見えない努力
警告音が鳴り響く兵器の中を、疾走する影が在った。
余りに速すぎる為に、残像しか見えない。
ただ、唐突に覆面は足を止める。
速度が速過ぎたせいか、まるでタイヤ痕の如く跡と甲高い音が鳴っていた。
「やっべ……どっちだ?」
意気揚々と乗り込んだは良いが、内部の構造など知る筈も無い。
其処で、覆面は担いだままの総統の尻をペチペチと叩いた。
「おい! 起きろ! おーい!」
そんな声に、ぐったりとした総統からは呻きが漏れる。
「どっかに脱出用の……あ~、ぽっど? ふね? もう何でも良いからなんかねぇのか?」
覆面にすれば、例え身一つで大気圏に突入しても、生還自信は在った。
ただし、そんな事をすれば総統は黒焦げでは済まず、蒸発するだろう。
「どうして…」
「はぁ?」
「何故、私を助けるんです?」
「んなもん後だ後! なんかねぇのか!」
覆面の急かす声に、総統は顔をあげた。
「もう少し……先に」
「もうちょい? オッケイ」
ヒョイと片脚上げると、それを振り出す勢いで走り出す。
その加速度は、担がれた総統が今一度気を失う程だった。
✱
総統の声に嘘は無かった。
覆面の目にも【脱出用】という文字が見える。
幾つか在る内の一つが無くなっていたが、ソレは気にすべきことではない。
近付くと、開いている其処へと総統を投げ込む。
相手も一応は悪の総統である以上、多少は頑丈だという事から配慮に欠けていた。
「よっしゃあ、そんじゃあまぁ、とっとと……」
後は逃げ出すだけなのだが、ふと覆面はある事を思い出す。
「あ、やべ」
問題として、何処かで誰かが倒れていたならどうなるか。
地上ならば周りの人が救急車を呼んでくれるかも知れない。
では宇宙にある悪の組織の巨大兵器の中ではどうかと言えば、電話したところで救急車は来ない。
「たくよぅ!」
脱出せずに、また走り出す覆面。
何故にかと言えば、自分が倒してしまった大幹部達を忘れていた。
下手をすれば、数時間は気絶して居るかも知れない。
このままでは大幹部達は兵器と共に木っ端微塵である。
本来ならば、仮に見捨てた所で何も言われないが、覆面は慌てて大幹部達を回収に向かっていた。
ただ、覆面が如何に急ごうとも、時間は無情に過ぎていく。
それを告げる様に、音声が危険を叫んでいた。
『動力炉が危険な状態です! 搭乗員は速やかに退避してください!』
いつ爆発してもおかしくはないが、後どれ位という表現が無い。
その事からか、四人もの大幹部を抱えた覆面は声を荒らげていた。
「危ないなんて解ってんすけどねぇ!!」
勢いを殺しつつ、脱出艇へと乗り込む。
流石に減速無しに突っ込んでは、担いでいた四人がバラバラになり兼ねない。
何とか全員を運び終えた所で、覆面は中を見渡すと、なんと赤くチカチカと光るボタンを見つける事が出来た。
「コレか!」
バンと叩くと、開いていた出入り口がスッと閉まる。
瞬き程の時間を置いて、脱出艇は動き出していた。
✱
巨大な兵器の一部から、煙と共に小さな脱出艇が飛び出すが、あまりの大きさの差から、ほぼ目立たない。
兎も角も、脱出を果たした艇の内部では、覆面と共に5人もの人間が乗り込んでいた。
そんな中でも、意識を保っているのは総統と覆面だけである。
急激な加速度にも関わらず、二人は顔を見合わせていた。
「やはり……不思議な人だ、何故彼女達を?」
ガタガタと凄まじい振動は在るのだが、さして気にした様子が無い覆面は、フンと息を吐いていた。
「あん? 何も死ぬこたぁねぇだろ?」
「しかし、我々は悪の組織ですが?」
総統の疑問に、覆面からは軽い笑いが漏れる。
「どうだかなぁ? 俺からすれば、あんたら悪党っつーよりも、ワルって気がするけどなあ」
悪の組織に対する自分の印象を明かす覆面。
だが、その言葉だけでは、総統の疑問は解消されない。
「それは、どういう……」
総統の声に覆面が答える前に、5人を乗せた脱出艇は、大気圏へと突入し火に包まれていた。
✱
衛星軌道上の巨大な兵器は、本来の役目を果たす前に爆散する。
ソレは、ある意味世界で一番大きな花火であった。
対して、真っ黒に焼け焦げた脱出艇は、何処かの海へと墜ちる。
大きな水柱を跳ね上げつつも、形は保たれていた。
地球へと無事に帰還を果たした脱出艇。
そんな出入り口が、ドカンと音を立てて飛ばされる。
開けるのが面倒だったのか、覆面が中から蹴り開けていた。
ヌッと身を乗り出すと、外を眺める。
「うーん……見渡す限り、大海原ってな」
そう言うと、覆面はチラリと後ろを振り返る。
まだ意識を取り戻しては居ないが、そんな大幹部達を介抱する総統。
「んじゃあ、まぁ、さっきの話、考えて置いてくれよ?」
そう言う覆面に、総統は顔を向けると目を丸くした。
「此処から泳ぐつもりですか? 陸までどれだけ在ると」
「あ~、別にソレは良いんだ。 それよりも、そっちのお嬢さん達が目を覚ましたら、面倒臭い事になるだろ? そうなる前に、俺様は退散させてもらうぜ……っと!」
別れの挨拶とも呼べない言葉を残すと、覆面はパッと脱出艇から跳び出す。
総統からは泳ぐ気かと問われたが、別にそんなつもりは無い。
水面を走る事が出来るのか言えば、物理的には可能である。
バジリスクという蜥蜴は、1秒間に8回も水面を蹴る事で、水上歩行を可能にしていた。
但し、それは軽い蜥蜴だからの話である。
では、覆面はどうかと言えば、一蹴りの勢いが違った。
ドンと水面を蹴る度に、機雷でも爆発した様な水柱を跳ね上げながら、水上を走って行く。
そんな光景に、総統は唖然とさせられた。
「あんな怪物に、勝てる者は居るんですかね……」
負けたからこそ解る、覆面の異様な迄の強さ。
怪物振りをまざまざと見せ付けられ、総統は息を吐いていた。
✱
何処かの島。
其処には、偶々船で漁をしていた老人が網を引く訳だが、ふと老人は何かに気づいた。
遠くから、派手にブチ上がる水柱。
よくよく目を凝らせば、水上を駆けてくる者が居る。
実に非日常的な光景にポカンと口を開ける老人だったが、水の上を走っていたであろう人物は、ドンと大きめに跳ぶと、船の上へと降り立った。
腰を曲げ、膝に手を付き、息を荒くする。
傍目には何処かで全力疾走でもして来た様だが、間違っては居ない。
ただ、走って来たのが海面である。
「あんれまぁ、あーた、水の上走ってたんか?」
「え? あ~、まぁ、そっすね」
ハァハァと肩で息をして居るが、老人にして見れば実に相手は怪しく見えていた。
そんな覆面で顔を覆い隠す人物は、ふと顔を上げる。
「あー、すんませんけど、日本って……どっちですかね?」
まるで道を尋ねる様な口振りにて、そんな事を聴いてくる。
老人にすれば、何を聞かれて居るのか疑いたく成った。
「ニッポン? ずーっと北東の方だけんども?」
地球の地理に付いて言えば、世界地図程度は見た事は在った。
その意味で言えば、老人は別に嘘は付いていない。
ただ、正確な距離に付いては知ろうともして居なかった。
「北東かぁ……じゃあ、まだ掛かるなぁ」
まるでコレから歩いていくとでも言わんばかりの覆面だが、流石に疲れていた。
既に数百キロは海面を走っている。
それで疲れない方がどうかしているだろう。
早速行くべきか迷う覆面だったが、偶々老人が聴いていたらしいラジオの音に気付いても居た。
古めかしいラジオからは、雑音混じりの歓声が聴こえる。
『……皆様! ご覧いただけましたか!? あの空に浮いていた要塞が木っ端微塵に爆散したのです!』
どうやら、先程起こった爆発は目立っていたらしい。
『お! 今、世界を救った救世主が、降り立った様です!』
ラジオからは救世主の帰還を告げる声が響く。
そんな声に、老人をハハァと声を出していた。
「はぇ~、世の中にゃあ、偉い人が居るもんだなぁ」
全く関係が無かった老人にすれば、何が起こっているのかは知る由もない。
ただ、聞こえた事への感想を漏らすのみ。
ただ、同じ船の上でそれを聴いていた覆面はと言えば、ストンと腰を落として座り込んでいた。
「お? 兄ちゃん? どした急に?」
心配そうな老人に、覆面は顔を覆う布を取り去る。
「いや、なんか、疲れました」
「そらそうだろ、どうやってた知らんけんども、海の上なんぞ走ったら、そら疲れるわなぁ」
「はは、そっすねぇ……」
老人の気遣いに、青年は乾いた笑いを漏らす。
疲れたと言えばそうなのだが、その疲れは実は直ぐに消えていた。
無尽蔵の力が在るからこそ、身体の疲れは無い。
それでも座り込んでしまったのは、精神が疲れ果てたからだった。
確かに、自分達正義の味方は、悪の組織を倒しはした。
ただ、方法として青年の仲間二人は、組織と戦うのではなく、敵の巨大兵器を中から壊す事で達成しようとしていた。
問題なのは、それをする前に一切の連絡が無かった事である。
青年には何も言わず、動力炉を壊して自分達だけサッサと脱出したであろう二人。
そんな二人だが、地球を救った者として称賛を受けている。
其処には、覆面で顔を隠した青年の活躍に対する言葉は無い。
その事が、青年に脱力感を与えていた。
真っ青な空の下、青年は鼻を鳴らす。
「ばっかくせぇよな、正義の味方なんざ、やるもんじゃあねぇや」
手柄わ取られたからの愚痴ではない。
見えない努力は報われないという事への想いだった。