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34 夢か現か

 ――また、彼女の夢を見た。

 

 デリーは、明け方に眠りからめていた。閉め切った室内は暗く、鎧戸の隙間からの僅かな光が、手元に射し入っている。隣を見れば、まだ眠っている妻がおり、子供たちがいる。そのことに、デリーは安堵の溜息を吐いた。


 ここ十二年ほど、よく夢を見る。はっきり覚えている時と、うろ覚えの時があるが、妙に現実味のある夢を見るのだ。懐かしい顔触れを見ることもあり、『デルバート・スペンス』としての名前も人生も捨てたはずなのに、父や母が見られると嬉しい気持ちにもなる。不思議と、それなりに歳を取った姿だ。もう死んだとあきらめてくれていると思うが、間違いなく自分は親不孝者なのだろう。


 よく夢に見る彼女は、会ったことのない娘だ。四年ほど前から、夢に現れるようになった。印象的な短い黒い髪と瞳をしていて、肌は白くなめらかに見える。と言っても、初めて彼女を夢に見た時は、見るも無惨なものだった。ひどい悪夢を見たものだと思った。それが今では、美しい娘となって夢に現れる。それがたまに恐怖におののいていたり、哀しそうに涙を流していると、夢から覚めた後も心が痛むのだ。


 心が痛むと言えば、夢でたまに見る叔父おじだ。正直、叔父にあまり良い感情は持っていなかった。大主教にまでのぼり詰めた手腕しゅわんは評価すべきなのだろうが、あまり彼に好かれていないことを感じていたのだ。政治的なことに巻き込まれたくなかったため、わざと愚鈍ぐどんを演じたこともあった。脅威きょういにならないと思われたかったのだ。しかし叔父おじにとっては将来的に使えない可能性のあるおいは、目障めざわりに映ったのだろう。もっとも、優秀だと思われたらそれはそれで、面倒なことに巻き込まれていたに違いない。そんな叔父おじではあるが、夢に見る彼はそれこそひどいものなのだ。黒髪の娘を痛め付け、それに愉悦ゆえつを感じているような顔をしている。記憶にある叔父おじは、決してそこまでひどくは無い。自分の潜在せんざい意識的におとしめてしまっていることに、なんとも申し訳なく心が痛むのだ。


 そういえば、随分と前に気分の良い夢も見た。確か黒髪の娘を夢に見始めるよりも前のことで、叔父おじをこの手でまもった夢だ。自分は腕利きの剣士になっており、叔父おじに迫る暗殺者らしき者のやいばから、叔父おじを見事、守り抜くのだ。この両手を強く握って感謝を告げる叔父おじの当たりにし、誇らしい思いがした。なんだかんだ言っても、彼は身内なのだ。彼の息子である従弟いとこのヴェルグは、今はさぞ立派な青年になっていることだろう。叔父おじのところに顔を出した時には、もっぱ従弟いとこと遊んでいたものだ。


 こんな夢を見るのは、過去に未練があるからなのだろうか。そうではないと断言できるが、知らない同じ娘を夢に見続けるなど、ここ四年ほどはまるで呪われているようだと思う。かと言って、他に悪いことが起こるわけでもない。自分でも楽観的だと思うが、夢にとどまるなら様子を見ようと思っている。この村に来てから幸運なことに大きな怪我や病気もせず、妻を、三人の子供も出来、粗末ながら家があり、畑があり、助け合える隣人たちもいるのだ。窮屈きゅうくつ陰鬱いんうつな政治に関わることなく、広い空の下で畑をたがやすことのできるのは、なんと気楽なことか。勿論もちろん、この開拓村かいたくむらを存続していくのは骨が折れるし、外敵と戦わねばならないこともある。最初の頃はひもじい思いだってした。それでも、城に居た頃よりは生きた心地ここちがしているのだ。今の結果だけを見れば、母の反対を押し切っておいを戦場に送った叔父おじには、感謝すべきなのかもしれない。


 そう考え、デリーは首を左右に振った。

 あの戦場はひどかった。血とほこりまみれ、絶望の悲鳴に包まれていた。一時は優勢だったはずなのに、王都エランに隣接する国々がエランに加勢し始めたためだ。


 元々、あの戦争は、アスプロス教団が影響力と権力を持ち過ぎたことによるものだった。大主教はそれこそ王に匹敵ひってきするような力を持ち始めていた。直接の火種となったのは、一人の女主教だ。名を、エミリア・ヴァリエという。盲目の聖人と呼ばれていた彼女は、神聖な美しさを持っていたといわれる。ただ、彼女を慕う者もいれば、排除しようとする者もいたのだ。そのさいたる者が、前大主教フレデリックだった。


 男の聖職者がほとんどの中で、主教にまでなったのはエミリアが初めてらしい。彼女のいやしの力は、フレデリックと比べて遜色(そんしょく)が無いとまで言われていた。もしかしたら、彼女の方が能力があったのかもしれない。しかしフレデリックは次の大主教に、彼女を推そうとはしなかった。大主教に選ばれる可能性のある枢機卿に、エミリアはいつまでも任じられなかったのだ。それを不服に思ったのだろう、エミリアはアルシラを去った。


 エミリアを迎え入れたのは、エラン王だった。思うに王は力を持ちすぎた大主教をうとみ、排除したいと考えていたのだろう。それには、何かしらの切っ掛けが必要だ。エミリアは、王の考えをも計算に入れていただろうか? ともかくも、彼女と王の利害が一致したのは間違いない。


 彼女は王都で真主教しんしゅきょうとして立ち、本来、アルシラの大主教から任命されなければならない『主教』や『司祭』を、真主教として独自に任命し始めたのだ。それにより、元々いた主教や司祭は王都を追われた。エミリアはアスプロス教団の有りようを非難し、しんにアスプロの意志を継ぐのは自分なのだと、そう宣言したのだ。近隣の国々にも、その動きは徐々に広がりつつあった。


 時の大主教(フレデリック)は、王都から広がるこの現象に危機感を覚えていたことだろう。父であるノイエン公爵フレイザーは、義弟となっていたメルヴィン――のちの大主教――から幾度となく相談を受けていた。そのお陰で、教団の置かれている状況を知ることが出来ていたのだ。フレイザーは大主教を支持し、王都エランとの戦争に加担した。それは、メルヴィンがアルシラの中枢ちゅうすうにいたことや、異母弟いぼていであるエラン王エルドとの確執かくしつが理由なのだろうと思う。しかし何よりも、民の暮らしを護ろうとしたのではないか――。デリーは村で暮らすうちに、そう考えるようになっていた。たがやした畑を荒らされることなく、兵士たちに略奪されることなく、日々を送れることは有難いことだ。おそらくフレイザーは、自領が戦場になる可能性を避け、北の王都に対する壁ともいえるアルシラを護ることにしたのだろう。その考えに、カークモンド公も同意してくれたのだと思う。


 ――カークモンド公――クラウス様はお元気だろうか。


 懐かしい顔ぶれを思い出しながら、デリーはベッドから抜け出した。九歳から十六歳までのほとんどを、彼の元で過ごしたのだ。彼は体が大きく豪胆ごうたんで、身分にこだわらず気さくに人と話をする男だった。剣を教わる際は、本当によく、地面に転がされたものだ。自分でも運動能力が高い方ではないと自覚しているが、それでも根気こんき良く、彼は生き残るための剣を教えてくれた。


 奥方を病で亡くされており、礼儀作法などを教えてくれたのは、女中頭のトレリスだった。彼女に叱られた時は、台所のすみで泣いたことを思い出す。そんな時、甘い菓子を口に入れてくれるのは、料理長のグラントだった。もう高齢だったため、元気にしているのか心配なところだ。


 心配といえば、親同士が勝手に決めた婚約者の存在だ。二度ほど会ったことがあるが、大人しい令嬢だった。ほとんど、会話が弾まなかった記憶しかなく、申し訳ないほどに印象が薄い。あの頃は自分も子供だったのだ、と思うが、彼女には悪いことをしたと思う。すでに別の男と結婚しているだろう彼女が、幸せでいてくれることを願うばかりだ。


 窓の鎧戸を少し上げると、外からの冷たい空気が入り込んできた。雪もちらついている。


とうちゃん、ゆき?」


 眠たげなおさない声が上がり、デリーは振り向いた。並べ繋げたベッドの上で、子供たちが目を覚ましている。上は十八、真ん中は十六、末っ子はまだ八歳だ。


「雪だよ、メイア。寒いはずだ」


 戦場から命からがら逃げ出し、この村に辿り着いたのは、全くの偶然だった。この辺の地理は知らなかったし、同行してくれていた兵士たちは皆、すでにいなかったからだ。着ていたアーマーは脱ぎ捨て、自分がデルバート・スペンスだと分かる物は全て処分していた。紋章が刺繍ししゅうされたマントもシールドも、立派な意匠いしょうソードも、全てだ。泥水をすすり、いつくばって、あの血みどろの戦場からのがれてきたのだ。恐怖に呑まれたせいか元の髪色が抜けてしまい白髪のようになってしまったが、デルバートであることを捨てるには好都合ではあった。


 命の水を与えてくれたのは、この村を開拓しようとしていたマリスタの娘、アミルだった。一生懸命に看病してくれる姿にほだされ、一緒になったのだ。字は書けずとも、食べられる植物の知識は豊富で、驚くほど狩りも上手うまい。男(まさ)りだとマリスタは笑ったが、そこも魅力的だとデリーは今でも思っている。

 

「こんな日じゃ、狩りは出来ないわね」


 残念そうに言ったのは、妻のアミルだ。森で見る栗鼠リスの毛色に似た長い髪を両手で掻き上げるさまを、デリーは窓横の壁にもたれて眺める。

 末っ子で一人娘のメイアが、起き上がった彼女の膝に抱き付いた。


「ねぇねぇ、おおかみいぬ(・・・・・・)のお話して」

「メイアは好きだなぁ、それ」


 甘えた声を上げたメイアに対し、あきれたように答えたのは、次男のラルフだ。片手で眠そうな目元をこすったラルフが、メイアの頬を指の甲で押す。


「もう何度も聞いたぞ。覚えちまったぜ」

「いいじゃないか。まだメイアは、お前より聞いていないんだからさ」


 ラルフをなだめるように、長男のフレイが笑った。フレイは隣村の村長の一人娘との結婚が決まっており、春にはこの村を出ることになっている。


「メイアは、狼犬が好きかな?」

「うん! 好き! だって、父ちゃんたちを助けてくれたから! 父ちゃんだって、好きでしょ?」


 きらきらとした瞳を娘に向けられ、デリーは笑みを返した。


「そうだなぁ。また会いたいよ。向こうが私を覚えているといいんだけどな」



 十二年ほど前、村は狼の群れに襲われる被害が続いていた。村人総出でなんとか家畜や子供たちを守ろうとしていたが、その夜も山羊ヤギが一匹食べられてしまっていた。そんな中、当時まだ六歳だったフレイが子山羊を追いかけて村の外へ出てしまい、デリーはそれを慌てて追ったのだ。丘の上から狼のうなり声とフレイの泣き声が聞こえ、デリーは恐怖に襲われながらも走った。座り込んでいるフレイの元に駆け付けると、四頭の狼に囲まれてしまった。短剣ショートソードは持ってきていたが、自分の腕では複数の狼相手に、役に立つとは思えなかった。


 その時、新たな狼――というよりは大きな犬のような――が現れたのだ。狼と少し違うと感じたのは、狼の特徴的な釣り目をしていず、歩行姿勢も若干じゃっかん違うように見えたからだ。狼たちが牙をき出しにして威嚇いかくしていることから、彼らの仲間ではないことも分かった。にらみ合う獣たちを見ながら、デリーは逃げ出せるかもしれないという希望を抱いた。獲物えもの――この場合はデリーたちのことだ――の取り合いならば、そのすきも生まれると予測出来たからだ。


 あんじょう、双方は争い始めた。一頭だけの狼犬が何故なぜ、複数の狼に戦いを挑むのか、後から考えれば不思議なことだと思う。しかしその時は、どうにかして逃げることしか考えられなかったのだ。


 デリーはフレイを抱き上げ逃げようとした。しかし、狼たちがそれを黙って許してくれるはずはなかった。フレイを奪おうとする狼たちに抵抗し、デリーは腕に噛み付かれた。その時、あの狼犬が、まるでデリーたちを護るようにして狼たちを引きがしてくれたのだ。その様子から、デリーは直観的に狼犬を味方だと判断した。自分たちを護ろうとしてくれているのだと、そう感じたからだ。


 気付けば、デリーは短剣ショートソードを手に、多勢たぜい無勢ぶぜいな狼犬に加勢していた。フレイを護ってくれ、と獣相手に話し掛けていたが、それも理解したかのように、フレイを中心にして護りながら戦ってくれた。あの時のことを思い出すと、恐怖と共に不思議な高揚感こうようかんを覚える。フレイも記憶にしっかりと残っているらしく、今でもたまに村のはずれに出ては姿を探すのだそうだ。


 結果、ひどい怪我をすることなく、狼たちを追い返すことが出来た。二頭は狼犬に噛み殺されており、その中に立つ狼犬の姿は力強さを内包した美しさがあった。灰色と白色が混ざった毛並みは良く、紫色に近い青い瞳は、城に居たどの犬たちよりも知性的に見えた。その狼犬に頬を舐められ、デリーは驚きと共に感激した。たまらず、狼犬の頭を下方から撫でようとして、狼犬の首に掛けられているチェーンに、その時初めて気が付いた。チェーンの先にぶら下がっていたのは、銀細工をほどこされた質の良い藍晶石カイヤナイトだった。それを見て、この狼犬はふところが豊かな飼い主がいる、しくは、いたのだろうと思った。人慣れしているのか、頭を撫でても狼犬は嫌がらなかった。想像していたよりも多い毛量となめらかな手触りに、思わず頬が緩んだものだ。「ありがとう」と伝えると、狼犬はゆっくりと去って行った。



「いいなぁ、フレイ兄ちゃんはさわれたんでしょ?」

「ああ。まだ覚えているよ、あの感触。元々は誰かに飼われていたんだろうな。この辺ではせた犬しか見ないから」

「うん――そうだろうなぁ」


 デリーはフレイの言葉を聞きながら、呟いた。

 フレイもあのペンダントのことを覚えているが、これは二人だけの秘密にしているのだ。あの狼犬を捕まえて奪おうとする者が、現れないとも限らない。


「うちに呼んであげればよかったのにぃ」


 メイアがふくつらを見せた。


「俺もそう思ったけど、どこか行く所があるみたいだったってさ。父さんの見立てでは」

「ええ~ほんとう? とうちゃんのかんちがい(・・・・・)じゃないの? この前、食べられないキノコとってきたみたいに!」

「それはもう許してくれよ、食べる前に気付いたんだから」

 

 片手で頭をいて笑うと、アミルがメイアの髪を指できながら微笑ほほえんだ。可笑おかしむような笑みを浮かべているその頬に、デリーは腰をかがめて軽く口付ける。


「そろそろ出掛けてくるよ。七日ほどで戻るから、君はあたたかくして安静にしていて」

「あなたこそ、無事に帰ってきてね。私、今は探しに行けないんだから」

「ああ、分かってる」


 普段通りの口調ながら心配が見え隠れする瞳で見上げられ、デリーは今度は彼女の唇に口付けた。


 五年前、マリスタから村長を引き継いだ。責任は重いが甲斐がいはある。身重みおもの妻を置いて旅に出なければならないのは心配だが、村の外との売買は、村にとって冬の間の貴重な収入になるのだ。


「フレイ、ラルフ、母さんを頼むぞ。それと、村の人たちとも協力して、村を守っていてくれ」


 そう声をかけると、二人からそれぞれしっかりとした頷きが返ってきた。


「任せとけって。それより、俺の小剣ダガー忘れないでくれよ?」

「俺には物語ね」

「分かったよ」


 息子たちからの土産みやげの確認に苦笑いをしながら、デリーはすでに用意していた荷物を持った。


「メイアも! メイアも母ちゃんまもるから!」


 メイアが、アミルの膝に抱き付きながら声を上げた。

 勝ち気なところはアミル似かな。そう微笑ほほえましく思いながら、デリーはメイアの頭を撫でた。


「頼もしいな。じゃあ、小さな騎士には、何か甘いものを買ってこよう」

「わぁい!」


 メイアが飛び上がり、慌てたラルフに抱き留められる。そんな二人を見て、フレイとアミルが可笑おかしそうに笑った。





 ホルンの町はデリーの暮らす村よりも南にあり、モニーク公爵領の北端に当たる。デリーの村は王都エランと半島側の国境でもあるイェラーキ山脈のふもとで、世俗から隔離かくりされたような場所だ。場所柄、外からの情報は入りにくいが、素性すじょうを知られたくない自分のような者には生きやすい。


 この町には年に数回来るだけだ。村で作った革製品や乾肉ほしにくなどと交換に、町でしか手に入らない織物や香辛料を持って帰る。本は高価なため買うことはできないが、ここではその場でなら読ませてくれる店があるので、毎回そこで一つの短い物語を読み、それをフレイに語ってやるのが恒例なのだ。


 デリーは村の仲間と共に来ており、手分けして商売するために一旦別れて行動していた。皮はそこそこので売れたため、ラルフの欲しがっていた小剣ダガーを手に入れることができている。鍛冶屋かじやで一番安い物だが、見立てではさほど悪くない。フレイのための物語は、明日もう一度町を回ったときに覚えようと思う。


 今、デリーのいる酒場は、ホルンに幾つかある酒場の中でも大きなものだ。宿も兼ねており、この町に来る時の定宿じょうやどになっている。騒がしい話し声がそこかしこから上がるが、不思議とその方が落ち着いた。誰もが自分に無関心だからだ。

 

 酒場の店主とは顔馴染みになっているため、エールを安く出してくれた。カウンターの端で香り高いエールを一口(ひとくち)喉に流し込めば、疲労した体に染み渡る。まだ仲間は到着しておらず、デリーはこのままエールをちびちびと飲みながら待つことにした。


 少し酒場のざわめきに耳が慣れてくると、周りの人々が話す内容が聞き取れるようになる。それは痴話喧嘩ちわげんかの話だったり、物盗ものとりにあった話だったり、恋する娘への想いだったり、多種多様だ。だから、デリーは仲間を待つこの時間が嫌いではなかった。


「――デルバート様が大主教様をお護りしたらしいぞ」


 ふいに耳の端でとらえた話に、デリーは驚いた。同じ名前の者が叔父おじのところにいるのか。そんな驚きだ。見れば、話しているのは行商人で、酒場の店主は興味深そうに聞いている。


「そのデルバート様ってのは、何者だい?」

「大主教様の侍従じじゅうさ。元ノイエン侯爵だって話だぜ」

「え……!」


 あまりにも驚き、デリーは声を上げていた。残っているエールのコップもそのままに、行商人の傍に寄る。


「元ノイエン侯爵って……、どういうことです?」


 そう問うと、日に焼けた肌にしわを寄せながら、男が得意そうに笑った。


「言葉のまんまだよ。十年くらい前に帰ってきたんだと。あの戦争からずっと行方知れずだったらしい」

「そ、それで?」

「なんか知らんが家を出て、大主教様の侍従になったんだと聞いた。それがもう、お強いんだと。大主教様を襲った暗殺者をバッサリだ」


 デリーは話を聞きながら、夢に見た光景を思い出していた。


「それは……、いつ頃の話ですか?」


 情報はなかなか広がらないのだ。大抵はこうして行商人を介して口伝されていくのみで、ホルンにまで来る行商人は少ない。


「そうだな……、三、四年くらい前だって話だった。まぁ、それなりの人から代金の足しに教えてもらったからな、本当なんだろうと思うぜ。おい、顔色が悪いぞ? 大丈夫か?」

「え、ええ。ありがとうございました」


 心配そうに気遣きづかってくれた男に愛想笑いを返し、デリーは彼らから離れた。カウンターの端に戻り、残っていたエールをあおる。


 ――あの夢は、実際に起こったことなのか?


 デリーは初めて、そう疑った。

 それに間違いなく、自分ではないデルバート(・・・・)が、叔父おじの傍にいるのだ。それは看過かんかできない事態だった。父母や叔父おじたちが、誰かにだまされている。その事実に背筋が寒くなる。叔父の命が、危険に晒されているかもしれない。


 何より早く叔父に会わなければ、とデリーは思った。そのためには一刻も早く村に戻り、旅の準備をしなければならない。

 からになったコップを両手で握り締め、デリーははやる気持ちに唇を噛んだ。





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