それぞれの立ち位置
悪の大幹部であるカエデが夜の闇を切り裂いて疾走する中。
別の大幹部は、なんとも言えない笑みを浮かべていた。
青年はいくら飲んでも酔わないが、彼女はそうではない。
白い肌は赤みを僅かに増し、高まった体温はその分だけ匂いを放つ。
当然の事ながら、対面の青年にしてみれば、酒とは別につばを飲み込む程であった。
「どうかした?」
徐ろに、垂れてしまった髪をかき上げるのだが、その仕草は実に悩ましく映る。
髪に覆われて居た部分を、敢えて空気と青年の目へと晒す。
最も、アヤも解っていながら敢えてそうしていた。
言葉少ない彼女だからこそ、所作で自分の意志を垣間見せていく。
直接的な言葉ではない、仕草による主張に気付かない程に、青年も鈍感でも無い。
「いや、月並みですけど、べっぴんさんだな……って」
青年の場合は、仕草こそ無いものの、遠回しな言葉では主張を示していた。
そして、アヤもソレが解らない程に浅学でもない。
青年の用いた【べっぴん】とは、相手を美人と讃えるのに際して使用される古い言葉であった。
「御世辞でも、嬉しい」
「世辞じゃないんすけどね」
遠回しではあるものの、青年からの声に、アヤは微笑みを隠せない。
若干俯くのは顔を隠したいからだが、その程度では丸見えであった。
なんとも言えない空気が部屋に漂う。
以前ならば、青年とアヤは正義の味方と悪の組織として対峙していた。
その頃、青年は顔を覆い隠し、対するアヤは敵意を剥き出しにして居る。
一触即発な空気は同じ事だが、何かの切っ掛けが在れば、二人間で別の事が始まりかねない。
膠着状態かと思われたが、先に動いたのはアヤだった。
スッと顔を上げると、青年を見る。
「……そう言えば、このお部屋には露天風呂が付いてた」
「あ~、そういや、結構評判良いって」
青年の声に、アヤは目を細める。
「じゃあ、せっかくの温泉だし……だからちょっと入ってみない?」
そんな言葉は、正に悪の大幹部からの誘惑に他ならない。
では、ソレを青年が跳ね除けられるのかと言えば、無理であった。
✱
「私は支度が在るから、先に入ってて」
そんな言葉をアヤに掛けられてか、青年は湯船に浸る。
評判高いだけあり、独りで入るには大きいが、元より一人用ではない。
誰かが誰かと、或いは数人の家族連れでも、悠々と湯に浸かれる大きさであった。
さて、そんな湯船に独りで浸かる青年はどうかと言えば、空を眺めていた。
とっくに日は落ち、その代わりに月が夜空に輝く。
その様は、まるで何かを示している様にも青年は感じていた。
「なーんか、悪の組織ってのも悪くないんじゃないかなぁ」
特に何処かへと属さずとも構わない事は構わないのだが、敢えて何処かへと入るのも悪くないと思えてしまう。
そんな事を独り言ちている内に、カラカラとガラス戸の開く音。
ハッと成ってそちらを見れば、其処にはアヤが居た。
いつもは真っ黒な出で立ちの彼女も、流石に着衣のままで入浴する事はないのだろう。
その代わりに、バスタオルを身体に巻いて隠すべき場所は隠されていた。
長めの髪の毛は纏められ、いつもとは全く違う印象を与える。
とは言え、タオル一枚で隠せる範囲には限界もある。
青年の目に気付いてか、アヤは少しは目を逸らす。
「……そんなに、ジロジロ見ないで」
「こりゃ失礼……」
提案したのは自分とは言え、何もアヤは羞恥心を捨て去っても居ない。
そんな声に、青年は慌ててそっぽを向いて気を使った。
だが、見るな見るなと言われれば、見たくなるのが人の性。
チャプンと爪先が湯に当たる音を聴きながら、横目でチラリと見れば、なんとも悩ましく脚が覗く。
普段は真っ黒な姿しか知らない故に、その肌の白さが余計に際立って居た。
湯船にて、並んで浸かる青年とアヤ。
以前ならば、正義の味方と悪の大幹部として分かれており、ソレは考えられない立ち位置であった。
「なんか、不思議っすわ」
ポンと出される青年の声に、アヤがチラリと目を向ける。
「なにが?」
「俺達が、こんな事してるのが」
青年の言わんとする事はアヤも理解は出来る。
かつての敵が、丸腰どころか衣服すら纏わずに側に居る。
しかもソレは戦う為ではない。
戦って居た時も、互いの存在こそ知ってはいても、それ以上は知ろうともして居なかった。
アヤにしても、在るのは殺意だけでしかなく、それに取り憑かれて居たとも言える。
だがそれも、今では随分と変わってしまっていた。
言葉を交わし、盃を酌み交わしたからこそ、二人は別の意味で近い。
だからか、ソッと腰を上げると、アヤは青年の方へと少し寄る。
既にお互いに手を伸ばせば届く距離だが、今の二人は敵同士でもない。
「……貴方は、どうしたい?」
今度はアヤからそんな質問がポンと出される。
言葉少ない彼女の声だが、ソレが何を指すのか、知るには尋ねる他はなかった。
「そいつは、どういう意味っすかね? 組織への勧誘か、それとも」
一旦言葉を区切ると、青年は顔をアヤへと向ける。
「もしかしたら……誘ってません?」
解りかねる以上、青年は答えをアヤに求める。
すると、アヤの唇は柔らかい曲線を描いた。
「……どっちだと思う?」
以前から青年はアヤに対して【よくわからん】という印象を持って居たが、今は少し変わって来ている。
相手の姿を見れば、言わずとも解るモノはあった。
もしも、アヤが青年に何も感じていないのであれば、わざわざ混浴などを申し出たりはしない、と。
わざわざ丸裸で青年の横に居る以上は、覚悟が無ければ出来る事ではない。
何処かへと暗器を忍ばせ、暗殺という場合もあるかも知れないが、そもそも小さな刃物やら針では青年をどうこう出来る訳もなかった。
言葉のやり取りは止まるが、その代わりに、二人の距離が縮まっていく。
お互いに相手の機先を制するという訳ではない。
あと少し。 何方が何を言うでなく、距離が狭まって行く。
そんな所で「そこまでだ!」との声が響く。
「んな!?」
すわ何事かと慌てる青年に対して、横のアヤは動揺を見せず、寧ろ余裕の笑みを浮かべていた。
「やっと来た……もうちょっとだったのに」
疎ましいのか、それとも待っていたのか、何方とも言い難い。
慌てる青年と落ち着いたアヤの前へと現れたのは、悪の大幹部である。
ドンと火の粉を撒き散らして着地を決めるカエデ。
当然の事ながら、青年は混乱の極みに達する。
「か、カエデ……さん? ど、どうして此処に?」
どうやって露天風呂に現れたのか、その方法は問題ではない。
大幹部足る者、短距離の瞬間移動程度ならば可能である。
此処で問題なのは、少女が青年とアヤの元へと現れた事にあった。
青年の動揺には目を向けつつも、威嚇する様に鼻をウーと唸らせるカエデ。
その目線を同僚へと向けていた。
向ける目線は味方の同僚へと向けるものでなく、寧ろ敵へと向けるモノである。
「……ちょっとさ、どういうつもり?」
カエデの声は落ち着いては居ても、怒りが滲む。
対して、ソレを向けられたアヤが見せるのは、余裕の笑みであった。
「どう、とは?」
はぐらかす様なアヤに、カエデがその場で足をダンと鳴らす。
地団駄踏んでいる事に間違いは無いのだが、それは炎を伴っていた。
「惚けんじゃない! なんでコイツと居るんだよ!」
ビシッと指差すカエデの指先には、呆然とする青年。
コイツ呼ばわりなのはこの際ご愛嬌だからか、アヤも取り合おうとはしない。
その代わりに、フフンと鼻が鳴った。
「貴女、もしかして美味しいモノは後に取っておくタイプ?」
場違いな質問だが、それに対してカエデの眉間にシワが寄った。
「はぁ? だったらなんなわけ!?」
相手の意図が解らないからか、少女は怒鳴るが、アヤはクスクスと笑う。
「別に……ただ、貴女がのんびりしてるなら、先に食べちゃおうと思って」
アヤにして見れば、カエデも同じ人物を想っているのは既に知っていた。
だが、かと言って譲る気が有るのかと言えば、無い。
この場の誰もが忘れて居るが、アヤは悪の大幹部の一人である。
善が悪かと問われれば、彼女は【自分は悪者ですよ】と応えるだろう。
「こんの……いけしゃあしゃあと……」
ギリギリと歯を軋ませるカエデは、ギンとアヤを睨む。
「誰がそんな事を許すか! こんの、泥棒ねこ!」
自分の隙きを突かれたからか、同僚をそう罵る。
さて、罵られた方はどうかと言えば、アヤの髪の毛が勝手に動き出し、まるで猫耳の如き形を取っていた。
「……にゃん」
両手を少し挙げるなり、軽く握る。 アヤは、自ら招き猫を真似て見せた。
妙齢の女性がそれをすると実に画になるが、それを見ているカエデからは、ボッと炎が噴き出していた。
茶化して居るのかと言えばその通りなのだが、それは文字通り燃えているカエデにガソリンを投げ込む様な行為でしかない。
つまりは、火勢が増した。
かつて青年はカエデを【火吹き】と呼んだが、正に文字通りと言える。
「あ~……そう。 前々から思ってたけど、どっちが上か、ハッキリさせない?」
一見落ち着いているカエデの声だが、それは明らかにアヤに向かって喧嘩を売っていた。
対して、売られた喧嘩から逃げ出したとあっては、悪の大幹部とは呼ばれない。
ふーんと鼻を鳴らすと、アヤが湯船から立ち上がる。
程なく、夜の闇が吸い寄せる様に集まると、アヤの体を覆い隠して行く。
晒されていた肌は瞬く間に闇に包まれて【真っ黒】へと変わった。
「馬鹿な子……暗闇の中でマッチ擦った所で、直ぐに飲み込まれちゃうよ?」
フッと息を吐いて、この場には無いマッチを吹き消して見せるアヤ。
挑発とも取れる同僚の声に、カエデの炎は強まり辺りを照らす。
「ざけんな! 炎は何時だって闇を払って来たんだよ」
黒いアヤに対して少女は、自分こそは闇を切り払う松明であると言うが、それは確固たる自信からくる言葉だった。
まるで正義の味方の如き台詞なのだが、自分が悪の大幹部という立場を忘れて居る節が無くはない。
「面白い……じゃあ、おねえさんが遊んであげる」
「上等だ! 掛かって来い!」
互いに啖呵を切るなり、バッと跳ぶアヤとカエデ。
悪の大幹部同士が啖呵を切って何処かへと行ってしまった。
そうなると、呆然としていた青年は一人残されてしまう。
ずっと固まって居た青年も、騒ぎが収まったからか、フゥと息を吐いていた。
「なんだかなぁ……忙しないお嬢さん達だ」
本来ならば、今すぐ着替えて二人を止めに行くべきだろう。
だが、今の青年は別に正義の味方ではない。
であれば、アヤとカエデの激突を止める義理も無かった。




