情緒不安定型パーソナリティ障害でISFPの彼女とINTPの僕
誰しもが人との縁から人生を学ぶ時がある
これはごくごく日常の出来事でありながら
40年生きた中で一生の思い出となる
およそ2年間の実話である
僕は1984年12月生まれ
今現在2025年40歳の男である
生まれてから今に至るまでを簡潔に言うと
普通に小、中、高校まで育ち
高卒で就職して仕事で大阪に
24歳になる頃に授かり婚
双子と2歳離れた子供に恵まれたが
自分から離婚を申し出て調停離婚
係長まで培った仕事も同時に辞めて
27歳の頃に宮崎に帰還
そこで同級生だった友人に誘われ
風俗業界に就職
意外と性に合ってるのかそれから13年
今はとあるお店の店長を任されている
さて、この物語はそんな僕の人生全てを語るものではない
ほんの2年ほどの話である
風俗業界に入り11年が過ぎた頃
ある女性が入店してきた
その女性はとても行動的で明るく
好奇心の塊のような素晴らしい女性だった
入店理由としては珍しく
興味があったから、とのことで
昼職を辞めての入店だった
入店して3ヶ月が経った頃
彼女、名前は優さんから
実技講習の申し出があった
僕のいる会社では基本的には講習はしないが
女の子側から申し出があった時は対応する
接客の気配りや動作など細かな点が改善されたりする
そんな講習中
事前に相談がなかった男性器へのサービスまでしてきたので、
「それは聞いていない、恥ずかしいからやめてくれ」
と強めに拒否したのだが
「講習だからいいでしょ?」
と、こちらの立場をわかった上での一言、
講習だとしたら受け入れるしかないでしょ?
と言うような強要だ
「わかった、なら講習として認める」
といって僕は下も脱いだ
彼女は好奇心旺盛で行動的で積極的で傲慢
そんなイメージだった
どうやら彼女は以前から自分に好意を持っていてくれたらしく
それ以降もご飯に誘われたりなどが月に一度くらいあり
いかにも抱いてくれと言わんばかりに泥酔していた時もあった
彼女は自分を大切にしていない
そんなイメージだった
何度か交際を迫られたが僕は断っていた
最初の理由は
バツイチで子供3人に養育費を送り続けてたまに会ってる、今は仕事と子供達が生きがいで他に興味は湧かない
なんていう、ていのいい逃げだったと思う
そもそも在籍の女性と交際は会社的に規則違反で
それにより生じるデメリットが大きいことは自分もよく理解していた
関係が拗れたりめんどくさくなったり
交際が在籍女性やお客さんに知られたら贔屓を疑われたりもするだろうし店長としての信用は無くなるだろう
離婚して11年、養育費を送り続け、今後も子供達が社会人になるまではやりきろうと生きてる自分にとって職を失うのはリスクが大きい
その考えも
半年以上経っても好意を寄せる彼女に直接話した
恋は盲目?
彼女は
「私のことが嫌いなわけじゃないんだよね」
と言って引き下がることはなかった
それからしばらくして
彼女は店を退店
どうやら出稼ぎに興味を持ち出したらしい
ビジュアルやスタイルは悪くなく
愛嬌もいいし何より仕事をこなすことに真面目で貪欲だから出稼ぎだろうが上手くいくだろうと思っていた
熊本、鹿児島、福岡、名古屋、東京と
私がどれだけやれるのかを試したい、と言っていたとおりに
彼女は集客と売上の高みを目指し突き進んだ
恐るべき行動力
彼女は冒険家で勇猛だ
もちろん行く先々でトラブルもあり
帰ってきてはそんなエピソードを色々と話してくれていた。
出稼ぎ先のオーナーに酔わされてお持ち帰りされそうになって抵抗して逃げ帰ったっていうエピソードを聞いた時は、
今の時代にまだそんなことやってるのか訴えるか?
って自分のほうが熱くなったりもした
彼女は軽く見られたことが悔しかったらしい
「もう在籍じゃないし
付き合わなくていいから
ワンナイトでいいから癒してよ」
そんなことを言われ
断る理由もない僕はそれを受け入れた
それから彼女と僕は
いわゆるセフレのような関係になった
3ヶ月に1回くらいのペースで温泉旅行に行って
3ヶ月に1回くらいのペースで交際を迫られたが
僕は断っていた
今の状況に何かを追加することがめんどうだと
本心ではそう思っていた
今のままがちょうどいいじゃん、、と
今にして思うと
早くから申し出を受け入れて付き合っていたら結果は変わっていたのかもしれないなと思う
この時すでに彼女はメンタルクリニックに通っていた
出稼ぎでお金があるからと
やりたいことをやるんだと
彼女はホストクラブに通いだした
「一度ホストに沼ってみたかったの」
その気持ちは理解できなかったが
その行動を止めることはしなかった
彼女の人生で彼女が稼いだお金だ
好きに使っていいだろうと
そこでもより高みを目指した彼女は
約半年ほど散財したが1度としてツケをすることはなかった
根が真面目だから
彼女と出会って1年が過ぎた年末
とある事件が起こる
元々年越しは2人で過ごそうと約束していて、
クリスマスを共に過ごした後日
自分に、
今は別の会社にいる元上司から
31日に飲みに行かないか?久しぶりにさ
っという連絡があった
同じ会社にいた頃は僕の直属の上司で
情に厚く、涙しながら想いを語るような
信頼出来る人だ
優さんのほうは飲み終わってから行けばいいかと
僕は元上司からの誘いをOKした
それを優さんに話すと
とんでもなく激怒した
まったく理解が及ばないし今すぐその飲みの誘いを断って、と
まったく理解が出来ないのはこちらとて同じこと
年越しを過ごすというのが成立すれば
その前までこっちが何をしようが勝手だろう
「こっちの人生に干渉するならもう会わないでくれ」
まるで恋人同士の痴話喧嘩だ
この時彼女はすでにODを数回以上行っていた
そんな時に起きた2人だけの事件である
年が明け
あれから彼女からは何件も謝罪のLINEがきていたけど
僕は既読だけつけて返信はしていなかった
交際の申し出に精神的な情緒不安定
自分の行動に対する干渉
デメリットな部分ばかりをみて
返信はしなかった
どれだけのことを与えてくれていたのか
そんな女性は生涯どれほど巡り会えるのかわからないのに
その事件から半年
夏の頃
あれから特に縁もなくただただ仕事に没頭し
元の生活に戻っていた僕は
同級生と飲みに出た帰り
ふと、優さんの家に来た
彼女は不在だった
あれだけ魅力がある人だから
もう良い人とくっついてるのかもな
そんなことを考えながらLINEを打っていた
夜中だけど起きてる?今は出稼ぎかな?
既読はつかず、返信もない
その日は帰って眠りについた
なんて都合のいいやつだと
その時の自分に対して今は思う
次の日
彼女からLINEがあった
どうしたの?
と
僕は
酔っ払ってLINEしてしまった
と
「あれだけ強引に突き放して
よくLINE出来たね、凄いね」
と
わかっていた皮肉のメッセージ
僕は
「時間が経ってあの時の怒りはなくなった
今は何とも思っていない
無視してごめんね」
と
愚かな自分の失態を濁すような卑怯なLINEを送った
彼女は、
「いいよ、また会えるかな?
話したいことあるんだよね」
と
僕はOKをだして
彼女が出稼ぎから帰ってきた日に
食事をしながら半年の出来事を聞いた
虚無感でいっぱいになり
ホストは行かなくなり
何かやりたいことを見つけなきゃと
稼いだお金で整形をして
もうすぐ脂肪吸引と豊胸のダウンタイムがあるから引きこもるとのことだった
僕も話した
自分に対してこれほど尽くしてくれる人がどれだけいるのかわからない
有難いことだと思ってる、と
とても喜んでくれていた
年末年始の事件が起きる前に
本を読む人とか良いよね、と軽い気持ちで話したことを彼女は半年間行っていたらしく
あれを読んだ、これを読んだと僕に話してきた
僕に好かれようと思って始めたら
読書にはまっちゃった
とのことらしい
教えてくれた本の中に
パーソナリティ障害について
という本があったが
それには触れなかった
めんどうを避けたのだ
それから
カメラにも興味があるからと話した翌月には
それなりに良いカメラを購入していた
カメラ用のインスタも立ち上げてアカウントを教えてくれたが
なぜなのか、僕はフォローしなかった
彼女の行動力は衰えていない
ただただ当たり前に良い影響をもらっていた
彼女は言う
「もし私に何かあっても今のままの私を忘れないでいてほしいな」と
僕は、
今生きているのになぜいなくなることを前提で考えるのか不思議だった
今のままの姿を忘れない?
そんな風に思えるだろうか、、
そしてまた年末年始が近づいてきた
クリスマスは一緒に過ごしたいと言っていたので彼女の家で豪華にご飯を食べた、
僕の誕生日も祝ってくれた
記念すべき40歳をお祝い出来て嬉しいと言ってくれた
この時、
優さんからの交際の申し出を受け入れた
出会って約2年
ネクタイに財布に
僕は色々と彼女から貰っているのに
こっちはご飯を奢るくらいしか出来ていない
何か物をプレゼントしようと思う
年末年始は実家に帰るからまた年明けてから会おうという話だった
年が明けて
彼女から
もし妊娠したらどうする?
というLINEがくる
彼女は生涯子供は作りたくないと自分でも話していたのにどうしたんだろうと思った
僕は、
自分は今はまだ新しい家庭なんて考えれない
だから避妊もしてるし
前からそう話してるよ、と
彼女は
そうなんだ、、
付き合ったから考え変わったかなと思って
一応確認で聞いてみたの
ということだった
もしかして妊娠したの?と聞いたが
そうじゃないから安心して
と言っていた
1月7日
優さんが実家から帰ってきた
LINEやりとりで
お母さんとカメラの趣味が共通で
色んなところにいって楽しかったこと
そして
会いたい、と言っていたが
13日に会う約束してるんだしその時に会おう
と断った
1月13日
会う約束の日
の1日前
1月12日
優さんの親から連絡がきた
ショートメールにて
初めまして優の母です
昨日から優と連絡が取れません
様子を見にいってはくれないでしょうか?
とのことだった
どうやら優さんは自分の病気のこともあり
何かあったら僕に連絡するようにお母さんに話して
連絡先も教えてたらしい
その日は仕事だったので
仕事終わりの19時頃に向かいます、と返信した
仕事が終わり彼女の家に着く
鍵はかかってる
鍵を開けて扉を開けると
ドサッ、と
人の頭が開いた扉に引っ張られるように外に倒れ出てきた
ずぶ濡れで、髪はびしょ濡れで裸
いつにもまして肌色は白く
玄関は水だらけ
体中に痣
目だけが大きく開き
こっちを見ている
顔の角度は変わらず
瞳だけが僕を追う
急ぎ体を持ち上げ
「大丈夫か!?」
と声をかけるが
「あ、、え、、なに、、、なに、、」
とか細い声で口もほとんど動いていない
真っ先に頭をよぎったのは
ODとアルコール摂取
だけど、この状況はやばい
急がないといけないと
人生で初めての119と110をした
この場合110は必要なかったのかもしれないけど
とにかく必死だった
目の前で異常な出来事が起きている
電話したまま僕は彼女を担ぎ
浴室に連れていった
とにかく温めないと
シャワーで、
そう考えたのだ
だがそれが本当に正解なのか?
わからないままタオルを大量に集め彼女を拭いて温めていた
彼女の目だけが僕を追う
言葉は発しない
数分後に救急隊が到着した
思ったより早かった
僕は邪魔にならないように外に出た
すこし安堵した
警察から色々と聞かれたので
ありのままに答えた
彼女は家の中で
ドライヤーで髪を乾かされ
布団や毛布に巻かれていた
そのまま救急車で県病院に運ばれ
僕も同乗した
病院に着いてからだいたい1時間ぐらい経ち
その間に地震があった
最近は地震も多い
待合室の椅子に座る僕のもとに
担当医の人が説明に来てくれた
ODとアルコールの過剰摂取ですが
発見時に危険だったのは低体温症で
体温が24°Cぐらいまで下がっていたらしい
体中の痣は浴槽から這い出て玄関に行くまでに何度も倒れてできたものらしい、、
今は受け答えが出来るぐらいには回復しました
との話を聞いて
深く深呼吸をした
それから2、30分ほどして
面会出来るとのことで集中治療室に入った
身動きが出来ないぐらいに布団が盛ってあり
温かそうだなと思った
顔を覗き込むと
「あ、、たかゆきさーん」
と
やたらと穏やかでちょっと朦朧とした感じで
ゆっくりした口調で名前を呼んできた
僕は
「もう大丈夫そうだね」
「体温20°Cぐらいまで下がってたらしいよ、無事で良かったね」
と
近くにいる医師を気にしながら自然をふるまっていた
後に
あの時の僕の顔と声はとても優しくて安心した
と
優さんが話してくれた
担当医から一通りの説明を聞いた後、
そこまでの内容をお母さんにメールした
お母さんは、
「ありがとうございます、
娘は泣いていましたか?」
と返信してきた
とても心に刺さる言葉だった
僕は、
優さんは心では泣いていたのかもしれない
と思いながらも
「今はとても落ち着いていて穏やかですよ」
と返事をした
緊急だったのでと
布団や毛布などを持って帰るように看護師さんに言われ
僕は優さんの家に布団を持って帰った
家は水浸しのままで
浴室から玄関までは物が散乱している
よほど起きては倒れてを繰り返したのだろう
目的地は玄関ではなくリビングだったのではないかと思う
浴室とリビングには空いたウイスキーの瓶3本と大量の薬のゴミが置かれたままだった
僕は床を拭きあげ物を整理して帰った
明日も仕事だ
13日の予定は当然なくなり
お母さんが実家から来ることになっていた
優さんの実家は長崎である
優さんとお母さんはそのまま退院し
1日を過ごして2人で長崎に帰った
実家でゆっくり養生してほしいと
お母さんが提案したらしい
その後もLINEやりとりは行われ
優さんからは謝罪と感謝を言われた、
そして優さん自身、死へのためらいや生きる本能なんてものがあったのかと
自分自身に疑問を感じたらしい
僕は、
当然のことをしただけだから気にしなくていいよ
と答えていた
長崎では相変わらずお母さんと食事に行ったりして
ゆっくり穏やかに過ごせたらしい
久しぶりに母親と一緒の布団で寝たりして
なんか恥ずかしかったけど嬉しかった
とLINEが送られてきたりしていた
1月29日には宮崎に行くから
また会おうと言われたので
2月2日に会おうと約束した
29日
優さんから相談があった
メンタルクリニックに行ったら
私近くの総合病院に入院することになるみたい
それで一緒に行ってくれないかな?
とのことだった
僕は最初少し避けようとしたが
その日休みをとり一緒に行くことにした
入院は2月3日らしい
この時優さんから
私また自殺未遂しちゃった
と言われる
僕は、
そういう話は聞きたくないな
とりあえず入院とかあるし
趣味の本とかカメラとか先のこと考えよ
と話した
30日
優さんのお母さんから連絡がくる
優と連絡がつきません、様子を見に行ってもらえないでしょうか?
僕はその日深夜まで仕事なので
仕事終わりの深夜1時ぐらいになるけど行きます
と答えた
また自殺未遂だろうか?
睡眠薬の過剰摂取で丸1日以上寝てるとか
そういう可能性もあるかな
と考えながら仕事をこなした
その間、
優さんのお母さんが
心配で警察にも連絡したらしく
僕は警察の人と一緒に優さんの家に行くことになった
優さんの家に着き
玄関には鍵がかかっている
少し嫌な記憶が蘇りながらも
解錠し、ドアを開ける
電気は点いている
少し暖かい、暖房もついている
警察の人と一緒に靴を脱いで家にあがる
玄関とリビング間のドアが閉まっている
嫌な感じだ
ドアを開けようとすると
、、
、、、
ドアが、、開かない?
押して開くはずのドアが
ドアノブは動くが
押しても開かない
警察の人と一緒に押すと
少し開いて数センチの隙間ができた
中は明るい、、
寝てるのかな
と下を見ると
優さんが倒れている
優さんが倒れているので
ドアが開かない?
「大丈夫ですかー!」
警察の人が呼びかけるも反応がない
こちらに背中を向けた状態で倒れていて
隙間からは顔も見えない
警察の人が本部に連絡を取り
僕は少し離れた
、、嫌な予感しかしない
僕は玄関まで下がり
警察官2人の無線のやりとりを聞いていた
「家に入りましたがドアが開かず
女性が倒れています!」
、、
「首にロープ!」
、、
僕は一旦外に出て
冷たい風を受けていた
少しして
警察官が呼びにくる
「写真を撮るので指差しをお願いします」
僕は
ああ、、そうか、、と
警察官
「もう亡くなってます」
、、
それからは事情聴取のような感じだった
それは仕方ない
自殺と決めつけてはいけないし
その協力者や後押しをした人がいるかもしれないのだから
調べるのは仕方ない
事情聴取の途中
ビニールに入った優さんが運び出された
その後に家に入り
部屋のあちこちを指差しして写真を撮る
優さんが倒れていた顔の位置には
おびただしい血があった
それが何であるのかはわからない
なぜか不思議なほどに冷静で
無感情な自分に警察の人も引いただろうか、、
僕は会社に連絡して
次の日仕事を休んだ
優さんのお母さんにも電話をした
お母さんは泣いていて
長くは話さず、すぐに切った
それから3日後
優さんのお母さんから連絡がきた
優さんの通夜と葬式の件
そして
遺書について
優さんの部屋には遺書が遺されていて
それに
私が今まで一番お世話になって
一番大切に想ってる人
たかゆきさん、
たかゆきさんは
めんどくさいって言って嫌がるかもしれないけど
私の葬式に来てほしいな〜
って書いてある
だから少しだけでもいいから来てほしいと
僕は
告別式は出れませんが
通夜は行きます
と答えた
僕は
悲しみ、怒り、どう表現したらいいかわからない
めちゃくちゃな感情でいっぱいだった
そんな中でも一番に感じたのは
「後悔」だった
なんで?なんで?
と
これを書いてる今も思います
なんで
俺は優さんに死なないでくれと言わなかったのか
そうしたことで何かが変わっていたんじゃないか
なんで
入院大丈夫?時間がある限りは会いに行くからと言ってやれなかったのか
最後の最後まで寂しい想いをさせてごめんね
なんで
会える時に会いに行かなかったのか
絶対大丈夫、なんて思っていたわけじゃなかっただろ
なんで
、
、
なんで
中学、高校の部活の最後の大会が終わった時
もっと練習しとけばよかった
離婚した後
子供達から手紙が届いた時
父親として多くの時間を一緒に過ごせない
過ごしてやれないことを実感し
申し訳なさに悲しんだ時
そんな過去の自分の後悔とは比べものにならない
大切な人を亡くした後悔
こんなにも大切な人だって
今になって気づくんだな
通夜の日、
僕とお母さんは
この日が初対面だった
式場に着き
エレベーターを上がると
家族葬だからか
こじんまりとした部屋に
たくさんの花
正面には優さんの笑顔の写真
ああ、
この写真は、
優さんが何回も見せてくれた成人式の時の写真だ
おそらくは彼女の人生で最高のショットだったのだろう
前列端っこの席に
ただ1人座る人
僕が着くと
その人は立ち上がり
優の母です、と
この度は、、
なんて声もかけれない
ただ自己紹介をし
黙ってうつむいていると
お母さんが
「優に会ってあげてください」と
僕は線香を立て
棺の顔の位置へと歩いた
優さんは
鼻から下は布で隠され
赤くなった顔
その顔の横には
いつも一緒に寝ていたクマのぬいぐるみが添えられていた
なんて声をかけるかは決まっていた
ごめんね、ありがとう
だ
言葉にしようとしたら
声より先に涙が溢れ出てくる
口に上手く力が入らない
泣き声しか出ない
涙が止まらない
こんなのは生まれて初めてで
こうなってまで
僕に初めてをくれるんだな優さんは、、
とにかく泣いて
優さんの家に行った時から今まで、
溜まっていたものが全て出てくるように
恥ずかしさも感じずにただただ泣いた
後ろでお母さんが泣いてたのもわかった
今のこんな感情むき出しの姿の僕を見て
優さんは悲しんでいるかもしれない
いや、
彼女なら
そこまで想っててくれて嬉しい
って、笑ってくれそうだな、、
少し経ってから落ち着いて
お母さんと話をした
成人式の写真について
宮崎での優さんについて
お母さんとのことを楽しそうに話していたこと
クマのぬいぐるみを一緒に入れてくれてきっと喜んでるということ
そしてお母さんから
優さんの遺書を見せてもらった
遺書には悲しさや恨みや苦しみは一切書かれてなく
可愛らしい丸文字で
これまで自分がやりたいと思ったことは全て出来たこと
風俗デビュー、ホスト遊びに整形、カメラの趣味、お母さんとゆっくり過ごす、僕の40歳のお祝い
全部楽しくて良い思いが出来たこと
病気で希死念慮になり情緒不安定なこんな私を一番支えてくれたたかゆきさんには感謝しかありません
私は幸せ者でした
と
書かれていた
読みながら涙が溢れ
何回も何回も読み直した
優さんは病気に負けたとは思わない
良い人生を生きたと想う
僕は、
今のままの優さんを一生忘れない
優さんが望んでいたとおりに
あれからしばらくが経ちました
何かあるたびに
あ、優さんに話そう
これ、優さんに見せたいな
って思っては
もういないんだよね、、
ってなります
綺麗な星空や
夕焼けや風が強い日
ふと立ち止まって
優さんも見てるかな
って思います
救急車やパトカーのサイレンが聞こえる度に
思い出し
同じような人がいるのかなと考えます
さすがに寝る前に質問攻めで話しかけるのは
もうやっていません
優さんが教えてくれた
僕へのメッセージは
INTPの僕にとって
とても大切なことで
後悔するような人付き合いはするな
思ってることは相手に伝えろ
言葉や想いが伝わることは奇跡
全て尊い命だと思え
です
いつか僕が死んだ時
優さんに会えたら
優さんからのメッセージのおかけで
たくさん愛を与えて感じて
後悔のない素晴らしい人生がおくれたよ
と話してあげるのだ
これはそんな
世の中で日常的に起きてる
奇跡的でもなんでもない
リアルな、ノンフィクションな
ただの僕の物語です
ここまで読んでくれてありがとうございました
どうかここまで読んだ人も
後悔なく愛のある人生を
これを読んだ全ての人に
彼女からのメッセージを各々の感性で感じてもらえたらと思います。
命と人生と、今関われている人とのことを
今よりもっと深く広く、考えて感じてほしいです。
そして、今あなたの身近にいる人やこれから知り合う人との全ての貴重なご縁をどうか大事にしてください
言葉や想いを伝えられなくなってから悔いを残さないような
良い人生を