1.講演
地下鉄のホームを出て地上への階段をあがると、ぬるく澱んだ空気と鼠色の空が私を迎えた。湿気を孕んだ風と鈍い陽の光が道行く人々の顔を汗ばませていた。いっそ雨でも降ればこの暑苦しさもぬぐわれるだろうと思われたが、高い湿度にもかかわらず雨の気配は無かった。
私は汗をかきながら早足で通りを歩いた。暑さのせいでかいた汗ではなかった。額に汗をにじませながらコートの前を合わせて歩く私の様子を、すれ違う人は不審そうに見ていたが私は気づかないふりをした。ひどく寒気がしていた。空気の暑さを肌で感じながらも、体の奥底から忍び寄る寒気に私は肌を粟立たせていた。彼女に会いに行くときは決まってこうだった。私にとって彼女に会うことは至上の喜びであったにもかかわらず、その直前になるといつも私は極度の緊張と焦燥と、体の内側を粘度の高い冷えた液体が滴るような感覚に身を震わせていた。
早足で歩いていたために少し息を乱しながら、私は目的地である小さな劇場の門をくぐった。
薄暗い待合ホールにはすでに私と目的を同じくする人々が劇場内へ続く扉の前に列をなしていた。三十人ほどの列の最後尾に私も迷うことなく加わった。
誰もが押し黙り、これから待ち受けるものへ神経を研ぎ澄ませているようだった。それはトラックに乗せられた家畜のようでもあり、刑の執行を待つ囚人達のようでもあった。
やがて係の人間がホールの扉を開け放ち、私たちは無言のままその中へと入っていった。古く毛羽立った絨毯と老朽化した劇場に降り積もった分厚い埃が、私達のたてるすべての音を吸収し、場内に静寂を強いているかのようだった。
ホールに誂えられた椅子に腰を下ろし、幕の下りたステージに目を向ける。200人は収容可能なホールに30人弱の人間が、思い思いの場所に押し黙ったまま座っている。
もうすぐ彼女が出てくるのだという想いに、私は歓喜と共に身震いした。古ぼけた劇場の椅子に身を沈め、自分の思考に少しずつまとまりがなくなっていくのを感じながら、焦燥にも酷似した期待が身体中を満たすのを味わっていた。
突然、場内の明かりが消えた。開演を告げるブザーも無く、アナウンスも無く、私たちは自分の手すら見えない暗闇の中で息を潜めた。暗闇と静寂の中で、わずかな衣擦れと機械の駆動音、すなわち舞台の幕が上がる音を耳が捉えた。それと同時に、私は自分の心臓が恐ろしい速度と強さで脈打っていることに気付いた。
ステージにスポットライトが灯った。青みがかった薄暗い光の輪の中に女が立っているのが見えた。
彼女だ!
彼女の姿を捉えた瞬間、私は、いや私達はすべてを忘れ彼女に見入った。
彼女の顔を文章で描写しようと試みて、私は何度挫折したかしれない。彼女の目鼻立ちを表現したどんな言葉も、真に迫るものは無いだろうと思われた。私に言えるのは、彼女は美そのものであったということだけだ。彼女は今までに私が出会った他のどの女性とも比較にならないほど美しかったばかりか、彼女の美はどんな美術品や芸術品をも超越していると私は確信していた。雄大な自然の景色や宝石の輝きや貴金属の反射する光が孕む微妙な色彩など、すべての美しいものが彼女という存在に凝縮され、肉体という器から少しずつ溢れ出しているかのようだった。美しさを纏うのでもなく装うのでもなく、その身の内から溢れ出る美そのものが見るものを圧倒し、縛り付けていた。
私たちは食い入るように彼女を見つめた。その場に居る誰も一言も発することはできなかった。彼女は容姿だけでなく、その声、所作、わずかな視線の動きに到るまですべてが圧倒的美しさの権化であり、それをさえぎることは神の意思に背くも同然なのだった。
彼女は私たちを見回してゆっくりと一礼し、ステージの中央に置かれたマイクの前に立った。そしていつものように取り留めの無い話を始めた。今日の一つ目のテーマは「街の不燃ゴミ排出量の増加について」。
これが彼女の「ステージ」だった。彼女はマイクの前で環境問題や世界情勢や労働における男女の格差などについて滔々と語り続ける。話の内容は毒にも薬にもならないようなごくありふれたものだったが、それについて注意を払っていた人間などいなかっただろう。ステージを見つめる観客にとって重要なのは彼女の美しさを己の五感を用いて存分に享受することだけであり、話の内容などよりも一語一語を発する彼女の唇の動き、柔らかな声、見開いた目の奥の瞳の色、優しげでありながら自信にあふれたその表情をいかに細部まで観察するかがすべてなのだった。そんな観客たちの目を感じているのかいないのか、彼女はひたすらに国内のごみの排出量の推移についてテレビのコメンテーターの平均値のような意見を述べ続けていた。
私はステージ上の彼女に全神経を傾けていたはずだったが、不意にステージ近くの席の人影が動くのに気がついた。その人影は不意に立ち上がると、手にしたバッグから何かを取り出した。私がその後ろ姿をぼんやりと見つめている中、その人影は手に持っていた何かをステージ上の彼女に向かって投げつけた。
狙いは恐ろしく正確だった。観客席から投げられたそれは真っ直ぐにステージ上の彼女の額に向かって飛んでいき、一瞬の後に彼女の顔の右半分に黄色い液体をぶちまけた。
観客席から投げられたのは生卵だったようだ。彼女が話すのをやめたことで、場内に一瞬の静寂が降りた。彼女は感情の読めない表情のまま自らの頰に触れた。それを見ている私はと言えば、事態が飲み込めたと同時に湧き上がって来た怒りに体を震わせていた。彼女の安否が心配であることはもちろんだが、それ以上に彼女の美しさが損ねられたかもしれないということに義憤にも似た感情を抱いていた。彼女が傷を負ったり、それによって彼女の美が損なわれることなどあってはならないのだ。他の観客たちも同じだったのだろう。何人かの客はその場で立ち上がり、場内全体に急速にざわめきが広がりつつあった。
しかしそのざわめきはステージ上の彼女が発した咳払いによってピタリと止んだ。私たちは一斉に彼女に注目した。彼女は無言のままハンカチを取り出して顔を拭うと、黄色いシミのついた上着を脱ぎ捨てた。そしてそのままマイクに向かい、それまでしていた話の続きを話し始めた。私たちは一瞬呆気にとられたものの、すぐに彼女に集中し始め、立ち上がっていたものは座席に腰を下ろした。
妨害を物ともしない彼女の強い意志に胸を打たれたなどと言い訳するつもりは無い。結局のところ私たちの目的は彼女の美しさを味わうことなのだから、それに優先することなど存在しないのだ。彼女さえ、いや彼女の美貌さえ無事であるのなら犯人探しなど後で良い。私たちは今はただ餌を与えられる家畜のように彼女の美に群がるのだった。
予定通りの時間でステージが終わり、彼女は壇上から消え、私たちは現実に戻った。観客達が何事もなかったかのようにそれぞれ帰途につく中、私は最後まで講堂に残っていたが、犯人らしき人物の顔を見ることはできなかった。予想はできていたことだった。彼女のステージで毎度起こるなんらかのハプニングに対して私ができるのは、ただそれを眺めていることだけだった。今までも何度も繰り返してきたことだった。
私が彼女の奇妙な講演会に参加するようになったのは、会社の同僚に誘われて講演を聞きに来たのがきっかけだった。彼女の顔を一目見た瞬間、私は何度でもこうして彼女の話を聞きに来る必要があると感じた。若い頃に経験した一目惚れのようなものとは違うと思った。それはもはや義務感にも近かった。これほどまでに美しいものがそこにあることを知りながら、気づかないふりをしていることなど自分の人生への不義であるとすら感じた。
彼女は若い政治家志望の運動家であり、そしてそれが彼女について私たちが知っていることの全てだった。不定期に送られてくる彼女の講演会への招待状には彼女の簡単な来歴が書かれていたが、そこには若くして政治の世界を志したことと、出身である地方の大学の名前があるだけだった。だがそれを問題にするものなどいなかった。私は断言できるが、彼女の講演を聞きに来ている者達の中で、彼女の政治的な活動の内容に対して興味を抱いているものなど一人としていなかっただろう。初めの頃は私も彼女の話す内容や政治的立ち位置について関心を持とうと努力したが、それもすぐにやめてしまった。正直なところ、政治に疎い私から見ても、彼女が講演会で熱心に話す意見や主張は独創性に乏しく、付け焼き刃とすら言えるようなお粗末なものだった。他の人間が同じ内容を喋る会を開いていたとして、私が興味を惹かれそれに参加しようなどと思うことは万に一つもなかっただろう。
だが、彼女にはその美貌があった。私達は全員、彼女の姿を見るためだけに講演に足を運び続けた。直接言葉を交わしたこともない相手にこれだけ強く心惹かれるなど、私には初めての経験だった。それは私にまるで十代の頃に戻ったような若く浮き足立つような気持ちをくれる一方で、そうした感情につきものの不安と焦燥をもたらした。
実際のところ、あれだけ美しい女性が名前も広がらず、うるさいマスコミからも放って置かれているという現状はいつ失われてもおかしくないものだと思われた。私はいつか彼女の美しさがより多くの人々の知るところとなり、彼女を直接目にする機会が失われてしまうのではないかと恐れた。だが、そんな私の危惧を尻目に、彼女の講演会は規模を変えないまま細々と続いていた。
私がそれに気がついたのは、私が参加するようになって5回目の講演会だった。
私達がいつものように彼女に釘付けになっているところに、突然悲鳴をあげた人間がいたのだ。か細く短い声だったにもかかわらず、私にはその声がやけにはっきりと聞こえた。実際には悲鳴をあげた人間は私の席からは離れた場所に座っていたのだが、まるで音量を絞ったスピーカーが耳元で音を発したかのように、私の耳はその空気の振動を捉えた。
ステージの上の彼女はその悲鳴のために話をほんの一瞬やめ(それは私にとって自分でも意外なほど不快なことに感じられた。夢中になっていた心地よい音楽を突然止められたようなものだ)、眉をひそめたが、それ以上聴衆から動きがないと見るとまた話に戻った。それ以降は特に何も無くその日の会は終わった。
帰りの道すがら、私はあの悲鳴について考えた。実を言えばそれ以前にも講演の途中に声を漏らすものはいないわけではなかった。しかしそれはあくまで彼女の美しさに対する驚嘆の声や感動のため息などだった。今日の悲鳴もその延長なのだろうか。確かに彼女ほどの美に出会えば悲鳴のような声を上げるほどの驚嘆や陶酔も起こりうるだろうと思われた。しかしあの悲鳴には少なからず恐怖の響きがあったようにも私には感じられたのだった……。
その次の会合は一ヶ月後だった。再び私達は古い劇場に詰め込まれ、じっと彼女の話に聞き入っていた。だがその日の講演も終わりにさしかかった頃、場内に突然ヒステリックな笑い声が響き渡った。
私は首をかすかに動かして笑い声の主を見た。私が座っている位置からごく近い場所で初老の紳士が一人、真っ直ぐにステージを見つめたまま笑い声をあげていた。奇妙なのは彼の表情だった。劇場中に響き渡るほどの笑い声をあげているにもかかわらず、その顔に笑みは浮かんでいなかった。不自然に持ち上げられた口角、赤黒い口腔。彼の目はステージの上の彼女に釘付けになっていたが、一度ぎょろりと動いてこちらを一瞥した。一瞬、私にはその目がまるで助けを呼んでいるかのうように見えた。もしかしたら彼は何かの発作を起こしていたのかもしれなかった。
しかし私がその声の主に対して抱いた感情は怒り以外の何物でもなかった。彼はその無遠慮な笑い声で彼女のステージを邪魔したのだ。仮に彼になんらかの事情があってそうした声を上げざるを得なかったのだとしても、それでその罪が帳消しにはならない。私は、いや私たちは皆、彼に怒りの視線をぶつけた。
ステージの上の彼女は笑い声の主をしばしの間見つめていたが、やがてマイクに向かって咳払いをした。それを合図にしたように笑い声がピタリと止んだ。笑い声を上げていた当人は放心したように前を見たまま動かなかった。ステージ上の彼女がもう一度咳払いをしたので、私は彼女の声につられて彼女の方に目を向けた。彼女は一度私たち全員を見回し、皆の視線が自分に向けられていることを確認すると、それまでの続きを話し始めた。私たちは何事も無かったかのように彼女の声に聞き入った。
それからは毎回何かしらのハプニングが起こるようになった。
笑い声の次は怒鳴り声だった。彼女を罵倒する声が後ろの方の席から響き、それは少なくとも三十秒のあいだ続いた。その次は突然古い軍歌のような歌を歌い始める人間が出た。歌った人間は二番と思われる箇所まで歌うと突然立ち上がり、走って劇場を出て行った。その次は初老の女がいきなり犬の鳴き真似を始めた。彼女もまたひとしきり鳴いた後、ゆっくりと出て行った。毎回起こるハプニングはだんだんとその異常性と規模を大きくしていることに、皆が気づいていた。
しかしたとえどんなハプニングが起ころうと、私たちは最終的にはそれを無視し、彼女の声を聞くことを優先した。当然のことながら彼女のステージを邪魔されることには強い不快感があったが、当の彼女はどんなことにも動じずに公演を続けたのだ。それは正しいことだった。私たちにとっても彼女の話を聞くこと以上に重要なことなど存在しない。突然奇行を起こす人間に対してどれほど憤りや嫌悪感を抱いても、彼女の声で私たちはすぐに元の世界に連れ戻されるのだった。
しかし、ある日のステージでついにそれが起きてしまったのだった。