正義と悪の休日
正義の味方とは、実のところ暇である。
もしも学生ならば、学業に勤しむべきだろうが、青年はとうの昔に学生を卒業していた。
では、何か別の仕事をして居るのかどうかで言えば、別にしていない。
強いて言えば、正義の味方ごっこが仕事と呼べる。
とは言え、そう毎日毎日は悪の組織も計画が実行出来ない。
当然ながら、準備には時間が掛かる。
その間には、何も無い。
ただ、仕事の報酬は個人が貰うには多額であり、食い扶持には困っても居なかった。
其処で、ただ寝ているというのも勿体ないと思ったからなのか、青年はふと本屋に立ち寄っていた。
行こうとすれば何処へでも行けるが、特に行きたい場所が無い。
長らく悪の組織と戦う内に、とっくに世界巡りは済んでいた。
何かの本でも見繕うかと、店内へと入る。
「いらっしゃいませー」
店員の声を軽く受けつつ、何かないかと物色を始める。
幾つかの本棚を回った所で、青年はある姿を見つけて居た。
「……ん?」
鼻を唸らせる青年の目線の先には、派手な髪色の少女が棚で何かを必死に探している。
困っている様でも在るが、その髪色と派手な服装の趣味には記憶が在った。
本人はバレていないつもりかも知れないが、大幹部の一人である。
何故に悪の大幹部が本屋に居るのか。
別に法律に【悪の組織は本屋に来てはいけない】という法も無い。
「ウーンと……」
「よ」
本棚を睨んでいた少女だが、ふと掛けられる声に反応する。
見てみれば、其処には知らない男が立っていた。
当たり前の話だが、いきなり知らない誰かが声を掛けて来たら訝しむのも無理はない。
「……なんだよ、なんか用なのか?」
ぞんざいな対応に、青年は自分を指差す。
「いやいやいや、俺だよ俺、ほら」
そう言われた少女は、ますます顔を渋くした。
キッとした目付きに、眉間にシワが寄り、口はムッとする。
そんな少女の反応に、青年もある事に気付いた。
「あぁ、そっかあ……ほら」
言いながら、青年は自分の手で顔を隠す。
目だけがチラリと覗いている訳だが、そんな様に、少女の鼻がウンと鳴った。
「……あ!」
「ようやく思い出したか?」
なんと、悪の大幹部と正義の味方が、本屋にてバッタリと遭っていた。
「て、てめぇ……」
熱り立つ少女を他所に、青年は、彼女が見ていたであろう棚を見る。
「なになに? ラブレターの書き方指南? こらまた可愛いな」
思ったままを言う青年だったが、言われた少女はと言えば顔を真っ赤にしてしまう。
「あ~、そっちの親分宛か? 彼奴はイケメンだからな」
ポンと思い付いた宛先を言うと、真っ赤だった少女の顔は、急に苛立った様な色へと変わった。
「……っ……うっさいバーカ」
「おっと……」
怒ってしまったのか、少女は青年を押し退ける。
そのままスタスタ歩いていくが、ふと、その足は止まっていた。
見送るつもりだった青年にしても、何事かと背中を見ている。
「……おい」
「お?」
「ちょっと……顔貸せよ」
ある意味では、不良が相手を喧嘩に誘う文句なのだが、青年にして見れば新鮮であった。
まさか、悪の大幹部から呼び出しを食らうとは思っていない。
どうせ暇潰しにと来た訳である。
苛立つ大幹部に付き合うのも、青年にしてみればそれで良かった。
✱
店外へと出た二人。
揃って歩いては居るが、別に仲良しという訳ではない。
「さぁて、と? 何処でおっ始める? 此処じゃあれだが」
流石に、青年も駐車場で喧嘩は出来ない。
もしやろうものなら、周りの一般人に多大な被害が出るだろう。
戦うならば、人気の無い所まで行きたいが、そんな青年の方へと、少女は顔を向けていた。
「お前……そんな顔だったんだな」
「あん? あ~、まぁね」
顔の造りに付いて言えば、青年には自信が無い。
そうは言っても、別に顔で仕事をしている訳でもないのだから、其処まで気にする事でもなかった。
並び立つ正義の味方を、ジッと観察する大幹部。
「ところで、お前、持ってるか?」
「お?」
「車だよ、持ってるか?」
「……うーむ」
唐突な大幹部の質問に、青年は答えに窮する。
車を持ってるかと問われたが、実は持っていない。
何故かと言えば、その気になれば走った方が速いからだ。
必要が無ければ、持つ意味が無く、持とうとも思えなかった。
「あ~と……今、此処には持って来てないんだよなぁ」
如何にも取って付けた様な言い訳である。
そんな青年の声に、少女は眉の片方を器用に上げた。
「じゃあどうやって来たんだよ?」
素直に答えるなら【歩きです】と言うべきだろう。
ただ、面子の為か、青年は必死に頭を巡らせて考えていた。
「そ、そういうソッチはどうなんだ?」
「……ん」
「……ん?」
若干慌てふためく青年の声に、少女はある方を指差す。
どれどれと見てみれば、其処には愛車なのかド派手な改造が為されたバイクが止まっていた。
元々は古めなアメリカンタイプなのだろうが、原型はほぼ無く、果たして車検の通るのかは実に怪しい。
多少見た目が怪しかろうが、大幹部は愛車を停めていた。
燃料タンクに描かれた炎柄が、実に持ち主に合っている。
いつもならば勝っている筈の青年も、この時は負けた様な気にさせられてしまう。
「……お前、ホントは車なんて持ってないんだろ?」
覆面をしていれば、顔は隠せるが、今の青年は顔を剥き出しにしていた。
だからか、少女からも青年の顔は良く見えている。
「そ、そんな事ないさ……」
「図星なんだろ? うん?」
横を向くなり、ズイと顔を寄せて来る少女に、青年は目を泳がせてしまう。
「い、いやぁ、持ってるよ? ちゃんと……」
「じゃあ何処のメーカーだよ? なんていう車種?」
必死に目を泳がせれば、駐車場の車が偶々目に入る。
「あ、び、びーえぬ、だぶりゅー……かな?」
「へぇ? BNWのなんてクラス? で色は?」
続く追い打ちに、青年は口を閉じるしかない。
下手に言い訳をしたところで、余計に見苦しいだけである。
アレを持っている、コレを持っていると言うだけならば出来るが、証明が出来ない。
今すぐ買いには走れるが、それでは持っているとは言えない。
「あ~、え~と……」
必死に腰と顔を逸らす青年に、前のめりに成っていた少女はフフンと鼻を鳴らし笑って見せる。
その笑顔は、試合に勝ったというドヤ顔であった。
こうなると、青年も肩を竦めて見せる。
「……あ~あ、はいはい、持ってませんよ。 すんませんね」
てっきり一勝負する筈が、興が削がれる。
なんだかボロ負けした様な気分にさせられた青年は、そそくさとその場を離れようとするが、動けない。
何事かと見てみれば、少女の指先が青年の衣服を摘んでいた。
「なんだよ、まだ何かあんのか?」
「お前、どうせ暇だろ?」
「……だったら、なんすか?」
「言ったよな、ちょっと顔貸せって」
どうやら、少女の言う顔を貸せは、喧嘩以外にも意味があるらしい。
スタスタと歩いて自分のバイクに跨ると、大幹部はペシペシと自分の後ろを叩く。
「ん」
「ん?」
互いに何とも言えない音を発するが、会話になっていない。
先に業を煮やしたか、少女はムスッとした。
「乗れよ」
「えぇ……」
青年にとって、少女の声は予想を超えていた。
まさか、大幹部から後ろに乗れという。
無論の事、仮にバイクに二人乗りをしても問題は無い。
ただ、乗れという事に驚いていた。
✱
車に二人乗りするのと、バイクに二人乗りするのとでは訳が違う。
先ず座席が無い以上、必然的にシートに二人が跨る訳だが、その距離は車に比べて著しく近かった。
何度も勝利した相手には背を向けたくなかった青年は、渋々促されるままに乗るのだが、実に困ってしまう。
何せ距離が近い。
加えて、掴まろうにも何処にもそれらしい物が無い。
少女の肩を頼ろうとすれば出来なくはないが、気が引けた。
常識外れの膂力が在るからこそ、別に振り落とされはしないが、実に何とも言えない絵面である。
「ぅおーい! 何処に連れてくつもりだよ!」
大きなエンジン音が響いている以上、声を大きくせねば運転して居る少女には届かない。
青年からの声に「黙って乗ってろ!」とピシャリと一蹴された。
知らぬ者が見れば、少女の操る大きなバイクに青年が乗せられている様に映る。
それを見た者の多くは【逆じゃね?】と思いはすれど、実際に乗っている側にすれば、仕方なくであった。
悪の大幹部と正義の味方が、同じバイクに乗っている。
そんな微妙な光景だが、内情を知る者は居ない。
暫くの間、二人を乗せたバイクはひたすらに走る。
本当に人気の無い場所へでも行くのかと考えていた青年だったが、寧ろ、大幹部の操るバイクは人の居る方へと向かう。
「うーん?」
程なく、遠くだった観覧車が近付いてくる。
其処はどうやら何処かの遊園地らしいが、始めはその横を通り過ぎるものと考えていた。
だが、二人を乗せたバイクは徐々に遊園地へと近付いて行く。
「うう~ん?」
ますます青年は鼻を唸らすが、なんとバイクはその駐車場へと入って行ってしまった。
✱
先にバイクから降りた青年にすれば、少女の意図が解らない。
何故に、自分は此処へと連れて来られてしまったのか。
当然の様に周りには他の客も多い。
とてもではないが、二人が戦いを始めれば巻き込まれてしまう。
「おいおいおーい、こんなとこじゃ無理だぞ?」
青年の苦言に、少女は被っていたヘルメットを取り去った。
何度か頭を振ると、髪の毛は何時もの形へと戻る。
「何だお前、喧嘩の方が良かったのか?」
少女の質問に、青年はグムムと唸るのだが、直ぐに口を開いていた。
「いやいやいや、そうじゃくてさ、何で此処には来たんだって聞いてんだが?」
正義の味方としては、悪の組織と戦うのが仕事と言えなくもない。
とは言え、今の二人は職務を離れている以上、休みと言えなくもなかった。
であれば、対峙する理由が無い。
「来たいから来たんだよ」
そんな声は、更に青年を混乱させた。
言葉をそのままに受け取るなら、少女は青年を遊園地へと誘った、という事になる。
コレだけを見れば、そう大した事ではないのかも知れない。
「ところでお前、流石に財布は持ってるよな?」
「え? そらまぁ」
バイクから降りた少女は、青年の前に腕を組んで立つと、ウンと一回頷く。
「じゃあ奢れ」
「はあ? なんで俺が」
何を何処で間違えたのか、悪の大幹部は正義の味方に奢れという。
「なんだよ、まさか一文無しなんて事はないだろ?」
普段は怒った顔しか見せない大幹部だが、この時は何とも言えない顔を覗かせる。
強いて言えば、困っている様にも見えた。
迷った子犬の様な顔を見せられては、流石の青年も嫌とは言い辛い。
ハァと長く息を吐く。
この場では明かせないが、大幹部のお陰で稼いでいる事も事実であった。
であれば、多少の出費はやむ無しと自分を説得する。
「……しゃあねぇなぁ……んじゃま、ちょっとだけな」
そう言う青年は、溜息から目を伏せて居たことから前が見えていない。
目の前で腕を組んでいた少女は、目を爛々と輝かせていた。