転機
少女の目には、有り得ない光景が見えた。
どんなに自分達大幹部と悪の組織が尽力しても、とうとう倒せなかった青年。
そんな彼が、カエデの目の前でどうと倒れてしまう。
最初の数秒は、何が起こっているのかを理解出来なかった。
頭の中では【そんな筈が無い】という言葉しか浮かばない。
思わず、少女は近寄って身体を揺すってみる。
「おい、こら……何寝てんだよぅ? 立てるんだろ? 演技だろ?」
カエデの口からは、こうであって欲しい、そう言う願望が漏れていた。
願望だけでなく、涙も溢れ落ちて行く。
「起きろって、なぁ? まだ、あたしたちなんにもしちゃいないんだぞ? どっか行ってさ、遊んで……キスとかも」
戦闘中にも関わらず、少女は場違いな発言を繰り返すが、それは彼女の動揺を示してもいる。
頭に考えが浮かばないからこそ、そのままに口からは出て行ってしまう。
「ヒデオ……起きろって、おい」
必死に揺さぶるが、それだけだった。
天下無敵、食物連鎖の頂点とも謳われる青年も、倒れてしまえばただの青年に過ぎない。
ただ、それは周りにも見えていた。
うつ伏せに倒れる青年に、少女が縋り付く様を見ても、ナオトには感慨深いとは言えない。
寧ろ、相手が動かない機会と言えた。
「お? なんだよ、もうやる気が失せちまったか?」
そんな挑発にも、カエデは慌てて青年を庇おうとする。
「死体護ったってよ、なんも無いだろう……よ!」
動く気がないのであれば、狙う事は容易い。
青年に向かって雷を放てば、少女は自ら当たるだろう。
本来ならば、全身に火を纏える少女でも、やる気が無ければそれが出せない。
意気消沈した心根では、炎も言うことを聞かなかった。
但し、周りには誰も居ないという条件付きだが、今はそうではない。
放たれた雷だが、カエデには当たらない。
その代わりに、前に立ったアヤの影がソレを飲み込んでしまう。
「あ~! 面倒くせぇのが居たっけなぁ!?」
ナオトは、自らの力を飲み込むアヤが得意ではない。
自慢の雷を放った所で、彼女の力はソレを飲み込んでしまう。
相性とは時に絶対的な効力を示していた。
以前に、アヤとカエデは自ら決着を着けようと試みたが、それは勝敗が着かずに終わっている。
「……あや?」
「此処は抑えるから、早く!」
普段ならば、声を荒らげる事が無いアヤも、この時ばかりはソレを張り上げていた。
ハッとしたカエデは、慌てて青年を動かそうとする。
「んぬぁ! こんの!」
ただ、此処で問題なのは、意識の無い人間は、思いのほか重いという事だった。
火を意のままに操れた所で、意気消沈していれば力は満足に振るえない。
必死に引っ張っても、青年の身体は僅かにしか動いてくれなかった。
見ている側にすれば、それは無様この上ない。
「……あ~らら、悪の組織なんつっても、こんなもんか?」
ナオトにすれば、今更青年に拘りは無い。
既に倒した以上は死体に関わるのは時間の無駄である。
後は、この場に集まった悪の組織をどう料理すべきか。
と、そう考えるナオトに、氷の塊が降った。
雪の一粒ならば、別にどうと言う事も無い。
ただソレが数トンにも及ぶであろう塊ならば、話は違う。
ポーンと軽く跳び、落ち来る塊を避ける。
と同時に、大幹部二人も追い付いていた。
「ほら! サッサと行ってよ!」
「此処は、コユキと私、それにみんなが預かったから!」
大幹部二人の声に、アヤが頷く。
敵に背中を平然と見せる訳だが、ナオトが追撃しようにも、悪の組織がその行く手を塞ぐ。
「上等だ……皆殺しにしてやるよ」
ニヤリと笑う口からは、そんな物騒な声が漏れ出る。
この時点で、ナオトは自分が【人食いの化け物】と化している事には、気付けて居なかった。
✱
倒れた青年の側に駆け寄ると、アヤがその腕を持ち上げ、肩を組む。
「カエデ! 手伝って!」
夜の闇の中ならば、ある程度は自由自在に動けるアヤも、日が出ている内はそうも行かない。
彼女の持つ力は、身体能力までは変えられなかった。
普段ならば滅多に見せないであろうアヤの剣幕に、カエデも慌てて袖で涙を拭う。
泣いていた所で、化け物は止まらない。
急ぎ自分も青年のもう片方の肩を組むなり、グッと膝を上げた。
「でも、どうするんだよ……」
いつのは気丈なカエデも、この時ばかりは声が弱い。
何よりも【彼は既に死んでいる】という言葉を出し掛けていた。
「私に、考えが在る」
言葉少ないアヤだからこそ、何を何処まで考えているのかを推察するのは難しい。
それでも、カエデは同僚の声に懸けるしかなかった。
✱
青年がカエデとアヤに運ばれるのは、ナオトからも見えている。
それでも、止めるのは難しかった。
「……っ……邪魔すんなよな」
舌打ち混じりに、悪態を吐く。
何せ、悪の組織総掛かりにて自分を止めようとする。
如何に新たな力を得たナオトも、数が数だけに突破は難しいだろう。
それよりも、今は周りの獲物を倒すのが愉しくて仕方が無い。
「ま、いいさ……そんなに死にたきゃ、後を追わせてやるって」
そう言いながら、両手に雷の槍を顕現させると躊躇無く投げ付けた。
✱
悪の組織が一人を抑える中。
別の場所では、別の一人が仰向けに寝かされる。
慌ててカエデがその胸板に耳を押し当てるが、聞こえるべき音は聞こえない。
そう解ってしまうと、少女の顔は悔しげに歪む。
「やっぱり、駄目なのかよ……」
消沈した声と共に、青年の顔を覆う覆面を取り去る。
覆面の下では、力の抜けた顔が顕になっていた。
カエデとは反対側に膝を着くアヤだが、その顔には諦めの色は無い。
寧ろ、覚悟を感じさせる決意めいた何かがあった。
「カエデ」
「え?」
「貴女は、この人の事、好き?」
まるで場違いな質問だが、少女はうんと頷く。
「それ、前にも聴いただろ?」
「そうね……でも、この人はもう居ない」
身体は此処に在れど、魂が無ければ意味が無い。
「だけど、貴女は、新しい誰かを待つのは嫌でしょ?」
言葉に少ない故に、アヤの言わんとする事全ては把握出来なかった。
それでも、言いたい事はなんとなく理解は出来る。
何れは、またナオトを超える者が現れるかも知れない。
ソレが明日か、一週間後か、十年後なのか。
だが、ソレが待てるかと言えば、カエデは首を横へと振った。
「じゃあ、この人を助けないとね……私も、待ちたくない」
そう言うと、アヤはカエデの目も憚らずに、青年の上へと跨ってしまう。
「おい、ちょ!?」
流石にカエデも驚くが、そのまま上半身を倒していく。
手を着いて、アヤは動きを止めた。
「ごめんなさいね、先で」
「へ?」
「それと……貴女は灯台。 この人の事を導いて」
何の意図が在って、そんな事を言うのか。
尋ねるより速く、アヤが動いた。
「……私の影を、彼に託す」
ボソリと言いながら、青年の唇に自分のソレを重ねていた。
「え、あ、わ!」
慌てふためくカエデの目には、単純にアヤが動かない青年と口付けをしただけの様にも見えるが、実は違う。
じわりじわりた広がっていたアヤの影が、青年と彼女をまるごと包んでしまった。
✱
暗い暗い何処かへ、沈んで行く。
明るい界面は、既に遠い。
沈む内に、青年はある事に気付いて居た。
周りを見てみれば、同じ様に誰かが沈んで行く、何処かへと。
何とか上へと泳ごうかと試みるが、手足は鉛の様に重い。
以前ならば、簡単に動けた筈なのに、そうはしたくない何かが在った。
内心では【そうか、コレが死か】と想いはすれど、言葉には成らない。
人は産まれる際、暗い暗い場所から、明るい方へと向かう。
それに対して、今の青年は暗い暗い方へと沈んで行く。
沈む先に、底が在るのかと想いはすれど、思考は薄れて行く。
まだやれると言う想いと同時に、もう良いよという安らぎの様なモノまでもが在った。
どうせなら、全身の力を抜いて一気に沈みたくなる。
水中で息を吸うというのも奇妙だが、妙に懐かしい。
それはまだ、産まれる前の感覚に近いと思えた。
近かった界面は、既に遠い。
力を抜くべきか、足掻くべきか。
迷う青年の目には、何かが見えた。
『見つけた』
声と共に現れるのは、傍目には人魚かと疑ったが、よくよく見れば、ソレはアヤである。
『アヤ……さん?』
『良かった……まだ、貴方のままだね』
『そら、どういう?』
『話してる時間が無いから、しっかり掴まって』
そう言うと、アヤは沈み行く青年を捕まえて、上へと持ち上げる。
その間にも、周りではどんどん新しい人が沈み行く。
まるで誰かが、凍り付く海に人を放り込んでいる様に。
誰もが、安らいだ顔ばかりではない。
訳もわからぬまま、絶望に顔を歪めて沈んで行った。
『あの人達は……何処へ?』
『何れは、皆が帰る場所へ』
何処とは言わないアヤは、いよいよ界面に近く来た所で、青年の前へと回った。
いつもは黒い彼女も、此処では光って見える。
透き通るような笑みがヤケに映えた。
『貴方は、まだやるべき事が在る』
『あなたはって……じゃあ、アヤは?』
思わず呼び捨てにしてしまったが、彼女は嬉しそうに微笑んでいた。
『大丈夫……ずっと、側に居るから』
『へ? ソイツは、どういう……』
アヤは青年の質問には答えず、両手を取ってぐるぐると回り出した。
速度は上がっていき、止まる気配が無い。
周りが見えなくなる程に速くなった時、アヤは青年から手を放す。
『……アヤ!』
一気に界面へと浮上して行く青年も、慌てて手を伸ばす。
だが、残る彼女には届かなかった。
✱
暗かった視界に、薄っすら何かが映る。
ソレは、ひどく悲しげなカエデの顔。
「……起きろ! 起きろってんだよ、このバカ!」
次の瞬間、目が覚める様な平手打ちが青年を襲った。
「ぶふぉお!!」
死んだと思ったら、少女からビンタを食らう。
正に、青年にすれば何が何やらであった。
「……いって、なにすんだよ?」
青年にしてみれば、いきなりカエデにビンタされただけだが、その実は違う。
アヤの影が青年へと入り込むなり、少しの間を置いて、少女は必死に青年を呼んでいたのだ。
暗い海に浮かぶ船を、灯台が導く様に。
痺れを切らした少女の平手打ちのお陰なのか、青年は息を吹き返している。
そんな青年に、カエデは遠慮無く抱き着いて居た。
「うぉーっとっとい? ちょい、カエデさん?」
「びっくりさせんなよバカ! 死んだかと思っただろ!」
実際に、青年は死に掛けた様な気はしていた。
僅かに残る記憶には、アヤの笑みしか残っていない。
「あれ? そういや、アヤ……さんは?」
居る筈の彼女は、この場には居なかった。
周りを見ても、カエデしか居ない。
だからか、少女はハッと成って青年を見る。
「そうだよ! アヤは? 何処へ行ったんだ?」
問われた所で、答えようが無い。
その代わりに、青年は徐に手を軽く挙げる。
そうしなければ成らないという感覚だけが在った。
すると、掌に出来る影が動かせる事に気付く。
影とは本来、あくまでま本体に付随し、その動きを真似る事しかしない。
その筈が、知らない筈の事や使い方まで頭に入っている。
何故なのか、思い当たる事は一つしかない。
「嘘だろ、俺……」
やり方はどうであれ、アヤは死に瀕した青年の身代りと成っていた。
私は影だと語った彼女は、もう居ない。




