦のみならば、それに加え身分の高い者を乗せる人力車のような物、の意。
ここは寺である訳だし、まさか妖怪の乗る船に天子サマを乗せる筈が無いので、『聖を乗せる船』という解釈で良いのだろう。
「まあ、元々はただの倉なんだけどね」
「は? 倉?」
「そ、倉。麓の村の長者の倉。何か昔色々あって飛んできた奴を、聖が改造したんだってさ」
「……なんとな」
何とこの聖輦船、『信貴山縁起絵巻』飛倉の巻に登場する山崎の長者の倉の成れの果てらしい。どうしてこうなった。
「って、早く行かないと。お昼になっちゃうじゃない」
「おー、忘れてた」
「え? コレどっか連れてくの?」
さりげなくコレ扱いされているが気にしない。
「ん。ここの聖に会いに来てんだわ実は」
「へえ……何で?」
「何となく」
「……あっそ」
まあ。昔の絵巻物で読んだからですぅなんて、言える訳がない。
「ま、いいや。頑張ってね一輪」
「何を頑張る事があるのかね」
「あんたの相手に決まってんでしょうが。ほら早く行くわよ」
「うぐえ」
とまたもや首根っこを掴まれて、ドナドナよろしく引き擦られてゆく俺なのであった。
◇◆◇◆◇
場面は変わりまして信貴山寺本堂、とある一室の扉前。
「優しい方だから問題ないとは思うけど、妙な真似はしないでよ?」
「しないしない。ちょっとからかうくらいだから安し」
「からかうなっての」
「おぐっ」
ごすん。
「全く……私はもう行くけど。ホント頼むから怒らせるような事しないでよね」
「へーい」
「……聞いてんのかしらコイツ」
とまあ多少不安げにしつつも、さっさと歩き去ってゆく雲居。掃除なり昼飯の準備なり仕事があるのだろう。
「さてっと」
雲居を見送り、くるりと扉に向き直る。
信貴山寺を再興し、三つの奇跡譚を残した、ハーレム野郎(仮)の修行僧―――命蓮上人。
「……どんな奴であろうかね」
一言呟き扉を開ける。
目に入るは、部屋の真中に座る僧衣の男―――いや。違う。
男では、ない。
「―――貴方が、八切さんですね」
僧衣の人影がすっとこちらへ向き直る。頭には頭巾、男と言うには随分と細く端正な、何とも穏和そうな顔立ち。
尼僧だ。
「―――な」
な。
「何でやねんッ!?」
「えうっ?」
突如大声を上げる俺に、何だか間抜けな声を出す命蓮上人(?)。構わず詰め寄り、がっしと肩を掴む。
「ちょちょちょちょっと待ってくれよ。どういう事だ何で女なんだお前さん」
「ど、どういう事だと言われましても」
「いや……いや待て。お前さん―――名前は」
「は―――あ、白蓮、です」
「白蓮……」
―――聞き覚えのない名だ。
はてさてこれはどういう事か。所々記憶に外れ、神が鬼が幼女なこの世界、よもや命蓮なる人間は存在せず、この尼僧に変わってしまっているのか―――いや。
「……いや。いやいやいや」
そうだ。思い出した。
命蓮が生きたのは、九世紀末から十世紀半ば。そして今は、十世紀の末。既に、死んでいるのだ。命蓮上人は。
「……くあー。思い込み、か……」
思えば。灰墨もこの寺の連中も、誰も命蓮の名を出していないのだ。信貴山と聞いた俺が、ただ思い込んだだけなのだ。
「……あのー」
「んあ? ……おっと」
詰め寄りっぱなし、肩を掴みっぱなしであった事に気付きぱっと離れる。顔合わせて早々掴み掛かって顔近付けたままってどんな変質者だ。
「あー、ごほん。いきなり失礼な真似をして悪かったな」
「いえ……、お気になさらず。少し驚いただけですから」
「ん、すまんな。 ……さて」
大笠を下ろしてすっと居住まいを正す。
「もう名前は聞いてるみてえだが、一応自己紹介はしておこう。 ……しがない普通の鼬、八切七一だ」
「ではこちらも……この寺の責任者なぞしています、白蓮と申します」
「ん、宜しくな。で、いきなりで悪いがちょっと聞きたい事があるんだが」
「はい」
「命蓮、っつー名に聞き覚えは」
「……は」
白蓮の表情が少し固くなる。この寺の事、知った名ではあるようだ。故人の話であるし、思い出して何らかの感傷がある程度には深い関係なのか―――。
「……命蓮は、私の弟です」
「弟ォ? 弟……あー」
と言う事は白蓮は命蓮の姉。つまり彼女は『信貴山縁起絵巻』に登場する尼君であるという事……で?
「って、そりゃおかしいだろ」
「え?」
「命蓮は五十年近く前に死んでる筈だ、その姉が生きてる訳が……あん?」
ふとある事に気付く。
白蓮から妙なモノを感じるのだ。時折人間が持っているような、霊力や巫力の類ではない。当然ながら神力でもない。かと言って妖力でもない。
「お前さん……人間じゃあ」
「……随分と感覚が鋭いのですね、貴方は」
と。白蓮は少し驚いたような、少し困ったような顔をして言う。
「……ええ、そうです。私は人間を捨てた身……既に百五十年ばかりになるでしょうか」
「百五十」
成る程命蓮の姉尼君が生きていれば、そのくらいの歳にはなろうか。
「人間を捨てた、てなどういう意味だ?」
「そのままの意味です。……貴方は、私の弟を知っているのですね?」
「面識はねえけどな」
「弟は―――命蓮は、素晴らしい僧でした。勤勉で聡明で、強い法力を自在に使いこなし……」
ふ、と遠くを見るような目をして。
「……それでも、死んでしまいました」
「寄る年波には勝てず……か。人間なら仕方なかろうさ」
「ええ、そうです、仕方ないのです……それでも。恥ずかしながら私は、死ぬのが怖くなったのですよ」
「……ふむ」
……まあ。元より何百年と生きる妖怪には、到底理解できぬ思いであろうか。自分なぞ死ぬような目に滅多に会わぬモノだから、死にたくない、などという気持ちをすっかり忘れてしまった。
「だから私は、外法に手を出した。妖怪から妖力を吸って自らの命を保っている……それが、今の私なのです」
「……ふむ。寺に妖怪を住まわせてんのはその為か?」
噂に聞いた人と妖怪の共存云々は、生きながらえる為の方便、なのか。
「ええ、最初はそうでした。でも今は……妖怪の立場を、不憫に感じるようになったのです」
「……不憫?」
「人は皆、妖怪と見れば退治しようとします。心優しい妖怪も居るというのに……人と妖怪は、共に生きる事も出来る筈」
「……」
それは。
それは、どうなのだろうか。
「なぁ白蓮や。少々お節介かも知らんが言わせてもらう。妖怪は人を喰うモノだろ?」
「……人を喰わない妖怪も居ます」
「いーや普通は喰う。妖怪は人を喰らい、人は妖怪を退治する―――こいつは自然の摂理だ、世の理だ」
「……」
「この関係を変える事は出来ねえし、変える必要もない。変えるべきでもない」
「ですが……」
「妖怪が何処から生まれるか知ってるよな? 人間の心だ。恐怖だ。人間が妖怪を恐れなくなれば、妖怪は消える。幻想になる」
元より人から生まれた存在。人に忘れられれば消え失せるのみ。
「妖怪と人間は反目して然るべきなんだよ。妖怪という種族が存在する為には」
「……」
「第一だ。人間に妖怪を受け入れる事が出来るか? 人間は集団内から異質なモノを排除する。自分に害を与えられるモノなら尚更だ」
父親しかいないと言うだけで、その親とも血が繋がっていないと言うだけで、子供も大人も距離を置く。見えぬ所で陰口を叩く。
「まず無理なんだよ。妖怪は人を喰わず人間は妖怪を退治せず、仲良く手を取り良き隣人として暮らすなんてのは」
「……それでも」
しかして白蓮は固い表情のまま、しかしその視線を俺に合わせ、はっきりときっぱりと言う。
「それでも私は、共存を望む」
「何故に」
「恐ればかりが人と妖怪の関係である必要はない筈です。忘れられないようにと言うのなら、その関係が友愛であっても良いじゃないですか」
「難しいぞ」
「不可能ではないでしょう。 ……現に今この寺院にいる方々は皆、私の思いを知り、賛同してくれています」
「……何年、何十年掛かるかも分からんぞ?」
と。そんな俺の言葉に。
「―――例え何百年掛かろうとも、私は決して諦めません」
彼女は、毅然としてそう答えたのである。
「……」
じっと無言で白蓮の目を見つめる。
「……」
彼女はただ、強い光を秘めた目で俺を見つめ返す。
「……は。ふ、あはは」
先に目を反らしたのは俺であった。後ろに手をつき姿勢を崩し、天井を見上げてからからと笑う。
「……うん、それ程意志が固えなら、俺が言う事は何もねえな。理想絵空事おおいに結構、頑張って追い求めるがいい!」
「……は、はあ……」
白蓮は何だか拍子抜けしたような顔をする。まああれだけ言われれば普通反対されていると思うだろうが。
「……まあ何だ。俺が語ったのも、結局は俺の理想でしかない訳だな。俺の知識が理性が告げる、妖怪と人の理想形」
「……はあ」
「それでも俺の感情は、妖怪も好きだが人間も好きだと言う。面白い人間がいれば会ってみたくもなるし仲良くしたくもなる。あんだけ語っといて何だが、俺は人間喰った事ねえしな」
「え、ええー……?」
脱力する白蓮。大分薄れてはきたが俺は元人間である。喰う気など起きやしない。
「ま、そういう訳だから俺はお前さんを程々に応援するがよ」
「はあ……」
「分かってるたあ思うが……お前さんのやってる事は、人間に知られればそれこそお前さんの方が退治されちまうような事だ。気ぃつけろよ?」
「……はい。有難う、ございます」
「うむ」
素直で宜しい、と。にっと笑いかける。
「さて、それでは……八切さんは、本日どのような御用件で?」
「ん。用って言う程のモンじゃねえんだが……」
ぶっちゃけ彼女に会った時点で目的は達成されている。が、このまま帰るのも少々つまらない。
「ま、しばらく話相手になってくれりゃいい。良ければ説法でも聞かせてくんな」
「鼬に説法、ですか……初めてですね、それは」
「釈迦にするよりゃマシだろうさ」
「ふふっ……変わってますね、貴方は」
「聞き慣れてるよ」
全く、どいつもこいつも少し話せば変な奴だの変わっているのと。
まあ。自覚はあるけれど。
◇◆◇◆◇
「……あー。日ぃ沈んできたな」
「あら……大分長話になってしまいましたね」
途中昼食を挟みつつ―――白蓮の分は雲居が運んで来たが、俺の分などある筈がない為『窓』で家から適当な物を取ってきた―――なんだかんだでいつの間にやら、数時間に渡る長話。これ程長々と喋ったのは久し振りである。
「んー腰が痛いっ……んじゃま、俺はそろそろ帰るわ」
「あ、ちょっと待って下さい」
大きく伸びをして背骨をぱきぱき鳴らす俺を、白蓮がふと呼び止める。
「んー。何だ?」
「少し頼みがあるのですが……私は妖力でこの身を永らえている、と言いましたよね?」
「……ああ。妖力分けてくれ、ってか。良いぞ別に」
「……有難うございます」
ふわりとした笑みを浮かべる白蓮。しかしまあ美人さんである。頭巾の下は坊主である、という事を考えると少々残念な気分になるが。
「まあ、気にすんな。好きなだけ持ってけ」
「あ、いえ……」
と、白蓮が苦笑する。
「失礼ですけど……八切さんはあんまり妖力がありませんし、好きなだけ取ったら倒れてしまいますよ?」
「あ、いや。俺は普段かなり妖力抑えてるから。ホントは大妖怪だぞ?」
「……そうなんですか?」
怪訝な顔をする白蓮。そんなに大妖怪らしく見えないだろうか。 ……見えないだろう、うん。自慢じゃないが、この俺に畏怖だの威厳だのなんて言葉は似合わない。
まあ。力量を隠している訳だから、そうそう見抜かれても困るのだが。
「ホントホント。 ……ほれ」
「……ッ!?」
と、取り敢えず五本ばかり尾を現す。膨れ上がった俺の妖力が部屋を満たす。
「こ……れは。成る程、確かに……」
「まだ本気じゃあないぞ? ……ほら!」
更に白蓮を驚かせるべく、調子に乗って尾を全て顕現。ずん、と堂が揺れ軋み、重くすら感じるだろう濃い妖気が溢れ返る。
「あ……あ。きゅ、九尾……!」
「んふふ。すげえだろ」
その通り、九尾である。
酒呑童子とのなんやかんやのすぐ後。ふっと尾が増えやがったのである。九尾である、九尾。尾を持つ妖の最高峰だ。
「ひ、聖っ!」
「姐さんっ」
と。がたがたばたんと扉を倒しながら飛び込んで来る妖怪達。ナヅーリンに寅丸、雲山を連れた雲居に村沙。
どうやら突然現れた巨大な妖気に、慌ててやってきたらしい。俺を見て立ち止まり、唖然としている。
「……わあ」
最初に口を開いたのは村沙である。
「八切が、超もふもふになった……」
何だそりゃ。
◇◆◇◆◇
「……しかしまあ、本当だったんだな」
「本当だったんですねえ」
と、ナヅーリンに寅丸。
白蓮に妖力を分け与え―――特に触れる事もなく吸い取られた、マウストゥマウスなんて素敵イベントは俺には起こらないらしい―――、微妙に体に残る気怠さに献血みたいなモノであろうかと考えていたときである。
「あん? 何が」
「八切さんが千年生きている、って話ですよ」
「……信じてなかったのかよ……」
「あはは……君が出ていってから御主人となんやかんや話をして、結局嘘だったんじゃないかという結論に」
「解せぬ……」
「……本気で解らないんですか?」
「むう」
やっぱり色々とふざけすぎたようである。
「大妖怪ってのも本当だったんだねえ」
「にしても九尾って。九尾狐ならともかく、九尾鼬なんて聞いた事ないわよ」
と、こちらは村沙に雲居。
「俺だって聞いた事ねえよ。生えてきたモンは仕方ねえさ」
「生えてくるって……どういう風に?」
「知らん」
「いや自分の事でしょうが」
「普段から一本しか出してねえからなあ。寝て起きたらいつの間にかああ増えたなみたいな」
「適当だなあ」
そんなモンだ。ま、他はどうだか知らないが。
「んで大丈夫か白蓮」
「う……大丈夫、で……うぶ」
「……大丈夫じゃなさそぉだな」
で、白蓮である。
どうも少しばかり吸い過ぎた様子、俺の妖力にあてられて気分が悪くなったとの事、机に突っ伏してぐったりしているのだ。
「それよりも……そろそろ、帰った方がよろしいのでっ……は……う」
「……お前さんはもう喋らん方がよろしいよ」
好きなだけ持ってけ、なんて。余計な事を言わない方が良かったかも知れぬ。
「でも、ま……そだな。俺はそろそろ帰る」
「そうですか……また来て下さいね」
「楽しみにしているよ」
「お土産忘れないでね」
こいつらはきっと菓子の事しか考えていない。 ……まあ俺の事を考えるよりは有意義であろうが。
「今度尻尾触らせてねー」
こいつもこいつで尻尾の事しか考えていないようだ。 ……俺の事を考えるより有意義……だろうか?
「つ、次に会う時を……楽しみに、して、おりま……うっ」
もう黙ってなさい。
「じゃ、また来るわ」
と、一言告げて。俺は『窓』を開き、我が家へと帰還するのであった。
◇◆◇◆◇
一月ばかり、後の事。
「餡こうまー」
置物の類が雑多に散らかる俺の家。その真ん中の大きな机で、妖術の火にかけられた大鍋が、甘い香りを立ち上らせている。ぱっと見魔女か何かが怪しげな薬を作っているような光景である。
まあ実際のところ、味見と称してつまみ食いを繰り返しつつ小豆餡の生産中、と。そういう訳である。ちなみに自分はこしあん派。
「……もう少し砂糖足した方がいいか」
などと呟き首をひねりつ、砂糖をどさどさ注ぎ込む。それにしてもこの時代の砂糖は質が悪い。技術のレベルを考えれば仕方ないのだが。
いっそ沖縄辺りでさとうきびの栽培でもしてみようか。砂糖の製法くらいなら頭に入っているし、能力を使えば農作業も楽になるだろう。
ま。それこそ余程暇でないと出来ない事だが。一月前なら露知らず、今の俺はそれ程退屈していないのだ。
信貴山寺の連中とは、それなりに友好な関係を続けている。お陰でこの一ヶ月、暇潰しには困っていない。
菓子を手土産に遊びに行っては、日がな一日白蓮と話をしていたり、寅丸で遊んでみたり。ナヅーリンと将棋に興じてみたり、村沙に聖輦船に乗せてもらったり、雲山をちょっと切ってみて雲居に殴られたり。
まあ、概ね平和な日々であった訳である。
今餡こを作っているのも、信貴山に持って行く予定のドラ焼きの為。オーブンなぞある筈がないのでカステラ生地を焼くのに多少苦労するが、我が能力や妖術という奴は非常に便利であり、まあ割と何とかなるのだ。
「……その内人形焼とかも作りてえなあ」
妖怪の形に作って売り出してみようか。いつまで経っても獣を狩っている訳にもいくまい。俺にとっての「現代」にまで至れば、あまり妙な金稼ぎも出来ない。そう、この先生きのこる為には。
……この先生きのこる。
この先、生きのこる。
この先生、きのこる。
はてきのこるとは一体どういう意味か、茸に何かするのだろうか……等と、心底どうでもよさそうな事を考えていた、丁度その時であった。
「大変や七一はんッ!」
叫びながら飛び込んで来たは、我が最愛の親友・黒い鼠妖怪の灰墨であった。随分と慌てているようなので、適当な冗談でも言って落ち着かせてみる。
「いかんなー灰墨。そういう時は『てぇへんだアニキ』とでも」
「信貴山の聖はんが人間に封印され―――」
と。
そこまで聞いた時点で俺は、信貴山寺へ通じる『窓』を開いて、飛び込んでいたのであった。
◇◆◇◆◇
「……ふむ」
信貴山寺、境内。
先日までの活気は消え失せ、すっかり静まり返っている。
「……封印されはったんは、聖はんと雲居はん雲山はん、あと村沙はんや。今ここに残っとるんはナズはんと毘沙門天様だけやえ」
「そうか」
いつの間にやら肩に乗っている灰墨が、そう説明する。『窓』をくぐる時について来ていたらしい。
「……そいじゃ、その二人に会いに行くか」
誰にともなく呟いて、寅丸の堂へ足を進める。ナヅーリンもそこに居るだろう。
「っと……七一―――に、灰墨もか」
「ナヅ」
堂に到着し扉を手をかけようとすると、その前に開いてナヅーリンが顔を出した。頭をぶつけかけ、驚いた顔をする。
「白蓮達が封印された、と灰墨に聞いたが……」
「……そうだよ。皆居なくなった」
俺の言葉に、ナヅーリンはやる瀬なげな表情をして顔を伏せた。
「……立ち話も何だ。詳しい話は中でしようか」
「分かった」
「……それじゃあ、私はもう戻るえ」
灰墨は寅丸に会おうとしない。自分のような小妖怪が毘沙門天に会うなど恐れ多い、と言う。 ……本当にあれだけ言いについて来たらしい。家で話を最後まで聞いてやれば良かったのだが。
ナヅーリンが扉を開け、堂内に入る。まず目に入るのは、最初に会った時と同じように堂の真中に座する寅丸。酷く疲れたような顔をしている。
「……七一、ですか」
「おう。三日振りだな星」
流石に今回は、夕飯まだかなどとは言わない。言えるような精神状態でもなかろうが。
「悪いが今日は土産がない。急な話だったモンでな」
「……いえ。よく来てくれました」
「……何があったか聞こうか」
寅丸の前に、胡座をかき座る。ナヅーリンも寅丸の斜め後ろについた。
「……昨日の昼、ですね。妖怪退治の連中を連れた、麓の村の方々がやって来ました」
「雇われか」
金を受け取って妖怪を祓う、陰陽師や霊力の高い人間。退治の作法を身につけた、言わばプロの退治屋。
昼間っから妖怪退治とは妙に思うやも知れぬが、夜は妖怪の時間だ。真夜中の退治譚が多いのは、そもそも妖怪が夜に出るからだ。昼間に相手取れるなら、その方が人にとっては有利なのだ。
「一体、何処で知ったのか……彼等は聖を呼び付け、力を封じ術で縛り」
何処で知ったか。予想に過ぎないが、大方ここに来た妖怪が余所で喋ったのだろう。悪意の有無は分からないが。
寅丸はぎりと歯を噛み締め膝の上で拳を握る。
「仏の道に背いた者であると、人の道に外れた者であると、妖怪に与する裏切り者であると、否定して、糾弾して、罵って……ッ」
だん、と拳で床を叩き、目に涙をにじませ、吠える。
「何故だ! 何故ですか! どうしてあれ程立派な方が、封印なぞされねばならないのですかッ!!」
「御主人……」
ナヅーリンが叫ぶ寅丸の肩に手を置く。寅丸は拳を膝に戻し、爪が掌に立つ程にぎうと握り締める。
「……白蓮は、抵抗しなかったんだな?」
「…………はい。覚悟はしている、と」
「……だよなあ。そぉいう奴だ」
やれやれ、と。溜息をつく。彼女なら隙をついて逃げるくらいの事は出来たろうに。
「一輪と雲山、水蜜は」
「……聖には逃げろと言われていましたが、退治屋達に攻撃して……」
「返り討ちで封印か……難儀な奴らだよなぁ」
完全に準備を終えた退治屋に勝てるような妖怪はそう居ない。彼女らもまた、その例に漏れなかった。最愛の恩人を封じた相手に、逃げるという選択は無かったか。
……俺ならば、きっと。すぐに逃げ出すのだろうが。
「封印ってな、どんな封印だ」
「……聖は魔界という場所に、他の三人は地底なる場所に。それぞれ封じられたようです」
「……魔界に地底、かよ」
ファンタジーにSF、だ。遠い昔の本や映画でしか聞いた事のない、当然行った事もない場所。
「……どうしようもなさそぉだな、そりゃ。行った事もねえ場所じゃ、切るも結ぶもどうにもならん」
「そう、ですか……少し、期待はしてたんですが」
「……すまんな」
「いえ。謝る必要はありません」
やれやれ。また一つ溜息。出来た友人がすぐ居なくなる。人間の知り合いはさっさと死んでしまう、人外の知り合いも早くに別れが来る。
「……私は、彼等を止める事が出来なかった」
ふと、寅丸が口を開く。
「私は、今の地位をなくすのが嫌だった。毘沙門天でなくなり、ただの妖獣に戻るのが怖かったんですよ」
「……仏の仕事は、檀家を、人間を護る事だ。妖怪の擁護じゃねえ。別にお前さんを責めやせん」
「それでも。それでも私は、あの方に貰ったこの地位を、あの方の為に捨てる事が出来なかった。 ……あの方に、報いる事が出来なかった」
「……白蓮は、んな事気にする奴じゃなかろうがよ」
「…………それは、そうですけれど」
「んじゃ手前も気にすんな。それが無理なら一生気にしろ、そいつが償いになろうよきっと」
「……無茶苦茶言うね、君は」
「知るか。説教なんざ俺にゃ向いてねえ。苦手だよ」
がり、と頭をかく。こういう時、格好良い事を言えれば、納得させられるような事を言えれば良いのだが。
「……でも、有難うございます。一応、励ましてくれてるのは分かりました」
「…………そおかよ」
やれやれ。ふう、と三度目の溜息。
「で。お前さんらはこれからどうすんだ」
「……寺は続けますよ。白蓮の居場所を、なくす事はしません」
「……人はもうあまり来なくなると思うがな」
「それでも、さ。遇になら来る者もあるだろう」
「なら良いさ」
ふっと息をつき立ち上がる。仏様が続けると言うのなら、妖怪風情が言う事なぞ何にもあるまい。
「んじゃ、今日は帰る。また遊びに来るからな」
すうと『窓』を開く。
「はい……では、また」
「ああ。また来てくれ」
「ん……次は菓子も持って来る。 ……ま、色々と頑張んな」
と、そう言って。
俺は二人に見送られつ『窓』をくぐり、封印された友人達に思いを馳せながら、家へと帰ってゆくのであった。
なお、我がボロ屋に帰り着いた俺を出迎えたのが、すっかり焦げ付いて異臭を放つ餡の出来損ないであったというのは―――完全な、余談である。