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17 道行き

 曇り空の下、肌を撫でていく風は心地良い涼しさだ。周りの荒野では秋色の枯草が揺れており、馬車が通れるようならされた一本道が続いている。


 手にしているロバの手綱を軽く引きながら、タオは隣を歩くサイルーシュを横目で眺めた。先程まで、周りを見回しながら「あれは何?」を連発していた彼女だが、今は少し疲れが出たのか静かになった。今日は少し高めに結わえられている髪が、汗ばんだ彼女の首元に幾分か張り付いている。


「疲れた? ルゥ」


 声をかけると、振り向いた強気な目元が緩んだ。


「疲れたー」


 わざと間延びしたように言ったサイルーシュが、それでも楽しそうに笑う。

 アルシラを出て一日目、すで一鐘間いっしょうかん(※3時間)は歩き続けている。


 前方では二台の屋根付きの箱馬車がゆっくりと進んでおり、目の前の馬車には司祭や侍従たちが、更に前方の馬車には、アスプロス教団の最高位である大主教が乗っている。箱馬車は、二頭立ての立派なものだ。そのかたわらの馬上には、護衛隊長である大聖堂騎士サイラスの姿が見える。儀礼時の完全な板金鎧プレートアーマーではなく、鎖衣メイル装備に上体の前面と背面を守る板金上衣ブレストプレートを重ね、肩から前腕を守る板金長手袋プレートブレイサーを左側にだけ着けている。手指を守る籠手ガントレットは外されており、手綱たづなを持つ手は肌がき出しだ。下体の板金脚衣プレートレギンスには、馬を制御しやすいよう着けられた拍車はくしゃが見える。装備していない物は、シールドと同じく馬に運ばせているのだろう。出来るだけ体に疲れを溜めず、動きやすさを考慮してそうしているのだと思われる。いざ襲われた時に装備に手間取らない自信があるサイラスだからこそ、実践できることなのだろう。


 最年長の先輩従士トバイアと、その後輩のゲリーは共に鎖鎧メイル装備で、それぞれ馬上にいる。それに大聖堂騎士オルダスから借りた従士二名を加えた計五名で、二台の馬車を囲むようにして護衛に就いているのだ。


 大主教は南方のフォルトン侯爵に招かれており、今はその往路だ。その一行に同行させてもらう形で、タオたちは今、ノイエン公爵領を目指している。



 ――半月ほど前。とうとう、サイルーシュに問い詰められたのだ。


 あの悪夢のような塔での夜からずっと、タオの脳裏にはカイの姿が焼き付いたままだった。堪え切れなかったように上がった泣き声も、耳の奥に残ったままだ。

 あれからエリュースに連れられ、どこをどう帰ってきたのかすら記憶が曖昧あいまいだ。彼を護衛する立場でありながら情けない話だと、タオは思う。


 デュークラインに対しての怒りは消えたわけではないが、あの場にいてカイを助けなかったのは自分も同じなのだと、冷えた頭でそう思った。何も出来なかった自分自身に対しての怒りと失望に、さいなまれていたのだ。


 周りに対してはいつも通りに振舞っているつもりだったが、サイルーシュには通用しなかったらしい。態度がおかしいと問い詰められ、何か心配事があるに違いないと断言され、しまいには、「正直に言わないと、一生口を聞いてあげない」ときた。

 エリュースには後でこっぴどく怒られたが、つい口を滑らせてしまったのだ。言い訳に過ぎないが、今にも泣きそうな顔で迫られては、どうしようもなかったのだ。


「森で出会った妖精が、怪我をしたので心配なんだ」


 そんなことを、苦し紛れに口にした。

 それを聞いたサイルーシュが目を丸くし、泣きそうな様子もどこへやら、驚くほど瞳を輝かせた時には、もう頭をかかえるしかなかった。


「妖精に会ったの!? どんなの!? 私も見たい! どこの森!?」

「ちょっと待ってルゥ、ここからはすごく遠いんだ。アルゲントゥムの近くだから、ルゥじゃ、歩けないとおも、」

「私だって歩けるわよ! 決めつけは良くないと思うわ」

「いや、それに、絶対、師匠の許可が下りないと、」

「お父様には私がお願いするわ! 丁度、もうすぐお仕事で南の侯爵領に行くって言っていたもの。大主教様が祈りを上げに行くのですって。その森がその途中にあるなら、そこまで一緒に行って、また帰ってくるお父様たちと合流すればいいのよ。そうよ、そうすれば、きっとお父様も許して下さるわ!」


 一人で納得してうなずいているサイルーシュの瞳は、まだ見ぬ森を想像しているように生き生きとしており、タオはそんな状況下にありながら、彼女を可愛いなと思ってしまった。それにサイラスが許すはずがないとたかをくくり、じゃあ許しが出たら、と言ってしまったのだ。


「これは絶対に約束して、ルゥ。その妖精や森のことは、秘密にしなきゃならないんだ。でないと、悪い奴らに荒らされちゃうから」

「分かったわ。お父様にも誰にも、絶対に喋らない」


 一変、真剣な顔をして誓ってくれたサイルーシュが、じゃあ早速、と部屋を出て行こうとするのを、タオは引き留めた。不思議そうな顔をして振り返った彼女に、問いかける。


「俺が嘘をいてるとは思わないの?」

「どうして? タオはこんなことで嘘()かないでしょ。それに、今も心配そうな目をしてるわ。そんなに心配なら、早く会いにいかなくちゃ。私が機会を作ってあげる。大丈夫、お父様は私に甘いんだから」


 そう言ったサイルーシュの優しい微笑ほほえみは、今でも鮮明に思い出せるくらいに胸に染みた。

 後から思えば、ここで嘘だったと言っておけば良かったのだ。


 彼女がサイラスに「お願い」をした結果、彼女の思惑通り、そしてタオの予想に反して、許可が下りてしまった。サイラスからは後日、サイルーシュがノイエン公爵領のアルゲントゥムに行きたがっていて――本場の銀細工物ができる行程を見てみたいと言ったらしい――、その護衛を務めるようにとのお達しがあった。それをエリュースに伝えると、娘に甘すぎるだろ、と呆れ混じりに彼は怒っていたが、結局その足で学頭司祭に会いに行き、適当な理由をつけて許可を得、当然のように今回の旅に同行してくれている。それは本当に、有難い。


「仕方ねぇなぁ」


 エリュースがそう言い、ロバに運ばせている荷物を下ろし始めた。タオも彼の意図に気付いて同意し、荷物の大半を背負う。


「ほら、しばらくレティに乗ってろ」

「だ、大丈夫よ、まだ歩けるし!」


 歩くと言った手前、素直になれないのか、サイルーシュが断った。そんな彼女を、タオは後ろからかかえ上げ、ロバに乗せてしまう。


「ちょっと! 私が乗ったら、この子が重いじゃない」

「大丈夫。レティは力持ちなんだよ。きっと、俺が背負うよりは目立たないんじゃないかな」


 そう言って笑いかけると、サイルーシュが顔を赤らめて静かになった。背負われているのを想像し、恥ずかしくなったのだろう。

 旅を一度もしたことのない彼女が、よくここまで歩いたものだと思う。


「無理して足を痛めでもしてみろ、宿に置いてくからな」

「わ、分かってるわよ!」


 自己管理をしろとの憎まれ口を叩き、エリュースが笑いながら、レティのたてがみを撫でた。




 四日目の朝。

 タオはエリュースと共に、荷物を持って宿を出た。

 宿の向かいの石造りの壁には紅葉したアイビーが埋め尽くすほど這っており、その陰からは小さな子供たちが丸い目でこちらを見ている。見慣れない一行が町にやって来ていることを知っているのだろう、好奇心を隠さない瞳が、何かを待っているようだ。

 

 この町には、大主教一行を丸々(かか)え込める宿はない。タオたちが寝泊まりした宿とは別の宿に、『上の者』たちはいるのだ。当然、サイルーシュは護衛隊長であるサイラスの娘であるため、分類的にそちらに当たる。


「なんだか雨が降りそうな空だね」


 タオは低い雲が垂れこめた様子を見上げながら、欠伸あくびをしているエリュースに話しかけた。宿の壁に背を預けた彼は、まだ眠そうに見える。


「ま、箱馬車の中の大主教様たちには、関係のない話さ。小雨こさめ程度なら、進むだろうよ」

「そうだね」


 このまま酷い雨に降られなければ、あと二、三日でノイエン公爵領に入れるだろう。そこから二日ほど歩けば、港町に着く。そこで大主教一行と別れ、西へと向かえば、更に二日ほどでアルゲントゥムに着けるはずだ。そこで一旦宿を取るか、そのまま森近くの村ケーラまで行くかは、その時の状況次第になる。


 同じ宿の裏から数人が出てくる気配に気付き、タオは邪魔にならないよう壁際に寄った。やって来たのは、護衛任務に就いている従士たちだ。


 子供たちを振り返れば、彼らを見てはしゃいでおり、なるほど彼らを待っていたのかとタオは納得した。逆側の通りの陰から高い笑い声が聞こえたと思えば、そこには数人の娘が何やら楽しそうに、彼らを見て話している。時折、こちらにも視線が来るが、何を話しているのかは分からない。


 先輩従士たちはすで鎖鎧メイル装備で準備を済ませ、それぞれ馬を引いている。これから大主教たちがいる宿の方へ向かい、そこで合流するのだ。


 挨拶をすれば、気さくな挨拶が返ってきた。騎士同士が仲が良いこともあり、彼らとも交流がある。稽古けいこを共にすることも多いのだ。


「お前たちは元気だな。さすがに、若いだけある」


 そう声をかけてきたのは、トバイアだ。同じくサイラスを師とする年長の従士で、人当たりが良い。礼儀正しく分別があり、サイラスの信頼も厚い人物だ。地方貴族の次男で、ゆくゆくは領主を継ぐ長男の補佐役をになうらしい。そんな人物が何故なぜ従士をと、エリュースに疑問を口にしたことがある。彼は、「何かあった時、大聖堂騎士サイラスと懇意こんいであることは、相手にとって脅威だろう?」と言っていた。納得の理由だ。

 トバイアが傍にいるからか、いつも何かと突っかかってくるゲリーは大人しい。


「先に行っててくれ」


 そうトバイアがゲリーたちに言い、彼らは移動を始めた。


「眠れたか?」


 そう問いかけてくれたトバイアに対し、タオは頷きと笑みでもって答える。


「トバイアさんは?」

「なんとかな。家で静かに眠るのとは違って、新鮮だよ」


 そう言って笑うトバイアの目元は、少し寝不足気味に見える。

 それでもどこか上品さのある、背筋の伸びた姿勢が彼らしい。


「気を付けろよ。雨が降れば、足元が緩む。何かあれば、私に声をかけていいからな」

「ありがとうございます」


 タオは頼りになる先輩従士に、礼を言った。トバイアは日頃から、こうして気にかけてくれるのだ。


「じゃあ、また後でな。まだ時間はあるが、遅れるなよ」

「はい」


 他の従士たちを追いかけるトバイアを、タオはエリュースと共に見送った。

 自分たちも準備をし、大主教たちの本隊と合流しなければならない。


「ほんと、トバイアさんて、出来た人だよなぁ」

「そう思うよ。あの人がいるから、俺たちはこうしていられるわけだからね」


 途中からこの一行から離脱し、再び合流するというようなことが許されるのは、サイラスを補佐できる先輩従士あってのことなのだ。


「そりゃそうだな。ゲリーだけだと、サイラスおじがストレスで禿げ上がるぞ。剣の腕は悪くないらしいが、いくらジョイスおばさんの親戚筋だからってなぁ。俺としては、心配事の種なんだよ、あいつは」


 エリュースが本当に嫌そうに言うのが少し可笑おかしく、タオは小さく笑った。ゲリーが何かと自分に突っかかってくるのは、後から来た青二才がサイラスの家に住み込む形で面倒を見てもらっていることも、理由の一つだろうと思う。しかし自分に対して以外にも、外で人と揉めたり喧嘩をしたりと、決して素行が良いとは言えない。


「エルって、オーティス家の守護者みたいだね」

「そんな、良いものじゃないさ」


 珍しく、照れたようにエリュースが顔を背ける。

 それが面白く、タオは声を殺して笑った。



「さて、レティのご機嫌はどうかな」


 タオはエリュースをうながし、ロバを預けている馬舎に向かった。宿屋の裏手にある馬舎には宿の荷馬もおり、共に干し草をんでいる。


 タオはロバのレティを外に出し、嬉しそうに目を細めながらり寄せてくるレティの鼻筋を撫でた。

 エリュースと協力し、荷物をレティにくくり付ける。


「にしても、よくジョイスさんが許してくれたよな。ルゥに甘い、サイラスおじは仕方ないとしてもさ」


 思い出したかのようにエリュースが言い、タオは、その納得出来ていない様子に軽く笑った。自分とて、そう思うからだ。


「そうなんだよ。俺としても、意外だったんだ。どうやら、先にジョイスさんを味方につけたらしくてね」


 サイラスの妻ジョイスは、娘から父親への説得に加わっていたくらいなのだ。


「あいつも、なかなかやるな」


 感心したように、エリュースが少し笑った。


 母親といえば、とタオは思った。リタイの町の近くを通ったというのに、ロイの顏を見られずじまいだ。末端とはいえ大主教一行の一員として出てきている以上、勝手に隊列を離れるわけにはいかなかったのだ。


「母さんなら、絶対に反対していただろうなぁ」

「ロイさんか? あの人は心配性だからな」

「うん」


 母親の、怒った時の顏を思い出す。声を荒げて怒ることは滅多にないのだが、何かに怯えているように怒り出すことはあるのだ。それは大体が、教団の教えに沿わないような行為――祈りを忘れた時などに多い。もっともそれは、今は亡き夫が助祭だったことを考えると、至極真っ当なことなのかもしれない。


 こうしてカイに会いに行っていることも、もし彼女が知れば怒るだろう。しかし父フォクスなら、どうだろうか? 不思議なことに、彼になら、全てを打ち明けることも出来たような気がする。敬虔けいけんなアスプロス教団の助祭ではあったが、盲目的ではなかった。目の前で困っている人がいれば迷わず手を差し伸べるような、深い愛情が根底にある人だったのだ。きっと、カイのことを知れば、彼女を彩る色など問題にせず、その両腕で抱き締めただろうと思う。


「タオ?」

「あぁごめん、ちょっと父さんのことを思い出してさ。父さんが生きてたら、どうだったかなって」


 考えていたことをエリュースに話すと、彼は曇天どんてんを仰いでうなった。


「確かにお前の親父さんなら、話を聞いてしまえば放っておけないかもなぁ。何せ、記憶喪失のロイさんっていう実績もあるしな」

「うん、そうだね」


 エリュースが口にしたことで、タオは最後に父親に会った時のことを思い出した。


 教団から呼び出されてアルシラに来ていた彼が、主教との面談後、帰路に就く前に会いに来てくれたのだ。サイラスのはからいで、東門まで見送る事になった。その途中で、彼が何かを話そうとしていると感じた。何か、重要なことだ。父親があんなふうに改まって話そうとするとなると、母ロイのことではないか――そう、思った。彼女は、父フォクスに出会う前の記憶が無いのだ。その切っ掛けとなったことに関してではと、期待した。しかし、運悪く教団から自分に呼び出しがかかり、結局話を聞くことが出来なかったのだ。


「そろそろ母さんのこと、詳しく聞けるかなと思ったんだけどね。あの窃盗事件のせいで聞けずじまいなんだ」

「ああ、別の奴と間違われたやつだな。サイラスおじが抗議してくれた――」

「それだよ」


 その時のサイラスの怒り方は、相手の司祭を震え上がらせていた。確たる証拠も無しに窃盗の犯人扱いをしたこと、それに、サイラスを通さず呼び出したことだ。


 タオにすれば、容疑が晴れればそれ以上相手を責める気はなかった。それよりも、結果的に慌ただしい最期の別れになったことが、何よりも悲しかった。あの時は、父親を早く母親の元に返さねばと思い、また次の機会にゆっくりと話そうと思ったのだ。


「お、ルゥだ。わざわざ、こっちまで来たのか」


 エリュースの言葉に、タオは顔を上げた。宿屋の表の方から、サイルーシュが小さく鼻歌を歌いながら歩いてきている。足取りも軽そうだ。


「ずいぶんと機嫌が良さそうだな」

「何よりだね」


 楽しそうな様子に、頬が緩む。昨日の歩き疲れた様子から考えると、驚きの回復力だ。

 目が合うと、何故なぜか両手で顔を覆って飛び跳ねている。


「おい、あいつ、大丈夫か?」

「ハハ、何かいいことがあったのかな」


 タオはレティを連れ、サイルーシュに近付いた。サイルーシュが両頬を押さえるようにして、こちらを見る。おはようと笑いかけると、挨拶と共に満面の笑みが返ってきた。


「今朝ね、大主教様の侍従だって方が来られて――馬車に乗らないかって言われたの。大主教様が、私が一緒に来ているのをお知りになって、気遣って下さって」

「え! 良かったねルゥ!」


 さすがは慈愛の人と呼ばれている大主教だ、とタオは感心した。彼女が長旅で疲れてきているのは分かっているからだ。

 そう思って喜ぶと、何故なぜかサイルーシュからの制止があった。


「断ったわよ」

「え! どうして? せっかくのご厚意なのに」


 驚いていると、隣にいるエリュースが、少しサイルーシュに顔を寄せた。


「サイラスおじが?」

「ええ、そうよ。お父様が断ったの」


 そう言うサイルーシュの表情はにこにことしており、タオにはわけが分からない。


「は――……ん。なるほど」

「エル、なんなんだよ?」

「ん? お前頑張れよって話さ。だろ? ルゥ」


 自信ありげに、エリュースがサイルーシュを見る。サイルーシュの笑みが深まり、エリュースの腕を叩いた。


「さすがエルね。そうなの、だから、何処どこまでだって歩けちゃうわ! ふふ」

「何なんだよもう、二人して」


 楽しそうな二人を前に、タオは早々に答えを聞き出すことを諦めた。こういうふうに、二人が自分を余所よそに秘密の共有をすることは、よくあることなのだ。面白くはないが、二人が話さないのなら、今は知る必要のないことなのだと思うことにしている。何にしても、サイルーシュが楽しそうなのは良いことなのだ。


 サイルーシュには、カイのことをまだ話せていない。会わせる前には話しておかねばならないとは思いつつ、話すタイミングが掴めずにいる。


 旅や森の危険性については、一通り話してあるのだ。自分やエリュースの指示に従うこと、勝手な行動は絶対にしないこと、何より、自分の命を守ることを最優先とすることを、彼女には約束させている。この前のような危険な状況になった場合の動きは、エリュースと話し合い済みだ。何かあれば、誰を犠牲にしてでもサイルーシュを優先しろと、彼は強く言った。それが、彼女を連れて行く一番の条件だったのだ。


 彼女を連れて行くことは、自分自身の為なのだろうなと、タオは分かっていた。いつまでも秘密を抱えていられないのは、自分の弱さに他ならない。


「そろそろ行くよ、二人とも」

「はーい!」


 二人揃っての、元気の良い返事が返ってくる。サイルーシュにいたっては、満面の笑みだ。

 タオは自分の頬が緩んだことを自覚しながら、レティの手綱を握り締めた。





 それから七日目、タオたちはケーラへ到着していた。まだ日が高かったためアルゲントゥムの中には入らず、そのまま森近くの村まで来たのだ。その際にはフードを被り、なるべく目立たないよう注意を払ったつもりではある。


 酒場兼宿屋で夜を越した早朝、人気ひとけの少ない酒場のカウンターに、タオはいた。サイルーシュと共に、朝食を取り終えたところだ。エリュースは「ルゥにはお前が話すべきだ」と言い残し、先に部屋に戻っている。


「ねえ、これから行くの?」


 声をひそめ、森という言葉も避けているサイルーシュに、タオは頷いた。

 話せずにずるずるとここまで来てしまったが、今ここで話しておかねばならない、と心を決める。


「ルゥ。あのね。話さなきゃいけないことがあるんだ」


 そう切り出すと、サイルーシュが不思議そうな顔をした。どうぞ、とうながされ、タオは居住まいを正す。


「森にいる妖精っていうのは――、いや、妖精はいるんだけど、その、会いに行くのは、女の子なんだ」

「女の子? 妖精じゃなくて?」

「うん」


 タオはサイルーシュの目が見られず、うつむき気味に彼女の様子をうかがった。

 すぐに何か言われないというのは、逆に怖いものなのだなと思う。


「怪我をしたっていうのは、本当?」


 しばらくして発せられたサイルーシュの声は、至って冷静なものに聞こえた。


「うん。俺は、助けてあげられなかった。逆に、助けられたんだ。俺たちが生きて帰れたのは、彼女のお陰なんだ」


 カイは、自分たちに助けをわなかった。エリュースは、カイと小妖精ピクシーに護られたと言っていた。カイはたった一人で、あの場にいた自分たちを護ってくれたのだ。そんな彼女を、友達を、見捨てて放っておくなんて出来ない。そう言うと、話を聞いて難しい顔をしていたエリュースも、最終的には頷いてくれた。また会いに行くという約束を、カイにしたのだ。会って無事を確認したい。彼女のために自分ができることがあるなら、可能な限り応えてあげたいと思う。

 

「なら、私もお礼を言いたいわ」


 サイルーシュの言葉に、タオは顔を上げた。

 向けられている優しい眼差まなざしに、自分の弱さを包み込まれている気がする。

 おそらく情けない顔をしている自分をなだめるように、サイルーシュが微笑ほほえんだ。


「何かあるなとは思っていたのよ? 話してくれると信じていたの」

「サイルーシュ」


 タオは、彼女に全てを話すことを決めた。

 共に連れて来た時から、彼女なら、秘密を漏らすことなく共有してくれるだろう、という思いはあった。それが今、確信に変わったのだ。


「そこは特殊な環境で、君を危険にさらすかもしれない。でも、約束するよ。この剣に懸けて、必ず君を護る」


 サイルーシュの両手を包み込み、タオは誓いを立てた。それに対し、サイルーシュが少し緊張したような表情で頷いてくれる。


 タオは人気ひとけが無くなった周囲を見回してから、カイと周りの人々のことを話し始めた。塔のこと、それを囲む結界のこと、カイの容姿について、これまで何があったのか。彼女が危険を避けるために、知っておくべき情報だ。

 この間のようなことが、起こらないとも限らない。サイルーシュを連れていくことで、裏切ったと思われる可能性もある。デュークラインとは、良い別れ方をしていない。そんな命の危険がある場所へ、彼女をともなおうというのだ。


 サイルーシュは、驚き、時折怯えたような表情で、口を挟むことなく聞いている。

 全てを話し終える頃には、彼女の瞳からは涙が伝い落ちていた。


「ルゥ、ごめん。君を巻き込んで」

「ううん、話してくれてありがとう。私を信じてくれて、ありがとう、タオ。私も、その子とお友達になりたいわ」


 そう言って笑むサイルーシュに、タオは神々《こうごう》しさすら感じていた。

 彼女を大切にしたい、改めてそう思う。


「ありがとう、サイルーシュ」


 タオはサイルーシュを抱き締めようと、腕を伸ばした。

 その時、目の前の彼女の視線が上がったことに気付き、慌てて振り返る。エリュースに見られていたなら、またからかわれてしまうからだ。

 しかしそこにいたのは、エリュースではなかった。

 

「やぁ!」


 そこにいたのは、にこやかな笑みをたたえた、スバル・ウェスリーだった。開け放たれている窓からの陽光を受けている彼から、爽やかな声がかかる。


「偶然だねぇ、こんな所で会うなんて」


 いつだかと同じようにそう言い、スバルが目を細めた。先程までのやり取りを聞かれてしまったかと思ったが、サイルーシュにも微笑むだけで、特に何か言ってくる様子はない。


「お友達は?」

「部屋に荷物を取りに行ってますけど……」


 スバルは、連れ(エリュース)が当然いるものだと思っているようだ。


「ところで君たちは、こんな小さな村に何しに来たんだい? お嬢さんが興味ありそうな銀細工物の本場は、手前のアルゲントゥムだよ?」

「えっと――それは……その」


 どう答えたものかと焦ってしまう。エリュースがいれば、適当なことを言って誤魔化してくれるのだろうが、いかんせん、こういうことは苦手なのだ。


 スバルが口元を片手で押さえて笑い出した。笑うのを我慢出来なかった、とでもいうような顔をしている。


「くははっ、ゴメン! ちょっと意地悪しちゃった」

「え?」

「あ! おーい!」


 突如とつじょ、スバルが奥の入り口の方を向いて片手を大きく振った。見れば、エリュースが荷物を手にやって来たところだ。彼もスバルを見て、一瞬固まったように見えた。


 足早に近付いてきたエリュースに、荷物を預けられる。彼のスバルに向けられた態度は、当たりさわりのないものだった。


「ほんとに偶然だな。何かの依頼でここに?」

「ううん、僕は、いつもの旅の途中だよ。ふらふらとね」


 首を左右に振ったスバルが、背負っていた荷物をカウンターに置いた。奥にいた酒場の主人を呼びつけて銀貨を渡し、食べ物を注文している。


「お腹()いちゃってねぇ。君たちはもう食べた?」


 そう言いながら、スープを待たず出されたパンにかじり付いたスバルを、タオは横から眺めた。どこか不思議な雰囲気の男だと思う。エリュースは胡散臭うさんくさいと言っていたが、嫌な感じはしない。


 しばらくすると、スバルが注文した食事が並べられた。スープの他、塩漬け肉を焼いたものが皿に積まれている。細身ながら、食べる量の多さには驚くばかりだ。


「スバルさんは、これから何処どこへ行くんですか?」


 スバルの食事を何とはなく眺めた末に問いかけると、スバルがまだ口を動かしながら頷いた。

 彼の喉が大きく波打つように動く。


「秘密のね、場所に行くんだよ」

「秘密?」

「そ。だからね」


 顎を高く上げてコップの中のエールが飲み干され、スバルが自身の口元を手の甲で拭いた。その手で、荷物を再び手に取る。


「もう行くのか?」


 エリュースの怪訝けげんそうな問いかけに、スバルが嬉しそうな顔をした。


「ちょっと目的地まで時間がかかるんだ。できるだけ明るい内に移動したくてね」


 見れば、荷物も必要最小限といった様子で、旅慣れているように見える。

 腰の剣帯にあるのは、二対の短剣ショートソードのようだ。


「せっかく会えたけど、君たちとは別行動だね。残念だよ」

「そ、そうですね」


 にこりと笑みを浮かべたスバルに、タオはつられて曖昧あいまいな笑みを返した。

 



 酒場を出て行くスバルを見送った後、タオたちもそこを出た。荷物をくくり付けたロバのレティを伴い、村を出る。今回はサイルーシュがいることもあり、連れて行くことにしたのだ。


「あら、あれ、スバルさんじゃない?」

「え?」


 サイルーシュが言った通り、森への小道へ入っていくスバルの姿があった。自分たちも行く道だ。

 タオは、エリュースと顔を見合わせた。

 スバルは、秘密の場所へ行くと言ったのだ。


 少し距離を取って後を付いていくと、両側に巨大な岩人間の場所に来た。それを見上げたスバルが、見慣れているかのように、そのまま森の奥へと進んでいく。


「なぁ、エル。あの人の秘密の場所ってさ……」 

「ああ」


 エリュースが足を速め、タオもそれに習いスバルを追った。


 すぐにタオたちに気付いたらしいスバルが、足を止めて振り向き、待ってくれている。タオが追いつくと、彼が可笑おかしそうに目を細めた。


「なんだい君達。もしかして、君たちもなのかい?」

「スバルさん、もしかして――しゃべるゴブリン、知ってます?」


 憶測を確信に変えるため、タオは恐る恐る尋ねた。


「あぁ、ルク、だっけ?」


 記憶を手繰たぐるようにして出されたスバルの答えに、タオは驚く。自分たち以外にも、あの塔に通っている者がいたのだ。


「なんだ、君たちもなら一緒に行こうよ。道行きは多い方が楽しいしね。どう?」


 スバルの提案に、タオはエリュースを見た。サイルーシュもエリュースに視線を送っている。

 皆の視線を受けた彼が、困ったように大きく溜息を吐いた。


「どうせ行く先が一緒なら、聞くまでもないだろ?」

「ありがと! 君たちのお陰で退屈せずに済みそうだよ」


 そう言ったスバルが、楽しそうに笑う。


 彼が一緒なら、デュークラインにも話しかけやすいかもしれない。タオは隣にいるサイルーシュと顔を見合わせながら、ほんの少し安堵した。



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