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32 想いを胸に

 蒼い光を放つ杖が、僅かに揺れた。それを持つカリスの右手に、力が入ったのだと気付く。

 タオは目を開いたカリスを見て、すぐにカイに視線を向けた。彼女のまぶたが、僅かに震える。ゆっくりと黒い瞳があらわになっていくさまを、タオは言葉なく見つめていた。あれほど無反応だったカイが、ようやく目を覚ましたのだ。魔女の力というものに、感嘆をいだかずにはいられない。


 カリスの手が、カイの頬をいたわるように撫でた。それに反応するように、ぼんやりとした様子のカイが、カリスの方に顔を傾ける。


「痛いところは、ないかえ?」


 そう問われたカイの瞳に、光が戻っていく気がした。人形のようだった表情が、微笑ほほえみに変化する。目尻から涙を伝わせ、彼女が小さくうなずいた。

 室内にいるほぼ全員が、それぞれに安堵の息を吐いている。


「ならば、ルクにスープを温めさせよう。シアン、」

「はい、すぐに」


 カリスの呼び掛けに、後ろに控えていたシアンが律儀に頭を下げる。それから、彼は足早に部屋を出ていった。


「タオ、エル……」


 カイの小さな声に呼びかけられ振り向くと、カイが体を起こそうとしていた。その動作を、横からデュークラインが助けている。

 

「カイ、……無事で本当に良かったよ」


 タオは素直な心境を口にしていた。いろいろと考えなければならないことはあるのだろうが、大切な人が無事であること以上に重要なことなどないのだ。まだカイが姉であるという実感はないが、納得はしている。出逢った時から懐かしいような気がしていたのは、無意識に母ロイの面影を見ていたのだろう。心の中で「姉さん」と呼んでみて、タオは少し不思議な感覚になった。実際に口にするのは、自分もカイも落ち着いてからの方がいいのかもしれない。 


「ありがとう」


 カイのにじむような微笑みが、痛いほど胸に染みた。カリスやデュークラインから聞いた彼女の悲しくむごたらしい境遇を思うと、こうして向けられる微笑ほほえみこそ奇跡のようなものだと思う。


 カイが目を覚まし、知っているカイのまま言葉をつむいでいるさまが、タオは何より嬉しかった。また、あの花冠を作って遊んだ時のような、彼女の楽しそうな笑顔が見たい。


「カイ」


 タオは名を呼び、腰をかがめてカイに両手を差し出した。戸惑っているようなカイに対し、タオは笑みでもってうながす。遠慮がちに手に触れてきたカイの指先から感じるのは、不安だ。そんな彼女の手を、タオは遠慮なく両手で包み込んだ。驚いた様子のカイが、うかがうように見上げてくる。


「タオも……、わたしが、怖くないの?」

「怖くないよ」


 きっぱりと、タオはカイの言葉を肯定した。手の甲に、隣から伸ばされたエリュースの掌がかぶせられる。カイの驚いたような視線が、ベッド脇の床に膝を立てているエリュースにも向けられた。


「カイ、二十四歳の誕生日おめでとう。昨日は言えなかったから」

「エル……ありがとう。でも、わたし……わたしね、」


 カイが、言葉を詰まらせたように涙ぐんだ。なだめるように「うん」と言ったエリュースの表情を見ずとも、きっと彼らしい自信に満ちた笑みを浮かべているのだろうと分かる。


「大丈夫。大体のことは、聞いたんだ。だからって何も変わらないぞ。俺たちは、これからもカイの友達だからな?」

「……エル」


 彼の笑みに釣られたのだろう、カイの泣き顔が微笑みを形作った。と同時に、部屋の光源が揺らぐ。顔を上げれば、スバルがその指先で月光石がっこうせきを撫でていた。


「でもさぁ、いつ爆発するか分からない――危険な魔法の玉をかかえてるようなものだよね?」


 いつもの軽い口調で発せられたスバルの言葉に、カイの表情がくもった。手の内からカイのぬくもりが逃げてしまい、タオはからになった両手を下ろすしかない。みずからの手を抱くようにして、カイが不安げに視線を落とした。


「スバル……!」


 叱責しっせきするようなデュークラインの声が上がった。それに対し、スバルは相手にしていないかのように、可笑おかしそうな笑みを浮かべる。


「事実を言っただけだよ。お姫様の中にいる危ない奴が、暴れ出さない保証なんてないじゃないか。君たちはそう思わない?」

「そんなこと……! ……あるんですか?」


 タオは驚きと共に疑問を口にしていた。すると、スバルだけでなく、カリスたちの視線も向けられる。


「ないとは言えぬ」


 はっきりと、カリスがそう言った。

 その言葉に、タオは動揺を隠せなかった。


「そんな……、予言はまだ続いていると?」


 あの時、別人のように見えたカイは、呼び掛けに応じたように感じた。だが、あれで終わりではないと、スバルやカリスは言うのだ。


 タオは考え込んでしまった。カイがカイであることが分かる今は、彼女を怖いという感情などない。だがもしカイが、あの時のように別人のようになってしまったら。それが予言の成就というのなら、カイは一体どうなってしまうのだろう。想像すればするほど、タオはどうすれば良いのか分からなくなった。


「その時は、わたしを――……」


 震える声を零したカイの膝に、なだめるようにカリスの手が乗せられる。

 カリスを見たカイの瞳から、涙が零れ落ちた。


 タオはカイが言おうとしたことは分からなかったが、何か良くないことなのは、直観的に感じ取っていた。彼女に何か言うべきだ、と思う。その時、隣から小さな咳払いが聞こえた。


「――なぁ、マカレンのワインの話、知ってるか?」


 突然、脈絡も無く、エリュースが問い掛けを発した。見上げられ、タオは自分に問われているのだと知る。


「知らないよ」

「カイは?」


 次にエリュースに問われたカイの首が、小さく左右に振られた。カイも濡れた瞳のまま、不思議そうな顔をしている。カリスたちの興味も引いたらしく、エリュースに視線が集まった。そんな状況をものともしない落ち着きぶりで、エリュースが語り始める。


「ある聖堂に、マカレンっていう司祭がいたんだ。そいつには日課があってな、主教が寝る前に、マルドワインを部屋に運ぶ役目さ」

「マルドワインって?」

「ワインと香辛料とかを温めて作る飲み物だよ。主教はそれを寝る前に飲むのを日課にしていたんだ」


 カイへの説明を聞き、タオは時折、サイルーシュが作っているものを思い出していた。サイラスのために、冬になると用意しているものだ。柑橘かんきつ類とスパイスの匂いが混ざり合い、砂糖の甘さをほんのりとまとった香りがする。ワインは苦手だが、寒い日に飲むマルドワインは悪くない。それを好む主教に共感を覚えながら、タオはエリュースの話に耳を傾けた。


「火を使える台所から主教の別棟までは、けっこう遠くてな。風の通る中庭を行かなくちゃいけない。灯りも少なくて暗いし、足元もけっして平らじゃないんだ。だから、マカレンはその日課が嫌で嫌で仕方がなかった。途中で零しちまったらどうしようってな」


 それはそうだろうなぁ、とタオは思った。自分でも、そんな日課は苦になるだろうと思う。


「強い風が吹いたらどうしよう、つまずいてしまったらどうしよう、そんなことばっかりマカレンは考えて、そのうち、今夜が来る前に主教が死んでくれないか、とまで考えるようになった」

「えっ」


 驚いた声を上げたのは、カイと同時だった。思わず、カイと顔を見合わせてしまう。


「ねぇ、それってさぁ」


 その時、スバルの興味無さそうな声が聞こえた。声の具合とは裏腹に、話はちゃんと聞いていたらしい。


「おかしくない? そんなことを考える前に、零れないようにワイン袋に入れちゃえばいいじゃないか」


 スバルの言ったことは、確かにその通りに思う。そう思っていると、エリュースが明るい笑みを浮かべた。


「まさにその通りさ。それも対策の一つだ。マカレンのワインでの教訓は、厄介な出来事を避けようと無駄な祈りなどせずに、今できる事を実行すべき、って事なんだよ」


 エリュースの解説に、タオは考えながら頷いた。


「今できる事……ってことは、俺たちがアルシラに戻って……てこと?」

「そうさ。ここでくよくよ悩んでいるより、実行あるべしだろ」

「――ふーん」


 つまらなさそうな声を漏らしたスバルが、わざとらしく両肩をすくめた。


「まあ、僕は綱渡りを楽しむ方だから別にいいけど。じゃあ、もう一つ質問が…………、いや、やっぱり、いいや」

「って、おい! 何だよ、気になるだろ!」


 質問を引っ込めたスバルに、エリュースが声を上げた。

 そんなエリュースを横目で見るようにして顔を上げたスバルが、伸びをするように両腕を後頭部で組む。


「そう? だったら少しは役に立てたかな。つまらない質問なのに、若き天才くんの気を引けたんだからさ」

「いいから、もったいつけるなって……」


 「若き天才くん」と呼んだスバルの言葉を無視するかたちで、エリュースがベッドに肘をつく。それを見下ろしながら更に何か言おうとしたスバルの言葉は、デュークラインの咳払いによって止められた。


「……今がまさに、その無駄話ではないのか?」


 呆れたようにそう言ったデュークラインの視線が、後を任せるかのようにカリスへ送られる。それを受け、カリスが一瞬、可笑おかしむような笑みを浮かべた。


「治らぬ病なら、症状を抑えて対処する。ということだな」


 カリスが言った言葉に、タオは得心とくしんが行った。

 カイである(・・・・・)今の状態を維持することを考える、ということなのだ。


「ええ、――その通りです」


 隣でエリュースが少し恥ずかしそうに、自らの頬を指先で掻いた。


「そのためには、ここが何者かにあばかれる前に、カイを連れてここを出たい。そなたたちにも働いてもらわねばならぬ」

「そのつもりです」


 一変、真剣な声を発したエリュースが、カリスに対して頷いた。

 そこでタオは、ふと湧いた疑問を口にする。それは、想像しただけで怖ろしいことに思えた。


「あの、ここはカイとルクだけになるんですよね? もしまたあんな暗殺者が来たら、防げないじゃないですか? そんなこと、」

「落ち着け」


 カリスの静かな声で制され、タオは続けようとした言葉を呑み込んだ。


「手駒が足らぬのだ。だが、あの者がもし成果を上げていたとして、それが依頼者に知らされるには数日かかるはずだ。少なくとも、そなたたちがアルシラに戻るまでは問題なかろう」

「それに、失敗したことを知って新たに派遣するとして、手配にも、ここに来るまでにも、それなりに日にちがかかるはずだしな」


 このことについてすでに考えていたと思われるカリスとエリュースからの返答に、タオはとりあえずの納得をした。どうしても心配に思うが、「手駒が足りない」ことはどうしようもない事実だということは分かる。あるならば、カリスがすでに連れてきているはずだからだ。


 一歩下がり話の先をうながすと、エリュースがカリスの方に向き直った。


「俺たちは異端審問院の様子を探ります。暗殺者を雇った人物を特定出来た場合は?」

「すぐ、デュークラインに知らせるが良い」


 カリスの言葉を受け、デュークラインが俯き気味のカイから視線を上げた。


「私のいる宿舎を訪ねてくれ。いなければ、マージという女中に言付ことづけを」

「分かった」


 エリュースとデュークラインの間での取り決めは、簡潔だった。見つけてそれからどうするのかが気になったが、タオはこの場で口には出来なかった。盗賊たちの最後の一人を殺したスバルを思い出す。もしあの場にいたのがデュークラインであっても、スバルと同じことをしただろうか。

 答えを出す前に、エリュースが立ち上がった。


「さて、じゃあ動こう。タオ」

「うん、分かった」


 エリュースの指示を受け、タオは明確になった「今すべきこと」だけを考えることにした。とにかくアルシラに戻る。全てはそれからだ。


「あ、そうだ。ちょっと待って」


 タオは思い出したことに安堵しながら、衣服の胸元を探り、縫い付けてあった手紙を取り出した。アルシラをつ前に、サイルーシュから預かったものだ。折り畳まれ、丁寧に封緘ふうかんまでされた手紙を、タオはカイに差し出した。


「わたしに?」


 手紙を前に、カイの顔が上がった。

 珍しいものを見るように、カイの視線が手紙に注がれる。


「うん。ルゥからカイにだよ」


 そう言うと、カイの視線がこちらに上がった。瞳が嬉しそうに輝いている。手紙がカイの手に持たれ、タオは少し肩の荷が下りた気がした。


 部屋の端に置いてあった荷物を手にすると、カリスたちも立ち上がってくれた。辞去じきょを告げているエリュースの傍で、タオは剣帯に下げた剣柄ヒルトに触れ、その馴染んだ感覚を確かめる。


「そなたなら大丈夫だとは思うが、気を付けよ。焦り過ぎず、慎重にな。何かあった場合、助けられるかは分からぬ」

「ええ、分かっています」


 カリスとエリュースがわす言葉を、タオは口を出さずに聞いていた。

 ふと視線を感じ振り返ると、ベッド上のカイが見上げてきている。何か言いたげな彼女の傍に、タオは片膝をついた。心配そうな表情で伸ばされた手を取ると、僅かながら力を込めて握られたのが分かる。


「タオ、ルゥに、ありがとうって伝えてくれる?」

「うん、分かった」

「また、会える?」

「うん、絶対にね。ここから出られたら、手紙の返事はルゥに直接言えるよ。ルゥはカイにいろんな服を着せたいって意気込んでいたから、そこは覚悟しておいた方がいいだろうけどね」


 そう言っていたサイルーシュの楽しげな様子を思い出しながら、タオはカイに笑いかけた。そこで、カイの顔に可笑おかしそうな笑みが弾ける。ようやく見られた楽しげな笑みに、タオも更に笑みを深めた。


「無事で、いてね。エルもルゥも、きっとまもって」

「うん。このソードに誓うよ」


 剣帯のソードを鞘に入ったまま引き上げて示すと、カイの両手が鞘に触れた。まるで話し掛けるように、小さな口元が言葉をつむぐ。


「タオを護ってね」


 何の効力のない行為だとしても、タオにはソードに力が宿った気がした。カイが自分たちの無事を祈ってくれている。そのことが、力になる。


「カイこそ、元気にしていてね。ちゃんとルクのご飯を食べて、心配しすぎないこと。俺はともかく、エルは賢いから、大抵はなんとかしちゃうんだ。だから、大丈夫。俺たちを信じていて」

「信じる?」

「そうだよ。きっと今度会う時は、みんなで笑い合ってるんだからさ」


 きっとそうなるはずだ。

 タオは、自分自身にも言い聞かせていることを自覚しながら頷いた。


「……うん」


 返されたカイの微笑みには、まだ僅かながら不安の影が見える。それでも気丈に送り出そうとしてくれている気持ちを感じ、必ず護ってやらねばと、強く思う。

 決意を新たに立ち上がり、タオは改めて、旅の荷物を背負った。



* * *



 森の石畳を歩きながら、エリュースは先を歩くタオを眺めていた。気はいているのだろうが、こちらが疲れていないかの確認は、時折してくれているのを感じる。塔を出る前のカイとの会話を聞いていたが、タオらしい真っ直ぐな励ましだった。自分が何か言う必要もないと思えるほど、カイの表情がやわらいだことに感心していたのだ。


 ゴーレムが両脇にたたずむ場所まで来て、エリュースは一息吐いた。このまま一気にアルゲントゥムまで出てしまおうと思う。そこで一晩、次いで途中の村で一晩宿を借りれば、二日目の内にはノイエン公爵領の港町ウォルシーに辿り着けるだろう。そこから北上すれば、十日ほどでアルシラに着ける予定だ。カリスが言ったように、急ぐとはいえ、慎重に行動しなければならないことに変わりはない。


「エル、レティを引き取ったら、このまま村を抜ける?」

「ああ、そうしよう」


 エリュースはフードをかぶった。それに習うように、タオもフードを被る。村の酒場裏に、ロバのレティを預けているのだ。長旅では、荷物を持ってくれる存在は有難い。


 しばらくして、エリュースはタオが隣で首をひねっていることに気付いた。何かを悩んでいる様子で、時折小さくうなっているのが聞こえる。


「どうした」


 声を掛けると、困ったような顔が向けられた。


「なぁ、母さんにカイを会わせるべきかな? でも母さんは記憶が無いんだよなぁ」


 悩んでいるタオを横目に、エリュースも考える。

 カイに会えば、ロイの記憶は戻るかもしれない。しかしそれがロイにとって良いことなのかは分からない。記憶を失ったのは石化の副作用かもしれないし、忘れたい記憶だったからなのかもしれないのだ。


「ちょっと様子を見てからの方がいいだろうな」

「うん……、そうだね。そうしよう」


 納得をしたのか、タオが一つ溜息を吐いた。

 エリュースもそれ以上は言わなかった。問題を先送りにしたとも言えるが、何より今は他に考えるべきことがあるのだ。


 樹々の隙間から曇り空を見上げ、エリュースはデュークラインについて考えた。彼の正体がデルバートだということは間違いないのだろうが、どうにも引っ掛かりを感じるのだ。何より、彼の治療をした際に感じた違和感だ。タオともルクとも違うそれが、彼独自のものであるのかどうかは判断が付かない。それにカリスの話では、『デルバートが戻った十年ほど前』以前から、デュークラインを使って(・・・)カイを探させていたはずだ。


「ん――」


 頭を悩ませていると、タオが不思議そうな顔で振り向いた。


「どうしたのさ」

「いや、デュークラインのことで、ちょっとな」


 エリュースは、悩んでいる詳しい内容を口にしなかった。今はまだ自分の中で疑惑が生まれただけの段階で、確信に至っていない。同じ剣士だからなのか、彼に少なからず憧れのような心境をいだいていると思われるタオに、今、伝えるべきことではないだろう。


 デュークラインの名前に反応したのか、タオがフードの下で青い瞳を輝かせた。


「大丈夫だよ、エル。あの人は裏切ったりしないって。何か事情があってカリスさんに従っているんだろうけど、あんなふうに体を張ってカイを護った人なんだから」

「ああ、まぁ、……そうだな」


 エリュースは曖昧あいまいに肯定した。

 そういうことで悩んでいるわけではなかったが、タオの物言いにも納得する。今、悩んでも仕方がないことなのだろう。タオの言う通りで、彼が裏切ることは危惧きぐしてはいない。カリスにあんな質問をしたのは、彼と彼女の繋がりがどの程度のものなのかを確認するためだ。


「エルもすごかったなぁ。あ! まだ体がだるかったら言ってよ。荷物は俺が持つから」


 いつぞやのサイルーシュのように、レティに乗れというのだろう。

 エリュースは軽く笑って断った。


「平気さ、美味うまいスープも飲ませてもらったしな。あんな高価な薬草をすぐに用意できるんだ、よっぽどの金持ちだぞ、あのカリス()は」

「そうだよね。でもあれって、デュークラインさんのためだよね。ちょっと怖そうな感じもするけど、優しい人みたいだね」

「――そうだな……」


 魔女――魔導士の力を垣間見れたことは、エリュースにとって興味深いことだった。ダドリーに聞けば、更に詳しいことが聞けるかもしれないと思う。


「スバルさんもさ、よく分からない人ではあるけど、カイのことは気に掛けてるみたいだし。なんだかんだ言ったって、一緒に戦ってくれたしね」


 確かに事実だ、とエリュースは思った。ひねくれ者であることも確かだろう。塔を出る時、もうちょっとお姫様を見てるよと言うスバルと話したのだ。カリスの事情を聞かなかったのは何故なぜかという質問に対しての答えは、興味ないからというものだった。それから、彼にしては珍しく申し訳無さそうな顔をしたかと思うと、「本人を前に言うのも何なんだけど、僕、君たちにそこまで興味ないから」と言い放ったのだ。なら何故なぜここに来たのだと問えば、「お姫様かなぁ」だそうだ。これまでの行動を振り返っても、スバルがカイに害をす心配は無いだろうと思う。


 それにしても、とエリュースはタオを見つめた。お陰ですっかり頭の霧が晴れている。デュークラインやカリスやスバルが何者かは、タオにとってはあまり問題ではないのだろう。こういうタオの真っ直ぐなところに、救われてもいる。


「お前、ずっとそのままでいろよ」

「え? 何のこと?」

「そのままの意味さ」


 不思議そうにするタオに構わず、エリュースは森を抜けた。頭上には開けた空が広がっている。雲間からの青空が、まぶしい。

 同じように隣で空を見上げたタオを横目に、エリュースは彼の肩を軽く叩いた。

 


* * *



「――そなたは何者だ?」


 昨夜した質問を、カリスは繰り返していた。

 ここは塔の裏にある小さな倉庫で、この塔で唯一、閉鎖空間にできる場所だ。あかりは入口近くに置いた月光石がっこうせきのみで薄暗く、互いの姿をかろうじて認め合える程度の視界だ。しかし、隣にいるデュークラインにはこの暗さは問題ではないだろう。


 倉庫の中程に立っているスバルが、両手を軽く上げて肩をすくめた。


 今、この倉庫内には特殊なこうを焚いている。この香は、使い魔と主人を繋ぐ『糸』を視覚化させるもので、もう充分に倉庫内に充満した状態だ。


 カリスは、スバルという人物が人間ではない可能性が高いことに気付いていた。魔導士であるがゆえに感じる、人に使役されている魔物の持つ気配がするのだ。

 カリスにとって怖れるべきは、使い魔ではなく、その主人である魔導士だった。あの『浄化』から他の魔導士が生き延びているというならば、本来ならば喜ぶべきことなのだろう。それでも実際にそうだと考えると、相手の目的が問題となる。カリスの目的をはばむつもりなのか、または別の思惑があるのか。それが分からない限り、カリスにとっては他の魔導士の存在は喜ばしいものではない。


面白おもしろこうだねぇ、ちょっとけむたいけど」


 スバルが軽い口調で言ってのけた。


 そんなスバルを、カリスは凝視ぎょうししていた。

 彼の左手小指にある指輪に目を付けていたが、そこからは光の糸が伸びていない。使い魔であれば、そこから主人へと糸が伸びているはずなのにだ。


「自分の知っていることが、全てだと思わないことだよ。貴女あなたの知らない魔法だって、あるかもしれないでしょ?」


 スバルの言葉に、カリスは答えなかった。自分の感覚が間違っているとは思えないのだ。しかし、やはり糸は見えない。

 そんなカリスを可笑おかしむように、スバルが口元をゆるめた。


「失礼を承知で言うけど――、黒騎士さんって、やっぱりその魔女の飼い犬(・・・)なんだねぇ」


 スバルが矛先ほこさきを向けたのは、デュークラインだった。軽口を受けたデュークラインの反論はない。ただ黙ってカリスの傍に控えているだけだ。

 カリスはそんなデュークラインに視線をることなく、スバルに投げ掛ける質問を変えた。


「そなたは、人ではないな?」

「そうかも、しれないねぇ」


 曖昧あいまいな返答をしたスバルに、もう一つ、問う。


「そなたは、敵か、味方か?」


 そうカリスが言った時、スバルが可笑おかしそうに声を立てて小さく笑った。


「ふふ、ねぇ、そういう考え方って良くないと思うよ。敵か味方かなんて、立場や状況が変われば変化するものだから」


 スバルの言うことに理解は出来ても、それはカリスの求める答えではなかった。黙って答えをうながせば、スバルが一歩踏み出してくる。蒼白い月光石がっこうせきの光に浮かび上がる彼の目が、楽しげに微笑わらう。


「でも、そうだなぁ。えて言うなら、自分以外は敵かな」


 スバルがそう言った瞬間、隣にいるデュークラインが剣柄ヒルトを掴んだのが分かった。


「待て……! デュークライン!」


 カリスは今にもスバルに斬りかかろうとするデュークラインを、強く止めた。動きを止めたデュークラインの視線は、スバルからはずされていない。当のスバルには全く動じる様子は見られず、カリスは余計に手を出すことを躊躇ためらった。


 スバルが面白おもしろそうに、目を細める。

 軽い足取りで歩を進めたスバルが、戸の前にいるデュークラインの前で立ち止まった。この男に恐怖心など芽生えないのではないかと思うほど、デュークラインを見上げるスバルの様子は至って平静に見える。


「カリス様」

「良い。このまま行かせよ」


 対して緊張を帯びているデュークラインの声に、カリスはそう答えた。

 スバルが戸の前から退いたデュークラインの脇で、倉庫の戸を引き開ける。


「あ、そうだ」


 思い付いたかのように、スバルがデュークラインに顔を近づけた。つま先立ちまでして、何かを耳打ちしたようだ。


「――な、」


 驚いたような妙な反応をしたデュークラインを不審に思ったが、すぐにスバルに笑顔を向けられ、カリスは反応に困った。


「じゃあね、魔女さん。僕はまた旅に出るから。勿論もちろん、僕を使えるとは思っていなかっただろうけど」

「ああ、そうだな」


 そう返すと、スバルはそのまま笑顔を残して立ち去っていった。



 デュークラインにうながされ、カリスは倉庫を出た。右手側の台所を見れば、すでにスバルの姿は見えない。庭からの太陽光が、少し目に染みるように眩しく感じる。


何故なぜそのままに?」


 不満は感じられず、純粋な疑問としての響きを感じ取り、カリスはデュークラインを振り返った。あの瞬間は確かにスバルを斬ろうとしていた男の瞳から、すでに殺気は消えている。


「あやつが人で無いことは確かだろうが、下手へたに手は出せぬ。エリュースたちが知っているならば、ずっとあの姿をしているということだろう。その能力のある魔物か、もしかすれば、世界神ソラドゥーイルつかわされた魔人の可能性もある。世界神ソラドゥーイルそのものの可能性もな」

「まさか……!」

「伝承では、かつて世界神ソラドゥーイルは人の姿で降りてきたという。万一そうであれば、今は大人しくしているものを不用意に起こしたくはないのだ。私の杞憂きゆうであれば良いのだがな……」


 考え込むように黙ったデュークラインの背を軽く叩き、カリスは彼を塔の中へとうながした。


「私は帰るが、お前はもう少しだけカイの傍にいてやれ」


 カイの目が覚めてから、デュークラインはカイとまだ会話らしい会話をしていない。そのことに気付いていたカリスは、デュークラインをカイの元へ行かせた。代わりに、シアンを呼び戻す。


「カイは食べたかえ?」

「はい、大方は。後は、彼に任せました」


 カイの部屋の方を見たシアンが、穏やかに微笑した。


「あの子は、本当に彼が好きなのですね。彼を見るあの子の目は眩しいくらいです」


 シアンの言葉に、カリスは溜息を吐いた。

 カイの中にもぐった際に見たものを思い出す。カイに向けられているデュークラインの表情かおだ。いずれは、デュークラインを問いたださねばならない。しかし今は、カリスは見ぬ振りをしておくことに決めた。


 得体の知れないスバルのことは気掛かりだが、今回、予言の成就が阻止されたことは確かだ。たとえ一時的だとしても、今のカイの心はなんとか安定しているように思える。その要因は、この四年間での人との交流にあるのだと、カリスは確信していた。このまま予言の年である二十四歳を越え、二十五歳を迎えられれば、ウィヒトの呪われた予言は完全に消え去るかもしれない。マヴロスが、いくら稀代の魔導士とはいえ人間に、期限の無い約束をするなどとは考えにくいのだ。希望的観測に過ぎないことを認識しながらも、カリスはそうであることを強く願った。

 

「戻るぞ、シアン」

「はい」


 こうべを垂れて応えたシアンを従え、台所を抜ける。外は曇り空ながら、晴れ間も見えている。

 カイの部屋の方を一瞥いちべつし、カリスは塔を後にした。



* * *



 鎧戸を上げたカイの部屋には、穏やかな日差しが射し入っている。その陽光に照らし出されているカイが、開けた手紙を見つめている。ほんのりと頬が染まっているのは、熱が上がってきているせいだろうか。そう懸念けねんしながら、デュークラインはカイのいるベッドの端に腰を下ろした。


「デューク……!」


 余程手紙に気を取られていたのだろう。慌てたように顔を上げたカイが、手紙を胸元に押し付けた。どうやら、中を見られたくないらしい。


「内緒話か?」


 そう問えば、カイの視線が戻ってくる。嬉しそうでいて、少し恥ずかしそうに微笑ほほえんだカイが、小さく頷いた。そんなカイの様子に、自然と頬が緩む。このまま傍で見守ることが出来たならと思うが、どうあっても自分はアルシラに行かねばならない。


「あのね、ルゥ、タオと婚約したんだって」

「そうか」


 カイが話すのを聞き、デュークラインはタオの師であるサイラスを思い起こしていた。気のいい男で、酒を交わしたこともある。酔った彼の一人娘の自慢話を散々聞いた記憶があり、そんな彼が娘の結婚を許したかと思うと感慨かんがい深い。


 デュークラインは、カイの頬に右掌を沿わせた。感じる温もりは、カイが生きている証だ。そのことが、苦しいほど喜ばしく思う。ここから連れ出してやれる機会が、ようやく訪れようとしているのだ。大主教の手の届かぬ場所で、おびやかすもののない安全な地で、穏やかに過ごさせてやりたい。女主人カリス思惑おもわくに反するかもしれないが、デュークラインはそれでも、そう願いたかった。


「もう、怪我けがは、痛くない?」


 カイに触れている手の甲が、温もりに包まれた。カイの手が重ねられたのだ。真っ直ぐに向けられる思慕しぼを宿した純粋な瞳があまりにも美しく、全てを投げ打って屈服くっぷく出来ればどれだけ良いだろうとさえ思う。


「ああ」


 まだ心配そうな目をしているカイに、デュークラインは彼女の頬を撫でた。


「大丈夫だから、おいで」


 そう言うと、カイが腕を伸ばして胸元へ身を寄せてくる。その脆弱ぜいじゃくな体を、デュークラインは両腕で抱き留めた。


「ここで、ルクと一緒に待っていろ。出来るだけ早く戻る」

「……デューク」


 少し震えたような声が、胸元から聞こえた。


「もう、怪我、しないで。わたし……、ずっとここにいてもいいの。デュークがいてくれるなら、どんなに痛くてもいいの。だから……」

「……馬鹿なことを言うな」


 胸の痛みを感じながら、デュークラインはカイの頭を撫でた。なめらかな髪に指をもぐらせながら、その髪に口付けを落とす。


「デューク……」


 顔を上げたカイの瞳は濡れている。物言いたげに開かれた口が閉じられ、少ししてまた、意を決したように開かれた。


「お願いが、あるの。わたしが……もし、わたしじゃなくなりそうになったら」

「カイ」


 不穏なことを口にしたカイの名を呼ぶ。それにあらがうように、カイの視線も揺らがない。


「わたしのままで、デュークが殺して」

「なん……、」


 デュークラインは言葉を失った。


伯母おばさまは、わたしはわたしでいられるって、言ってくれた。タオの言うように、皆で笑い合えるって、信じたい。でも、どうしようもなくなったら、もしまた、あんなことになったら、わたしじゃなくなる前に、殺してほしいの」


 まるで懇願こんがんするようにして告げられた言葉は、ひどい願い事だと思う。これほど酷い言葉は、他にないだろう。この自分にはできると思われていることが、これまでの結果だとしてもだ。


「それは出来ない」


 はっきりと、デュークラインは告げた。

 悲しげに細い眉を反らせたカイの頬から髪を、いつものように撫で上げる。この温もりをこの手で完全に失わせるなど、たとえ主の命令であっても承諾出来ない。


「大丈夫だ。もうあんな怖いことは起こさせない。私は今まで通り、お前の元へ必ず戻る。それを信じて待っていろ。タオも言っていただろう? 心配しすぎるなとな」

「うん……」

「そうだな……、先の楽しみでも考えるんだ。またサイルーシュたちと遊ぶことでも、ここを出たら行ってみたいところでも」


 頬を撫でてうながすと、ようやく、ほんの僅かながらカイの表情がやわらいだ。しかしまだその表情からかげりが消えていない様子から、苦心くしんして微笑ほほえもうとしているのが分かる。それでも、殺せなどという願いを、口約束とはいえ聞いてやることは、デュークラインには出来なかった。

 

「じゃあ、デュークが帰った時、わたしが眠っていても、起こしてね? デュークが呼んでくれたら、きっと起きるから。そうしたら、すぐに、わたしの居たい場所に行けるから。デュークが、わたしの、居たい場所なの……」


 そう言って濡れた瞳を細めたカイが、目を逸らさないままはかなげに微笑わらう。そんなカイの真っ直ぐで純真なさまに、デュークラインはたまらず小さな体を衝動的に抱き締めていた。スバルに言われた言葉が思い出される。「そろそろ本気で向き合ってあげるべきじゃあないのかなぁ」そんな言葉に押されたわけでは決してないが、この娘を愛していることを、最早もはや認めざるを得ない。


「デューク、わたし……、わたしね、本当にデュークのこと、」


 カイが顔を上げ、何かを告げようとしたその口を、デュークラインはみずからのそれでふさいだ。魔力を送り込むことなく、その唇の柔らかさを感じ取る。そう時を置かず唇を離せば、頬を染めながらも不思議そうに、カイのうるんだ目がまたたかれた。零れた涙を親指の腹でぬぐってやると、カイの頬が更に染まる。


「不安になったら、私を呼べ。離れていても、お前を想っている」


 女主人カリスに処分されても仕方が無いことをしていると、デュークラインは自覚していた。それでも良いと思っていることに、我が事ながらあきれ果てる。


 カイの体を離して立ち上がると、すがるような視線が追ってきた。見下ろせば、カイが頬を染めたまま見上げてきている。


「カイ」


 デュークラインはいつくしみを込め、彼女の名を口にした。




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