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東方鼬紀行文  作者: 辰松
一、旅鼬
10/29

其之十、鼬信貴山にて仏法に接す事、上

 

 毘沙門天。


 唐代風の革の甲冑を身に纏い、手に宝塔を掲げ、宝棒もしくは三叉戟を突いた姿で表される仏教の四天王の一人であり、夜叉や羅刹を配下とする勇猛な武神にして守護神である。

 インドにおいては元は財宝神であり、中国に伝わる過程で武神の面を得たと言う。

 また日本では七福神の一尊として広く知られており、勝負事に特に利益有りとされ信仰を集めている。


 これより記すのは、妙に情けない毘沙門天とそれに仕える鼠との、ちょっとした邂逅の話である。




◇◆◇◆◇




「妖怪の駆け込み寺?」

「はいな」


 とある朝方、平城京の片隅、やけに人気ひとけの無い一角の、とある古い一軒家。様々な置物が転がる雑多な一室で、鼬の耳と尾を生やした少年と墨色の小さな鼠が、ばりばりと何やら食いながら向かい合って話をしていた。

 俺―――八切七一と、友人灰墨(はいずみ)である。


「駆け込み寺、ゆうかな。妖怪と人間の共存を目指す、て言うてはる偉い尼はんが居てはりますねん」

「……どっかで聞いた思想だな」


 あまり思い出したくない奴であるが。


 さて二人―――二匹、であろうか―――が食っているのは、いつかの試作品煎餅の完成品。甘辛い醤油煎餅である。ああ、この歯に挟まる欝陶しさ。何と完璧な再現であろうか。


「後、いつも言うとうナズはん」

「一緒に菓子食ってる鼠か」


 この灰墨は、俺がやった菓子を那津(なづ)なる鼠妖怪の友人と食っているらしい。概ね好評との事。


「そこの仏様―――毘沙門天様に仕えてはるねん」

「ほお」


 毘沙門天。


 仏教の四天王にして武神、また同時に守護神であり財宝神。七福神の一人でもある。


 この世界の毘沙門天は未だ見た事はないが、さぞや勇ましく威厳の有る姿に違いない。……同じく武神である武御名方がアレであった事を思えば、あまり期待すべきではないやも知れぬが。そういえば、中国における毘沙門天の遣いは鼠であったか。

 まあ。どうでもいいが。


「で……そこへ行ってみないか、て?」

「はいな。何や七一はん、最近偉い暇そうにしてはるから。どうやろか、思たんやけど」

「……ふむう」


 確かに、暇である。


 先ず、和菓子作りが行き詰まっている。現環境で手に入る食材では、知っている物を全て作ることが出来ないのだ。こればかりは、人間の技術や貿易の発達を待つしかない。

 次に、紀行文。鬼退治の話は書き終わり、昔書いた分の書き写しも済んだ。これ以上は未だ書く事がない。


 そして、数ヶ月前の鬼退治。

 鬼達が皆居なくなった為、暇な時に遊びに行く先がなくなってしまったのだ。花札の相手も将棋の相手もおらず、共に酒を飲む相手も居ない。

 幻想郷とやらまで飛ばしたのも良かれと思ってであった訳だが―――


 何とも。

 思わぬ弊害も有ったものである。


「それに七一はん、酒呑童子等がおらんようなってから塞ぎ込んどうよう見えるえ。気分転換でもしはった方がええわ」

「む……ん」


 ばりん、と煎餅を噛み砕き。


「……ま。どうせ―――暇だかんな。うん、行ってみるのも悪かない」


 と。そういう事にした。


「で……その寺はどの辺にある?」

「こっから南の方の、生駒の辺りですえ。ちょっとのんびり行って、大体四半時程」

「生駒か……お前さんの足で四半時、結構遠いな」


 この灰墨、矢鱈に足が速い。と言うのも此奴こやつ鼠の癖に、『一日に千里を駆ける程度の能力』なる凄まじい力を持っているのである。千里は大体四千キロだから、時速に換算して百六十強。そんじょそこらの自動車より余程速い。十日走れば地球一周である。何と目茶苦茶な鼠。

 ただ惜しむらくは、彼女は鼠であるという事。馬であれば人を乗せる事も出来たというのに。時速百六十キロにしがみついていられるかどうかは別として。


「ほんで確か、お寺のある山が、信貴山とか言うたかな」

「……あ? 信貴山?」


 信貴山。

 と言えば、『信貴山縁起絵巻』。

 信貴山寺の修行僧・命蓮にまつわる、三つの説話を絵巻にした物―――であったか。

 信貴山の寺というのであれば、十中八九それで間違いないだろう。灰墨の友人云々も、命蓮が毘沙門天を信仰していたという話に噛み合う。

 が、命蓮が妖怪贔屓びいきだった等という話は聞いた事がない。はてさてこれはどういう訳か。


 ……良い。俄然興味が湧いて来た。


 命蓮に会って話を聞く。ついでと言っては何だが、信貴山寺に参拝して毘沙門天も見て行く。那津はんとやらにも会ってみよう。


「よぉし行くか灰墨ィ!」


 ばっと立ち上がり、雑多な置物を蹴散らしながら何時もの大笠を被って何時もの青い着物を羽織る。


「え? 今から行くん?」

「思い立ったが吉日と言うじゃあないよ。さっさと歩けば日ィ暮れる頃には着くだろ」

「はあ、せっかちやなあ……あ、止めて! 尻尾持たんといて!」

「よいではないかよいではないか」

「あーれー」


 と。

 まあこんな経緯で、灰墨と共にちょっとした小旅行と相成った訳である。




◇◆◇◆◇




「時に灰墨や」


 都を出てから数刻ばかり。生い茂る薮を切り払い、道と言えるのかは少々怪しい山の獣道を歩きつつ、肩に乗せた鼠に声を掛ける。


「鼠という奴は果たして旅の道連れと数えられるモノであろうか」

「何やの薮から棒に」


 薮からスティック。ブッシュから棒。いやいやそんな古いギャグはどうでもいいのだ。いや待てこの過去の世界から見れば新しいギャグなのか。


 それこそどうでもいい。


「いやな。昔紀行文に、『我が旅に道連れが有ったのは後にも先にもこの時だけであった』―――みたいな事を書いたのよ」

「はあ」


 だから何だ―――という様な顔をする灰墨。……何、鼠の顔なぞ何故解るのかと? 雰囲気である。


「もし鼠を道連れと数えるのならば、嘘になっちまうじゃあないか!」

「心底どうでもええよね」


 最近遠慮が無くなってきた灰墨である。


「書き直せばそれで済むんやない?」

「えーやだ」

「何が嫌やねん」


 最近突っ込みが京都弁と言うより大阪弁な灰墨である。


「と言うかな。先の事やなんか分からんのに何でそないな事書いたん?」

「そりゃお前さん」


 がしがしと下草を踏み荒らしながら、目の前にぶら下がる邪魔な蔦をすぱりと切る。拍子にずれた笠を被り直し、肩の灰墨をちらりと見てにぃと笑う。


「ノリ」

「前々から思うとったけど、七一はんって結構アホやね」

「予想以上に辛辣な突っ込み!」


 と、言うか。前々から思われていた事に吃驚びっくりである。


「……まあ。良いんだけどな別に他人ひとに読ませるつもりで書いてるわけじゃないから」


 読ませる事を全く意識していない、という訳ではない。未来の事や鼬に転生云々は書いていないのだ。

 積極的に見せる気はないが、見たければどうぞ、と。そんな感じである。

 妹紅は読みたがったが、鬼達や灰墨はあまり興味を示さなかった。紀行文を保管してある諏訪神社の神様二柱は、時々読んでいる様子。暇なのだろうか。


「じゃあ何で書いてはるん?」

「……さあ。自己満足?」

「いや、聞き返されても」


 と。実にどうでもいい会話を繰り広げつつ。

 のんびりと信貴山を目指す二人……もとい二匹であった。




◇◆◇◆◇




「じゃあ、此処で待っとってな。ナズはん呼んで来るから」

「ういー」


 信貴山寺、山門前。

 そろそろ日も暮れようかという時間、ようやっと到着した二匹である。


 到着を伝えるべくちょろりと寺内へ入って行く灰墨を見送って門前の石段に腰を下ろす。茜色に染まり始めた空、雲を眺めて時間を潰す。


「あ、あの雲オッサンの顔みてえ。あはは」


 傍目、物凄く寂しい奴である。


「……ん?」


 空に浮かぶ巨大なオッサンフェイスに、ふと違和感を覚え目を細める。

 オッサンみたい、と言うより何だかオッサンその物なその顔が。だんだん大きくなっている。


 と言うか。


「せ……接近して来てね?」


 オッサンフェイス急接近。近づいて来るにつれ、細部まではっきりと見えてくる。いかにも頑固そうな目鼻に髭面。体は無いが手が付いている。その手には何か乗せている。

 雲で出来たオッサン―――まさに。


「こ」


 そして俺は、あれよあれよという間に大きくなる厳ついオッサン顔へと、こう叫ぶのである。


「これがホントの……入道雲ッ!!」


 んなアホな。




◇◆◇◆◇




 ―――何なのだろう、こいつは。


 と。

 信貴山寺山門前にて、私―――雲居一輪は、呆と突っ立ってそんな事を考えていた。


 目の前には我が相棒、雲入道の雲山。その厳つい顔が、困った様な表情でちらちらと此方を見ている。その視線は明らかに助けを求めている。


 と、言うのも。


「おおおやべえ面白い! 触れるぞこいつ雲なのにッ!」


 この、妙な男の所為である。


 見た目は、目付きの悪い十代後半の若者。頭には大笠、肩までしか無い服の上に蒼い着物を羽織っている。しかしその獣の丸耳と長く太く大きい尾が示す通り、此奴は妖怪なのだろう。実際の年齢なぞ分かったものではない。


 雲山相手にはしゃぐその姿は―――見た目相応に、否それ以上に幼く見えるのだが。


 つい先程。

 雲山の手に乗って信貴山寺に帰還した私は、山門前に座って此方を見ている何者かを発見。

 すわ人間に雲山を見られたかと一瞬慌て、斯様な夕方に参拝客が残っていようとは思わなかったのだ等と姐さんへの言い訳もとい釈明が頭をよぎったりもした―――が、良く良く見ればそいつは妖怪。何だ同族かと安堵し、顔がはっきり見える辺りまで気兼ね無く接近した―――ところで。


 この妖怪は叫んだのだ。


「これがホントの……入道雲ッ!!」


 呆気に取られた。

 取られつつ、山門前に着地。途端に歩み寄ってきたこの妖怪、雲山の手から飛び降りた私には目もくれず、何やらはしゃぎながら雲山を突き回し始めたのである。雲山が厳つい顔を迷惑そうに歪めるのも気にせず。


「……ねえ、ちょっと」

「むっ?」


 呆けていたって仕方あるまいと意志を固め、取り敢えず意志疎通を計るべく、雲山へ向けてぱくりと口を開ける妖怪に声を掛ける。……何のつもりだろう。食うつもりなのか。馬鹿なのか。


「えーと、貴方……」

「貴様、何時から其処にッ!」


 どうしよう。早くも挫けそうだ。


「まあ、冗談だけどな」

「……」


 殴っていいのだろうか。


「で、何か用かね尼さんや」

「……はあ。えっとね、雲山突き回すの止めてくれる?」

「む?」


 くらりと首を傾げ、雲山を手で示す。


「雲山ってな、この入道雲?」

「そうよ、私の相棒」

「ふむ……入道雲に尼さん、そんな妖怪居たかな」


 此方の言う事を聞いてくれたか雲山から離れ、ぶつぶつと呟き始める丸耳大尾の妖怪。ふわりと私の後ろに着く雲山。


「で、貴方は何? 参拝客?」

「おお」


 何やら驚いた様に目を見開く。


「そう言やそうだった」

「……、なら中に入れば?」

「いやな。今連れが先に寺内に入ってて。迎えが来ると言われて待っとるのだ」

「……そう。ま、良いわ」


 また石段に座り込んだ妖怪の隣に、私も腰を下ろす。このよく分からない奴、寺前に放っておくのは気分が悪い。少しばかり話をしてみる事にした。


「私は雲居一輪、此処でお世話になってる妖怪よ。こっちは、さっきも言ったけど雲入道の雲山ね。で、貴方は?」

「うむ」


 おもむろに立ち上がり、ばさりと羽織りをはためかせ、しゅばっと妙な格好を取る謎妖怪。


「天に聞け地に聞け音に聞け! 伝記伝説(あやかし)求め、日本全国津々浦々! しがない普通の鼬・八切七一たぁ俺の事ッ!!」


 ……うわあ。


「……」


 滑った。何とも言えない空気が流れる。妙な格好のまま硬直している八切とやら。沈黙する私と雲山。いや、雲山は元から喋れないが。


「……何してはるの七一はん」


 と。

 その空気を、打破する者が現れた。


「いやあ。自己紹介?」

「いや、聞き返されても」


 振り返るとそこには、鼠が二匹。門を開けた格好のまま固まっている大きな鼠と、八切にちょろりと駆け寄り話を始める小さな鼠。大きな方は知り合いだ。


「ナズーリン」

「……あ、ああ。一輪か」


 硬直していた大きな鼠が、私の呼び掛けにびくりと肩を震わせて我に返る。


「いや、済まない。帰っていたのか」

「ついさっきね」


 彼女はナズーリン。常に冷静沈着な皮肉屋。何にそんな衝撃を受けたのか分からぬが―――いや、あの妖怪しか居ないのだが―――先程の様な硬直した姿は中々に珍しいと言える。

 私と同じくこの寺に住む鼠の妖怪であるが、しかしてその経緯は私と違い、彼女は此処の本尊・毘沙門天に仕えているのである。


「さて」


 ちらりと八切の方を見遣る。


「で、何やのさっきの」

「いや、それぁほら。俺の能力知ってるよな?」

「それが何やの」

「大見栄を切ってみた」

「矢ッ張り阿呆やね七一はん」

「ちょっおま」


 ……漫才をしている。


「良く分かんないけど、アレってナズーリンの知り合いなの?」

「いや、知り合いの知り合いだ」

「あの黒い鼠?」

「ああ。一応、参拝に来たらしい。うちの御主人と、聖にも会って行くだろう」

「……ふうん」


 まあ。

 かなり変な奴に見えるけれども。ナズーリンが、アレを寺に入れて問題無いと判断しているのなら。

 放っておいても大丈夫なのだろう。


「時に灰墨や」

「何やのアホ一は……七一はん」

「あれ今何か凄く自然に暴言吐かなかったか」

「気の所為やえ七い……アホ一はん」

「何故言い直したし。ええいこの生意気な鼠め」

「ああっ尻尾はっ」

「良いではないか良いではないか」

「あーれー」


 ……大丈夫なのだろう。




◇◆◇◆◇




「さあ、漫才はその辺で切り上げてくれないか」

「ん?」


 ぱんぱん、と手を叩く音に、灰墨との会話を止めて音源へと顔を向ける。其処に居たのは一人の少女。此方をじろじろと見て、少し残念そうな顔をする。はて如何したか。

 外見は、灰色の髪と長く細い尻尾、その頭には二ツの丸い鼠耳―――


「……アウトだな」

「え?」


 大きい丸耳は駄目だ。色々と駄目だ。シルエットにしたら拙い事になる。ただでさえ灰墨は黒い鼠だと言うのに。夢の国の鼠を連想するではないか。


 ところで、雲居はさっさと寺内に戻って行った。雲山とやらを引き連れて。何だったのだろう、あの入道雲だか雲入道だかは。


「あうと? 何だ、如何いう意味だ?」

「気にせんでええでナズはん、七一はんの奇行奇言はいつもの事やから」

「そ、それはむしろ気にすべきでは」

「細けえ事ぁ気にすんな!」

「あまり細かくない上に、今君は明らかに馬鹿にされていると思うよ」

「いやあ」

「何を照れる? ……ああもう、予想と違いすぎるぞ」


 予想。灰墨からなんやかんやと話を聞いていたのだろう。あまりはっちゃけた事は言われなかった様である。

 しかしこの鼠……からかうと面白い。


「まあその辺は色々と置いといてだな」

「………ああ、もうそれで良い」

「自己紹介と行こうか。 ……天に聞け地に聞」

「それは先程聞いたよ、八切七一」

「……」

「……な、何だその恨みがましい目は」


 別に気にしてなぞいない。実は言いたかったなんて事はない。断じてない。


「まあお前さんの番な」

「……はあ。まあ良い。私は」

「うむ、『那津はん』だろう? 灰墨からいつも聞いている」

「……ああ。ナズーリンだ、宜しく」

「うん?」


 那津。ナヅ。那津ーりん。はて如何いう事か。


「……あ、成る程。那津・雨林」

「は?」

「え、違うのか?」

「……七一はん、ナズはんの名前は漢字当てられへんのやえ」

「え」


 何と。と言う事は。


「横文字なのか。よもや大陸産鼠とは」

「いや、私は日本生まれだが」

「……あそ」


 ……まあいいか。妖怪という奴等は、大抵何処か妙なのだ。名前も格好も。思えば、人間が貫頭衣を着ている時代、我が母君は振袖を着ていた。そんなモンだ。


「何にせよ。宜しくナヅーリン」

「ああ。 ……ん?」

「如何したナヅーリン」

「いや……何か違和感が。 ……あれ?」


 何やら首を捻るナヅーリン。はて如何したのやら。


「まあ……良い、のかな? うん……さて」


 そうぶつぶつと呟いたナヅーリンは、気を取り直して、といった様子で此方へ向き直って真面目な顔になり。


「私の御主人―――毘沙門天様の所へ案内しよう。ついて来てくれ」


 と。そう言ったのであった。


 ……そう言えば、そのつもりで来たのであったっけか。忘れていた。




◇◆◇◆◇




「―――此処だよ」


 山門を潜り境内に入り、本堂に入る―――のかと思いきや裏手に回る。其処に在った小さなお堂、その前でナヅーリンは立ち止まる。

 ところで、灰墨は先に帰った。今頃は既に都に到着している頃だろう。至極足の速い鼠である。


「本堂じゃねえのだな」

彼方あちらには像しか無いよ。一日中ただ突っ立って拝まれていられる程、うちの御主人は……その、暇じゃないんだ」


 言って、堂の観音開きの扉に手を掛け―――開く前に此方へ顔を向ける。


「一応言っておく。あまり妙な事を言ったりしないでくれよ?」

「分かってるて。毘沙門天つったら武神だろ。怒らせる様な怖い真似はしない」

「なら良い」


 ぎいい、と軋む音と共に扉が開かれる。


 先ず目に入ったのは、殆ど物の無い質素な堂内。隅に置かれた文机には、写経の途中であるらしい巻物が置かれている。


 そして、堂の中心。眼を閉じて結跏趺坐けっかふざする一人の女性―――また女。

 坐る女性の前には毘沙門天の持ち物である宝棒と宝塔。虎を連想させる黄と黒の髪。

 ……そう言えば、日本での毘沙門天の遣いは虎と百足であったか。毘沙門天自身がその遣いと同じ姿というのは、少しばかりおかしな話だが。


「―――ナズーリン」


 と。

 毘沙門天が眼を開く事無く口を開く。


「……は」


 堂内に重く響いたその声に、ナヅーリンがすっと跪く。続く毘沙門天の言葉は―――


「ナズーリン、晩御飯はまだですか?」

「は?」


 空気が凍る。ナヅーリンが凍る。俺も凍る。待てお前今なんつった。


「……ナズーリン? 如何しまし……あっ」


 毘沙門天が眼を開き、堂内に入って来たのが自分の部下だけでない事に気付き、驚きの声を上げる。


「―――御主人ッ! 貴女と言う人はッ本当にッ」


 途端真っ先に解凍されたナヅーリンが自身の主につかつかと詰め寄り、その胸倉を掴んでがくがく揺さ振り出す。おい、主じゃないのかソレ。


「本ッ当にいつもいつも肝心な所で間抜けをさらして! 馬鹿じゃないのか貴女は!」

「あうあうあう……」

「何だって何時まで経っても同じ失敗を繰り返すッ! ついこないだもまた宝塔を無くしたろう!」

「あうあうあう……」

「尻拭いに奔走する私の身にもなってくれ! この未熟者ッ未熟者ッ」

「あうあうあう……ぶくぶく」

「……ナヅーリンや、御主人サマが泡ぁ吹いてるぞ」

「はっ」


 錯乱して主に狼藉を働くナヅーリンと目を回す毘沙門天(仮)を少々見兼ねて声を掛ける。正気に返るナヅーリン。がくりと崩れる毘沙門天(仮)。


「め―――面目ない。少々取り乱した」

「あうあう」

「ええい、しゃきっとしないか御主人!」

「いやお前さんの所為だから」


 と言うか。少々取り乱したァ何てレベルではない。錯乱である。狂乱である。日頃の鬱憤が弾けたという風であった。


「全く本当に御主人はくどくどぐちぐち」

「あうぅ」


 未だ自己紹介も済んでいないのだから、説教はさっさと切り上げてほしいものである。虎髪の女性も、毘沙門天の癖に既に涙目である事だし。


 まあ。止めてやる気も無いのだが。薮蛇は御免である。




◇◆◇◆◇




「ほら、御主人。自己紹介」

「えっと、寅丸星といいます。此処で毘沙門天をやらせて頂いてます」

「は。宜しくであります毘沙門天(仮)サマ」


 半刻ばかり後である。やっと真面に会話が出来た。ナヅーリンは毘沙門天(仮)の後ろでやけにすっきりした顔をしている。

 ちなみに一応敬語を使う。相手はまがなりにも毘沙門天。四天王である。


「………あの、今何か毘沙門天の後に」

「気の所為でありましょう」

「……いやでも」

「気の所為でありましょう」

「……しかし」

「気の所為だっつってん……げふんげふん。でありましょう」

「……」


 秘技・無限ループ。その姿はまるでRPGのNPCの如し。

 と言うかこれで押し切られるのか。大丈夫か毘沙門天(仮)。それで良いのか毘沙門天(仮)。


「……無理して敬語にしなくても良いですよ」

「そぉかい。宜しくなァ寅丸」

「変わり身早ッ!?」

「そんなモンさ」

「何が!?」

「御主人、彼の妄言は基本的に無視すべきだよ」


 さて何がと言われても。人生とかそんな感じのアレだと思われる。何、意味が分からない? 問題無い、俺にも分からない。

 しかしナヅーリンが俺のあしらい方を既に理解してきている。流石灰墨の友人。


「まあ、そういうのは色々置いといて。自己紹介と行こう」

「置いとくんですか……」

「ああ、手短に頼むよ」

「天に聞」

「彼の名は八切七一、鼬だそうだよ」

「……」

「気色の悪い眼で見ないでくれるかな?」

「チッ」


 本当にあしらい方が上手くなっている。何と言う順応性。


「昔はあんなに可愛かったのに……」

「君が私の過去の何を知っていると言うんだい」

「そんな! 忘れたのか、あんなに激しく互いの獣性を確かめ合った、あの熱い夜を!!」

「また世迷い言を」

「ナ、ナズーリン……!?」

「御主人!? 何を顔を赤くしている!」


 どうやらこの毘沙門天(仮)は随分と純朴であるようだ。もう少し遊んでみよう。


「ふ、ナヅは凄かったぞ。舐めたりくわえたり擦ったり挟んだり……あ、最後のは無理だわ」

「舐めたりくわえたり………あわわ」

「五月蝿いッ! 余計なお世話だ!!」


 さらに顔を赤らめる寅丸と、自らの一部奥床しい体型を遠回りに指摘されていきり立つナヅーリン。


「おや何の話だと思ったのかな」

「ッ……し、知るかッ」

「まあナニの話なんだが」

「ななな何がナニだ」

「あ、あの二人共、此処は寺院なので、そういう話は一寸……」

「何が二人共だ私を纏めるなッ!」

「まあナニが二人共だなんて」

「うがああああッ」


 どうやら灰墨のレベルには達していなかったらしい。この程度のからかいに我を忘れるとは………まだまだ修行が足りないようだ。


「どうどう、落ち着けナヅーリンよ」

「私は馬かッ!」

「お、落ち着いて下さいナズーリン」

「ぐッ………」

「さあさあ深呼吸。息吸ってー」

「………すぅー」

「吐いてー」

「はぁー」

「吸ってー」

「すぅー」

「ナヅーリン愛してる」

「ぶふぅッ!? げほがほごほ」


 斯様にベタな遊びに乗ってくれるとは。素晴らしい反応だ。面白過ぎる。やはり彼女は妹紅以来の逸材である。


「殺す! 殺してやるッ!」

「あわわわ落ち着いてナズーリン、落ち着いてくらひゃッ……あうう噛んら」

「お前さんも落ち着け」


 ブチ切れて拳を振り上げるナヅーリン、後ろから羽交い締めする寅丸。少々興奮させ過ぎたであろうか。


「離せ御主人! こいつに仏罰を下すんだッ!!」

「せ、殺生はいけませんよぅ!」


 はて如何にして事態の収拾を計るべきか。


「……うん、矢ッ張りベタに行こうか。ほれ」

「うわ!?」

「ひゃ!?」


 ちょきんとばかりに指を動かし、能力発動。二人の頭上に『窓』が一瞬開き、その辺の川の冷たい水がざぱあと降り注ぐ。


「な、な、何だ今のは」

「『窓』。俺の能力のアレだ」

「あ、アレって何ですか」

「禁則事項です☆」

「……、何だか物凄くイラッと来たよ?」


 某ラノベの巨乳未来人さんである。しかし何故こんなどうでもいい物ばかり覚えているのだろうか。我が事ながら理解に苦しむ。


「まあ何だ、頭冷やせお前さん等。そんなんじゃ真面に話も出来やしない」

「……あ、ああ。そうだな……って、全て君の所為だろうがッ!」

「何故ばれたし」

「ばれたも糞も有るかッ!」

「まあクソだなんて」

「うがああああッ」

「お、落ち着いて下さいナズーリン!」


 しまった、またおちょくってしまった。だが俺は悪くない。ナヅーリンが悪いのだ。ノリ突っ込みも上手いナヅーリンが悪いのだ。ナヅーリンが弄り易過ぎるのが悪いのだ。


「……ち、仕方ねえ最後の手段だ」


 怒りに我を忘れている彼女を鎮めるべく、家に繋げた『窓』を開いて手を突っ込む。


「此処に取り出しましたるは」

「……む!」


 俺が『窓』から引っ張り出した物を見て、目を光らせるナヅーリン。そう、俺が取り出した物とは。


「八切印のぉ……生八ツ橋ッ!」

「!!」


 八ツ橋。

 米粉に砂糖、肉桂―――今で言うところのシナモン―――を混ぜて蒸し、薄く伸ばして焼き上げる、京都を代表する和菓子である。

 実際この菓子が完成するのは江戸中期であり、菓子の事とは言え、歴史を変えてしまっていると言えなくもない訳だが。まあ、気にすまい。


 そしてこの生八ツ橋は、更に後である一九六〇年代の生まれ。八ツ橋を焼かなかっただけの代物であるが、餡を挟む等様々な種類が作られている。


「ふっふっふ……砂糖を使った甘い菓子だ……どうだ欲しかろう」

「くぅ……!」


 ナヅーリンの眼前で、竹皮に包んだ菓子をゆらゆら揺らす。追って揺れるナヅーリンの視線。

 そうだ、既に分かっていたのだ。彼女は灰墨が持って来る俺作の和菓子を、おそらくは非常に楽しみにしているのだ。

 初対面時の挙動がその証拠。此方をじろじろ見て残念そうな顔をした。あれは、俺が手ぶらだった事への失望だったのだ。土産物の菓子を楽しみにしていたのだ。


「ほれほれ」

「うぅっ……」


 ゆらゆら。竹皮を剥がれ、ふわりとシナモンの香りを浮かべながら揺れる菓子に、遂にはナヅーリンが体ごと揺れ動き始める。やばい面白過ぎる。

 そんなナヅーリンの背後には、笑いをこらえて背を丸める寅丸。しかし毘沙門天(仮)、部下が弄られているのにその反応は如何な物であろうか。


「……おいナヅーリン、よだれ」

「……はっ」

「ぶはっ」


 醜態を指摘されて菓子の誘惑から我を取り戻し口元を拭うナヅーリン、堪え切れずにとうとう吹き出した寅丸。非常に弄り甲斐の有る奴等である。


「ふ、うふ、あははっ、ナ、ナズーリンが、よだれ……ひぅ」

「ご、御主人ッ!」


 笑い転げる寅丸と、羞恥その他に顔を赤らめるナヅーリン。

 見ていてこの上無く愉快ではあるが、いい加減話が進まない。

 『窓』に手を突っ込み向こうの囲炉裏に火を熾こし、鍋を火にかけ湯を沸かし始める。皿を三枚取り出し、生八ツ橋を並べる。


「ほらほら、菓子でも食いながら話をしようじゃぁないよ。そのうち茶も沸くから」

「は、はい……ぷふぅ」

「……御主人」




◇◆◇◆◇




「時に八切。君は紀行文なる物を書いているそうだが」

「うん?」


 菓子を食い茶を啜って一息ついた。甘味は心を豊かにする、機嫌も直った様子のナヅーリンが俺に言う。


「まあな。読みたいのか?」

「いや……ね。その紀行文とやらに、御主人の事も書くんだろう?」

「え? 私ですか?」


 八ツ橋に舌鼓を打っていた寅丸が、突然会話に出た自分の名前に、きょとんとした顔を此方に向ける。


「そりゃまあ。怪談奇談伝記伝説、日本全国津々浦々、不思議な話を集めましょう、ってな文だかんな。仏サマに会った何て話、書かねえ訳にはいくまいよ」

「はあ。何だか良く分かんないですけど凄いですね」

「……御主人、矢張り貴女は黙っていた方が良いよ」

「えぇ!?」


 何だか頭の悪い事をのたまって、部下に酷い事を言われる寅丸。何だか良く分からないのなら一体何が凄いのか。


「問題は此処からなんだが……御主人について、如何様に書くつもりだ?」

「そらまあ真実を書くさね」

「つまり?」

「威厳が無えわ部下に叱られてるわ聞いた限りじゃ宝塔無くした事あるらしいわ、終いにゃ黙ってろとさえ言われるわ、毘沙門天は非常に情けない奴でありました、と」

「え、ええっ!? 私そんなに情けないですか!?」

「……矢ッ張りか」


 やれやれ、といった風に溜息をつくナヅーリン。


「だが最後の一文は訂正してもらう」

「あん?」


 ナヅーリンの言葉に俺は首を傾げる。訂正する余地があるだろうか。


「とても、物凄く、死んだ方が良い程情けない、にか?」

「ひ、非道いですよぅ」

「いや、其処じゃないんだ」


 ナヅーリンは困った様な顔をして、主人にちらりと視線を向け。


「実はね。御主人は毘沙門天じゃないんだよ」


 と。かなり衝撃的な発言をしたのである。


「ナ……ナズーリン! それは」

「良いだろう、別に。聖達だって知っている事だ。第一、毘沙門天様がそんな情けない奴だなんて書かせる訳にはいかないよ」

「んあ……成る程な、道理で。納得が行く」

「……気付いてたのかい?」

「いや、な」


 ずず、と一口茶を啜り、軽く頭を掻いて言葉を続ける。


「寅丸、て名前とその髪と服。虎を連想させるな」

「……私は、元々虎ですから」

「虎は毘沙門天の遣いだ。遣いと主が似た姿ってのは……まあおかしな話だわな」

「……博識だね、君は」

「後はまあ、あれだよな。いくら何でも威厳が無さ過ぎる」

「あう」


 四天王たり、武神たる毘沙門天。あれ程に情けないというのは、あんまりな話であろう。矢鱈に人臭い諏訪の二柱とて、威厳という奴はあったのだ。


「まあ……虎だから、毘沙門天の弟子とか見習いとか……代理、とか。そんな感じか?」

「……その通り、です。私は元来ただの妖獣で、此処の聖の推薦で代理を務めさせて頂いてるんです」

「そして私は毘沙門天様の直属の部下で、手伝いとして派遣されているのさ」


 何ともはや。気の抜ける話である。

 此処の聖……という事は、命蓮上人の推薦なのであろう。全く以て随分な妖怪贔屓である―――人間に知られれば拒絶されるであろうレベルの。


「……ま。俺が気にする事じゃねえが」


 と、一ツ呟き、くらりと頭を揺らして天井を見上げる。妖怪贔屓の聖職者。全く以ておかしな話。


「……さて。そろそろ帰るとしよう」

「うん……? わざわざ都から来たんだろう? 泊まっていけばいいじゃないか」

「今から都に帰るなら、着くのは朝になりますよ?」

「あぁいや、其処は問題無い」


 ちょきん。空間が切り裂かれ、我が家に繋がる『窓』が出来る。


「俺は一度訪れた所なら、一瞬で移動できるのだよ」

「さっきも使ってましたね、ソレ」

「……随分便利な能力を持っているんだね」

「羨ましかろ。わはは」


 と、一ツ笑い。


「じゃ……また明日。朝にでも来るわ」

「そうですか。では、また明日」

「また土産を頼むよ」


 そんな声を後に、信貴山寺を後にしたのであった。




 尚このすぐ後に、夕飯の準備が出来たと二人を呼びに来た雲居一輪に生八ツ橋が見付かって少しばかり騒ぎになったというのは―――完全な余談である。

 



祝☆東方茨歌仙(泣)

 

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