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「もうすぐここに同じように常元蟲に寄生された方々がいらっしゃいます。その方々にも同じ話をしますが……自分の〝正義〟と向き合わなければ常元蟲は抜けません。常元は民衆の狂気じみた正義に殺された。だからそれを恨んでいる。常元蟲を剥がすには、自身にある正義がどういうたぐいのものなのかを理解しないといけないんです」
「正義……確かにうちの子は曲がったことを嫌いますが。……伸一、何か心当たりはあるか?」
「ないよ、そんなの」
ぼそぼそとした答えを返して、伸一くんはやはり憮然としたような顔つきで俯いた。
「SNSとかしていないかい? それで、悪いことをしているアカウントに何か──」
「そんなんアンタには関係ねーっしょ! プライバシーに踏み込まないでください!」
怒られた。ふむ、図星と捉えていいのだろうか。
しかしこうやって逃げている限り、常元蟲は伸一くんを侵食し続ける。どうしたものか。
「じゃあ、ちょっと話を変えようか──〝正しい〟って何だと思う?」
「……は?」
「法治国家だからね。法律を守ることが〝正しい〟になるのかな?」
「……そーなんじゃないスか」
「うん。だとしたら法律を破った人間は〝正しくない〟わけだ──じゃあ、この〝正しくない〟人間はどうなるんだろう」
「……何の話スか」
「まあまあ……〝正しくない〟人間は大抵の場合、罰される。法律でもそう定められているからね。そして罰するための機関もいくつかある。警察、裁判、検事……」
法治国家においては法の上に定められている禁止行為を犯した者たちを捌くための法律が存在し、それを執行するための機関もある。法にも然るべき資格や免許を所持している人間でなければ裁けないよう定められている。
「じゃあ、〝正しくない〟人間を法の下に定められている人間以外が裁くのはどうなんだろう?」
「……警察とか仕事しねーしいーんじゃないスか。殺すとか、やりすぎなきゃ」
お、と思う。
少し伸一くんの〝正義〟を引き出せたような気がする。警察が仕事しないから、代わりに自分たちが裁いてもいい。行きすぎなければいい。──そこにある違和感に自分で気付ければ、重畳なんだけれど。
このまま話を進めるか、と思ったけれどそうはうまくいかなかった。
「ちょっと! さっきから聞いていれば──まるでうちの子が何かやったみたいに!」
母親が目を吊り上げて、不愉快だとばかりにぼくを睨んでくる。そのひとことで、少しぼくに対抗心を出しかけていた伸一くんがまた引っ込む。
これは……厄介だ。
「理由もなく常元蟲が伸一くんに寄生することはありません。あやかしとは──妖怪とは、そういうものなんです」
「うちの子が悪いみたいな言い方はよして!! うちの子に原因があるだなんてありえないわ!! 曲がったことが嫌いで、真面目で、ひたむきなんです!!」
「──その〝曲がったことが嫌い〟が、今回問題になるんですよ」
極力声を抑えて、ヒートアップさせないように静かに語りかける。けれど母親は怒りに目を滾らせるばかりで決して問題の本質を見ようとしない。──まあ、あやかしという存在自体、一般人には縁ないものだ。心因的事由があると言われても、ピンとこないものなんだろうとは思う。
と、ちょうどその時だった。
インターフォンが鳴って、複数の来客を知らせる声が掛かってきた。鬩がこっちに回してきたお客さんたちだろう──伸一くんたちにひとこと断りを入れてからお客さんたちを迎え入れる。
中学生と思しき少年とその母親。女子高校生。大学生くらいの青年。二十代半ばくらいのサラリーマン。四十代くらいの背が曲がった男性。
やはり若い人が多いな、と重いつつソファやダイニングテーブルに案内して、伸一くんたちにしたのと同じ説明を繰り返す。
「卵を産み付けた親玉は今、鬩が退治しに行っています。ですが親玉を駆除しても一度産み付けられてしまった常元蟲は死なない──みなさんが自分の〝正義の心〟と向き合って、自分の行いを見つめ直さないと──」
「私たちが正義にかこつけて悪いことしたみたいな言い方やめて!! そんなことしてないわ!!」
「そうですよ。我々は被害者なんです。それを加害者みたいに」
「何もしてないのは確かです。本当に何もしてない。なんで何もしてないのに悪者みたいに言われないといけないんだ!」
非難轟々、である。
口々に自分は何もしてない、と言い募る彼らではあるけれど、その顔色は悪い。〝もしかしたら〟という想いあたりはあるように見える──が、それを知られたくない。認めたくない。悪いのはあっちだ。自分は悪くない。そう、想っている感じだろうか。
「……申し訳ないんですがね、これはぼくにも鬩にもどうにもできないんです。みなさんが自分で気付かない限り、どうにも……」
「それでも霊能力者なんですか!? こういうの専門にしているって聞いたのに! とんだ詐欺じゃないですか!!」
「ぼくは霊能力者じゃないんだけど……ともかく、時間がない。鬩によれば常元蟲が寄生する期間は一ヶ月。卵を産み付けられて一週間で孵り、それから三週間かけて宿主の養分を吸い尽くし、羽化する。羽化してしまえばもう助からない」
ぼくの言葉に女子高生がわあっと泣き出す。
「何もしてないのに! あんまりだわ!!」
「本当に何もしてないんですか!? SNSは!? 学校では!?」
「そんなのアンタには関係ないでしょ!!」
──ああもう。
こういうのは本当に厄介だ。インターネットの発達によって匿名性が上がり、誰とでも匿名で関われるようになった。そのぶん、気が大きくなりやすい傾向にある。そして──他人に知られることへの忌避感が、とてつもなく大きい。
匿名だからこそ何を言っても周りにはわからない。そう、匿名だからこそ隠せるものなら隠したい。それが後ろ暗いこととなるとなおのこと──知られたくないと頑なになってしまう。
こういう時は堂々と悪事を働く不良学生の方が素直だったりする。
「じゃあぼくと一対一での面談なら、何があったかお話してくれますか?」
「フザけんな、何様だよおっさん。ケーサツでもねぇくせに」
「…………」
どうしたものか、と頭を掻く。
【──拒否するなら捨て置け。どうせ他人だ】
そんな一文が視界外に視えてあっとお客さんたちが声を上げると同時に、ドゴォンと室内に轟音が響き渡った。
同時に、絶叫した。ぼくが。
【常元蟲の親玉、百足常元だ】
それは、吐き気を催すほどにおぞましい巨大なムカデだった。無脳児のような不完全な頭部を先頭に、人間の胴体が幾つも繋がっていてムカデのようになっている。
いつだったか──悪友がぼくに無理矢理見せてきた〝ムカデ人間〟というホラー映画を思い出した。
【この通り、親玉は倒した。もう卵がばら撒かれることはない──だが既に産み付けられている貴様らは貴様ら自身でどうにかしない限り助からん】
鬩は冷淡に文字を綴って、ぱちりと指を鳴らして百足常元を青白い炎で包みだした。既に息絶えているのか、狐火に暴れる様子はない。
「やっぱり自分の〝正義の心〟を自覚しないと?」
【ああ】
鬩はふよりと浮いて、室内に集っている常元蟲の宿主たちを見下ろす。それはひどく冷酷で、彼らを既に切り捨てているようにも見える表情だった。
それがわかったのだろう。お客さんたちは一様に怯えて、身を縮こまらせている。松江さん一家──伸一くんたちも、初めて相対する〝本物〟の霊能力者に呆然として、これがようやく尋常じゃない事態であると認識したようだった。
【何度も言ったな。自分の行いを顧みろと。たったそれだけでいいと。それさえできないなら僕の知ったことではない。依頼料は不要。帰れ】
自分に厳しく。
他人にも厳しく。
世界に対しても厳しい。
導いた道を拒絶し、保身に走るような人間たちを鬩は容赦なく切り捨てた。
「そんな……そんなの困る!! アンタにならどうにかできるかもしれないって……だからわざわざ!!」
【何度も言わせるな。何度も説明しただろう? 斑からも説明を受けただろう? この常元蟲の特性について。寄生から逃れるすべについて。何度も、何度も言われただろう? それを拒否したのは貴様らだ。僕の知ったことではない】
「役立たず!! 霊能力者のくせにこんなの一匹どうにかできねえのかよ!!」
【常元蟲を引き摺り出すだけなら自分でやればいい。内臓も一緒に引き摺り出されて死ぬがな】
「アンタそれでも人間なのか!!」
【黙れ!!】
鬩の血濡れた虹彩が軽蔑に歪む。
【僕にわからないとでも思っているのか? 貴様らがやったこと】
「っ……」
【今ここで暴露してやろうか? ひとりひとり、やったこととその顛末を。SNSのアカウントも添えてひとつひとつ丁寧に解説してやろうか? 貴様ら正義厨のやった悪意まみれの行動を】
「なっ……そんな言い草はないだろう!?」
【貴様らは悪しきを正すためにやったんじゃあない。悪しきを嬲るためにやったんだ。気持ちよかっただろう? 自分の主張に同意を貰えて。悪しきをみんなで一緒に叩きのめして悦に入って。──たまらなく、気持ちよかっただろう?】
気持ちいいまま死ねるなら別にいいじゃあないか。
そう吐き捨てて、鬩はぼくにコーラ飲みたいと言ってきた。もう話は終わったとばかりに、お客さんたちには目もくれずテレビをつける。
お客さんたちは気まずそうに押し黙って、言葉を上げない。かと言って帰るわけにもいかずで、重苦しい沈黙が落ちた。
『──次のニュースです。岡山市で発生した連続傷害事件について、SNSで無関係の人物が犯人として拡散されていると警察が発表しました。冤罪をかけられたAさんは自身のSNSアカウントが荒らされるだけでなく職場や家族などにも被害が出たということで、弁護士を通して法的措置を──』
がたっと、何人かが立ち上がった。
伸一くんと、あとサラリーマンの男性だ。その顔面は蒼白で、テレビをじっと凝視している。
テレビを眺めていた鬩がちらりと振り返って、血濡れた虹彩をふたりに向ける。
【よかったな。貴様らの〝正しい行い〟がテレビに取り上げられたぞ】
続けて、鬩はテレビに視線を戻しながら冷淡に文字を綴る。
【帰れ。これは自分自身でどうにかする問題だ。それでも相談したきゃ、斑に依頼料払って人生相談でも受けることだな】
それ以降、言葉も文字も何も交わされることなく──ただニュースを読み上げるアナウンサーの声が響く中、お客さんたちは沈んだ面持ちで帰って行った。
伸一くんが涙目で、唇をぶるぶるふるわせながらぼくを見ていたが──両親をちらりと見て、ぎゅっと目を強く瞑って出ていってしまった。ぼくに相談したかったのかもしれないけれど、両親にだけは知られたくない──おそらくは、そんなところだろう。




