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33 それぞれの模索

 燭台の蝋燭がともされた図書室で、エリュースは椅子に腰かけていた。前の机ではダドリーが、難しい顔をして白髪混じりの顎髭あごひげを撫でている。塔での経緯を、おおよそ話し終えたところなのだ。 


 塔を出てアルシラに戻る十日とおか余りの間に、エリュースは大聖堂騎士ダドリー・フラッグに、かかえている秘密を打ち明けることを決めていた。これまでは彼を巻き込むことを避けてきたが、そうも言っていられなくなったからだ。それに彼ならば、信頼するに値する。何より、アスプロス教団の本拠地がある、このアルシラの危機となるかもしれない案件だ。その事実はエリュースにとって、大事な身内が命の危険にさらされていることと同義だった。


「それで、エリュース。お前はその娘を、異端審問院に引き渡すつもりはないのだな?」


 確認するように言われ、エリュースは明確に頷いてみせた。


「娘は今、落ち着いているのです、師匠。一度は不明におちいったものの、持ち直している。そっとしておくべきなのです。そうすれば、きっと予言は成就じょうじゅしません」

「『きっと』という言葉を、異端審問院は許さぬだろうな」

「それは、そうでしょう。ですが娘を殺しても、また次が生まれるだけです。それでは悲劇が連鎖していくだけで、予言がついえることもない。大主教がやっていることは非道ですが、娘を隠して生かしておくこと自体は、合理的ではあります」

「ふむ……」


 ダドリーが、その視線を僅かに落とした。


「この案件は、アルシラの存亡そんぼうに関わるものだ。大聖堂騎士団として情報を共有すべきものだが――」

「それは……、」


 エリュースは想定していなかったダドリーの言葉に焦った。しかしすぐに、ダドリーの笑うような視線に気付く。


「そうはしたくないのであろう? エリュース」

「はい。ですが、師匠としては……」

「なに、これに限らず、わし一人でかかえ込んでおることは多いのだ。今更、気にすることでもない」

「そ、そうなのですか」


 少し声を立てて笑ったダドリーの無邪気な笑みを見ながら、エリュースは良いのだろうかと思いながらも安堵した。

 仕切り直すかのように、ダドリーの両手が肘をついた状態で組まれる。

 

「確かに、お前の言う通り合理的だ。それに、魔女がついているのなら、いくらか対処の仕様もあろう。問題は、異端審問院か」

「暗殺者を送り込んだのは、その可能性が高いと思います。それを抜きにしても、異端審問院に見つかれば、カイが殺されてしまいます」


 そう言った時、ダドリーが少し笑みを浮かべた気がした。


「それが、娘の名前か?」

「え、ええ、そうです」

「また、本を貸してやらねばならぬのぅ」


 ダドリーの手が、机上に積まれた本の内、一番上に乗っている美しい装飾のされた本に置かれた。表紙には、鮮やかな鳥の絵が描かれている。前回持っていけなかった、カイに貸すために頼んでいた本だろう。


「師匠。カイは、前の植物の本に興味津々でしたよ。見たことのない花の絵に指で触れて、本当に嬉しそうに……」


 その時のことを自然と思い出していると、ダドリーの小さな笑い声が聞こえた。見れば、目尻にも深いしわが出来ている。


「良い娘のようだ」

「はい」


 そう答えると、ダドリーの笑みが更に深まった。


「会ってみたいものだな。実に興味深い」

「いずれ、そういう機会がくればと願います」


 エリュースは未来のことを考えながら答えた。予言の年は二十四だが、それ以降のことは分からない。これまで現れた予言の娘が、二十四歳まで生き延びた前例がないからだ。そもそも、何故二十四なのだろう? ここに謎が一つ、隠されている気がする。娘が予言の年になっても『ウィヒトを呼んでいない』事は、ウィヒトにとっても予想外の事態に違いない。カリスはカイが二十五歳になれば解放されると考えているようだったが、そうとも限らないのではないかと、エリュースは思った。


 彼らが信仰するマヴロスは、これを予想しただろうか。予言の年は二十四から延々と継続されていく可能性もあるのだ。それは成就するまで、永遠に続くことを意味する。予言の娘は、まるでマヴロスの玩具おもちゃのようなものだ――そう思い至り、エリュースは強い不快感を覚えた。


「異端審問院に近い者といえば、ハンだな」


 ダドリーが口にした名前に、エリュースは気付かないうちに下げていた視線を上げた。


「俺としても、彼と話をしたいと思っていました。人目につかず、彼に会うことは可能でしょうか?」

「それなら、早朝に、葡萄ぶどうが丘にある塔の上に行くといい。今は使われていない古塔だが、このアルシラで最も眺めの良い場所だ」

「分かりました」


 エリュースは葡萄が丘の辺りを思い起こした。アルシラの中央を東西に伸びるアルデア大通りを越え、更にアルシラの北につらなるイェラーキ山脈から流れるリーザ川の支流を越えた、アルシラの北西部の大部分をめる丘だ。そこで、ハンと会えるのだろう。異端審問院とは離れており、願ってもない場所と言える。


「ハンは以前話した通り、異端審問院預かりの身だ。分かっているとは思うが、彼の立場は尊重してくれ」

「お約束します」


 ダドリーからの頼みは、友を思う気持ちからだろう。

 エリュースはダドリーの視線を正面から受け止め、承知した。


「あと、一つ、師匠に聞きたいことが……」


 どうもすっきりしない問題を、エリュースは博識はくしきのダドリーに問うことにした。ダドリーは、すでに興味深そうな目をしている。


「人間に化ける魔物というのは、存在するのでしょうか」

「ほぅ」


 面白おもしろそうなものを見るようにして、ダドリーが眉を上げた。


「詳しく話してみろ、エリュース。ここにはお前とわししかおらぬ。お前がそう言うからには、何かしらに引っ掛かりを感じておるのだろう?」

「違和感、程度のものですが」


 エリュースはデュークラインを治療した時、同調して得た感覚について、ダドリーに話した。ゴブリンとも違ったことを伝える。


「ゴブリンも治療したのか?」

「ええ。怪我をしていたので」

「そんな経験をしたのは、お前くらいかもしれぬな」


 可笑おかしそうに、ダドリーが言った。


「結論からいえば、二種類、存在しておる、と言われておる。一つは、特定の人間そのものに成り代わることのできる魔物だ」

「いるんですね。では、成り代わられた人間は?」

「死ぬことになる。そやつらは、人を食ってその姿を奪うのだ」


 はっきりと言ったダドリーに、エリュースは眉をひそめた。

 あのデルバートが魔物が化けているものだとすれば、本物のデルバートは死んでいることになる。先の戦争に行っていた彼が重傷を負い死の間際に成り代わられたと考えて、ぎりぎり容認できるかいなかだ。


「だが、そういう魔物は『特定の人間』の姿を維持することはまれと言えるだろうな」

「え?」


 ダドリーの補足に、エリュースは彼を見つめた。


「そういう魔物は、すぐまた次の人間を食べることだろう。人に近付きやすくなるよう人の姿を奪うのだろうからな。(ゆえ)に、その姿はその都度つど変わることになる」

「……確かに」


 そういうことならば、十年以上姿を維持しているデルバートは、当てまらないだろうと思う。さすがにそれほどの長い間、食欲を抑えているとは考えにくい。

 エリュースは、密かに安堵の溜息を吐いた。


「二つ目は、人の姿に化けることのできる能力のある魔物だ。前もって、人を食わずにな。この場合は、特定の誰かの姿になることは出来ぬ。その魔物だけの、人間に似せた姿というわけだ。そうして人をあざむくことによって人に近付き、人を食う。魔物が人に化ける意義はそういうものなのだろう。ゆえに、その能力も魔物によって差があるだろう。意識的に見なければ人と思ってしまう程度の化け方しか出来ぬものの方が、多いのではなかろうかな。暗闇で会えば、顔の仔細しさいゆがんでいても、それがはっきりした時には手遅れというわけだ」

「なるほど……」


 エリュースは考え込んだ。

 これも、当てまらない。デルバートは確かに実在していた人物で、彼の父母も息子だと認めているのだ。


「では――魔物と人が融合ゆうごうするなどということは、有りるのでしょうか? 俺が感じた違和感は、人とも魔物とも微妙に違うような感覚でした」


 荒々しい、脈打つような感覚だ。あの感覚を思い出すと、何か未知のものに触れたような気になる。


「有りない話では、ないかもしれぬ。といっても、わしもこれまで生きてきた中で、そういう者には会ったことがないがな」

「そうですか……」


 ダドリーの見解に、エリュースはとりあえずの納得をする他なかった。三つの可能性の内、最も高いのは三番目ということだ。想像に過ぎないが、たとえばデルバートが瀕死ひんしの状態になっていて、魔物と融合することで命を助けられたのだとしたら。叔父おじを裏切ってまでカリスに従う理由にはなる。


「いや、もう一つ、方法があるにはあるか――」

「えっ」


 考え込むような仕草でそう言ったダドリーを前に、エリュースは机に両手をついていた。


「魔導士の使う秘術、『姿写すがたうつし』の魔術だ」

「姿写し」

「そうだ。詳しい手順は知らぬが、面倒だとは聞いている。それにこれを維持するには、『特定の人物』を生かしておかねばならぬとな」

「生かして……?」


 エリュースは少し考え、難しいところだと思った。もしそうなら、本物のデルバートは何処どこにいるのだ。生きていれば、十年以上、姿を現さないでいることなどないだろう。父母の元へ帰ろうとするのが通常だ。

 カリスによって幽閉されているのだろうか? 可能性が無くはないが、そうでないことをエリュースは願った。


「参考になったか?」

「え……、」


 急に声が聞こえた気がし、エリュースは声の主を見つめた。どうやら、長い間、考え込んでしまっていたらしい。


「すみません、とても参考になりました。ありがとうございます」


 デルバートについては、これ以上考えても仕方がない。そう、エリュースは結論付けた。ダドリーと話して答えが出ないのであれば、後は本人が話してくれるのを待つしかない。彼の正体を、必ずしも知らなければならないということもないのだ。ただ、何かあった時のために把握はあくして置きたいとは思う。それに少なからず自分は、この知識欲旺盛(おうせい)なダドリーの影響を受けているのだろう。


「用心するのだぞ、エリュース。図書室ここを出れば、何処どこで誰が聞いているか分からぬ」

「ここも、聞き耳を立てられている危険があるのでは?」


 カイの名を出してしまったことを今更ながら後悔しつつ、エリュースは周りの書架を見回す。あかりが届かない暗闇の中に呑み込まれている多くの書架の影に、誰かが忍び込んでいる可能性はないのだろうか。

 そんな心配を吹き飛ばすように、ダドリーが軽く笑った。


「いや、それはない。人が隠れていたりはせぬよ。それに、魔術の力で離れた場所の音を聞き取る手段があったようだが、それをはばむ魔術もあったのだ」

「……それは、つまり」

「うむ。これも知られてはいけない秘密の一つだな。だが、図書室ここでの話が漏れぬようにする工夫でもある」


 口元に人差し指を立て、ダドリーが笑む。

 この図書室には何らかの魔術的な結界が存在しているのか――。そうエリュースは理解した。本当にこのダドリー・フラッグという人物は、予想外に驚かせてくれるものだ。


「ご忠告、感謝します」


 エリュースはダドリーに笑みを返し、頷いた。

 


 * * *



 葡萄が丘に着いたのは、朝日が昇ろうとしている頃だった。隣でエリュースが、まだ眠そうな目を片手でこすっている。タオはそんな彼を笑いつつ、塔を目指した。何かと考えを巡らせてくれているのだろうな、と思う。


 ハンに会うと聞いたのは、昨日の夕方だった。サイルーシュは不思議そうな顔をしていたが、タオには覚えのある名前だった。収穫祭の折、断罪の広場で手助けをしてくれた召喚士だ。タオを借りたいとサイラスに承諾を得てくれたのはエリュースで、理由も聞かずに快諾したサイラスは、エリュースのことを余程信頼しているのだと思う。  


「ハンさん、いるかなぁ」


 見えてきた古塔は、カイのいる塔よりも小さかった。元々は見張りのための塔なのだろう、雨露を防ぐだけで、生活するには難があるように見える。


 葡萄畑のある斜面には行かず、タオたちは雑草が刈り取られた道を辿った。思いのほか冷たい風に肌を刺され、痛いほどだ。そこへ雪まで落ちてくる。


「早く入ろう。凍えちゃうよ」


 ハン以外の人間がいる可能性もあったが、タオたちは寒さに押され踏み入った。扉のない塔だが、風がさえぎられるだけで、ほっとする暖かさを感じる。他に人の姿は見えない。


がるぜ」


 エリュースが階段を上っていく。それを、タオも追った。

 円筒状の壁に沿っている石の狭い階段を、壁に片手をつきながら進む。何度か円を描くよう上がると、冷たい風が前方から吹き込んできた。


 階段を上がり切ると、塔の屋上に出た。立ち止まっているエリュースの後ろから覗けば、屋上の端で背を向けている一人の人物の姿がある。灰色のローブに簡素な毛布を巻き付けただけの格好だ。白髪()じりの長めの髪にからまることなく、ヘッドバンドの羽根飾りが風に揺れている。こちらに気付いているのかいないのか、彼は背を向けたままだ。


「お邪魔をして、すみません」


 一歩前へ踏み出し、エリュースが声を掛けた。それでようやく、彼が振り向く。その感情を押し殺したような静かな灰色の瞳に、タオはつばを呑み込んだ。間近に感じる不思議な圧迫感は、恐怖とはまた違う。


「私は司祭見習いのエリュース・オーティス。こちらは大聖堂騎士サイラスの従士タオ・アイヴァーです。ハン・ウォーベック。貴方あなたと少し話がしたい」

「ここのことを、誰に聞いた?」

「ダドリー・フラッグです。ここに行けば、貴方に会えるだろうと」


 エリュースがそう言うと、ハンの目元が僅かながら、確かにゆるんだ。




「――それで、私と何を話したいのだ」


 風が心なしか、緩やかになった気がする。

 タオはエリュースのかたわらに控え、ハンの周りの空気に神聖さすら感じていた。目に見えない何かが、彼のそばにいるのかも知れない。


「異端審問院のことです」


 エリュースが切り出すと、ハンの眉間に深いしわが寄った。


「彼らは予言の娘を探しているはずです。黒い髪と瞳を持つ娘で、三人目の娘はいまだ処刑されていません」

「予言のことは、うわさ程度にしか知らぬ」

「娘が行方不明になっていることは?」

「処刑されていないのであれば、そうなのであろう」


 ハンの回答は、するりとエリュースの質問から逃げているようだ。


「審問院の中で、誰が動いているのか、ご存知ではありませんか? 貴方あなたの主観で構いません」


 切り込んだ質問をしたエリュースに対し、ハンの反応は変わらなかった。


「私には関わりのないことだ」

「では、前異端審問院長オヴェリスにちかしかった審問官はいますか。精力的に娘の行方ゆくえを追っていた彼には、その後継者がいるのでは?」


 そういうことを、確かデルバートが言っていた気がする。よく覚えているものだと感心しながら、タオはハンの答えを待った。


「――それも、関わりがないことだ」


 ハンの答えは変わらなかった。

 エリュースを横目でうかがえば、彼のはしばみ色の瞳はハンに向けられたままだ。


「貴方は、魔導士ウィヒトを知っていますか?」


 そうエリュースが問うと、ハンの瞳が僅かに細められた。


「知っている。戦場で共にあったこともある。あれは傲慢ごうまんな男だ。もっとも、魔導士というもの自体が、傲慢なものだがな」


 どういうことなのかと問う前に、表情から察したのか、ハンが小さな溜息を吐いた。


「彼らは精霊スピリットの声を聞くこと無く、強引に力を引き出して利用する。彼らのマヴロスの魔力によってな」

「それが、魔導士と召喚士の違いですか……」


 納得したように、エリュースがつぶやいた。

 タオは分かったような分からないような感覚のまま、この問題を頭から追い出す。余裕のある時にでも、エリュースに改めて聞けば良いだろう。


「もう、良かろう。私に答えられることは多くはないのだ」

「充分です。ありがとうございました」


 話を終わらせようとするハンに、エリュースがあっさりと引き下がった。と思えば、顔を上げ、口を開く。


「あと一つだけ。ウィヒトに関して、二十四という数字に何か思い当たるものはありますか? 何でも良いのです」

「二十四……?」


 眉をひそめたハンが、溜息を吐きながら目を閉じた。


「分からぬな。彼の婚約者がそのくらいの年だったことくらいか」

「ウィヒトに婚約者が?」

「ああ、二十四の誕生日には結婚するのだと、戦場でウィヒトが惚気のろけておった」


 一瞬、懐かしそうに、ハンが目元を緩めた。


「彼女は、今は?」

「行方知れずだ。戦争が始まってからは見ていない。彼女も魔導士(ゆえ)、生きてはおらぬだろう」

「そうですか……」


 悲しい気持ちになりながら、タオは二人の会話を聞いていた。予言をのこした魔導士としか認識していなかったが、こうして話を聞くと、彼も血のかよった人間だったのだと思う。それに、自分たちが生まれていなかった時のことが今現在にまで根を張って影響を及ぼしているという事実は、どこか不思議な感覚がする。彼らと自分たちは繋がっており、自分たちもまた、未だ生まれていない者たちに影響を及ぼすことになるということなのだ。


 エリュースか辞去じきょの礼をしたことで、タオは我に返った。うながすエリュースを止め、ハンに改めて向き直る。


「あの時は、危ないところを助けていただき、ありがとうございました」


 そう言って深く頭を下げると、ややあって、ハンの「ああ、」という声が聞こえた。

 顔を上げると、幾分か穏やかな表情をしたハンと目が合う。


「どうやって気付いたのだ?」

「声が聞こえたんです。小妖精ピクシーと似ていたので、彼が精霊スピリットではと」

「なるほどな。サイラス殿も、あの本の虫も、良い弟子を持ったようだ」


 納得したように頷かれる。そこでようやく、ハンが微笑ほほえみを見せた。



* * *



「あれが襲われただと?」


 顔をしかめた大主教に対し、デルバートは肯定の返事をした。

 ここは大主教の私的な塔の中だ。ザラ(・・)がいなくなった今、別の下働きがすでに入っていたが、デルバートはすぐに身元を確かめさせていた。


「何者かに雇われた暗殺者のようでした。もし異端審問院があの場所をぎ付けたのだとすれば――」

「それは不味まずいぞ」


 眉をひそめた大主教が、開いた窓の方を向いた。その白いローブ姿の背中を見ながら、デルバートは彼の指示を待った。


 ザラーム――ザラ(・・)のことについては、大主教に伝えていない。彼が暗殺者であったと話せば、大主教はひどく怖れおののくだろう。自分が暗殺されていたかもしれない傍近くにまで、もぐり込まれていたのだ。完全に余裕を無くされ、かたくなになられては困る。それに、このデルバートが後を付けられたと思われるのも、都合つごうが悪い。


 大主教に、暗殺者に襲われたことを話すことは、カリスからの指示だ。次の矢が放たれる前に、結界を解かせなければならない。異端審問院と敵対関係にある大主教に危機を知らせ、カイを別の場所へ移動させるよううながせば、最も早くことが運ぶだろう。知らせないまま結界士を探すには、管理していると思われるヴェルグに聞かねばならない。突然に結界士のことを聞けば、いくら上手うまく聞いたとて不審ふしんいだかせる可能性がある。それに、ヴェルグに対し、デルバートは大主教よりも警戒心を持っていた。次の大主教の座を見据みすえていると思われる彼の、目的のためならば手段を選ばない冷徹さは父親以上だと感じている。詳しく聞いたことはないが、これまで父親のためにみずから手を汚してきた男だ。まだ、何でも思い通りになると思っている大主教の方が、おごりがある分、扱いやすい。


「デルバート。もし異端審問院に見つかれば、どうなる?」

叔父上おじうえの関与があかるみになるでしょう。そうなれば、いくら予言の阻止を訴えたところで、異端審問院が聞く耳を持つとは思えません。これまで知らぬ存ぜぬを通してきたのですから」


 事実を突き付けると、大主教が振り返った。その顔面は僅かに強張こわばり、青褪あおざめている。


「あれを別の場所へ隠すには、新しい場所を探さねばならぬ。それに、あの塔には私の痕跡こんせきが残っているかもしれん。移動させる際にも注意が必要だ……それならばいっそ、あれを始末してしまえば……」


 予想外に考え込んでいる大主教が発した言葉に、デルバートは平静を装って軽く笑った。


「私はそれでも構いませんが――叔父上おじうえは、あれを味わい(・・・)たいのでは?」


 わざと卑猥ひわいな言い方をして、デルバートは微笑みを浮かべてみせた。


「今のあれには、脅威きょういなどありませんよ。大人しいものです。移動させるなら、私が責任を持って完遂かんすいしてみせましょう。始末するのはいつでも出来ます」

「そう、だな。お前に任せておけば安心だ……」


 そう言いつつも、大主教の頭の中が混乱しているのが表情で分かる。


「結界士はヴェルグが管理しているのでしたか?」

「ああ」

「私から彼に伝えますか?」

「いや、私から言う。お前も身辺に気を付けるのだ。私が指示するまで、塔へは行くな」


 じ気付いたように言った大主教が、執務机の椅子に腰を落とした。見上げてくる目には、おびえすらうかがえる。


「――承知しました、叔父上おじうえ


 それ以上言いつのることは避け、デルバートはこうべを垂れた。

 


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