(1/3)── 参 ── ろくろ首
「あれ? いちずちゃんこんにちは」
今日も今日とてまだら相談事務所は絶賛営業中である。ついゆうべ、抱えていた依頼を全て完了し、振り込まれた依頼料にほくほくしていたところで来客のインターフォンが鳴り、応対しに行けばそこにはセーラー服を着た少女がいた。
「こんにちは、まだらさん。いきなり、ごめんなさい」
「いいよいいよ。上がって上がって」《珈琲と紅茶、どっち飲む?》
中に通しつつ、会話方法を口話から手話に切り替えて応接間セットに促す。
少女は色素の薄い、光の加減によっては珊瑚色に見える髪を揺蕩わせながら微笑んで頭を下げた。きらりと飴色のきれいな虹彩が煌めいて、その小さな体躯も見合って本当に愛くるしい女の子だなぁ、と思わずほっこりとしてしまう。
彼女は甘神いちず──高松市立聾学校中学部三年生、つまり鬩のクラスメイトだ。先日、とある事件を通して彼女も鬩の〝憑訳者〟としての裏の顔を知り、それ以来何かと仲良くするようになった。
聾唖である鬩と違い、いちずちゃんは難聴で、補聴器とある程度の配慮があれば口話も問題なくこなせる。──けれど、手話がある方がわかりやすいし楽とのことだったので、いちずちゃんがいる時は手話を基本にしている。
鬩とも普段は字念を使った会話だけれど、霊能力も無限じゃないし万能じゃないから、鬩が疲れている時とか人目がある時は手話を使う。
《はい、珈琲。ミルクたっぷりで砂糖なし、だよね》
《はい! 好み、覚えていてくれたんですね。鬩くんの好みもばっちりなだけ、あります》
カフェオレをひと口口に含みながらうっとりとぼくを見つめるその眼差しには、ある一種の感情が見え隠れしている。
恋慕ではない。
これは断言できる。いちずちゃんのぼくに対する視線に宿っているのは恋慕では決してない。むしろ、それは鬩に対してだ。鬩を見るいちずちゃんの眼差しは恋する乙女そのものだけれど、いちずちゃんのぼくを見つめる眼差しは……なんというか。
こう、背筋がぞわっとするというか。変な汗が出そうになるというか。うん、不穏な何かを感じるんだ。
《それで、今日はどうしたの?》
《はいっ。お願い、しに来たんです! えっとですね、聾学校でちょっと、変なことがあって》
「…………」
笑顔のまま、沈黙する。
沈黙して、一応、鬩に頼ったかどうか問うてみる。
《……鬩くんは、〝ヒトの問題に僕は手を出せない〟って》
《──あやかし関係じゃないの?》
ちょっと胸を撫でおろす。あやかし関係じゃないなら全然大丈夫。
《ひとつ下の後輩なんですけど、〝ろくろ首〟って虐められていて》
全然大丈夫じゃなかった。
《ろ……ろくろ首?》
《はい。えっと、その子……重複障害者なんですけど、腕も足も長くて、その、首も少し人より長くて……》
〝重複障害〟というのは文字通り、いくつもの障害を抱えていることでこの場合、聴覚障害と知的障害、肢体不自由の重複らしい。聾学校にはそういう重複障害者も割合多くて、学年関係なくひとつのクラスにまとめられて授業が行われており、現在中学部の重複学級には三人いるそうだ。
《倉敷うちはちゃんって言うんですけど……》
重度の聴覚障害と中高度の知的障害・肢体不自由を抱えている中学二年の少女とのことだったが、先述の通りその首の長さから〝ろくろ首〟と中学部で虐められているといちずちゃんは憂う。サインネーム、つまり人名を表す手話──例えば鬩は〝せめぎ合う〟の手話で〝鬩〟としているし、いちずちゃんは漢数字〝一〟の手話で〝いちず〟としている。他にもよくあるサインネームだと〝佐藤〟を〝砂糖〟で表すとか、〝志村けん〟はおなじみアイーン芸で表すとかあるらしい。面白いなぁ、……、……って。
それで理解した。何で鬩もいちずちゃんもぼくの名前を手話で表現する時、〝涙〟の手話使うんだろうって思ってた。ぼくのサインネームが〝涙〟ってこと!? 斑=涙!? よく泣くから!? 自覚あるけど!
……ともかく!!
その倉敷うちはちゃんのサインネームは、〝キリン〟だそうだ。〝キリン〟の手話は当然、その特徴を捉えるが如く──首が伸びるようなジェスチャー。
《ひどいね。その、うちはちゃん? はどうしているの?》
《……知らないんです》
知的障害を抱えているがゆえに、悪意を理解できない。喜怒哀楽の単純な感情表現はできるし、理解もできる──けれどそれ以外の感情を悟ることができない。ゆえに、馬鹿にされていると理解できない。
だから、笑うんだそうだ。ただひたすら、笑うんだそうだ。
《…………難しい問題だね。先生は?》
《……注意する先生も、いるにはいるんですが、あまり気にしていないみたいで。中には、一緒になってろくろ首って、喩える先生もいて》
《……本人が気づいていない、というのが難しいね》
この場合どうするべきか。〝わからない〟に付け込むのはたとえ本人が自覚していなかろうと、立派な迫害だ。ぼくひとりだけでどうにかなる問題でもない。
《あっ、それについては、大丈夫です。鬩くんと一緒に、動画とかいろいろ撮って校長先生に、問題提起したので》
鬩がきちんとした対応でなければ教育委員会に訴えるって脅したらしい。鬩はなまじ〝憑訳者〟として仕事収入も得ている立派な社会人学生であるだけに理屈が一貫しているし度胸も座っている。だから前々から、先生と衝突することもあったようだ。
「……ん? あれ? 鬩は人と人の間には立たないって──あ、それは〝憑訳者〟としての話か」
以前、鬩は人とあやかしの間には入っても人と人の間には絶対に入らないと言っていた。
それは高松市立聾学校中学部三年生、神社鬩としては人と人の間に立つけれど、〝憑訳者〟神社鬩としては絶対に人と人の間に入らない。たぶん、そういうことなんだろう。
……あれ?
《……ぼくへの依頼って、なに?》
《……〝ろくろ首〟が出たんです》
いちずちゃんの、その言葉と同時だった。
にゅるっと、チューブから押し出される歯磨き粉のように、象牙色の細長い何かが、いちずちゃんの背後に弧を描いて現れた。
象牙色の細長い、チューブのようなそれは、先端に何かをつけていた。茶色がかかった黒いベールのようなものを垂らして──違う。
髪だ。
ゆらり、と象牙色のチューブがしなってベールのような髪が揺れ、ベールに覆い隠されていたものが露わになる。ほっそりとした顎先の、いちずちゃんとそう変わらない年であろう少女の、顔が。
長い長い、象牙色のチューブを──首を揺らして、少女が笑う。
「──せめぐぅぅうぅうぅぅぅぅ!!」
── 参 ── ろくろ首
絶叫をかまして惨めったらしく泣き咽びはしたものの、反射的にいちずちゃんの腕を掴んで抱え込み、ソファの後ろに下がったのはいい判断だったと思う。えらいぼく。生まれたての小鹿のように震えているけれど!
【──いちずちゃんに何をしている】
「あっ、せめぐくん」
心なしかいつもより味気ないフォントで冷たく感じる鬩の文字に、腕の中でいちずちゃんが嬉しそうな声を上げる。対するぼくに、笑う余裕はない。
応接間セットを挟んだ向こう側に、まだいる。
はっ、はっと呼吸が荒くなるのを自覚しつつ、心臓が痛いのも堪えて鬩に話しかける。
「ろくろくびが、ろくろくびが」
【……口元にほくろがあるか?】
口元? と言われて、改めて象牙色の首の先端に目を向ける。目が遭う。逸らす。怖い。怖い。やっぱりいる。確かに、いる。間違いなく、いる。間違いない。あれは、ろくろ首だ。間違いない。首が、首が窓の外から、窓の外からにゅるって、にゅるって。
【あるのか? ないのか?】
「……ある」
「えっ、もしかして、うちはちゃん?」
いちずちゃんの囁きにぼくはえ、と驚きの声を上げる。
【……いちずちゃん、まさかうちはちゃんのことで斑に相談しに行ったのか?】
「う、うん……ごめんなさい。ほうって、おけなくて」
【……いや。そうだな、この場合斑が適任かもな。僕は、関われない】
相変わらず楽しそうに踊っているろくろ首に心臓をぎゅっぎゅっねじられつつ、字念越しに鬩に一体どういうことなのか問う。
《えぇっと、聾学校でうちはちゃんが〝ろくろ首〟って呼ばれているってところまでは、お話、しましたよね?》
「うん、生徒や先生から悪口でそう呼ばれているんだったね。それで?」
いちずちゃんを抱き上げているせいでろくに手話が使えない。けれど口形と発音を明確にすれば難聴であるいちずちゃんはほぼ確実に聞き取れる。
《──そしたら、本当にろくろ首が出たって騒ぎになったんです》
「えっ?」
《高等部の人と……ひとつ下の男の子、それに先生がひとり……ろくろ首のうちはちゃんを見たって》
【……ああ。それでその三人は現在学校を休んでいる。だがまあ三人ともうちはちゃんに対するいじりが酷かったもんでな。誰にも本気にされていない。……が、聾学校に不気味な空気は漂ってしまっているな】
また三人がうちはちゃんをからかっている、と断じつつも尋常じゃない怯え方をする三人に──〝もしかしたら本当に〟と、うちはちゃんを気味悪がる空気が出つつあるらしい。
「……それで、うちはちゃんは本当にろくろ首だったわけか」
【いいや】
人間だよ。
──そう言い切って、だからこそ関われないのだと、鬩が文字の向こう側でため息を漏らしているのが見えた気がした。




