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23 良き隣人

 遅い朝の腹ごなしを済ませ、エリュースは狭い商人通りを歩いていた。今朝から急に寒さが厳しくなり、厚手の上着を羽織はおってきたのは正解だったと思う。


 今日は学校は休みで、これから向かう先は、大聖堂騎士団本部だ。昨夜はサイラスの家に泊めてもらい、そこから散歩がてらに工事中の施療院を眺めながら、東門にいる衛兵たちに菓子を差し入れてきた。ジョイスとサイルーシュが菓子を作る時は、必ずおすそけが発生するほど多く作るのだ。エリュースとしては、顔を繋いでおきたい場所に顔を出す、良い理由付けができる。


 ふと、エリュースは黒いローブ姿を複数、目の端に認めた。異端審問官たちだ。数十人はいるだろう。これほどの人数が集まっているのを、これまで見たことが無い。エリュースは反射的に気を張り、歩いていく彼らを眺めた。

 

 彼らは、荷車に様々な荷物を乗せて運んでいる。崩れ落ちそうなほどの荷の量だ。何かの準備なのだろう。道行く人々も、遠巻きに眺めている。不安げな、それでいてどこか期待するような眼差まなざしに、エリュースは嫌な気分になった。また、処刑があるのかもしれない。


 その荷車の車輪が小石に取られたのか、荷が揺れ、幾つかが滑り落ちた。その中の一つの旗のような物が、地面に転がり広がる。そこに見えたのは、大きな神聖文字だった。すぐに審問官によって丸められてしまったが、その旗は何かで汚れているかのように、赤黒く変色しているように見えた。初めて目にする旗だ。


 エリュースはそれを見て、ひどく胸騒ぎを覚えた。異端審問院が、いつもと違う何かをしようとしている気がする。それも、大掛かりな何かだ。


 歩みを緩め、慎重に彼らを眺めていると、彼らは狭い通りの奥に見える『断罪の広場』に消えていく。その高い石壁を超えてまで追うのは、非常にリスクが高い。エリュースは彼らを追うことを、仕方なく断念した。





「おお、戻っておったか、エリュース。光誕祭は見たか?」

「ええ、まぁ」


 大聖堂騎士団の図書室に、エリュースは顔を出していた。窓が僅かしか上げられておらず、室内は薄暗い。相変わらず机の上に分厚い本を積んでいるダドリーが、広げていた羊皮紙から顔を上げてくれた。机上に置かれた蝋燭の火に照らされ、彼の目元に刻まれたしわが、陰影いんえいを深くする。


 顔を出すのを遅らせていたのは、祭りが終わってからの方が良いと思ったからだ。ずっと図書館にいそうなので忘れがちになるが、ダドリーも、れっきとした大聖堂騎士なのだ。


 借りていた本を差し出して礼を言うと、ダドリーの羽根ペンを持っている右手で、横に積むように指示された。


「次はどんな本が良いのだ?」


 そのうちにまたお願いしようかと思っていたエリュースは、その問いかけに喜んだ。なるべく、色彩のある絵が多いものが良いだろう。見たことのない世界を垣間見ることのできるのが、本の面白いところだと思う。


「動物の絵がある本とか、ありますか?」

「鳥のことを調べた本なら、絵が多かったな。魔物や獣の本もあるが」

「では、鳥の本をお借りしたいです」


 鳥ならば、あの塔の中からでも見ることがあるだろう。

 そう思っていると、ダドリーが少し笑った気がした。口髭くちひげに隠れた口元の表情は見えにくいが、彼の目元が僅かに緩んでいる。


「で、エリュースよ。今、借りていくか? それとも必要な時に?」


 そう問われ、エリュースは答えようとした口を閉じた。しかし結局、答えざるを得ない。いつ旅に出られるか分からないのだ。それまで高価な本を借りたままにしておくよりは、『その時』に借りたい。あの塔に置いておくことにもリスクはあるが、デュークライン――デルバートは本の価値を当然分かっているだろう。となれば、カイやルクもそう教えられているはずだ。今回返してもらった本は、至極丁寧に扱われた様子だった。


「必要な時に、借りにきます」

「うむ、ではそれまでに探しておこう」


 ダドリーは何も言わないが、誰かに貸していることに勘付かれた気がする。それでも突っ込んだ質問が来ないのは、そこに興味がないからなのだろう。本を丁寧に扱う相手であることも、証明されている。


 エリュースは礼を言った後、ここに来る前に見たことについて聞いてみることにした。ダドリーに、珍しい旗を持った審問官たちを見たことを告げる。


「ああ、それはおそらく、式典に使うのだろうな」

「式典?」


 ダドリーからの回答に、エリュースは聞き返した。


「異端審問院の式典、ですか? 一体何の?」


 これまで、異端審問院が主催した式典などは経験したことがない。それとも自分が知らないだけで、何十年に一度の式典があるのだろうか。

 そう考えていると、ダドリーが一つ、頷いた。


「椅子を持ってくるがいい、エリュース。丁度良い機会だ。まずは魔導士について教えてやろう」

「お、お願いします」


 ダドリーに言われた通りに、エリュースは近くの椅子を持ち上げて運んできた。ダドリーの机の前に戻ると、机上にはエール入りと思われるコップが二つ、用意されている。長くなりそうだが、おそらく『式典』を説明するのに必要なことを教えてくれようとしているのだろう。


「まぁ、座れ」


 うながされ、エリュースは礼を言って椅子に腰かけた。

 ダドリーがコップに口を付けたので、エリュースもそれにならう。


「お前は魔導士について、何を知っている?」

「一般的なことくらいですが……」


 そう前置きし、エリュースは居住まいを正して話した。 

 彼ら魔導士は、二十七年前までは確かに各地の領主に保護されており、教団も彼らの存在を認めていたこと。先の戦争でも従軍していたこと。戦争後の教団による『浄化』の対象であり、彼らのほとんどが処刑されたということだ。


「まぁ、よく知っている方だな」


 簡潔に伝えると、ダドリーが小さく頷いた。

 エリュースは一息()いた後、ダドリーの説明を待った。魔導士について、しょく以降に生まれた者はほとんど知識を持っていない。口にするのもはばかられるような存在として、彼らは闇に葬られ、彼らの著書なども焼かれてしまったためだ。生き延びられた魔導士たちが多少の本は隠し持っているだろうが、こうして読めないのであれば、今は無いに等しい。


「昔は、彼らのそれぞれの村で魔導士会があってな、領主から自治権も与えられておった。薬を作って売ったり、占いをしたり、魔物討伐に協力をしたりして金品を得て暮らしていたのだ」

「では、彼らが作っていた薬なども出回らなくなったということですか」


 彼らの調合する薬がどのようなものだったのか、エリュースは興味を惹かれた。その中には、効果的なものも勿論もちろんあっただろう。

 

「彼らは、一体どういう力を持っているのですか?」


 エリュースは、タオから聞いた話を思い出していた。カリスが手の先に生み出していたという赤い光の渦についてだ。おそらく彼女は生き残りの魔導士で、それは魔法だったのだろう。それが、どういう効果をもたらすものだったのか。エリュースは疑問だった。彼女があの時あの場で、何をしようとしていたのかだ。

 ダドリーが、何か面白いものでも見たように、微笑わらった。


「彼らの力か。アスプロスの司祭たちとの力の性質の最大の違いを言えば、その目的だろう。触媒しょくばいを使用して灯りをともしたりする魔法など、一部は彼らと重複ちょうふくしておる。しかし彼らの力は攻撃的で、それらの多くが対象を破壊する。これまでの戦争で重宝ちょうほうされてきたのも、そのためだ」

「アスプロとは真逆なんですね? 破壊する魔法とは、具体的には、どのような?」

「そうだな。炎や水の塊を創り出して相手にぶつけるものから、風を巻き起こしたり、地面を隆起させたり、他にもあるだろうが」


 ダドリーの説明を聞き、エリュースは想像した。

 あのカリスの力は、あの場を破壊するためのものだったのか。またそうできる自信もあったのか。しかし彼女は、それを結局は収めている。荒波を立てず、現状維持を選んだのだ。


「彼らにも得意分野があってな。薬の調合にけている者や、付呪エンチャント――武器や防具に特殊な効果を付加する魔術に長けている者、変化の魔法に長けている者、獣などに力を与え使い魔として従属させることに長けている者など、様々だ」

「使い魔、ですか?」


 聞き慣れない言葉を、エリュースは反復した。


「その魔物は、瘴気しょうきに呑まれたものとはまた違うのでしょうか? 魔導士が魔物を作り出すと?」

「端的にいうと、そうなるな。その手順は、わしは知らぬ。使い魔の強さは個々の特性と、主人である魔導士の力も関係してくるはずだ。一概には言えぬが、オーガなどよりは、よほど賢いであろうな」

「では、蝕によって主人を失った使い魔もいるのでしょうか。そういう魔物は、今も彷徨さまよって?」

「いや、主人を失えば、おそらく長くは生きられぬだろう。そういう意味では、奴らも被害者のようなものか」


 そう言ったダドリーの視線が、彼の手元に落ちた。組まれた手指のしわが僅かに伸ばされ、彼が力を入れたのだと分かる。


「儂は、しょくが憎い」


 ダドリーの口から、強い口調で『しょく』という言葉が零れた。これまでも彼の口から何度か聞いたことがあるが、それは独り言に近いものだった。今回の言葉は、はっきりと自分に向かって放たれている。


「あれが無ければ今も、魔導士は健在だったであろう。あれが、教団に弾圧する理由を与えてしまったのだ。……ウィヒトは、知っておるか?」

「確か、蝕を起こした魔導士の名前、ですよね。それ以上のことは何も――もしかして、お知り合いだったのですか」


 ダドリーならば、その可能性があると、エリュースは思った。当時、彼は三十代で、すでに大聖堂騎士だった。先の戦争で、前線にも行っただろう。

 ダドリーのまぶたが閉じられ、深い溜息が吐かれた。


「良き隣人であった」


 懐かしむように発せられた言葉には、哀しみがにじみ出ている気がした。

 エリュースは黙って、ダドリーの言葉が続くのを待った。


「奴は傲慢ごうまんで自分勝手な男だったが、薄情はくじょうではなかった。一途な男でな、幼馴染だという娘を、それはもう大事にしているようだった。戦争が終われば、正式に結婚すると聞いていた。会えるのを楽しみにしていたのだがな」

「それは、実現しなかったのですか」


 過去形で話すダドリーに、エリュースは確認のために問いかけた。

 それを肯定するように、ダドリーが僅かに頷く。


「奴は、アルム主教領にあった魔導士会の若き長でな。他領の魔導士会からも一目いちもく置かれていた存在だった。あの戦争に従軍していた時、奴と共にいることもあってな。奴が竜巻を作り出し、灼熱の炎と融合させて敵陣に放つのを見た時には、味方ながら震え上がったものよ。怖ろしさと、興奮とでな。奴は正に、彼らが信仰するマヴロスの力を誰よりも、引き出し、制御し、操る能力に長けておったのだ」

「マヴロス……?」


 耳にしたことのない名だ。

 それに気付いたのか、ダドリーが口髭を一撫でして軽く笑った。


「ああ、そうだな。若いお前は聞いたことが無かろう。教団がその名を口にすることも禁じたためだ。司祭にでも聞かれてみろ、すぐに牢にはいれるぞ」


 冗談のように言ったダドリーの言葉が、冗談ではないことをエリュースは知っていた。『むべき神の名』を口にして投獄された者の話を、以前、このダドリーから聞いたことがあるからだ。


「魔導士たちにとっては、マヴロスはアスプロと同等の神だ。闇夜の神(セロン)の血からマヴロスが、涙からアスプロが生まれたのだとな。星の神(セレーン)と、月の神(フェガリ)と、太陽の神(ソール)も、同じ世界神(ソラドゥーイル)なのだという。これも彼らの中で使われている言葉で、アスプロを至高の神と崇める教団では使うことのない言葉だな」

「なるほど……結界士や召喚士は、彼らとは違い『浄化』の対象にはなっていませんが、それはマヴロスを信仰していないから、という理由もあったのですね」

「後付けの理由の一つだがな。教団は『浄化』の際、魔導士のみならず彼らをも対象にしようとしたが、それは実現しなかった。お前も知っての通り、結界士は貴族らが重宝して囲っておったし、教団の中にも少なからず結界士はいたからな。召喚士は――」


 ダドリーが言いかけた言葉は途切れ、深い溜息と共にエールが飲まれた。

 彼の瞳には、遠い過去を思い出しているかのように暗い影が落ちている。


「魔導士たちよりも少数の一族だ。彼らは貴族との付き合いも無く、そもそも精霊スピリットたちとの会話を重要視する者たちだからな。しかし彼らの長であるハンが異端審問院に忠誠のあかしを差し出し、異端審問院かれら預かりで一族は『浄化』からまぬがれたのだ。彼らが大主教側に対抗しる力を欲しているということを、ハンは知っていたのだろう。以後、今日こんにちに至るまで、召喚士たちの行動は制限され、住まう場所すら限定されている。お前に召喚士のことを教えてやった時、保護といえば聞こえはいいと言ったのは、そういうことだ。最早もはや隷属れいぞくと言って良いだろうな」

「それで、なかなか召喚士に出会えないわけですね」


 生き延びるためとはいえ、彼らにとっては屈辱的なことだろう。そうでもしなければ確実に殺されるという思いがあったからこその決断だったに違いない。それほど教団の『浄化』が徹底されていたということだ。


「その、『浄化』をまぬがれるほどの証とは、何だったのですか?」


 以前聞いたことより踏み込んだことを、エリュースは尋ねた。

 ダドリーが少し考えるように顎髭を撫でた後、口を開く。


「腕だ」


 そう言われ、エリュースは比喩ひゆで言っているのだと思った。腕前を買われたのだという意味だと思ったのだ。しかしダドリーが示したのは、自らの右腕だった。二の腕辺りを、彼の左手が掠める。


「ハンはみずからの利き腕を差し出して切断させ、反逆の意志が無いことを示したのだ。一族を護るために、脅威の無い利用価値のある者であることを、ハンは選んだ」

「彼は、片腕になっているのですか……」


 ぞっとしながら、エリュースはハンを思い起こしていた。断罪の広場で見た彼の腕が片方無かったことには、全く気付かなかった。遠目だったこともあるが、灰色のローブで両腕が隠されていたとはいえ、全く違和感を感じなかった。周りに悟らせないよう、彼がつとめているのかもしれない。


 先の戦争では、このアルシラ含む半島は侵略を受けずに済んだ。しかし戦争後の『蝕』そして『浄化』は、半島のほぼ全域を蹂躙じゅうりんし、その爪痕は未だ残ったままだ。人々の命も、貴重な知識や技術も失われた。一方的で理不尽な、忌むべき出来事だと思う。

 改めて考えると、腹立たしくなってきた。


 手元のエールを乾いた喉に押し込み、エリュースはダドリーと視線を合わせた。


「分かりませんね。そもそも何故なぜ、彼が『しょく』をおこなったのか。教団に反逆など起こしたのか。それも戦争の最中にです。彼には何の利もないように思えます」

「お前の言う通りだ。奴が何故なぜ――そう、わしも疑問に思い続けておる。突然、奴が戦場を去ったのは、冬が来る前だった。その後すぐに奴は投獄されたらしく、会えぬまま、知らぬ間に奴は処刑されたのだ」


 悔やむような声で言ったダドリーの眉根は、深く寄せられている。酒の匂いのする溜息が、大きく吐き出された。


「その後に、『浄化』が始まった……」


 エリュースは考えた。そもそも、ウィヒトがそれほどの魔導士ならば、そう易々(やすやす)と捕え投獄できるものだろうか? 『浄化』によって処刑された魔導士たちも、そうだ。いくら教団や異端審問院がアスプロの加護を掲げたとて、魔導士たちには彼らが崇拝するマヴロスの加護があったはずなのだ。自分の持っている力で考えても、アスプロの加護は傷を癒す力に特化している。衝撃波として使えないこともないが、魔導士たちの使う魔法にまともに対抗できるとは思えない。それなのに、大多数の魔導士たちが捕えられ、処刑されたのだ。その事実に、納得出来ない。


何故なぜ、魔導士たちは――抵抗できなかったのですか? 師匠の言うような力を持っているなら……」

「当然の疑問だな」


 ダドリーが、難しそうに眉根を寄せた。


わしの想像に過ぎないが――、おそらく蝕には、彼らの力をぐ作用があったのではないかと思うのだ」

「……ぐ作用、ですか?」

「魔導士たちの力の根源は、精霊力だ。風の力、火の力――それらを、マヴロスから引き出した力を持って制御し、様々な術を行使していた。しかし、それは自然の力の一端でもある。それらを閉ざせば、魔導士たちの力も、自然のことわりも、乱れるのが必然だ」

「ウィヒトは、それを分かっていながら?」

「分かっていないとは考えられぬ。彼奴あやつらは、その道に通じておるのだからな。ゆえに、ウィヒトが蝕を起こした理由が、わしには理解できぬのだ」


 瞼を閉じたダドリーを眺めながら、エリュースは一つの可能性を考えていた。誰かに、蝕をおこなうことを強制された可能性だ。


「師匠は、彼らは全て根絶やしにされたと思われますか。それとも――」


 ダドリーを信頼してはいるが、カイやカリスのことは話せない。デュークライン――デルバートとの約束だ。それでもダドリーがどう考えているのか、エリュースは知りたかった。


 出来る限り、ダドリーを巻き込むつもりはない。過去に異端審問を何度も受けながら彼が平穏に暮らせているのは、教団や異端審問院の政治的な部分に関わろうとしない姿勢もあるのだろうと思う。彼が真正の知識の虫だということは知れ渡っていることで、司祭や審問官が彼を頼ってくることもあるくらいだ。


「いつか会えると良い、そう思っておる」


 ダドリーから返ってきたのは、微かな期待が込められたような呟きだった。

 その言葉を受け、エリュースはそれ以上の言及げんきゅうはしなかった。ダドリーの友人には、ウィヒト以外の魔導士もいただろう。その彼らに、ダドリーは何もしなかっただろうか? 大聖堂騎士団の騎士である彼ならば、『浄化』が始まるという情報も幾分か早く耳にしたことだろう。


「エリュース」


 ダドリーに改めて名を呼ばれ、エリュースは彼の視線を受け止めた。穏やかながら、いつも好奇心が見え隠れしている瞳だ。


「ここからが、本題だ。お前は予言を信じるか?」

「予言、ですか?」


 不穏な響きの言葉だ、とエリュースは思った。

 情報が全くない状態では、肯定も否定も出来ない。

 その様子を見てか、ダドリーが眉を上げ、唇を小さく舐めた。


「いつか黒い髪と瞳の娘が成長した姿で現れ、大規模な災厄が起こる。そういう予言だ。いや、呪いと言った方が適切だな。だから教団は、赤子の内に殺そうとし、実際そうした」

「それは――、ウィヒトがのこした?」

「さすがに、お前は察しが良い」


 そう言い、ダドリーが少し口髭をゆがませて笑みを浮かべた。


「正確な文言は分からぬが、やはり人の口に戸は立てられぬものでな」

「だから――、あんな触れが出ているのですね」


 黒い髪、黒い瞳の赤子を禁忌として、届け出るようにと。そういう触れだ。ようやく、これに関しての違和感がぬぐえた。


 ダドリーが言う予言が示す娘は、カイのことなのだろうか?

 予言の娘は、予言の通り育っている。よりによって聖職者に――おそらくは大主教によって、隠されているのだ。それを陰から見守っている魔導士もいる。訳が分からない。彼らはカイを、一体どうしようというのだ。


 目の端で、微かな風によって蝋燭ろうそくの炎が揺らいでいる。小さくぜるような耳障りな音が、いやに大きく聞こえた。


「災厄とは、どのような……、しょくのようなものでしょうか?」

「それは分からぬな。蝕が再び起これば、また多くの死者が出るだろう。何にせよ、ろくなことにはならぬ」

「ウィヒトは何故なぜそのような予言を……」


 エリュースは考え込んだ。

 何らかの理由で教団に反逆し、逆に捕えられ処刑された男だ。予言を残すほど、悔しかったのだろうか。恨みを抱くとしたら、処刑を決めた教団に対してというのが妥当だろう。


「その『災厄』は、いつ起こると?」

「それも分からぬ。赤子は二人、それぞれ違う時期に殺された。二人目が殺されたのは、今から二十四年前のことだ」

「二十四……」


 聞き覚えのある数字に、何かの暗示なのかと思ってしまう。

 カイは、もうすぐ二十四になるらしい。そう、タオに聞いている。二人目が処刑された翌年に、カイは生まれたのだ。


「その二人目の時、大仰おおぎょうな儀式が行われたのだ」


 ダドリーが、改まった風に言った。


「異端審問院の主導だったが、大主教らも協力したはずだ。あれから二十四年。もうすぐ――そうだな、光誕祭から二十日ほどか。確か、満月の夜だったな。断罪の広場で、予言の効力を失くすための儀式が行われた。それ以降、予言の娘は現れていないことになっている。表向きではな」

「どういうことです?」

「十八年前に、三人目が出たと騒がれたことがあったのだ。当然、その娘は捕らえられた。だが処刑されることなく、姿を消した。移送する異端審問官が途中で襲われ、殺されたらしい。殺人犯にたまたま遭遇したのか、それともその娘に殺されたのか。真相は分からぬままだ」


 エリュースは、ダドリーが話した内容に驚いていた。自分が生まれる前の話とはいえ、全く知らなかったのだ。


「お前が知らなくても仕方あるまい。大主教が教団関係者に箝口令かんこうれいを敷いたからな。無闇に民衆を怯えさせないためと言えば、聞こえはいい。異端審問院も、まさかあの儀式が功を奏していないなどと、表向きには認めるわけにはいかなかったのだろう。若い審問官などは当然そう信じているだろうし、実際に儀式に参加した者たちも、本気でそう思っているようだ。だからこその式典なのだ、エリュース」

「あ……、そうか、二十五年目?」


 当初の話に戻り、エリュースは呟きながら合点がてんがいっていた。

 

「式典は、予言の効力を失くすための儀式の、二十五年目の節目ふしめを祝うためのもの。異端審問院の威光を、教団や民衆に示すためのものなのですね」

「そういうことだ。だから異端審問院かれらは、最近(せわ)しないのだ」

「よく、分かりました。ありがとうございます」


 納得し、エリュースはダドリーに礼を言った。

 さすがに彼は、事情もよく知っている。


「ところで、質問の答えはどうだ? エリュース」

「え?」

「お前は、予言を信じるか?」


 再び問われ、エリュースはダドリーを見つめた。自分が信じるのは、この目で見て感じたことだけだ。


「ウィヒトが遺した予言が存在していることは、信じます」

「ほぅ」

「ですが、予言が現実のものとなるなどとは、信じません」


 はっきりと、エリュースは答えた。

 脳裏には、花冠に触れて幸せそうに笑うカイがいる。邪気の欠片も感じない笑顔だ。彼女が予言の娘だったとしても、カイはカイに違いない。タオも、きっとそう言うだろう。


 ダドリーが珍しく、大きな声を上げて笑った。


「エリュース、実にお前らしい答えだ」

「それは、どうも」


 められたのか、揶揄からかわれているのか分からず、エリュースは頭を掻いた。


「ところで――その儀式とやらは、どういうものだったのですか?」

「ああ、二人目の赤子を生贄いけにえに捧げたのだと聞いている」

「生贄!?」


 その言葉に、エリュースは驚きのあまり立ち上がっていた。机に両手をつき、ダドリーに詰め寄る。


「ああ、そう聞いているが……エリュース?」

「生贄――」


 エリュースは、背筋が冷たくなるのを自覚していた。

 二十五年目の式典で、異端審問院は何をするのだろう? もしや儀式を再び行おうとしているのではないのだろうか? 前回も大主教が協力をしたとダドリーは言っていた。カイを生かしているのは、生贄に使うためなのではないだろうか?


「師匠、お願いがあります!」


 エリュースは、真っ直ぐにダドリーを見つめた。

 驚いている彼が、それでも内容を聞こうとしてくれている。それを感じとり、エリュースは少し息を整えることが出来た。


「ウィスプの森に、どうしても早く行かなければならないんです。お願いです、もう一度、調査依頼を出してくれませんか」

わけは、話せぬのだな?」

「今は……すみません」


 アルシラを出るために、どうしても依頼が要る。しかし通常の依頼を受けては、それを終わらせてから移動することになるため、日数経過は避けられない。ましてや討伐依頼ならば、その終わる目安も立てにくい。


「分かった、なんとかしよう。だが、数日はかかるぞ」


 願っていたダドリーの言葉に、エリュースは心の底から有難く思った。


「ありがとうございます! この御恩は必ず、」

「まぁ、そう恩に着らずとも良い。いつか話して聞かせてくれればな」

「はい、いつか必ず」


 話せる時が来るといい、そう思う。

 生きて帰って来られれば、きっと話せる時は来るはずだ。

 依頼をアンセルから受けられるようになるまでに、デルバートを捕まえねばならない。あの男は、大主教とカリスの両方と通じている。少なくとも、自分たちが知らない情報を持っているはずなのだ。


「師匠、大主教様の侍従のデルバート卿に――個人的に会うにはどうしたら?」

「デルバート卿? ああ、ノイエン候だな。ならば、この丘を西に下ったところの宿舎を訪ねるといい。犬には気を付けろよ」

「ありがとうございます! では、つ前にはまた寄ります」


 デルバートに会う時は、タオをともなった方が良いだろう。まずは旅の準備だ。

 ダドリーに礼を言い、エリュースは図書室を後にした。



* * *



「ノイエン候、か。また危なそうなところを訪ねるものだ」


 ダドリー・フラッグはエリュースを見送った後、小さく溜息を吐いた。

 確か、大聖堂の司祭がノイエン候を相手に不遜ふそんなことをしたと、左遷させんされたことがあったのだ。厄介なことにならねば良いが、と思うが、エリュースならば上手うまくやるだろうとも思う。


 ダドリー・フラッグは鎧戸を上まで上げ、外を眺めた。冷たい風に顔を晒せば、髭の無い肌の部分が痛いほどだ。丁度、塀の上から北の丘が見え、そこには異端審問院と断罪の広場の屋上部分が見えている。


 恒久的な安寧を願い、これまでの平穏を祝う式典になるだろう。禁忌とされた赤子とはいえ、生贄に使われたことは哀れという他はない。赤子の無垢な魂が、儀式に必要とされたのだ。どうしても災厄を避けるために必要な犠牲だったと言うならば、せめてこの穏やかな時を長く維持してくれることを願う。


 今回、エリュースが魔導士や魔法について真面まともに聴き、かつ積極的に質問したことにダドリーは少し驚いていた。こちらからもあまり深くは話さなかったが、こういう話題を、これまでエリュースは避けていたように思う。危ないものには近寄らない姿勢だったのだ。

 おそらくはウィスプの森に、誰か大事な知り合いが出来たのだろう。その誰かは、おそらく禁忌に近いか、もしくは、それそのものなのかもしれない。


「さて――、依頼をかけるにも、手間はかかるのだがな」


 森に行ったためにエリュースが何かに関わったのだとしたら、明らかに発端を作ったのは、この自分ということになる。何とかしてやる必要があるだろう。

 それに何より、自分を師と呼ぶ、可愛い弟子のためだ。


 そういえば、最近はスバルが訪ねてこない。どこで何をしているのやらと思うが、まぁ奴のことだ、元気にやっているのだろう。


 ダドリーは執務机に戻ると紙を広げ、羽根ペンを手に取った。





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