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 ◆◇◆




「真田羅!」

「まだらちゃんっ!」


 鬩に連れられて水鏡をトオり、現世へと戻ってきたぼくはごほごほと咳き込みながら鬩の体を引き摺り上げる。鬩の小さな体躯には些か、ここの潮だまりは深い。てかなんで浮かないの? と、思ったらママさんとルミちゃんたちがいるからだとすぐ思い当たった。


「大丈夫かい? いきなりアンタが溺れて驚いたよ」

「そしたらその女のコがどこからか飛び込んできて……びっくりしたよぉ。まだらちゃん、だいじょぶ?」


 随分長いこと鏡面世界にいたと思うのだけれど、ママさんとルミちゃんはまるでついさっきぼくが溺れたかのような調子で話している。


【時間の流れが違うからな】


 ああ、なるほど……。

 ぼくはとりあえず鬩を抱きかかえたまま潮だまりから出て、車からタオルを持ってきてくれた女の子たちに礼を言ってごしゃごしゃと鬩の頭を拭く。足元でちょろちょろと椿狐が心配そうに纏わりついてきて、鬩がそれと気づかれないようにそっと椿狐の顎を撫ぜた。


「アンタの妹──ではないね。アンタと違って可愛いし」

「ちょっ、ママさんひどい! えっと、この子はぼくの……」


 ぼくの……、えーと。


「ぼくの……かけがえのないひと……?」

「…………」

「…………」

【…………】


 三点リーダーの文章と一緒に沈黙が周りから流れた。と、そこで自分の発言にはっとする。


「ちがっ、そういう意味じゃっ、鬩がいないとぼくだめでっ」

【お前黙れ。僕まで変な目で見られる】


 鬩ははあっとため息を吐いてタオルを剥いでぼくの頭に被せた。そしてママさんたちに向き直り、無言で一礼する。

 そんな鬩を見下ろして──ママさんは真紅の、鬩の血濡れた虹彩よりもずっと派手やかな唇を小さく尖らせた。。


「アンタ、聾学校の子だね」

「え? ──あ、補聴器……あっ! 補聴器っ。水浸しっ」

【乾かせば問題ないだろ、たぶん。それに元々使っていない。ただの飾りだ】


 ぼくの視界外(意識)にしか映らない文字で、鬩の聴力はスケールアウト(測定不能)の域に達していて、補聴器がほとんど意味を成さないのだということを教えてくれた。補聴器をつけていることで聴覚障害があるということを周囲に伝えることができるため、学校では着用を義務付けられているらしい。

 なるほど、と鬩が外した補聴器をタオルで優しく包んで乾かしながら頷いていると鬩を見下ろしていたママさんが、ぐいっと鬩の顔に唇を寄せた。ママさんの真紅の唇が、(なま)めかしく吊り上がる。


「なるほどねぇ、そんなナリをしちゃいるがアンタ──」

「──……」


 鬩の血濡れた虹彩がす、と細くなる。

 それを見て何を思ったか、ママさんは顔を戻しておもしろそうに笑った。


「アンタみたいな可愛い子は好きだよ。真田羅、今度店に連れてきな」

「え? あ、うん……」


 まだ中学生なんだけどな、鬩。


「さて、写真どころじゃなくなったねぇ。早く着替えないと風邪を引くよ」


 急かされるようにワゴン車に押し込まれたぼくらは、ママさんの運転で高松市に帰ったのであった。

 車中、鬩がルミちゃんたちにきゃあきゃあ言われながら弄られまくってたのを見て、ぼくはあまりの羨ましさに助手席でギリギリタオルを噛んだというのはここだけの話である。


【たすけて……】


 でも珍しく鬩が疲れたような顔でぼくに助けを求めてきたから、ほんの少しだけ溜飲を下した。




 ◆◇◆




 今夜はとろとろ半熟卵をのっけた大きなハンバーグ。

 それを前に、パジャマに着替えた鬩は嬉しそうに舌なめずりする。椿狐用の小さなハンバーグも机に並べて、ぼくも鬩の向かい側に座る。

 いつからだろうか。あやかし騒ぎが起きた日はこうして鬩が夜ごはんを食べに来るのがお決まりになったのは。

 今日は水浸しになったこともあって、一旦家にパジャマを取りに戻ってこっちでお風呂に入ってもらった。女子中学生を独り暮らしのおっさんのところに置いて大丈夫なのだろうかと激しく不安になるけれど。このご時世、ね。


【轍さんには言ってあるから大丈夫だ】

「わだち……ああ、九尾神社の神主さんだったけ。ぼくのこと言ってるの? それで……大丈夫だったの?」

【問題ない。九尾神社のほうでも憑訳者としての仕事をけ負っているからな──その延長線ってことにしてある】


 〝本物〟の霊能力者である鬩を頼って全国各地からあやかしに悩まされている人間が集うらしい。神主さんを後見人に立ててそれらの依頼を捌いているみたいだ。当然、それなりに依頼料は取るが、実績は確かなものだから依頼は尽きないそうだ。羨ましいねぇ。


【お前も最近は依頼が尽きないだろ?】

「……おかしな依頼は、ね」


 大惨劇以来、ぼくの事務所にお客様が増えた。けれどそれはぼくがトオったことで──そういう依頼が、増えただけだ。

 一見すればなんてことない、いつもと変わらない依頼でも請け負ってみるとあらびっくり。あやかしが関わっていた──そういうことが爆発的に増えた。おかげでここ最近は週に二、三回の割合で鬩に夜ごはんを作っている。


「おいひ」【美味しい】


 ハンバーガーをもっきゅもっきゅ頬張って笑顔を浮かべる鬩に、くすりと笑みが零れる。ぼくを助けに来てくれるときの鬩はとてもかっこよくて強くてクールだけれど、こうしていると年相応でとてもかいらしい。

 椿狐も小さな口を大きく開けてハンバーグにかぶりついていて、こっちもとてもかいらしい。あやかしのせいで荒み切った心が癒される、いい一日の終わりだ。


【ところで斑、なんでこの事務所を始めたんだ?】


 ふいに鬩にそう問われて、ぼくはそういえばどうしてだったか、と自分の記憶を探る。


「ぼく、元々東京に住んでてさ。若いころはブイブイ言わせてたんだよ~」

【…………】

「なにその目」


 ほんとなんだって。盗んだバイクで走り出したりはしなかったけどさぁ、高校の時なんかバイト三昧で自転車で日本一周とか、悪友たちと成人のふりして風俗店行ってみたりとかさぁ。大学時代にはラスベガスのカジノに行ってみたりなんかもした。そういう風にいろいろやって……そのまま大学を卒業して、会社に入ったはいいんだけど……。


「──会社勤めというのがね、どうにも性に合わなくって。だから母の実家であるこっちに来てさ、事務所開いたんだ」


 香川県には長期休暇の際、祖父母の家に泊まるためによく訪れていた。祖父母は綾川町に住んでいて、田園風景が広かるど田舎といえばこれ、と言うべき場所でぼくは泥まみれになるまで走り回ったものだ。

 脱サラしたぼくは香川県にやってきて、けれど綾川町のようなど田舎だと仕事もままならないから高松市の繁華街に貯金をはたいて事務所を買った。それから何となく何でも屋を始めた感じである。

 何でも屋を始めた理由、そこに特別なものはないけれど──自由に動けるこの仕事は、気に入っている。今でこそおかしな依頼が多いけれど、以前だってぼくの腕を頼りにしてくれる常連さんがそこそこいた。おかげで赤字と黒字の境界線を彷徨いつつもギリギリどうにかやってこれたものである。


「一番得意なのはお裁縫でね~子どもの発表会用衣装を作ってください、っていう依頼もよく請けるんだよ~」

【お裁縫……】


 女子力高いな……と、文字が小さく踊る。それはルミちゃんたちにもよく言われる。バレンタインとか、よくお菓子作って持っていくんだけどすっごく評判いいんだよね~。


「鬩はどんなお菓子が好き?」

【あんみつ】

「あんみつかぁ。じゃ、あんみつとワッフルの材料を用意しとくよ~。ちなみにごはんのほうは?」

【からあげ】


 おお、からあげ。王道だね~。鬩くらいの女の子ならパスタとかオムレツとか好きそうなものだけれど、鬩は意外とがっつりしたごはんが好きなんだよね。


「きゅい!」

【……椿狐はオムレツが好きなんだそうだ】

「あ、うん知ってる。毎朝作ってあげてるからね」


 生クリームを混ぜたとろとろオムレツ、それが椿狐の一番の好物なのである。毎朝それを欲してぷにぷに肉球で起こしてくる。依頼がない日はゆっくり寝たいんだけど、それでもあの肉球には逆らえない。かいらしいよねぇ。

 きゅいきゅい、と空になった器を前足で押して椿狐はぺろりと口の周りを舐める。美味しかったようでなにより。もっふもっふと揺れる九本のしっぽが本当にかいらしい。寝る時さぁ、あのしっぽに顔埋めてからじゃないと眠れないんだよねぇ。もっふぁもっふぁの感触に包まれて幸せな気持ちで眠りに落ちる、至福だね。


【……すっかりペットだな】


 きゃん! と椿狐が抗議する。それに驚いたのはぼくだ。いや、だって。祀神さまだってのは知ってるけど。でもだって、椿狐ってばかいらしい以外何もしないし……。

 がうっと怒られた。ごめんなさい。


【本尊は九尾神社の本堂にあるからな。この椿狐はあくまで現身(ウツシミ)にすぎない】


 今ここにいる椿狐はあくまで分身体のようなもので、本体は九尾神社に今も祀られているらしい。分身体である椿狐には能力らしい能力がなくて、ただかいらしいだけだけれど本体に戻れば──鬩の狐火を遥かに超える燐火リンカを操ることができるそうだ。


「へぇ~、お前がねぇ~。……そういえば鬩、憑訳者の能力を使う時、いつもその数珠に触れているけど……」

【僕の能力は〝文字〟がないと起動しづらいからな。いちいち紙に書くのも面倒なんで、数珠の(タマ)に字を彫り込んでいる】


 そう言って鬩が数珠を外して見せてくれたのだけれど、確かに柘榴石(ガーネット)のような珠ひとつひとつに一文字ずつ彫られていた。〝字〟に〝念〟に〝讀〟に〝火〟に──なるほど、これらの文字を組み合わせて能力を使っていたんだねぇ。


「なるほど。憑訳者ってのも万能じゃないんだねぇ」


 ──と、なんの気も無しに口にしたぼくの言葉を、けれど鬩は困ったように首を傾げる。

 ああ、そうか。数珠がないから〝字念〟も〝字讀〟も使えないのか。数珠を返せば鬩はすぐ左腕に嵌めて、何を言ったのかと問うてくる。それにもう一度、同じ言葉を繰り返せば鬩は首肯した。


【他の霊能力者はあやかしの(コエ)を聴き取り念仏を唱えているが……僕は元々耳が聞こえないからな。どうしても〝音〟の概念が僕には分からない】


 だからこそ〝憑訳〟という形で、鬩は鬩なりにあやかしと通ずる方法を編み出した──というわけか。すごいなぁ、鬩は。

 ハンバーグを美味しそうに頬張っている今の鬩はとてもかいらしい、ただの女の子だけれど──


 ──鬩は、本当にかっこいい。




 ── 正義を踏み台にする人間は怖い ──


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