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56 裁きの日


 断罪の広場は異様な熱気に包まれていた。神聖文字が記された赤黒い旗が舞台奥の壁に掛けられている。舞台に引き出されたカイの姿を遠目にとらえ、タオは声を上げそうになるのをこらえた。久し振りに見るカイの小さな体は少し痩せたように見え、顔ににじみ出ている強い不安感に、息が詰まる思いがする。気付けば、剣帯に触れていた右手が、温かい両手で強く包み込まれていた。


「ルゥ」


 隣にいるサイルーシュを見下ろせば、見上げてくる彼女の瞳は今にも泣き出しそうに濡れている。


「……分かってる」


 苦心してそれだけ口にし、タオはサイルーシュの向こうに立っているエリュースに視線を移した。彼は何かを探すかのように辺りを見渡しており、タオはその真剣さに声を掛けることを躊躇ためらう。彼の視線を追うようにして辺りを見渡せば、黒いローブ姿の審問官が等間隔で石壁に沿って立っており、入ってくる時に見たが、出入口は教団の衛兵とは違う出で立ちの黒尽くめの儀侍ぎじ兵が厳重に警備していた。舞台を起点として扇状に広がった幅広の階段は民衆で埋め尽くされ、数段下の出入口からはまだ入ってこようとしている者もいる状態だ。それはまるで収穫祭の時のようでいて、それ以上に彼らは興奮と緊張を発しているように感じられる。ひずみに侵されたグエルのウルフのような凶悪な魔物も、禁忌とされる容姿をした一人の娘も、きっと彼らにとってはそう変わらないのだろう。グエルのウルフが大聖堂騎士に倒されるさまに歓声を上げていた民衆は、今まさに舞台上で殺されようとしている娘の死を願っている。大聖堂騎士の従士として、アスプロを信仰する民を護ることも責務だと考えてきたタオにとって、この事実は目を背けたくなる現実だった。この中には、自分の見知った者たちもいることだろう。


「……俺は今まで何を護ってきたんだろう」


 そう呟けば、隣でサイルーシュのすすり泣きが聞こえた。


「――皆、カイのことを知らないからさ」


 視線を寄越さないまま、エリュースの硬い声が返る。


「俺たちだってカイを知らないままなら、彼らと同じだったかもしれない。彼らの多くは無知で流されやすくて、すぐに扇動せんどうされちまう。だからこそ、正しい方向に導く存在が必要なんだ」

「……これは正しいことじゃないだろ? エル」

「その答えは……、今は出ない」


 そう言ったエリュースの言葉に、タオは彼の横顔を見つめた。頬を緊張させた、彼が(みずか)らを律している時の顔だ。


 その時、後方からよく響く男の声がし、タオは振り返った。人々の頭の隙間から、最上段右側に黒いローブ姿の男が見える。彼の周りには護衛と思われる儀侍ぎじ兵たちがおり、明らかに身分の高い異端審問官だと思われた。


「あれが審問院長だ」


 エリュースに教えられ、タオは納得した。収穫祭の時には無かった椅子が彼のために用意されているようで、あの場所は大聖堂騎士団長が舞台近くに設置したもののような異端審問院の本営なのだろう。左側を見上げれば、そこにも椅子が設けられており、身なりの良い者たちの姿が見える。おそらくはアルシラに別邸を持つ貴族たちだ。その端には、大聖堂騎士ダドリー・フラッグの姿があった。


「これより魔女の公開裁判を行う!」


 異端審問院長のよく通る声が、広場に響き渡った。彼の指示が舞台にいる異端審問官に伝わったのだろう、乱暴に膝をつかされたカイの髪が掴まれ、顔を上げさせられる。彼女の表情は、怖ろしいものを見ているかのように青褪あおざめていた。




 舞台上にいる審問官によって、罪状が声高こわだかに述べられていく。魔導士ウィヒトの名が出た時には、動揺と思われるざわめきが起こった。ウィヒトの名を知っている者も少なくないのだろう。

 

 タオは異端審問官の声を聞き流しながら、サイルーシュの手の温もりを感じながらも、もし今、ソードを抜けばと考えていた。しかし、敵の数が多すぎる、人が密集し過ぎていてソードを振るえない、脱出口は塞がれている――それらの現実が、タオに勝算をもたらしてはくれなかった。何のために剣の腕を磨いてきたのかと、タオは目を閉じ、唇を噛み締める。かせに繋がれ、反論することも許されず、ただ有罪になるのを待つだけの姉を眺めるために、これまで鍛錬たんれんしてきたのではないはずなのに。


「――その女は魔物だ!」

「魔物の接吻せっぷんあとを調べろ!」


 次々と上がる声に混じりカイの悲鳴が聞こえ、タオは怒りと共に目を開けた。背もたれのある椅子に座らされているカイの胸元がさらけ出され、白い光に焼かれているのが見える。異端審問院の中にもあの光を使える者がいるのだと、タオは初めて知った。光る手を離されたカイの胸からは赤い血がしたたり、彼女の白いローブを見る見る染めていく。


「カイ……ッ」


 タオは、カイの名を口にしていた。涙に濡れたカイの唇が、何か言葉をつづっているのが見える。小さなそれは周りの人々の発する罵声に掻き消され、聞こえない。


「……殺して」


 ふいに耳に入ってきた言葉に、タオはエリュースを見た。彼の視線は真っぐに舞台に向かっている。その横顔が、痛みをこらえるようにゆがんだ。


「どうか、もう、殺してって、言ってる」


 震える声で、エリュースが呟いた。彼の頬を、涙が伝い落ちる。タオはアルシラに来てから、エリュースの泣き顔を初めて見るような気がした。


 カイの悲鳴が僅かに変化した気がし、タオは舞台に視線を戻す。そこには椅子から解放されたカイが床に倒されており、ローブのすそめくり上げられていた。抵抗する細い足首が、審問官によって掴まれる。泣き叫ぶカイの声は、決して自分たちを呼ばない。あの、大主教が来た塔でのむごい夜と同じだ。あんな目にあっていても、カイはみずからのことより自分たちのことを護ろうとしてくれている――その哀しい事実は、タオにとって到底耐えられるものではなかった。


「――ルゥ、エル、ごめん。俺もう無理だ。殺されたってカイの、姉さんの元へ行く」


 大衆の面前ではずかしめられる姉を、どうやって見過ごせと言うのだ。火炙ひあぶりにされるだけでも耐え難い行為だというのに、初めて目にした魔女裁判のむごたらしさに気が狂いそうになる。

 タオは剣柄ヒルトを掴んだ。サイルーシュの手が、それをさまたげることはなかった。


「行ってあげて、タオ。私のことは構わないわ」


 サイルーシュの涙混じりの声からは、凛とした覚悟が伝わってきた。彼女のことを愛おしいと思う。それでも、カイを見捨てることができない。あまりにも哀しい人生を歩んできた血を分けた姉を、やはり見殺しになどできはしない。

 

 タオは死を覚悟し、その一歩を踏み出した。瞬間、肩を強く掴まれ引き戻される。驚き振り向けば、エリュースが何処どこか一点を食い入るように見ており、タオを見てはいない。


「エル!? 離し、」

「デュークラインだ……!」

「え!?」


 エリュースの言葉に、タオは驚いた。彼の視線を辿たどれば、舞台へとくだっていく黒いフードとローブの後ろ姿を見付ける。その後ろにもう一人、同じようにフードを被った者がいるようだ。民衆を強引に退けようとしているが、舞台に近ければ近いほど人が密集している。彼らの歩みが止まった。彼らの前方が民衆で塞がれている中、長身の者のフードが下ろされる。そこに見えた灰銀色の長い髪と見覚えのある広い背に、タオは信じられない思いで彼を見つめた。



* * *



「その娘を離すのだ!」 


 デュークラインは声を上げずには居られなかった。ここはわば敵陣の真っ只中だ。しかし手の届かない場所で、カイが無慈悲に甚振いたぶられている。いまだ経験したことのない(はずかし)めを受けようとしている。それをの当たりにしながら悠長に人を押し退けている余裕は、デュークラインには無かった。


「私は大主教様の侍従(じじゅう)であるデルバート・スペンスだ……! 大主教様の(めい)により、その娘の身柄を預かりに参上した!」


 辺りに響き渡るよう声を張り、デュークラインは姿をさらす。周囲から(どよめ)きが立ち、舞台上の異端審問官の動きが止まった。カイから手を離した審問官が立ち上がり、驚きと戸惑いを露わにして立ち尽くす。侍従様だ、デルバート様だ、と人々がささやく声を耳の端で聞きながら、デュークラインは更に声を上げた。


「道を開けろ!」


 前方で振り返ってきている民衆に対し一喝すれば、おびえたように人垣が割れた。舞台上に倒れているカイの姿がはっきりと見える。き出しにされた胸元から流れ出る血で白いローブは赤く染まり、泣き腫らした顔で空を仰いでいる。恐怖からか喉元を震わせており、痙攣けいれんを起こしているようだ。


「――カイ!」


 デュークラインはカイの名を呼んだ。それに反応するように、カイの視線がデュークラインへと向けられる。見開かれた瞳から新たな涙が生まれ、頬を伝うのが見えた。


「……だめ、来ちゃ、だめ……っ」


 震える唇から発せられた、小さな声が聞こえる。悲しげな瞳で、まるで許しを請うようにして、カイが泣いている。


「大丈夫だ。すぐに行く」


 デュークラインはカイにそれだけ答え、舞台の方へと足を踏み出した。その歩みをさまたげるように立ち塞がったのは、異端審問官と儀侍ぎじ兵だ。剣を抜く気配はなく、止めるというよりは事情を聞こうとするような姿勢に感じられ、デュークラインは足を止めた。自分が偽者であると知っている者は、異端審問院の中でも極一部の人間だけなのだろう。目の前の異端審問官も、舞台にいる者も事情を知らない様子だ。ならば無闇に強硬するよりはやり方がある――そうデュークラインは考えた。


「――その者は偽者だ!」


 しかしその時、後方上部から声が発せられた。振り仰げば、最上段で立ち上がっている異端審問院長の姿が見える。


「その者は大主教様の侍従などではない! そのデルバート卿は偽者なのだ! 今すぐに捕らえよ!」


 異端審問院長の言葉を受け、周囲のざわめきが大きくなる。デュークラインは取るべき手段を考えながら、戸惑った様子で一歩下がった異端審問官と儀侍ぎじ兵たちを見据みすえた。



* * *



 ――愚策ぐさくだ。


 異端審問院長が叫んだ言葉を聞き、ジェイはそう思った。舞台(そで)から覗いてみれば、やはりデルバートを前にして誰も次の行動に出られていない。どう見ても、あの男は大主教の侍従であるデルバート・スペンスなのだ。事情を知らない者が突然、それが偽者だと言われても混乱するだけなのは当然のことだろう。異端審問院長が何かおかしなことを言っている、という気持ちになっているに違いない。


「ジェイ様」


 言外に「どうするのか」と聞いてきたギレルに、ジェイは軽く笑った。

 自分なら、「構わん(・・・)、その者を捕らえよ」と言う。事情を知らない部下を動かすには、責任の所在を明らかにしてやらねばならないのだ。そうすれば、たとえ相手が格上だろうと部下は動く。ウォーレスはその辺りのことを考えたこともないのだろう。


しばらく様子を見る」


 ジェイはそれだけ伝えた。今すぐ声を上げ、指示すれば、儀侍ぎじ兵は動くだろう。しかしこの公開処刑を取り仕切る役目から解任(かいにん)されたことは、ジェイにとって納得のいくことではなかった。あの娘を刺激して良いことは何もない、そう思う。みずから納得し、死を受け入れようとしている娘に対し余計な危害を加えて何になるというのか。慣習(かんしゅう)(とら)われず、ただ火炙りに処すだけならば、もうすでことは終わっていたのだ。


 それに加えてジェイの胸の内には、この警備の中を逃げられはしないという自信があった。警備体制はジェイが計画し、配備した人員がそのまま使われている。姿を隠し何処どこからか入り込んできたことには驚いたが、姿をさらした後、娘を連れて出ていくことの方が難しい。死を覚悟して娘のために戻ってきたならば、今(しば)し時をやっても良いだろう。


「分かりました」


 そう答えたギレルを従え、ジェイは舞台にきびすを返した。



* * *



 デュークラインは、目の前を塞ぐ異端審問官と儀侍ぎじ兵に退くよう言った。立ち塞がっている異端審問官の足は、徐々に後退していっている。


「デルバート卿、大主教様は何故なぜあの娘などを――あの魔導士ウィヒトがのこした予言の魔女なのですぞ……!」

「承知の上だ。理由は後で大主教様が説明してくださる。ウォーレス殿は何か勘違いをされているようだが……大主教様はこの処刑には以前から反対されていたのだ。それをあのウォーレス殿が強硬しようとしている。お前は教団の最高位である大主教様の意向を無視し、彼に加担するのか?」

「そ、それは――……」


 異端審問官の男の視線がデュークラインを越えて上がり、最上段の異端審問院長に向かったようだ。そして戻ってきた彼の眼差まなざしから、明らかに迷いが強くなっていることをデュークラインは感じ取る。このまま押し切れる――そう確信を持った。事情を知る者が出て来ないことには違和感を覚えるが、それも長くは続かないだろうと思う。後方から異端審問院長ウォーレスが騒いでいるが、この現場を更に混乱させているだけだ。この好機をのがさず急がねばならない。


 堂々と立っているように見せてはいるが、実際は戦闘になればまともに戦うことは難しい。カイから与えられた魔力がほぼ枯渇こかつしていることを、デュークラインは自覚していた。主人との糸が切れた使い魔の体など、スバルの言うように穴の空いた池のようなものだ。付いてきているスバルの助けが無ければ、ここに来ることすらできなかった。


 デュークラインは死を覚悟してここに来ていた。それは、みずからとカイ、両方の死だ。いくらスバルの手助けがあったとしても、この広場からカイを連れて逃げられる可能性は限りなく低い。ここを出られたとしても、カイの居場所はもう何処どこにも無いかもしれない。それでもデュークラインがここへ来たのは、カイの願いを叶えるためだ。あの地下牢でカイが願ったことは、デュークラインにとっては断固拒否したいことだった。それでもまぬがれない死ならば、異端審問官によって傷付けられ辱められ殺されるよりはと、デュークラインは苦渋(くじゅう)の決断をしたのだ。彼らの手からカイを助け出し、この手に取り戻す。カイを理不尽な苦痛から解放するくらいの時間は、スバルがかせいでくれるだろうと。


 しかし意外にも事情を知る者が声を上げず、異端審問院側の動きが鈍い。この事態はデュークラインにとって予想外であり、捨てた希望を拾うに値する現実だった。このままカイを保護し、この広場を出ることができるかもしれない。居場所が無いというのなら、いっそ王都側へ行くのも良い。この体がいつまで持つかは分からないが、女主人カリスと連絡を付けられる機会も全く無いとも言い切れない。希望の道は確かに一筋、目の前に延びている。


「さぁ、そこをどけ……!」


 デュークラインは片手で異端審問官を押し退けるようにし、足を踏み出した。割れた人垣の向こう、明るい太陽が降り注ぐ舞台上で、カイが待っている。異端審問官に枷を付けられた腕を取られながらも、カイが確かに、こちらを見ている。真っ赤に腫らした目元から更に涙を零しながら、自分が来るのを待っている――。


 瞬間、背に鋭い痛みが走った。それは体に深く刺し入り、次いで引き抜かれた感覚が訪れる。


「な……ッ、なに、」


 デュークラインは突然のことに体勢を崩しながらも、振り返った。そこには背後を護っているはずのスバルの姿は無い。代わりに、赤い巻髪のただれた顔の男が小剣ダガーを振り上げていた。



* * *



 ファビウスがデルバートのことを知ったのは、ある男の口からだった。城壁外の貧民街で乞食(まが)いのことをしている時に近付いてきた男で、名前は知らない。フードで顔は隠していたが、軽薄そうな声をした若い男だ。


「君の復讐、手伝ってあげてもいいよ?」


 その男は耳元でささやくようにして、そう言った。

 

「人違いじゃないか」


 ファビウスはそう返し、胡散臭うさんくさい男を見上げた。相手にはしないつもりだった。相手は異端審問官かもしれないし、それに雇われた男なのかもしれないからだ。フードを少し上げ、焼けただれた顔を見せてやる。これで大抵のやからは逃げていくのだ。しかしその若い男は、「ふぅん」と面白そうに息を零しただけだった。


「君、あの黒装束の連中にひどい目にわされたらしいじゃない。君を助けるためにお友達はみんな奴らに殺されたんだよね?」

「お前……」


 ファビウスは小剣ダガーの柄を掴んでいた。次の息を吐く瞬間には、この目の前の男を斬れる、その自信があった。


「僕を殺しても、君の得にはならないよ。僕は君の味方なんだから」


 そう言ってのけた男が、ファビウスは分からなかった。斬られる心配をしていないのか、しくは死地に立っていることすら分からない馬鹿なのか、男におびえる様子は見られない。


「ねぇ、いいこと教えてあげる。明日、断罪の広場でやるもよおし物は知っているよね?」

「……魔女の公開処刑か」

「そう。そこにね、デルバートって男が現れる。そいつは君の大嫌いな黒装束の連中が探している男なんだ。そいつを捕まえたくて連中はたまらないんだよ。大事な秘密をいっぱいかかえているんだってさ。ね? 君のお友達の隠れ家を知っていたのも、デルバートかもしれないよ? そんな男を連中の目の前で奪ってやればいいんじゃない? 二度と手に入らない場所へ送ってやれば」


 にこやかな声で話す男を、ファビウスは怖ろしいと感じた。と同時に、異端審問院への復讐の機会が巡ってきたのだと思う。


「僕がデルバートを連れていくから、君は民衆にまぎれて広場に入り込んでいればいいよ。誰がデルバートかは、すぐに分かるだろうから」


 信じていいのか、とファビウスは悩まなかった。異端審問院への復讐心だけで生き延びてきたようなものだ。たとえ罠であっても広場に血の雨を降らせ、異端審問院の奴らに思い知らせてやろう。そう、ファビウスは心を決めたのだ。



 小剣ダガーで背を深く刺した相手の「デルバート」は、それだけでは倒れず振り返ってきた。鍛えられた体格の通り、頑丈な男だ。大主教の侍従だと言っていたが、それならば異端審問院が躍起やっきになって捕らえようとしていることも納得できる。彼らは大主教を追い落とし、権力を強めようとしているのだろう。神に捧げるに相応ふさわしい男だ。舞台は魔女の血で染まり、その魔女を助けようとしている男の血が、今、まさに流されている。騒ぐ外野の声を押し退け、歓喜している神の声が聞こえる。


「お前個人には恨みはないが――死んでもらおう! 私の神のために!」


 ファビウスは小剣ダガーを振り上げた。デルバートが抵抗しようとする動きを許さず、体で押し倒す形で胸にやいばを深く突き立てる。そのまま体にし掛かり小剣ダガーを引き抜けば、鮮血が視界に散った。


「デルバート卿……!」


 辺りからは心地良い悲鳴が上がり、異端審問官の動揺した声が聞こえる。それを掻き消すように耳に届いた高い悲鳴に、ファビウスは顔を上げた。舞台で枷に繋がれた血(まみ)れの魔女が、口元をわななかせ泣いている。今し方殺してやった男を見つめながら、言葉にならない声を上げている。


「デューク、いや、デューク……!」


 魔女が呼ぶのはこの男のことか――そう思い、ファビウスはデルバートの首元の衣服を掴んで僅かに頭を持ち上げた。藍色の瞳を僅かに覗かせてはいるが、男からはすでに力は失われている。涙に濡れる若い魔女に見せつけるようにしてデルバートから手を離せば、デルバートの頭は力なく地に落ちた。小剣ダガーを抜いた胸や背から流れ出る血が、ファビウスの視界に広がっていく。魔女の泣き叫ぶ悲鳴を聞きながら、ファビウスはみずからを捕らえようとする兵たちに小剣ダガーを向けた。


 



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