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05 ウィスプの森の少女

 目の前を、小さな白い光の玉が横切った。ゆったりとした動きのそれは、(ゆる)やかな夜風に乗り、暗い樹々の間を泳いでいく。

 エリュースと顔を見合わせ、タオは光を追いかけるようにして、更に森の奥へと歩みを進めた。徐々に光の玉は増えていき、一旦足を止めて周りを見渡せば、辺り一帯が複数の仄かな明かりに照らし出されている。虫の()が耳に響くのと相まって、まるで知らない内に時空の狭間に落ちてしまったかのような、幻想的で美しい光景だ。


「蛍、じゃないよね。これ、すごいよ……」

「ハハ……、本当だったんだ、ウィスプの森!」


 隣で、エリュースの感嘆の声が上がった。明かりに照らし出された彼の顔は好奇心を隠さず、その瞳を輝かせている。先ほど魔物に襲われ、(から)くも撃退したことなど、すっかり忘れてしまったかのようだ。膝辺りにまで生い茂っている雑草をものともせず、光を捕まえようとしている。


「まったく、もう」


 こういう時は子供みたいだ。そう思いながらも、タオはエリュースの後を追いかけた。光は大小あり、強い光を放つものもあれば、僅かな青みを帯びた弱いものもある。


 次第に目にしている光景に現実味を失い始め、まるで夢の中にいるような感覚になってきた。そもそも何故(なぜ)、こんな場所に来ることになったのか。惑わすように浮遊する光の中を歩きながら、タオは思い出していた。


 発端は、エリュースからの突然の護衛依頼だった。オーガ退治をして一か月ほどしか経っていない、今から十日ほど前のことだ。ノイエン公爵領にある森の調査依頼を受けたのだという。ウィスプが大量発生するという森があるらしく、この時期の短い間だけに加え、二十三年ごとしか起こらないのだそうだ。今が丁度、その二十三年目に当たるらしい。


 銀山の(ふもと)、ノイエン公爵の城があるアルゲントゥムを経由し、森に近い村ケーラへ辿り着くと、夜を待ってから人目を避けるようにして森の小道へ入った。森のことを聞いた村人は、怯えて嫌な顔をしたものだ。猟師ですら、この西の森の奥には入らないのが、あの村の不文律らしい。もっとも、森に限らず、魔物や野盗が闊歩(かっぽ)する夜に出歩く者は、怖れ知らずの愚か者か、よほど腕に覚えがある強者だけだろう。


 危険な場所であるが(ゆえ)に、常に警戒してしかるべきなのだ。しかし、蛍すら見かけない暗い森を松明(たいまつ)とランタンで最小限の視界を確保しながら進む中、あろうことかエリュースが道を外れ、ウィスプを探しに森の奥へと分け入ってしまった。仕方なくそれを追いかけ、今に至る。森に入ってかれこれ、およそ半鐘間(はんしょうかん)(※約1.5時間)だ。


「ほんと、こういうことの嗅覚はすごいね」


 結果、エリュースは見事ウィスプを見つけたのだ。


 片手に持っている松明(たいまつ)の火が無くとも、もう充分に視界が利く。先を行くエリュースが早々に腰に下げた覆い付きランタンの(あか)りは、ウィスプに紛れて霞んでいく。


 タオは足元の土を掴み取り、時間経過で消えかけていた松明(たいまつ)の火に被せ、完全に消した。油を染み込ませた布は、(すで)に燃え尽きようとしていたのだ。使用済みの松明(たいまつ)を手放して辺りを見回すと、幸い、光の玉はこちらに害を()してくる様子はない。警戒を解いたわけではないが、この光の海の中には、攻撃的な気配は皆無(かいむ)だ。むしろ優しげに、奥へ奥へと誘われている気さえする。


 その時、タオは耳の端で微かな破裂音を捉えた。水が弾ける音のような頼りないそれは、不規則に重なり合っている。音のする方へ視線を向けると、樹々の奥で時折、光が(きらめ)いているように見えた。


 タオは興味を惹かれ、そこに足を向けた。近付くにつれ、その(きら)めきは、ウィスプが見えない何かにぶつかり、弾け散っていくためなのだと分かる。まるでそこに見えない壁があるかのようだ。瞬きながら落ちていく眩い光の欠片は、さながらその空間に、一時の星空を創り出しているかのように思われた。


――結界があるのか?


 そう思い付き、アルシラのことを思い出す。大主教領アルシラは、その偉大な大主教の力で結界が張られていると言われており、確かに町の中に魔物が入ってきた話は聞いたことがない。しかしタオは、そのことについて、今も()に落ちない気持ちでいるのだ。


 ある時、エリュースにアルシラの結界のことについて聞くと、あれは城壁っていう結界なのさ、という答えが返ってきたのだった。


「外の貧民街も、結界といえばそうかもしれない。犠牲という名のな」


 そう言った彼の表情は曇っており、その言葉尻には微かな怒りが感じられた。その時の彼の言葉が、今もタオの中にこびり付いている。


 タオは気を取り直し、その見えない壁の向こうの観察を始めた。そこを境に雑草が急に短くなっており、樹々も生えていないことが分かる。右側には湖があるようで、微かに水音がしている。見えない壁で全てのウィスプが弾かれているわけではないらしく、越えて漂っていくウィスプに包まれたその空間は、まるで光に浮かび上がる天空の庭だ。


 その庭に人の姿を認め、タオは驚いて足を止めた。こんな場所に人がいるとは、(つゆ)ほどにも思っていなかったからだ。


 一人湖面の方を向いて佇んでいるその人物は、一見、短髪の少年のように見えた。村の子供が迷いこんだのかと思ったが、奥に塔のような建物が見えることから、ここに住んでいるのかもしれないと思う。


「君――、」


 声をかけて近付こうとした時、足元で小枝が折れる乾いた音が小さく響いた。その音に反応したように、少年がこちらを向く。彼も人の存在に気付いたのか、目が合った気がした。しかし、反応が薄い。警戒しているのかと思ったが、身構えて逃げるそぶりも、(おび)える様子も見られない。白いローブ姿が、煌めきの向こうの闇の中に淡い光と共に浮かび上がっており、裸足(はだし)で頼りなげに立っている(さま)は、今にもその空間に溶けていってしまいそうなほど(はかな)げだ。見たことのない漆黒の髪も相まって、まるで人でないような、神秘的な印象を(いだ)かせられる。そんな少年がゆっくりと近付いてくる姿に、吸い寄せられるかのようにタオは目を離せなかった。


 それが少年ではなく少女であると認識を改めた時、タオはしばらく息をするのも忘れていたことを自覚した。知らず、歩を進めていたことにも気付く。数歩離れた位置で、少女はこちらを(うかが)うように立ち止まっていた。


 驚いたのは、少女の傍にウィスプとは違う意志的な動きをする光が、幾つか飛び回っていることだ。よくよく見て、それが掌大の小さな人の姿をした妖精(フェアリー)なのだと分かり、タオは息を呑んだ。半透明の昆虫のような羽を持つ小妖精(ピクシー)をこの目で見たのは、初めてだ。聞きかじった知識では、怒らせなければ、特に人間に攻撃的なものではないらしい。とすれば、この少女ももしかしたら、妖精(フェアリー)なのかもしれないとさえ思う。


 サイルーシュほどの年だろうか。ローブから僅かに出ている首や手足は驚くほど華奢(きゃしゃ)で、整った目鼻立ちの顔は小さい。その髪と同じ色の瞳は、まるで月のない闇夜を閉じ込めた類を見ない宝石のようで、照らし出される肌の白さと相まり、目を奪われる。

 サイルーシュも美しいが、彼女は満開の色鮮やかな花が似合う、陽だまりのような温かさを感じさせる少女だ。しかしこの少女は、暗闇にぽつりと咲く小さな一輪の花のようで、(まも)ってやらねばならないような、そんな気にさせられる。どこか夢の中で会ったことのあるような、そんな既視感(きしかん)さえ覚えるのだ。それはまるで――。


 ふいに、視界にウィスプが横入りし、少女の姿が見えなくなった。そのウィスプは浮遊しながら左の方へと漂っていく。気付けばその動きを目で追っており、少女に視線を戻すと、彼女も同様にウィスプの行方を見ているようだ。それが何だか可笑(おか)しくて、つい小さく笑ってしまう。少女はそれに対し小首を傾げ、不思議そうにこちらを見ている。


 タオは姿勢を正し、改めて少女に声をかけることにした。


「こんばんは、お嬢さん。不思議な夜だね。俺はタオ・アイヴァ―、大聖堂騎士の従士をやっているんだ」


 (おび)えさせないよう、出来るだけ柔らかく挨拶をしたつもりだったが、それに対する少女の反応は、やはり薄かった。形良い小さな口が、物言いたげに僅かながら開かれはしたが、言葉が発せられることはない。代わりに更に少女が近付いてきて、それに引き寄せられるような心地で、タオも近付いた。


 生み出されては消えていく星のヴェールを挟み、少女との距離は、もう手を伸ばせば触れられるほどだ。間近で見る少女の身長は頭一つ分低く、サイルーシュよりも少し小さい。首にはペンダントと思われる細い革紐だけが見えている。長い睫毛(まつげ)(ふち)どられている瞳は、どこか寂しげな、(うれ)いを帯びたものに感じられた。


 少女の右手が、緩慢な動きで戸惑うように上げられる。それが握手なのだと思い、タオも右手を差し出した。しかし少女の手は、タオの手よりも上へと上げられていく。夢を見ているような表情で、見えているものに触れて確かめようとするかのように、その細い指が顔に触れてこようとしている。それを(さまた)げるのはどうにも気が引けて、タオは差し出した右手もそのままに、少女からの接触を待った。


 瞬間、指先の柔らかさを頬に確かに感じたのと同時に、光の粒子が大きく弾ける。空気が切り裂かれるような嫌な音が間近で響き、集まっていたウィスプが一気に周囲に弾け飛んだ。


「ァ!」


 小さく上がったのは、少女の悲鳴だった。まるでウィスプと同様、弾かれたように腰を落としており、震える右手がその胸に抱かれる。その指に赤い色を見た時には、タオは驚きで訳が分からないまま、少女の傍に踏み込んでいた。何らかの障壁があったのだと遅れて気付いたが、特に衝撃も違和感も自分の身には感じなかったため、今はそれ以上考えることを止める。それよりも今は少女のことだ。


 片膝をついてなるべく目線を近くし、タオは慎重に少女の手を取った。明確に拒否されることはなかったが、触れた瞬間、怯えたように小さく震えたのを感じた。それでも手を離さず、ゆっくりと掌を広げさせる。そこに見えたのは、その指の腹と掌に出来た火傷のような炎症と裂傷だった。とにかく何とかしてやらねばと、タオは腰に下げた小物入れから、フランネルの布を取り出す。そして白いローブに零れ落ちそうなほど血の滲んだ掌に、それを(あて)がった。


 痛みからか僅かに顔を(ゆが)めた少女だが、それ以上痛みを訴えることなく、ただぼんやりと、こちらを眺めている様子だ。それに違和感を感じ、困惑してしまう。エリュースならば、これほどの怪我をすればもっと騒ぐだろうし、サイルーシュならば痛いと言って泣くかもしれない。


 傍に何かがいる不思議な感覚を覚え、タオは無意識に少女に集中していた視野を広げた。ウィスプが弾けた際に少女から離れたと思われる小妖精(ピクシー)が、少女の周りに戻ってきている。その釣り上がったアーモンド形の若葉色の瞳を(まばた)きさせながら、何やら高い声で彼女に話しかけている。聞いたことのない言語のため早口の(ささや)き声のようにしか聞こえないが、状況から察するに、彼女を心配しているのだろう。


「大丈夫。友達が、君の傷を治してくれるからね」


 そう言い、タオはエリュースを呼ぶために振り返った。しかしそこには、僅かに戻ってきているウィスプの光と、樹々しか見えない。彼の後を追う途中でこの場所に誘われ、はぐれてしまっていたのだ。そのことに、この時になって初めて、タオは気付いた。


「エル! 来てくれ!」


 しまった、と思いつつも、タオはエリュースを呼ぶために声を張った。あれからそんなに時間は経っていない(はず)だ。そう遠く離れてはいないだろう。


 その時、エリュースの返事でもなく少女のものでもない声が、そう遠くない位置で上がった。聞き覚えのある、へしゃげた音質のそれは、記憶が正しければ人のものではない。その声は、確かにこの庭の奥の方から聞こえた。

 

 タオは警戒し、ゆっくりと立ち上がりながら(ソード)の柄に手をかけ、探るように奥に目を()らした。ウィスプの明かりのお陰で、視界はそれほど悪くない。すぐに、鬱蒼うっそうとした森を背にした塔の傍から、こちらへ向かってくる背の低い姿を見つけた。


 肌は土色で、その小振りの体に不釣り合いなほど大きな目は、ウィスプが漂うとはいえ薄暗がりの中で、燃えるように赤い光を放っている。何度か討伐したことのある、ゴブリンに違いない。しかも人を襲って奪ったのか、ボロではない衣服を身につけている。


 タオは躊躇ちゅうちょせず、(ソード)を抜いた。少女を庇う為、一歩前へ出て構え、臨戦態勢を取る。しかしその瞬間、ゴブリンの足が止まった。両手を体の前で左右に振ってわめき出す。


「あわわわ! こ、殺さないでくれぇ!」

「え!?」


 タオは心底驚いた。理解できる言語が聞こえたのだ。彼ら独自の言語を持っている(はず)が、人間と同じそれを口にしている。耳は尖り、前歯が欠けているようだが鋭い歯が大きく開いた口から見えており、やはり、どう見てもゴブリンだ。


「こいつ一体、」


 訳が分からない。分からないが、このゴブリンが敵でないとはいえない。


 もう一歩踏み込むと、ゴブリンは更に慌てたように塔の方へ逃げていく。それとほぼ同時に、塔から誰かが出てくるのが見えた。


「あ、旦那ァ! 大変だ、知らない奴が!」


 ゴブリンよりも随分と背の高いその人物に、ゴブリンが人の言葉で(まく)し立てている。その人物はゴブリンを相手にせず、そのままこちらに向かってくるようだ。塔から出てきたということは、ここに住んでいるのだろうか。ゴブリンはともかく、この少女の身内かもしれない。そのことに思い至り、タオは少し警戒を緩めた。


 近付くにつれ、その人物が確かに人間だと、タオは確信した。身長は高く、サイラスほどではないが、体格も良い男のようだ。鈍色(にびいろ)のコット(※丈長のチュニック型の衣服)の上からでも、その動きで、鍛えられている体だと分かる。


 こちらの様子を把握したのか、その歩みが急に早まったように見えた。


「その娘から離れろ!」

「えッ」


 叫ばれ、タオは狼狽(うろた)えた。有無(うむ)を言わせない、脅すような物言いだ。


 ウィスプに照らし出された男の眉間には、深い(しわ)が刻まれている。およそ四十過ぎだろうか、後ろに(まと)められていると思われる髪は灰銀色で、引き締まった、鼻筋の通った顔つきだ。


 駆けてくる男の右手が、腰の剣帯に下げている(ソード)を抜いた。


「離れろ、と言っている!」

「ま、待って下さい!」


 思いもよらない速さで近付いてきた男が、問答無用で斬りかかってくる。その刀身は見たこともない波打ったもので、剣筋は驚くほど速かった。その隙のない下方からの一閃だけで、タオは男が自分よりも確実に強いことを悟る。(シールド)を装備していなかったため(ソード)で受けようとしたが適わず、その場から弾き出されるようにして斜めに後退させられたのだ。その際、座り込んだままの少女を置き去りにしてしまうのが、目の端に見えた。そのまま連撃が来るかと思いきや、攻撃はそこで()む。男が少女との間にその体を入れたことにより、彼を見上げた少女の姿は見えなくなった。


 (ソード)を構えた男の、奥まった切れ長の目が、自嘲気味に細められる。ウィスプの光を受けた瞳が、深い藍色を(あら)わにした。


「まさか、こんな場所に来る者がいるとはな」

「あの、怪しい者じゃありません、俺は」

「お前の名に興味はない。運が悪かったと思え」


 空気を震わせ、彼の持つ(ソード)の切先が喉元に突き付けられる。ひやりとした悪寒が背筋を走った。話を聞く気はないらしい。


「ルク! カイを塔の中へ入れろ!」


 男が目線を外さず、言い放った。


 彼が少女の身内ならば、何か誤解されているのか。いや、それにしてはあまりにも理不尽な振舞いだ、とタオは思った。まだこの男が少女に害を為す者でないのかは分からない。少女を捕えている悪漢(あっかん)である可能性もある。


 タオは少女を置いて逃げることも出来ず、かと言って勝機も見出(みいだ)せず、焦りを(つの)らせた。それに、この場から逃げようとすれば確実に斬られるだろうと確信するほどに、目の前の男からは確かな殺気を感じる。運が悪かったというのは、この場所に来たからか、もしくはこの少女に出会ったからか。


 エリュースが来てくれたら。そう思ったが、すぐにタオは思い直した。この場にいなくて良かったのだ。この男が相手では、おそらく彼を護り切れない。


 しかし次の瞬間、エリュースの声が耳に飛び込んできた。


「ちょっと待った!」


 状況を見て慌ててくれたのだろう、彼の息が少し上がっている。それでもタオは嬉しさよりも、何故(なぜ)出てきたという気持ちが大きかった。目線だけを動かし、エリュースの方を見る。すると彼はいつも通りの落ち着いた様子を取り戻しており、怯えなど見られない、堂々とした態度で立っていた。その冷静な姿勢に、タオも気持ちを立て直す。


 男がエリュースを見て、その眉間の(しわ)を深めた。そんな彼に対し、エリュースが両手を軽く広げる。丸腰だと示したようだ。


「連れが何か粗相(そそう)をしたなら、謝るよ。でも、こいつは間違っても女子に乱暴するような奴じゃあない。俺達は、この現象の調査隊なんだ」


 全く物怖じせずに、エリュースが男に話しかけた。その際、更に近付き、男の(ソード)を手で押し退()けてしまう。そのあまりにも怖いもの知らずな行為に男も戸惑ったのか、そのまま(ソード)は下ろされた。それでもあくまで下ろされただけであって、男が警戒を解いていないことは肌で感じる。目線はエリュースの方へ向けていても、自分が(ソード)を動かそうものなら、すぐさま斬りつけてくるだろう。


「調査隊っていっても、俺が隊長で、こいつが隊員の二人だけだけどな。でもちゃんとノイエン公爵には話を通しているし、許可証も、ってどこいったかな」


 背負い袋を下ろして中を探ろうとするエリュースに、男が左手を軽く上げて制止した。


「そんな許可は出ていないはずだ」

「んー、そうなのか? まぁ俺も直接公爵に会ったわけじゃないし、その書状も中身をちゃんと読んだわけじゃないし――もしかしたら、断りの内容だったのかな? 間に何人も入って、話がひっくり返っているのかも?」


 首を(ひね)りながら軽口を叩くエリュースに冷や冷やしながら、タオはほぼ確信していた。この様子では、エリュースは許可証など持っていない。こんなことは今まで一度たりともなかったが、そうであるならこの男を納得させるのは困難なのではないか。そう思い、タオは(ソード)を握る手に力を込めた。それに気付いたのか、男の波打つ(ソード)の切先が上がる。


「止せよ。ここに調査に来ていることは教団にも言ってあるし、俺たちが帰らなきゃ、もっと大仰(おおぎょう)な調査団が派遣されることになるぜ。そうなると、そっちも困るんじゃないかな」


 エリュースの視線が下がり、男の後ろにいる少女を見ているのだと分かる。男の眉が僅かに(ひそ)められた。


 その時、か細い声が上がった。男がそれに反応し、半身を向けたお陰で声の主が見える。


「デューク」


 高く、細い声は少女のもので、出会ってから初めて発せられた言葉だった。濡れたような瞳で、男を見上げている。傍には先ほどのゴブリンがおり、少女と男を交互に見ながら、おろおろしている様子だ。


公爵(デューク)、だって?」


 (いぶか)し気なエリュースの声で、我に返った。まさか公爵が、こんな場所にいることがあるのだろうか。それならば、大変な不敬行為をしていることになる。そう思っていると、男が小さく息を吐き出した。


「デュークライン、だ。ここでは、そう呼ばれている」


 わざわざ訂正した男に、エリュースが興味深そうに返す。


「ここでは? じゃあ、」

「知らぬ方が良いこともある」


 言い終える前に会話を切られたが、エリュースにそれを気にする様子はなかった。


「知らない方がいい場所もあるってことだな。なぁ、ここのことは誰にも言わないから、このまま見逃してくれないか」

「信用できると思うのか?」

「んー、だよなぁ」


 困った素振りを見せながら、エリュースが男から視線を切り、辺りを見渡す。いつの間にか、戻ってきたウィスプの仄かな明かりで埋め尽くされんばかりになっており、エリュースの伸ばした手元で光が(きら)めきを放った。


「何なんだろうなぁ、このウィスプの大量発生の原因は。文献を読み(あさ)って、伝承を組み合わせていたら二十三年ごとって分かったんだ。丁度今の時期にしか起こらない。あんたは知ってるか?」


「……妖精さんが」


 男が何かを言う前にエリュースに答えたのは、座り込んだままの少女だった。


「妖精さんが、お祭り、だって」


 ぼんやりした表情ながら、その視線はエリュースに向けて上げられている。それを受けて、エリュースがその場に腰を落とすようにして(かが)んだ。その横顔は、どこか嬉しそうだ。


「お、妖精(フェアリー)の言葉が分かるの? 妖精のお祭りか。うん、それでいっか。綺麗だしな」


 小さな子供をあやすように笑いかけたエリュースに、少女の表情がほんの僅かに笑みを形作ったように見えた。


 立ち上がったエリュースが、再び男に向き直る。


「俺達を信用出来ないのは、俺達とあんたが対等じゃないからだよな。こっちの要求を()んでくれよ、それでおあいこだ」


 どういう理論だよ、と言いたくなったが、タオは黙って彼が言うに任せた。こういう時に口出ししても(ろく)なことにならないのは、これまでで学んでいる。


「もし俺達が(しゃべ)っちまったら、その時こそ、こいつを斬ればいい」

「え!」


 エリュースに肩を叩かれ、あまりな言い分に声を上げてしまう。しかしそのエリュースの手の動きで(ソード)を収めるよう(うなが)され、タオは素直に従った。男の刺すようだった殺気が、緩んでいることに気付いたからだ。


「言ってみろ」


 驚くべきことに、男の(ソード)も引かれ、剣帯の鞘に戻される。

 そんな男に、エリュースが拝むように両手を合わせた。


「実は、迷っちゃっててさ。近くの村までの道を教えてくれないか?」


 苦笑いも添えて、男にお願いをしている。やっぱり迷っていたんだな、と(あき)れるも、お願いをされている方の男も呆れたのか、片手で頭を抑え、長い溜息を吐き出している。


「分かった、いいだろう」


 奇跡的に男の同意を引き出したエリュースには賞賛を送りたいが、それでもタオは少女のことが気がかりだった。エリュースの(いや)しの光ならばすぐに治せるはずなのに、彼も少女の手にある布に血が滲んでいることには気付いている筈なのに、それには触れようともしていないのだ。


 放っておけず話しかけようとすると、エリュースに見抜かれていたのか、片手で腕を押さえられ制止された。さらに少女の姿は男に隠され、再び見えなくなってしまう。彼が後できちんと手当してくれることを、願うしかない。


「あの道を辿(たど)っていけば、外に出られる」


 男の右手が左手側を指差し、タオはエリュースと共にウィスプの光が行き交う向こうに目を()らす。

 かろうじて馬車が通れるほどの石畳の道が、そこにあった。

 


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