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【──なるほどな。紛い物は紛い物でも……成り代わり願望の強さゆえに、感情がこの古紙に染み付いてしまったか】


「感情……? えっと、成り代わろうとした人間の怨霊とか……じゃなくて?」

【嫉妬して成り代わりたいと願うような弱い人間なぞ死後には何も残らんよ。ただ、紙というのは人の想いを()い取りやすいからな──作者本人が死んでもなお、作者の感情が遺ってしまっている】


 そして、と鬩は血濡れた虹彩を猫のように細めた。


【その感情が独り歩きして、紛い物の妖怪を()()にしようとしているんだな】


 紛い物。マガイモノ。ゆえに、魂はない。

 ならばどうすればいいか? 単純である。()()()()()()()()()()()


「えっ? じゃあ、ぼくが呑みこまれたのは」

【お前の魂を妖怪の魂として宛がうためだろうな】


 ふぎゅっと鬩から潰れた蛙のような声が漏れる。離せ、と文字が怒りを伝えてくるけれど離せない。ぼく、また死にかけてたの!? ぼくなにかした!? ぼくなにもしてないのにっ!!


【伏せろ!!】


 ぐんっ、と重力がいきなり何十倍にも何百倍にもなったような感覚が全身に迸って体が倒れる。倒れ込んだぼくの上に、鬩が覆い被さる。


「ぐっ!!」

「!? 鬩!?」


 体に圧しかかっていた重力は一瞬で消えた。慌てて体を起こして鬩を見上げると、鬩の右頬がぱっくりと大きく裂けていた。どくどくと血が流れ落ちていて、ぼくはさあっと全身から血の気が引くのを感じた。


「せめぐっ」

【離れていろ!】


 ぐんっ、とまたもや重力の荒波が全身を襲ってぼくの体が浮く。そうか、鬩が〝念動〟使っているのか。


【いや、やっぱり僕から離れるな。あの土蜘蛛──お前を喰うつもりだ】

「ヒッ」


 宙ぶらりんでふわふわ心許ない体勢の中、必死に両手両足をばたつかせて鬩にしがみつこうとする。けれど届かなくて涙目になっていたところに、鬩が自分からぼくの元にやってきてくれた。安堵の息とともに鬩にしがみつけば、そのまま鬩はぼくを連れて空高く浮かび上がった。

 ずしん、と先ほどまでぼくらがいた場所に土蜘蛛の蟋蟀こおろぎのような足が着地する。紙質のような世界だから地面はなくて、けれどたぶん地面があったらクレーターができていたのだろうなと思える、重い衝撃音だ。


【今までにもこうやってお前みたいに、何人もの人間を取り込んで──その魂を喰らって、妖怪としてのていを成せるように具現化したのだろうな。だがまあ、所詮紛い物は紛い物──いくら魂を練り込んだとて、つぎはぎだらけで結局本物には成り切れない】


 その証拠にあの土蜘蛛は、空を飛べない。

 空を飛べないという言葉に改めて土蜘蛛を見下ろしてみると、確かにこちらを見上げてぎいぎい鳴くばかりで飛び上がろうとする様子がない。さっき、鬩が土蜘蛛は空を飛ぶとか言っていたから本物の土蜘蛛は空を飛ぶんだろう。けれどあの土蜘蛛は、紛い物だから飛べない。紛い物は、紛い物でしかない。


【フン。珍しい掘り出し物だと思っていたが──贋作どころではない、ただの紛い物だったな】


 紛い物にこれ以上付き合う価値はない。

 そう冷淡に文字を連ねて、鬩は左腕の数珠を閃かせて指を鳴らす。


【〝狐火(キツネビ)〟】


 ぼうっ、と青白い炎が鬩の指先に灯る。白藍(しらあい)色の輝きを持つ、ほのかな紫色が混じった青系統の勿忘草(わすれなぐさ)色の美しい炎。一ヶ月前にも、鬩は血まみれになりながらもこの青白い炎を纏ってぼくを助けてくれた。

 救いの炎に、ほうっと安心のため息が零れる。


【感情のひとかけらさえ遺すことなく焼き尽くされろ】


 視界が青白い炎に覆い尽くされる。けれどぼくは慌てない。この炎はぼくを傷付けないことを、ぼくはよく知っているから。

 眼下から土蜘蛛が金切り声を上げながらもだえ苦しんでいる音が響く。けれど眼下に視線を落としても青白い炎が映るばかりで何も見えない。だから鬩に視線を戻して、ぎゅっと改めて鬩の小さな体躯にしがみつく。

 三十歳の、しかも鬩よりもひと回りもふた回りも大きな体をしている男が情けないとは思う。けれど、しょうがないじゃないか。

 ぼくよりもずっとずっと、ずぅーっと小さな背中だけれど──すごく、安心するんだ。




 ◆◇◆




 ──ふと気付けば、古書店の中にぼくらはいた。

 カビ臭くて埃っぽい古書店の中でぼくは鬩にしがみついていて、鬩の足元では炭が凝り固まっていた。やがてそれは、ちりちりと塵となって消えていく。


「ぁおんっ!」

「うわっ」


 椿狐がぼくの顔に飛び込んできて、もっふりと顔が毛皮に埋まる。いないと思っていたけど、今までここで待っていたのか。


「──あっ!! そうだせめぐっ、怪我!!」


 放心している場合じゃないと鬩の体を無理矢理反転させる。鬩の右頬は、真っ赤に染まていた。ぞわりと全身が粟立つ。


【大丈夫だ、もう血は止まっている。聾学校に戻ったら保健室に行く】

「ほけっ……そんな次元じゃっ」

【落ち着け。出血量が多いから深手に見えるだけだ。傷は浅い】


 昼休みがもう終わるから戻りたいんだが、と鬩の肩を掴んで離そうとしないぼくに鬩はじとりと半目でねめつけてくる。相変わらず──クールな子だ。クールってか、淡白というか……中学生なのにぼくよりも落ち着いているっていうか……。女の子ってこんなものなの? ぼくの姪っ子もいずれこうなるの?


「ち……ちゃんと保健室行ってね。傷跡、残ったら大変だから。女の子なのに……」


 ──そう、女の子なのに。


「……女の子なのに、傷を負わせちゃってごめん」


 ──ぼくが、助けてって鬩を呼んだから。


「ぴゃん!!」


 しばかれた。


【傷のひとつふたつで困るくらいなら憑訳者なんてしていない】

「……鬩」

【それにお前、じゃあ次からは呼ばれても行かないって僕が言ってもいいのか?】

「無理ですごめんなさい次も助けてください」


 一ヶ月前のあの大惨劇で、ぼくは(トオ)ってしまった。

 あやかしとは無縁の世界から、あやかしに満ちた異界に。そのことでぼくの人生は百八十度、どころか一次元ほども二次元ほども変わってしまった。

 無力で無知で怖がりで泣き虫で、弱いぼくじゃあ生き残るのはとても厳しかった。だからこうして何かあった時には鬩が、助けてくれている。一ヶ月前の大惨劇以外でも──この一か月間で、鬩はいろいろ助けてくれた。

 容赦ないし淡白だし無表情な子だけれど、とても優しい子なのだ。


「……じゃあ鬩、せめてお礼させてよ。いつも用が済んだら帰っちゃうし……」

【…………そうだな】


 鬩は考え込むように顎に手をやる。その間に、まだ使っていない洗いたてのタオルを鞄から引き摺り出して鬩の右頬に押し当てる。消毒液なんかあればよかったんだけど。


【今夜、家の人がいなくてな。僕ひとりなんだ。だから夕飯を食わせろ】

「夜ごはん? もちろん喜んで……だけど、家の人がいないって……えっと、確か鬩は九尾神社に住んでいるんだよね」

【居候だがな】


 鬩は元々京都の出身であるらしい。

 けれどその霊能力が原因で親戚である九尾神社に預けられ、親戚とはいえ赤の他人と生活をともにしているのだという。


【みないい人なのだがな。──やはり引け目というのはある。今夜も、(わだち)さん……九尾神社の宮司なんだが、轍さんの誕生日ということで外食の予定が入っててな。僕も誘われたが、家族団欒を邪魔するのも申し訳ないから断った】


 宮司である女性神主とその夫、そしてまだ小学生の兄妹の四人家族が九尾神社を取り仕切っているそうだが、鬩は時々家族団欒の邪魔をすまいと抜けるらしい。

 いい人たちだというのなら別に気にしなくてもいいとは思うんだけど、というぼくの心の声はしっかり届いてしまったらしく鬩は困ったように微笑んだ。


【分かっているんだが、な】


 ……分かっていても、やはり引け目を感じてしまう、というものだろうか。


「──うん、分かった。じゃあ張り切って夜ごはん作るからさ。学校終わったらおいでよ」

【……作るのか? お前が?】

「ちょっ、何その不安そうな顔! 一人暮らししてるから自炊くらいするよっ」

【……ふふ】


「ありかと、またら」【ありがとう、斑】


 ──それは今までにない、心の底から嬉しそうな満面の笑みだった。


 それを最後に、鬩は転移でそこから消えてしまった。

 古臭く饐えた匂いの充満する古書店にひとり取り残されたぼくは、しばらく茫然と鬩のいた場所を眺める。

 無表情で淡白な子だと思っていたけれど──やはり、かいらしい女の子なんだ。女の子なのに、まだ中学生なのに、ぼくよりもずっと小さい体なのにとてもかっこよくて──とても強くて、とてもかいらしい。


「……サーモンとほうれん草のクリームパスタにするかなぁ」

「ぉん」


 椿狐も同意してくれた。うん、鬩も女の子だし、きっとそういうメニューのほうが好きだろう。今夜はラウンジに行ってルミちゃんと駄弁るつもりだったけど……ルミちゃんに後で謝っておこう。

 今夜は鬩のために、腕を振るおう。


 ──知らず知らずのうちに微笑んでしまっていた自分に気付くことのないまま、ぼくは途中で放り出してしまっていた整頓作業を再開させた。


 ちなみにこの後何冊か呪いの本にぶち当たって鬩を呼びまくった。

 もう古書店には行かない。




 ── (カタ)る人間は怖い ──


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