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【だろうな。だが、そんなことをやっておいて親に知られたくないは虫が良すぎる。常元蟲なだけに】
「……まあね。でも、親には知られたくないものなんだよ。親にはいつまでも、可愛い我が子と思っていてほしいからね」
【……、…………そんなものか。僕には両親なんていていないようなものだからな……】
「いるだろ? 轍さんと暦さん」
神社轍と神社暦。血こそ直接的に繋がっていないけれど、確かに鬩の養母であり、養父であると思っている。九尾神社に泊まりに行った時、轍さんも暦さんも鬩のことを心配していて、ぼくによろしくって何度もお願いしてきていたし。
【……そう、だな】
文字こそそれだけだったが、鬩の口元はかすかに緩んでいた。
【……確かに、轍さんにも暦さんにも……余計な心配、かけたくないな】
「うん。ぼくも両親にだけは知られたくないこと、いっぱいあったからねぇ」
父さんと母さん、元気にしているだろうか。たまには東京に顔を見せに行かないとなぁ……。みるくにもここあちゃんにも会いたいし。
ちなみに家族でメッセージアプリにグループチャットルーム作っているからわりかし近況はわかる。昔に比べるとずいぶん情報共有が楽になったものだ、と思う。
「きゃん」
頭上で大人しくしていた椿狐が一声鳴いて、鬩が首をひねりながら怪訝そうに椿狐を見上げた。
【何で僕も一緒に斑の実家に行かなきゃならんのだ?】
「ぉん」
【家族だからって……いや、まあ確かにここに入り浸ってしまっているが】
「きゃぉん」
【それが本音だろ。東京のグルメ食べたいだけだろお前──……ん】
ふと、鬩の血濡れた虹彩が細められる。同時に、インターフォンが鳴った。応対しに行けば、なんと伸一くんが戻ってきていた。それも、ひとりで。
◆◇◆
岡山市で起きた無差別連続通り魔の犯人として、掲示板にとある社会人の氏名と顔写真が挙がった。防犯カメラに映った男と似ていたこともあり、ネットはすっかりこの男を犯人と決めつけ、盛り上がった。
伸一くんもそのひとりで、ちょうどその男が近所に住んでいたこともあり、職場や自宅の写真を撮って掲示板に上げ、自身のSNSアカウントでも凶悪な通り魔、拡散希望! と顔写真や住所氏名を拡散した。
「まさか違うなんて思ってなかったんス……」
「掲示板にその名前が挙がっていたからそいつが犯人だと思い込んでしまった、かい」
「そ、そッス!」
「だからきみは悪くないの?」
なるべく穏やかに、刺激しないよう抑えた声色で語る。伸一くんはぐっと息を呑んで、憮然とした顔つきで押し黙った。
「それにね、その言い分だと犯人なら構わない、ってことになるけれど」
「……だって、早く逮捕しなきゃッスし」
「うん、そうだね。それなら情報を警察に提供すればいいんじゃないのかな?」
「…………」
「伸一くん、きみのしたことは個人情報保護法に反しているし、名誉棄損罪も成り立つ。職場も晒したとなると信用毀損罪、業務妨害罪にも問われることになる。……伸一くん、〝正しいこと〟をやるためになら、これだけの罪を犯してもいいのかい?」
「警察はもっといろいろして……」
「警察は法の下に認められているからだよ。警察以外が警察の真似事をしてもいいのなら、警察なんていらないだろ? 違うかい」
「…………」
伸一くんはまた、押し黙ってしまう。
むっつりと唇をへの字に曲げて、納得がいかないような表情で忙しなく視線を動かしている。誰だって自分は悪くないって思いたい。それはわかるけれど。
「伸一くん、間違ってしまったことは置いといて……連続通り魔の情報を晒した時、どう思ったんだい? 正しいことをした、と思ったのかい?」
「そりゃ、まあ……」
「──本当に?」
──貴様らは悪しきを正すためにやったんじゃあない。悪しきを嬲るためにやったんだ。気持ちよかっただろう? 自分の主張に同意を貰えて。悪しきをみんなで一緒に叩きのめして悦に入って。──たまらなく、気持ちよかっただろう?
言い過ぎだけれど、鬩の言った通りなのだろう。
最初は、確かに悪いことを許せないという正義心から勧善懲悪の真似事をやったのだろう。しかし〝正義〟の大義名分を掲げれば悪をどんなに罰しても大目玉を喰らわないことを知ってしまえば。同じく〝正義〟を掲げる者たちに称賛され、承認欲を満たせることを知ってしまえば。
──やがて、独り善がりの〝正義〟は歪んで低俗な悪意に成り下がってしまう。
七人同行のように。
「ぼくは人を死なせたことがある」
「えっ」
伸一くんが驚くのと同時に、テレビを眺めていた鬩がぼくを見やったのがわかった。鬩の眼差しにはまだ気にしているのか、という不満そうな色がある。くすりと笑いそうになるのを堪えて、続ける。
「ぼくが無知だったせいで、考えなしだったせいで、浅はかだったせいで──事故が起きて、死なせてしまったんだ」
安治さん。
きっとこれから先、一生忘れることはない。
「法律もね、いくつか侵しちゃってる。不法侵入とか。警察には何の罪にも問われなかったけどね……でも、確かにぼくは人を死なせて、法律も侵した。──ぼくを糾弾するかい? ぼくを晒すかい? ……警察の代わりに、ぼくを裁くかい?」
「…………」
「別に通り魔を擁護しているわけじゃないんだけどね……加害者にも色々いる。介護疲れで母親を殺した息子のニュースとか、あるだろう? あれは立派な殺人罪だ。でも介護に疲れていたから仕方ないって声が多かったよね。あれはいいのかい? きみの、〝正義の心〟はどう思うんだい?」
「…………」
伸一くんの顔色が、ひどく悪い。これ以上続けるのは伸一くんの情緒面にもよくない気がする──けれど、常元蟲に寄生されているという事情が話をややこしくしてしまっている。
「同じ悪いことをしても許される人と許されない人がいるって、いいのかなあ?」
「…………」
「……そんなことを法律も何も知らないぼくらが勝手に決めつけちゃうのは危険だって、わかるだろう? だから警察がいて、検事がいて、裁判官がいて、弁護士がいるんだ」
本当に〝悪〟を裁きたいと望むならば、然るべき立場になるべく勉強するのが最も正しいことだ。
「……う」
呻き声とともに、伸一くんの目から涙が零れ落ちる。
「うう……ぅ、う……ごめ、ごめん、なさい……ごめん、なさい……」
堰を切ったように止まらなくなった涙をそのままに、伸一くんは謝罪を繰り返す。
「気分、よかった……ん、です……バカなヤツ、が……吊るし上げられて、いて……色んなものを、失っていくのを……みて……すごく、気分……よかった……んです」
〝正義〟の名の下に、何でも許される。
それをいいことに、今まで色んな奴らを吊るし上げてきたと伸一くんは語って、嗚咽する。SNSアカウントも教えてくれたので確認してみたけれど、既に凍結されていた。おそらく弁護士が介入して削除させないよう凍結処理を依頼したのだろうと思う。
「警察に行くかい? 自首すればいくらか罪は軽くなるかもしれない」
「は……い」
学生だし、おそらくは和解金の支払いのみで被害届けは取り下げられるだろうけど……今後のことも考えて親にはきちんと話すよう申し付ける。伸一くんは素直に頷いて、両親をスマートフォンで呼び出し始めた。
──その瞬間だった。
ぼろりと、それは驚くほどあっさりと。
あまりにもあっけなく──拍子抜けするほど簡単に。
常元蟲が、伸一くんのお腹から転げ落ちた。
「あ……」
【──自分の歪んだ〝正義〟を認められたから、常元蟲が寄生できなくなったんだ】
床でのたうち回っている常元蟲に青白い狐火を手向けて、鬩はふっと薄く微笑んだ。
【もう大丈夫だ】
そのひとことに、呆然と床を見つめ下ろしていた伸一くんは目を大きく見開いて、また涙を溢れさせた。
死の恐怖から逃れたからとその場をなあなあにすることもなく、伸一くんはきちんと自らの行いを全て両親に話して──警察に自首することをぼくに約束して、鬩に頭を下げた。
──もう、彼は大丈夫。
──他の五人も、どうか間に合ってくれればいいのだけれど。
── 歪んだ加虐趣味を正義と呼ぶな ──




