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20 花冠の祈り

「あ! 帰ってきた!」


 塔の裏から出てきていたルクが、こちらを向くなり目をいた。慌てたように中へと入っていく。

 タオは不安に駆られ、エリュースたちと顔を見合わせた。


「遅くなったからなぁ」

「だな」


 空を見上げれば、太陽は随分と傾いている。虫のが鳴り、森の樹々の影も濃くなってきている。隣でサイルーシュが、両腕で体を抱くようにして震えた。気温が下がってきているのだ。


 裏から、デュークラインが姿を見せた。何故なぜか自分たちを見て、あきれたような顔をする。


「おい、一体どこを通ってきた?」

「え?」


 デュークラインの言葉に、タオはみずからの体を見下ろした。言われてみれば、赤黒く変色した血の跡が衣服に残っている。それは、返り血を少なからず浴びたスバルやサイルーシュも同様だった。エリュースは比較的汚れていないが、何やら粉っぽいものにまみれているのはみな同様だ。おそらく、花の花粉だろう。


「あはは……ちょっと、いろいろありまして」

「だろうな」


 溜息を吐いたデュークラインが、サイルーシュが抱えている花に目を止めたように見えた。感情をあまり露わにしている印象がない目元が、僅かに緩む。


「苦労をけたな」

「い、いえ! 俺たちも、小妖精ピクシーの花畑なんて、観られる機会はそうそうありませんから」


 彼からねぎらわれるとは思わず、タオは慌てた。明らかに、デュークラインの自分たちに対する態度は軟化しているように思う。それが何故なぜかは分からないが、あれから彼の中で心境の変化があったのかもしれない。それは素直に有難いと、タオは思うことにした。


「とにかく、お前たちは汚れすぎだ。湯を沸かしてやるから、身綺麗にしろ」

「え! いいんですか!?」


 更に有難い提案を受け、タオは喜んだ。汗と血と泥と花粉にまみれている体を湯で拭けるのは、本当に願ってもないことだ。それに、このまま再び大主教一行と合流しては、何をしていたのかと問われかねない。

 

「構わん。その恰好ではカイが怖がる」


 きびすを返して台所の方へ入っていくデュークラインの後を、タオは追った。そこには、ルクが木製のおけを持って待ち受けるように立っている。


「旦那。風呂を作るのか?」

「ああ、ついでにカイも入れる」

「分かった」


 軽い足取りで、ルクが湖の方へ駆けていく。

 

「ルク! 俺も手伝うよ!」


 タオはエリュースにサイルーシュのことを任せ、台所の端に置かれている二つの重ねられている桶を手にした。使っていいかをデュークラインに問い、少し驚いているような彼から頷きをもらう。サイラスの家でもしていることで、タオにとっては条件反射的な行動だった。風呂に湯を張る仕事は、一週間に一度の大事な仕事なのだ。


 先に行ったルクに追いつくと、彼は湖に足を浸しながら、桶に水をんでいた。


「どのくらい汲む?」

「いつもは旦那と、三往復くらいだ」

「へぇ、デュークラインさんも一緒に汲むんだね」


 全てルクに言いつけてやらせているのかと思いきや、そうでもないらしい。


 タオも靴を脱ぎ、素足で湖に入った。想像していたよりも、ひやりと冷たい。この辺りはヨシの群生が無く、水を汲むには丁度良い場所のようだ。

 二つの桶に水を汲むと、タオは片手ずつ下げた。そのまま岸に上がって歩き出すと、ルクが付いてくる。


「お前、意外に力あるんだな。これなら、いつも通りだ」

「ハハ、ありがとう。これでもきたえているんだよ」


 筋肉はそれなりに付いていると自負しているが、意外だと言われることはよくあることだ。役に立つと喜んでくれたなら良かった、と思う。


「急ぐぞ。日が暮れる」


 そう言い、ルクが足早に先行していく。

 彼も体の割に力持ちだと思いながら、タオもその後を追った。





 腰まで浸かれるほどの木製の風呂桶で湯を使わせてもらい、タオは濡れた髪を両手で掻き上げた。台所の端に置かれている風呂桶から見上げる空は、日が暮れた直後の薄明はくめいで雲が赤く染まっている。その下では、デュークラインが塔の壁に背を預けたまま、同じように空を見上げていた。帯剣をしている彼が外側にいてくれるお陰で、安心して丸腰で湯を使えているのだ。


「タオ、ほら」

「ありがとう」


 エリュースが寄越してくれた大判の布で濡れた体を拭き、タオはそのままそれを体に巻き付けた。旅の中、止むを得ず野宿する際にも使う布だ。着ていた汚れた衣服は、脱いだ途端にルクに持っていかれてしまった。ゆえに、着る物がない状態なのだ。

 スバルは頭から布を被り、さっぱりした顔をしている。


「あはは、まさかここに来て、こんな格好になるなんて思わなかったよ」

「ですね」


 ここで、あの貴婦人が風呂を使うとは思えない。となれば、やはりこれはカイのためにデュークラインが作ったものなのだろうかと思う。


 風呂を使う前にカイに顔を見せると、心配させていたのか、ほっとしたような顔をしてくれていた。花籠を見せると、驚きと感嘆の声が上がった。花に触れる彼女の指先は、震えていたように思う。おそらく初めて目にする鮮やかな花々が、カイに笑顔をもたらしてくれた。彼女の涙ぐんだ笑みの前には、今回の苦労などあっさりと吹き飛んでしまう。

 サイルーシュが、今もカイに花畑の様子を話していることだろう。


「けっこう鍛えてる体してるんだねぇ。意外だよ」

「ルクにも言われましたよ」


 スバルを振り返りながら苦笑いし、タオはデュークラインに近付いた。すぐに気付いた彼が、壁から背を離す。


「終わったなら、中に入っていろ。ルクが暖炉に火を入れている。それから、サイルーシュに代わってやるといい」

「カイはどうするんです? ルゥと一緒に?」

「お前がそれでいいと言うなら、そうするが――」


 言葉を止めたデュークラインが、軽く笑った。


「いや、別の方がいいだろう。安全は保障してやるが、お前がここに居たいなら代わってやる。ここなら、あまり風も当たらん」

「じゃあ、そうします。ちょっと、待ってて下さい」


 デュークラインの言葉の意味がよく分からないまま、タオは台所の奥に戻った。扉脇に立て掛けていた剣を手にする。薪が弾ける音がし、肌に温かい空気が触れることに気付いた。知らぬ間に壁際の大きな炉に火が入れられており、鉄鍋がそこに掛けられている。開けたままになっている扉から中を覗き込み、タオはサイルーシュを呼んだ。


 軽い足音が近づき、サイルーシュが布を手にやってきた。そんな彼女に、少し恥ずかしそうに目を逸らされる。タオは自らの恰好を自覚しているため、笑うしかなかった。

 

「ねぇ、カイは一緒にじゃないの?」

「別の方がいいだろうって、デュークラインさんが」

「あら、そうなの?」


 不思議そうな顔をしながらも、サイルーシュが外に出てくる。外を向いて立っているデュークラインに気付いた彼女が、少し歩を緩めた気がした。


「外を見張ってくれているの?」

「うん。でもルゥが使っている間は、俺があそこにいるね。絶対にそっち見ないから、何かあったら声をかけて」

「そ、そう」


 ほっとしたようなサイルーシュを残し、タオはデュークラインの元へ行った。


「代わります」

「ああ、終わったら声をかけろ」


 去り際に肩に手を軽く置かれ、タオは上擦ってしまった声で応えた。台所を抜け、そのまま中へ入っていったデュークラインを見送り、少し嬉しいような気分を自覚する。


「タオ、後ろ向いてて」

「あ、ああ、ごめん!」


 サイルーシュに言われ、タオは慌てて外を向いた。


 驚いた。デュークラインはこの自分を、ある程度は認めてくれたということだろうか。彼のことは、まだあまりよく分からない。理解出来ない部分もある。それでも、この場を信頼して任せてくれたことは、確かだろう。それを裏切ることはしたくない。


 見上げれば、赤い色に染まっていた空が、いつの間にか暗くなってきている。

 背中の向こうでサイルーシュが肌をさらしているかと思うと妙に緊張してしまうが、今は見張り役に集中と、タオは自身に言い聞かせた。

 


 しばらくの後、サイルーシュが驚いた声を上げるのを聞いた。振り向くと、彼女の脱いだ服を両腕にかかえたルクの姿があった。彼女はすでに風呂桶から出ており、持ってきていた布を胸元に当てているのか、後ろ姿は完全に裸だ。


「わっ!」


 タオは慌てて外を向いた。目に焼き付いたサイルーシュの後ろ姿に、心臓がせわしない。女性ならではの丸みを帯びたラインを、どうにか思い出さないように努める。


「もう! こんな布だけでどうしろっていうのよ」


 困ったようなサイルーシュの声が、背中の向こうで上がっている。


「はは……後で洗濯してくれるらしいけど……」

「それは有難いけど……タオたちはそれでいいんだろうけど……! これじゃあ中に戻れないじゃないの」


 中に入るのを躊躇ためらうサイルーシュの気持ちも分かる。しかしこのまま外にいれば、風邪を引いてしまうだろう。


「そっち向いていい? ルクに言って取り返してくるから――」

「え、うん、タオなら、いいわ」


 許可をもらい振り向くと、布に包まったサイルーシュの姿があった。確かに、この格好で皆の前に出すのは自分自身、嫌だと思う。しかしルクを探すにも、ここに彼女一人で置いておくのも不安だ。


「どうした」


 声を聞きつけたのか、デュークラインが中から出てきた。その腕には、見覚えのある白いローブが掛けられている。サイルーシュが小さな悲鳴を上げ、タオの後ろに隠れた。


「――ああ、着替えだな」

 

 合点がいったように、デュークラインが言った。

 布だけのサイルーシュの恰好を見ても、まるで動じていない様子だ。腕に掛けていたローブを、差し出してくる。


「服が乾くまで、これを着ているといい」

「それって、カイの? いいんですか?」

「新しいものだ。もう一着あるから構わん。着心地は悪くないはずだが」

「ありがとうございます!」


 タオは白いローブを受け取り、礼を言った。背後から顔を出したサイルーシュも、しっかりと礼を言う。

 僅かに頷いた彼は、すぐに背を向けて中へ戻っていった。


「タオ、向こう向いてて」

「あ、はい!」


 再び、タオは慌ててサイルーシュに背を向けた。肩に湿った布が掛けられたので、それを手元に引き寄せて丸める。


「もういいわよ」


 そう言われ振り返ると、輝くような白いローブをまとったサイルーシュが笑顔で立っていた。長いすそを両手でひらひらとさせながら、嬉しそうだ。


「似合うよ、ルゥ」


 そんな彼女が、可愛らしく思う。

 タオは彼女の濡れた髪に布を被せ、その栗色の長い髪に口付けた。



 テーブルの部屋に入ると、心地良い暖かさに包まれた。エリュースとスバルが、コップを前にテーブルでくつろいでいる。布一枚の男だらけというのは、なんとも可笑おかしな光景だ。


「お、けっこう似合うじゃないか、それ」


 サイルーシュにそう言ったのは、エリュースだった。スバルも隣で頬杖をつきながら笑みを浮かべている。


「うん、なかなかいいね」

「あ、ありがとう」


 照れたように被った布を両手で握りながら、サイルーシュがいていた椅子に腰かけた。すでに、テーブル上には自分たちの分と思われるコップが置かれている。香りからして、林檎酒のようだ。


 奥から出てきたデュークラインの両腕には、カイがかかえられていた。


「もう少ししたら夕飯ができる。待っていろ」

「何か手伝います!」


 率先して声を挙げたのは、サイルーシュだ。濡れた髪を、布で器用にまとめている。


「服も貸していただきましたし、ぜひ、お手伝いさせてください」


 立ち上がってデュークラインに歩み寄ったサイルーシュを、タオは止めなかった。彼女の性格上、こうなったら手伝わないと気が済まないところがあるのだ。

 デュークラインが少し困ったように眉根を寄せたが、それも僅かだった。腕の中のカイが、サイルーシュと微笑ほほえみ合っている。それに気付いたのか、彼が二人に視線を落とした。


「分かった。では、少し手を貸してもらおう」


 その言葉に表情を明るくしたサイルーシュが、裏へと向かう彼の後を付いていく。

 タオはそれを見送り、林檎酒に口を付けた。



* * *



 台所では、ルクが食事の支度に取り掛かっているようだった。そんな中、デュークラインがカイを抱いたまま、風呂桶へと向かう。サイルーシュは、それを追った。外はもうすっかり日が落ち、虫のが響いている。


「湯を足しておいたぞ、旦那」


 ルクが火のともった皿状のオイルランプを、かたわらの台に乗せに来た。それでも、風呂桶の中がかろうじて照らし出されている程度だ。畳まれた白いローブは、少しランプから離して置かれる。そこにはすでに、自分たちも使ったような小さめの布も置かれていた。


「いつもは部屋で脱がせておくんだが、カイが嫌がってな」

「あら、それは……当然かと思います。あっちには貴方あなた以外の男たちがいますもの。ねぇ、カイ」


 デュークラインに抱かれているカイに話を振ると、彼女が恥ずかしそうに頷いた。


「そう、か」


 少し驚いたように、デュークラインがつぶやいた。まるで謝るように、デュークラインの大きな手がカイの頭を撫でる。


「すまないが、少しの間頼む」

「はい」


 風呂桶の傍に立つように下ろされたカイを、サイルーシュは抱くようにして支えた。そうして、カイの脆弱ぜいじゃくさに驚く。確か右足に包帯があったのだ。そう思った時には、デュークラインがカイの足元にかがんでいた。足首の包帯を解いているようだ。暗がりでよく見えるものだと、サイルーシュは感心した。


「もう少し、頑張っていろ」


 どちらに向けたものか分からない言葉を掛けられ、サイルーシュは返事を遠慮しながらもカイを支え続けた。デュークラインによって、カイのローブが引き上げられる。両手を抜き、完全に腕の中で裸になったカイが、小さくかぶりを振った。髪が目に入ったかと、サイルーシュはカイの額から前髪を後ろへ撫で上げてやる。するとカイが振り返り、楽しそうに笑った。


「ルゥと、一緒に入りたかったな」

「そうね」


 確かに、女同士、こうしてお喋りをしながら湯を使うのも楽しそうだと思う。そう思い同意を返しながらも、サイルーシュは『別で』と言われた理由を、今は納得出来ていた。こうしてデュークラインがカイを介助するなら、彼に自分の裸を晒すことになるからだ。自分が全て介助してあげられればいいが、初めてでは勝手が分からない。


 デュークラインがこちらを気にすることなく自らのベルトを外し、上衣のコット(※丈長のチュニック型の衣服)を脱いだ。引き締まった筋肉質な体が、あらわになる。彼が身に着けているのは、黒いホーズ(※足先から太腿までを覆う履き物)とブレイズ(※下着)のみだ。


 真面まともに見てしまい、サイルーシュは慌てて目を逸らした。しかし微かなチェーンの音が聞こえ、そろりと視線を戻す。彼の首に、銀のペンダントが掛けられているのが見えた。紫がかった深い青色の宝石が嵌め込まれたそれは、印象的な銀の装飾に彩られている。渦のような、つたのような銀細工に、宝石が絡めとられているかのようだ。カイに伸ばされた彼の右手親指にも、宝飾品を見つけた。幅広の指輪だ。その銀細工の指輪には、見たことのない黒い石が嵌め込まれている。


「おいで」


 デュークラインの呼び掛けに、カイが細い腕を伸ばした。サイルーシュの腕の中から丁寧に抱き上げられたカイが、風呂桶に張られた湯の中へ下ろされる。途端、びくりと震えたカイが小さな声を上げてデュークラインの胸元にすがり付いた。


「どうしたの!?」

「まだみるか……。少しの間、こらえていろ」


 デュークラインの言葉に、サイルーシュはかがみ、カイの体に改めて目を向けた。そして、息を呑む。少し膨らみを帯びた胸元には火傷痕があり、引きれを起こしているようで痛々しい。ランプに照らし出されているそれは、いびつな円を描いているように見える。


「カイ」


 あまりのむごさに、サイルーシュは震えた声でカイを呼んでいた。

 タオから、カイが傷付けられていることは聞いている。その相手が、どこかから来る聖職者かもしれないことも聞いた。しかしこれは想像を超えている。自分の身にこんなことが起これば、生きていられないだろうとさえ、サイルーシュは思った。


「ルゥ?」


 デュークラインに背に湯を掛けられながらなだめられているカイが、その顔を上げた。濡れたような瞳と、目が合う。途端、何故なぜか慌てたように、カイが手を伸べてきた。その指で、頬に触れられる。そこで初めて、サイルーシュは自分が泣いていることに気が付いた。


 カイから向けられる微笑みがまるで幸せそうなものに見え、混乱する。


「大丈夫。わたしは大丈夫だから、泣かないで、ルゥ」


 自分が慰められていることに、サイルーシュは慌てた。こうされていると、カイが年上の女性に思えてくる。実際、そうなのかもしれない。


「サイルーシュ。ここはもういい。ルクを手伝ってもらっていいか?」


 穏やかな声で発せられたデュークラインの提案に、サイルーシュは涙を拭いて頷いた。




 ゴブリンのルクを手伝い、出来た料理を皿に盛る。驚いたことに、ルクの手際の良さは母親を越えていた。ハーブを擂粉木すりこぎで潰したり、塩漬け肉を切ったりと、小さな体がテキパキと動く。これは見習うべきだわ、とサイルーシュは感心しきりだったのだ。お陰で、少しは気持ちが落ち着いた。 


 ゴブリンのことはよく知らないが、これほど勤勉で話しやすいとは思わなかった。人ともうまくやっていけそうに思うが、タオが言うには、彼が特別なのだそうだ。


 カイの傷痕は怖がるべきではないのだろうと、サイルーシュは思った。デュークラインが隠さなかったのは、カイの友人として認めてくれようとしているためなのかもしれない。ただ、カイが可哀そうでならなかった。きめ細かな肌を無慈悲に傷つけられているさまに、怒りを覚える。カイは、もっと怒って良い。そう思い、サイルーシュは哀しくなった。カイには、おそらく心の内をぶつける相手すら、いなかったのだ。


 気付けば、白いローブに包まれたカイを抱いたデュークラインが、戻って来ようとしていた。カイは少し疲れた様子で、デュークラインの胸元に体を完全に預けている。慣れた手つきで濡れた髪を指でいてやっているデュークラインのさまは、彼の無感情な表情とは裏腹に、カイをいつくしんでいるように見える。カイが彼を見上げて小さく何かを言うと、それに対しデュークラインの表情が和らいだ。彼がカイを大事にしていることは、確かなことのようだ。そのことに、サイルーシュは安堵した。


「ルク、その鍋を持っていくわ」

「お、助かる」


 喜んでいると分かる表情のルクに、笑みを返す。

 出来上がっているスープの鍋を、サイルーシュは両手で持ち上げた。




 食欲をそそる匂いが室内に広がり、男たちが一様に喜んだ。サイルーシュとて、ルクを手伝いながら、その良い匂いに摘まみ食いを我慢していたのだ。素直に、食事ができることが嬉しいと思う。


 デュークラインがカイを抱いたまま戻ってくると、皆の視線が、彼らを追うように動いた。デュークラインは、上衣を脱いだままだ。彼の体付きに興味があるのかもしれないと、サイルーシュは呆れた。従士同士の演習などの際、誰の体付きが立派だとか、そういう話をよくしているのを聞くのだ。


 エリュースが少し難しい顔をし、あごに片手を当てている。それを不思議に思い、サイルーシュは彼に寄った。彼は奥の部屋に入っていったデュークラインに、視線をやったままだ。


「どうしたの?」

「いやぁ、男が宝石のペンダントって、珍しいからさ」

「あ、そっち? でも、お金持ちの商人とか、貴族の方とかは着飾っているでしょ?」


 サイルーシュは町で見かける人々を思い出しながら、自分の記憶は正しいと頷いた。それに対し、エリュースがまだ納得がいかないような顔をする。


「それなら、見えるように着けるだろ。あんな風に肌身に隠して着けるのは、お守りか何かかと思ってさ」

「それもそうだけど、綺麗な指輪もしてるわよ? あの人って、案外どこかの貴族なんじゃないの?」


 自分に伝えていないことがあるのではというつもりで言ってみるも、エリュースの反応は微妙だった。指輪のことに気付いていなかったのか、戻ってきたデュークラインの手元を見ている。これはもう、彼は何らかの思考に浸かっている状態だ。

 サイルーシュはそんなエリュースを放っておくことにし、ルクを手伝いに台所へ戻った。




 四半鐘間(※約45分)が過ぎた頃。

 ルクの料理によって空腹が満たされた後、サイルーシュは再び、台所へと戻っていた。夕食の前の祈りが行われなかったことには戸惑ったが、それについてデュークラインに聞くことはしなかった。ここは彼の領域であり、彼のやり方に意見できるほど、まだ彼のことを知らないからだ。

 何も言わずとも付いて来てくれているタオを、サイルーシュは振り返った。


「確かね、ルクが、花が枯れないようにって池に」

「池!? もう暗くて見えないんじゃあ……」

「そういえばそうよね。灯りを貸してもらわないと――」


 そう言いながらも台所を抜け、外を見渡す。そこでサイルーシュは、目を疑う光景を見た。池が光っている。よく見れば、掌ほどの大きさの、人に似た姿をした羽のある妖精フェアリーが集まっている。それは池に浸けられた花々の周りで、細かな粒子の光を放っているのだ。


小妖精ピクシーだよ、ルゥ」


 そう言うタオの声にも、感嘆の響きがあった。予想だにしていなかった幻想的で美しい光景に、言葉も出ない。


 ゆっくりと近付いて行くと、彼らの緑葉色の瞳と目が合った。感情の読めない瞳に、こちらの心を見透かされているのではと思う。

 サイルーシュは、池の傍にしゃがみ込んだ。花は水草のお陰で沈み込まず、まるで元々ここに生えていたかのように花弁を広げている。


「カイと花冠を作るの。持っていってもいいかしら?」


 触れる前に、彼らに問う。鈴の鳴るような高いささやき声が重なり合った、彼らの言葉は分からない。しかし花から少し離れてくれた小妖精ピクシーたちに、サイルーシュは礼を言った。


 そっと花々を引き上げ、タオが差し出してくれた籠に入れる。摘み取ってから確実に一と半鐘間(いちとはんしょうかん)(※4.5時間)以上は経っている筈なのに、不思議と、花々には光輝くほどの生気が溢れている。良い香りだ。


 ランプが灯されている台所まで戻ったところで池を振り返ると、すで小妖精ピクシーの光は消えうせていた。まるで、花を取りにくるのを待っていたかのようにも思える。


「カイは、彼らの言葉が喋れるみたいなんだ」

「そうなの!? すごいわ。本当に、夢みたいだった……」


 伝承に出てくる本物の小妖精ピクシーに出会えたことに、サイルーシュは興奮を抑えきれなかった。暗い外を見ていると先程の光景が嘘のように思えてくるが、手にしている籠の中には、確かに光の中から引き上げた花々があるのだ。これで花冠を作れば、それは美しいものが出来上がるだろう。カイの喜ぶ顔が目に浮かぶ。


しおれちゃわないうちに、作りましょ!」

「うん、そうだね」


 タオが笑顔で頷いてくれる。

 その恰好が布切れ一枚というところが、いつもと違い可笑おかしいところだ。


「ところで、寒くないの?」

「平気だよ。でも、ルゥといるからかも」

「え?」

「ルゥといたら、不思議と寒くないんだ」


 綺麗な笑みを浮かべて平然とこういうことを言うのが、タオという男なのだ。

 サイルーシュは急に熱さを感じながら、その笑顔をしばし見つめた。





 「――出来た!」


 小さいながら弾んだ声を上げたカイが、完成した花冠を掲げた。人差し指の第一関節ほどしかない小さな青い花が、所々にあしらわれている。芯の周りにびっしりと花弁が並んでいる花は比較的大きく、色も様々なものがあるが、カイが使ったのは至極薄い紅色の花だ。指先の爪ほどの大きさもない小さな白い優しげな花――フィロの集まりが、その二つの色を調和させている。フィロはアルシラでもよく見かける花で、聖堂の司祭たちも好んで祈りの場に飾るのだ。


「私も完成ー!」


 サイルーシュも、ほぼ同時に花冠を完成させた。久しぶりに作ることに少し不安もあったが、なかなかの出来だと思う。

 二人して花を広げているので、ベッドの上は、さながら花畑のようになっている。


 花冠を作ろうとした時、デュークラインから新たな提案があった。衣服も乾いていないことに加え、外はもう暗い。都合が悪くなければ、一晩泊まるといい。そんな願ってもない提案だった。もしかしたら、彼は自分たちが花畑から帰ってきた時から、そのつもりだったのかもしれない。

 ゆえに、月光石がっこうせきとオイルランプで明るくされたカイの部屋で、花にまみれて遊んでいるというわけなのだ。


 タオとエリュースは板張りの床に座り込み、それぞれ花冠を作り上げている。扉が開け放たれたままになっている暖炉の部屋を見れば、スバルが手元で花をいじって何かを作っており、デュークラインはそれを眺めているようだ。


「その青い花、可愛いわよね。花弁はなびらが星みたい」

「これ、エルの本に載ってた。カエルレウム」

「エルの本って花の本なの?」

「うん。五枚の花弁はなびら。形と色が似てる。だんだん、青が濃くなるんだって……」


 出来た花冠を眺めているカイは、少し眠くなってきたように見える。自分も釣られて眠気を感じながら、サイルーシュはカイに身を寄せた。応じるように身を寄せてきたカイが、嬉しそうに笑う。


「カイは、青が好きなの?」

「うん、好き。空の色。きれい」

「そうね」

「デュークのは、夜の空みたいなの」


 思慕をにじませたような目をして、カイが微笑ほほえんだ。その笑みに、思わず見惚れてしまう。


「カイって、ほんとに可愛い」


 衝動のまま優しく抱き締めると、カイが楽しそうに小さな笑い声を零した。

 ふと、頭に何かが乗せられたことに気付く。

 それを見たカイが、喜色を帯びた笑みを浮かべた。


「ルゥは、とってもきれい」


 片手で乗せられたものに触れてみれば、それが花冠だと分かる。いつの間にかベッド脇に来ていたタオが、傍に腰を落としている。


「うん、似合うよ、ルゥ」


 そう言うタオの笑みには、確かな愛情がこもっているのを感じる。

 頬が熱くなる感覚に、サイルーシュは両手で頬を押さえた。


「俺には乗せてくれないの?」


 にこにこしながら、タオが言う。彼の傍らでは、エリュースが面白そうな表情でベッドに頬杖をついている。花冠を膝に乗せたままのカイの表情は、興味深々といった様子だ。

 サイルーシュは恥ずかしく思いながらも、タオの頭に花冠を乗せた。色とりどりの大きめの花とフィロを組み合わせたものだ。満足げな笑顔が、タオの顔に広がる。それを見て、サイルーシュも嬉しくなった。


「カイは、やっぱり手先が器用だな。綺麗に出来てる」


 そう言ったのは、エリュースだ。普段は憎まれ口をよく聞くはとこ(・・・)の口から出た誉め言葉に、サイルーシュは密かに驚いた。確かにタオとはまた違う人当たりの良さがある彼だが、カイを見る眼差まなざしには、自分には向けられたことのない種類の優しさがある気がする。それを本人が気付いているのかは分からない。対するカイは無邪気な笑みで、嬉しそうに手元の花冠を見つめている。


「カイは、それ、どうしたい?」


 エリュースが、優しくカイに問いかけた。

 顔を上げて彼を見たカイが、その視線を奥に向けた。暖炉の部屋の方だ。


「分かった、ちょっと待ってろ」

「エル?」


 作った花冠を自らの頭に乗せたエリュースが、立ち上がってカイの頭を片手で撫でた。そうしてから、暖炉の部屋に入っていく。

 すぐに、何やら残念そうなエリュースの声が上がった。それからそこにいる二人に向かって――というよりは、デュークラインに向かって、「それじゃだめだ」の、「もう少し頑張れ」だのと小言のようなことを口にし始めた。

 喧嘩をしているようには聞こえないため、カイも不思議そうに視線をやっている。


 しばらくして戻ってきたエリュースが引っ張ってきたのは、デュークラインだった。可笑おかしそうに笑いながら、スバルも付いて来ている。


「デューク!」


 嬉しそうに腰を浮かせたカイが、両手で花冠を差し出した。それを前に、デュークラインが少し驚いたような顔をする。そんな彼に対し、カイが伺いを立てるように彼を見上げた。


「デュークに、乗せても、いい?」


 そう言われたデュークラインが、観念したかのように小さな溜息を吐き、彼女の前に膝をついた。

 そんな彼の頭に、カイの手によって花冠が乗せられる。


「デュークに、神様のご加護がありますように」


 祈りのように紡がれた言葉には、打算の欠片も感じられない無垢な優しさに溢れていた。それほど、カイの微笑みには透明感があり、真っ直ぐにデュークラインに向かっていたのだ。

 驚いたように顔を上げたデュークラインの表情が一瞬、つらそうに歪んだように見えた。


「けっこう似合うじゃないか、デュークライン」

「アハハハ、ほんとだ!」


 揶揄やゆするように声を上げたのは、エリュースとスバルだ。

 スバルが腕を伸ばし、カイの首に花の首飾りを掛けた。幅広の舌状の花弁が幾重にも重なっている花は、華美な中にも可愛らしさがうかがえる。特に濃淡のある赤い色のものが多く、それは白いローブによく映えた。


「わぁ! ありがとう、スバル」

「うん、似合うね。ほら、おじさんも乗っけてあげなよ。せっかく怒られながら完成させたんだしさぁ」


 スバルがデュークラインを急かすようにうながした。眉根を寄せたデュークラインが、珍しく困ったような顔をする。


「こういうことは得意ではなくてだな……」


 そう言いながらも、彼が背に回していた手で花冠をカイに差し出した。少しいびつながら、白を基調として淡い色が配された花冠だ。

 それを見たカイが、嬉しそうに彼を見た。

 彼の武骨な手によって繊細な花冠がカイの頭に乗せられると、更にカイは破顔した。頬を染め、嬉しくてたまらないというふうに、髪に絡む花に触れては頬を緩める。


「ありがとう、デューク。似合う?」


 笑顔で礼を言ったカイに対し、デュークラインの応えはすぐに返らなかった。それを不思議に思い、サイルーシュは彼を見上げる。そこには、言葉に詰まったようなデュークラインがいた。片手で自身の口元を覆い、カイを見つめている。ふいに何かに気付いたような、そしてそのことに驚いているような、言葉にならない感情が彼の中にあるような――そんな気がした。


 ややあって「ああ」とだけ答えたデュークラインの掌が、花冠を落とさないよう、カイの髪を僅かに撫でた。それだけで、カイは嬉しそうだ。もう少し気の利いたことを言えばいいのにとサイルーシュは思ったが、口にするのは止しておいた。世の男が皆、タオのように歯の浮くような台詞せりふを言うものでもないのだろう。


「さぁ、そろそろ寝る準備をしろ」


 デュークラインの一声で、ルクが足裏を鳴らしてやって来る。その両腕には、丸めたシーツらしき布がかかえられていた。


「あっちの奥にわらを敷いてやったから、適当に寝ろ。もうあっちも、そこそこあったかい」

「ありがとう、ルク」


 タオがルクから布をもらって抱え、エリュースをうながした。彼は満足げにカイに「おやすみ」と声をかけ、カイもそれに応じて「おやすみ」を返している。


「あ、じゃあ私も――」


 サイルーシュはベッドから降りようと腰を上げた。その腕のすそを、カイに掴まれる。


「ルゥは、こっち。いい? デューク」

「ああ、構わん」


 デュークラインを見上げるカイの髪から、彼の手によって花冠がそっと外された。頼りない体が彼にすがり、彼もそれを拒否することなく彼女を抱くようにして横たえる。

 夢見心地な瞳で、カイが微笑ほほえんだ。そんな彼女の頬を撫でるように、デュークラインの武骨な指先が触れる。


「楽しかったか」

「うん。ありがとう、デューク」


 ふふ、と笑ったカイに腕を伸ばされ、サイルーシュもカイの隣に横たわった。ふわりと鼻腔をつく花の芳香に、眠気を誘われる。目の前にある美しい造形の顔が、はかなげに微笑している。その笑みに、何故なぜか胸が痛んだ。


「お姫様が二人、だねぇ。贅沢ぜいたく絵面えづらだよ」


 意識の端で、スバルの声がする。

 

「そうだな……」


 それに同意するデュークラインの呟きが、遠くで聞こえた気がした。 



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