08 異端審問官リュシエル
リュシエル・バーレイは異端審問官である。教団本部とは反対側の北の丘に、その本部は建っている。今はその異端審問院の一室で、幹部のみで行われる三か月に一度の定例会議の最中だ。
円卓を見渡せば、黒いローブ姿の十人の審問官と、審問院長であるウォーレス・ペインが席に着いている。長の座に就いて三年のウォーレスの手腕に対し、リュシエルはあまり好印象を持っていない。教団本部の長でもある大主教に、うまく丸めこまれている気がしてならないのだ。
異端審問院はアスプロス教団の一部でありながら、独立した機関ともいえる。それは、大聖堂騎士団と同様に指揮系統が異なるからだ。相手が司祭や主教だろうと、異端審問院にとっては裁く時には裁く相手でしかない。そしてリュシエルを長年煩わせているのが、十八年前に行方を晦ました魔女のことだ。
「予言の魔女のことで、何か情報はありませんか」
毎度議題に上げても、有益な情報が出たことがない。何よりリュシエルが苛立つのは、他の審問官が、事の重要性を理解出来ていないことだ。
審問官の一人、サムソン・ダウエルが、その白髪混じりの口髭を億劫そうに動かした。
「君は、その魔女に固執しすぎているのではないかね? まるで懸想しているようだ。まだ生きていると信じているのは、君くらいのものだぞ」
「オヴェリス様から聞いた予言の魔女は、あれから現れていないではありませんか!」
リュシエルは、サムソンのあまりの言い方に一瞬我を忘れ、円卓に両手を突いて立ち上がっていた。
これまで、一人、二人と、予言の魔女は現れては処刑された。十八年前に三人目の魔女が発見された発端は、小さな村で起こった数件の不可解な家畜殺しだ。ゴブリンやオーガが襲ったのならば肉を喰らう筈だが、その形跡はなかったらしい。
調査を行うため向かった審問官が犯人であろう魔女を捕えたが、その魔女をアルシラへ移送する途中で、審問官は従者共々殺されてしまった。しかし、彼が先んじて隊商に託していた手紙が、後に異端審問院に届いたのだ。そこには、黒い髪と瞳を持つ、既に生まれて五年が経っている子供の特徴が書き記されていた。取り上げた産婆を見つけて情報を引き出したのか、生まれたおおよその日まで記載されており、その子供が祖父母を砕くような有様で殺した疑いもあるとのことだった。
審問官は盗賊に襲われたのだと言う者もいるが、リュシエルはその魔女が殺したに違いないと考えている。子供の死体は発見されておらず、沼の底で見つかった審問官と従者の死体の懐には、数枚の銀貨が入ったままだったからだ。しかし事件の後、土地を変えながら数人を惨殺していた殺人鬼が南のフォルトン侯爵領で捕縛され、処刑されるという出来事があった。その者が人々にもたらした恐怖や憶測が、審問官殺害事件を風化させてしまったのだ。
異端審問官の中でも、その者が起こした事件の一つだという説が根強い。しかし、魔女はその魔力により強大な力を操ることができるという。その幼い体より大きな家畜や、育ててくれていた祖父母まで殺すような恐ろしい魔女なのだ。大人を殺し沈めることくらい、やってのけるだろう。多くの者が魔女は野垂れ死んだというが、荒野の魔女となったのだと噂している者も、僅かながら存在する。
「それは、予言の効力を消滅させるよう、私も参加したあの秘術が効いたということだろう。二十四年前、二人目の処刑の時に行った大掛かりなものだから、君も知っている筈だ。残念ながら効力が出るまでに三人目が出てしまったのかもしれないが、その三人目も本当にそうだったかどうか。それに、誰も助ける者のいない魔女が、荒野で生きていけると思うのかね? たとえ審問官から逃れたとて、手紙の言葉を引用すれば――『痩せ細った幼児』が、たった一人でだ。あれから誰もその姿を見ていない。それに、子供の母親は怖れて逃げたまま行方知れず。頼れる者も誰もいないのだぞ?」
「ですが、魔女であるが故に、生き延びる方法があったかもしれません! 大主教が絡んでいる可能性も」
「リュシエル・バーレイ。落ち着きなさい」
宥めるような審問院長ウォーレスの呼び掛けに、リュシエルは口を閉ざし、彼を見つめた。
リュシエルの考えに理解を示し、三人目の魔女の捜索に力を入れていた前任の長オヴェリス・タウクとはほど遠い、及び腰の姿勢に嫌悪感すら抱く。
行方知れずになった、子供の母親だとされるディーナ・カトルが現大主教と何らかの関係があったことは、複数の証言で明らかだ。彼女の父親は、アルシラの尚書院に勤める高位の司祭だった。大主教とも勿論面識があっただろう。その彼らが、事件の五年ほど前からノイエン公爵領の村に移り住んでいたことは、父親なり娘なりが大主教と何かあったと考えるのが自然だ。しかもノイエン公爵夫人は、大主教の実姉なのだ。ただの女が一人、完全に逃げおおせられるだろうか。誰か力のある者の助力があったのではないか。それに、その子供が大主教の血を引いている可能性すらある。そのことを、オヴェリス前審問院長が生前、大主教に突き付けたことがあった。しかし大主教が動じる様子はなかった。過去を思い出すような素振りをしながら、確かに五年ほど前に彼女の相談に乗っていたことはあったが、それ以降は関わり合いがないのだ、と言ってのけたのだ。
「予言の魔女が生きているかどうかはともかく、魔の気配を我々は常に見張っているのだ。各地にも内偵者が入り込んで情報を収集しておる。案ずるな。必ず教団に仇なす異端者は見つけられ、処罰を受けることになるだろう」
審問院長の言葉を、リュシエルは黙ったまま席に着くことで受け止めた。これ以上言っても無駄だと思ったからだ。
「では、各自報告を」
会議の話題が移り、順に述べられていく。新たに迎え入れた審問官候補のこと、内偵者からの報告、捕えた異端者のことなどだ。明確な魔導士の生き残りでなくとも、それに類する疑惑があれば捕えることになっている。それにより、その者の持っている土地や財産などを没収することもある。
アスプロを崇めるアスプロス教団にとって、アスプロが認めたとされる神以外を崇める異端者は排除する対象だ。魔導士たちが信仰していた『マヴロス』はその最たるもので、その名を口にすることさえ今は許されていない。しかしこれらの厳しい制限が、アスプロ信仰を広く浸透させ、アスプロス教の支配する地の安寧を意味するのだ。
つつがなく会議が終わり、リュシエルは退室するため席を立った。扉近くの審問官たちが退室していくのを眺めていると、一人の審問官が傍へとやってくることに気付く。自分よりも随分と早く幹部へと上がった男で、三人目の魔女が生きているかもしれないと同意してくれた、唯一の人物だ。
「ジェイ」
リュシエルは、年上の審問官に軽く頭を下げた。
それに対し、審問官ジェイ・リーガンの硬い表情が少し崩れ、僅かに口元が歪められた。呆れているに加え、困っているようにも見える。
「またサイモンとやり合ったな、リュシエル。まぁ、お前の気持ちも分かるがな。予言の年は二十四だ。あの子供が生きていれば、収穫祭が来れば、数えで二十四になる」
「ええ。私としては満年齢で二十四と考えていますが、正確な日付までは分かっていません。収穫祭に何かが起こる可能性もあります。警備を厳重にしなければ」
「そうだな。魔女が見つからない以上、そうする他ない」
ジェイの太い眉が、深く顰められた。
「ウォーレス院長は、儀式から二十五年目の式典を計画しているらしいが」
「馬鹿馬鹿しい」
リュシエルは一笑に付した。
「本当に碌でもないものを遺していってくれたものです。ウィヒトは――」
稀代の魔導士ウィヒト・アーゼオンは、かつて前大主教の元で、多大なる貢献をした魔導士だ。彼の魔力は凄まじく、戦闘においても魔法の扱いに格別、長けていたと聞く。複数の精霊力を練り合わせ竜巻を起こしたり、燃える石を地面から噴出させたりすら、出来たというのだ。彼らが信仰するマヴロスの化身かとさえ言われたほどの、男。それが、王都エランとの戦争の最中、大主教に反乱を企てたとして投獄された。その後、戦局がこちらの不利に傾いたのは、それが少なからず影響したと言わざるを得ない。
戦争開始から約二年後、ついに大主教は戦争を起こした責任をとり、辞任した。そこで新たに大主教に任命されたのが、枢機卿の主教の中でも最年少だった、現大主教メルヴィン・クィーダなのだ。
ウィヒトはさらに牢内で禁呪とされる『蝕』を行い、周囲の広範囲の領地を未曾有の危機に陥れた。大主教メルヴィンはウィヒトの処刑を決定し、密かにそれは決行された。まだ戦争中だったこともあり、処刑は民には公開されなかったのだ。大主教と枢機卿でもある少数の主教、異端審問院長のみがそれを確認し、予言を聞いたのだという。
王都エランの将兵に甚大な被害を与えた魔導士ウィヒトが処刑されたことにより、その後、エランの王エルド・マルクスとの和解が成立した。故に、今日の表向きには平和な時がある。
「魔女が二十四歳になる前に見つけて殺さなければ、手遅れになってしまいます」
「ああ。ルードの仇も取ってやらねばな」
ジェイの口から出た名前に、リュシエルは両手を握り締めた。込み上げる復讐心に、震えそうになる。
「お前の父親は良い奴だった。人一倍、真面目な男だったよ。手紙を寄越してくれたお陰で、最低限の情報は得られた。惜しむらくは、応援を呼ばずに運ぼうとしたことだ。魔力を封じる処置をしていれば……」
「私は許しません。父を殺した予言の魔女を。必ず見つけ出し、この手で処刑台に上がらせます」
魔女の移送中に殺された審問官ルード・ブロウズは、父親だ。妻帯を禁じられている異端審問官である筈のルードは、時間を見つけては母と自分の元へ来てくれていた。親子だと公表されず、普通の親子のように振舞うことが出来なかったのは辛かったが、母親が流行り病で死んだ後、自らの従者として迎え入れてくれたことには感謝している。ジェイは父の友人であり、ルードとの関係を当初から知っていた、数少ない人物なのだ。
残された時間が少ないならば、取る手段は選べない。
リュシエルは胸の内に滾る復讐の炎が、まだ見ぬ予言の魔女を貫くよう願った。
六回目の鐘が鳴り終わる頃には、酒場にいるのは酔いが回った客たちが殆どになる。未だ騒がしくしている者や、既に寝落ちしている者など様々だ。そして、そんな者の懐から、金を盗み取ろうとしている者もいる。
リュシエルはフードを深く被ったまま、外の闇よりは視界の利く薄明りの酒場へと足を踏み入れていた。普段は来ることのない、場末の酒場だ。客層に、上流階級と思われる者は見受けられない。そう広くはない酒場内には、酒の臭いと人の体臭が混じり合ったものが充満しており、鼻や口から入り込む。しかし今夜に限っては、そんな多少の不快感などどうでも良いことだ。
店にいる客の数人から視線を向けられたことには気付いたが、リュシエルは構わず奥に進んだ。そこに、座って酒を飲んでいる目当ての人物を見つける。緑色の蔓のような刺繍が施された黒い布を頭に巻きつけており、元は長い布なのだろう、左側に下ろされているそれは緩やかなカーブを描き、肩に掛かっている。収穫祭などの隊商が多く来る時期に見かけることのある、情報通りの出で立ちだ。
見つけた、と思ったその瞬間、既に相手に見られていることに気付き、リュシエルは背筋に悪寒が走ったことを自覚した。
おもむろに立ち上がった男が、面倒そうな所作で近付いてくる。壁際で対面する形になった、その男の黒い眉や顎髭、細い目の琥珀色の瞳に見下ろされ、リュシエルは遠い異国の雰囲気を感じ取った。
「何か用か?」
「『蛇』に聞いた」
目の前の男に呑まれないよう、リュシエルは腹の底に力を入れ、活舌よく答えた。
異端審問官は様々な情報を必要とするため、個人的に情報屋と呼ばれる者たちと取引をすることがある。『蛇』ことザックは父ルードが使っていた情報屋で、ルードが死んだ後、擦り寄ってきた男だ。
半年前から、彼に頼み事をしていた。どこの組織にも所属していない、腕の立つ暗殺者。それが、ようやく見つかったのだ。
「ふぅん?」
聞いたくせに興味の無さそうな返事をした男が、こちらを値踏みするように見てくる。
「で、流れ者の俺に何の用があるんだい。異端審問官さんよ」
言い当てられ、リュシエルは動揺して吸い込んだ空気を、平静を装って静かに吐き出した。
「何故、そうだと?」
「長年、流れているとな、分かるんだよ。お前さんはこの場には似つかわしくない。かといって、お貴族さまのような匂いはしない。アスプロス教団とやらの司祭にしては、毒のある目をしている」
男の指摘に、リュシエルは笑みを浮かべてみせた。今の服装は、異端審問官として普段着ている黒のローブではなく、一般的な庶民が着るウールのコット(※丈長のチュニック型の衣服)に長いフード付きコートだ。どうやら人を見る目はあるらしい。
ザックの情報では、過去数年に渡って暗殺稼業を続けているらしく、それだけでも、この男が相当用心深く、相応の手腕を持っていることが推測できる。
「クレメントの主教をやったのは、お前か?」
そう問うと、男の目が驚いたように見開かれた。しかしその気配は瞬時に消え去り、彼の目は突き放すかのような冷淡なものに変化する。男は武器を手にしていない筈なのに、喉元に刃を突き付けられている気分になった。
クレメントの主教が殺された理由は知らない。しかし、護衛を侍らせながらその生活の殆どを大聖堂で過ごしていた筈の主教が、暗殺されたことは事実だ。
「さぁてな。俺を捕まえて処刑でもするつもりか?」
「そのつもりなら、こんな回りくどいことはしない。私は別の者を処刑したいのだ」
リュシエルは、主教殺しを否定しなかった男から目を逸らさず、答えを待った。
ここにこうして来ていることは、ジェイにすら話していない。アスプロへの信仰を護るために異端を狩る審問官が、その主教を暗殺した男を雇おうというのだ。これが表沙汰になれば、自身はおろか異端審問院そのものの存在が危ぶまれることになるかもしれない。黒い髪と瞳の赤子を見つけるだけのことを、さも黒という色を魔の証とでもいうように触れを出した大主教だ。審問院を煙たがっている大主教側に、断罪の機会を与えることになるだろう。
それでも、リュシエルには他に選択肢がなかった。もう時間がないのだ。父親の仇を討ち、予言を打破する。そのためなら、どんな犠牲も厭わない。
「は、とんでもない聖職者がいたもんだ」
男が息を吐き出すようにして呟き、俯き加減に双肩を振るわせ、喉元で笑った。
「女を一人、殺してもらいたい」
男の真正面に座り、リュシエルは静かに告げた。
それを聞いた男の眉尻が、僅かに上がる。
「あんたが、手を出しちまった女か? 名前は?」
「名前は知らないし、どこにいるのかも分からない」
そう言うと、今度こそ男の黒い眉が釣り上がった。
「どこにいるとも分からない、行きずりの女を探せって?」
「そうだ。特徴は伝える。期限は五回目の満月の夜が終わるまでだ。殺したら、その証として髪を一房、持ち帰って欲しい」
生まれた正確な日は分からないが、冬の前の満月ということは分かっている。それまでに、魔女は死なねばならないのだ。
「ちょっと待て。居場所の目星もつかないのか? それを期限付きとは、横暴な話だと思うがね」
男の言い分も分からないでもなかったが、リュシエルは退く気はなかった。今更、この男に退かせるつもりもない。
「報酬なら充分に出す。前金で五十金貨、あと半分は成功報酬とさせてもらおう。女はお前と同じく黒髪だが、瞳も黒い。この辺では他にいない筈だ。それに、右の鎖骨の下辺りに痣がある。年は二十三。目星はついていないが、大主教周辺を探って欲しい」
「大主教? そいつは、あんたらのお頭だろう?」
「その表現は、適切ではない」
異国の男は異教徒か、神を崇めることがないらしい。もっともその方が、仕事をしてもらいやすいというものだ。
リュシエルは、男の指摘を曖昧に否定した。
「確かに大主教は教団の頂点に立っている。だが支配者ではなく、神でもない。我々はあくまでアスプロを崇めているのであって、その点では大主教も変わらない。もし彼がアスプロに弓引くような真似をするならば、我々が裁くだけだ」
大主教が関与しているかどうかは、分からない。しかし、調べられる場所はほぼ調べ尽くした。漏れがないとは明言出来ないが、自分たちが調べられない場所がそれなりにあることは事実だ。その多くは大主教の座するアスプロス大聖堂であり、彼の保有する土地であったりする。こちらから内偵に人を送り込んでも、大主教側の司祭を懐柔して情報を得ようとしても、重要な情報を掴む前にその人物は姿を消し、もしくは尤もらしい理由を付けられて左遷され、地方へ飛ばされてしまうのだ。
「大主教側に悟られずに、探って欲しいのだ。どうも彼の周りには、有能な者たちがいるらしい」
「なるほどな、あっちが上手というわけか。だが、当てが外れている可能性もある。だから、手をこまねいているんだろう?」
「それは、否定出来ない」
そこは素直に、リュシエルは肯定した。母親と思われるディーナ・カトルと昔、関係があった、それだけと言えばそれだけだ。その引っ掛かりに縋らなければならないほど、捜索は行き詰ってしまっている。
「他方面の捜索は、引き続き私もする。だから、お前にはそちらを頼みたいのだ」
男は自身の短い顎髭を、片手の親指と人差し指で撫でている。その視線は、こちらに向けられたままだ。
男の指の動きが、止まった。
「いいだろう。ただし、俺のやり方でやらせてもらう。いちいち指図は受けないぜ」
「それは構わない。だが、進捗状況はたまにでいい、知らせてくれないか」
「前金だけもらって逃げるなって言いたいのか? 心配するな、もらった金額分の仕事はする。これでも信用商売なんでね。ただ、お前さんの当てが外れていた場合は、俺はそのまま消える」
「それでいい、頼む」
リュシエルは持ってきていた革袋をテーブルの上に出し、男の手元に押し出すようにして手離した。それを男の大きな掌が、覆うようにして引き寄せる。
「今、数えるか?」
「いや、いいさ。お前さんはよっぽど、その女にご執心らしいしな」
少し表情を崩した男が、可笑しそうに頬杖をついた。
「その女は美しいのか?」
その質問に答えるのを、リュシエルは迷った。実際に見たことはないのだ。しかし母親のディーナ・カトルは美しい女だったと聞いたことがある。あの大主教が一時とはいえ入れ揚げた女だ。その子供ならば、内面はともかく外見はそれなりに美しいだろうと思う。
「ああ」
短く肯定し、リュシエルは想像する。この男に殺される魔女は、その瞬間どんな顔で息絶えるのだろう?
惜しむらくは、その瞬間を見られないことだ。生け捕りも考えたが、予言の阻止を考えるならば数日かけて運ばせるような、悠長なことをしてはいられない。そんな人目につく面倒な仕事を、受ける者もいないだろう。この男に魔女を利用させないためにも、詳細は伏せておかねばならない。
男の片方の口角が、満足そうに上がった。
「それじゃあ、契約成立だ。お前さんの名前を聞いておこうか? 本名で頼むぜ。報告に行く時は、直接行くからな」
「審問院に入り込めるというのか?」
リュシエルは驚いた。
異端審問院は、その警備も厳重だ。見たことのない者がいれば、すぐに誰かが気付く。
「俺はお前さんからの無茶な依頼を受けたんだ、何を驚く?」
「それも、そう、だな」
妙に納得し、リュシエルは男の自信に満ちた態度に期待を抱いた。心のどこかに、もう既に予言の魔女は死んでいるかもしれないという思いが、全くないとは言えない。しかしこの男ならば、本当に魔女を暴き出し、殺してくれるかもしれない。
「リュシエル・バーレイだ。普段は執務室か、寮にいる。お前のことは、なんと呼べばいい?」
そう問うと、男がその琥珀色の瞳を細めて微笑った。
「ザラーム。誰かが付けてくれた名前だ」