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46 結界士ジョナスの悔悟

「ジェイ様! ギレル様が戻られました……!」


 儀侍ぎじ兵が息せき切って部屋に飛び込んできた。それに対し、ジェイはベッドの傍の椅子から立ち上がった。少し前にギレル隊の兵が二人戻り、その者たちからゴブリンに襲われたと報告を受けていたのだ。彼らは崖下に落とされてから随分と森を彷徨(さまよ)い、ようやくこの塔を見つけ戻ってきたらしい。しかし、ジェイにとっては、その話は(にわか)に信じ難かった。ゴブリンは非力で知能の低い魔物だ。数が多ければ脅威になり()るが、たった一匹のゴブリンが天然の地形を利用した落とし穴を(はか)るなど、聞いたためしがなかった。だが、嘘ならもっと真面(まとも)な嘘を()くだろう。それに、ギレルからの報告がないことが気になった。この二人が欠けたなら、慎重なギレルがそのまま結界士の連行を強行するとは考えられなかった。ならば、最悪の事態を覚悟しなければならない。そう考えたジェイは、ゴブリンに()められた二人をそのままギレルの探索に行かせたのだ。


 兵からの報告の第一声を聞き、失態が確実になった落胆よりも有能な部下を失わなかった事実に、まずジェイは安堵(あんど)した。


 娘からの視線を感じたが、それには構わずジェイは兵士の後を追った。裏の台所に出ると、その外側で椅子に腰掛け、ロディにいやしの光を手首に当てられているギレルの姿があった。外は日が落ちてきている。ジェイに気付いたギレルの顔が上がり、しかめた顔で頭を下げられた。


「申し訳ありません、不覚を取りました」


 そう言ったギレルには深い傷は無さそうに見え、ジェイは安堵の溜息をひそやかに吐いた。周りを見れば、ギレルに付いていた儀侍ぎじ兵も全員無事でいる。


「……お前ほどの男から結界士を奪還だっかんするとはな。よほど有能な策士がいるか……」


 ジェイは敵ながら感心していた。相手はゴブリンだけではないだろう。知恵の働く者が背後にいた(はず)だ。相手は最初から、こちら側の者を殺さないつもりだったのかもしれない。そう思わざるを得ない見事な手際だと思う。森を出る前に襲ったのは、地の利があったためか。それとも寡兵(かへい)のためにギレル達を分断しようとしたか。とすれば、敵はギレル隊の人数に()たなかったと推測できる。


「中で話を聞こう」


 ロディの手から光が消えるのを待って、ジェイはギレルをうながした。ギレルの応じる返事が聞こえず、ジェイは不思議に思い彼の視線の先を見る。ギレルは他の兵の治療を始めたロディをぼんやりと眺めているようだ。


「ギレル」


 名を呼ぶと、ギレルが今気付いたように振り向いた。


「ジェイ様、ロディのものと似た光を森で見ました。もう少しぼんやりとしたものでしたが……」

「ほぅ?」


 興味深い報告だ、とジェイは思った。癒しの光を持つ者の多くは、教団に関わる聖職者だ。


「詳しく聞こう」


 ジェイはギレルを、再度中へとうながした。

 



 夜が更けた頃、ジェイはベッド脇の椅子に腰かけながら考え事をしていた。儀侍ぎじ兵は交代で見張りに立たせており、ギレルは奥のホールで休ませている。ロディは兵たちの様子を気にしながら残りの食料を数えていることだろう。アルシラから補給部隊が到着するまで、少なくともあと九日はかかる。村に出て食料を調達する必要が出てきたのだ。


 逃げた結界士とそれを助けた者たちの捜索を、ジェイは指示しなかった。ギレルの話では、ゴブリンは人の言語を喋っていたらしい。それに、ウィヒトの真似事をした大胆な者に、訓練を受けたと思われる戦士だ。彼らは(すで)にこの森にはいないだろう、そうジェイは考えていた。今から思い返せば、ふと何かの僅かな波動を感じた気がしたのだ。ギレルから話を聞いてから転送円に向かい、メダルをかざした。掌の上で仄かな温かさを帯びたメダルが示す通り、結界士は円を起動させて逃げたのだ。助けた者も共に逃げたかもしれない。しくは森の中に逃げたならば、相当この森に詳しいはずだ。ならば、どのみち追いつけはしない。


 あの結界士は、大主教が使っていると思われる転送円とは別の転送円に飛んできた結界士だった。更には大主教を非難するような言葉を発していた。それらのことから、ジェイは彼が大主教とは別に娘に関わっていると踏んでいたのだ。しかしこうして彼を助けた者がギレルの言うように癒しの光を使っていたというならば、結界士の言葉を鵜呑うのみには出来なくなった。彼が大主教側と結託していた可能性もあり、やはり早々にここを出るべきだとジェイは思う。彼らは戻ってくるかもしれず、その際は仲間も増えているかもしれない。アルシラに連れて行かれる前に娘を殺そうと画策(かくさく)しているかもしれず、それを阻止するにはこちらは寡兵かへいなのだ。


 ジェイは傍のベッドに視線を向けた。毛布に(くる)まり背を向けて丸くなっている娘は眠っているようだ。昼間よりランタンの灯りを減らしたため、小さなその姿はぼんやりとしか見えていない。


 娘は空腹を訴えはしなかったが、少し前、自分たちの食べ物を分け与えた。その間は手枷を外してやったが、「ありがとう」と言われたことには驚いた。やはりこの娘はどこか変わっているとジェイは思う。結界士が逃げたことを知った時は安堵した様子を見せ、助けた者について尋ねれば大きく首を左右に振った。強く詰問きつもんすることも考えたが、ジェイはそうしなかった。デルバートの偽者――娘にとってはデュークという男らしい――のことを話した時の娘の気迫に溢れた様子が、妙に気に掛かっている。それに、この娘がどれだけ確かなことを知っているのかは正直疑問をいだくところだ。


「……うぅ」


 背中を向けている娘から、苦しげな声が小さく上がった。寝言かと思ったが、それは断続的に上がり始める。両腕を背で拘束しているため苦しいのだろう、そう思い、ジェイは娘の肩に片手で触れた。そこで、娘が細かに震えていることを知る。


「寒いのか?」


 声を掛けるも、娘からの返答はない。ランタンを手に顔を覗き込めば、苦悶くもんするように眉根を寄せている。少し開かれた唇が、音にならない何かをつづっている。


「おい」


 危機感を覚え、ジェイは娘を起こそうと頬に触れた。しっとりとした感覚に、汗も掻いていることが分かる。


「起きろ、大丈夫か?」


 ランタンをベッド脇の卓上へ戻すと、ジェイは娘を抱き起こした。仰向けにした細い体を片腕で支え、頬を軽くたたく。びくりと反応した娘の(まぶた)が、僅かながら引き上がった。


「あ……」


 まだ夢を見ているような暗い瞳に映される。


「……デューク?」


 そう呼ばれ、ジェイは驚いた。まだ完全に目を覚ましたわけではないのだろう。それに加えジェイ自身の影で視界も暗いのだろうと推測する。違う、と言ってしまうのは簡単だったが、ジェイはそれを口にすることを迷った。すがるような目に涙を溢れさせながら、娘が何度も『デューク』を呼ぶのだ。


「――カイ」


 ジェイは娘の名を口にしていた。娘がそれを望んでいる気がしたのだ。

 娘の顔が、嬉しそうに微笑ほほえむ。安堵したように目を閉じた娘の震えが治まっていることに気付き、ジェイは再び眠った様子の娘を見つめた。この娘は何かにあらがっている――そんな気がする。予言の魔女ではなくカイ(・・)なのだと主張していた娘は、予言の魔女となることを拒否しているのか。そう思い至り、ジェイは静かに深い溜息を吐き出した。


 ゆっくりと娘をベッドへ横たえてやり、肩から毛布で包み込む。昔、父親を亡くしたばかりのリュシエルにも同じことをしたものだ。ジェイはまだ幼かったリュシエルを思い出していた。予言の魔女を恨み憎むことで、彼は喪失感から逃れようと足掻あがいたのだ。それは今でも彼の中にあり、彼を動かす原動力となっている。しかしそれは彼をあやうくしていると、ジェイは思う。恨みや憎しみだけでは、人は生きられぬのだ。


 娘が寝返りを打とうとしたのか、顔を向けようとしてまた壁側に向いた。ジェイは少し考えた後、娘に掛けた毛布を退け、背で拘束した手枷を外す。それに気付いて覚醒したのか、娘がゆっくりと腕を胸元へ寄せた。痛みをこらえるように少し眉をひそめながら、ジェイの方に体を向ける。見上げてくる娘のうかがうような視線を感じながら、ジェイは毛布をまた肩口から掛けてやった。


「大人しくしているな?」


 そう問えば、娘が小さくうなずいた。


「ありがとう……ジェイ」


 名を呼ばれ、ジェイは内心たじろいだ。それを悟られないよう、娘から視線を外す。


「寝ろ。朝になったらまた付ける」


 そう言えば、娘が目の端で丸くなった。見れば、娘は目を閉じ、毛布の端を抱き締めている。


 ルードは本当にこの娘に殺されたのか。そんな疑念がジェイに湧き上がった。


 娘から手を離し、ジェイは椅子に背を預けた。ルードの手紙には、確かに娘が祖父母を殺した疑いがあるとあった。それが疑いではなく事実ならば、予言の魔女()らんことを拒否する殊勝な娘であろうと、娘の意思とは関わりなく娘が動くようなことが起こり()るのかもしれない。その切っ掛けが何なのかは分からないが、この娘を必要以上に追い詰めるべきではないと感じる。このまま出来るだけ刺激せず、娘を安定させた状態でアルシラに連れていくべきだ。


「我々にアスプロの加護があらんことを」


 静かに祈りながら、出来るだけ早く結界士が見付かることをジェイは強く願った。


 

* * *



 結界士ジョナス・バークレーはオールーズ侯爵の城を訪れていた。侯爵領の村や町に張った魔物避けの結界の張り直しのため、旅をしていた最中のことだ。弟子と共にダミアの町に入った折、侯爵からの呼び出しを知らされた。自分の行く先に触れを走らせていたのだろう。作業を中断して一人で来るようにとの要請は少なからずジョナスを憂鬱ゆううつにさせたが、雇用主であるアルム主教領の主であるヴェルグ・クィーダからオールーズ侯爵に貸し出されている身なれば、従う他に選択肢は無かった。


 衛兵に話は通っているようで、名前を言えばすぐに城の中庭へ通された。荷物を運ばせているロバを引きながら入口の扉に向かう。そこの衛兵にしばらく待つように言われ、ジョナスはその場で留まった。何気なく周りの衛兵たちを見れば、どこか緊張しているようだ。


 そう時を置かず扉が開き、現れた男は、案内係には見えなかった。金色の長い髪が黒いローブに映えている、まだ若い男だ。


「お待ちしていましたよ、ジョナス殿」


 ジョナスは衛兵たちの緊張していた理由に納得がいった。

 会ったことはない男だが、彼が異端審問官だということは彼のまとうローブで分かる。


「私はここの主に呼び出されたはずですが……」

「侯爵に貴方(あなた)を呼ぶようお願いしたのは私です。私は異端審問官リュシエル・バーレイ。結界士ジョナス・バークレー、異端にくみした疑いで貴方を捕縛します」

「何を根拠こんきょに……!」


 ジョナスは反論しようとし、リュシエルと名乗った異端審問官の揺るぎない視線に口をつぐんだ。背後も彼の兵士と思われる者たちに固められ、最早もはや逃げ場がなくなっている。


貴方あなたには覚えがあるはずです。森の中の塔をお忘れとは言わないでしょうね」


 リュシエルの言葉に、ジョナスはおののいた。確かに十八年ほど前、特殊な結界を張ったことがある。なかば強制的に連れて行かれた先――アルシラの大主教の塔内――で仕事を依頼されたのだ。


 当時は妻の病の治療のためにどうしても大金が必要だった。特定の凶悪な魔物を閉じ込めておける結界を作ることを要請され、ジョナスはアスプロの加護の光に反応する焼印を用い、結界と結び付けることを思い付いた。焼印自体は昔に魔物に対して使われていたことがあり、数代前の大主教によって廃止されたものだ。それを大主教に説明すると、ノイエン公爵領の森の中の指定された場所――傍には古い塔が見えた――に転送円を作ることも頼まれた。しかも結界士なしでも飛べるようにとのことだ。


 ジョナスは月明かりを利用できるよう転送円を塔の最上階に作り、満月の夜にのみ魔力をもちいれば飛べるように調整した。ノイエン公爵領への旅を繰り返し数か月かかるその作業を終えると、詳しいことは聞かされないまま、ヴェルグと名乗る若者に連れられ、再びアルシラを出た。護衛騎士一人、下僕一人と数人の傭兵と共にだ。


 連れて行かれたのは、すでに転送円のために何度も行き来したノイエン公爵領の深い森の中の塔だった。塔の前部分には樹が生えておらず庭のようになっていたが、雑草は膝丈ほどもあった。塔への草は兵士たちによって踏み固められ、一時的な道が作られた。そしてジョナスは言われるがまま、塔の周りに結界を張り始めた。


 最後の工程に入ったのは、七日目の夕闇が迫る中だった。塔には松明たいまつが掲げられ、下僕の持つランタンがジョナスの手元を照らしてくれていた。その時、兵の一人が白い布で包まれたものをかかえ、結界内に置いた。それは彼らの荷物と共に馬車の荷台の奥に乗せられていたものだった。その布の端から細く小さな腕が見えた時、ジョナスは目を疑った。その時初めて、ここに閉じ込めるのは魔物ではなく人間の子供なのだと知ったのだ――。



「ヴェルグ様、あの子供は……っ」

「知りたいのか」


 そう淡々と言い放ったヴェルグに、ジョナスは口を(つぐ)んだ。この若者は事情を知らずに――()しくは知っていて意識しないようにして――従っているのだろうかと思う。あの焼印が人の子供に対して使われたのかもしれないのだ。恐ろしいことに加担していることを自覚し、杭に触れる指が震える。


「仕上げろ、ジョナス」

「しかし、」


 ジョナスは躊躇ためらった。彼にも幼い子供がいたからだ。迷う素振りもなくヴェルグがソードを抜き、やいばが首元に突き付けられる。ヴェルグの傍にいた一人の騎士も戦斧バトルアックスを手にした。


「やれ」


 ヴェルグが静かにそう言った瞬間、騎士の持つ戦斧バトルアックスが傍に立っていた傭兵の体にめり込んだ。ジョナスは驚きのあまり喉が引きり、叫び声が出なかった。騎士の腕は確かで、ここに来るまでに盗賊団相手に護衛を果たした傭兵も、さほど抵抗することも出来ずに斬られる。暗闇で何が起きているのかの把握が遅れたのかもしれない。四人いた傭兵の内三人が騎士に殺され、逃げようとした最後の一人はヴェルグによって斬り伏せられた。その血に濡れたソードを再び突き付けられ、ジョナスは腰を落とし震え上がった。


「仕上げろ。お前ほどの結界士は殺すには惜しい。余計な口を聞かずにいれば悪いようにはしない。賢い選択をしろ、お前と、私のためにな」

「わ、分かりました……」


 ジョナスはヴェルグの提案を受け入れた。我が身可愛さでとなじられても仕方が無いと思うが、あの時はそうするより他、仕方が無かったのだ。


 結界を仕上げると、ヴェルグが一人の下僕に指示を出した。彼からヴェルグに、松明たいまつが渡される。彼によって草地に置かれていた子供が引き上げられ、その手が結界に伸ばされた。空気中に火花が散るような鋭い音が響き、光粒が弾ける。


「怖ろしいものだな」


 ヴェルグの声に反射的に閉じていた目を恐る恐る開ければ、小さな手が血に濡れているのが見えた。頭から布を被せられている明らかに栄養失調の子供は、痛みで泣きわめくことすら出来ずにいる。それを目の当たりし、ジョナスは胸が引き裂かれそうな痛みを覚えた。



 あの時の子供の顔は、未だ鮮明に記憶に残っているのだ。

 子供が生きているであろうことは、数か月前に大主教の塔で転送円を作動させたことから分かっている。あの子供がどういう理由で閉じ込められているのかは知らされていないが、異端審問官が言っているのはその件に違いない。


 ジョナスがリュシエルを見つめると、彼の冷ややかな目が僅かに細まった。


「エイルマー助祭から聞きましたよ。貴方あなたはこの辺りでは高名な結界士だとか。それに貴方の主はアルムの主教だそうですね? 貴方をこの領内に借りている手前、侯爵は主教に頭が上がらないのだとも聞きました。ヴェルグ・クィーダ……大主教の息子が貴方に塔の結界を? 黙秘は許しませんよ、ジョナス殿。ことは急を要するのです」


 リュシエルの物言いに、ジョナスは主教であるヴェルグにも異端審問官の手が伸びようとしていることを確信した。あの一件は、異端に触れるものだったということだ。


「ご同行、願えますね?」

「……お手向かいは致しません」


 どのような理由があれ、幼子(おさなご)に対して罪を犯したのだとジョナスは認識していた。大主教をあがめられなくなったのもあれからだ。あの時の罪が、ようやく暴かれようとしている。それはジョナスにとって、過去の贖罪しょくざいとなる事を期待させた。あの時の病を生き延びた妻は数年前に流行はやり病であっけなく亡くなり、幼かった息子は村外れに出てしまった際に魔物に食い殺されている。思い残すことがあるとすれば、この手で閉じ込めた子供のことだけだ。


「私が知っていることを、全てお話しいたします」


 ジョナスはリュシエルに対し、深くこうべを垂れた。



* * *



 ジェイから結界士を探し出すことを依頼されてから十数日が経った昼下がり、リュシエルは異端審問院長ウォーレスの執務室にいた。昨日、結界士ジョナスを連れて戻ったのだ。早速明日にはアルシラを発つつもりでいる。


 リュシエルは先程まで、ウォーレスと共にジェイからの報告を受けていた。

 ウォーレスが落ち着いた様子で、通信を終えた鏡から視線を外す。


「娘も大人しくしているようだし、結界士も素直に喋っているようだな。リュシエル、なるべく早く結界士をジェイの元へ届けてくれ」

「承知しました。院長にはどちらのデルバートも大主教に奪われぬよう、しかとお願いいたします」

「分かっている。しかし……、予言の魔女に大主教が関わっていたとはな……」


 大きな溜息を吐き、ウォーレスが頭をかかえた。彼は結界士が過去の事情を話したことで、初めて大主教の関与を知ったのだ。大主教のみならず、大主教の息子も関わっている。結界士の話は具体的で信憑性しんぴょうせいが高く、ウォーレスが異を唱えることはなかった。実際に塔にいるジェイからの報告と合わせれば、彼の言うことが真実であると信ずるに足りたのだ。


 その時、四鐘の音が開けた窓の外から聞こえてきた。それが余韻を残しながら消えようとする頃、扉が叩かれる。各地から届けられた報告が上げられる定時なのだ。

 ウォーレスが許可すると、一人の儀侍ぎじ兵が扉を開けて入ってきた。まとめられた報告書が、ウォーレスの執務机に置かれる。


「二日前、イズリーンの港にカークモンド公爵が現れたとの報告も入っております」

「公爵が?」


 いぶかしげに上がったウォーレスの声を聞きながら、リュシエルも大いに驚いた。イズリーンの港は、このアルシラの東側に位置するモニーク公爵領にあるのだ。半島内の各地に散っている異端審問官は、彼ら貴族の動向も注意深く監視している。しかしカークモンド公爵が領地を出たとの報告など受けていない。


「新しい船で来られたようだということですが……」

「ああ、そういうことか?」


 ウォーレスが眉をひそめ、迷惑そうな顔をした。


「彼のことをオヴェリス様に聞いたことがある。さすがは戦で功を立ててきただけあって、あのオヴェリス様にさえ物怖じしなかった男だそうでな。珍しいものに目が無いのだとか。道楽で新しい船を動かしてみたくなったのだろうが――何もこんな時に来なくとも良いものを」

「はぁ……、それだけなら良いのですが……」


 リュシエルはウォーレスの愚痴めいた饒舌じょうぜつに、気付かれないよう溜息を吐いた。彼は目の前の仕事を淡々とこなすタイプで、誰に対しても当たりさわりのない対応ができる男だ。そうやって院長までのぼり詰めたのだが、突発的な問題発生を何より嫌う。物事の外側だけしか見ていないウォーレスには、先代のような洞察力がないのだ。

 

 この時期にカークモンド公爵が近くまで来ていることに、リュシエルは違和感を(いだ)いた。偽者のデルバートをノイエン公爵の元に戻したのは、カークモンド公爵だったと聞いている。本来ならば公爵にも話を聞くべきなのだが、相手が相手だけに確証が無ければ下手(へた)に手は出せない。「自分もだまされたのだ」と言われればそれまでで、実親であるノイエン公爵夫妻までもが騙されていたことを考えると、実際その可能性は低くないのだ。ノイエン公爵がエラン王と仲が良くないのは先の戦争が示す通り公然のことであり、王の間者を妻の弟の元へ入り込ませる理由は何もない。


 ウォーレスが言うように、ただ船を動かしたいだけの公爵ならではの遊びであるならば、とリュシエルは気持ちを落ち着かせた。今は父を殺した予言の魔女に集中したい。あの偽者に関する疑惑の調査はそれからでも遅くはないのだ。


 その時、再び扉がノックされた。先程とは違い、慌てた様子のノック音だ。

 入ってきた儀侍ぎじ兵のひたいが少し汗ばんで見える。


「ご報告します! たった今、カークモンド公爵が大主教様に面会を申し入れたとのことです」

「何だと!?」


 ウォーレスよりも先に、リュシエルは声を上げていた。イズリーンの港から町に入った後、その足でこのアルシラまで来たのだろう。この早い動きは、公爵の目的がこのアルシラにあるからに違いない。 


「どういうつもりなのでしょう……、大主教が公爵に頼る可能性もあるのでは……」


 あのデルバートが偽者であることは明白だと確信があるため、公爵が偽者のデルバートの返還に乗り出してきても退(しりぞ)けられるとリュシエルは思う。しかしこのウォーレスが丸め込まれはしないかという不安が完全には捨て切れない。

 

「とりあえず、出方を待とう。リュシエル、お前は予定通り明日の準備に掛かるのだ」

「……承知しました」


 今はウォーレスの言うように、相手の出方を待つしかない。そう理解しながらも、リュシエルは相手の意図が測り切れない気持ち悪さを感じながら頷いた。

 



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