37 断たれた糸
大主教に塔の結界を解いて娘を移動させるよう進言してから、二日が経とうとしている。大主教も動かなくてはいけないのは理解しているようだったが、高い地位故に気軽には動けない。二日くらいは行動できなくても仕方ない。そう思いながらも、デルバート――デュークラインは、苛立ちを感じずにはいられなかった。特に、塔に関わる仕事でもなく、本来の役目とも違う作業に従事させられていれば尚更だ。デュークラインは今、大主教と懇意にしている商人からの招待を受け、彼の館に向かっていた。
商人オズマンド・クォークは、アルシラに拠点を持つ商人の中でも特に懐を肥やしている人物だ。元は靴職人だったオズマンドが、ここまで富を増やすに至ったのは、彼自身の技術の高さや商売の上手さがあったからだろう。それに加え、大主教メルヴィンがまだ枢機卿の頃から懇意にしてきたことも、それに拍車を掛けたのだ。大主教はオズマンドのために商売がしやすくなるよう融通を利かせたし、オズマンドもその見返りに寄付という形で大主教に還元している。大主教の侍従という立場から、デュークラインは彼ら商人たちと大主教の間を行き来し、書簡と心付けを届ける役目も負っていた。
今日は朝から妙に体の調子が悪い。
デュークラインは胸元に片手を押し当て、肌身離さず着けているペンダントの存在を確かめた。体が、徐々に重くなっていくような感覚があるのだ。この体で怪我の痛み以外の何らかの不調を感じるなど、今までは皆無だった。そのことで女主人に連絡を取るつもりで、今日は早めに宿舎に戻るよう段取りをつけたのだ。その矢先に発生した仕事だった。無碍には出来ない相手故、こうして出向く他はない。さっさと用事を済ませてしまおうと、デュークラインは足早にアルデラ大通りの石畳の道を進んだ。
エリュースたちからの連絡は、まだ無い。なんとか異端審問院の内情を探ろうとはしているのだろうが、そう簡単にはいかないだろうとデュークラインは予測していた。元より、他への影響力を持たない若者の力に期待してもいなかった。無闇に動いて彼らが異端審問院の目に付いてしまうくらいならば、ただ隠れていてくれるだけでも良いのだ。彼らが捕らえられてしまえば、容易には助けられないだろう。カイが悲しむような結果に彼らが陥ることは、避けて欲しいと思う。
アルシラにある三つの聖堂のうち最も古いランヴォ聖堂が、北側の葡萄が丘の麓に見えてきた。そこでデュークラインは左に折れ、高位の聖職者や貴族たちの館が立ち並ぶ区画に足を踏み入れた。東門の傍に広がる商人通りとは異なり、騒がしさとは無縁の場所だ。要所に衛兵や私兵が立ち、似つかわしくない者を追い払っているお陰だ。元々は商人通りに家を持っていたオズマンドが、この区画に館を構えられたことにも、おそらく大主教が絡んでいるのだろう。オズマンドは、内外ともに知られた大主教派といって良い人物なのだ。
金を掛けて作らせたと思われる立派なノッカーを扉に打ち付けると、すぐにそれが開かれた。いつもの見慣れた道化師――オズマンドは気に入った道化師を雇い入れ、客の案内をさせているのだ――に、いつものように両手を差し出され、芝居じみた大仰な仕草で頭を下げられる。
「剣をお預かりいたします。侍従さま」
そう言われ、デュークラインは剣帯から剣を外し、道化師に手渡した。富を持つ者は、それなりに敵も多いのだろう。こうして客から武器を預かる習慣も、過去の経験から来ているのかもしれない。しかし儀礼的なものであることも確かだ。本当に命の心配をしているのならば、小剣も取り上げることだろう。
勝手知ったる廊下を別の召使いに案内され、デュークラインは館の主人の部屋に通された。いつもと変わらぬ豪奢な部屋だ。背中の向こうで扉が閉められ、部屋の中程までデュークラインは歩みを進めた。足元に敷かれている毛足の長い絨毯は、この辺りでは見ない花の柄だ。前に来た時から、また替えられたらしい。客に自らの富を見せつけるためと思われる書棚には、多くの本が見られる。本もまた豪華さの象徴だ。この手の見栄っ張りの中には、本を揃えるだけで中身には興味など無い者が多くいるが、大主教によればオズマンドはその例外で、本をよく読むのだそうだ。
広い執務机の向こうで立ち上がったのは、当然ながら館の主であるオズマンドだった。恰幅の良い男で、目元の笑い皺が深く刻まれている。
「デルバート様、よく、来て下さいました」
開口一番、そう口にしたオズマンドに、デュークラインは軽い違和感を覚えた。どこか安堵したような表情に見えたからだ。
「何か心配事でもお有りか? オズマンド殿」
そう問えば、オズマンドが怖じ気付いたかのように、顎を僅かに上げた。見れば、机に触れている彼の両手が震えている。懇願するかのような眼差しで見つめられ、デュークラインは危険を察した。無意識に右手で剣帯に触れるが、そこに剣は無い。最低限の護身用である小剣があるだけだ。
踵を返そうとしたその時、扉が開いた。そこに立っていたのは、黒いローブ姿の審問官だ。まだ年若く見え、フードの下に見える顔は、すっきりとした顔立ちのせいか冷たさが感じられる。ローブの腕の裾に彼らの象徴印を見て、デュークラインは彼が幹部であることを知った。
彼の後ろから、彼の部下と思われる審問官たちが三人、影のように静かに室内に入ってくる。彼らはデュークラインを取り囲むようにして、動きを止めた。
「――どういうつもりだ?」
デュークラインは平静を保ち、審問官とオズマンド、両方に問い掛けた。審問官が口を開く前に、オズマンドが震えた声を上げる。
「お、お許しを、デルバート様……! 協力しなければ、息子の命が……、」
オズマンドの答えに、デュークラインは彼を視界から外した。大主教と懇意にしている商人を強制的に協力させ、この状況を作り出したということは、異端審問官は何かを掴んだ状態で、この自分を捕えようとしているのだろう。オズマンドと大主教は所詮、金でしか繋がっていなかった間柄だったということだ。
「私に何の用か? 異端審問官殿」
改めて、目の前の異端審問官に問う。
向けられている深い緑の瞳には、微かに好戦的な光が宿っているように見えた。
「リュシエル・バーレイと申します。デルバート卿。大主教様について、貴方にお聞きしたいことがあります。ご同行願えますか?」
「断る」
デュークラインは、明確に拒否した。自分を囲むようにして立つ審問官たちを横目で流し見、彼らのローブの下に、剣帯に下げられた剣があるのを確認する。オズマンドを数に入れなければ、四人だ。剣を奪えば、この場を逃走することはできるかもしれない。しかし、その場合、殺傷は避けられない。そうなると、大主教の侍従としては厄介なことになる。
「私に用ならば、大主教様を通していただこう。それが筋というものでは?」
「筋……、ですか」
フードの下のリュシエルの口元に、嘲るような笑みが浮かんだ。
「その指輪の石――」
「なに……?」
「黒曜石、ですか? まるであの娘のように美しい石だ」
リュシエルの言葉に、デュークラインは動揺した。まるでカイを見たような言い方だ。まさか、既に塔が暴かれたのか? カイが彼らに捕らえられてしまったのか? あの結界を解くことが出来たのか? 様々な憶測が頭の中を飛び交い、デュークラインは取るべき行動を迷った。
「なに、少しお話をお聞きしたいだけですよ。デルバート卿。ご同行、願えますね?」
挑発するような視線を向けて来るリュシエルの態度は、まるでカイを質にでも取っているかのように高圧的だ。
デュークラインは、この場では抵抗しないことを選択した。自分が強制的に連れていかれたと大主教が知れば、何らかの手は伸べられる筈だ。大主教にとっては、秘密を知る大事な甥の筈なのだ。それに、異端審問院の内情を探る機会ともいえる。
「――いいだろう」
剣帯から手を離し、デュークラインはリュシエルを強く見据えながら答えた。
異端審問院に着くと、驚いたような複数の視線が向けられたのを感じた。大主教の侍従を捕らえることは、審問院の意向ではないようだ。前を歩くリュシエルという審問官の独断である可能性がある。となれば、早々に解放されるだろう。そう、デュークラインは考えた。問題は、カイの置かれている状態だ。
両開きの扉が開けられ、中に入るよう促された。中は薄暗く、審問官が持つ松明の灯りが浮かび上がって見えている。先に見えるのは、地下へと降りる階段だ。
「この私を牢にでも入れるつもりか?」
足を止め、デュークラインは扉横に立ったリュシエルに視線をやった。壁に掛けられていたランタンを手にし、振り返った彼の瞳には、怯む様子は見られない。
「貴方には、会わねばならない者がいるのでは?」
静かに発せられたリュシエルの言葉は、デュークラインの胸の内を騒めかせた。リュシエルに再度、手振りで促される。
「どうぞ、お進みを」
「……後悔するぞ」
デュークラインは足を前に踏み出すしかなかった。もし、カイがいたならば、この場を血の海にしてでも助け出す。そうデュークラインは覚悟した。侍従の立場など、そうなればもはや必要のないものなのだ。そう考えると、習慣とは言え、安易に愛用の剣を手放したことが惜しまれた。
暗い階段を、デュークラインは審問官たちの持つ灯りに従って歩んだ。大人二人が並んでやっと通れるくらいの狭い階段通路は古めかしい煉瓦造りで、天井が低く、かなりの圧迫感がある。階段を下り切ると、通路の左側に、黒衣の衛兵が見張りのように前に立っている扉があった。しかし促されたのは、通路の更に先だ。そこには鉄製の補強がされた物々しい扉があり、両側に掛けられている松明によって、暗闇に浮かび上がっている。揺らぐ灯りを受けている頑丈そうな扉を眺めながら、デュークラインは体当たりで壊せるかどうかと考えた。
衛兵に扉を開けさせたリュシエルに視線で誘われ、デュークラインは慎重に歩を進めた。奥に進むにつれ、纏わりつくような湿った空気と共に、酷い黴臭さが鼻をつく。通路の両側には間隔を開けて片開きの扉があり、これらも鉄で補強された鍵付きのものだ。自分たちが立てる硬い靴音が、不揃いに響いていく。
「一体どこまで――」
そう声を発したとほぼ同時に、リュシエルの足が止まった。鍵を手にしたリュシエルが、錠前を解き扉を開ける。奥まで灯りは届いていないが、夜目の利くデュークラインには必要なかった。中は思ったよりも広いようだ。石壁に打ち付けられた鎖が垂れているのが見え、新旧入り混じった血の臭いがする。
ランタンを手に扉の向こうに入っていったリュシエルが、部屋の中程で足を止め、振り向いた。
「どうぞ、中へ。貴方にとって、とても重要なお話をするだけです」
「――随分な場所だ」
そう口では言いながらも、デュークラインには中へ足を踏み入れる選択肢しかなかった。見渡す室内は、縦横とも大人三人が縦に横たわったほどの幅がある。剣があれば、充分に立ち回ることのできる広さだ。
デュークラインは、リュシエルの立っている部屋の中央へと歩を進めた。オズマンドの屋敷から同行している、彼の部下と思われる審問官たちが、松明を手にしたまま入ってくる。彼らはデュークラインを広く囲むような間隔で壁際に立ち、松明を壁の突起に差し入れた。それにより、揺らぐ灯りが部屋の大部分を照らし出し、濃い影をも作り出す。拷問具と思われる器具を並べた棚にも、その明るさが仄かに届いた。
「すみません。手前の面談室は、今は塞がっていましてね。後は狭い独房しかありませんから、お許しください」
背中の向こうで、扉の閉まった音が大きく響いた。
手元のランタンの灯りを受け、陰影を濃くしているリュシエルの顔に、薄い笑みが浮かぶ。
「さて。貴方にお聞きしたいことは、その指輪の石のように……黒い髪と瞳を持つ、娘の居所です」
「なに……」
デュークラインはリュシエルの質問を聞き、謀られたことに気付いた。彼らはカイを、まだ見つけてはいないのだ。はっきりと言われたわけではなかったというのに、リュシエルの言い方で、解釈を誘導させられたのだ。
リュシエルを見れば、彼の口元が可笑しそうに緩められている。
「貴方は御存知の筈です。その娘は呪われし予言の娘。早々に引き渡して頂きたいのです」
「何のことだか分からぬな」
一蹴すると、リュシエルの表情から笑みが消えた。
「しらを切っても無駄ですよ。貴方が大主教の指示で娘を隠しているのは、もう分かっているのです」
「勘違いも甚だしい。私への非礼は、大主教に対する非礼と同じことだ。アスプロスの最高位である大主教を、審問官如きが愚弄するつもりか?」
デュークラインはリュシエルを真正面から睨み付けた。それに怯んだように、僅かにリュシエルの足が奥へ下がる。しかし彼の目はまだ、感じている恐怖を撥ね除けようとするかのように見えた。
その時、扉が開き、誰かが入ってきた気配がした。振り返れば、リュシエルと同じ幹部だと思われる年上の男と、黒のフードを目深に被った人物がいる。更には彼の部下と思われる審問官たちが、三人、追加された。
「ジェイ」
リュシエルに名を呼ばれた年上の男が、視線だけで頷いた。その静かな眼差しを向けられ、デュークラインは男を警戒しながら見つめた。ジェイ・リーガンと名乗った男の瞳には、若いリュシエルとは違い、不気味な落ち着きが見られる。厄介な相手だ、とデュークラインは認識した。
「こうして話すのは初めてですな、デルバート卿。我々はよく、貴方のように素直でない方を相手にしてきましてね。そういう者を喋らせる方法も、知っているのですよ」
まるで宥めるような口調で言ったジェイに対し、デュークラインはいよいよ警戒を強めた。
「この私を、どうするつもりだ?」
彼らは本気で、大主教の侍従であり甥でもあるデルバートを、どうにかするつもりなのか。それはデュークラインにとって、想定内ではあったが予想外の展開だった。やはり彼らの中で何らかの核心に近いものを得ているのだと、デュークラインは確信する。でなければ、これほどの暴挙に出られるわけがないのだ。
「喋って頂けないのであれば、力づくでも」
ジェイがそう言った瞬間、壁際にいた審問官たちが棍棒を手にするのが目の端に見えた。細い布を手首から武器ごと、何重にもきつく巻き付けている。武器を容易に落としたり奪われたりしないための措置と思われ、組織的にこういうことへの経験が豊富なのだろう。
デュークラインは反射的に、剣帯の小剣を抜いていた。
剣を部屋の外に置いてきていたのか、審問官たちの剣帯からはいつの間にか剣が消えている。最初からこのつもりだったのかと気付くと同時に、彼らの動向に気付かなかった自らの注意力の低下に、デュークラインは内心で舌打ちをした。
「この数を相手に、そのような小剣一本で戦うおつもりか?」
確かに、ジェイの言うことは尤もだった。小剣の達人であったとしても、棍棒を持った六人――しかも初めて棍棒を持った素人でもないだろう――を相手に、勝てる見込みは無いに等しい。剣を奪おうにも、帯剣しているリュシエルは、彼らの後ろに下がってしまった。しかも、毒に侵された時以外で感じたことの無い、妙な体調不良に陥っているのだ。それに、ここで姿を戻し、自らデルバートではないと証す行為も出来ない。今すべき事は、すぐにこの状況から脱し、大主教を介して塔の結界を解かせ、カイを保護することだ。彼らが何かを掴んでいるとしたら、尚更、急がねばならない。
「私を今すぐここから解放しろ。今なら、全て無かったことにしても良い」
「刃物を以て我々を脅すとは、やはり危ない方だ。拘束が必要のようだな」
「貴様……ッ」
苛立ちを隠せず、デュークラインはジェイを睨み付けた。対するジェイは、何かを含んだような笑みを浮かべる。
「そもそも貴方は――、本当に大主教と繋がっているのかどうか」
「どういう意味だ」
「貴方は本当にデルバート卿であるのか、ということですよ」
ジェイの問いに、デュークラインは眉を顰めて彼を見据えた。その時、嗅いだ覚えのある臭いに気付く。オールーズ侯爵の宴で嗅いだ、エイルマーの香だ。不味い、と思った時には既に、小剣の柄が掌から滑り落ちていた。あの時は、焚かれると分かっていたため、なんとか堪える心積もりが出来ていた。十年前に関しては、常に疑われるという状況下にあり、香を使ってくるかもしれないという情報もあった。半島最大の貿易港を擁するカークモンド領において、荷の検品をする際、普段とは違う香が混ざっていたからだ。女主人によって繰り返し行われた香に耐える訓練は辛いものだったが、お陰で表向きは平気なように振る舞うことも出来た。しかし、ここでまた更に強力になった香を嗅ぐことになろうとは、デュークラインは予想していなかった。
「おや……、この香が効いているので?」
「体調が悪いだけだ。香は元々嫌いでな」
何のことだか、と嘯いてみせるも、デュークラインは立っているのがやっとの状態であることを自覚していた。
「ふむ……実に興味深い結果だ」
独り言のように呟いたジェイに、じっと見つめられる。それに耐えかねて視線を外すと、彼の隣でいる人物が、そのフードを取った。現れた顔を見て、デュークラインはやはりと思いながら、憤りを隠さず深い溜息を吐いた。
「またお会いしましたな。デルバート殿」
エイルマーが、口元を歪めて嗤う。そんなエイルマーを、デュークラインは今すぐ引き裂いてしまいたいと思った。しかし、今は叶わない。
「リュシエルも伝えたでしょうが、貴方に会わせたい人物がいるのです」
「……誰だ?」
エイルマーを見た時、カイではなく彼のことだったのだと思ったのだ。それなのに再び『会わせたい人物がいる』と言われ、デュークラインは戸惑った。
「会えば分かりますよ。貴方には馴染みが深い者、とだけ、お伝えしましょうか」
ジェイが謎かけのような発言をした。デュークラインは上手く働かない思考に、奥歯を噛み締める。
香を抜きにしても、この体の不調は、やはりおかしい。考え得るのは、女主人に何かあったということだ。カークモンド公の元にいて滅多なことはないだろうが、何事にも絶対はない。もし彼女が捕らえられ、彼女と繋がっている指輪が外され破壊されたのだとすれば。この不調の先にあるものは死しかない。
タオたちが捕らえられた可能性もある。異端審問院を探ろうとしていた彼らならば、その要因があるからだ。尋問に耐えられず話してしまったとしても、不思議ではないだろう。
ここで抵抗することは無意味だと、デュークラインは思った。審問官が会わせたい者が誰であろうと、今は大主教が助け手を出すのを待つしかない状況だ。一方的に乱暴な真似をされたとなれば、大主教から審問院長への返還要求はすぐに通るだろう。
「拘束させて頂きますよ。会わせる者に万一があっては困るのでね」
「好きにしろ。どのみち、すぐに解放することになる」
デュークラインは精一杯の平静を装った。後方にいたリュシエルが近付いてきたかと思うと、両手を前に出すよう指示される。従うのは癪に障ったが、デュークラインは気持ちを堪えた。両手首に嵌められた鉄の枷は短い鎖で繋がっており、これで完全に反撃を封じられた形だ。巧みに追い込まれてしまった感覚があったが、デュークラインに打てる手は、最早残されてはいなかった。
「それで良いでしょう。リュシエル、」
「はい」
ジェイの後ろの扉が、リュシエルによって開かれる。彼に促されるようにして入ってきた人物に、デュークラインは息を呑んだ。
「――、」
あまりのことに、言葉が出ない。
確かに目が合っている人物は、その目を見開き、恐怖と驚きに満ちた顔をしている。震えるその者の吐く息が、淀んだ空気を震わせた。
「私がいる……」
男の発した呟きは、まさに彼の素直な心境だった。
「こうして見れば見るほど、瓜二つですな。顔の造形も色も、体格すらも。いや、体は貴方の方が、鍛えられているのかも……」
興味深そうに見つめてくるジェイが、目を細めた。周りにいる審問官たちの戸惑いの息遣いが上がり、室内は異様な空気になっている。
「さて……、どちらが本物のデルバート・スペンスなのでしょう」
ジェイの問いは、デュークラインにとって終幕の宣言にも等しかった。
本物のデルバートが大主教に会えば、本物であることは分かるだろう。それに、デュークラインにはこれ以上、デルバートであると主張することは出来なかった。単に魔術で繋がった相手だからというよりも、カークモンド公やノイエン公夫妻が大切に思う人物だからだ。カリスは彼の安全を約束したうえで、自らの使い魔に彼の姿を写したのだから。
デュークラインは黙秘を貫くことを決め、死を覚悟し、目を閉じた。




