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50 大聖堂騎士団の円卓

 先程まで五鐘の音が聞こえていた夕暮れ時、タオは大聖堂騎士団本部三階にあるサイラスの執務室にいた。今朝からの仕事の報告を済ませたところだ。先輩従士であるトバイアが「一緒に飲むかい」と言って出してくれたエールを受け取り、タオは窓際に寄ってそれに口を付けた。冷たい風に触れながら外を眺めてみれば、夕陽に染まる大聖堂が見える。その二つの尖塔は、今日も遥かな天を突いている。アスプロの元で非道な行いをしている大主教に、罰がくだる日は来るのだろうか? 来るならば早い方が良い。そうタオは思った。


 アルシラに戻ってきてからは何かと忙しかった。サイラスの担当区域での揉め事の仲裁から手伝いまで、仕事は幾らでもある。特にタオはサイラスの従士の中では最も若輩じゃくはいのため、時には先輩従士から振られる仕事もあった。


 十数日前にはサイラスから用事を言いつけられ、マクファーレン伯爵領の一部に領地が重なるグエル主教領に出向いていた。そこに常駐している大聖堂騎士ロベルト・ハルドに会い、書簡のやり取りをし、丁度良いとばかりに彼の従士と手合わせをさせられ、帰ってくるまでに数日を要したのだ。ロベルトは同じ大聖堂騎士でもサイラスとは異なりどこかだらしない(・・・・・)印象を受ける男だったが、仲良くなった従士によれば、あれで腕は立つらしい。賭け事にも滅法めっぽう強いのだそうだ。


 そういえば、アルシラに初めて来たルクは元気にしているだろうか。フードを深く被らせたまま共にアルシラまで来たのだが、問題は門にいる衛兵だった。アルシラにはゴブリンなどいないのだ。そこでエリュースが取った策は、ルクにロープを掛けることだった。


「いやだ! 旦那さまが、おで(・・)は自由だと、言った!」


 そう言って、奴隷どれい扱いされることをルクは嫌がった。そんなルクを、エリュースがなだめたのだ。


「そうだな。お前は奴隷じゃなくて自由なゴブリンだ。料理も上手うまいしな」

「そうだ!」

「なら、今度は人間をだましてやろうぜ」


 楽しげな笑みを浮かべたエリュースの顔は、実に無邪気なものだった。目を丸くしたルクも楽しそうだと思ったのだろう、結局、素直に縛られてくれたのだ。

 衛兵に奴隷だと言ってのけ、納得させてしまったエリュースの豪胆ごうたんさを思い出し、タオは少し笑った。


 ルクは今、大聖堂騎士ダドリー・フラッグの家にいる。ダドリーはおしゃべりのできるゴブリンのルクを見て目を輝かせ、興味深そうにしていた。料理も掃除もできると聞き、早速その夜はルクの料理を食べたらしい。


 エリュースはあれから大聖堂騎士ダドリー・フラッグの元に通い――異端審問院に行くために本を焦がしたという不名誉をこうむったらしいが、それも奉仕活動と称した旅から帰ることで許されたことになったらしい――塔の結界の印を調べてくれている。しかしあれから二十日余りが経とうとしているが、まだ結界士を特定したという報告はない。エリュースの方も学業があり、秘密にしなければならない調査だからこそ本業をおろそかにできないのだと聞いている。


 そんなエリュースから言われていることを思い出し、タオは残りのエールを飲み干した。気付かれないようサイラスの方を見れば、彼は執務机の上で手元の書類を指先で小突きながら考え事をしているようだ。


 もう俺たちだけでかかえておける範囲を超えた。そうエリュースは言った。ウィヒトの予言は現実に起こりる災厄だ。しかも大主教が関わっている。異端審問院がその情報を持っている今、サイラスに事情を話すべきだと言うのだ。そのことには、タオも同意した。サイラスに叱責しっせきされることは覚悟している。ただそれについてエリュースから、大聖堂騎士ダドリーに話を聞くよう言われているのだ。どこまでサイラスに話すべきなのかは、彼に相談するべきだという。生き残りの魔女であり、高貴な身分と思われるカリスのこと、デルバートの偽者として捕らえられているデュークラインのことなど、話してしまうことで取り返しのつかない事態になるものもあるかもしれない。そうエリュースが話すのを聞き、タオも確かにそうだと思った。自分が秘密をかかえておくことが苦しいからと全て打ち明けることで、自分以外の誰かが窮地きゅうちに立たされるかもしれないのだ。そしてそれを自分で判断することは難しいと、エリュースは思ったのだろう。


 タオは決心した。

 今日こそは大聖堂騎士ダドリーを訪ねようと思う。サイラスに話しても良い範囲を確認したうえで、サイラスに事情を話したい。こうしている間にも、カイは塔でつらい思いをしているだろう。彼に話すことでカイを救う手が増えるかもしれない。サイラスは不正を許せない正義感を持っているのだ。


 サイラスの様子では今日はこれで仕事終わりのはずだ。本を借りるために図書室に行くと言えば、サイラスに珍しがられるだろうか。エリュースに影響されて、とでも言えば――そう考えていた時、扉をノックする音があった。


「入れ」


 サイラスが許可を出し、扉が開かれた。

 入ってきたのは、先輩従士のゲリーだ。


「何があった?」


 サイラスがすぐにそう聞いたほど、ゲリーの様子は急を要したものに見えた。吐く息が荒く、慌てて駆けて来たことが分かる。


「それが、魔女がここへ来たんです!」

「魔女、だと?」

「そうです! 異端審問官が魔女を捕らえたと」

「えっ!」


 ゲリーの発した報告に、タオは驚きのあまり声を上げていた。落としてしまったコップが踏み出した足先に触れたが、今はそんなことはどうでもいい。


「ゲリーさん! その魔女を見たんですか!?」

「あ? なんだよタオお前、」

「ゲリー、見たのか?」


 顔をしかめたゲリーにサイラスが問い、ゲリーが姿勢を正して「いいえ」と答えた。


「でも町の皆が言ってましたよ。異端審問官のおり馬車が魔女を連れてきたって。黒い髪と目をした若い女だったそうです」

「――そんな……」

「タオ?」

「え、あ……、いえ、」


 サイラスに名を呼ばれ、タオは慌てて取りつくろおうとして彼を見る。しかし混乱する頭では何も言葉が出てこなかった。何故なぜカイがここにいるのだ、結界が解かれたにしても早すぎる。そんな思いに加え、カイが処刑されてしまうかもしれない恐怖に息が詰まる。


「お前、魔女って聞いてちびり(・・・)そうなのかよ? 俺ならこのソードで斬り殺してやるぜ? 若い女なら斬りがいもある――」

「ゲリー!」


 サイラスが強くゲリーの名を呼んだ。それにより、タオは自分の手が剣帯に触れていることに気付く。と同時に、一瞬、サイラスの視線を感じた。


「じょ、冗談ですよ、サイラス様」


 そう言ったゲリーが扉に背を張り付ける。そんなゲリーから視線を外したサイラスに振り返られ、タオは彼と目が合った。


「トバイア、ゲリー、外に出ていろ。いいと言うまで誰も入れるな」

「え、タオの奴は、」

「黙るんだゲリー。行くよ」


 トバイアがゲリーをうながして出ていき、扉が閉まった。

 タオはサイラスの視線を受け止めたまま、両手を握り締める。サイラスの眼差まなざしは厳しい。


「タオ、お前、何か隠しているな?」


 そう言われ、タオは否定できなかった。

 どうしたらいいのかと頭は混乱したままだ。エリュースに知らせなければ、そう思うが、今この場から逃げられるわけもない。


「……お話しすることがあります」


 タオは覚悟を決め、乾いた喉につばを押し込んだ。





「――姉、だと?」


 驚いたように目を見開き眉をひそめたサイラスに、タオはうなずいた。


「異端審問官に連れられて来たのは、俺の父親違いの姉なんです」

「お前に姉がいるとは聞いていなかったぞ? 父親は分かっているのか?」

「それは――大主教なんです」


 タオは一旦言葉をにごしたが、はっきりと答えた。どこまで話すべきかは正直分からない。しかしカイにひどいことをしていた大主教のことを、タオは隠していたくなかった。彼は非難されるべきなのだと強く思う。

 サイラスの眉間のしわが深まった。


「何だって?」

「姉さんはある場所に閉じ込められていて……大主教によって今まで隠されてきたんです。教団の禁忌に触れる色を持っていたからです。だけど、異端審問院に嗅ぎ付けられてしまった。処刑されてしまうんです、俺の姉さんが……! 予言の魔女として――」

「ちょっと待て、大主教が禁忌の子供を隠していたのか? それに、予言? 一体それはなんだ?」

「魔導士ののこした予言だと聞きました。異端審問院は姉さんを処刑しようとしているんです」


 詳しい説明は、タオにはできなかった。予言の正確な文言も、聞きはしたが覚えてはいない。きっとエリュースならば、一言一句間違えずに覚えているのだろう。


「それをどこで知った?」

「ノイエン公爵領内の森の塔です。最初は偶然出逢ったんです。そこで何度か会って……姉さんの世話をしている人から聞きました」

「……ということは、エリュースもんでいるのか? ――待て、ではルゥも知っているのか!? あの時お前たちが行っていたのは――!」

「はい。そのことについては師匠に謝らないといけなくて……申し訳ありませんでした……!」


 タオは深く頭を下げた。

 沈黙が重く、顔を上げられない。


「タオお前――本当にタオなのか? 偽者じゃないんだろうな?」

「え?」


 驚いてサイラスを見上げれば、彼が真剣な表情で見つめてきていた。彼の片手は彼自身の剣柄ヒルトに触れている。タオは訳が分からなかった。何故なぜそんなことを言われるのかが分からず、混乱する。


「お、俺はタオですよ? 偽者なんかじゃ……、いや、本当に本物ですよ!?」


 どう証明すれば良いのか分からず、タオはとりあえずサイラスに訴えた。これまで彼に嘘などいたことが無かったからだろうかと焦る。まさか偽者と疑われるとは予想していなかった。

 サイラスの視線に耐えながらしばらくすると、ようやく彼の表情から僅かに硬さが取れた。


「あ――そうだな……。お前も年頃だし……それに偽者ならわざわざ自分からしゃべらんな……」


 独り言のように言いながら、サイラスが難しい顔をしながら頷いた。どうやら本物だとは、分かってくれたようだ。

 タオはもう一度、深く頭を下げた。


「師匠、あの時のことは本当に申し訳、」

「タオ、そのことについては後だ。――トバイア!」


 謝罪をさえぎる形で、サイラスが叫んだ。

 またも驚き顔を上げると、後方で扉が開けられた音がした。振り返れば、入ってきたトバイアの姿が見える。


「アルシラにいる聖堂騎士に召集を掛けろ。緊急会議だ。私は団長のところへ行く」

「承知しました」


 すぐにトバイアが出ていった。

 タオは部屋を出て行こうとするサイラスの後を目で追う。すると、扉前で立ち止まった彼に振り返られた。


「タオ、会議室に行っていろ。さっきのことを証言するんだ。だが、姉だということは言うな」

「は、はい」


 サイラスの指示を受け、タオは焦る気持ちを抑えて頷いた。



* * *



 少し時をさかのぼった頃。

 大聖堂騎士団の二階の図書室では、エリュースが分厚い羊皮紙の本を開き目をしばたたかせていた。ほぼ毎日のように、学校が終わればここで過去の調査書を読んでいるからだ。この印は誰の、と単純に書かれているようなものではない。膨大な文字の中に印のことが書かれている箇所を探すものなのだ。


 相変わらず本に埋もれている執務机の方を見て、エリュースは片手で頭を掻いた。次の本を読みたいが、今はダドリーが不在だ。彼が不在時でもここに入る許可をもらってはいるが、本の海から目当てのものを探し出すのはダドリーに頼んだ方が早い。これらの書架の中を一度整理すべきだと思うのだが、いずれ自分がやった方が良いだろうと思う。


 その時、ノックもなく扉が開く音がした。ダドリーが戻ってきたのだろう。


「来ておったか」


 予想通りのダドリーの白髭顔が書架の陰から現れ、エリュースは立ち上がった。


「師匠、他の本を――」

「エリュース」


 ダドリーに名を呼ばれたことで、エリュースは言葉を止めた。彼に麻袋を渡されて受け取り、エリュースは彼の後を追う形で執務机の方へ向かう。袋に入っていたのは蝋燭ろうそくで、エリュースはそれを一つ取り出した。机上のオイルランプから火を移し、蝋燭立てに蝋燭を立てる。たまには散歩をせねばと、ダドリー自身が買いに出ていたのだ。


 執務机の椅子に腰を下ろしたダドリーが両肘をつき、エリュースは机越しに彼に寄った。


「落ち着いて聞くのだぞ、エリュース。先程、異端審問官の檻馬車が戻ったそうだ。ひそかにアルシラを出ていたようだな」

「――まさか」


 エリュースは嫌な予感がした。ダドリーを見つめれば、彼が固く頷く。


「魔女を捕らえたそうだ。町民の間ではすでうわさになっておる」

「結界が解かれた!?」

「そうなのであろう」

「早すぎます!」

「事実だ」


 静かな口調でダドリーが言った。

 カイが異端審問官によってアルシラに連れて来られた。その事実を、エリュースは両手を膝上で握り締めながら受け入れる。自分が気付けなかった『何か』が彼らにあったのかもしれない。そう悔しく思うが、今更のことだ。


「これからカイはどうなりますか。異端審問院で取り調べを?」

「断罪の広場周辺は、このところ動きが活発だ。儀式の節目ふしめにあたる式典だろうと思っていたが、それを流用するだろうな。民衆にも開かれた公開裁判を行うつもりなのであろう。お前は見たことがないだろうが、魔女たちが火炙ひあぶりになるさまは民たちにとって恐怖と愉悦ゆえつが入り混じる娯楽になる。近いうち、その触れが異端審問院から出るはずだ」

「そんな――ッ」


 エリュースは愕然がくぜんとした。もう手の出ない場所にカイはいるのか。何か方法はないのかと、両手で頭をかかえる。


「――師匠……、どうしたらカイを救えるのですか。俺にはもう手詰まりで……っ」


 打てる手は打った。だがどうしても後手ごてに回ってしまう。組織的な情報収集能力と持っている権力の差は簡単には埋められない。


「お前は……、救いをどのように考えておるのだ?」

「え?」


 ダドリーからの問いに、エリュースは顔を上げた。


「娘を助けたその後はどうするつもりだ。生きながらえさせることが、本当に娘の救いとなるのか? お前の考える救いが、それぞれの幸せだとは限らぬ」

「師匠」

「お前も気付いているだろうが、呪いは娘が二十五歳になっても続くかもしれぬ。棋盤きばんすでに詰んでいるのだ。災厄をただ引き延ばすだけに過ぎぬかもしれぬ。その間、いつ起こるともしれぬ呪いに恐怖するのはアルシラの民だ。お前はそれらを全て背負い込む覚悟があるか?」

「それは……」


 エリュースはダドリーの言うことを理解できた。カイを助けた後は貴人であるカリスが面倒を見るつもりなのだと思っていたが、一度異端審問院の手に落ちたカイをかくまうことは彼女の身を危なくするだろう。そもそも、カリスが何処どこにいるのかすら、自分は知らないのだ。確実に予言の効力が切れるのであればと思うが、そこを確認することはできない。マヴロスと話ができたとしても、気紛れな神(ソラドゥーイル)が真実を口にするとも限らない。


 それでも、とエリュースは考えることを諦めきれなかった。確かにカイが処刑されれば予言は止まる。これ以上恐怖で苦しめるくらいなら、殺してやる方が良いのかもしれない。しかしそれでは根本的な解決にはならないのだ。アルシラの民は未来永劫、ウィヒトののこした予言におびえなければならない。生まれてくる呪われた赤子をその都度つど殺しながらだ。そんな町が平和に存続し続けることなどできないと、エリュースは思う。怨念の上に建つ虚構の町など、いずれは滅びゆく運命を辿たどる。


 カイがここまで生きながらえていることは、言わば天啓てんけいなのだ。その理由が胸糞悪い大主教の理解し難い性癖だとしても、予言の娘が生き延びるためには必要だったのかもしれない。カリスやデュークラインたちが関わり、カイは驚くほど清廉せいれんな娘に育った。あの色を持っていなければ、アスプロの娘と称してもアルシラの民は納得をするだろう。たとえ予言の効力が切れずとも、彼女が天命をまっとうできたなら。それは呪いの力を無くすことに繋がる。


 エリュースはダドリーを見据えた。

 カイを処刑すべきでは無い。それはエリュースの中で明白だ。しかし目の前に突き付けられている現実に、打つ手を見出すことができない。何の権力も持たないこの身では、異端審問院の動きを止めることができないのだ。


「ふむ……」


 ダドリーが顎髭あごひげを撫で、眺めるようにしてエリュースを見ていた目を僅かに細めた。


「一つ方法があるとすれば――」


 静かに発せられたダドリーの言葉に、エリュースは息を詰めた。


「棋盤を引っ繰り返すしかあるまい」

「引っ繰り返す……?」

「そうだ。並の覚悟ではできぬ」


 そう言ったダドリーが、扉の方に視線をやった。不思議に思っていると、ノック音がする。入室を許可され、書架の向こうから姿を見せたのは、サイラスの従士トバイアだった。エリュースに気付いた彼が少し驚いた顔を見せたが、すぐに緊張を帯びた表情でダドリーに向き直る。


「緊急会議の招集です。今すぐ会議室にお越しください」

「ああ、分かった」


 短く答えたダドリーに、トバイアが頭を下げた。

 トバイアが去った後、ダドリーが溜息を吐きながら立ち上がる。


「魔女が連れて来られた件だな。今のはサイラスの従士か」

「ええ、トバイアです。噂が広まるのは早いですね」


 カイは檻の中から初めてのアルシラの町を見たのだろう。好奇な視線にさらされたカイの心情を思うと、胸が痛い。サイルーシュやタオが見ていないといいが――そうエリュースは思った。そんな状態のカイをの当たりにした彼らが、平常心を保っていられないと予想できるからだ。 


「上に行ってくる。お前はここで居るが良い」

「ええ、待っています」


 大聖堂騎士団が出す結論には興味がある。カイを救う手になる可能性が無いわけではない。

 ダドリーに問われ、エリュースは頷いた。

 


* * *

 

 

 大聖堂騎士団本部の三階にある一室に入ったタオは、中央に楕円だえん形の円卓が鎮座している光景を初めて目にしていた。サイラスは先に騎士団長の執務室へ行ったため、今は一人だ。

 

 兵士が壁に灯した松明たいまつの灯りにより、背凭せもたれのある椅子が全部で十五脚あるのが見える。奥には閉じられた窓が二つあるようだ。剛健な印象を受けるその円卓には五つの皿状のオイルランプが置かれ、それらはほぼ等間隔の灯りで円卓を闇に浮かび上がらせている。近付いてみれば、円卓の木目の美しさがよく分かった。


 しばらくすると、白髭の老騎士が入ってきた。エリュースが師とあおぐ大聖堂騎士ダドリー・フラッグだ。


「おぉ、お前さんか」


 エリュースから話を聞いているのだろう、ダドリーが全て見透かしているように笑った。


「あ、あの、ダドリー様。話していい範囲ってどこまで――」


 今ここで二人きりならば、とタオはダドリーに近付いた。しかし扉をノックする音がし、口を閉じるしかなくなる。入ってきたのは、副団長のアレクス・ダリエだった。


「落ち着いておれ、タオ」


 ダドリーになだめるように背を軽くたたかれながら、タオはアレクスに頭を下げた。落ち着こうとするも、緊張と不安で心臓が潰れそうに思う。


「お早いですねダドリー殿。そっちはサイラスのところの若いのですか?」

「喋らせることがあるのであろうな」


 ダドリーが静かにアレクスに話す。それに対しアレクスが細い眉を不思議そうに上げた。彼は今年の収穫祭のもよおしで騎士団長の供をしており、細面の優雅な笑みが目を引く男だ。


 軽く頷いたアレクスが、その涼しげな目をダドリーに向けた。


「そうそう、ダドリー殿。あれから私もよく考えて、貴方あなたの言う通りだと思ったのですよ」


 アレクスの言ったことに興味を引かれ、タオは彼を見た。そんな視線に気付いたのか、アレクスの目と目が合う。すると、彼がにこりと笑みを浮かべた。


「君は知り合いが間者だったと知ったらどう思うかい? しかもそれが本物そっくりに化けた偽者だったなんて知ったら」

「……それは、驚きます。本物は大丈夫なんだろうかと思います」


 さっきサイラスが自分を偽者かと疑った原因はそれか、とタオは思った。大主教の侍従じじゅうであるデルバート卿が偽者として異端審問院に捕らえられていることは、エリュースから聞いている。どうやら間者だということになっているらしい。


「君は優しい子だね。私たちは、仲間内にも偽者がいるんじゃないかと疑心暗鬼になってしまってね。なにせ、異端審問院からの書状には詳しいことは書かれていなかったんだよ。いつから入れ替わっていたのかも分からないんだ。他にも間者がいるかもしれないから大主教の警護を強化しているが、気分的にすっきりしなくてね」

「そうなんですか……」

「誰が偽者でもおかしくない状況に思えてね。でもそうしたら、そこのダドリー殿が教えてくれたんだよ。それは『せん無きこと』だとね」


 タオはアレクスの視線に誘導され、円卓についているダドリーを見た。豊かな白髭の老人が困ったように笑んでいる。


「ふむ。お前さんも覚えておくと良いぞ。間者には誰でも成りるのだ。それが本物であろうと無かろうとな。本物であるからと言って、間者ではないとは言えぬ。そうであろう? 報酬に目がくらんでおるかもしれぬ、弱みを握られておるかもしれぬ。その者が本物であるかどうかを疑うのは、今回に関しては意味のないことだ。間者に知られる可能性と情報開示を天秤にかけ、口にするかどうかを決めれば良い」

「はい」


 素直に、タオは頷いた。と同時に、少し怖くなる。誰でも裏切る可能性がある、とダドリーは言ったのだ。その恐怖を、タオは否定した。身近な人間を疑ってかかるような人間にはなりたくない。


 その時、扉が開かれた。

 師であるサイラスに続き、騎士団長ヘンリー・パーセルと、副団長ノーマン・リドレヴィクツが入ってくる。このアルシラに常駐しているのは騎士団長以下五名の騎士たちで、後の九名は地方の主教領などの領地を任されているのだ。総勢十五名の騎士が一同に会する機会はほとんど無いと聞いている。次にそういう機会があるとすれば大主教が代替わりする時くらいのものだと、いつだかサイラスが言っていたことをタオは思い出していた。


 騎士たちが円卓につき、タオはサイラスの傍に控えたままつばを呑み込んだ。オルダスの姿がないことが気になったが、アルシラにいる大聖堂騎士がこうして一同に会する機会も、そうそう無いのだ。


「オルダスには大主教を護衛させている。知っている者もいるだろうが、異端審問院が予言の魔女を捕らえたそうだ」


 騎士団長ヘンリーが発した言葉に、タオは下ろした両手を握り締めた。


「それなら私も聞きましたよ。いつもの事ではないですか? 確かに最近ではありませんでしたが……」


 そう言ったのは副団長のアレクス・ダリエだ。華のある顔にかかった髪を耳に掛け、いぶかしげな顔をしている。


「その魔女のことで、サイラスから報告があるそうだ」


 騎士団長ヘンリーの言葉に、騎士たちがサイラスを見た。タオもその視線を感じ、サイラスの傍で更に背筋を伸ばす。


 騎士団長ヘンリーが、深く頷いた。それを説明のうながしと取ったのか、タオは振り返ったサイラスの視線を受け止める。


「タオ、さっきの話を皆に」

「は、はい」


 騎士たちの視線にさらされながら喋るのは苦痛ではあったが、タオはサイラスに話したことの一部を口にした。予言のこと、そのための大主教の触れであったこと、娘は大主教の娘だということだ。ダドリーの方をちらりと見ると、彼がほんの僅かに頷いたのが分かった。


「それは魔導士ウィヒトがのこした予言だな?」

「そ、そうです」

「そういう噂を耳にしたことがあるが、その中身までは知らなかった。まさかそんなことになっているとは……」


 重苦しさを感じる騎士団長ヘンリーの言葉に、会議室はざわめいた。それに魔導士ウィヒトの名だけは、皆知っているらしい。特に年配の騎士たちの顔が青褪あおざめている。


何故なにゆえに大主教は予言の子供を隠していたのだ? しかも自分の娘だと? 奥方との子供はヴェルグ殿だけのはずでは?」

「そのような危険な予言があったこと事態、隠されていたとはどういうことでしょう? 我々にも話してしかるべきなのでは……」

「サイラス、君の従士は禁忌に関わっていたのかい? それこそ異端審問院に付け入られることじゃないか」


 口々に飛び交う言葉に何も言えずにいると、ふいに彼らの声が止んだ。彼らの視線を集めたのは、片手を軽く挙げているダドリーだ。


「ダドリー殿。ご意見をいただけるのか?」


 騎士団長がそう言うと、ダドリーが片手を下ろした。卓上に肘をついた彼の両手が、軽く組まれる。


「意見と言うよりは、報告だな。――サイラス、お前の従士の説明では不足があるゆえわしから話そう」

「どういう、ことです」


 サイラスの気配にするどさが増したことを感じたが、タオは口を閉じているしかなかった。


「予言の文言もんごんはおおよそ合っておる。娘が二十四歳になればウィヒトを呼び、彼がよみがえる。そして教団を滅ぼすとな。娘はすでに二十四になっておる」

「ならば今すぐにその娘を、」

「やはり殺すか? 娘はウィヒトを呼び起こしてはおらぬが」

「――それは……」

 

 サイラスが考え込むようにうなった。


「今はまだ、と考えるのが妥当だとうではありませんか?」


 そう声を上げたのは、もう一人の副団長ノーマンだった。日に焼けた肌色をしており、白目に際立つ青い瞳が真剣な眼差しをダドリーに向けている。


「ダドリー殿。大主教様がその娘を隠した理由は、ただの親心とお考えですか?」

「無きにしもあらずであろうが――保身のためかもしれぬな。娘は閉じ込められたまま虐待ぎゃくたいを受けていたようだ」

「それは……むごい話ですな」


 ノーマンが顔をしかめ、首を左右に振りながら溜息を吐く。タオは目の当たりにした大主教の仕打ちを思い出し、強く拳を握った。


「サイラス、お前の従士が娘に接触しておったのは、わしの指示だ。そのお陰で、この事情がこうして皆に知らされておる」


 ダドリーの言葉に、サイラスが驚いたように腰を上げた。


「ダドリー殿! タオは私の従士ですぞ! それを私に断りもなく使うなどと、礼儀に反するのではありませんか?」


 少し声を荒げたサイラスに、タオは体を硬くする。薄目でダドリーを見れば、彼は顎髭あごひげを撫でながら笑みを浮かべていた。


「そうは言ってもな、サイラス。調査は慎重に、水面下で進める必要があったのだ。もしお前さんに知らせていれば黙ってはおれまい? こうして従士から聞くや否や緊急会議だと騒ぐくらいであるからのぅ。間者に知られておったやもしれぬ」

「そ、それは……っ」

「サイラス。お前の従士はよくやってくれたぞ。本来であれば、我ら騎士団は今回の事から完全に蚊帳かやの外にされておったのだ。何も知り得ないままな」

「確かに、それを阻止できたことは非常に意味がある」


 そう言ったのは、騎士団長ヘンリーだった。

 それに対し、サイラスが声を上げる。


「しかし、私の娘まで巻き込んだことは如何いかがなものか……!」

「それはわしあずかり知らぬことだ。そのことは、家に帰ってから話をするが良い」


 あっさりと答えたダドリーに、タオは内心頭をかかえた。婚約破棄になっても仕方のないことだが、サイルーシュが責められるのは違う。全てはこの弱い自分のせいなのだから。


「……分かりました」


 椅子に腰を落としたサイラスが、腕を組み深い溜息を吐いた。苛立ちを落ち着かせようとする彼がする仕草だ。


「タオ」


 サイラスに硬い声で呼び掛けられ、タオは姿勢を正し彼の言葉の続きを待った。


「ここはもういい。外で待っていろ」

「は、はい……!」


 この緊張感から僅かな間だけでも解放されることが有難い。

 タオは裏返りそうな声を抑えながら答えた。



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