63 円卓の外から
大聖堂騎士団本部では、円卓についた騎士たちによる会議が引き続き行われていた。
元石像の石ガーゴイルの対策については、あまり良い攻め手が見つからなかった。大聖堂前の中庭にいる三体の石ガーゴイルたちが動き回っていることから考えれば、最早、元の石材からは変質しているのだろう。そうであっても、やはり硬い筈の体をどう処理すべきか、良い案はなかなか出なかった。大槌で叩き壊そうにも大変な労力となるからだ。
これらの石ガーゴイルを、ウィヒトが直接制御しているとは考えにくかった。皆が同じ動きをしているならば有り得るが、報告によればあれらはバラバラに行動している。何らかの精神を宿させている、というのが、ダドリーの推測だった。故に、根本的な解決法はウィヒト=カイを倒すしかない、という結論に至ったのだ。
エリュースは、その結論に危機感を覚えていた。乗り移っているウィヒトを剥がすことができればカイは処刑されずに済むかもしれない――そんな希望が、会議の中で確かに生まれたのだと信じたかった。が、石ガーゴイルの問題が残っていれば、カイの処刑の方向へと再び流れが傾くかもしれない。それは絶対に避けたかった。
エリュースは、ダドリーが放棄した石ガーゴイルの対策に固執して思考を巡らせていた。そして、なんとか一体はどうにかできそうな発想が浮かんだ。実行に移すには大きな障害もあるが、成功すればそれに見合う効果が期待できると思われる。
エリュースはダドリーに提案しようと手を挙げかけ――、再び扉が叩かれた音に両手を膝上で握り合わせた。入ってきたのは、ピンドルだ。町の様子を確認に行っていた彼が戻ったことで、まずは彼からの報告を聞くこととなった。
予想通り、町は混乱状態にあった。ピンドルからの報告によれば、町に下りている石ガーゴイルは四体だろうということだ。ダドリーは明言していなかったが、おそらくは彼の読み通り、石ガーゴイルの知性は低いようだった。執拗に人を襲い、街並みを壊すのではなく、寧ろ元の像のようにどこかに止まって動かない時間も多かったらしい。近付くと襲いかかってくる反応を示し、これは矢を射かけた時も同じ。だからと言って近付かなければ安全というわけではなく、遠巻きに見ていても、不意に動き出して襲いかかってきたり――この行動は、石ガーゴイルが動くことで離れていた者も索敵範囲内に入ったからだろう、とダドリーは見解を述べた――、何処かへ飛んでいったりという行動を示していたそうだ。
これらピンドルの報告から、石ガーゴイルは民を怯えさせ、混乱の源とはなっているものの、脅威度としては低いように思われた。これはエリュースにとっては意外だったが、ダドリーにとっては想定していた報告らしかった。彼はすぐに、真の脅威についての報告を促す。それは、暴動だ。
騒ぎに乗じ、強盗や暴行事件があちこちで起きているらしい。行商人の出していた屋台などは壊滅状態だという。
「最もアスプロ神の信仰篤い都でもこの程度か」
ダドリーの発言は、教団であれば不敬罪として懲罰の対象になりかねない内容で、大聖堂騎士団の多くの者が顔を顰めた。しかしダドリー自身に悪気はないようで、「元より人というものはそういうものだ、宣なるかな」で纏めてしまった。
暴動を助長したのは、城壁の外にいる貧民たちなのだそうだ。エリュースにとっては信じられない事に、彼ら彼女らは危険な筈の城壁内に敢えて突入してきたのだ。寧ろ外へ出ようとするのが普通ではないのかと、エリュースは思った。実際そのように動いていた民もいたようだが、そういう者たちは東西の閉ざされた門にぶち当たり、それを閉ざした衛兵たちへ抗議の声を上げていたらしい。
西門の衛兵たちはそういう民の声に押されたのか、はたまた単に対応が遅れたのか、門は開かれたままになっていたそうだ。ピンドルが偵察に着いた時には、衛兵たちは打ち倒され、身包みを剥がされた後だったらしい。倒れていた数からすると逃げ果せた衛兵たちも多かったようだが、略奪を行った者は増援が戻ってくる前に当然の如く姿を消していたという。
「貧しき者にとっては、食べ物にありつける好機であるからな」
ダドリーは貧民たちの行動心理をそう読んでいた。
「あの者たちは、落ちているパン屑であっても気にせず拾って口に入れる。今は町中でそういう物が溢れておるだろう」
「しかし、あの者たちには魔物や、町に元からいる悪党どもに対抗する力はない筈ですが……」
騎士のオルダスが疑問を呈すと、ダドリーの首がゆっくりと左右に振られた。
「それらの危険を上回る脅威が、彼らを蝕んでおるからのう。賭けとしては悪くあるまい」
「その、脅威とは?」
「飢えだ。……言葉としては知っておっても、毎日食事にありつける我々にとっては計り知れぬ存在であろうな。儂らが思うよりずっと大きく、執拗な敵で、かつ無慈悲。……ふむ、確かに、ガーゴイルなどでは比較にならぬかもしれぬ」
ダドリーの言葉を聞きながら、そうかもしれないとエリュースは思った。たとえ殺されるかもしれなくとも、食べなければ人は死ぬ。危険を冒すことを厭わないほどの飢えが、彼らを蝕んでいるのだろう。
報告を続けるピンドルによって、各地で火災が起きていることも分かった。犯罪行為をしやすくするために敢えて点けたのか、或いは混乱の中の事故として発生したのかは分からないが、放っておけばさらに被害は大きくなるだろう。先に町へと派遣されている副団長ノーマンは、主にこれらの火災に対して動いているらしい。
騎士団としても、現在の町の状況は放置できるものではない。直ちに対応しようという話になった直後、それには賛成しつつ、「もう、暫く」とダドリーが皆の動きを止めた。
「今から動いたとして、町の混乱はどれくらいで治められるか? ……日が暮れるまでというのは難しかろう? 夜になればまたぶり返しそうだと考えれば、早くて明日の日暮れまでかかる、と見込むが……」
このダドリーの意見に、騎士団長を始め年長の者たちが同意した。
「それなら、問題がある。儂らは力を温存し、明日の夜明けと共に大聖堂へ踏み込むべきだと考えるからだ」
「……説明願おう、ダドリー殿」
騎士団長ヘンリーに促され、ダドリーがまず話し始めたのは、魔導士への対応についてだった。
「魔導士に対する最も効果的な攻めは数だ。そう、相手が魔導士であろうと騎士であろうと、突き詰めれば攻め手は同じ」
この意見に年長の騎士たちはフフフと笑ったが、若い従士たちは微妙な顔をした。冗談を言われているのかが分からないのだろう。同じくエリュースも分からなかったが、それならそれで、まずはダドリーの話を是として受け入れる。
「皆も知るとおり、魔導士の弱点は二つ。一つ目は対応速度だ。単純に剣を振るのに比べ、呪文を唱え印を切る必要のある魔術は遅い。二つ目は、魔力に限りがある故の継戦能力の低さ。もう儂には無理だが、皆にとっては剣を十回振り下ろす事は容易であろう。しかし、魔導士の魔術を十回行使できる者は少ないと推測される。しかも、魔力の消費の大きい術ならば、余計に疲労し、より魔術は繰り出し辛くなる筈だ」
ここまでダドリーが説明すると、大半の従士たちも、魔導士が数に弱いという理屈に納得がいったようだった。なるほどという表情で頷いている。
「問題は、ウィヒトがその基本から大きく逸脱した存在という点だな」
騎士団長ヘンリーが、唸るようにして言った。それに対し、ダドリーが皆に向かって頷いた。
「団長の言われる通り、ウィヒトは既に衛兵隊の三面攻撃を退けるなど、四枚羽のガーゴイル召喚から続けて、おそらくは規模の大きな魔術を繰り返しておる。しかし、大聖堂の両翼廊を破壊し通行不能としたあたり――、やはり魔導士の弱点そのものからは逃れ切れてはおらぬと考えてよかろう」
「……なるほど。多数の敵を爆発で撃退しただけではなく、その経路を使えなくすることも奴の狙いだったということか」
「おそらくは。片側だけでなく、両側がそうなっているあたり、ウィヒトの狙いと考えるのが自然。となれば、ウィヒトも三面から波状攻撃を掛けられると困ると考えておるのでしょう」
騎士団長ヘンリーの方を向き、ダドリーが答えた。それを受けたヘンリーの眉が、考え込むように顰められる。
「しかし、その戦法ではこちらが持たぬな。攻めてくる方向が限定された今では猶更。さりとて、義勇兵を必要な代償として先に送り出すのも、我らの信条に反する」
ヘンリーは、きっぱりとそう言った。そのことに、エリュースは安堵する。
大聖堂騎士は気高い存在として知られているが、実情がそうであるかはまた別だ。その表と裏では見え方の違う最たる例が、教団の長である大主教だろう。しかし少なくとも騎士団長は、兵士とはいえ民の犠牲を避ける方法を探しているようだ。
「ですな。数で押すのは最後の手段。儂はその前に、丁度良い頃合いを計るのが良いかと考えておる」
ダドリーが言葉を切り、エールを口にして喉を潤している間も、周囲の期待の眼差しがダドリーに注がれている。それを感じ取りながら、エリュースはダドリーの背中を見つめた。
「あくまで推論であるが、儂は今のウィヒトを特殊な状態だと考えておる。先に議論したように、完全にあの娘を掌握しきれていない可能性について、ではなく、それ以外の点においてだ。それが、今問題としておる、魔力がいつ尽きるか、に深く関わっているように思う。ウィヒトの精神がマヴロスの領域より降りてきたとすると、そこには目には見えぬが通廊のようなものが開いていると考えられる。儂が以前聞いた話では、魔導士が術を行使する際の魔力はマヴロスの領域より引き出すそうだ。穴を穿ち、そこから注がれるのだとな。故に、ウィヒトの精神が降りて来て、通廊が閉じ切っていない今だからこそ、立て続けに大きな術の行使が可能となっているのではないか、と考えておるのだ」
ここで突然、ダドリーが話しかける相手を変えた。
「そのあたり、どう思う。エリュース」
いきなり話を振られ、エリュースは戸惑うしかない。話は聞いていたが、意見を求められるとは思っていなかったからだ。
「え、いや、どう思う、と言われましても」
「ここで癒しの魔術……いや、教団では奇跡と呼ぶのだったな。奇跡の使い手はお前しかおらぬ。このあたりの実感はどうなのだ?」
「いや、しかし、マヴロス――の魔術と、アスプロ様の奇跡の技では――」
エリュースが言い切る前に、振り向いたダドリーの片手が彼の顔の前で払うように振られた。
「世界神の御業に大した違いはなかろう」
これもまた、教団であれば不敬に当たる。エリュースのような見習いの身であれば、教団から追放されてもおかしくはない。マヴロスを崇める者たちが使う魔術は、アスプロス教団においては忌み嫌う対象として扱われている。この思想が元々あったからこそ、蝕の時代に魔導士の大迫害が起きたのだ。それなのに、ダドリーは両神を同等に扱っている。そんな彼ならば、過去に異端審問を複数回受けたことは至極当然に思えた。
一方で、アスプロの奇跡の技について、エリュースは改めて考えさせられることとなった。今でこそエリュースはアスプロの力を分けてもらう部分を意識せずにできるが、初めはここで苦労した。最終的に奇跡の技を使えるか使えないかの差も、この部分を進められるかどうかで決まっているように思われる。そして、この奇跡の技を完成させる前段階の、力を受ける時の感覚は、言われてみれば、どこかに穴を穿ち、そこから力を注がれる、という気分に似ていた。
これまで、教えに従って深く考える事はなかったのだ。ダドリーに指摘されて初めて、アスプロの奇跡の技もマヴロスの魔術も似通っているように思えてきた。取り敢えず、エリュースは分かる範囲で答える。
「マヴロスの魔導についてはわかりませんが、アスプロ様のお力を借りる時には、教団では『アスプロ様の差し出された御手』と呼んでいる……繋がりを感じます」
「その繋がりが大きければ、次に引き出せる魔力は容易にはならぬか?」
「それは、正直なところ、わかりません。私ではその繋がりは細いので、経験がないからです。ですが………」
言いながらエリュースは、もし繋がりが太ければ、と想像する。最も近い体験は、数刻も経っていない前に試みた、デュークラインの治療だ。彼には多くの力を注いだ。そのつもりで治療を始めた。あの時は、アスプロから借りた魔力を奇跡の光として制御し、行使することに大半の力を使ったのだ。その導入となるアスプロの御手も、必然的に従来に比べて大きいものだったように感じた。そして、言われてみれば確かに、力を使い果たしてへとへとになっていた後にも、アスプロの存在を感じられていた気がした。疲れのあまり意識していなかったが、こうして話しているとその時の感覚が蘇ってくる。
「繋がりが残る、というのは有り得るかもしれません」
「ふむ、やはりそうか」
ダドリーが納得したように一つ頷き、背を向けた。また何か考え始めたようだ。
その時、脇から肩を突かれた。エリュースが振り向くと、すぐ傍にスバルが立っている。スバルが腰を屈めて耳元に顔を近付けてきたため、エリュースは椅子に座ったまま待った。
「ねえ、このお爺さん、本当は魔法が使えるんじゃない?」
エリュースは一応スバルの顔を見上げて確認し、これはスバルなりの冗談なのだろうと判断した。そう思わされるほど、ダドリーが魔術に対して理解が深い、という意味なのだろう。事実、エリュースもスバルの冗談が頭に浮かぶほど、ダドリーの理解の深さには舌を巻いていた。しかし、魔術の才能は持って生まれた才能であり、いかに理解が深くとも、できない者はできないのだ。
だが、とエリュースは考えさせられる。
もしかすると、魔術は使えなくとも魔術の指導者として、ダドリーは優れているのかもしれない。少なくとも、エリュースの奇跡の技の指導者であるレジナルド学頭司祭よりもずっと、奇跡の技の指導者には向いている気がした。
「なるほど。時を置いた方が攻め手には有利という事だな」
そう言葉を発したのは、騎士団長ヘンリーだ。
ダドリーの思考は続いているようだったが、こういう謂わば技術的な側面には興味がないのだろう、騎士団長によって戦術的な話に戻される。それを受け止めたのか、ダドリーが顔を上げた。
「極端な話をすれば、籠城に対する兵糧攻めという方法もあるが――」
このダドリーの提案に、デュークラインが身動いだ。それまで指を咥えて待っていろ、という命令は承服できないのだろう。エリュースにしても、それではカイの身が危ないと思う。しかし、ダドリーが更に続けて言葉を紡ぎ始め、エリュースは彼の話に耳を傾けた。
「だが、その過程で母体となっている娘が参ってしまう可能性は高い。そのまま、ウィヒトの精神もろとも倒れてしまえば良いと言えば良いのだが……そうなる前に、ウィヒトがあの体を完全に支配する機会を与えてしまうことになる。それでは、まずい。まずいことが起きる危険が高い」
少し神経質になったように、ダドリーが円卓の表面を人差し指の先で叩いた。その変化に疑問を感じたのか、騎士団長ヘンリーが少し首を傾げる。
「む? 無駄な損耗を強いる突撃より、娘は犠牲になるが包囲戦を計った方が良い。そういう意見ではないのか?」
そう言ったヘンリーの方に、ダドリーがその体を僅かに傾けた。
「ウィヒトは、大主教の身柄に拘っているあたり、処刑前の思念が強く残っておるようです。それでは、あのウィヒトが最後に仕掛けた魔術は何でしたかな?」
そう言われてようやく、エリュースはダドリーの懸念に思い当たった。思わず音を立てて息を呑むと、何人かから不快そうに目を向けられる。その者たちはまだダドリーの言わんとしていることに思い至っていないようだ。ほどなく、騎士団長は気付いたのか、その目を見開きダドリーを見つめた。それに対し、ダドリーの頷きが返される。
「そうです。魔導士ウィヒトが遺したのは予言だけではありませぬ。彼奴の遺した最大の災厄。蝕の再来です」
円卓の間に響きが起きた。信じられないように「まさか」という言葉があちこちで漏れ聞こえるが、それは信じたくないという気持ちの表れでしかなかった。理論的に否定できるものは何もなく、冷静になれば、ダドリーの言う危険の方が筋が通っていると分かってくる。
「つまり、時を置いた方が良いが、見守り続けると奈落に落ちかねない。そういう状態というわけか。では、いつならば適切だと考える?」
「夜明けが最適かと。これは謂わば、娘の肉体が人質に取られている事件のようなものでもあります故」
騎士たちが納得したような顔をしたのを見て、エリュースは、人質事件なら夜明けを狙うのが定石なのか、と初めて知った。
直接目にしたことも聞いたこともなかったが、人質事件が発生した時に対応するのは彼ら騎士の務めの一つなのだろう。貴族や豪商の婦女子が、何らかの事件で人質となる可能性はある。年配の騎士たちには実際にそういう経験があり、且つその典型的な対応も知っているのだろう。
考えてみれば、人質事件で夜明けと共に突入するのは理に適っている。夜中に突入すれば、視認性の悪さから人質の確保が難しくなる。犯人の逃走も許しかねないだろう。一方で、夜の間ずっと警戒していた犯人の気が緩みやすい時刻が夜明けだ。エリュースは、徹夜で祈りを捧げる修行を何度かさせられた事があった。その時に最も眠くなるのが夜明け後だった。夜中にも眠くなるのだが、その山を越えると意外に目は冴えてしまう。しかし、夜が明けた後は眠気が襲ってくるだけではなく、もう抵抗する間もなく、自然と瞼が下がってしまったり、目が開いているはずなのに意識が短時間飛んでしまったりする現象が起きてしまう。当然、その時に襲われれば抵抗を試みることは難しいはずだ。ウィヒト=カイが同様の状態に置かれる保証などないが、どうせならば、人間としてきっと厳しいと思われる時間帯を狙うのは当然のことといえた。
「故に、町の治安回復に向かわせた人員を、夜明けの決行に備え適時退くべきであると進言いたします」
ダドリーがそう言うと、受けた騎士団長ヘンリーが片手で自身の口髭を撫でた。
「ふむ。さりとて、皆が一斉に引いては人心の不安を煽るであろうし、それが次の犯罪を呼びかねない。ここは、突入班と治安維持班に分けるべきだな」
「もう一つ。待機する班も必要ですな。団長にはここに居てもらわなくては」
「ダドリー! 私を年寄り扱いするつもりか?」
騎士団長の少し苛立った声が上がり、エリュースは反射的に肩を竦めてしまった。皆を見れば、同様の反応を隠せない者も多い。しかし、ダドリーは笑っているようだ。顔は見えずとも、彼の背中を見ているエリュースにはそう感じられた。
「事実、他の者たちに比べれば年長でしょう」
「貴殿よりかは若いぞ」
「如何にも。故に、儂もここに残ります。前線に出ても足手纏いになるだけですからな。儂に比べれば、勿論、団長はまだまだ動けるのでしょうが、万一怪我をされては騎士団全体の士気に関わりますので、ご自重ください」
「ふむぅ」
納得している感じではなかったが、ヘンリーはダドリーの意見を一旦呑み込んだように唸った。若輩なうえ立場の低いエリュースには政治的な駆け引きはまだ良く見えないが、大主教が不在のうえ、異端審問院が荒れている現状を考えると、せめて大聖堂騎士団くらいは盤石であってもらいたいという気持ちは強い。ダドリーが騎士団長を留め置こうとする意図は正しく思えた。それが騎士団長ヘンリーにも理解できる故に、自身の気持ちに反した意見を受け入れたのだろう。
「どうせ、儂が止めねば、大聖堂への突入に加わるつもりであったろう?」
そうダドリーが漏らせば、他の騎士たちも「それはさすがに……」と否定的な言葉を口々に発した。それだけ、騎士団長ヘンリーは騎士たちに慕われているのだ。
「分かった。では、私は町に出て指揮を執り続ける。時間になれば一部の者を戻す故、それ以降の指揮はダドリー、貴殿に任せるぞ」
ヘンリーがそう言えば、今度はダドリーが不満そうに唸った。が、渋々と頷く。
「仕方ありませんな。大聖堂突入に加わらないと判断していただけたことで満足いたしましょう」
そこで話は片が付いたようで、円卓に着いていた騎士たちが腰を浮かそうとする。騎士団長、或いはダドリーが会議の終了を告げれば、もう自分が口を出す機会はない――そう気付いたエリュースは、慌てて片手を挙げた。
「あ、あの、町へ出る前に、私から一つ策があります」
他の者が怪訝な顔をする中、ダドリーだけが振り返り、にやりと笑った。
「ほほう。策とな。聞かせてもらおう」
エリュースは、スバルも他の者と違う表情をしているに違いないと思ったが、振り返って確認する余裕はなかった。今から話す事は自分の中でも完全に纏まってはいないのだ。
「策というより、案。草案のようなものですが……」
ダドリーに期待されると当然自信がなくなってしまう。しかし、ダドリーに促され、騎士団長から発言の許可も下りたため、エリュースは立ち上がり、思いついたまま話を始めた。話をしていくうちに、考えは纏まり始める。欠けた面があっても、それはダドリーからの質問や補足で整えられていく。話し終えると、騎士の面々はエリュースのことを、出しゃばりな若造という目では見なくなっていた。検討する価値のある提案だと受け取ってもらえたようだ。
「いかがですかな、団長」
ダドリーが問い掛けた。どこか嬉しそうな声色に、エリュースは自分が誇らしく思えた。
「試す価値のある、いや、試すべき策だと思う。しかし、それには相応の危険も伴う。我々ではなく、君への危険だ」
エリュースは騎士団長を見返すと、力強く頷いた。
「承知の上です」
会議を通し、騎士の皆が人々を守るために命を投げ出す覚悟があるのをひしひしと感じていた。確かに、大聖堂騎士団は元来、教団を守るために組織されたものだと聞いている。だからと言って、教団の人間が全ての危険を騎士に押し付けるわけにはいかない。護られるだけの価値がある存在にならなくてはならない。エリュースはその教団の代表として、危険に立ち向かう覚悟を決めていた。
「うむ、覚悟は受け取った。しかし、本件は騎士団だけでは決められぬ。教団の協力が必要不可欠だ」
「はい」
騎士団長の言葉に、エリュースは思わず下を向いた。この策の最大の障害がそこにあった。そして、下位に属するものとはいえ教団内部の一員であるエリュースは、この障害が乗り越えられないだろうことを知っていた。
「ならば、儂が同伴しよう。この策について騎士団が既に了承済みであると伝える者が必要だからな」
エリュースは自分でもパッと顔が明るくなったのがわかった。
「ししょ――ダドリー様が一緒なら百人力です!」
そこで振り返ったダドリーが、意地悪な笑みを浮かべた。
「いやいや、儂は同伴するだけで口は出さんぞ」
「えっ、ええぇ……」
しょげかえるエリュースに、猶もダドリーは知らぬと顔を背ける。しかし、その目は悪戯っぽく輝いているので、本気で見捨てられていないことは分かった。試練として自力で乗り越えろ、というつもりなのだろうか。しかし、それができそうにないから困っているのだ。
「本件は教団内部で最終決定すべき事項だ。それを騎士団が口出しするのは越権行為であるからな」
「それは確かにそうですけど……」
「騎士団長などが赴けば、もうその時点で圧力をかけていると思われかねぬ。儂のような萎びた老人一人であれば、向こうも気にしまい」
そう言ってしまうダドリーにそれ以上、エリュースは何も言えなかった。
「よし。では、直ちに行動へ移るぞ。ダドリー以外の騎士は私に続け。移動しながら、割り振りを伝える。その前に、まずはサイラスに合流するぞ」
騎士団長ヘンリーの号令で、皆が一斉に動き出す。こうなるともうエリュースに流れは止められない。皆が動き出す中、エリュースは椅子に腰を落としてそれを眺める。自然と出る溜息を吐けば、ダドリーが椅子を引き、立ち上がった。その手には杖が持たれている。
「どうした、エリュース。儂らも行くぞ。時間はない」
「――はい」
エリュースは重い腰を上げた。回復してきたかなと感じていた、デュークラインを治療した時の疲労が、ぶり返してきた気がする。
「僕らはどうしたらいいの?」
両手を頭の後ろで組んだスバルが、呑気に聞いた。その気楽さがエリュースには羨ましかった。
「そうだな。アッフアトが戻ってきたら、図書室へ案内してもらえ。今は非常事態故、勝手に出歩くのは許可できぬ。そこで大人しく待っておくのだぞ。そなたらの力は後に必要になる」
ダドリーが、最後の部分を特にデュークラインの方を見て言った。
「はあ」
またエリュースは自然と溜息が出てしまった。一時は頼りになると期待したダドリーだが、本当について来るだけなら逆に大きな心の重荷だ。師匠と仰ぐダドリーは、エリュースにとっては最も失態を見せたくない一人なのだ。
そんなエリュースの気持ちを知ってか知らずか、肩にダドリーの手が優しく置かれた。
「心配するな、エリュース。儂の読みが間違っていなければ、これはきっと上手くいく。気楽に見ておれ」
そう言われても、その根拠が分からないエリュースは簡単に気楽にはならない。しかしダドリーがそういうのなら、きっと解決の糸口はあるのだろう。問題はダドリーには見えているその糸口が、エリュースには見えていない事だ。不安は残ったままだが、ダドリーの言への信頼は勿論、今もある。その信頼が、少なくとも目的地までは自分を連れて行ってくれるだろう。そう思いながら、エリュースは重い足を動かし始めた。