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36 真実を求めて

 雨が降りそうな曇り空の下、デリー――デルバート・スペンスはアルシラの町の石畳に立っていた。行商人としてモニーク公爵領を経由し、衛兵のいるアルシラの東門を通り抜けてきたのだ。今は戦時中でなかったことが、幸いだった。もしそうなら、町に入ること自体、難しかっただろう。


 二十九年振りのアルシラだ。たまに来る程度の町だったが、それなりの懐かしさをデルバートは感じていた。記憶に残っている町の外の貧民街は、以前よりも広がったような気がする。町の中に入れば、アルデラ大通りの白い石畳は変わらず広く、ペレ・ルス聖堂も当時のままの姿だ。隣の施療院が工事中のようで、増築しているのだと思われる。村や小さな町では見ない大規模な回転車式トレッドウィールクレーンが使われており、さすがは教団本部のあるアルシラだと改めて感嘆した。右手側にある市場も活気良く、住まいの村の近隣の町ホルンとは規模が違う。行き交う人々の服装も小綺麗に見え、白い聖職者のローブがよく目に付く。これも、アルシラならではの光景なのだろう。


 デルバートは深くかぶったフードの下から、町の様子を眺めながら歩いた。村に置いてきた妻と息子たちには、しばらく戻れないかもしれないことを伝えてきている。詳しいことは話せなかったが、必ず戻ると約束した。行かせてくれた妻のアミルのためにも、出来るだけ早く叔父おじに会い、危険を知らせなければならない。いや、事によると、半島全体の騒乱そうらんに至りかねない事態かもしれないと思う。


 進行方向に、白い石造りの主教門が見えてきた。聖人二人の像も、記憶に残っている。ルー・ペエと、ベルナルド・ヒューズだ。彼らを見上げ、デルバートはこと成就じょうじゅひそやかに願った。


 ふいに腹が鳴り、デルバートは片手で腹を押さえて一息()いた。行動を起こす前に、腹ごなしはしておくべきだろう。そう自身に言い聞かせながら、主教門をくぐらず、商人街に足を向ける。肉の焼ける匂いに釣られてのことだ。


 デルバートは、石畳が敷かれていない土の道に入った。狭い道の両側には様々な店が立ち並んでおり、三、四階建ての木造家屋(かおく)ひしめき合っている。匂いの先を見れば、店先で肉を焼き串に刺して売っているようだ。上下一対となった鎧戸の下部がテーブルのように使えるよう、傍には背凭せもたれのない椅子が三脚、置かれている。


「一本、いただけますか」


 み上げの濃い店主の男に声を掛けると、彼が顔を上げた。途端、彼の太い眉が僅かにひそめられ、道の先を覗き込む。声を掛けたのはこちらだというのに、妙な対応だ。店主の視線が戻ってくると、不思議そうに彼の目がまたたかかれた。


「あれ? 侍従じじゅうさま、さっきこの前を――」

「さっき?」


 店主が発した言葉に、デルバートは慌てて道の先を見た。若い男女や駆ける子供たちが見えるだけで、それらしき姿は見つけられない。


「おかしいな……」


 首を傾げる店主に、デルバートはフードを更に深くした。

 肉を諦め、店に背を向ける。


「あ、串はよろしいので?」

「すまない、また今度にする」


 言葉少なに告げ、デルバートは足早にその場を離れた。フードの片側を片手で引き寄せ、口元も覆う。


 この顔をこのアルシラでさらしては危険だと、デルバートは改めて感じた。やはり、偽者にせもののデルバートは、叔父おじの侍従なのだ。もし偽者に自分が来ていることを気付かれれば、たちまち排除されてしまうだろう。この姿を見た者が偽者に知らせる可能性は、大いにあるのだ。


 この身の安全を確保してくれる協力者が必要だ。そう、デルバートは考えていた。大主教である叔父おじに会うためには、大聖堂に行くのが手っ取り早い方法だ。しかし、傍に偽者がいれば、叔父に会う前に消される危険性がある。偽者がいない時を見計らい大聖堂に入り込んだとしても、叔父のいる部屋にすんなりと辿たどける気はしない。偽者が、普段どのように振舞っているのか分からないのだ。やはり大主教と対等に話が出来、更には信用の置ける人物の協力が必要だろうと思う。


 真っ先に思い浮かんだのは、大聖堂騎士団長だ。本来、聖職者を護る役目をになうのが、大聖堂騎士団だ。そこに相談するのがすじであり、騎士団長であれば、大主教との面会も対等におこなえるだろう。しかし、デルバートには懸念けねんがあった。やけに現実味を帯びた夢の全てが本当に起きたことではないと思いつつも、夢の中の大主教の所業が、心に引っ掛かっているのだ。幽閉されていると思われる、娘を虐待する叔父おじの姿が思い出される。大主教となった叔父は、変わってしまってはいないだろうか? 叔父が大主教となったことを戦争後のうわさで聞いた時には、枢機卿すうききょうの中でも年若かった叔父が抜擢ばってきされたことに驚いたものだ。戦争を起こすことを反対していた叔父は、どちらかと言えば民衆からの支持は低かった。しかし敗戦の色濃くなってきてからは、それがくつがえったのだと思われる。


 もしかすると、魔物か何かが化けているのはデルバートだけでなく、大主教()なのかもしれない――そう考えた後、デルバートはまさか、と否定した。しかし、じわりと胸に訪れたそのおそれが、大主教に近い立場である大聖堂騎士団長に頼ることを、デルバートに躊躇ためらわせたのだ。


 デルバートにはもう一人、訴えを聞いてくれそうな人物に心当たりがあった。異端審問院長オヴェリス・タウクだ。不正を正し、魔を見抜く力を持つと言われている彼は、前大主教フレデリックと折々で話し合いを持つような間柄あいだがらだったはずだ。もし、聖職者たちの中に魔の根が張っているのなら、それを正す存在は異端審問院しかない。きっと、彼なら話を聞いてくれ、叔父おじに取りいでくれるに違いない。


 異端審問院の方向にゆっくりと歩きながら、デルバートは黒いローブ姿の審問官を探した。このまま審問院の戸を叩けば、まずは末端の者としか話せないだろう。それではおそらく、らちが明かない。出来るだけ幹部の審問官をと考えていると、視線の先に目当ての姿を見つけた。店先で蜜蝋みつろうを買っている審問官の黒いローブの両(そで)には、長方形を囲む放射状の模様が、袖を囲むように連続して刺繍ししゅうされている。異端審問院を象徴する、魔をあぶり出す聖なる光を放つランタンの模様だ。


 背を向けて歩き出した審問官との距離を、デルバートは徐々に詰めた。

 声を掛けようとした時、審問官の足が止まった。振り向いた黒いフードからは長い金髪が零れ出ており、顔を見れば、自分よりとおは若いと思われる男だ。フードの影になった深い沼のような濃緑色の瞳に無言で見つめられ、デルバートは顔を隠したまま彼の視線を受け止めた。


「地位のある審問官殿と、お見受けしました」


 そう言うと、審問官の細い眉尻が僅かに上がった。


「何か御用ですか」


 丁寧な口調ながら尊大さをも感じさせる物言いで、若い審問官が答えた。デルバートは彼が幹部だと確信したうえで、視線だけで周りを警戒する。今のところ、自分に似た者は見当たらない。


「審問院長オヴェリス様に、お取り次ぎ願いたいのです」

「オヴェリス様に……?」


 審問官の眉がひそめられた。


「それは出来ません」

「お願いします。オヴェリス様に直接お話したいのです。大主教様と侍従のことで、重要なお話があるのです。オヴェリス様ならば、きっとお力になってくださるだろうと……、オヴェリス様が、頼みの綱なのです」


 幾度断られても、デルバートは言いつのる気でいた。ここで幹部の異端審問官を見つけたのは、きっと神の導きに違いないのだ。


 審問官の硬い表情が、ほんの僅かにやわらいだ。


「残念ながら……オヴェリス様に会うことは出来ません。アスプロ様でなければ、誰も」

「それは……」

「彼は四年ほど前に亡くなりました。今はウォーレス・ペインが審問院長に」

「そう、なのですか……」


 デルバートは落胆らくたんを隠せなかった。新たな審問院長が、どのような人物なのかは分からない。そう思っていると、目の前の審問官の強い視線に気が付いた。


「大主教と侍従のこと、と言いましたね?」

「ええ、そうです」

「こちらへ」


 そう言った審問官が、近くの路地に入っていく。人気ひとけのない、細い路地だ。足を止め、壁を背にした審問官に、デルバートは相対した。相手は、話を聴くつもりがあるらしい。

 デルバートは気を取り直し、フードの下で口を開いた。


「大主教様の侍従で……、元ノイエン侯がいると聞きました」

「ああ、それなら、デルバート卿ですね。彼がどうか?」


 デルバートの中で、やはりという確信と恐怖が混ざり合った。若い審問官の視線が、少し鋭くなった気がする。


「そのデルバート卿は、偽者です。大主教様はだまされているのです」


 単刀直入に言えば、審問官は当然のように不審を覚えたような表情を見せた。


何故なぜそう、言い切れるのです? 彼のことは、ノイエン公爵閣下もお認めになられているのです」

「それは私が――」

 

 デルバートは、顔を隠していたフードを脱いだ。その瞬間、若い審問官の両眼が見開かれる。


「……まさか、」

「そうです。私が、本物のデルバート・スペンスだからです。審問官殿」


 驚きを隠せない様子の審問官に、デルバートははっきりと宣言してみせた。


 


 案内されたのは、異端審問院の地下の一室だった。鍵付きの扉を抜け、狭い煉瓦れんが造りの階段を下りた先の、左側の部屋だ。まだ奥に続く暗い通路の奥には、鉄で補強された頑強そうな扉が見えた。両側にあかりが掛けられたその扉の前には、二人の衛兵が立っていた。フードを外している彼らは無言だったが、確かにこちらを見ていたように思う。


 町で声を掛けた若い審問官――彼はリュシエル・バーレイと名乗った――に言われ、フードで顔を隠した状態のままでここに来た。やはり幹部らしく、その顔だけで異端審問院の門も止められることなく通過出来ていた。しかしおそらくデルバート(・・・・・)の振りをしている男がこのアルシラに存在していることを思えば、警備体制が不安に思えてきてしまう。冷静に見えた審問官が驚くほど、もう一人のデルバートは自分に似ているのだ。父母すらだまされてしまっていることに哀しみを覚えるが、それほど酷似こくじした男の顔を、見てみたくもある。


 リュシエルにここで待っているように言われ、デルバートは薄暗い室内を見回した。地下のため当然ながら窓が無く、空気が悪い。灯りは壁に掛けられたランタンと、部屋の中央に置かれた机上の燭台しょくだいのみだ。奥には簡素なベッドが置かれており、壁には申し訳程度にタペストリーが掛けられている。暗くて良く見えないが、シア・フォスの花を描いたもののようだ。ここはまるで尋問じんもん室だ――。そう、デルバートは思った。異端審問官の尋問じんもん苛烈かれつであるのは聞いている。あの審問官に声を掛けたことは間違いではなかったか、と不安に思い始めた時、閉じられていた扉がノックされた。


 デルバートが返事をする前に、扉が開かれた。入ってきたのは、ここにデルバートを連れてきたリュシエルと、更に別の審問官だった。リュシエルよりも二十ほどは年上かと思われ、彼も幹部を表す刺繍ししゅうのある黒いローブをまとっている。その彼も自分を見て目を見張ったことを、デルバートは見逃さなかった。


「お待たせしました、デルバート殿()


 リュシエルに声を掛けられ、デルバートは改めて彼に向き直った。落ち着きを取り戻したかに見える彼の表情は、手にしている灯りに照らされていても冷たさを感じる。リュシエルが氷の切先のようであれば、もう一人の男は地に根を張るイチイの木のような男だ。そんな男が、一歩、踏み込んできた。


「初めてお目にかかる。私はジェイ・リーガン。異端審問官として、貴方あなたからお話をうかがいたい」


 男が発した宣言に、デルバートはつばを呑み込んだ。ここには初めて足を踏み入れたが、異端審問官としてと言われると、正直、身がすくむ思いがする。


「お掛けを、デルバート殿」


 そう言われ、デルバートは逆らわずに傍の椅子に腰を下ろした。机を挟み、二人の審問官と向き合う形になる。ジェイのみが椅子に座り、リュシエルは彼の傍に立ったままだ。

 静かに見下ろすようにして、リュシエルが口を開いた。


「結論から言います。貴方あなたには、しばらくここに居ていただくことになります」

「――それは困る!」


 リュシエルが発した言葉に、デルバートはすぐに反論していた。

 そうした後で、今すぐにでも叔父おじに会わねばという当初の思いと、ここに来るまでに考え至った叔父への仄かな疑惑が、胸の内で交差した。とにかくも叔父に会えば、知っている叔父でないかは分かるかもしれない。彼らの立ち合いの元で会うことは可能だろうか――そうデルバートは考えた。


貴方あなたがたの監視の元で構いません。叔父おじに、大主教様に会わせてください。この顔を見て、貴方あなたがたも驚いたはずだ。あの侍従が偽者なのは、アスプロ様に誓って本当なのです」

「確かに、貴方あなたは侍従のデルバート卿によく似ています。ですが、貴方の方が本物かどうか、まだ判断がつきません」

「そんな――ッ」


 デルバートは愕然がくぜんとした。 

 何かあかしを、と考え、あの戦場からのがれる際に全て捨ててきたことを思い出す。それでも、今はデルバート・スペンスとして身のあかしを立てねばならない切羽詰まった時であることを、デルバートは理解していた。悔やむよりも先に、デルバートは思い付く限りの記憶を手繰たぐり寄せ、話し始める。母と共に、まだ大主教にはなっていなかった叔父おじがいたアルム主教領を訪れた際は、従弟いとこの幼いヴェルグとよく遊んだこと。ある時には川に落ちてしまったヴェルグを助けたこと。カークモンド公爵領に小姓として行ってからは会えなかったが、戦場につ前に、このアルシラで叔父に挨拶したこと。戦場の様子や、そこからのがれた時のこと、開拓村に辿り着き、そこで身分を捨てて生きてきたことなどだ。


 黙って聞いていたジェイが、話を制するように片手を軽く挙げた。


貴方あなた何故なぜ――、ご自身の偽者がアルシラにいると?」

「それは……」


 問われ、デルバートはどう伝えたものかと悩んだ。しかし結局、真実を告げることを選ぶ。ホルンの町で大主教を護った侍従の話を聞いたことだ。


「夢で見たことと、同じでした。それで、商人に侍従のことを聞いたのです」

「夢?」


 怪訝けげんそうな顔をしたジェイが、視線で先をうながしてくる。デルバートは、ただの夢なのですが、と前置きしたうえで続けた。


「夢の中で、大主教様を暗殺者らしき者からお護りした夢を見ていたのです。ちょうど、それが起こったとされる頃でした」

「その夢を、詳しく覚えていますか?」

「確か――、私は椅子に腰かけて休まれている大主教様の傍におり、部屋に他の者はいませんでした。何やら騒ぎに気付いた時には、扉が突然に開かれ、暗殺者らしき者が飛び込んできたのです。栗毛で青い目の女でした。そのソードは血で濡れており、(すで)に何人か斬った後だったのでしょう。私はソードを抜き、その者を斬りました。夢とはいえ、私とは思えないほどの腕前と非情さで……」


 再び、ジェイの片手が挙がる。

 デルバートは言葉を止めた。


「暗殺者が女というのは、酒場で聞いた?」

「いいえ、それは、夢の中の話です」


 軽く首を左右に振り、デルバートは答えた。

 対するジェイの眉間にしわが寄った。隣にいるリュシエルの方を向いた彼に、リュシエルが腰をかがめて耳を寄せた。彼に何かささやいたジェイが、机に両手を組み、こちらに向けた灰色の瞳を僅かに細める。


貴方あなたの夢を覚えている限り、全て話していただきます。デルバート殿」


 有無うむを言わさぬ静かな強さでジェイに見据みすえられ、デルバートはまたもつばを呑み、肯定の返事を口にする他なかった。




 デルバートは部屋に一人残された。食事の用意もしてくれるらしい。勝手に出歩かないこと、何か用事があれば扉の前にいる者に伝えるようにと言われている。まるで軟禁なんきん状態だ。去っていった二人の審問官が言うには、この身の安全のためだと言う。それはデルバートも理解は出来た。しかし気になってきたことは別にあった。夢のことだ。審問官たちは、夢の話をこまかに記録していた。たかが夢――では、やはりないのか。そう思わざるを得ない。特に彼らが表情を変えたのは、黒髪の娘のことを話した時だ。特にリュシエルの表情は、顕著けんちょに驚きをあらわにしていた。娘の特徴を事細ことこまかに聞き取られ、その周りの風景や、見えたもの全てを、彼らは知りたがったのだ。疲れを理由に一旦は解放されたが、見た夢全てを話さなければここから出してもらえないのだろうか。そんな不安が胸に押し寄せる。


 もし、あれらが全て、本当に起きたことならば。

 そう考え、デルバートは背筋に寒気が走ったことを自覚した。叔父おじは本当に、黒髪の娘にあのようなむごい仕打ちをしたのか。それは今も続いている可能性もあるのか。あのようなことは、たとえ如何いかなる理由があろうとも、決して許されるはずのない非道な行為だと思う。


 デルバートは審問官たちに、大主教がしていた行為については口に出来ていなかった。娘と共にいる大主教を夢で見た、と伝えただけだ。まだ、あれは夢だと信じたい気持ちがある。それに、叔父おじを彼の知らないところでおとしめてしまうことに対する罪悪感も、少なからずあった。もし、これが自分の妄想に過ぎなかった場合、大主教である叔父の品格を下げることになるからだ。


 両手で頭をかかえて深い溜息を吐き出し、デルバートは椅子からようやく立ち上がった。随分と遠いところまで、来てしまった気がしている。あの戦場から(のが)れた後、すぐに戻ってきていれば、このようなことは起きなかったのかもしれない。それでも、あの村に残ったことを間違いだったとは思いたくはない。かけがえのない大切な者たちが、あそこにはいるのだ。


「――どうか、私に正しきお導きを……アスプロ様」


 壁に掛けられたタペストリーに描かれたシア・フォスに触れ、デルバートは心から祈った。



* * *



 リュシエルは、ジェイと共に彼の執務室へ戻っていた。複数の紙に書きしるしたデルバートの夢の内容を見返し、それが示す可能性に身震いすら覚える。

 窓を背に執務机の椅子に腰掛けているジェイが、考え込むようにして机上に肘をつき手を組んだ。


「呪いの一種かもしれんな。四年前に大主教を襲った暗殺者が女だったという事実を知る者は少ない。あの部屋にいた大主教とデルバート卿、それに死体を調べ処理した異端審問官や護衛の騎士くらいだろう。女に抜かれたということを不名誉だと考えた大聖堂騎士が、暗殺者は男だったと周りに告げ、それが正しいとされている。だが、あの男は真実を知っていた」

「ならば、あのデルバート殿は、夢でデルバート卿の見たものを見たことになる……」

「そういうことだな。信じ難いことだが」


 まさに呪いと言ってよい。そうリュシエルも思った。


「魔術的なものの可能性が高いか……。なら、彼にたずねてみるかな」

「彼?」


 聞こえたつぶやきに、リュシエルは聞き返した。

 ジェイの口元が少し笑う。


「ダドリー・フラッグだ。大聖堂騎士だが、過去に何度か異端審問にかけられている。その度に無罪放免となっているわけだが、このアルシラで彼ほどの知識量を持っている者はいない」

「大聖堂騎士を頼ると仰るので?」

「ダドリー個人を、だ」


 なだめるかのような口調で言われ、リュシエルは渋々ながら、彼の方針を受け入れうなずいた。そんな様子を見てか、ジェイが僅かに片方の口角を上げた。


「それにしても――、実際に目にして、本当に驚いたぞ。丁度今朝方(けさがた)、デルバート卿を目にしていたから余計にだ。あれほど酷似こくじしているとなると、尋常じんじょうではない」

「私もそう思います。魔物が化けている可能性も?」

「あるだろうな」


 そう言ったジェイに対し、リュシエルは口元をゆるめた。


「一応、どちらにもその可能性はありますね?」

「ああ。だが、こちらとしては、デルバート卿が偽者である方が都合が良い」

「その通りです」


 大主教の傍近くに仕える侍従を、理由を付けて捕らえることが出来たなら。それこそ大主教の秘密を引き出すには恰好かっこうの人物だ。彼の見た夢はまだ一部しか聞き取れていないが、現実に起こったこととして考えれば、大主教は黒い髪と瞳の予言の娘を隠している張本人に違いない。それに、偽者がわざわざ異端審問官に声を掛けてくるとは考えにくい。地下室にいるデルバートの方が、本物である可能性が高いだろう。


「地下にいる方が本物だというあかしが欲しいですね。でなければ、大主教に引き会わせられません。万一、大主教が殺されでもしたら、私たちが責任を負う形になります。それは避けなければ」

「そうだな……、安全だという確証がるか」


 少し考え込んだジェイが、思い付いたように顔を上げた。


「そういえば……、最近、気になるうわさの報告を聞いたな。オールーズ侯爵の子息の成人の宴の場で、エイルマーという村の助祭がこうき――、デルバート卿と妙なやり取りをしていたらしい」

「妙なやり取り、ですか?」


 異端審問官は各地に散っており、異端者や魔の気配を常に探っている。気になった噂などを集約することも、自分たち幹部の仕事なのだ。


「エイルマーとこうと聞いて私が思い出したのは、十年ほど前のデルバート卿が絡んだ事件だ」


 お前は知っているかと視線で問われ、リュシエルは小さく首を左右に振った。その頃はまだ一介の審問官で、人に使われる側だった。アルシラにいないことも、よくあったのだ。

 ジェイが軽く頷いた。


「エイルマーは随分と前からデルバート卿にご執心しゅうしんなようでな。十年ほど前、邪気を払う効果があるというこうを彼の前でいたのだ。彼はデルバート卿が魔物ではないかと疑っていたようでな」

「もし本当に彼が偽者なら、先見せんけんめいがあったというわけですね」


 リュシエルは驚きながらも、現状を振り返り結果を導き出す。


「しかしエイルマーのこうは効かなかった……」

「ああ、デルバート卿はこうを前にして平然と立っていたそうだ。結果、その場にいた大主教の不興を買い、エイルマーはアルシラでの職を解かれた。その事件があったお陰でデルバート卿を疑う者はいなくなったのだから、エイルマーにしてみれば、散々な結果だな」


 溜息を吐いたジェイの灰色の瞳が、興味深そうに手元の紙に触れている。その一つを拾い上げ、ジェイが僅かに笑みを浮かべた。


「予言の魔女の容姿をこれほど克明こくめいに覚えているとは、よほど夢に現れていると見える。デルバート卿も娘との関わりが深そうだ」


 確かに、ジェイに言う通りだとリュシエルも思った。

 地下にいるデルバートが最後に娘の夢を見たのは、満月の翌日の夜らしい。その事実は、ザラームの暗殺失敗を意味している。


「一度失敗したエイルマーが再びデルバート卿にこういたということは、それなりの勝算があったはずだ。騒ぎになっていないことから、今回も失敗したのだろうが――話を聞く価値はある」

「では、早急にエイルマー助祭を呼びます。このことは院長には、」

「まだ伝えなくて良い。今はまだ、デルバート殿の存在を知る者も、最低限度にとどめるべきだ。彼に何かあっては困る。それに――」


 ジェイの瞳が、僅かに細められた。経験によって裏付けされた深い洞察力を宿す灰色の瞳には、確信がうかがえる。


「あの男は、まだ、話していないことがある。夢を信じ切れていないのだろうがな」

「では、いずれ、話すことになるでしょう」


 リュシエルは、予言のように答えた。

 デルバート(・・・・・)には、全て話してもらわねばならない。隠そうとするならば、それなりの方法を取るだけの話だ。


「リュシエル」


 ジェイの落ち着いた声に名を呼ばれ、リュシエルは一つ、意識的に呼吸した。父ルードを殺した魔女の手掛かりが身近にあるかと思うと、胸が苦しく感じるほどだ。


「くれぐれも慎重にな」

「心得ました」


 リュシエルははやる気持ちを抑え込み、この機会をのがすまいと誓った。





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