38 意企と真贋
「一体どういうつもりなのだ……!」
怒りの込もった声が、執務室に響いた。リュシエルは黙ったまま、執務机の向こうに立っている審問院長ウォーレス・ペインを眺める。大主教に強く物も言えない腰抜けだ――リュシエルはそう彼を評価していた。隣に立つジェイにも緊張する様子は見られず、ウォーレスの慌てぶりを放置している。
そろそろ、また彼の元へ行こうか。そう思っていた矢先、ジェイと共にウォーレスからの呼び出しを受けたのだ。少し上げられている鎧戸の向こうから微かに三鐘の音が聞こえており、この呼び出しに対して『早かったな』と思う。
「今朝方、大主教から問い合わせがあったぞ。昨日からデルバート卿の姿がないとな。まさかと思って調べれてみれば、お前たちが連れて来ていたそうではないか!」
「落ち着いてください、院長」
至極冷静な態度で、ジェイが言った。そんなジェイに深い溜息を吐いたウォーレスが、上げていた腰を椅子に戻す。
「彼はどこにいる? 知っておらぬのなら、そう……」
「彼ならば、この地下にいますよ」
「なん、だと!?」
下ろした腰を再び上げ、ウォーレスが声を上げた。青褪めた顔が、理解出来ぬとばかりに歪んでいる。
「私が会う。今すぐにだ」
「分かりました」
ジェイがあっさりと答えた。こうなることは、予測済みなのだ。どのみち、大主教にデルバートを会わせる機会を作らなければ、尋問室にいる男を帰さねばならなくなる。教団最高位の大主教との面会の場を設けるためには、異端審問院長であるウォーレスが動く必要があるのだ。
「納得して頂ける説明が、できると思いますよ」
「お前が、リュシエルに感化されようとは……」
最早、話を聞いていないようなウォーレスは、大主教に対する畏敬の念を抱き過ぎなのだ。リュシエルはそう思いながら、彼を連れて執務室を出て行くジェイの後に、黙ったまま続いた。
地下の面談室にウォーレスを案内すると、彼はデルバートを前にして安堵の表情を見せた。デルバートには、食事を与え、湯も使わせ、身綺麗にさせている。
ウォーレスが姿を見せたことで、デルバートは表情を明るくした。彼が審問院長であると、他とは違う刺繍の多いローブで察したのだろう。
「デルバート卿……! よくぞご無事で。この度はどうか、この者たちの非礼をお許しくだされ」
デルバートの片手を取ったウォーレスに、当のデルバートが慌てたように彼に手を添えた。
「非礼などと、そのような。私が彼らに助けを求めたのです」
「それは、どういう……?」
目の前のデルバートに違和感を覚えたのだろう。ウォーレスが最初の勢いを薄れさせ、振り返った。リュシエルはウォーレスを納得させるため、出来るだけ丁寧に説明を始めた。
デルバートは住んでいた村に近いホルンという町の酒場で、四年ほど前に起きた暗殺未遂事件の噂を聞いたこと。そこで侍従デルバートの名前を聞き、偽者がいると気付いたこと。叔父である大主教に危険を知らせねばと、村を出てこのアルシラにやってきたこと。そしてデルバートに商人町で声を掛けられ、事情を聞いて保護したことだ。デルバートの話をじっくりと聞き、辻褄の合うこれまでの記憶から、彼が本物であると信ずるに足ること。エイルマー助祭の協力を得て特別な香を用い、魔の者ではないと判断したこと。それらを信じられない様子で聞いていたウォーレスだったが、終いには、深く考え込むような顔付きになった。
「この本物のデルバート殿の身の安全のため、情報を遮断しておりました。しかし、院長にはお知らせしておくべきことでした。申し訳ございません」
「――もう良い。それで、その偽者というのは……」
ウォーレスの視線が、明確にジェイに向けられた。
ジェイは情報収集能力に長けており、慎重かつ丁寧に仕事をする人物だ。故に、周りからの評価も高く、当然ながらウォーレスからの信頼も厚い。ジェイがこの件に積極的に関わっている、という事実は、大いにウォーレスの納得を引き出す要因になるだろうと、リュシエルは思った。
「一昨日の夕方から尋問室に。見られますか?」
ジェイがそう問うと、ウォーレスが僅かに頷いた。
「あの、私も共に行かせていただいてもいいですか?」
そう言ったのは、デルバートだ。リュシエルは彼の思い詰めたような表情から、何か偽者に聞きたいことでもあるのかもしれないと思う。
しかしデルバートの歩み寄りは、ジェイの軽く胸元に上がった片手によって制された。
「いや、貴方は止めておいた方が良いでしょう。貴方のような方が、見るものではありませんよ」
僅かに笑みを浮かべたジェイに対し、デルバートが言葉を呑み込んだのが分かった。穏やかな口調ながら、ジェイの言葉には圧力があるのだ。しかし、リュシエルもジェイと同じ考えだった。自分と同じ顔の男が拷問されている様など、見ない方が良いに決まっている。
「デルバート殿。また後ほど、お伺いします。今後の段取りなどを決めねばなりませんので」
そう言われては、デルバートは頷くしかないのだろう。大人しく頷いたデルバートを、リュシエルは少し不思議な気持ちで見ていた。纏う雰囲気はまるで違うが、完璧なまでに瓜二つの顔なのだ。これを成したのはおそらく、魔術的なものだろうと思う。変身能力に長けた魔物の可能性もあるかもしれない。しかしそれをはっきりさせるために調べようにも、魔術を扱う魔導士たちはもう、この半島には存在しない。
扉を押し開け、ウォーレスとジェイが出るのを待った後、リュシエルはデルバートに軽く頭を下げ、面談室を後にした。
地下の尋問室の前に立ち、中を見るための覗き穴の蓋を引き上げる。そしてリュシエルは、中にいる部下に松明を彼に近付けるよう指示した。顔がよく見えるように、とも伝えることも忘れなかった。
ウォーレスに場所を譲り、リュシエルは後ろに下がる。
中を見たウォーレスが、息を呑んだことが揺れた空気で分かった。
「――こ、これは……っ」
「デルバート卿の名を騙っていた、不届き者ですよ」
ジェイがそう言うのを聞きながら、リュシエルは通路の壁に背を預けた。彼を見ているウォーレスの背中は、強張っているように見える。
「まさか、このようなことが――」
「ええ。ですが、事実なのです。大主教は騙されていらっしゃる。それをお救いできるのは院長だけだと、本物のデルバート殿は頼りにして来られたのです」
「そう、か……」
得心が行ったように、ウォーレスは深く頷いた。
「それで、あの者は何者なのだ? まさか双子――、ではあるまいな?」
「それは本物のデルバート殿に確認済です。ご兄弟もおられません。ノイエン公がご養子を取られているのが、その証かと」
「そうか……では、魔物の類いが化けておるのか? 何か、喋ったのか?」
「いえ、まだ何も」
静かに、ジェイが答えた。リュシエルは苛立ちを堪える。あの偽者は、本物のデルバートに会ってから、一言も言葉を発していないのだ。命乞いすらしない。
考え込むようなウォーレスの唸り声が、彼の口から漏れた。
「ならば、なんとしても正体を暴かねばならぬ」
「承知しております」
「私は、大主教と、本物のデルバート殿との面会の場を設けよう。大主教に危害を為す前であったことが、何より幸いなことだ」
確かにウォーレスの言う通り、このまま偽者に気付かず大主教に何かあった後ならば、魔の存在が入り込んでいたことに気付かなかった異端審問院の存在意義を問われたことだろう。
ウォーレスの表情が、途端に輝き始めている。手柄をその手に掴んだためだ。
「よろしく、お願いいたします」
ジェイと共に、リュシエルはウォーレスに深く頭を下げた。
* * *
塔の私室で、大主教メルヴィンは頭を抱えていた。今や腹心とも言うべき甥のデルバートが、姿を消したのだ。彼がメルヴィンの元――このアルシラを離れる際は、必ずそう告げてから行く。黙って旅に出たことなど、一度もないのだ。それなのに、昨日は仕事に出て来ず、今朝も姿を見せなかった。娘が暗殺者に襲われた件もあり、もしやと思い、異端審問院長に問い合わせたのだ。すると、一日経って、思いも寄らないことを言ってきた。あのデルバートは偽者で、本物のデルバートを保護しているので会わせる、と言うのだ。一体どうなっているのか分からないが、会わないわけにもいかない。
その時、扉をノックする音があった。
メルヴィンは焦りを抑えて許可を出す。声の主が来るのを、二日前から待っていたのだ。
扉を開けて入ってきた男は、待ち侘びていたその人だった。アルム主教領の主教であり、枢機卿でもあり、息子でもあるヴェルグだ。娘の事をメルヴィンと同様に知っているのは、このヴェルグとデルバートだけなのだ。
「父上。ご機嫌は……あまりよろしくはないようですね」
軽く笑みを浮かべたヴェルグが、傍近くにまでやって来る。相談できる相手が来たことに、メルヴィンは深い溜息を吐いた。
「例の結界士は、どうしている?」
「オールーズ侯爵にお貸ししていますよ。魔物と病避けの結界の貼り直しに……塔に何かありましたか?」
察し良く問い掛けてきたヴェルグに、メルヴィンは机上で両手を組んだ。
「あれが、暗殺者に襲われたらしい」
「兄上にお怪我は?」
「――ないようだ」
すぐさま従兄の心配をしたヴェルグに、メルヴィンは答えた。安堵したような表情をしたヴェルグが、先を促す。
「それで?」
「異端審問官が絡んでいる可能性が高い。あれを別の場所へ移動させたいのだ」
「いっそ、殺してしまえば良いのでは?」
ヴェルグから出た提案は、メルヴィンも一度は考えたことだった。
「死体でしたら、結界を潜らせても騒がないでしょうしね。痕跡を全て消してしまえば問題ありません。証拠が無ければ、彼らも訴えようがない」
その通りかもしれない。そう思いながらも、メルヴィンはヴェルグの提案を受け入れられなかった。
「いや、あれが二十五歳になるまで、あと一年もない。ここまで生かしておいたのだ。予言の年である二十四歳を越えさせ、ウィヒトの呪いを解かねばならぬ」
「予言……ですか」
訝しげに、ヴェルグが呟いた。
仕方ない、とばかりに小さな溜息が吐かれる。
「なら、それしかないでしょうね」
少し考えるようにして黙ったヴェルグが、口を開いた。
「結界士を呼び戻します。新しい場所も探さねばなりませんね。今の塔のような魔力溜まりがあれば、強力な結界を張るには良いらしいのですが……」
これからの段取りを考え始めたようなヴェルグを、メルヴィンは見上げた。頼りになる片腕として成長した息子は、デルバートを実の兄のように慕っているのだ。
「それはそれとしてだ、ヴェルグ」
「なんです?」
改めて名を呼ぶと、ヴェルグの視線が向けられた。不穏を察したのか、細い眉が僅かに顰められる。
「デルバートが……偽者だというのだ。異端審問院に捕まっている」
「は……、」
「本物を、保護していると言ってきた」
「そのような戯れ言――」
ヴェルグが怒ったように息を吐き出し、その眉を吊り上げた。
「兄上は異端審問官に嵌められたのでは? 伯母上も認めているではありませんか。あの臀部の黒子は、本人すら気付いていなかったのですよ? 溺れた私を助けてくれたことも、兄上は覚えていました。何より、あの瞳の色は伯母上と同じです」
ヴェルグの気持ちは、メルヴィンにも理解出来た。メルヴィンも初めは疑いもしたが、真摯な甥の態度に気持ちは軟化したのだ。誰かが焚いた魔除けの香にも、デルバートは動じなかった。
「私もそう思いたいのだが……」
メルヴィンは思い出していた。姉に呼ばれてノイエン公の元へ行くと、戦争に行かせ死なせたと思っていた甥に引き合わされたのだ。髪の色が抜けたようで、その顔付きも以前よりも引き締まり、知っている甥ではないような印象を受けた。「過酷な戦場が息子を変えてしまった」そう言った姉マルヴィアは、それでもこうして戻ってきてくれたのだと、涙ながらに語った。メルヴィンとしては、多少の私情を挟み姉の息子を戦地へ送ったことへの後ろめたさがあり、そのせいで姉に詰られ泣かれたこともあって、デルバートが生還したことを受け入れないわけにはいかなかったのだ。何より、戻ってきたデルバートは以前と比べ、戦争前の記憶の殆どを失っていることもあってか、叔父上と敬ってくる態度にも可愛げがあった。生きて帰れたのはアスプロのお陰だと言い、戦地へ向かう前に叔父上に与えて頂いた加護のお陰だと、そう言うのだ。しかも剣技に長けている。以前には見られなかった非情さが加わり、メルヴィンのすることは全て正しいのだと、その手を汚すことも厭わない。まさに非の打ち所のない甥だ。それがこの期に及んで偽者などと、受け入れられるわけがない。
「兄上を捕らえたのは、異端審問院が父上を疑っているからでしょう。オヴェリスがそうであったように」
「ああ、誰かがそれを引き継ぎ――強引に事を進めてきたということだろうな」
前異端審問院長オヴェリスの、鷹のように鋭い眼差しを思い出す。彼は娘の母親であるディーナの行方も併せて追求してくる、非常に厄介な人物だった。彼に見つめられると、隠し事が暴かれるような怖ろしさを感じたものだ。彼が亡くなるまで、石化したディーナの様子を見に行くことも出来なかった。故に、早々にフォクス・アイヴァーに奪われていたことに気付くのが、随分と遅れることになったのだ。幸いなことに、ディーナは記憶を失っていた。息子の存在は不安材料ではあるが、大聖堂騎士サイラスの従士ともなれば容易には手を出せない。だがこれまで何の動きもないことから、事情を知らされていないのだろうとみている。
「兄上は……、大丈夫でしょうか。何か喋ったりなどは……」
「ヴェルグ」
息子から出た言葉に、メルヴィンは少し驚いた。先程までは確かに心から心配しているように思えたのだ。しかし今、彼が口にしたのは保身を考えたものだった。
「兄上は、私たちがしたことの殆どを知っています。ディーナのこと、その娘のこと、商人たちとのことや他にも色々と。もし、我が身惜しさに兄上が全て話してしまえば、私たちは間違いなく破滅するでしょう」
「お前は……、もう話している可能性は、あると思うか?」
「あの兄上のことです。口を割ってはいないでしょう。ノイエン公爵の息子を相手に、それほど乱暴な真似ができるとは思えません。父上からの助けを待っている筈です。となれば、助け手を待っている今は、まだ大丈夫かと」
「そうだな……急がねばなるまい」
ヴェルグの言うことに同意しつつも、メルヴィンはすっきりしない気持ちでいた。そもそも、あのデルバートが偽者などと、すぐにばれるような嘘を異端審問院が吐くだろうか? 万一、異端審問院の言うことが本当ならば。そう考え、メルヴィンはヴェルグを見上げた。
「ヴェルグ。もし、異端審問院の言うことが正しかった場合は……」
そう問うと、ヴェルグが冷ややかな笑みを浮かべた。
「その場合は、私の手で殺します。ただし、兄上として早急に取り戻さなければならないことに、変わりはありません。私たちのことを知っている兄上は、偽者であれ本物であれ、あの兄上だけなのですから」
「そうだな。――そうする他あるまい」
メルヴィンはヴェルグの助言に納得し、方針を固めた。
「お前も同席してくれ」
異端審問院長ウォーレスからの申し入れは、非公式の面会だ。それぞれ一名ずつの立会人を連れていくことになっている。
「そのつもりです」
当然のように、ヴェルグが言った。
* * *
面会を前にして、デルバートは高揚していた。やはり異端審問官に頼ったことは、間違いではなかったのだと思う。多少の緊張はあるものの、やはり久し振りに会う身内なのだ。面会場所は、この異端審問院の一室だという。大主教である叔父がわざわざ出向いてくれるのかと驚いたが、それ故に喜びは大きい。昔は叔父にあまり良い印象を持っていなかったが、夢で見る叔父から向けられる顔には親しみと信頼が感じられた。そのせいか、いつのまにか苦手意識は薄れていたのだ。
夢のことは、ジェイに口止めされている。院長にさえも話していない状態だ。余計な情報のせいで妄言を吐く者と思われては困ると言われれば、そうなのかもしれないと思う。
デルバートは異端審問院長に連れられ、客室と思われる部屋の前に立った。大主教は既に来ているらしい。警護の黒衣の衛兵と、大主教の護衛と思われる衛兵が扉前から退くと、審問院長がノックをした。するとすぐに、中から許可する声が聞こえた。
扉が開けられ、デルバートはウォーレスに続き、室内へ足を踏み入れた。視界には、テーブル向こうに座っている大主教の姿がある。夢で見ていた姿と全く同じ姿に、懐かしさよりも不思議な感覚を覚えた。純白のローブを纏った大主教――叔父の双肩には、金縁で紫色の長い帯が掛けられている。大主教としての威厳と神々しさを感じさせられる姿だ。その隣には、同じく聖職者の白いローブを纏ったヴェルグが立っている。彼も夢で見ていた通りの、成長の仕方をしていた。
「叔父上! ヴェルグ」
デルバートはウォーレスが話すよりも先に、声を掛けていた。驚いたように、叔父とヴェルグの目が見開かれている。
「兄上……?」
僅かに震えたような、ヴェルグの声が聞こえた。
「ご無沙汰しております。叔父上、ヴェルグも。私はあの戦争の後、逃れた先の村で暮らしていたのです。こうして戻ってきたのは、私の偽者がいると聞いて――」
そこまで言った時、ヴェルグの表情に変化があった。まるで驚くことなど何も起こっていないかのような冷静な表情を取り戻した彼からは、久し振りに再会した従兄に対する感情を読み取ることが出来ない。
「まずはお掛けを。ウォーレス様も」
「あ……、では」
椅子を勧められ、デルバートはウォーレスの隣の椅子に腰を下ろした。ウォーレスによってここに保護された経緯を伝えられている間、それを黙って聞いている叔父とヴェルグを眺める。本当に夢の通りだと思うにつれ、真実だと認めたくない光景が、嫌でも頭を過った。
ウォーレスが話し終えると、叔父が徐に口を開いた。
「では――、この者が本物のデルバートだという証拠はあるのか?」
「え……」
叔父の口から出た問いに、デルバートは慌てた。叔父ならばすぐに認めてくれると過信していたが、やはり十数年会っていなければ分からないものなのだろう。
「私が記憶している、叔父上とのことをお話しします」
デルバートは思い出せる限りの記憶を掘り起こし、話した。随分と昔のことで曖昧なこともあるが、それでも信じてもらえるならと口にした。幼い頃、叔父の大事にしていた本を汚してしまい、酷く叱られたこと。それは母には内緒にしてくれたことなどだ。
暫く話し続けている間、デルバートは叔父の表情を窺っていた。確かに始めに目が合ったときは、驚いたような顔をしていた。しかし今は、何か思案しているような、厳しい表情をしている。それはデルバートを不安にさせるには、充分なものだった。
「これで、分かって頂けましたかな、大主教。このデルバート殿こそが、貴方の本当の……」
「ウォーレス院長」
デルバートの気持ちを汲んでか、ウォーレスが叔父――大主教に声を掛けた。それを遮るようにして、大主教の声が強く発せられる。
「貴方には失望したぞ。まさかこのような戯れ事のために呼び付けられるとはな」
「なんと?」
大主教の言葉に、デルバートは驚き言葉が出なかった。隣にいるウォーレスの動揺が伝染したように、気持ちが揺らいでしまう。
「いくら姿を似せようと、私は騙せぬ。私のデルバートを返してもらおう」
はっきりとそう言った大主教に、デルバートは愕然とした。まさかこのように拒否されるとは、夢にも思っていなかったのだ。自分に会えば、本物だと分かってくれる。そう、高を括っていたのだ。
「まさか、私の大事な甥に乱暴な真似をしたのではあるまいな?」
「そ、そのような……」
大主教の言葉に押され、言葉を濁し始めたウォーレスに、デルバートは更に気持ちを落ち込ませた。なんとかならないかと目線で訴えてみるも、ウォーレス自身もそのように模索しているのか、膝上に置いた両手を握り合わせている。そんな彼が、意を決したように顔を上げた。その視線は真っ直ぐに大主教に向けられている。
「あのデルバート殿は、お返し出来かねます。大主教。あの者は、貴方の甥の名を騙り、いずれは貴方に害を為したことでしょう。そのような者を、貴方が信じられずとも、貴方の傍に返すわけにはいかないのです。これは、アスプロス教団の異端審問院として、貴方の安全を考えてのことです。それを、どうかご理解くださいますよう」
ウォーレスの言葉は、真に大主教を思っているかのように聞こえた。デルバート自身が、感動を覚えたほどだ。
「では、どうあっても返さぬと言うのですか」
ウォーレスに対し冷たさを帯びた声を発したのは、大主教の傍に立っているヴェルグだった。大主教が僅かに彼に視線を上げたが、彼の発言を止める様子は見られない。
「お返し、出来ません」
頭を下げ、再度その言葉を繰り返したウォーレスに、大主教が深い溜息を吐いた。立ち上がろうした彼を助けるように、ヴェルグが彼の椅子を引く。
「叔父上……!」
デルバートは立ち上がり、縋るように大主教――叔父を呼んだ。しかし叔父の目はデルバートを見ることなく、横を通り過ぎていく。
扉を前にして振り返った叔父が視線を向けたのは、ウォーレスの方だった。
「よく考えろ、ウォーレス院長。後悔せぬようにな。異端審問院長として不適格とみなせば、騎士団長と共に貴方を糾弾し、降格させることも可能なのだぞ」
叔父から発せられたのは、ウォーレスへの強い圧力だった。
ヴェルグによって扉が開けられ、叔父たちの姿が見えなくなっていく。
デルバートは立っていられず、椅子を頼って腰を落とした。乾いた笑いが喉をつき、零れ出る。
「デルバート殿……」
気遣ったようなウォーレスの声に、何も返す余裕が無い。デルバートは深い落胆と悲しみに苛まれ、両手で顔を覆うようにして俯いた。




