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41 冥界からの便り

 エリュースは、ダドリーと共に大聖堂騎士団の図書室へ戻って来ていた。もう夜も更け、聖堂の鐘も鳴らされない真夜中だ。目の前にエールの入ったコップを置かれ、エリュースは有難くそれを手にした。一口含み、息を吐き出す。


「疲れたか?」


 ダドリーから掛けられた言葉に顔を上げると、彼のいたわるような笑みが見えた。


「ええ、さすがに」


 正直に、エリュースは答えた。

 地下牢での当たりにしたデュークラインの姿には驚いた。あそこまでむご拷問ごうもんを受けているとは思わなかったのだ。しかし自分を見てジェイに気付かれるような反応を僅かにでも見せなかった彼は、さすがに十年もの間デルバートを演じきっていただけのことはある男だと思う。


 異端審問院の二階で『偽者の所持品』を見せられた後、ダドリーはジェイに対し、見解けんかいを述べた。偽者は、魔物が化けたものか、魔術によって人が化けているのものか、しくはその両方だろうと。

 それからダドリーは、更に続けたのだ――。



「デルバートが偽者になっていたのは、戦争終結から十七年後に姿を現した時からずっとだろうな。それからすでに十年ほどがっていることから考えて、今すぐ大主教に害をそうとするたぐいのものではなかろう」

「そう、でしょうか」


 いぶかしげに言ったジェイに対し、ダドリーが寛容かんような態度でうなずいた。

 手にしていたペンダントを名残惜なごりおしそうに箱に戻したダドリーの視線が、ジェイに向かう。


「ジェイ殿。大主教のおいというデルバートに成り代わることは、非常に危険度リスクが高いことだとは思わぬか? ただ内情をさぐるだけなら、他に幾らでもやりようがある。だが偽者はデルバートを選んだ。王都側からの間者かんじゃだと考えれば、デルバートである理由に説明がつく」

「王都側の間者、ですと……!?」


 驚いたように声を上げたジェイが、はっとしたように口をつぐんだ。彼の様子からは、『王都側の間者』の可能性を考えもしていなかったことがうかがえた。


「うむ。戦争となれば、ノイエン公爵の息子であるデルバートは非常に有用な人物だからな。とすれば、王都のエラン王は戦争を起こしたがっているのかもしれぬ」

「まさかそのような――」

「いや、有り得ぬ話ではないぞ。まだあの戦争から三十年も経っておらぬのだ。そう考えれば、偽者には魔物よりも人を使うであろうな。あの『浄化』の折、王都側へのがれ生き延びた魔導士がいると仮定すれば、負荷の高そうな魔術を使ってまで人を送り込むことに協力する魔導士はいるであろう。はかり知れぬ恨みをいだいていることは、想像に容易たやすい」


 そんなダドリーの述べた見解を前に、ジェイの目は動揺を隠し切れてはいなかった。難しそうに眉をひそめながら、じっとダドリーの話に耳を傾けていたのだ。


 そんなジェイに対し、ダドリーは一呼吸入れると更に続けた。


「もしあの偽者が魔物だとして――人としての生活をただ楽しんでおるのだとすれば、本物はさっさと殺されておろう。やはり、先の考えの方がしっくり来るな。あれほど痛めつけてもデルバートのままなのは、おそらくは長年あの姿を続けてきたことで、馴染なじんでしまっておるのだろうよ」

「それは困ります! ここまで情報を提供したのです。どうにか元の姿に戻す方法を、見つけていただきたい」


 はっきりと要望を口にしたジェイが、ダドリーを正面からとらえている。その視線から逃げることなく、ダドリーはもありなんというように頷いた。


「それは持ち帰って調べるとしよう。何か分かれば知らせる。それで良いかな?」

「よろしく、お願いいたします」


 安堵あんどしたようにジェイが礼を述べた。

 ダドリーが机上に置いていた本を重ねたため、エリュースは肩に下げていた荷物を改めて背負い直し、本をかかえた。帰るのかと思っていると、ダドリーが口を開く。

 

「もしかしたら間者は、大きな事件(・・・・・)を探りにきたのかもしれぬのぅ」

「……それは、どのような」

「貴殿らの方が、よく知っておるのであろう?」


 意味深に笑みを浮かべたダドリーに、ジェイが喉元で声を抑えたように見えた。予言の娘のことを示唆しさするものだとエリュースは思ったが、ジェイもそう思ったのだろう。確かに、半島の危機となりる娘のことをどこかから聞き及んだならば、間者を送り込んでくることは当然のことと言えた。和平を結んだとはいえ、教団の本拠地であるこのアルシラを含む半島側と王都側とは決して友好関係にはないのだ。


「ジェイ殿」


 ダドリーが改めて、ジェイに呼び掛けた。


最早もはやこの件は、異端審問院だけでかかえ込むべきものではない。教団の奥深くに間者に入り込まれていたことは由々しき問題だ。大聖堂騎士団とも情報共有すべきだと忠告しておく。一両日いちりょうじつは待とう。その間に、異端審問院から騎士団長へ報告するが良い」

「……院長に進言いたします」


 ダドリーにあおられ、ジェイに新たな危機感が芽生えたのだろう。ダドリーの忠告は、ジェイに受け入れられた。

 

 異端審問院長から騎士団に伝われば、当然、大主教に話が行くだろう。他の間者の存在を疑い、大主教の警護が厳しくなることは想像に容易たやすい。そうなれば、多少は大主教の動きは封じられるはずで、それは彼の息子であるヴェルグも同様だ。デュークラインが捕らえられてしまった以上、大主教がカイを殺してしまわないとも限らない。その懸念けねんは、僅かながら減ったと考えて良いだろう。


 一連のダドリーの話を傍で聞いていたエリュースは、ひたすらに感服していた。デュークラインの事情をおおよそは知っているエリュースですら納得してしまうほどの論理的見解が、目の前で繰り広げられていたからだ。異端審問院ではおそらくやり手(・・・)だと思われるジェイも、ダドリーの前にはかなわない。今回の異端審問院への訪問は、ダドリーを師と仰ぐエリュースにとって、彼に対する尊敬の念を更に深める機会となったのだった。



「師匠は、デュークラインは何者だとお考えですか?」


 エリュースはダドリーに、改めて聞いた。

 ダドリーが口髭くちひげの奥で笑う。


「魔女――魔導士の使い魔だろうな。お前も彼の所持品を見ただろう?」

「あの藍晶石カイヤナイトのペンダントですか」


 黒曜石オブシディアンを使った銀細工の指輪も見事な装飾品だったが、ダドリーが興味深そうに手の中で眺め倒していたのは藍晶石カイヤナイトのペンダントの方だったのだ。あれはデュークラインが、まるで御守りのようにして肌身に着けていたものだ。


「うむ。あのペンダントの形は書物で見たことがあってな。あれは、魔導士がみずからと結び付けた使い魔に与える魔導具の一つだろう。魔導士の方にも何らかの装飾品があろうな。おそらくは同じ石をもちいているはずだ。それらを通じて、彼らは繋がっておるのだ」

「あぁ、だからあの時……」


 エリュースは、デュークラインを治療した後、カリスがまるで何かが起こったことを知っているかのように塔にやって来たことを思い出していた。


「互いに身に着けていれば、魔導士には彼の状態が分かるのですね……。では、あのペンダントが彼から離された今、魔導士かのじょも気付いて?」

「その理由は分からぬだろうがな。だが、あれが離されていることは大問題だ。魔導士からの供給の糸が切れた状態だということだからな。使い魔にとっては、主である魔導士が命の源でもある。使い魔が主人に絶対服従する所以ゆえんだ」


 エリュースは驚きつつも納得していた。デュークラインの様子は、まさに死を連想させるほどのものだったからだ。毒の治療の際、デュークラインがペンダントをはずすことをこばんだことも納得できる。


 ダドリーが、異端審問院に持っていっていた荷物を解き始めた。その中から地下牢で使った蝋燭ろうそくを取り出したダドリーの視線が、止まる。


「減りが早かったな。そういえば、やけに火が揺らいでおったな……」


 彼の手元をみれば、数本の蝋燭ろうそくがあった。そのいずれもが、元の半分以下の長さになっている。火を消して仕舞う時には気付かなかったことだ。


「――魔力を吸っておるのか」


 ダドリーがつぶやいた言葉には、僅かに深刻そうな響きがあった。


「魔力を?」

「無意識だろうがな。今のデュークラインとやらは魔力の飢餓きが状態だ。飢えた体が周りの微粒な魔力を欲し、取り込もうとしておるのだろう。エリュース、お前もいつもより疲れてはおらぬか?」

「そう言われれば……そんな気も」


 確かに普段よりも疲れてはいる、とエリュースは思った。魔力を吸われたと確信するほどのものではないが、違うとも言い切れない。ダドリーも疲れを感じているならば、彼の推測はおそらく正しいのだろう。


しばらくすれば、彼に近付くだけで体の不調を訴える者が出てくるだろうな。飢餓状態は更にひどくなっていくだろう。取り込んだ魔力をその傍から消費してしまう、人為的な虚無の穴が作られようとしておるのだ」

「では、デュークラインは生き延びられますか?」


 エリュースは希望を持ってダドリーに尋ねた。

 カリスやスバルに会えるまで、どれだけの日数がかかるか分からない。スバルに至っては、そもそも何処どこかに定住しているのかさえ不確かな男なのだ。


 ダドリーの手が、少し考えるように顎髭あごひげをゆっくりと撫でた。


「異端審問院は彼から引き出したい情報が多くある。ゆえしばらくは無理に食べさせてでも生かそうとするはずだな。彼は大主教に対する重要なカードだ。だが、最終的にはそのカードを切って処刑するつもりではあるだろう。あそこに捕らえられている限り、彼はいずれ死ぬ。主人との糸が切れた状態で、どこまで持ちこたえられるかも分からぬ」


 ダドリーの言うことを受け止めながら、エリュースは両手でコップを握り締めた。彼は死ぬまでカイの居場所を話さないだろう。どれだけの拷問ごうもんを受けてもそうだろうと思う。彼が死ぬことでカイは護られるかもしれない。しかし彼の喪失を、カイは耐えられるだろうか? そう考え、エリュースは大きく首を左右に振った。


「デルバートの姿のままで処刑することが難しいから、異端審問官は元の姿に戻す方法を知りたがっているのですよね? 見た目はどう見てもデルバートなのですし、今のままでは何かの陰謀で処刑されたとみる者も出てくるでしょう。とすれば、彼があの姿のままであれば――」


 ジェイに対しては、長年の変化で姿が馴染んでいるのだろうとダドリーは話していた。その通りならば、異端審問官によって処刑を強行されることはないかもしれない。

 ダドリーを見れば、彼の冷静な眼差まなざしとぶつかった。


「どうであろうかの。彼もそう考えて、あの姿を維持しようとしておるのかもしれぬ。が、今はぎりぎりの状態であろうな。いずれは、限界が来るだろう」

「そう、ですか……」


 やはりジェイに言ったことは詭弁きべんだったのだと、エリュースは少しばかり落胆した。しかし、デュークラインが生きようとしていることは確かだろう。彼は、主人カリスとカイのために口をつぐんでいる。時間稼ぎに過ぎないことは、おそらく彼も分かっている(はず)だ。それでも異端審問官が彼に構うよう姿を維持し、えて苦痛と屈辱を受けているに違いない。


「お前の思う通り、彼らは公開処刑をしたいのだ。儀式から二十五年目の式典の開催に合わせてな。予言の娘を捕え、民衆の前で公開裁判のうえ処刑する。それで異端審問院の威光を最大限に強める算段だ。その前に偽者の処刑を強行する可能性も無くはないが、まだ予言の娘が残っているうちは、大丈夫と見て良いだろう。直近ちょっきんの問題は、娘の方だな。少なくともあの異端審問官は、デルバートの見た夢を詳細に聴取ちょうしゅしておるはずだ。当然、娘のことも聞いておるだろう」

「俺も、そう思います」


 それがどの程度のものなのかは分からない。しかしデュークラインの記憶が本物に流れているというのなら、カイの姿を夢に見ないとは考えられないのだ。


「夢だけでは場所までは割り出せず、ああしてデュークラインの口を割ろうとしているのでしょう。師匠が王都側からの間者の可能性があると言ってくださったお陰で、彼らの思考は忙しくなったことでしょうが」

「まぁ、有り得ない話ではないからな。夢で娘と接しておることが分かっても、王都側からの間者の可能性は消えぬ。しばらくは、半島内に生き残りの魔導士がいることからは目をらせるだろうて」

「ありがとうございます」


 エリュースは心を込めて礼を言った。これで魔導士であるカリスまで捕まることになれば、カイは大主教の手の内で孤立する。カイの今後のことを考えても、貴人であると思われるカリスの存在は大きいのだ。


「魔導士は、夢のことは……知らなかったのでしょうか」


 『姿写しの魔術』に夢の副作用があるのだとしたら、知識のある者になら、すぐに姿を写されたことに気付かれてしまうだろう。とすれば、本物を生かしたまま閉じ込めておく必要があったはずだ。しかしカリスはそうしていない。


「それについては、幾つかの可能性が考えられるな」


 ダドリーも椅子に腰を下ろし、両肘をついた。


「夢の現象は、記憶の逆流だ。おそらくは印象に残った光景や強烈な衝撃のあった出来事が、夢に現れておるのだろう。一つ目の可能性は、術者がこの魔術の副作用に気付いていなかったこと。二つめは、魔術が不完全であったために起こった不具合である、という可能性だ。あの『浄化』という名の粛清しゅくせいはな、エリュース。これまで師から弟子へと受け継がれていくはずだった流れをも断ち切ってしまったのだ。ゆえに、習得した状態でおこなわれたものではないのかもしれぬ。とすればだ、術を用いた魔導士自身は、この記憶の逆流という現象が起こっていることに気付いておらぬのかもしれぬのぅ」

「なるほど……」


 ダドリーの説明にエリュースは納得をした。それならば、デルバートをそのままにしておいたことも理解できる。これまで本物のデルバートが帰ってこなかったのは、彼自身の選択だったのだろう。おそらくカリスはそのことを知っていたのだ。


「大主教は本物のデルバートを、認めなかったのでしょうか?」

「デュークラインとやらは秘密をかかえ過ぎておるからな。取り戻そうと躍起やっきになっておることだろう。それでも返されなければ、早急に処刑してしまうよう要求するかもしれぬがな。だが、異端審問院はそれは承諾出来まい。その秘密を暴きたいからだ」

「ならば、デュークラインのことは、彼を信じて機会を待ちます」

「何か算段があるのか?」


 そう言われ、エリュースは少し迷ったが結局、スバルの名を口にした。


「協力してくれるかは分かりませんが……」

「ふむ……。あいつも関わっておるのか。まったく、気紛れ草(ストロープ)のような奴だ」


 あまり驚く様子もなく、ダドリーが軽く笑った。

 気紛れ草(ストロープ)というのは、いつの間にか家や納屋の隙間から種が入り込み、ほんの少しの太陽光で育ち根を張る植物のことだ。ふらふらと風に乗る種を思い浮かべると、なるほど、言い得て妙だと思う。


「まぁ、あれもにがいが、薬にならんこともない。それで、これからどうするのだ? エリュース」


 ダドリーに問われ、エリュースは真っ直ぐに彼に向き直った。


「デュークラインが捕らえられたことを、彼の主人に伝えようと思います。異変に気付いていても、詳しい事情は分からないでしょうし。塔に行けば、なんらかの連絡方法をルクが――ゴブリンが、知っているかもしれません。カイを連れ出せれば一番良いのですが……」

「その娘の焼き印に反応するという結界が、問題なのだな」

「はい」


 エリュースはダドリーを見つめた。

 一縷いちるの望みを懸けて、問う。


「師匠。結界は、張った者にしか本当に解けないものなのでしょうか?」

「そう、言われておるな。それに、焼印に反応させるなどという特殊な結界ならば、下手へたに手を付けるのも危険だ。現に、お前の知る魔導士には転送円を扱える高等な結界士がついておるのだろう? その者がこの状況になってまで塔の結界を解かぬということは、その者には解けぬと考えて良かろう」


 ダドリーの言ったことは真実であり、エリュースは結界に関しての手の打ちようの無さに頭をかかえた。博識のダドリーでもどうしようもないことはあるか。そう思った時、ダドリーの付け足すような「ただ、」という言葉が耳に届き顔を上げる。


「結界に使用する杭には、何らかの印が刻まれておる(はず)だ」

「印、ですか? 気にしたことがありませんでした」

「黒塗りで分かりにくいうえ、そもそも呪われるから近寄るなと教わるものだからな」


 そうであろう? と言うようにダドリーが笑んだ。


「印を確認出来れば、結界士を探せるかもしれぬ。ここに印の資料は少ないが、調べてみる価値はあるだろう」

「見てきます!」


 エリュースは意気込んで答えた。一筋の希望が見えたのだ。もうこうなっては、アルシラを出る正当な理由を作るための余裕はない。タオに事情を話し、すぐにでもたなければならない。ただし、異端審問院に怪しまれてはならない。


 そんなエリュースの答えが分かっていたかのように軽く笑ったダドリーが、折り畳まれた紙を机に置いた。差し出すようにして、手で押して滑らせてくる。


「これは?」


 不思議に思いダドリーを見れば、彼の目が僅かに細まった。


「これを持っていけ。学頭司祭に見せれば問題なかろう。お前への懲罰ちょうばつの一環として旅先での奉仕活動を課しておる」

「師匠……! ありがとうございます!」


 思ってもみなかったダドリーの先回りの気遣いに、エリュースは深く頭を下げた。異端審問院に不審がられないようにしなければならないのは同じだが、学頭司祭相手に余計なやり取りをしないで済むのは有難い。サイラスよりも騎士歴が長いダドリーのお墨付きであれば、タオを借りることもすんなりと話が通るだろう。


「良いか、エリュース。わしは大抵のことは楽しむ性質だが、『しょく』はいかん。あれは、二度と起こしてはならぬ災厄さいやくなのだ。その危険がアルシラに差し迫ればわしは異端審問院を止めぬし、災厄を止めるためならば、娘を斬るだろう。教団と民を護る大聖堂騎士としてな」

「師匠……」


 ダドリーの真剣な眼差しを受け、エリュースは両手を強く握り締めた。

 彼の言うことは至極真っ当なことだ。


「だが、娘を救いたいというお前の気持ちも分からぬでもない。お前がまだ救えると考えているならば、やれるだけのことは、やってみるが良い。だが、決して無理はするな。常にわしの命が懸かっていることを忘れるなよ?」


 にやり、とダドリーが笑う。

 彼からの忠告を、エリュースは重く胸に受け止めた。


「承知しています」


 エリュースは気を引き締め、右拳を自身の胸に押し当てた。



* * *



「いい加減に、何かしゃべったらどうだね?」


 ランタンのあかりを近付け、ジェイは椅子に座ったまま男の顔をのぞき込んだ。苦しげに顔をゆがませる男の口からは、細い息が音を鳴らしている。きつく締めていた首の紐を緩めれば、男がうつむくと同時に激しく咳き込んだ。


「ここまで強情ごうじょうな者は初めてだ。誰に義理立てしている? 大主教はお前を救えんぞ。エラン王に質でも取られているのか? それとも……惣闇つつやみの娘にそれほど思い入れがあるか?」


 魔物であれ人であれ、この状況で助かる方法は喋ること以外には無い。それを分かっていないほど愚かではないとジェイは考えていた。十年もの間、別人の振りをし続けてきた男なのだ。


「お前を籠絡ろうらくするとは、余程のあばずれ(・・・・)なのかもしれぬな?」


 怒らせようとしてみるも、やはり男の反応はない。この男に家族でもいれば質にして口を割らせることも出来ただろうにと思うが、生憎あいにく、彼にはそうできる有効な者が見当たらないのだ。このアルシラで特に親しくしている者はいないようで、それはこうなることも見越してのことなのかもしれないと思う。


 この男がダドリー・フラッグの言うように王都側の間者ならば、尚更白状させなければならない。もし予言を成就させ、この半島の弱体化を王都が狙っているならば、愚かだと言わざるを得ないだろう。もしウィヒトが復活し、再びしょくおこなわれたとしたら、その影響は王都にまで及ぶ。そのことは、過去を振り返れば明らかなことなのだ。ならば、予言の娘を生かしていることへの糾弾きゅうだんのためなのかもしれない。大主教の偉光が失墜しっついすれば、今もエラン王の元でいるエミリア・ヴァリエが、真主教として大主教に取って替わろうとするだろう。


「まさか、エミリアに飼われているのではないだろうな?」


 片手であごを掴み上げると、うっすらと藍色の瞳が見えた。肯定も否定もしない無感情な目だ。死ぬまでこの姿勢をつらぬくつもりなのだとしたら、大した男だと思う。これが自分の部下でないことが、惜しいとすらジェイは思った。


 その時、扉が開いた。ランタンを手にしたリュシエルが、足早に入ってくる。その表情は珍しく浮き立っているように見えた。昨夜ダドリー・フラッグに良いようにあしらわれたことは、もう吹っ切れたようだ。


「ジェイ……! これを見てください」


 傍まで来てリュシエルが差し出したのは、封緘ふうかんが解かれた手紙だった。差出人は書かれていない。開いて目を通してみれば、それは驚くべき内容だった。


「これは――娘の居場所か?」


 そう言った瞬間、項垂うなだれていた男に反応があった。顔を上げた男の藍色の瞳が、食い入るように手紙を見つめている。捕らえてから初めて見る、感情が発露はつろした瞳だ。


 リュシエルが、男に顔を近付けた。


「ザラームと言えば、分かるか? 彼からは不定期に報告を受けていたのだ」


 見て分かるほどに目を見張った男に言い放ち、リュシエルが勝ち誇ったように笑んだ。男が繋がれたかせはずそうと初めてあらがいを見せたが、鎖が激しく音を立てるだけで外れはしない。


「人を雇っていたのか?」


 そうリュシエルに問えば、振り返った彼が少し困ったように眉尻を下げた。


「黙っていてすみません、ジェイ。ですが、これで娘の居場所が知れました。私はすぐに準備をして出立を、」

「いや、お前はここに残れ」


 ジェイは、はっきりと伝えた。納得出来ないのだろうリュシエルからの視線での訴えを、見据えることで退しりぞける。


 先程リュシエルはその男の名を、ザラームと言った。この国の者ではない響きから、他から流れてきた者なのだろう。予言の娘を父のかたきと思うリュシエルが秘密裡ひみつりに人を雇っていたとなれば、ただの人捜しとしてだけではないはずだ。殺された彼の父親とは友人であったため、ジェイは彼の気持ちは理解出来た。それでも、異端を裁く側の審問官が外部の人間を使ったことは、褒められたことではない。むしろ審問案件にすら成り()ることなのだ。しかしジェイは、この問題を後回しにすることを決めた。


「娘の確保には、私が行く」

何故なぜです、ジェイ! これは私が掴んだ――」

「お前では、その場で娘を殺しかねん。予言の歳になっても何も起きていないならば、急いで殺すことはあるまい。娘には、我々のために皆の前で死んでもらわねばならぬ」


 そう説明すれば、リュシエルは無理矢理にみずからに納得させたかのようだ。渋々というふうに、リュシエルが小さく頷いた。


「お前たちは……ッ」


 苦しげな息の下から、絞り出したような声が聞こえた。繋がれた男が、ようやく言葉を発したのだ。


「罪なき娘を、殺そうと言うのか……っ」

「罪ならある……!」


 間髪入れず、リュシエルの怒りの声が飛んだ。


「審問官ルード・ブロウズとその従者を殺害したのは、その娘だ。私は絶対に許しはしない……!」

「落ち着け、リュシエル」


 父親のこととなると熱くなるリュシエルを、ジェイは止めた。いずれ殺すとはいえ、間者かもしれない男に情報をくれてやることはないのだ。


「やはり、お前は娘を知っているのだな?」


 そう問えば、男の顔に苦々(にがにが)しそうな笑みが浮かんだ。


「お前たちの話に……反吐へどが出そうになっただけだ」

「全く、強情な男だな」


 あれほどの反応を見せておきながらいまだに認めようとしないことに、ジェイは軽く笑った。余程、主人に忠誠心があるのか。しくは他に、頼れる人物がいるのかもしれない。そこまで考え、出来るだけ急いだ方が良いだろうとジェイは思った。娘に罪が有ろうと無かろうと、予言の娘として生まれたからには死んで貰わねばならないのだ。それに、この世に生を受けて全く罪を侵さぬ者など、居はしないのだから。


「院長には、この男が吐いたと報告する。リュシエル、お前にはここを頼むぞ。間違っても、この男を大主教に奪われぬようにな」

「ええ、お任せください。ジェイも充分に気を付けてください。相手は予言の魔女なのですから、したたかな女に違いありません」


 リュシエルの中では余程の悪印象なのだろう。実際どうなのかと男に視線を向けるも、すでうつむいた状態で表情は見えない。


 まぁ良い、とジェイは思った。ノイエン公爵領の森の塔へおもむけば、その娘に会えるのだ。男が喋らないのであれば、娘に直接聞けば良い。


「ああ、気を付けるとしよう」


 ジェイは繋がれた男を一瞥いちべつし、椅子から腰を上げた。




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