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18 女友達

 覆い被さるような森の樹々が陽光を遮り、足元に濃い影を作り出している。そんな中をうつむき加減に歩きながら、タオは落ち着かないでいた。


 サイルーシュに話ができたことは、良かった。それは本当に良かったのだが、いざ森に入ると思い出されてきたのが、信頼してくれているサイラスの顔だ。彼には当然ながら、アルゲントゥムに行くとしか伝えていない。娘を頼むと言った彼からは、疑う素振りは全く見られなかった。それなのに、彼に内緒で森に入っている現実がある。


 タオは、心の中で頭をかかえた。あのサイラスにうそをついていることへの罪悪感が、今更ながら湧き上がってきたのだ。


「腹でも痛いのか?」


 少し心配そうなエリュースに、顔を覗き込まれる。我ながら情けなく思いながら、タオは首を振った。


「師匠に、申し訳なくなってきてね……」

「なんだ、今更そんなことかよ」

「ハハ、返す言葉もないよ」


 無理に笑うと、エリュースがあきれたような溜息を吐いた。


「アルゲントゥムへ行く前に、ちょっと寄り道するだけさ。どうせジョイスおばさんへの土産みやげとか買うのにアルゲントゥムには行くんだし、嘘は言っちゃいない。そうだろ?」

「それは、そうなんだけどさ」

「ったく、お前らしいけどな。ルゥはまぁ、予想通りか」

「え?」


 エリュースに言われ、隣のサイルーシュを見れば、彼女は何やら不安げに、辺りに視線をやっている。


「ルゥ、」


 声をかければ、少し強張こわばった表情が見えた。


「あは、思っていたより、森の中って暗いのね。あの岩だらけの場所も怖かったけど、なんだか、ちょっと薄気味悪くて」


 サイルーシュにそう言われ、タオも周りを見渡した。確かに、昼にしては暗い。この馬車道の脇は鬱蒼うっそうとしており、更に暗く感じる。しかし完全に空が見えないわけでもなく、鳥のさえずりや虫の音も聞こえ、タオにとってはそう怖ろしく感じる状態ではない。獣の気配が近くに感じない今は、むしろ平穏と言っていい。


「お前は初めてだからなぁ。町の中じゃ聞けない種類の音があふれてるんだろ?」


 エリュースがそう言うと、サイルーシュが同意を強調するかのように、何度もうなずいた。


「そうなのよ! ざわざわとした音もすごくて、葉っぱがこすれているだけなんだろうけど、妙に不安になるのよね」


 なるほど、と思いながら、タオは気付いてやれなかったことを反省した。エリュースの言う通り、今は悩んでいる場合ではないようだ。


「大丈夫だよ、ルゥ。今は夜じゃなくて朝だから多分――」

「んー、魔物は夜じゃなくても出るよ? こんな森の中じゃあ特にね」


 魔物も出ないと思う、と言おうとすると、横からスバルの明るい声が響いた。彼が軽い足取りで、サイルーシュの前に回り込む。


「でも大丈夫じゃないかな。この子が大人しいし」


 そう言ってスバルが撫でたのは、ロバのレティだ。人慣れしているロバなので、初見のスバルに触れられても、怒る様子はない。


「動物は敏感だからね。何か近付いてくれば教えてくれるよ」

「じゃあ、今は安全なんですね」


 ほっとしたように笑顔を見せたサイルーシュに、スバルの顔にも笑みが浮かぶ。


「うん、今はね」


 安心させたいのか怖がらせたいのか分からないスバルの言葉だったが、サイルーシュは素直に受け止めたようだ。良かった、と言いながら、レティの鼻面を撫でる彼女の表情は、先程よりは落ち着いたように見えた。



 しばらく道なりに進むと、森の切れ目に出た。渓谷を抜ける風が心地良く、見下ろした先には川が見える。降り注ぐ太陽の光が川面かわもに反射し、眩しく感じられるほどだ。


「こんな場所もあるのね!」


 サイルーシュが声を弾ませ、深呼吸をするようにして立ち止まった。樹に絡みつくつるを渡っていく小動物を見つけたのか、それを指差して喜んでいる。

 タオはサイルーシュの様子を微笑ほほえましく眺めながら、カイの境遇を思った。カイにも、こういう機会が訪れるべきだと思う。エリュースの見解では、カイに押された焼き印――おそらく随分と前に――が、塔周りの結界に反応するのだという。むごい話だ。


「どうしたの、タオ?」


 不思議そうに振り返ったサイルーシュが、こちらの笑みに釣られたように笑った。その笑顔になだめられ、いやされるのを感じる。

 タオは小さく首を振り、彼女を先へとうながした。





 前回来た時よりも時間がかかったが、ようやく目的地が近付いてきた。馬車道の先は樹々に塞がれているように見えるが、その左側には塔の庭が広がっているのだ。


「様子を見てくるよ」


 エリュースにロバを任せ、タオは足を速めた。左側にひらけていく庭を眺めていると、そこに座っているカイの姿を見つけた。彼女の白いローブが、明るい陽光を含み輝いているように見える。


 タオは涙が出そうになった。もしかして起き上がれないほどの状態なのではないかと、心配していたのだ。そのカイがこちらに気付き、その表情が驚きと喜びを表した時には、溢れる涙を止めるすべがなかった。


「カイ」


 自然と名を口にしながら、タオは庭へと足を踏み入れる。

 その時、左方の木陰から出てくる人影があった。進路を阻むようにして立ち止まった人物に、タオは足を止めた。


「デュークライン、さん……」


 カイの姿は、彼の体で隠されてしまった。

 目の前にいるデュークラインは、当然のように帯剣をしている。


「本当に、また来るとはな」


 その声には、驚きが含まれていた。

 タオは涙をぬぐい、デュークラインの視線を受けとめる。どう切り出そうかと悩んでいたが、いざ本人を前にし、自然と口が開いた。


「この間は、すみませんでした。貴方あなたの事情も知らないのに、一方的にひどいことを言ってしまって」


 謝罪の言葉を伝える。

 あの時、自分の中の収まらない気持ちを、彼にぶつけてしまったのだ。血にまみれ気を失っているカイを見下ろしながら、平然として見える彼の様子が、たまらなく許せなかった。そんな彼の氷のような仮面ががれた瞬間、カリスの制止が入ったのだ。冷えた頭で後から思い返せば、あの時の彼の表情には、怒りの中に苦痛に似た感情が表れていたように思う。


「そのことは、もういい」


 感情が読み取りにくいデュークラインの藍色の瞳が、僅かに細められた。


「事情を話していないのは、こちらの都合だ。私の方こそ、済まなかった」

「デュークラインさん」


 タオは驚いた。彼から謝られるとは、思っていなかったためだ。

 後方から、エリュースとサイルーシュの声が聞こえる。デュークラインの視線が僅かに上がったことに気付き、タオは慌てた。


「あの、今日は俺たちの他にも来ていて」


 そう言いながら、サイルーシュのことをどう説明しようかと、タオは焦った。しかし、デュークラインの方に予想した動きはなかった。彼の手は剣の柄に触れないまま下ろされている。


「増えたのか?」


 少しあきれたように、デュークラインが言った。彼の眉間のしわは深まっているが、それだけだ。


「わ! ちょっと落ち着けって、レティ!」


 エリュースの慌てる声が聞こえ、タオは少し背を反らすようにして振り返った。彼が連れているロバのレティが、何やら興奮した様子で彼を引っ張っている。スバルはそれを見て笑っており、サイルーシュが困った様子で駆けてきた。


「あ」


 樹の陰になって見えていなかったのだろう、サイルーシュが初めてデュークラインに気付いたのか、おびえたようにその足を止めた。その後ろから、エリュースもやって来る。レティが鼻息荒く前に出ようとするのを、エリュースが手綱を締めて押さえた。


「久しぶり、デュークライン。えーとな、彼女は俺たちの幼馴染で、サイルーシュっていうんだ。俺たちだけじゃなくて、カイには女の子の友達もいた方がいいかなと思ってさ」


 あらかじめ考えていたのか、普段通りの態度で言ってのけたエリュースが、サイルーシュを紹介した。戸惑いながらも、サイルーシュが膝を少し曲げ、デュークラインに丁寧な挨拶をする。それに対し、デュークラインも彼女に名乗ったうえで挨拶を返してくれた。意外過ぎる、紳士的な態度だ。


「それで、」


 デュークラインの視線が、スバルへと向いた。レティの後ろに立っているスバルは、人懐こそうな笑みを浮かべている。対してデュークラインの目は、怪訝けげんそうだ。


「そこの男は誰だ」


 タオは耳を疑った。


「スバルさん、あなた――!」


 ここに来たことがあるんじゃ、と問おうとした矢先、脇腹に衝撃を受けた。反射的に、タオは口をつぐむ。傍にいるエリュースからの肘鉄だ。皮上着レザージャーキンの上からなので、普段より衝撃は軽い。むしろ彼の肘の方が痛かったかもしれない。


 これまで何度も、同じように彼から肘鉄を食らうことがあった。彼と二人で話しているところに、話を聞かれたくない相手――主にサイルーシュなのだが――がやって来た時にそれは起こる。これは『余計なことを喋らずに黙っていろ』の合図なのだ。


「あははは! いやぁ、そいつはスバルって言ってさ、そこいらじゅうを旅して回っている冒険家なんだ。だから、いろんな面白い話を知ってて、ほら、カイに聞かせてあげられたら喜ぶかなって」


 珍しくエリュースが、必死で動揺を隠そうとしているのが分かる。彼も自分と同様、驚愕したのだ。にもかかわらず、すぐに言葉をつむいでいるのは、さすがと言う他はない。

 当のスバルは、何食わぬ顔で笑みを浮かべている。


「よろしく。紹介にあずかった通り、僕は旅人でね。食べ物にも詳しいよ。えーと、何だっけ? 意外と美味おいしかったやつ……」


 スバルが、エリュースの方を見ながら首を傾げた。ほら、あの時教えてあげたやつさ、とスバルが言っているが、エリュースの方は何やら嫌な顔をしている。


「あ! 思い出した」


 その顔を見てかは分からないが、スバルが明るい声を上げた。


「オーガの目玉だよ! そのままでもいいけど、揚げたやつとかさ、けっこういけるんだよ!」


 自信満々なふうに軽口を叩いたスバルに、タオは慌てた。サイルーシュには聞かせたくない非人道的な冗談だ。それに、場を温めるためのものだとしても、さすがに相手が悪い。エリュースも、絶望的な顔付きでスバルを見ている。

 しかしデュークラインの反応は、予想とは違った。危険視してにらみ付けるのかと思いきや、それをまるで想像しているかのように、視線を僅かに上げている。


「あの、デュークラインさん?」

「何だ?」

「い、いえ、何でもないです」


 スバルの冗談を全く問題視していないデュークラインの態度に、タオは冗談だと訂正するべく開いた口を閉じた。

 スバルを見れば、デュークラインを面白そうな目付きで見ている。


「口は堅いから、そこは安心してよ。僕は珍しいものが好きなだけ。ね、そろそろ、あの子に挨拶してもいいかな?」


 スバルがデュークラインの後方に向け、ひらひらと片手を振った。半身を後ろへ引いたデュークラインの少し離れた向こうに、カイが座ったままでいるのが見える。いつの間にか、カイの傍にはルクが来ていた。二人して心配そうに、こちらを見ている。


「信用していいんだな? エリュース。タオ」


 改めてデュークラインに問われ、タオはエリュースと顔を見合わせた。それでもすぐにデュークラインに向き直り、うなずく。

 正直、スバルのことは想定外で、彼の考えていることは分からない。しかし頷く以外に選択肢が無いことは、明白だった。エリュースによれば、彼は大聖堂騎士ダドリーの親しい友人なのだ。そんな人物を、まさかデュークラインの剣のさびにするわけにもいかない。それに、カイを見ているスバルからは、害をそうとする悪意を今のところは感じない。

 見定めるように見つめてくる藍色の瞳から逃げず、タオは真っ向から再度、頷いてみせた。


「――分かった。いいだろう」


 目を細め、デュークラインが僅かに頷いた。きびすを返し、カイの元へ歩いていく。

 そんな彼の後を、タオは追った。



 

 カイの傍まで行けば、彼女の嬉しそうな笑顔に迎えられる。

 見上げてくるカイの目線に近付くため、タオはカイの正面に膝をついた。


「この前は、本当にありがとう、カイ。傷の具合は……」


 白いローブに隠されたカイの様子は、あの夜を知らなければ怪我をしているとは分からないものだ。それでも、ここに座ったままでいることは、彼女が自力で移動することが困難だということなのだろうとタオは思った。足を焼かれていたさまをまざまざと思い出し、思考が怒りや悔しさや悲しみに捕らわれそうになる。

 その時、カイの指先が頬に触れた。触れられている部分から、確かな温もりが伝わってくる。


「わたしは、平気。大丈夫だよ、タオ」

「カイ」


 はかなげな微笑みが、幾分か大人びて見えた。

 何故なぜこんなふうに笑えるのだろうと、タオは言葉に詰まった。助けてあげられなかったのだ。それを、全く恨みに思っていないかのように、カイが微笑ほほえんでいる。


「おいおい、カイを独り占めにするなよ、タオ」


 隣にしゃがみこんだのは、エリュースだ。

 彼を見たカイが、嬉しそうに顔をほころばせた。


「エル!」

「また会えて嬉しいよ、カイ」

「わたしも、嬉しい」


 エリュースの言葉を反復するように笑顔で返したカイに、エリュースの頬も緩んでいる。


「今日は友達が増えるんだけど、いいかな」

「ほんと!」

「うん。ほら、前に話した、カイと同じくらいの女の子さ」


 エリュースにもカイが二十三歳だと伝えてあるため、えての紹介なのだろう。サイルーシュのために、カイの正面から横にずれる。エリュースにうながされたサイルーシュが、カイの前に両膝をついて座った。

 初対面のカイを前にした彼女の横顔は、少し緊張しているようだ。


「初めまして、カイ。私はサイルーシュというの。ルゥと呼んでくれたら嬉しいわ」


 それでもサイルーシュの声には、しっかりと張りがあった。カイに届くようにという彼女の気持ちが伝わってくる。それは、カイにも伝わったらしい。嬉しそうな眼差まなざしで、彼女の名を口にした。


「ルゥも、友達に、なってくれるの?」

「もちろんよ!」


 勢い余って答えたサイルーシュの語気は強く、カイが驚いたように目を丸くした。


「あ、あは、ごめんね、驚かせちゃった」

「カイ、ルゥは気は強いけど、すごく優しい子なんだよ」

「ちょ、ちょっと!」

「ああ、ルゥは怒りっぽいけど、食べて寝たら忘れてくれるしな」

「ちょ! もぅ! 二人とも!」


 顔を赤くして慌てるサイルーシュが、エリュースをにらみ上げたり、こちらに助けを求めるように見たりと忙しい。

 それをエリュースが笑うと、耳の端でカイの可笑おかしそうな笑い声が聞こえた。見れば、眩しいものを見るかのように目を細め、楽しそうに笑っている。思わず見惚れてしまうほどの、無垢むくな笑顔だ。


「ほんと君たちって、賑やかだねぇ」


 そう言ったのは、カイの隣に片膝をついたスバルだった。


「あ」


 スバルを見上げたカイが、小首を傾げ、不思議そうな顔をした。


「うさぎさん?」

「え?」


 カイの発した言葉の意味が分からず、タオはスバルを見た。スバルはカイを眺めるように見つめながら、微笑ほほえんでいる。


「ん――、ウサギさんじゃなくて、スバル君なんだけどなぁ」


 そう言い、スバルがカイに顔を近づけた。何かをカイの耳元でささやいた後、目を合わせて笑いかけている。


「ね?」

「うん、分かった」


 頷いたカイが、にこりと笑った。

 


* * *



 サイルーシュは、カイのいるベッドに腰掛けていた。先ほど林檎酒を少しもらって喉をうるおした後、男連中が話をしているところから抜け出してきたのだ。

 外からの陽光が、上げられている鎧戸で緩和され、木漏れ日のような光がベッド上に落ちている。ベッドサイドにある小さな卓上には、月光石がっこうせきという灯り用の綺麗な石が置かれており、その傍には、何故なぜか小さな葉舟があった。


「カイ。この間の話を少しだけ、聞いたの。タオとエルを護ってくれて、本当にありがとう」


 サイルーシュは、同じように隣に腰掛けているカイに声をかけた。

 少し驚いたように目をまたたかせたカイが、儚げに微笑む。「友達だから」と彼女は言った。


「ルゥは、タオの大切な人だって」

「え?」


 サイルーシュは驚いた。

 カイが興味深そうにこちらを見ている。


「タオが、そう言ったの?」

「うん」

「そ、そうなのね」


 驚きと嬉しさで、サイルーシュは緩む頬を両手で押さえた。

 間接的に聞くタオの気持ちに、安堵している自分に気付く。


「ルゥにとっても、タオは、大切な人?」


 真っ直ぐに見つめてくるカイの瞳には、純真な輝きがあった。

 初めて見る黒い髪と瞳には、想像していたような怖さは感じない。色白の肌によく映える、綺麗な色だと思う。


「ええ、勿論もちろん


 少し恥ずかしさを覚えながらも、サイルーシュは答えた。


「良かった!」


 そう言って、嬉しそうにカイが微笑む。そんな彼女を前に、サイルーシュも自然と笑顔になっていることを自覚した。


 カイの顔立ちは、まれなほど整っている。目鼻立ちがタオと似ているような気もするが、造形の良い顔立ちというものは、どことなく似ているものなのかもしれない。


 気になっていることは色々あるが、サイルーシュはまず、カイの白いローブのことを聞くことにした。遠目で初めて彼女を見た時、実は、かなり驚いたのだ。


「カイ。その着ているローブって、どうしているの?」

「これ?」

 

 カイが不思議そうに、みずからの服を見下ろした。それ自ら輝いているような、見事な白だ。


「これは、デュークが着せてくれるの」

「デュークラインさんが?」


 暖炉のある部屋を見ると、灰銀色の髪の男の姿があった。丁度こちらに向いて椅子に腰掛けているのが、背中を向けているエリュースの横に見えている。話し声からして、タオはエリュースの左側に、スバルは暖炉の前に座っているのだろう。


 父サイラスと同じ程の年だろうと思う。涼やかな切れ長の目で鼻筋も通っており、シャープな顔立ちに加え寡黙かもくなせいで、少し近寄り難く感じる男だ。タオから彼のことも聞いていたため、あんなふうに丁寧に挨拶をしてくれるとは思わなかった。彼もカイのことを助けられないんだ、とタオがひどつらそうな顔をして言っていたのを思い出す。


「いつも、デュークが持ってくるの。ルクが洗ってくれるんだけど、汚れたら、また新しい同じのを、着せてくれるの」

「そうなの……」


 カイの着ている完璧な白の色が、庶民では手に入らないものだと、サイルーシュは知っていた。通常、他の色を脱色して白くするのだが、白っぽい色にしかならない。しかし、アスプロが創り出したというシア・フォスという植物を染料に使えば、それは他の全ての色を排除し、完璧な白を生み出すのだという。その植物が希少なため、ひどく高値で取引されるらしい。聖職者であれば高位の者――それも主教クラスの――でなければ、その白いローブを身にまとうことが許されていない。そのはずなのだ。聖職者以外でその色を衣服に使う者など、よほどの高位な貴族くらいだろう。それをこの場で目にしたことが、サイルーシュにとって何よりも衝撃的だった。先にカイに二度も会っているタオがこの事を話さなかったのは、色の微妙な違いなどに無関心だからに違いない。


 カイの視線が、自分のコット(※丈長のチュニック型の衣服)に向けられたことに、サイルーシュは気付いた。珍しいものを見るような顔だ。町中ではよく見かける色で、特別な作りでもない。


「この服?」

「うん」 


 頷いたカイに、サイルーシュはタオに聞いた話を思い出す。彼女は外の世界を知らないかもしれないと、言っていたのだ。


「こういう格好をした女の人は、ここには来ないの?」

「たまに来てくれるけど、ちょっと、違う」

「そうなのね」


 女の人は来るが服装は違う、ということか。サイルーシュは言葉が足りないカイの言いたいことを頭の中で適当に補足しながら、頷いた。おおむね、間違ってはいないだろうと思う。


「ずっとその服なんて、不思議ね。何か意味があるのかしら」

「意味?」


 どこか不安げに、カイが呟いた。


「そんなこと、考えたことなかった」

「それがカイに似合っているのは確かよ。でも、カイは綺麗だから、他の服も絶対似合うと思うのよね」


 自分の持っている服を、着せてみたくなる。着替えを荷物に入れておくのだった、と悔やまれるところだ。自分よりもせてはいるようだが、おそらく身長はそれほど変わらないだろう。それに、このローブを買えるのならば、よっぽど良い生地のドレスだって買えるだろうに。


「ほんと綺麗なのに、勿体ないわ」


 そう言いながら、色鮮やかな服を着たカイを想像する。

 すると、カイが戸惑ったような反応を見せた。


「どうしたの?」

「きれい、なんて、言われたことないから……」

「え! そうなの?」


 サイルーシュは驚いた。カイの言ったことにもだが、そう言ったカイの恥ずかしそうな表情が、あまりにも可愛かわいらしかったからだ。


「本当よ?」

「でも、デュークは、そんなこと、全然……」

「デュークラインさん?」

「うん」


 膝に置いた両手を握り合わせているカイが、デュークラインの方に視線を上げた。しかし、すぐに顔を伏せる。

 それを見たサイルーシュも、デュークラインを見てみた。はっきりと目が合い、慌てて「何でもない」と首を左右に振り、顔を伏せる。

 カイの方を見れば、カイもこちらを見ており、顔を伏せたまま二人して小さく笑った。


「ねぇ、カイは普段、何をして遊んでいるの?」

「エルが持ってきてくれた、本を見るの。あとは、鳥の声を聞いたり、ルクの立てる音を聞いて、想像するの。今、何をしているか」

「それって楽しいの?」

「うん、楽しい」


 薄く微笑ほほえんだカイに、サイルーシュはいたたまれない気持ちになった。床についているカイの足首には包帯が巻かれており、怪我によって動きが制限されているのが分かる。塔に入る時も、あのデュークラインが彼女をかかえていたのだ。


 タオから話を聞いた時は、なんてむごいのだと思った。実際にカイを目の前にしてみれば、そんな理不尽な状態に置かれて微笑んでいる彼女の心が、壊れかけているような、しくはすでに壊れているような、そんなふうにすら感じられる。


「カイ。タオたちが前に来た時は、何をしたの?」

「あ! 葉っぱで舟を作ったの。裏に池があって、そこに浮かべたの」

「葉舟ねぇ」


 男の子らしい遊びだわ、とサイルーシュは思った。それでも、思い出しているようなカイが楽しそうで、タオたちもやるじゃない、とも思う。


「あれからね、ルクにも、教えてあげたの。ルクは、とっても上手じょうず

「ルクって器用なのね」


 初めて見るゴブリンとやらには驚いたが、見慣れればそう怖い存在でもなかった。何より他の皆が普通に接しているため、余計にそう感じるのだろう。


「あの葉舟は、カイが? それともルク?」


 ベッドサイドの卓上を指すと、カイが首を振った。


「デュークがね、一つだけ、作ってくれたの」

「あの人が?」

「うん」


 嬉しそうに頷いたカイに、サイルーシュも笑みを返した。カイは随分とあのデュークラインを慕っているようだと思う。父親のような存在なのだろうか。それとも――。


「ルゥ?」

「あ、ううん」


 気になるとはいえ、まだ出会ったばかりの相手に聞くのは止しておく。

 サイルーシュは、カイとできる遊びはないかと思考を巡らせた。


「そうだ。カイ。花の首飾りを作ってみない?」

「花の?」

「そう! その白い服にもよく似合うだろうし、どう?」


 問いかけると、カイの瞳が期待に満ちているように輝いた。


「作ってみたい」

「決まりね!」


 カイと手を取り合い、サイルーシュはカイに笑いかけた。

 本当に、無邪気な笑顔だと思う。まだ出会って間もないというのに、懐かれたような感覚すらあるのだ。


「お、なんだ、何かするのか?」


 聞きつけたようにやって来たのは、エリュースとタオだ。


「花で首飾りを作ろうと思って」

「へぇ、花か。いいじゃないか。お前も女らしいことを思い付いたな?」

「当然でしょ、私だって女子だもの」


 感心したように言ったエリュースに、サイルーシュは胸を張って応える。

 エリュースの隣で、タオが、花、と呟いた。


「デュークラインさん、この辺で花って咲いていますか?」


 タオが、デュークラインへ問いを投げかけた。それを聞き、そういえばここに来る途中にそんな場所はなかったことを、サイルーシュは思い出す。

 デュークラインからの答えはすぐには返って来ず、代わりに彼もこちらにやって来た。


「どんな花だ? どれだける?」


 デュークラインは記憶を辿ろうとしてくれているようだ。そんな彼の様子を見ながら、サイルーシュは自分たちの遊びを真面目に考えてくれることに意外性を感じていた。


「あまり小さすぎない花で、ん――、このくらいは」


 両腕で架空の花束を抱くようにして、量を示す。それに対し、デュークラインが難しい顔をした。


「この季節で、それだけの花が咲いている場所は知らんな……。ルク!」


 少し声を張ったデュークラインに驚いたが、すぐに裏手から裸足が床を鳴らす音が聞こえてきた。喋るゴブリンが、壁向こうから顔を出す。

 

「呼んだか? 旦那」

「近くで、花のある場所を知っているか?」

「いや、おで(・・)は、この辺はあんまり歩き回らないから」

「そうだな」


 分かり切った答えをえて聞いたと思われるデュークラインが、小さく息を吐いた。


「あらじゃあ、花がないのね……残念だわ」


 サイルーシュは落胆しつつ、確認する前にカイを喜ばせてしまったことに罪悪感を覚えた。何か別の遊びを考えなければと思う。

 その時、隣から小さくそでを引かれた。


「お花、あるよ」

「え!」


 にこりと笑みを浮かべたカイに、サイルーシュは驚いた。彼女はここから出られないと聞いていたが、そうではないのかと混乱する。

 デュークラインがカイの傍近くまでやって来ると、床に片膝をついた。視線だけでカイに説明を求めたのか、カイが彼に対して小さく微笑む。


「妖精さんが、よく誘ってくれるの。今朝も、花畑に遊びに行こうって」

「花畑があるの!? この近くに?」


 驚きのまま問いかければ、カイが振り向き、頷いた。


「うん。すぐそこって言ってた」


 その答えに、サイルーシュは喜んだ。それに、妖精が本当にいるのだという興奮も、同時に湧いている。


「場所は説明できるか? カイ。小妖精たち(あいつら)はどう言っていた?」

「水車の向こう、ふくろう岩を超えて……」


 デュークラインを見上げながら、カイが思い出すように数か所の目印と思われる物を挙げた。それから、サイルーシュを振り返る。


「ねぇ、ルゥ。あの、お花で、作りたいものが、あるの……」

「ええ、言って。首飾りじゃなくてもいいもの。余ればどっちも作れるし」


 優しく微笑みかけると、カイが嬉しそうに胸元で両手を握った。


「花冠を、作ってみたい」

「あら! いいじゃない!」


 カイの提案に、サイルーシュは喜んで乗った。

 小さな頃は父サイラスが時折、花を持って帰ってきたものだ。それを小さな花冠にして、父親の頭に乗せるのが楽しみだった。


「花冠って、神様のご加護を得られますようにって、意味があるのよ」

「そうなんだ」


 興味深そうな反応をしたカイに、サイルーシュは笑顔で頷いてみせた。

 顔を上げると、笑んでいるタオと目が合い、互いに自然と微笑み合う。


「じゃあ、俺たちが花を摘んでくるよ。待ってて」

「目印は覚えたぜ」


 そう言うタオとエリュースに、サイルーシュも立ち上がった。驚いている二人に、自身満々に言い放つ。


「あなたたちに花を選べるわけがないじゃない。勿論もちろん、一緒に行くわよ」


 カイのローブの色の高貴さも分からなかった彼らに、任せてはおけない。

 カイを、がっかりさせたくはないのだ。


「じゃあ、僕も一緒に行こうっと! 何か楽しそうだし」


 間髪入れず、片手を挙げて声を上げたのは、スバルだ。今まで静かに話を聞いていたらしい。行く気満々の様子だ。


「じゃあ、これで決まりね」


 サイルーシュはカイに向き直り、その両手を掌で包み込んだ。


「待っててね、カイ。綺麗な花を持って帰るから。楽しみにしてて」

「うん……! ありがとう」


 向けられる瞳には、未知の物を待つような期待感が込められている。

 それに応えるべく、サイルーシュは使命感を新たに、笑んでみせた。




 

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