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5/18 言語差の設定を忘れていたことに気づき修正しました。大変申し訳ありません。
その日は久しぶりの大雨のせいか、鳥の魔物たちの訪問はなかった。
みんな、羽がずぶ濡れになるのは嫌がるからなぁ……。
少し寂しいけど仕方がない。
一方、オレは雨が好きだ。正確には地面にしみた雨水を根っこで吸うのが好きなんだけど。爽やかな香りとほのかな甘味があって、いくらでも飲める気がする。
根っこから雨水を吸いつつ、自分の薄い緑の葉や赤い実を伝ってポタポタと流れ落ちる滴を、のんびり眺める。
……そういえばオレの実って、オレが樹になった時にはすでに実ってたけど、それからもうずいぶん経ってるような?
でも、腐りもせずまだ艶々と赤いままだ。枝から落ちるような気配もない。
……これっていつまでこのまま実ってるんだろ? やっぱり樹とはいっても魔物だし、普通の樹とは違うのかな……?
そんなことを考えていると、にわかに複数の話し声と物音が近づいてくるのが聞こえた。
聞き慣れない物音に、え? え? と動揺するけど所詮、オレは樹。
慌てたところで結局のところ、そのまま立ち尽くす以外、何もできないのだ。
やがて、泥水を踏む足音とともに、いくつかの人影が現れた。
やって来たのは四人。フード付きの外套に身を包んでいる。
「おう、丁度いい。この辺で休憩するか」
野太い声で一人の男が言うと、「へい、お頭!」と他の男たちが答えて、背負っていた荷物を下ろし始めた。
オレの葉は大きいし、かなり豊かに生い茂っているので、こんな雨の時でも根元はさほど濡れていない。どうやら彼らはそれに目をつけたようだ。
すぐに、人間の背の高さぐらいにあるオレの枝と枝の間に大きめの布をかけて、屋根だけの簡易テントを張り始める。
"ええっ、ちょっ……やめっ……"
テントの支柱代わりにされて嫌がるオレの声など、もちろん彼らには聞こえない。
テントを張り終えると、彼らは荷物の中から干し肉とパン、酒瓶などを取り出す。
被っていたフードも背中に下ろして、オレの根の盛り上がったところに腰掛けると、めいめいが寛ぎ出した。
オレはここでようやく、何か変だと気付いた。
ラスファたちの話によれば、ここは魔族領のはずだ。だから、やって来たのが魔族だったのならおかしくはない。
――彼らは、人間の言葉を話している。
人間と魔族の言語は違うのだ。
それに魔族は、身体に独特な刺青を入れているという。その刺青は、魔族が魔力と呼ばれる不思議な力を使う時に重要なものらしい。顔や手などにもその刺青を入れると聞く。魔族の身体的特徴として、人間の間ではよく知られている話だ。
けれど今、目の前にいる者たちには、どこにもそういった刺青が見られない。外套の裾から覗く服装も普通の人間と同じだ。
人間と魔族では国交もないから、魔族領に人間がいるはずはないんだけど……。
「魔族領には無事入ったからな。兵士どもはもう、追ってこれねぇ。あと少しの辛抱だ」
オレの幹にもたれながら、お頭と呼ばれた壮年の男がニヤリと笑いながら言う。
無精髭とむき出しになった黄色い歯が何というか……いかにも無法者っぽい。
お頭の言葉に同意するように薄笑いを浮かべる他の男たちも、濁った目つきでガラが悪そうだ。
それに今、兵士がどうとか言っていた。
ラスファが言ってた、国境付近で人間の兵士たちが探しているのって、もしかしてこいつら……?
「なかなか危ねぇ橋だったが、この荷を運びさえすりゃ報酬はデカいからな。わざわざ手間ぁかけて魔族の国なんぞへ来たんだ。おめぇら、荷を渡すまで気ぃ抜くなよ」
お頭に言われた男たちは神妙に声を揃え、へいと答える。
「魔族の国なんぞ」って……やっぱりこいつら人間の密入国者なんだ。それに、「この荷」って……?
男たちが地面に下ろした荷物を見ると、その中にやけに大きな木箱が一つ見える。
……うーん。ますます犯罪がらみくさい。もしかしてこいつら盗賊とか?
などと考えていたら、お頭が懐から葉巻と火付けらしきものを取り出してきたので、オレはひぇっと悲鳴を上げた。
"やめてよ! 火なんて! オレに燃え移ったり焦げたりしたらどうするんだよぉ!"
当然、オレがいくら怒って騒いでも彼らに届くはずがなく。
お頭は悠々と葉巻に火をつけ、プクリと燻らせ始めた。
うぎゃああっ、熱を持った灰が……灰が、オレの身体に落っこちるぅ!
その時、若そうな男が「あ」と声を上げた。
男の声に反応したお頭の動きで、灰の落ちる場所がズレる。
それはオレの根から爪一つ分ほど離れたところへ、ポトッと落ちた。
あ……危なかったーっ!
「何か甘い匂いがすると思ったら……この樹の実、美味そうっすね」
立ち上がり、若い男はオレの実へと手を伸ばす。
えっ。
枝から赤い実をいくつか捥ぎ取り、お頭や他の男たちにも見せている。
「パンに載せて食ったら美味そうだな」
「ああ、そりゃ良さそうだ」
"だ、ダメだよ。オレを食べたら……!"
オレの必死な声が彼らに届くはずもない。
結局、全員がオレの実を好きなように捥いで、ナイフでカットしたパンの上に載せ始める。
"うわわわわ……"
動揺するオレに気付くことなく、まず先程の若い男がガブリと食べ始める。
「甘ぇっ! 美味いっすよコレ!」
若い男の言葉に、他の男たちも我先にと口にし始める。
「本当だ……。すげぇ甘い……」
「へー。小粒だが、こんな美味い果実は初めて食ったな」
「ほう、確かにこりゃ美味ぇ。昔、一儲けした時に高級娼館で食ったヤツを思い出すな」
お頭までそんな事を言い始めた。
え? オレの実って、そんなに美味しいの?
今までオレの実を食べた小動物からは、当然のことながら味の感想は聞けなかった。
自分の実を美味い美味いと絶賛されれば、悪い気はしない。というか、正直嬉しい。
それに、みんな食べても平気そうだし。人間には効かない毒なのかな? などと思い始めたその時。
「コ、コッテラ? おい……」
最初に食べ始めた若い男の様子が一変していた。
座ったまま、青い顔でぶるぶる震えている。仲間に声をかけられても反応がない。
そのままドサリと地面に倒れ込み、しばらくすると動かなくなる。
「どうした……んぐっ⁉︎」
驚いていたお頭たちも、すぐに同じように痙攣し始める。やがて、次々と地面に倒れ込んでいった。
"あ……"
やがて、動く者は誰もいなくなり、オレの周囲をいつもの静寂が包む。聞こえてくるのは静かな雨音だけ。
物言わぬ四つの死体に囲まれたオレは、ひとり途方に暮れるしかなかった。